50年前の撮影地を歩く -16-

米子(2)
米子機関区での撮影を終え、米子駅から東へ歩いて、最初の踏切を渡って南側へ行くと、民家に囲まれて日ノ丸自動車法勝寺線の米子市駅がありました。
法勝寺鉄道として大正13年に開業、米子市(当時・米子町)から法勝寺までと、途中から母里へ向かう支線がありました。社名を何度も変えながら、鳥取県でバス事業を行う日ノの丸自動車の電車部門となり、訪れた当時は、米子市~法勝寺12.4キロを16往復の電車が結んでいました。地方私鉄がどんどん廃止されていた時代、ご多分に漏れず、法勝寺線も廃止の申請が出されており、訪問した翌年、昭和42年5月に廃止されました。廃止時の車両は、電車4両(デハ201・203・205・207)、客車6両(フ50・51・52・53・55、フニ100)、貨車2両がすべてでした。 米子駅の裏側に隠れるようにしてあった日ノ丸自動車法勝寺線の米子市駅、当時はバス社が経営する鉄道だった。

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凍える大地への旅 2016年 Part9 西の大地から北の大地へ

第8日目 12月16日

今日は日本への帰国日ですが、今回のツアーでご一緒させていただいた数名の方々は夏のインドネシアツアーでご一緒させていただいた方々でもありました。その時に哈密の噴火ツアーが終わったら北海道の「丸瀬布いこいの村」で走る雨宮21号の雪中運行が12月17日に予定されているので帰国後一緒に行ってみないかと、哈密からの怒涛の丸瀬布ツアー後の話がまとまりました。旭川空港からのレンタカーや宿泊ホテルの予約も完了し、私も参加を表明していましたので今回の北京からの復路航空券は羽田経由で旭川行きをマイレージ航空券で購入済みでした。

ところがご存知の通り夏の台風7~9号による水害で「丸瀬布いこいの村」は大きな被害を受けて冬の雪中運行は中止となってしまいました。マイレージ航空券ですので帰国後の空港からの国内線乗継は目的地の変更不可なのですが、JALの勝手な都合となった場合は別で、今回も旭川空港への便の時刻変更があり、JALからは「目的地は変更可能となりました、どうされますか。」との問い合わせが来ました。
羽田から伊丹へ帰ることもできましたが、折角取った北海道への搭乗券です、冬の函館には行きましたが札幌はまだ行っていません、雪が降る中を走る路面電車を撮りに行くのも良いなあ、先日JR北海道から維持不可能路線としてノミネートされた宗谷本線も大学時代以降は乗車したことがないので乗り鉄をしてみたいと、行くことにしました。そして行くからには「排雪列車」も撮ってみたいとダイヤを調べました。
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大阪近況

恒例の写真展も近づき、何を出そうかと迷いはじめました。ことしは桜の開花時期が遅くこれを待っていては締め切りに間に合うかどうか気になります。桜はまだにしてもいつもの場所の下見に出かけました。まず阪堺線の天王寺駅前です。阿倍野筋は道路が拡幅され、阪堺線の軌道も緑化が進んでいます。 続きを読む

未来の関西鉄道網への空想

こんばんは。最近は公私ともに慌ただしくなかなか更新できませんでしたが、少し余裕ができたので久しぶりに投稿をします。

2015年の北陸新幹線、2016年の北海道新幹線と大規模な新線開通が一段落し、次はオリンピックへ向けて車両は駅施設の整備へと進もうとする雰囲気を東京では強く感じております。あと3年半で首都圏の鉄道模様がどれほど変化するかが楽しみです。

一方、関西は自分の在学中には車両の動きが大半で、新路線の話というのは殆どなかったように記憶しています。しかしながら、この1年間で夢物語かと思われていた路線が一気に具体化して非常に驚いています。人口減少や建設費の高騰、環境問題など鉄道をめぐる環境が厳しいなかでここまで動くとは思いもしませんでした。

JRの路線のなかで最も歴史の浅いおおさか東線。今のところは古参の103系も行き交うのどかな路線です(2013年3月、高井田中央駅)

 

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夕張鉄道の気動車たちとのご縁

KAWANAKA氏が「寒中北海道見聞録」の復刻版を連載されています。その4号車で予告がありましたように 私がこの旅で出会った夕張鉄道の車両とは その後も各地で再会することになりました。そんな後日談を紹介したいと思います。

