先に投稿した山形交通に続き1974年12月、翌年3月の卒業を目の前にした学生時代最後の北海道旅行の写真が出てきました。当時旅行の記録をつけていなかったので、購入した北海道周遊券を見ると網走と小樽の途中下車印が押してあります。改札で下車印を押さない駅も多く、記憶ではこのほか根室まで足を延ばしていました。目的は最後の蒸機の撮影で、このころ既に本州からは蒸機がなくなり、北海道でも室蘭本線の石炭列車の他は入替作業が中心で、旅客列車の定期運用は室蘭本線しかなかったのではと思います。
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まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その1

虎尾のサトウキビ列車
今年の1月前半の台湾鉄路撮影記をレポートします。新型コロナウィルス禍が世界中に拡がる前の記録です。台湾については、諸先輩方が詳細なレポートをこのデジタル青信号で何度も発表されており、とてもその域に達するものではありませんが、内容は、振り返りも込めて、また、この状況を乗り越えた先に再び訪台出来ればとの願いも込めて発表するものです。 続きを読む
昭和の電車 改訂版(64)ー南海電鉄モハ1501型ー
市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑯
丹波橋
棒鼻を出て、専用軌道を走る途中にあった、琵琶湖疏水の放水路を渡る鉄橋からは、伏見のシンボル、復元された伏見桃山城の天守閣がよく見えたものでした。疏水を渡り終えると、伏見の古くからある街並みが車窓に続き、そのなかに、招徳酒造の工場もありました。市電に乗っていても、酒の香りが車内を包み込み、伏見の街に入ってきたことを嗅覚からも感じたものです。まもなく丹波橋の停留場ですが、停留場とは名ばかりの、商家の軒先のわずかなスペースで多くの乗客が待っていました。
ところで「丹波橋」の由来ですが、東へ200mほどのところにある、伏見城の外堀に当たる壕川に架かる橋の名から来ていて、橋のそばに桑山丹波守の屋敷があったのが、橋の名前の由来とのこと。ところで、「丹波橋」は、いまでは京阪の駅名として定着しています。もとを正せば、京電、京阪とも同じ軌道法における民鉄であり、同一駅名がよく存続したものですが、京電が先輩格であり、あとから敷設された京阪こそ「京阪丹波橋」とするか、別の駅名を冠するべきだったでしょう。ほかにも「中書島」「稲荷」と、京阪と被る駅名があります(京阪は「伏見稲荷」だが、昭和14年まで稲荷を名乗っていた)。開業以来、頑として停留場名を変更しなかった京電に、日本最初の電気鉄道としての矜持を感じたものでした。
▲商店の軒先が丹波橋の乗り場、春休みの朝、四条あたりへ行くのか、多くが18号系統を待っていた。
市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑮
たいへんな状況が続いています。われわれにとっては「外での活動こそ、日常生活を送るうえで必要欠くべからずの行動」と叫んでみても、もう通用しなくなりました。良識あるクローバー会会員にあっては、Stay Home、粛々の日々とは思います。こんな時こそ、唯一の活動の場となった“デジ青”こそ活発化して、元気の証明にしたいと思います。すでに事務局からの勧めもあって、多くの投稿、コメントが寄せられており、何よりです。私も参加して、“懐古もの”に焦点を当てて、私の元気を表現したいと思います。
棒鼻
“ぼうばな”という一風変わった停留場名の由来は、竹田街道沿いの宿場のはずれに、支配境を示す棒杭が立っていて、これを棒端(ぼうばな)と呼んだところから来たと言われています。江戸時代、棒鼻は伏見領と竹田村の境であり、交通、物資輸送の結節点でした。それを示すように、停留場の横には、竹田街道に敷かれていた車石が今でも保存されています。
ここまでは、国道24号と言われた竹田街道上を走っていた伏見線ですが、近鉄京都線を潜ると、国道24号は、この棒鼻で東に向いて分かれ、本来の竹田街道は細い街路となって南下し、伏見の街へと入って行きます。伏見線も、竹田街道の西100mほどを専用軌道となって、並行しながら、南下をしていきます。
今回も先輩のMさんの貴重な写真も貸していただいて掲載しました。厚く御礼申し上げます。
▲竹田街道の併用区間とは分かれて、専用軌道に入ったところに棒鼻の停留場があった。伏見線においても、棒鼻は結節点であり、渡りポイントもあってラッシュ時などは「臨」の棒鼻行きもあった。
鉄道、つれづれ草ー“乙訓の長老”からのお願い その3
ラジオドラマになった「阪堺電車177号の追憶」
