秋の北海道 鉄道ひとり旅 【2】

61010-744syo石勝線夕張支線(新夕張~夕張)も廃止問題に揺れています。運炭路線として古い歴史を歩んできた夕張支線ですが、開業以来の橋梁・トンネルが老朽化し、維持更新に莫大な費用が掛かることから、JR北海道は鉄道事業を継続することが困難と沿線自治体に申し入れしていました。ところが、夕張市長は、JR北海道に同線の廃止を逆提案し、代替交通への協力を要請します。赤字路線の存廃問題を抱える自治体側が自ら廃止を提案するのは異例で、市長は“攻めの廃線”という発想で挑戦し、地域公共交通のモデルを作りたいと語っています。先手を打つことで、財政再生団体の有利な条件を引き出す狙いもあると見られています。同線は2019年3月のダイヤ改正時にも廃止との見通しを市長は示しました。    かつて石炭の繁栄が信じられないほど静まり返った夕張駅

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 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【1】

10月に北海道を訪れました。観光・仕事で行ったり、ぶんしゅうさんと一緒にクルマで回ったことはあるものの、鉄道目的で北海道へ一人旅したのは、現役以来44年ぶりのことでした。かつて見た、人と煙が渦巻いていた熱気はなく、どこまで行っても静かな光景が続いているばかりでした。
61010-672syo重大事故と不祥事が相次いで、経営再建中のJR北海道ですが、さらに暗雲が立ち込める事態が起こっています。さる8月以降に連続した大雨・台風によって、根室線、石勝線、石北線の路盤・橋梁が流失、訪問した時も、石北線は開通していたものの、あとの2線は不通のままでした。道東へのメイン路線である石勝線は、年内復旧の目途が付いたものの、根室線東鹿越~新得は開通の見通し立たずとされ、それどころか同区間を含む新得~滝川は廃止を匂わす発言まで飛び出す始末です。
すでに留萌線留萌~増毛は本年12月に廃止、石勝線(夕張支線)新夕張~夕張は地元自治体が廃止を逆提案、札沼線北海道医療大学~新十津川も、廃止を前提とした一日一往復化、さらに、前述の根室線新得~滝川も含めて、輸送密度(1キロ当たり平均乗客数)200人未満は「自社で経営維持できない路線」として、JR北海道は手放すことの方向性が示されています。
こんな悲観的な材料しか見当たらない北海道の鉄道をこの眼で確かめるべく、廃止が予定される終端駅や、懐かしの山線(長万部~倶知安~小樽)を中心に回ってきました。深川で発車を待つ留萌線のキハ54、女子高生3人が乗り込んだ
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 江ノ電のあとは 100系求めて伊豆急へ

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江ノ電撮影会、夜の懇親会のあとの行動は、直帰もあれば、横須賀、藤沢、豊橋で宿泊して次の目的地へ向かうなど、各人さまざまでした。私は平塚の定宿に泊まり、翌日は一人で伊豆急へ向かいました。伊豆急に乗るのは、実は生まれて初めて、目的はこの日のイベント列車「レトロ電車ぶらり旅」で運転された、開業時から走っている100系103号でした。天気はあまり良くないものの、同業者もほとんど見当たらず。ゆっくり楽しむことができました。

いかにも“電車!”と言った、端正な顔つきの伊豆急100系、一日中追いかけて大満足だった

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 クローバー会撮影会で 江ノ電をめぐる

クローバー会のイベント、江ノ電撮影会が10月29日(土)、多くの会員が参加して、にぎやかに行われました。写真展を来年5月に控え、その盛り上げの一環の行事として企画し、開催地を、多くの会員が在住する首都圏で行って、首都圏の在住者も参加しやすくしました。関西からも日帰りが可能な時間帯a61028-086syに設定し、関西圏、首都圏の両会員の親睦を深めるのも目的でした。 その趣旨も理解してもらい、当日、集合場所の鎌倉駅に集合したのは、14人、そのあと途中での合流も含めて17人という盛会となりました。
宴会の楽しみは置いておき、主題はあくまで撮影会、取り急ぎ、写真で1日を振り返ってみました江ノ電と言えばこのシーン、江の島を望んで鎌倉高校前を行く

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 今日から 開催しています

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第46回 京都写真家協会展

◎10月18日(火)~23日(日)