夕張鉄道を訪ね、写真を撮り、気動車に乗ったのは昭和44年2月27日のそれも半日程度でした。夕鉄は昭和46年11月には栗山・野幌間に短縮され、昭和50年3月末に廃止の運命をたどります。ところが 永く鉄道趣味を続けている者の特権かもしれませんが、その後 各地で元夕鉄君に出会うことになるのです。それを具体的にご説明しましょう。夕鉄にいた湘南タイプの気動車6両は 夕張を離れて津軽海峡を渡り、第二、第三の職場を得てゆきます。そんな彼らに各地で出会う機会に恵まれました。

まず簡単に6両とのご縁を整理してみました。下線は再会を示します。

  1. キハ251(庫内にいた)→関東鉄道(鹿島鉄道)キハ714→廃車
  2. キハ252 →水島キハ303→岡山臨港キハ7001→英田町→先頭部保存(柵原町)
  3. キハ253(乗って車内撮影)→水島キハ304→岡山臨港キハ7002→英田町→解体
  4. キハ254(野幌で撮影)→関東鉄道(鹿島鉄道)キハ715→廃車
  5. キハ301 →水島キハ301→岡山臨港キハ7003→岡山ちどり保育園に保存
  6. キハ302 →水島キハ302→事故廃車

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凍える大地への旅 2016年 Part8 三道嶺を撮る、北京へ

第7日目 12月15日

今日は三道嶺撮影の最後の日です。午後には北京へのフライトになりますので、早朝からの撮影から参加することにしました。
▲ 7:50 撮影地 東站 昨日と同じく夜明け前の東站で出発前の撮影です。
ISO51200の解像力はどの程度だろうと絞りも解放値で挑戦してみました。
【DATA】NikonD500 ズーム70㎜ F2.8 1/125秒 ISO51200 露出補正-0.7段

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寒中北海道見聞録 半世紀前の旅-4号車

明けて2月27日、今日は札幌近郊の私鉄見て歩きであり、勿論お目当てはカマであります。コースは大夕張鉄道の大夕張炭山、夕張鉄道(または夕鉄とも記しています)の鹿ノ谷で、あとは乗り鉄で札幌に戻ってくるということにしました。

ところで、この寒中北海道号は少々遅延気味であるので、4号車では欲張って札幌を離れて道東に行くところまでをカバーすることにしました。相変わらずのすかたん珍道中で、この段階では寒い北海道を鉄道で旅をし、鉄道を楽しむというレベルに達していないのですね。そういう目で見て欲しいのです。もたもたしていると春になってしまいます。急がなければ・・・。

■大夕張に向かう

先ず、7:35発「夕張1号」で大夕張鉄道に向かって出発。

←岩見沢(夕張) キハ22314①+キハ22210増 続きを読む

小湊鐵道キハ5800型

かつて、ホームカミングデーで湯口先輩が講演会で、「日本の気動車は国鉄(鉄道省)が独占的に開発したため、ヨーロッパに比べて著しく遅れてしまった。それは現在の出力不足につながっている」と話されたように思います。
今回のキハ5800でそのお話を思い出しました。

 50年前の撮影地を歩く -15-

米子

4月に行われる木次線ツアーには多数の申し込みがあると聞いています。その際には、さまざまなサプライズ企画が用意されているとのことで、私も一部で協力させてもらいました。ここで木次線のことを書きますと、ネタバレになりますから、その関連で本稿を進めましょう。ちょうど50年前の昭和41年夏ですが、山陰地方を家族旅行で訪れたあと、途中から一人で、米子機関区、日ノ丸自動車法勝寺線、木次線を訪れ、夜行「ちどり」に乗って、広島、呉線を訪れました。初めての長距離一人旅でした。
得るものは多かったものの、いまは無残な状態でフィルムが残っています。この時、初めてのフィルムを自家現像したところ、真夏なのに液温調整もせずに現像して、超オーバーネガになったうえ、水洗不足がたたって、今や悪臭漂うビネガーシンドローム状態、最悪の仕上げとなって、隔離されて置かれています。見苦しい画像が続きますが、米子の50年前と現在を比べてみます。
▲ 石見益田発西舞鶴行き544列車が米子駅に到着する。牽引するのは、C5763〔米〕+C5728〔浜〕の重連、いずれも集煙装置付きのC57だ。続くのは荷物車代用のワキで、山陰本線ではよく見られた光景だった。

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凍える大地への旅 2016年 Part7 三道嶺の火の玉列車を撮る④

毎晩第6日目 12月14日

三道嶺滞在も4日目を迎えました。三道嶺を離れるのは明日ですが移動のため火の玉列車を撮影できるのは今日が最後の日になりました。今までは朝の撮影はパスしてきましたが最後の機会なので見ておこうかと参加することにしました。

