カラーで振り返る 昭和の気動車 -1-

最近はもっぱら家に引き籠って、第二の人生で最大の事業?と位置づける写真・資料のアーカイブス化に精を出しています。対象は、もっぱらモノクロネガが中心で、カラーフィルムには、なかなか手が回りません。理由のひとつは、とくにカラーポジの場合、初期のものは劣化が進行し、データ化しても手遅れ感もあって、優先度が低くなっていました。しかしスキャン・レタッチの技術もわずかながらも向上し、何とか見られるようになって来て、 少しずつカラーポジのスキャンも進めるようになりました。

始めてみると、国鉄ではDCを多く撮っていることに気づきました。なるほど、蒸機を撮りに行っても、蒸機はモノクロ中心になりますが、その合い間にやって来るDC列車はカラーで、となります。あくまで“ついで撮り”のカラーですが、集めてみると、案外、当時のDCの事情が伺えるかなと思い、カラーで撮った昭和の時代のDCを系列別に見ていくことにしました。
伯備線井倉~石蟹の高梁川に沿う鉄橋を渡って行くキハ17×3+キハ20の列車。伯備線のハイライト区間も路線変更で今は見られない(昭和46年9月)

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 50年前の撮影地を歩く -16-

米子(2)
米子機関区での撮影を終え、米子駅から東へ歩いて、最初の踏切を渡って南側へ行くと、民家に囲まれて日ノ丸自動車法勝寺線の米子市駅がありました。
法勝寺鉄道として大正13年に開業、米子市(当時・米子町)から法勝寺までと、途中から母里へ向かう支線がありました。社名を何度も変えながら、鳥取県でバス事業を行う日ノの丸自動車の電車部門となり、訪れた当時は、米子市~法勝寺12.4キロを16往復の電車が結んでいました。地方私鉄がどんどん廃止されていた時代、ご多分に漏れず、法勝寺線も廃止の申請が出されており、訪問した翌年、昭和42年5月に廃止されました。廃止時の車両は、電車4両(デハ201・203・205・207)、客車6両(フ50・51・52・53・55、フニ100)、貨車2両がすべてでした。 米子駅の裏側に隠れるようにしてあった日ノ丸自動車法勝寺線の米子市駅、当時はバス社が経営する鉄道だった。

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 50年前の撮影地を歩く -15-

米子

4月に行われる木次線ツアーには多数の申し込みがあると聞いています。その際には、さまざまなサプライズ企画が用意されているとのことで、私も一部で協力させてもらいました。ここで木次線のことを書きますと、ネタバレになりますから、その関連で本稿を進めましょう。ちょうど50年前の昭和41年夏ですが、山陰地方を家族旅行で訪れたあと、途中から一人で、米子機関区、日ノ丸自動車法勝寺線、木次線を訪れ、夜行「ちどり」に乗って、広島、呉線を訪れました。初めての長距離一人旅でした。
得るものは多かったものの、いまは無残な状態でフィルムが残っています。この時、初めてのフィルムを自家現像したところ、真夏なのに液温調整もせずに現像して、超オーバーネガになったうえ、水洗不足がたたって、今や悪臭漂うビネガーシンドローム状態、最悪の仕上げとなって、隔離されて置かれています。見苦しい画像が続きますが、米子の50年前と現在を比べてみます。
▲ 石見益田発西舞鶴行き544列車が米子駅に到着する。牽引するのは、C5763〔米〕+C5728〔浜〕の重連、いずれも集煙装置付きのC57だ。続くのは荷物車代用のワキで、山陰本線ではよく見られた光景だった。

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 さよなら 京都のツーステバス

久しぶりにバスの話題をひとつ。
今日は、佐竹さん「東北展」の片付けに、有志会員とともに行ってきましたが、その帰り、京都市バス車両の最後を見届け行ってきました。そのバスとは、乗降口が2段になっている高床式のツーステップバスで、残っていた1両がこの日、最終日を迎えました。平成7年式のバスで、実に22年も前に製造されたバスで、公営バスとしては、日本最古の部類に入るでしょう。
ほかの都市では、とうの昔に姿を消したスタイルですが、京都は、大阪府・兵庫県の市町のように、排気ガス規制の対象地域に該当せず、大事に使われて元気に走り回っていました。しかし、2016年度の新車両が導入され、ついに最後の運行を迎えたのでした。京都市交通局では、ホームぺージで最終ダイヤを載せるなど、古参バスに異例の対応を見せました。
本日ラストランの京都のツーステップバス、九条営業所所属の6261号車、いすゞKC-LV280L型、ボデーは、アイケイコーチで架装されたキュービック型、左右に三角固定窓を設けた独特のスタイルも見ることができない。

