尾道に山陽鉄道の痕跡を探して

昨年末に糸崎及び糸崎以東に残る山陽鉄道時代のレンガ積み橋台を3回に分けてご紹介しました。年が明けて次は三原以西を詳細にチェックしようと思っていたのですが、西に向かうと時代は新しくなり、東に向かうと時代を遡ることになりますので、古い方を優先することにして まず尾道市内を歩いてみることにしました。尾道市街地での見どころはレンガ積み橋台もさることながら、山陽鉄道の社紋入りの敷地境界杭です。実はこの境界杭については、2003年10月に発行されたJTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くNo.10」のなかで 山陽鉄道に造詣の深い長船友則氏が「尾道周辺の山陽鉄道境界杭」という現地レポート記事を載せておられます。これを読んで 一度自分でも現物を確認しようと思いながら10数年が経ってしまい、ようやく実現したというわけです。

尾道駅から線路に沿って東に歩くことにしました。長船氏のレポートを頼りにまず最初の地点「千光寺前踏切」付近の境界杭を探しました。ここは線路の山側です。意外と簡単に見つかったので さい先良しと次の地点に向かいました。しかし帰宅して写真を確認すると どうも別物だったようで、本物はどうやら草むらの中に隠れていたようです。残念! ここから東に10mほど行った歩道沿いの花壇の中にも境界杭がありました。

平成29年1月11日  花壇の中の境界杭

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2016年 西方見聞録 Part21 ブタハタール鉄道「豚のしっぽ鉄道」を撮る

第8日目 9月25

今朝の楽しみはドイツ版余部鉄橋の上をどんな蒸気機関車が走ってくるかでした。

▲ 9:10 撮影地③ Google座標; 47.819024, 8.553502
朝食を終えてホテル前でカメラを構えて待つことしばし、鉄橋を渡る音が聞こえてきました。東側の起点駅Blumberg-Zollhausから列車は発車するのですが機関区は西側のフュッツェン (Fützen )にありますので1番列車の牽引機は回送されます。青く晴れた空の下、風もなく綺麗に白煙を残しながら単機回送のD型タンク機が来ました。
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下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる?

最近はどこに撮影に行ってもその場所が既にネット等で紹介されていることが多く、昔経験した発見の喜び、楽しみはほとんどなくなってしまった。そこで近頃は変化球と称して流し撮りをよくやるようになったがこれが何年やってもピタリと止まったことがない。ゴルフをやる人、あるいはやった人はよくわかると思うがグリーン周りのバンカーショットも難しい。バンカーショットと鉄道写真の流し撮りはジャンルは全く異なるがどちらも緊張感がある。バンカーは球の手前何センチだったか忘れたがそこに打ち込んで砂を薄く取ってやればうまくい行くと聴いたような気がするが結局マスターできずに終わってしまった。プロはバンカーを苦にせずピンに寄せるが、私は砂を沢山取ろうが出ればホッとしたものである。

さて表題の件であるが、昔のフィルム時代は流し撮りの成功率が低い。これは一発勝負の難しさと思うが、最近のデジカメでは連続撮影ができ、私の場合は2発目、3発目で成功率(といっても1発目よりはマシであるというだけである)が高いようである。デジカメでも列車速度に合わせて1発目を切るのは難しいということである。因みに私の基本はシャッタースピードは1/60秒、ISO100である。当然のことと思うがそれよりシャッタースピードを上げると成功率は高まるが、流し撮りの感じが弱まるし、下げるとその反対であり、私は流しでよく使われている1/60を速い列車も遅い列車も同じように使っている。馬鹿のひとつ覚えかもしれないが1/60の感触で自分なりの流し撮りをマスターしたいと考えていたからである。そうするとこれも当然であるが遅い列車の方が合わせ易く成功率は高い。それでは撮影例である。 続きを読む

民営化30年

今朝の中国新聞社説をご紹介します。先に紹介しました元日の同紙オピニオン欄やそれに対する1900生様のコメントと同じ論調で、私が常に感じていることを代弁してくれています。国鉄民営化からもう30年が経とうとしているのですね。我々が小さな頃には、「省線」「新京阪」と言う親世代と年代差を感じたものですが、今の若い人達からすれば「国鉄」って何という感覚なのでしょうね。

