
最近の「昭和の電車」は人気が今ひとつで悩みます。
今回は札幌の連接市電・830型です。前回の投稿時にも反応がありませんでしたが、だれも撮っていなかったのでしょうか?写真でもあれば、と思っています。

“箱河豚”か“馬面”か?
乙訓の長老が決定を下しました。
元祖馬面電車より物申す
龍田古道を特集した11月号を取り寄せてもらうつもりで本屋に行ったら12月号があり、王寺駅開業130周年の特集でこれも買いました。

ならら12月号
龍田古道についても連載2回目でルートとして古代の道と近代の鉄道のルートが同じであることが興味深く思いました。そして、今の王寺駅の写真はというと

王寺駅を発車した奈良行
奈良駅より乗降客が多い駅で、今でも交通の要所です。
通信機能付き携帯電子計算機での投稿は意外とお手軽にできるようです。
夜行普通 1121レ (1)
九州の蒸機、機関区別に国鉄蒸機をしつこく紹介、わずかな専用線・私鉄も残らず紹介し、自分として完了! と思っていました。しかしスペシャル版(?)が残っていました。過去、雑誌などに、九州の蒸機をテーマにいくつか寄稿していたことを思い出しました。思い出の列車や、撮影でよく訪れた線区を、写真とともに回想しています。自分としては、精一杯がんばって表現した内容です。発行されてから、数年が経ち、自分でも忘れていたぐらいで、世間的にはまず認知されていないと思います。本欄で紹介するのも、改めて自分の足跡を見直す機会と思い、改めて列車・線区編として掲載する次第です。二重投稿の嫌疑を受けないよう、文章は見直して、削除、追記のリライトをしています。まずは愛用の夜行鈍行、門司港発、鹿児島本線、肥薩線、吉都線経由の都城行1121レの思い出です。
▲前夜、門司港を出発した1121レは、大畑のループ線を越えるころ朝を迎える。逆光線上に、澄んだ冬の空気が築堤の1121レを際立たせる(以下写真、昭和46年12月)。
私が一番好きな私鉄は、慣れ親しんだ近鉄です。二番目はと聞かれますと、名鉄でしょうか。
一部のファンからは迷鉄と揶揄される、そんな謎めいた、いや面白味のある名鉄にどこか感心を抱かざるを得ません。
種別・行き先が途中駅から変わったり、一部JR線との共用区間があったり、車内に速度計を備えた車両があったりとファンにはたまりませんね。(今回はスマホから投稿してみました)
11月2日に同じような題で東武200型を紹介したが今回は 小田急30000形Excellent Express 略してEXE(エクセ)の旧塗装である。30000形は1996(平成8)年それまでの3100型(NSE)の置き換えで登場した。10編成70両あり4両、6両に分割できる。観光特急に加えて通勤客輸送も考慮したもので展望席がなく茶系の色が人気をなくしているのか地味な存在である。2017(平成29)年からリニューアルが行われ、外装もシルバーとグレイメタリックに変更しEXEαとして登場している。EXE30000型旧塗装編成はまだ見る機会はあるが、ひっそりと消え去ろうとしている。そこで新旧の外観を見ていただくこととする。併せて、西の特急王国近鉄にあって間もなく消え去ろうとしている近鉄特急旧塗装も掲載した。
それでは旧塗装から始める。
2015.2.19 鶴巻温泉-伊勢原間 はこね4号30556 ▼
デオ600さよなら運転
2008年には、叡電で最後まで残った、吊り掛け、非冷房、非ワンマン対応のデオ600の残り1編成が廃車になっています。これを記念した「さよならラストラン」が行われたのが同年11月1日(土)で、沿線では、早めの紅葉が見られました。この時は、乙訓の老人、ぶんしゅうさんと朝から出かけ、途中で、1900生さん、いまは亡きぷるぶるさんや、893-2さんとも出会い、クローバー会メンバーともに、秋の1日、たっぷり写し、デオ600を見送りました。
▲宝ヶ池~八幡前の高野川鉄橋を渡るデオ600、比叡山もそろそろ色づき始めていた。この鉄橋での2連撮影は、立ち位置やタイミングに苦労する。 続きを読む
今回は、東京地下鉄1001号電車です。本文にある自動列車停止装置は大阪の地下鉄にもありました。天王寺駅のホーム下にあり、列車が出発した後に「打子」が立ち上がるのが見えていました。機械式で最も安全確実ですね。 (朝日新聞2020.11.28)