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 「東北展」で寄りたい 写真展もうひとつ

先般、「東北展」の途中に寄りたい市電遺産を紹介したところ、INUBUSEさんから思わぬスクープ投稿があり、“こんなもん おまんねん”のクローバー会精神の発露と喜んでいます。続けて、もうひとつ、ひと・まち交流館の真ん前、カフェ「Ask me! cafe」で開かれている写真展「京都駅 絵葉書で見る140年」をご紹介します。

京都駅が開業して140年となり、関連の催事が、京都駅や京都鉄道博物館で行われていますが、この写真展は、ブログ“ひっちょのステンションと呼ばれた駅”を主宰されている方が、お知り合いの絵葉書収集家のものを借りて、拡大展示されています。

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 「東北展」の途中に寄りたい 市電遺跡ふたつ

佐竹さん「東北展」は12日(月)まで好評開催中ですが、ある方からは「ぜひ行きたいが、写真展に付加して、“こんなもん、おまんねん”とクローバー会らしい、いちびり企画はないのか」と厳しい叱責をいただきました。それならと、ひと・まち交流館京都のすぐ近くで見られる、あまり知られていない京都市電関係の遺跡を紹介しましょう。会場への行き帰り、ちょっと寄って見られたら、どうでしょうか。
橋の下に見えているのは?

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 「東北展」開催中

佐竹保雄さんの写真展「東北を旅して その9」が、きょう4日(土)から、ひと・まち交流館京都で開かれています。さっそくクローバー会会員もアサイチから来場、午後からは、福島からの避難者の声を聞く会もあって、初日から賑わいを見せています。

昨日の準備作業も、呼び掛けに応じていただいた会員3名が馳せ参じ、写真の貼り付け作業に精を出しました。一時は準備不足の心配もありましたが、一同の結束した作業のお陰で、予定時間内に完了しました。快く応じていただいた皆さまに御礼申し上げます。私のほうは、貼付物の忘れものがあって顔が青ざめましたが、今日午前に届けて事なきを得ました黙々と作業に取り掛かる会員たち。

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 「東北展」 3月4日から開催します

メール連絡のできる会員の皆さんにはお知らせしましたが、佐竹保雄さんの鉄道写真展「東北を旅して  その9」が3月4日(土)から開催されます。

鉄道写真展「東北を旅して  その9」

3月4日(土)~12日(日) 10~17時 9日間開催 期間中無休
ひと・まち交流館 京都 京都市下京区河原町通五条下る東側 ☎075-354-8711

ご承知のように、この写真展は、佐竹保雄さんが、毎年、東日本大震災発生日の前後に、東北地方の鉄道の再生を願って開催されている写真展です。今回も、東北の復興を願う、さまざまな展示・イベント・集まりが期間中に行われるほか、写真展として3テーマに分けて行われます。
まず佐竹さん自身が、昭和30年代に東北で見られた貴重な鉄道車両の写真を展示します。先ごろ、お邪魔した際は、まだ準備中で、全貌を窺い知ることはできませんでしたが、チラリと見たところでは、煙室延長のC51とか、二本煙突を束ねたようなC51など、私など古い本でしか見たことのないような、伝説の珍車両がいっぱいです。また、お得意の木造客車も、東北ならではの珍車がたっぷり登場しますので必見ですひと・まち交流館京都
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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -5-

ここがウワサの“筑豊の山科”、またまた登場のC5546〔若〕の牽く門司港発原田行き625列車 門鉄デフの形態がよく分かる(昭和43年3月)

中間駅・D地点

つぎに紹介するのは中間駅です。二面三線の典型的な国鉄駅ですが、ここから複々線から複線に変わり、また香月線を分岐する筑豊の要衝駅でした。中間を出ると、遠賀川に向かって上り勾配となり、そして右へ大カーブを描きます。山科も真っ青、と感じるほどキレイな大カーブです。複線の間隔も広く安全に撮影できます。定番の編成写真が撮れる箇所として、この区間の撮影地の最後を飾るハイライト区間でした。
中間は、現在、福岡県に28もある市のひとつ、炭鉱と命運をともにした市でしたが、現在でも人口は4万人程度にとどまっています。どう考えても印象に残らない市ですが、ここから超有名人2人を生んでいることを、先ごろ新聞で読みました。一人は、文化勲章も受章した、あの高倉健、もうひとりは、プロ野球名監督の誉れ高い、仰木彬。中間市にある球場を「仰木彬記念球場」に改名する記事が出ていました。二人とも折尾駅に近い、名門高校の出身ですが、ともに過去帳の仲間入りをしました。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -4-