平成29年1月9日 中国新聞朝刊

2016年 西方見聞録 Part20 ブレゲンツァーワルト鉄道を撮る

第7日目 9月24

【ブレゲンツァーワルト鉄道(Bregenzerwaldbahn)】
今日はオーストリアの保存鉄道ブレゲンツァーワルを訪ねます。
この鉄路は伐採木材と旅客輸送のために1902年に開業、ボーデン湖の港ブレゲンツ(Bregenz)からベーツァウBezauを結ぶ延長35.33㌔、760㎜ボスニアゲージの狭軌鉄道でした。1980年に谷間を走る区間が崖崩れで寸断され、再び復活することはありませんでした。現在は最奥部のシュワルツェンベルクベーツァウの約5㌔で保存鉄道として運行しています。
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2016年 西方見聞録 Part19 フルカ・オーバーアルプ鉄道、フルカ山岳蒸気鉄道を撮る

デジタル青信号をご愛読の皆様方、またご投稿者の皆さま方、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
ぶんしゅうは今年も投稿を続けさせていただきますが最近はボケが進行して来たのか、また初訪問の所が多く、中々記事がまとまらず投稿が遅れてばかりで申し訳ございません。加えて今回の旅ではカメラに取り付けた撮影場所記録をするGPSが不調で機能せず、もしもに備えてGPSロガーも用意していたのですがデータが飛んでしまう不運に見舞われました。こうなるとお手上げで、記憶を掘り起こしながら自力で行うしかなく、ボケ老人にはとても時間のかかる問題となりました。

第6日目 9月23日 その2

12:00 一旦ホテルに戻ってチェックアウトを行ってから荷物を載せて峠を目指しました。
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平成29年が明けて

皆さま新年明けましておめでとうございます。街に出ると元日から営業している大型店も多くなり、昔のようなお正月風景は年を追うごとに薄れてゆき、季節感がなくなってゆくのを痛感します。新聞は年末の数日間は元日配達分を印刷するため ページ数が少なくなり、その分元日には郵便受けに入らないようなぶ厚い朝刊が届くのは 昔ながらの正月らしさです。そんな元日に届いた中国新聞朝刊の記事をご紹介します。今年の初投稿が横着な新聞ネタでのスタートになりましたが、悪しからず。

平成29年1月1日 中国新聞朝刊

同紙

6段抜きの記事なので分割スキャンしたため 読みづらくなっていますが、著者は原武史さんです。私には共感できる部分が多くありましたが、皆さまはいかがでしょうか。後段に出てくる広島駅のアクセスの良さも 平成30年代半ばには広電が駅ビル2階に乗り入れる構想ですので 駅前風景は大きく変るでしょうから 原先生の目にはどのように映るでしょうか。

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折尾駅鹿児島本線ホーム&通路

 

年末にまたまたコネタで失礼します。折尾駅、鹿児島本線は1月2日から新しいホームに移ります。画像のホーム、ホーム下の通路はさよならになります。ホームの屋根を支えるレール、レンガ造りの通路。また一つ昭和の鉄道遺産が消えていきます。寂しい限りです。私は通勤に赤間・博多間を毎日利用していますが、中州で飲んだくれてふと気が付くと折尾・・・が年に2・3回、いや4・5回あり、折尾駅にはむなしい気分で立ち尽くしています。来年からは新しいホーム、新しい通路。なるべく行かないようにしたいものですが・・・来年もコネタですがお世話になります。皆様良いお年をお迎えください!!

井原鉄道 乗り放題

今年最後の投稿はまたしても新聞ネタとなりました。新年1月8日(日)は井原鉄道が全線500円で乗り放題となるそうです。神辺・総社間は通常1100円ですから お得なことは間違いないようです。開業記念日が1月11日なのですが、来年は11日が平日のため8日に繰り上げたのでしょう。

平成28年12月31日 中国新聞朝刊

乗り放題といえば 今年は広電の1日乗車券(600円)に大変お世話になった年でした。鉄道各社でいろいろな乗り放題切符やワンデーパスが発売されていますので、利用される方も多いと思います。私は大津での江若イベントの合間に 近江鉄道のフリー切符(550円)で貴生川から彦根まで途中下車を繰り返しながら1日を楽しんだことを思い出します。

今年1年 三江線をはじめローカルニュース、新聞ネタでお騒がせ致しましたが、来年もよろしくおつきあい下さい。ありがとうございました。皆さま良いお年を!