◎京都府立文化芸術会館 一階展示室

また、以前クローバー会有志で応募しました、富士フィルム「30000万人の写真展」の鉄道のある風景部門で、「N氏の選んだ20選」にセレクトされ、三大鉄道博物館で展示中ですが、京都では以下のように展示されますので、あわせてご案内します。

◎10月29日(土)~11月6日(日)

◎京都鉄道博物館 本館3階ギャラリー

 50年前の撮影地を歩く -11-

米原駅での交直接続のD50を見る
米原市での鉄道資料展の様子を寄稿をしたところ、準特急さんやマルーンさんからの思い出コメントをいただきました。米原、というところは皆さん思い出の詰まった駅のようです。
私も、米原の名を聞くだけで“遠くへ来た”という感慨に浸ります。今では京都から新快速に乗れば1時間足らずで到着ですが、その思いは変わりません。草津、近江八幡、彦根と、停車駅のアナウンスを聞いても眠気を誘うだけですが、「つぎは米原」のアナウンスを聞いた途端に高揚感に包まれます。それは、米原からの乗り換えを心配する緊張感も含まれるのでしょうが、きっと中京圏、北陸圏と合流することの空気感の違いを身体で認識するのでしょうか。米原~田村の交直接続区間に働いていたD50を求めて、よく訪れましたが、改めて50年前の米原駅の思い出を綴ってみることにします(昭和41年8月1日撮影)。

60908-001sy_edited-1朝の米原駅5番ホーム、米原発直江津行き233レ、D50201[米]、よく見ると駅弁売りも見える。右はD50200で、珍しい続き番号機。名鉄局らしく、ナンバープレートの地色はグリーンに塗られていた。

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 18きっぷで東海道を巡る -5-

西村雅幸さんが初めて沖縄を訪問された記事を読みました。事情は少し違いますが、私は、日本一規模の近鉄のなかで、養老線(現・養老鉄道)だけ乗ったことがありませんasyp1120891でした。離れ小島的で行きにくいのと、沿線にも目ぼしい名所もなく、何となく避けていた嫌いがありました。縁あって近鉄の本の編集を進めるにあたって、取材も兼ねて18きっぷを使っての大垣行きとなりました。一日フリー切符を手に、大垣から揖斐へ往復し、待っていた桑名行きに乗り換えます。濃尾平野のど真ん中を走り、眠気を誘うような車窓が続きますが、中間の要衝駅、養老でやっと目を覚ましました。養老鉄道 養老駅

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 18きっぷで東海道を巡る -4-

ことし夏の18きっぷも先月10日で終わってしまいましたが、今年の夏は例年になく頼まれごとで忙しく、購入したものの、終了3,4日前になって3乗車分が残ってsyo60909-57いることが分かり、あわてて近郊にプチ撮影・見学してきました。ネットのイベント情報を見ていると、米原市の鉄道展に興味をそそられるテーマがあり、即座に実行しました。米原市は、“鉄道のまち”を公言しており、過去の鉄道史料・遺産の保存・顕彰を続けています。その一環として、「御召列車資料展」が米原市春照にある伊吹山文化資料館で行われました。  下車駅は東海道線近江長岡駅

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 18きっぷで東海道を巡る -3-

【75019】の続き、清水市内線の後半に移ります。
この日、昭和49年6月の一日は、とにかくよく回りました。まず豊橋へ向かい、市asy60908-076内線乗車・撮影、浜松でも浜松区・遠州鉄道を撮影、途中、磐田、金谷でEF18、大井川鉄道を撮影、吉原までワープし、岳南鉄道に往復乗車と富士岡車庫撮影、そして、16時ごろ、やっと清水市内線に入りました。ここで数時間撮影したあと、名古屋へ舞い戻り、夜行列車に乗って、塩尻から飯田線へ入るという、ハードスケジュールでした(ただし6月のため、普通切符での往来)。体力、気力があふれた若さがあればこそとの思いでした。           終点ムードあふれる横砂で、折り返しの電車が発車を待つ

