来年3月に実に32年ぶりに新型車両が投入されます。旧型車を見たり、乗ったりしたければ広島地区へ行けと揶揄されるほどお古を大切に使ってきた広島地区ですが、ようやく広島地区用に新設計の227系の登場です。最終的にはMc+M+Tcを64編成、Mc+Tcを42編成の計276両が投入されるそうです。とりあえず2014年度は43両のようです(3×11+2×5か?)。あと半年、窓ガラスをビリビリ、ガタガタ揺らしてセノハチを登る115系に乗ったり、撮ったりすることに致しましょう。
来年3月に実に32年ぶりに新型車両が投入されます。旧型車を見たり、乗ったりしたければ広島地区へ行けと揶揄されるほどお古を大切に使ってきた広島地区ですが、ようやく広島地区用に新設計の227系の登場です。最終的にはMc+M+Tcを64編成、Mc+Tcを42編成の計276両が投入されるそうです。とりあえず2014年度は43両のようです(3×11+2×5か?)。あと半年、窓ガラスをビリビリ、ガタガタ揺らしてセノハチを登る115系に乗ったり、撮ったりすることに致しましょう。
少し、時期外れな話題であるが、今夏台湾好きのブギウギさんが上京され私の準ホームグラウンド高尾~相模湖間で撮影をされた。その時に「今日は青春18きっぷで帰るが熱海と浜松の間が時間的に長く、短い編成のロングシート車でよく混み合いうんざりする」というようなことを言われた。全く同感である。熱海~浜松間では富士山を眺めることができ、富士川、大井川、天竜川を渡り景色も悪くはないが、長時間のロングシート車乗車が東海道本線の忍耐乗車区間になっているのは否めない。私のよく利用する東京6時34分発でみると大阪までの556.4kmを9時間11分かけて15時45分に到着するので表定速度は60.6km/hである。参考に1964年10月の交通公社時刻表によると東京8時30分発の急行「六甲」は7時間30分かけて大阪に16時に到着し、表定速度は74.2km/hである。翌年11月の時刻表の急行「第1なにわ」東京9時30分発大阪17時30分着では8時間かけて表定速度は69.6km/hである。いろいろな見方があるが、過去の153系急行電車に比べ青春18切符の東海道の旅は5回の乗り換えがあるにしては善戦しているように思える。この善戦も米原~大阪の新快速の激走が寄与している。因みに東京6時34分発を利用した時の6乗車区間のそれぞれの表定速度は東京~熱海59.2km/h、熱海~浜松61.4km/h、浜松~豊橋64.4km/h、豊橋~大垣新快速70.5km/h、大垣~米原61.5km/h、米原~大阪新快速78.0km/hである。熱海~浜松間がロングシートで乗車時間も長く、それほどスピードが速くないこともあり忍耐区間になるようだ。大阪からの上り利用もほぼ同じことが言える。何れにしても格安切符であるので忍耐区間は忍耐せざるを得ない。他にも各地に忍耐乗車区間(個人的には大宮~高崎間)があるが、各人の感じ方もそれぞれあると思う。
<参考写真>
忍耐乗車区間の始まり熱海駅 2014.9.9 右737M熱海止めクハE231-8058と左島田行きクモハ211-6009 ▼
。
今日は現役生の船場鉄道フェスティバル1日目にお邪魔して参りました。写真とともにご紹介いたします。
いつも大変お世話になり 感謝いたしております。質問です。記事に対する少し長めのコメントを記入し、送信しようとすると最初は下に表示されていた名前記入欄や「コメント送信」ボタンが出てこなくなり、送信できません。コメントの行数、文字数に制限でもあるのでしょうか?あるいはやり方がマズイのでしょうか。ご教授願います。鈍くさい会員より。
9月29日にM重工三原の試運転線をご紹介しましたが、10月2日に正式に完成式が行われ、報道陣にも公開されたようです。昨日のNHK広島のローカルニュースでも流れ、今朝の中国新聞にも記事が載りました。たまたま先日私が山から眺めたのは このお披露目のための試走だったようです。
試運転線は1067mmと1435mmのデュアルゲージです。またこの新聞記事では試運転線のことより 同時に発表された高速型のゴムタイヤ式車両を優先的に写真入りで紹介しています。この車両も先日 山から写していましたので ご紹介しておきます。
先日無事終了した「DRFC写真展」に来られた方から次のようなご連絡を頂きました。
転載してみな様にご覧いただきます。ご本人から公開のご承認を頂いております。
「はじめまして。 みやこ模型の山本 晃司と申します。 現在、松井山手の自宅で鉄道模型のネット販売を行っております。 また、鉄道模型の雑誌『とれいん』で「おとなの工作談義」や「子連れ鉄日記」 に出演(執筆)しております。 同志社大学には1988年に法学部に入学し、92年の春に卒業しました。 先日開催された写真展を拝見いたしました。 鉄道同好会に在籍したことはありませんでしたが、そうそうたる先輩諸氏の写真 に層の厚さを感じました。また、一度は活動停止したにもかかわらず復活したと いうことでうれしい限りです。 とりとめのないお話で失礼いたしました。 また、芳名録に記帳しようと思いましたが、昨今の事情もございますので、メー ルを送信いたしました。ご理解頂ければ幸いです。」
早速お礼と、是非とも会員になっていただきたいとのお願いをしたところ、これまた快諾いただきましたので併せてご報告いたします。写真展が新しい仲間を連れてきてくれた、うれしいことではありませんか!