C地点

続いて折尾~中間のC地点付近に移ります。立体交差地点で複々線が入れ替わり、C地点では方向別運転になります。短い切り通し区間を過ぎると、左右が開け、ゆったりとした編成写真を撮ることができました。今でこそ宅地ビッシリですが、周囲は田が広がり、サイドからの真横写真も撮れました。そしてつぎの駅、中間駅へと至ります。
ここで、この区間の現状について記しておきますと、立体交差付近には昭和63年に新しく東水巻駅ができています。駅を中心に周辺は宅地化が進んでいますが、立体交差はそのまま残置されています。複々線もさすがに過剰インフラとなり、折尾駅は2線の対向ホームですが、発車するとすぐ単線になります。 また黒崎方面からの短絡線も単線化され、両者が寄り添う地点で両渡りポイントを設けて、ここからは複線構造となっています。さらに今は、折尾駅連続立体交差事業が進められ、付近の地形すら変えてしまうほどの大工事が2021年を目指して進行しています。

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 さよなら 関西の湘南色電車

JR西日本の関西近郊電車線区(旧称アーバンネットワーク)で唯一、湘南色で残っていた、吹田総合車両所京都支所(旧京都総合運転所)(近キト)の113系C10編成4連が、いよいよ来週に工場入りし、例の地域色(抹茶色)に塗り替えられることになりました。関西に113系湘南色がお目見えしたのが、新幹線開業直前の昭和39年7月で、53年目にして、いよいよ関西からはオレンジ/グリーンの湘南色が見られなくなります。
草津線にある天井川の大砂川トンネルを抜けた近キトC10編成(甲西~三雲)

 

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -3-

夕陽にC55のスポーク動輪が透けて見える。本数の多いこの区間で初めて流し撮りも試みた。

B地点

折尾~中間のハイライト区間であるB地点の立体交差付近について写真を続けます。
前回投稿のコメントにも記しましたが、複々線区間の開業時は二つの鉄道でした。若松を始発として折尾を通り、中間・直方へ向かう筑豊本線は、明治24年に筑豊興業鉄道として開業、これにより、水路に頼っていた石炭の輸送は、鉄道で若松港まで運ばれます。のちに若松は日本一の石炭積出港として発展しますが、増産される石炭は、若松だけでは賄いきれず、その前に開業していた九州鉄道(現・鹿児島本線)は折尾付近で、筑豊興業鉄道への短絡線を設け、連帯運輸を始めます。同時に、別々に設けられていた折尾駅も、現在のように共同駅として筑豊本線、鹿児島本線の交差地点に移設されました。複々線の誕生で、従来の若松だけでなく、九州鉄道経由で、戸畑、門司でも石炭の積み出しが行われ、また八幡製鉄所への石炭輸送も担うようになります。これによって、明治40年の両線の国有化の頃には、鉄道収入の半分以上は石炭輸送で占められる、黄金期を迎えたのでした。

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 N電 夜の梅小路を走る

先ごろ京都・梅小路公園のライトアップイベント「京都・冬の光宴2017」が行われ、その一環として、通常は昼間のみ公園内を走っているN電27号が、特別に夜間も運転されました。鉄鈍爺さんの極寒撮影ほどではありませんでしたが、時おり雪も降るなか、寒さ対策バッチリで写しに行ってきました。

N電が夜間運転されたのはイベント期間中の土曜日の2日間のみ、20時まで約30分ヘッドで運転された。吹きさらしの運転台はさすがに寒そう。

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 地図を携えて 線路端を歩いた日々 -2-

皆さんからのコメントを拝見して、地図一枚にも、一人ひとりの思いが詰まっていることを痛感しました。では、これから五万分の一の地図を手に各地を巡った撮影記を続けます。なお国土地理院発行の「五万分の一」は正しくは「地形図」ですが、馴染みのある「地図」で通すことにしました。
第1回は筑豊本線折尾~中間です。非電化の複々線上を、都市間の電車ダイヤ並みに10~15分に一本は蒸機列車が通る、まさに“煙の聖地”でした。

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 地図を携えて 線路端を歩いた日々 -1- 

この齢になってくると、残された時間も考えて趣味活動するようになりました。活動が、今後に有効な成果をもたらすものかを、つねに考えます。資料・蔵書関係の整理も同様です。今までは、集める一方の拡大路線でしたが、一度立ち止まって、今後も有効なのかを熟慮して、時には“縮小”も視野に入れて進めています。かつて撮影時の必携アイテム必需品だった五万分の一の地図を代表とする、国土地理院発行の地図も同様です。
初めての撮影地は、列車の窓から首を出して地図で地形を確認、好適地を見つけると地図に印を付けて、つぎの駅で下車して、目的地へ向かったものでした。当時の鉄道雑誌にも「撮影地ガイド」はありましたが、アバウトなもので、信頼が置けず、やはりちゃんとした地図を購入しました。でも現地に着くと、地図から思い描いた風景とは違ったり、撮影に適したカーブも、五万分の一の地図では表現しきれないこともあり、撮影適地を発見できないまま、ガッカリして帰ったことも多々あります。 昭和40年ごろから、撮影用に購入したり、また出版社から取材で使った地図を大量に譲り受けたりして、約300枚の国土地理院の地図が残りました。
 しかし、いまは多様な地図アプリがあって、鉄道撮影に紙の地図を持参するのは、もはや化石人間以外の何物でもないでしょう。残された時間のなかで、有効に使うことはないと判断し、何枚かの思い出に残る地図や、京都周辺のものを除いて、すべて廃棄することにしました。