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 18きっぷで東海道を巡る -2-

sy60908-051_r東海道のなかで静岡県の占める割合は3分の1以上あります。東西に長く、その中央を東海道線が横断しているため、県下には、南北両側を結ぶフィーダー路線が多く存在していました。路面電車あり、軽便鉄道ありで、最盛期は東海道線各駅から枝分かれしていました。しかし、天下の東海道沿いだけに、モータリゼーション化も早く、昭和40年代の前半までに、あらかた廃止に追い込まれ、私自身は、記録はもちろん、東海道線の車窓から見ることすら無く終わっています。そんななか、何とか生き残っていた静岡鉄道清水市内線だけは間に合って滞在約3時間だけの記録を残すことができました。短い路線ながら変化に富んだ沿線だった。

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 18きっぷで東海道を巡る -1-

今週末で今年夏の青春18きっぷのシーズンも終わります。JR各社からは、とりわけ老人向けの格安企画きっぷが出始めて、以前ほどの価値はなくなりましたが、それでも元祖格安きっぷの王者であることに変わりはありません。
syoP111079818切符の使用途はいろいろですが、私の場合、東の京都へ行く場合でも、一日掛けて行くこともあり、昼間の東海道線を上下することが多くありました。誰でも考えることは同じで、18シーズンは老若男女で混み合い、決して快適な旅ではありません。でも、直行するだけではなく、たとえ一時間でも途中下車して、成果を求める。これは、乙訓の老人さま、準特急さんからの有り難い教えに他なりません。
やはり京と江戸を結んできた東海道、他にはない歴史の積み重なりがあり、鉄道、歴史、地理と絡めて、たいへん興味深い地域と言えましょう。東海道に挑戦する、と言えば準特急さんが有名ですが、不肖、私も京都から東京まで、鉄道で行き来する間に、散在する鉄道関係の遺構や現況を見聞してきました。過去、直近に渡って、紹介しましょう。      目的地は興津駅下車、徒歩15分                                     
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 久々の投稿は、フィルムの話から

 気がつけば、デジ青投稿を離れてから数か月も経ってしまいました。季節は巡り巡って、もう9月。出版の仕事にどっぷり漬かった数か月でした。“一体どうしたのか”と激励していただいた、会内外の約2名の方にも、ご心配をお掛けしました。
この間に思ったことは多々ありましたが、残された年月が限られてきた人間にとって、自分の足跡を各種の媒体に残していくことは、重大な使命だと思い知らされました。これからは、時間を見つけては、デジ青に自分の足跡を書き連ねて行きます。

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 京都鉄道博物館 いよいよオープン

京都鉄道博物館の開業まで、あと一週間余りとなりました。テレビ、新聞でも連日コマーシャルも流れて期待感が広がっています。米手作市さんから“まだ秘密やでぇ~”と見せてもらった構想図の段階から数年が経ち、あっという間の開館となりました。
梅小路蒸気機関車庫も含めた保存車両数は53両と、日本最大級の鉄道博物館が京都に誕生するのは、地元の鉄道ファンとしても格別な思いがあります。館では連日、内覧会が開かれていますが、私もひと足早く見学することができました。
普段なら鉄道のことには関心を寄せないであろう、背広姿のビジネスマンが同僚と鉄道の思い出話をしたり、スーツでビシッと決めたキャリアウーマンがスマホで写真を撮ったりと、そこかしこに微笑ましい光景が展開されていました。車両以外の展示も充実していて、平易な解説とともに、趣味者でなくても、鉄道への理解・関心が進むことでしょう。ただ大宮や名古屋と比べると、親会社にも似て、たいへん真面目な印象を受けました。もう少し遊び心があってもいいし、広くて明るい展示はいいのですが、もっと強弱、陰影があってもいいように思いました。 ともあれ、“京都”という、世界一の観光都市のブランドを背負って、近隣の施設とともに、目の離せない鉄道博物館となるでしょう。P1120131sy_R本館のエントランスには「JR西日本を代表する車両」として、489系のほか、583系、500系新幹線の3形式が選ばれた。きれいに整備されたその姿を上からジオラマモードで見ると、まるで模型の世界だった。