▲ 12:54 鉄ちゃん旅に出かけるには最新時刻表は必需です。しかし、中国鉄路の時刻表は売っている所を見つけるのはとても厄介です。日本のように駅や本屋に行けば売っている事は稀で、今回も天津站、北京南站で探しましたがありませんでした。今まで間違いなく買えたのは北京站のみでした。
ホテルをチェックアウトして荷物をクロークに預けて北京站に向かいました。到着後、駅前の売店等を探して售票処(切符売場)に行きますと、入口にある案内所に時刻表はありました。値段は30元(約495円)、前回来た時に買った2013年5月の時刻表は20元(約330円)でしたので150%アップになっています。
ちなみに2012年3月は15元(約250円)です。中国の物価と同じく年々高くなってきています。しかし中身をパラパラみて唖然、前回復活して喜んでいた営業距離表示が消えています。鉄ちゃんには便利だったのですが・・、残念です。
続きを読む
1966年1月と12月、二度大船渡線、矢越-折壁間を訪れていました。岩手県東磐井郡室根村、現在は岩手県一関市、震災の被害が少なかった地です。すぐ隣は宮城県気仙沼市、甚大な被害を蒙ったところで、気仙沼から先、今も鉄道は復旧していない様です。
震災前、その気仙沼在住の見ず知らずの人から、Mailが届き、「ネットで大船渡線の写真を見た。できれば自分のHPに写真を貸してくれないか。今昔比較をしたい」。筆者は勿論即OKで当人のHPに掲載された。筆者もデジ青に投稿をと、用意したのが2011年3月10日。そして翌日あの大震災。気仙沼の人は、大被害に遭われた。本人一家は無事なれど、祖父母を失われ、住宅は跡形もなしとか。当然この記事はお蔵入り、3年半過ぎ、頃は良しと本日投稿。
▼矢越駅に近づく、貨378レ機C58 1966.01.03 午後3時30分頃、正月で補機なし。
▲ 9:19 撮影地:三次~尾関山 Google座標; 34.805342, 132.846991
中国地方最大の河川「江の川」の支流、馬洗川に架かる鉄橋を渡って三次市内に入って行くキハ120-317の428D(江津⇒三次)。
横で見ていた家内は、「あれまぁ、ちょっとしか乗っていない。私たちが高校時代はどの列車も満員だったのに。」と、呆れながら笑っています。そりゃそうでしょう。約45年前の鉄道は、陸路交通の主役で本線、支線とも立席客も出る満員は当たり前だったのですから。
この三江線は昨年2013年8月の記録的豪雨により井原川橋梁の橋脚倒壊や線路斜面の崩壊等で全線が運休。一時はこのまま廃線と思われましたが、公的資金の投入で復旧工事が続き、今年7月19日には全線の運転を再開しました。
今日は、広島県三次市の山里にある家内の実家の墓参りに同行する事になりました。そして折角行くのだからと、全線復旧なった三江線を撮りにちょこっとですが参りました。
続きを読む
大規模土砂災害の傷跡が癒えないなかで、予定通り可部線の延伸工事が始まりました。まずは残されていた古いレール、枕木、バラストの撤去からです。中間駅2駅の駅名はまだ決まっていませんが、開業は1年半後の2016年春ですから あわてなくても良いのでしょう。旧線跡のたった1.6Kmの復活でも随分時間がかかるものだと思います。1.6Kmに中間駅2駅となると 駅間は5~600m程度でしょうか。もともと駅間の短い可部線ですが、いかにも元広浜鉄道らしい延伸工事です。9月30日の中国新聞記事をご紹介します。
今週末は現役生の船場鉄道フェスティバル(船場まつり)です。日時、場所等を再掲します。当日は船場が大変盛り上がる日です。交通の便もよいので、ぜひご家族、お知り合いをお誘いの上、お越しくださいませ。なお、先日お知らせしていた3日(金)は実施いたしません。ご了承願います。
船場鉄道フェスティバル
日時:10月4日(土)、5日(日) いずれも10時から16時の間です。