▲ 8:08 撮影地③ 夜明け前の東站
哈密と北京では実質2時間の時差がありますが、中国ではどこへ行っても同じ時間で時差は設定されていません。北京ならこの時間はもう明るい朝を迎えていますが、哈密ではまだ夜明け前の暗い朝です。運行される列車の発車站、東站では仕業へと向かう列車がまだ休んでいました。
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 さよなら 京都のツーステバス

久しぶりにバスの話題をひとつ。
今日は、佐竹さん「東北展」の片付けに、有志会員とともに行ってきましたが、その帰り、京都市バス車両の最後を見届け行ってきました。そのバスとは、乗降口が2段になっている高床式のツーステップバスで、残っていた1両がこの日、最終日を迎えました。平成7年式のバスで、実に22年も前に製造されたバスで、公営バスとしては、日本最古の部類に入るでしょう。
ほかの都市では、とうの昔に姿を消したスタイルですが、京都は、大阪府・兵庫県の市町のように、排気ガス規制の対象地域に該当せず、大事に使われて元気に走り回っていました。しかし、2016年度の新車両が導入され、ついに最後の運行を迎えたのでした。京都市交通局では、ホームぺージで最終ダイヤを載せるなど、古参バスに異例の対応を見せました。
本日ラストランの京都のツーステップバス、九条営業所所属の6261号車、いすゞKC-LV280L型、ボデーは、アイケイコーチで架装されたキュービック型、左右に三角固定窓を設けた独特のスタイルも見ることができない。

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凍える大地への旅 2016年 Part6 三道嶺の火の玉列車を撮る③

第5日目 12月13日

13:00 今日もお昼までゆっくりで昼食から参加です。

▲ 13:30 いつものウイグル料理屋で注文したのはラグメンとタンドリー窯で焼いたサムサです。中には羊肉とたまねぎが入っていますが、皮のパリパリ感とジューシーな中身がコラボしてとっても美味しいのです。私はラグメンよりもこちらの方が好きです。具材は違いますが、台湾・台北の夜市で見かける胡椒餅とよく似ています。
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白牡丹の酒蔵が国登録文化財に

平成26年12月のクローバー会広島ツアーで見学させて頂いた西条の白牡丹酒造の延宝蔵など一連の施設が国登録文化財に登録されるそうです。今朝の中国新聞朝刊の記事です。

平成29年3月11日 中国新聞朝刊

鉄道とは関係がない話ではありますが、我がクローバー会は多くの国宝を有しておりますが、登録文化財は初めてのようですのでご紹介しました。なお記事中の島治正社長は弟君で酒造を、島靖英社長は販売会社を受け持っておられます。

平成27年12月5日 ツアー当日 白牡丹酒造前に到着した一行

凍える大地への旅 2016年 Part 5 三道嶺の火の玉列車を撮る②

第4日目 12月12日 その1

今日は年を考えて早朝、東駅での撮影をパスして部屋で熱いシャワーを浴びたりでゆったりしました。何回も来ていますのでいくら煙を見たといっても同じ光景を見ての感動は高揚しません。今回は陽が沈む午後7時前後が全てですのでスイッチを入れるのは午後6時半と決めていました。

10:40 撮影を終えて皆さんがホテルに戻ってこられましたのでチャーターバスに乗り込んで露天掘りへと向かいます。夜のお立ち台から南へ少し行った坑口站としました。
▲ 11:13 撮影地⑦ 昼前になってようやく陽が当たりだした坑口站付近、 東露天鉱から石炭を満載して上がってくるJS8225号機牽引お運炭列車、サミットはもうすぐです。
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寒中北海道見聞録-半世紀前の旅物語 3号車改

