▲名立付近を行く列車。糸魚川~直江津は海岸沿いの急峻な地形が続いて、何度も地滑り災害に見舞われ、抜本的な線路改良が望まれていた(以下昭和44年8月撮影)
今回の「地図シリーズ」は、いま豪雪に見舞われている北陸本線の昭和40年代に飛びます。北陸本線の歴史をたどると、それは線路改良の歴史でもあると言ってもいいほど、数々の移設、改良、新線工事を繰り返してきました。それだけに急勾配区間や災害多発地域を抱えていたことにもなります。大きな改良区間としては、
・木ノ本~敦賀 柳ヶ瀬越え(のちの柳ヶ瀬線)の迂回新線・複線化
・敦賀~今庄 急勾配区間を日本最長の北陸トンネル貫通で短絡・複線化
・津幡~石動 倶利伽羅越えの改良・複線化
・市振~青海 親不知など日本海沿い災害多発区間を移設・短絡・複線化
が挙げられます。これらは、昭和40年代初頭までに工事は完了しており、私は旧線時代の記憶・記録はありません。そして最後に残った大規模な改良工事が、糸魚川~直江津の新線・複線電化工事でした。昭和44年10月ダイヤ改正から新線に移り、これによって昭和30年代から進められてきた北陸本線の全線複線・電化工事が完成しました。









最近、当欄では音信不通になっている“た~ちゃん”が、病院帰りに訪ねて来られました。体力・気力の衰えから、投稿・コメントが滞っている理由を聞かせてもらったあと、“これなんやけど”と差し出されたのが右の写真の資料でした。聞けば、数年前に京都の染色業界向けの機関誌から原稿依頼を受けて、連載をしたものでした。《路面電車から街づくりを考える》のシリーズタイトルどおり、京都市電の歴史から、欧米のLRTまで、路面電車の蘊蓄が詰まった好個の読み物になっています。