場所:船場センタービル6号館2階(最寄駅:堺筋本町駅または本町駅、6号館は堺筋本町にやや近いです)
内容(予定):鉄道模型走行展示、青信号(バックナンバー)の販売、青信号(最新号)の予約受付
なお、当イベントには大阪市立大学鉄道同好会、関西大学鉄道研究会、大阪産業大学鉄道研究会も参加予定です。
同志社大学鉄道同好会公式ホームページ:http://drfc.web.fc2.com/schedule.html
東海道新幹線開業前日の山科大築堤
50年前の今日、昭和39年9月30日は、翌日に東海道新幹線の開業を控えた日だった。引き換えに、日中、東海道本線を走る特急・急行列車はほぼ全廃となった。すくすくと?鉄道少年の道を歩んでいた私は、当然のごとく最後の記録に向かった。この日は平日で、午後2時すぎに中学校から帰宅すると、カバンを掘り出し、ハーフサイズのカメラだけ持って、一目散に三条京阪へ掛けつけた。京津線御陵駅で降りて南へ行くと東海道線をくぐる。横に築堤へ登る道があって、14時50分には難なく築堤へ到達することができた。暗くなるまでの2、3時間撮影に臨んだのだった。
東海道本線には、151系12連ほかによる電車特急が東京~大阪間に9往復、153系12連の昼行の電車急行が同区間で6往復、計15往復のほか、東京~中京圏、大阪~中京圏の特急・準急も運転され、これに夜間となる山陽・九州方面行きの特急・急行も加わり、その運転頻度はまさに新幹線並みで、想像もできないほど多数の優等列車が上下していた。
▲築堤に着いて、すぐに通過したのが東京発広島行「第一つばめ」(14:53通過)。東京9時発の伝統の特急だ。「つばめ」の151系電車化は、昭和35年6月改正からで、昭和37年6月からは電化が延伸した広島まで延長運転された。
平成24年11月と12月に同名の記事をご紹介しました。今日は少し暑さも残るとは言え さわやかな秋空なので 久しぶりに山に登ってみました。眼下に広がるM重工三原製作所和田沖工場には1周約3Kmの試運転線が完成し、納入前の広電グリーンムーバーLEX1006号が軽やかに走っていました。
知人から青春18きっぷを譲り受けたので、9月の初旬、兵庫県内の乗り鉄ついでに、昔の撮影地を訪ねた。尼崎-姫路-(姫新線)-津山-(18切符圏外の智頭急行)-智頭-(因美線)-鳥取-(山陰線)-和田山-(播但線)-姫路-尼崎の乗り鉄。撮影地は、播但線・生野-長谷間の鉄橋と川沿いの大きなカーブである。
キハ41など最近のワンマンDCは、運転席横の正面窓や右の窓からは前方が極めて見難い。運転席の機器類が中央部にまではみ出し、料金回収箱が中央にあり、時には右側にトイレがある側が先頭になったりで眺めはほとんど不可能に近い。
仕方なく、生野-長谷間7.7kmは徒歩となった。所要2時間、線路沿いの町道を歩いたのだが、長谷までに出会ったり、追い越された車が日中にも関わらずわずか2台。
途中「注意・熊出没」の看板があったり、人気のない寂しい道であった。
生野駅。瀟洒な佇まい。写真右手方の踏切を渡り、町道を南に向かう。
▼播但線 上り客612レ生野を出発 1963年8月13日
続きを読む
これは1953年4月26日、淀鉄橋での撮影だから、61年半前―老人がまだ高校生だった時である。京阪1700系の増備1708+1758、1709+1759は妻面のみ7-8、7-58、7-9、7-59との省略レタリング?でデビューしたのであった。その斬新さはファンの中でもちょっとした話題になったが、なぜかそう長くは続かず、通常通り1708、1758、1709、1759と書き直されたから、これの写真を撮った人はそう多くはない筈である。詳しくは乙訓ご老人の出番というより、黙っては居れまいが。
なおついでに付記すれば、この4輌の端面連結器が、恐らく我国最初の「日鋼式軽量密着自動連結器」であった―キハ45000系より少しだけだが早かったと記憶するのだが。