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 「大阪しなの」を送る -2-

60212 576syo先日、JR西日本線が乗り放題の「おとなびパス」が一日分余ったため、近郊の特急に乗ってきました。京都から外国人で満員の「はるか」に乗って新大阪へ、折り返し「しなの9号」に乗って京都へ戻り、「スーパーはくと」の先頭車の展望席を確保し、初めて智頭急行線に乗って倉吉まで向かいました。「しなの」は標準6両編成ですが、この日は60212 583syo10両編成。2両、4両の付属編成で弾力的な増結が可能となりましたが、まだ名残り乗車には日があるため、自由席の乗車効率は10%程度。いつも見慣れた車窓風景も、よく空いた特急の車内から眺めると、また違った光景に映りました。新大阪から京都まで、わずか20分あまりの乗車が、最初で最後の「大阪しなの」の乗車となりました。最後部10号車クモハ383-13の車内、右側に乗客が寄っているのは、単に陽射しを避けたいため 京都駅0番ホームの電光表示
0L3A3012syo▲そして本日、3月24日、最終日の1日前となる「(ワイドビュー)しなの9号」、おなじみ京都駅2番ホームから入線をとらえる。クロ383-7先頭の10両編成。

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 「大阪しなの」を送る  -1- 

今年のJRダイヤ改正が近づいてきました。ひと足早く「はまなす」「カシオペア」、はたまた「特別なトワイライトエクスプレス」は運転を終え、テレビを見ると、例によって孫子のような世代が「長い間、感動をありがとう」などと泣き叫んでいます。こちら関西でも、まもなく運転を終える特急があります。大阪~長野の特急「(ワイドビュー)しなの」1往復、通称「大阪しなの」は名古屋~大阪の運転を取り止めます。

60212 582syoこの列車に対しては「在来線の最長距離昼行特急」とか「唯一のJR3社直通昼行特急」と評されているが、大阪、京都では、「(ワイドビュー)ひだ」とともに見られるJR東海の車両であり、同時に大垣まで乗り入れているJR西日本の普通電車、朝夕の3往復も取り止めとなり、「ひだ」を除いて、JR東海・西日本相互の乗り入れがなくなる。もともと関西から長野へは、経済的な繋がりは少なく、もっぱら観光客がおもな乗客だった。ただ新幹線+「名古屋しなの」と比べると、所要時間はもちろん、料金においても、新幹線乗継料金だと4660円(のぞみ指定)で、「しなの」直通の3430円(指定)と1000円ほどの差でしかなく、在来線を乗り通す意味はなく60212 579syoなった。「時間が掛かっても直通」を選好する層より「乗り換えを要してでも時間短縮」を望む最近の趨勢が、他社乗り入れを嫌うJR各社の思惑とも一致した形だ。加えて北陸新幹線の開業もあって長野方面への選択肢は広がった。そろそろ潮時なのだろう。

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 あの日から5年 ≪鉄道版 その2≫

3・11の撮影記録を続けます。運命の時刻が近づいてきますが、実際は何も知らずに、いつもと変わらない時間が過ぎていきました。
syo110311_088▲13:17 京都 先ほど京都総合運転所の横を通った際に目撃した489系H1編成が、京都発能生行き9087Mとして京都駅0番ホームに到着する。前年の2010年3月改正で急行「能登」の不定期化により、489系ボンネットは定期運用がなくなり、廃車も進んでいた。残っていたのは、このH1編成のみで、首都圏、関西圏への臨時列車や、時おり定期特急の代走をこなしていた。本日の臨時列車の乗客は、修学旅行の高校生、京都旅行を終えて、北陸方面へ帰るところ、ただ席が埋まっているのは3両ほどで、あとは空席、ずいぶん贅沢な修学旅行電車だった。

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 びわ湖大津館で鉄道写真展・模型運転会

大津館チラシ (3)会員の皆さんへはメールでご連絡していますが、本日11日(金)から、大津市柳が崎の「びわ湖大津館」で「湖西を走った昭和の鉄道写真展」が開催されています。
主催されているのは、滋賀鉄道模型愛好会(STMC)の皆さん、以前、スカイプラザ浜大津で行われた、江若鉄道模型運転会では、共同で模型運転会を行ない、クローバー会との友好関係が続いており、今回は、見学を中心とした支援をしようとなりました。「びわ湖大津館」と言えば、西村雅幸さんの江若鉄道の浜大津ジオラマが永久保存されていることは、ご承知のとおりですが、今回、西村さんは、江若車両を広島から持参して、レイアウト上を自走させます。また、昨年の大津市歴史博物館で開催された「思い出の江若鉄道」に展示された私の写真も展示していただけるそうです。