阪堺電車177号を主人公にした小説、「阪堺電車177号の追憶」がラジオドラマとして4月6日からNHKーFM「青春アドベンチャー」の枠で放送されています。時間は午後9時15分から午後9時30分です。第1話から第10話まであり、来週の月曜日から金曜日で第6話から第10話までが放送されます。すでに第5話までは終了しましたが、NHKの「らじる★らじる」で聞き逃しで聞くことができます。第1話は4月14日(火)午後0:00で配信終了となります。本をすでに読まれた方もおられると思いますが、ラジオドラマもいいもんです。子供の頃は「赤胴鈴之助」やアチャコさん、浪花千恵子さんが出演していた「お父さんはお人好し」などをよく聞いていました。テレビはなく、ラジオしかなかったのですから、しかたないですね。177号ではありませんが、172号が恵美須町駅に到着する写真を載せておきます。
デジ青でテレワーク
昨今のコロナ騒ぎで折角の季節に外出もままならず、在職中の方々は加えて仕事に対する不安など、更に心配の多い日々を過ごしておられることと思います。
クローバー会の4月、5月のイベントも中止となりましたが、会員の皆様の繋がりを保つためにも、デジ青を活用していただければと思います。いわばデジ青でテレワーク、今まで閲覧だけで投稿、コメントなどされていない方もこの機会に参加されればいかがでしょうか?投稿にはIDが必要ですが、クローバー会会員であればすぐに発行できますので事務局までお申し出ください。また、コメントは誰でも入れることができます。近況報告、地元のニュース等、身近な話題で結構です。どんどん投稿やコメントを入れて頂き、外での活動の出来ない分、デジ青で盛り上がりましょう。デジ青のサイトが昔のBOXです。よろしくお願いいたします。
↑ 昨年4月撮影:近江鉄道多賀線の「あかね号」
水島臨海鉄道 営業開始50周年
今朝の中国新聞朝刊に水島臨海鉄道MRT303の塗色変更の記事が載りました。
wakuhiroさんほんまに今年の桜は長持ちしていますね。
家から歩いて40分ほどのところで撮りました。今の時期は歩いて行けるところで撮ることが多くなりましたが近くでもちょっとアングルを変えたり、新しい発見があってこれも楽しいものです。
実に場所としてはつまらんところですが
こんな感じになりました。
メディアの利用依頼が相次ぐデジ青の投稿記事
過去のデジ青記事をご覧になったメディアの方から、写真等を使用したいとの依頼が来ております。昨年12月から使用許可の窓口を事務局としていますが、それ以降既に3件の問い合わせが来ました。投稿者の方へ連絡したところ、皆さん快く了解していただきました。その中で3月27日付神戸新聞に掲載された記事をtsurukameさんより提供いただきましたのでご紹介いたします。
私もよくYahooなどの検索エンジで調べものをしますが、その際、デジ青の記事がヒットすることがあります。閲覧数も多いので上位で検索されるようです。今回の記事以外に、4月下旬NHKで放映予定の番組に「白鳥」の写真を使わせてほしいとの依頼もありました。放映時期が決まりましたら皆さんにご案内するようにいたしますのでご覧ください。
紙面の大きさの関係で分割して掲載させていただきました。
桜、まだ咲いています
桜と言えば吉野です。近鉄吉野線の沿線でも多くの桜が満開です、どこかいいポイントがないか模索していたところ、近鉄の車内ポスターとネットで見つけました。一見山深い場所のようですが「岡寺」~「飛鳥」間の白橿の住宅地の周辺道路から撮ったものです。「ラビットカー色」も元気よく走っています。
昭和の電車 改訂版(63)ー国鉄クモハ73型ー
昭和の電車 改訂版(62)ー伊予鉄道モハニ200型ー
廃止直前の山形交通
世間ではコロナ禍で不要不急の外出を避けるようにとのことで、私もコロナに感染してはいけない事情がある為、家でおとなしく過ごしています。主に学生時代に撮ったモノクロネガフィルムはデジタル化が終わっていたものの、ポジフィルムが200枚ほど手つかずで残っており、こちらのデジタル化を進めることにしました。駅撮りに近いものが多く、色も劣化していますが、50年近く前のカラー写真ということに免じて紹介させていただくことにしました。
↑ 三山線羽前高松駅 続きを読む
桜、咲いてます
京都や奈良の桜も満開のようですが、近鉄大阪線沿線も満開を迎えています。毎年変わらない場所ですが出掛けてきました。場所は同じでも今年から新しい顔が加わりました、ただ残念な事に折角新車を導入したのに客足がいまひとつ伸び悩んでいるようです、休日というのに特急はガラガラの状態です、通勤時間帯でも利用者の数は減っています、学生の姿を全く見かけなくなり寂しい限りです。そんな中ですが沿線の桜は元気よく咲いていました。「ひのとり」と桜です。

菱屋の藤田さんが以前投稿された写真をもう一度掲載します。