 

希望のレール~被災地へ燃料を~

テレビを買い換えたら便利な機能が満載です。ネットに接続したり、HDをビデオデッキの代わりに接続出来たり、パソコン並みの拡張機能が付いています。
なかでもキーワードを登録しておけば勝手に録画してくれる機能は大変便利です。

そんなわけで昨日の深夜(今暁)4:55からBS朝日で放送された表記の放送が録画されていました。
内容は、3.11の震災直後に新潟から郡山まで運行された燃料輸送列車の記録です。
もしやと思って注視していると、やっぱり出ていました。
DRFC・OBの志水仁君が当時の機関士手配に苦労した事などを説明していたのです。聞くと当時はDD51 を運転出来る機関士は郡山には一人しかいなくて急遽志願してきた機関士を稲沢で研修させて乗務させたことなど、再現ドラマと記録映像で話していました。

我々の仲間が影ながら活躍していてくれたのを見て誇りに思えましたのでご紹介しておきます。

半世紀前の山陽電軌、併せて街の新旧対比(2)

半世紀前の下関市街を駆け抜けた山陽電軌の電車たち。前回は彦島口から出発して、魚の街下関市中を通り、唐戸交差点まで来ました。今回は唐戸から車庫のあった東駅までと、長関線の終点長府駅、途中の海岸べり壇ノ浦付近を眺めます。引き続き下関市街の現在の姿をgoogle Earth て懐かしんでみました。
▼唐戸電停の200型202号。三角交差点tの北側頂点の位置です。東駅への折り返しもできました。右手後方は商店街。 06517
▼広島相互銀行(現在の山口銀行)、南部町(なべちょう)付近を行く市内線下関駅行き512号。 06519
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2016年 西方見聞録 Part18 ゴッタルド峠を撮る①

【 ゴッタルゴ峠の鉄道 】
ヨーロッパ中央部を東西に横切るアルプス山脈を越える峠の1つに1220年に開通したスイスとイタリアを結ぶゴッタゴ峠(海抜2,108m)があります。アルフレッド・エッシャーによりこの峠を越える私鉄「ゴッタルゴ鉄道」が1871年11月1日に設立され、ゲシェネン(Göschenen、海抜1,106m)とティチーノ州アイロロ(Airolo、海抜1,142m)間の約15㌔に及ぶゴッタルド鉄道トンネルGotthardtunnel)等の難工事及び資金難をも乗り越えて1882年6月1日に開業しました。最高急勾配は26‰、この工事の岩山を掘削するために圧縮空気を使った削岩機が開発され初使用されています。アルフレッド・エッシャーのこの功績をたたえてチューリッヒ中央駅の正面には彼の銅像が建築されました。
ゴッタルゴ鉄道は、1909年に国有化、1920年に電化され、ミュンヘンミラノ間には1961年に国際特急電車TEEが走り高速化されています。
そして更なる輸送力アップ、所要時間短縮のために新たに世界最長のゴッタルドベーストンネルGotthard-Basistunnel)57.104㌔が掘削されました。既に貫通完成し、最高速度250km/h運行での営業運転は12月から始まります。
特急や貨物列車等の殆どの列車は新線を走る様になり在来線はローカル列車のみと予測されていますので今回は旧線を走行する列車を最後に撮影する機会となりました。
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半世紀前の山陽電軌、併せて街の新旧対比(1)

半世紀前、1962(昭和37)年3月、筆者が2回生の時、九州に渡る前の一日、下関市内で山陽電軌を眺めていました。その時の画像を整理しながら、停留所や、背景の建物、街の様子が、現在どんな風になっているか、google earth で眺めました。車両と併せて街の新旧対比をも紹介します。

先ずは山陽電軌道の位置です。
▼山陽電軌道路線概要
南から、大和町(やまとまち)線、市内線、幡生線、長関線からなっています。但し車輌の行き先表示板は市内線と長関線の二本立てでしたので、紹介はこれに従います
▼下関駅前、国鉄下関駅の正面に相対する位置でなく、駅の左手(北西方向)に偏っていました。画面左手方向は下関駅西口を経て彦島口に向かい、右方向へ進めば、市内唐戸、長府駅へ。車両は長関線長府駅行き800型802号。 以下日付はいずれも1962.3.20 06422
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保存蒸機とその現役時代(37)