デオ700系の原色時代
気がつくと、紅葉も散りはじめの時期となりました。桜よりは見頃が長くて、“遠方へ行って思いきり紅葉撮影”と思うものの、ことしも叶わず、結局は、いちばん近くの叡電に行って、短時間撮っただけで帰ってくることが、毎年の例となりました。でも、言い方を替えれば、叡電の記録をほぼ毎年続けることとなり、それはそれで価値はあることと自分を慰めています。デジカメを持って叡電へ行った、2007年以来の紅葉時の思い出を綴っていくことにします。
▲2007年当時は、まだ知られていなかった八瀬の瑠璃光院へ行くため、八瀬遊園(現・八瀬比叡山口)へ行くと、デオ720の初期色が2両並んで発車を待っていた。同系は、その後、「ひえい」に改造されたり、塗装も変更され、すっかり初期の面影はなくなってしまったが、京福電鉄グループを示すクリームにマルーンの塗り分けが、私にはしっくり来る。
DRFC現役生の写真展が、ネット上で行われています。どうぞ皆さま、下記のURLをクリックし、お気に入りの写真を選んであげてください。投票締め切りは29日(日)です↓
写真展特設ページ – 同志社大学鉄道同好会 (jimdofree.com)
また、同志社EVE用に作成した会のPR動画がYouTubeに公開されているようです。とても良い出来ですので、こちらも併せてご覧ください↓
通信機能付電子計算機とは俗にスマホといいます。簡単に投稿できる方法がないかとあれやこれやと考えたところスマホはどうかとやってみました。

被爆電車広電650形
トミカの広電がスーパーで売っていたので買いました。写真がそのトミカです。
11月23日 広島電鉄千田町車庫でイベントが開催されました。100名の事前申し込みだったため、当たらないだろうと申込みせずにいたのですが、156号や101号が走るとは想定していなかったので、尾道へエトセトラを撮りに行ってしまいました。特に156号は江波車庫の一番奥に保存されており、以前は一言声をかければ入れてくれた車庫も、最近はシャットアウトです。江波から千田町を往復するとわかっていたら、広島に行ったのにと悔やまれます。11月24日の中国新聞記事です。
馬鹿のひとつ覚えのように「エトセトラ」でお邪魔します。GoToトラベルの後押しもあってか、運転日は団体ツアー客で予約が埋まり、なかなか個人客が指定券をゲットしにくいという話も聞いています。まだ広島・呉方面への遠出はせずに、三原近辺だけで、新たなアングルを探しながら、撮影を続けています。下手な近作をご紹介します。
国道185号線との並走区間で、特に大型トラックやバスに並走されると台無しになるのですが、この日は幸いにも邪魔が入りませんでした。遠くに見える造船所は、安芸幸崎にある今治造船広島工場です。
発売中の週刊文春11月26日号に、加太会幹部の1960年度生鶴紘明先輩の写真が掲載されてます。そのいきさつは次のとおりです。
デジ青の記事を検索し、週刊文春から写真の提供依頼がありました。週刊文春11月26日号。巻末に『夢の軌跡』大和ハウス工業第2回の連載記事があり、寝台急行『大和』の話が出て、イメージ写真として、昭和40年、小生撮影下り『大和』が、掲載されています。記事と写真に10年の開きがありますが。資料提供は大和ハウス工業らしく、撮影者名は表記されていません。
記事の写真については、デジ青掲示板2013年7月9日の「C57急行大和を曳く」をご覧ください。デジ青はいろんな方がご覧なのですね。その筋では周知のことなんでしょうか。世の役に立ち嬉しいことですね。ダイワとヤマトを掛けた記事と画像も編集者の機転でしょうか
。
デジ青を立ち上げた皆さん、ここまで育てられた投稿者や関係者の皆さん、勤労感謝の日に謝意を表します。
縁のない場所に保存されていると言えば四国の伊予西条のC5744がある。この機関車ははるばる北海道から来たものであるが、そもそもC57は四国では活躍したことはないのではないか。伊予西条は元国鉄総裁の十河信二氏の出身地であるが、誘致関係者が廃車後すぐに西条市市民公園に誘致し、2014年7月に現在の四国鉄道文化会館南館に移設された。
C5744は1938(昭和13年)3月に三菱重工神戸造船所で製番228で製造された。新製後は高崎に配属され、以降43年9月尾久、47年12月仙台、58年5月に渡道して小樽築港、66年3月室蘭、69年10月岩見沢第一と配属を変え1976年3月に廃車されている。現在風に言えば前半部はJR東日本、後半部はJR北海道で活躍していたと言える。
2017年7月26日 四国鉄道文化会館南館に保存中のC5744 ▼

いいかげんな電車の現役時代 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)
いい加減な電車の原型 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)
「いい加減な電車」の写真があったやちゃ。よかったら越ノ潟へ行ってこられ。 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)
加越能鉄道に関しては反応薄、とばかり考えていましたが、前回時には乙訓の長老様はじめどですかでんさん、西村雅幸さんから貴重な写真と寄稿文を頂きました。