会員の皆さんへは、すでに連絡済みですが、あす12日(土)には、見学会も行います。どうぞ、期間中にお越しいただきますよう、ご案内します。

▲ STMC制作のポスター、びわ湖大津館へは湖西線大津京駅下車

 あの日から5年 ≪ 鉄道版 その1 ≫

“あの日から5年”と言っても震災の記憶ではありません。あの日、2011年3月11日は、JRのダイヤ改正の前日でした。改正の目玉は九州新幹線の全線開業で、新大阪から鹿児島中央まで「みずほ」「さくら」が走り始めます。関西では、アーバン区間で、新快速の土日オール12連化・南草津の停車のほか、特急網では、「雷鳥」がなくなり、すべて「サンダーバード」化、山陰線・福知山線でも、愛称名統一で「北近畿」などがなくなり、車両も287系の新製投入、183系の撤退、381系の転属など、特急網にも大きな変化がありました。その日、“ネタ”列車も含めて、朝から京都・大阪で写し続けていました。5年たって記録を見返すと、ほとんどは現在では見られず、改めて5年の歳月を感じます。別の意味での3・11の記録として、記憶に残る一日を、朝から時系列で振り返ってみました。
syo110311_007▲8:37 京都 福知山行き「たんば1号」+東舞鶴行き「まいづる1号」が30番ホームに停車する。クハ183-851ほかのC33編成、新製された287系と交代するため、本日限りの183系だ。山陰本線の列車は、特急・普通とも、建物の下の薄暗い31~33番の山陰線ホームに停車するが、唯一この列車だけが「はるか」用の30番ホームから発車する。2番ホームから見ると、順光で、きれいな編成写真が撮れる。

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 福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔5〕

 小倉・魚町

砂津で撮ったあと、小倉駅前へ戻ってきた。ふつう、大都市の駅前には路面電車の姿が欠かせないが、小倉駅前にはなく、300メートルほど離れた勝山通(国道199号)を通り過ぎるだけで、駅前に立ち寄ることはなかった。その後にできたモノレールも、今でこそ駅の内部まで乗り入れているが、開業当時は、この勝山通止まりで、徒歩連絡を強いられた。北九州線が駅前へ寄らなかった理由は、もともと合併する前の北九州5市の都市間の連絡が目的だったことと、以前の小倉駅は、現在とは違うところにあり、現在の小倉駅ができた当時、駅前はまだ未発達で、小倉の繁華街は、勝山通沿いにあったことに拠るのだろう。
60210 031sy北九州一の繁華街、銀天街と交差する「魚町」から西を見ている。バックの大きな建物は、井筒屋百貨店、ちょうど電光掲示は「さよなら電車展」の催事を案内している。北九州線の電車の塗装はよく変わったが、廃止前は、エンジに、前面に警戒色の黄の矢形と、暑苦しい色だった。

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 佐竹さん 明日から「東北展」

佐竹保雄さんが東北地方の震災復興を願って、毎年3月を中心に開かれてきた「東北を旅して」展は、ことしで8回目を数えることになり、明日3月4日(金)から開催されます。

「東北を旅して」 その8
 3月4日(金)~11日(金)10~17時  5日(土)のみ21時まで開場
 ひとまち交流館京都 1階展示コーナー(京都市下京区河原町通五条下る)

今年は震災から5年目、そしてチェルノブイリ事故から30年となります。過去に佐竹さんが関わってこられた、さまざまな活動を振り返るとともに、もうひとつの柱として、佐竹さんが、昭和30、40年代に東北で撮られた鉄道写真が多数展示されます。さらに、三陸鉄道の現役運転士が撮られた「SL銀河」などの写真展示、そして、我がクローバー会有志も、ささやかではありますが写真協力しました。今回は、いつになく展示数が多そうで、本日、会場で準備に当たる精鋭メンバーも大いに張り切っています。

sysy60224 169_R「誰よりもたくさん東北へ行きました」と言われる佐竹さん、確かに預かったネガからは、初めて目にする珠玉の写真があふれていた。蒸機だけでなく、すべての鉄道車両をきっちり撮るのが佐竹流、写真は、仙山線作並駅に到着したED17+暖房車+客車、と言う模型のような編成。