今回はC56をタンク機関車にしたようなC12である。あるいはC12を簡易線向けにテンダー機関車にしたのがC56なのかもしれない。とにかく1750ミリの大動輪を持つ旅客用蒸機が好みでありC11とかC12はあまり気にする機関車ではなかった。

久留里線小櫃(おびつ)駅近くの小櫃公民館に屋根付きで保存されているC12287。

C12287 1947年9月 日本車両製 製造番号1489

製造後門鉄局、後藤寺区に所属とあるが、当初の記録に様々な説があり定かではない。1949年12月からは鹿児島区にあって入換えや指宿枕崎線に使用されており、その後1973年4月に南延岡区に転属しその1年後に廃車されているのでこの機関車は鹿児島が故郷であるといってもよい。何故千葉県君津市に来たのかよくわからない。 保存機関車のナンバープレートはそのほとんどが偽造品と思われるが大体は本物に似せてあるがこれは下手な手書きで興醒めである。2015.3.26撮影 ▼

 

現役時代は鹿児島区での撮影でこの時はkawanakaさん運転の車で鉄鈍爺さんと一緒であった。主目的はライトパシフィックC57でこの時もお召機C57117や梅小路にいたC57127等の撮影時にこのC12287もついでに撮ったもので印象や撮影の手ごたえはなく記憶にも残っていない。後に保存機関車名簿と照合してわかったくらいである。ただこの機関車は1947年昭和22年生まれで団塊の世代と同じである。当会でも団塊組は上記2名の他1900生、マルーン氏、藤本氏等々大物が多い。因みに私は終戦の年1945年生まれで戦時設計の代表D52の時代であるが要らん学校にも通ったため団塊の世代に巻き込まれてしまった。

72.5.1 鹿児島区 ラウンドハウス前のC12287[鹿児島] ▼

それでは皆様、よきお年をお迎え下さい。

sann

出石の記憶をたどる

去る12月21日付けで投稿しました79547拙稿に対して 1900生様からコメントを頂きました。自分の記憶も定かではないので当時のメモを探してみたところ 確かに1900生様と出石に行ってはいるものの、どうも登場人物が違っているのです。

私が出石に行ったのは 昭和48年6月10日(日)で まず加悦に行ってキハ08を写し そのあと大江山鉱山跡を経由して出石に入っています。山越えしていますので、鉄道ではなく京都からクルマで行ったと思われます。出石駅跡のメモが残っていました。

昭和48年6月10日 出石駅跡付近の様子

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2016年 西方見聞録 Part17 チューリッヒからゴッタルド峠へ

また長い旅に出ておりまして、長らく投稿を中断しておりました。申し訳ございません。もう1週間もすれば新年を迎える時節となって訪問時期とは3ケ月も過ぎてしまっていますが、「2016年 西方見聞録」の投稿を再開させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

第5日目 9月22日

2日間にわたってチューリッヒのトラムに乗りましたのでどんな街並みを走っているのかだいたい分かるようになりました。今日はまだ乗っていない路線ともう一度乗ってみたい路線に乗車してから本隊と合流するスイス鉄道の名所、ゴッタルド峠へと向かうことにしました。

ホテルで荷造りを済ませてからキャリアーを有料ロッカーに預けて中央駅に向かいリマト川沿いを撮りながら歩いて3系統が走るハイム通りと来ました。
▲ 10:43 他の通りとは違って車が多く歩道側からは撮れません。道路中央にある電停”Neumarkt”からの撮影です。後方の古い建造物を入れてみました。
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 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【8】

北海道旅行記、いろいろ書きたいこともありますが、今年もあと一週間と言う時に「秋」の話では、鮮度落ちも甚だしいところで、今回を最後にしたいと思います。“ヤマ線”でもう一ヵ所確認したかったのが倶知安でした。蒸機時代、駅の裏手にユースホステルがあったため、連日、C62を追う前線基地として、よく乗降したものです。かつては倶知安機関区もあって、“鉄道のまち”として賑わっていたものの、今はすっかり無くなってしまったことは、長万部と同じですが、訪問してみると、少し違った様子が見て取れました。
倶知安駅、ここで外国語が聞けるとは思わなかった。

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