一枚一枚に思い出が詰まった五万分の一地図、一部を除いて廃棄することに

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 50年前の撮影地を歩く -14-

留萠鉄道 幌新駅

北海道ならどこにでもありそうな駅にも、クローバー会の皆さんの思い出が詰まっていること、前出の「恵比島」でも痛感しました。調子に乗って、もうひとつ駅を紹介します。恵比島から分岐していた留萠鉄道は、前記のように昭和44年に休止されましたが、目玉は、終点・昭和駅の奥にあった明治鉱業昭和炭鉱で働いていたクラウス社製のBタンク機15・17号機でした。
炭鉱閉山後の同機2両は、直後に開催の大阪万博でも展示されたあとは、流転の歴史で、各地へ転売・転属を繰り返しましたが、15号機は、留萌鉄道の中間駅でもあった幌新駅近くの温泉施設の公園に安住の地を見つけて、大事に保存されています。
昭和炭鉱のクラウス17号機、この可愛らしい姿を見るのが、留萠鉄道乗車の目的だった。この17号機は、栃木県那須烏山市にある那珂川清流鉄道保存会で保存公開されている。

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 50年前の撮影地を歩く -13-

 

ふたつの駅名がある駅

留萌線の残存区間から留萌、峠下の今昔を紹介しましたが、もうひとつ恵比島駅の今昔も紹介しましょう。恵比島駅も、無人の棒線駅、一日乗車人員1人台と、典型的な北海道の駅ですが、かつて留萌鉄道が分岐していて、石炭輸送の中継駅として賑わいを見せていました。訪れてみると、当時の姿は、すべて草木のなかに埋もれてしまい、面影は全くありません。ところが、NHK朝ドラのロケ地となったことを契機に、ふたつの駅名を持つことになり、ロケセットも観光資源として残され、流行りの聖地巡りか、時おり、観光客もクルマで訪ねて来るという駅になっています。
「えびしま」?「あしもい」? 駅名標もふたつ

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 京都で最後の583を見送る 

583系天理臨が、青森から長躯、京都まで運転されました。唯一生き延びた編成も、そろそろ先が見えて来たようで、とくに天理臨で京都まで顔を見せるのは最後のようです。25日の京都着は午前5時台で、これは鉄鈍爺さんが驚異の早起きで捕獲されています(No.81136)。583は数日、吹総京都支所に留置され、27日(金)の晩に帰ることになりました。発時刻が不明だったものの、そこは、クローバー会のネットワーク。直前の時変まで共有することができました。到着の2時間ぐらい前からは、京都駅は劇パ状態となりましたが、示し合わせた鉄鈍爺さんとともに撮影場所を変えて撮影することができました。発車の際は、例の中高生の“長い間ありがとう”の絶叫の声に見送られて京都を去って行きました。

京都駅構内へ進入する583系(鉄鈍爺さん撮影)

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 50年前の撮影地を歩く -12-

D61を訪ねて

先日、別の鉄道趣味の会合で、私とほぼ同年代の方と、北海道の話をすることがありました。昨年末に廃止された留萌線の留萌~増毛に話が及ぶと、お互いに訪れたのは、つい最近であることが分かりました。若い時代に何度か北海道へ行ったものの、9600しか走らない同区間は訪問する対象ではありませんでした。その点、同じ留萌線でも深川~留萌には、当時の蒸機ではいちばん希少なD61が走っていて何度か訪れたものでした。
今回は、現在も留萌線の残存区間として営業中の留萌~深川の50年前をたどってみます。

留萌だけに配置のD61、前照灯を保護するツララ切りがあった。

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雪が降ったら、やっぱり叡電へ

“今年こそデジ青連続投稿”と新年早々に意気込みながら、さっそくの空念仏状態が続いています。無為な日々を続けているなかに、一昨日から“最強寒波”のニュースが流れました。“雪が降る”と聞くと、前夜から落ち着かないのは、もう何十年も変わらないことに苦笑しながらも、午前6時に起き出して、薄っすらと積もった雪を見て、勇んで外へ出掛けたのでありました。取り急ぎ、昨日の様子をレポートして、新春第一号の投稿としました。
祇園も白一色、朱色の八坂神社西楼門と市バスの組み合わせ。

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