倶知安(暫くは紀行文だけ。翌号になるまでは、先ず読んでくれ給え。写真が見つかれば挿入します) ※写真を3枚追加して、タイトルを改としました。見てあげて下さい。

「ニセコ3号」は雪の吹き荒ぶ倶知安に4分遅れで到着しました。零下10何℃の風雪が容赦なく舞い込み、煙とシンダーが飛んでくるキャブで奮闘した機関士、機関助士の皆様、大変だったと思います。感謝の念も言わない間にまたしても、川中がTri-Xで発車の時を撮るのだという。こんな馬鹿者は放っておくしかないので、好きなようにさせ、2人の荷物を誰もいないホームで見張っているときに、ワタシに少なからず好奇の色を浮かべた「ニセコ3号」の車掌が2人近づいてきた。「山登りか?」「いや、汽車の写真を撮りに来たんです」さらに「今、仲間の2人がこの発車を撮りに行ってます」と言うと、「こんな寒いときにご苦労なことや。 いつ来たん?・・関西弁ではないので少し違うがまあそういう内容」と聞き返してきた。ちょうどそのとき2人は「まだ、出よらん。おお寒」言って戻ってきた。2人のうち少し太っちょで眼鏡を掛けている方の車掌が、多分専務車掌なのであろうが、「寒いはずや。今、北海道は何十年振りかの大寒波に見舞われているんやで。昨日(すなわち北海道についた日)の函館なんか-15℃まで下がったそうやで(まだ、関西弁であるが、この温度は編集者が気象庁からデータを取っているので専務車掌の言は間違いはない。2号車のページをご参照)。「えらいときに来たなあ」とえらく同情してくれた。我々3人も内心、ほんまにえらいときに来た、と思っていると、遅れていた対向車(写真=探し中)が入ってきた。これで「ニセコ3号」は発車できることになったので、車掌さんに礼を言ってユースへ向かうことにした。別れ際に「趣味で汽車撮るのは構わんけど、こんな寒さやさかいに気い付けんとあかんで。凍死したらあかんで」と言って客車に戻られた。少々オーバーな感じがせんでもなかったけど、それ位気をつけな、あかんのかと思い車掌さんらと別れたのであります。「ニセコ」は吹雪の中、汽笛2声、煙と湯気(蒸気ではない、これは白く見えるのでユゲ)を身に纏い、闇の中に消え去って行った。 続きを読む

 「東北展」で寄りたい 写真展もうひとつ

先般、「東北展」の途中に寄りたい市電遺産を紹介したところ、INUBUSEさんから思わぬスクープ投稿があり、“こんなもん おまんねん”のクローバー会精神の発露と喜んでいます。続けて、もうひとつ、ひと・まち交流館の真ん前、カフェ「Ask me! cafe」で開かれている写真展「京都駅 絵葉書で見る140年」をご紹介します。

京都駅が開業して140年となり、関連の催事が、京都駅や京都鉄道博物館で行われていますが、この写真展は、ブログ“ひっちょのステンションと呼ばれた駅”を主宰されている方が、お知り合いの絵葉書収集家のものを借りて、拡大展示されています。

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凍える大地への旅 2016年 Part 4 三道嶺の火の玉列車を撮る①

第3日目 12月11日 その2

三道嶺へ来た目的は火の玉列車の撮影です。2年前に来た時に初めて見ましたが、インドネシアの花火とはスケールが違ってすごいとしか言いようがありません。ただ全列車で見られるものではなく2年前はJS6209号機でしか見る事はなかったのですが、引率者の王さんの話によると試しに1年前に粉炭を投炭すると他の蒸気機関車でも可能だったとの事でした。昨年は見ていませんので確かな事は理解できません。本当にそうだったら良いなあと楽しみにしました。▲ 2014年12月31日、撮影の火の玉列車です。 【DATA】Nikon800E、ズーム90㎜、F5.3、 1/25秒 ISO6400
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富山の架線修理車

「82801」 さんの投稿の中で京都の架線修理車の写真を見て、最近どこかで似たような車を見かけたなと思い探してみました。2015年7月8日 富山地方鉄道軌道線の南富山車庫の横に止まっていた 架線修理車と思われる車両の写真です。色は京都の様ですが 京都市電が廃止されてもう何年経ったことでしょうか?その当時の車両が残っているとも思われず?はてと困っています。どなたかご教示ください。

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凍える大地への旅 2016年 Part 3 北京から哈密へ

第3日目 12月11日 その1
▲ 6:13 今日は空路で哈密に向かいます。国内線ですが2009年ウイグル騒乱があったウィグル自治区への空路です。イスラム問題もあって非常に厳密な搭乗前の検査があるので早めに向かうことになりました。早朝ですが出発案内の表示はびっしりとあります。何と7時台は39便のフライトです。
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 「東北展」の途中に寄りたい 市電遺跡ふたつ

佐竹さん「東北展」は12日(月)まで好評開催中ですが、ある方からは「ぜひ行きたいが、写真展に付加して、“こんなもん、おまんねん”とクローバー会らしい、いちびり企画はないのか」と厳しい叱責をいただきました。それならと、ひと・まち交流館京都のすぐ近くで見られる、あまり知られていない京都市電関係の遺跡を紹介しましょう。会場への行き帰り、ちょっと寄って見られたら、どうでしょうか。
橋の下に見えているのは?

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