また投稿途中で新たな訪問を入れてしまいました。途中で引き続きの投稿を行うつもりはあったのですが、動き回ったので出来ずとなり申しわけございません。戻りましたので引き続き続編を投稿させていただきます。
第4日目 11月21日
▲ 7:55 昨夜は車中泊ではなくベッドの上でまったりと熟睡することが出来ました。朝風呂に入り、三江線撮影の常宿になってきた潮温泉「大和荘」の店先からの三次行きの2番列車423ので撮影です。
第3日目 11月20日
昨夜も朝方に寒さで目覚めました。これ以上の耐寒装備はできませんのでやむを得ずエンジンをかけて暖気で車内暖房です。少し2度寝してから夜明けに吉和SAを出発しました。
7時過ぎに三次I.Cを出て三次市内を走ります。この町は亡き愛妻の生まれ故郷でよく来ましたので市内の道は精通しています。
7:30.、朝マックで朝食をとってから今は住む人もなくなった旧宅に寄ってみました。近くに焼却場ができるために道路拡幅で旧宅は解体撤去され、残った地も整地されて売られて次の住人が新しい家を建てています。立ち寄って在りし日の思い出に浸りました。
8:48 最初の訪問駅は尾関山駅です。撮影地①
▲ 駅前通りにふさわしい広い尾関山通りの先に尾関山駅があります。
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第2日目 11月19日
宿営地だった道の駅「仁保の郷」では昨夜、警官の巡回がありました。運転免許書の提示を求められましたが、道の駅でこんなことは初めてです。何しろあまり宿営している車が見当たらなかったので、用心のためのようだったようです。
その後は熱燗で温まって早くに寝ましたが午前2時に寒さで起き上がりました。ぶんしゅう7号の上段寝台は車外と車内の間はテント1枚だけですので、車外温度が車内に直結します。この夜は冷えて、何と室内温度3度の激寒です。これでは眠れません。
直ぐに下段におりて寝袋を出して2重にして、ホカロンを貼りまくり寝付きましたが、この時期にこんなに冷えるとは異常な天候です。
8:00 明るくなってきた道の駅「仁保の郷」です。鉄ちゃんらしい車が6台泊っていました。道の駅の営業準備か軽トラックも着きだしました。
洗面後は、最初に撮る予定の宮野~仁保の宮野駅に立ち寄ることにしました。
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TVを見ていると各地で紅葉のたよりが寄せられています。ボチボチ引きこもり生活からは脱却しなければ身体が鈍ってしまうと鉄ちゃん魂が蘇ってきました。
丁度定年まで勤めた会社の創立69周年パーティの招待状が来ています。場所は宝塚のホテルで西へ向かうにはいい位置です。車で行って翌日から西方を目指そうとなりました。
第1日目 11月18日
目的地は8月も訪問した山口線です。その時はご一緒させていただいた山室さんのお勧めで徳佐へ行きましたが、11月27日にはC571号機にD51200号機との重連走行が演じられるとお聞きしました。今まで鉄ちゃんが殺到するイベントは好まず、避けてきましたが家庭環境も変わってきましたので、避けてばかりではいけないかなと思いだしました。山口線の撮影に熟達、デジ青のトップページを飾ってくれています893‐2さんにお聞きしますと、また行かれるようでしたので何回もいかれています893‐2さんにご同行させていただくことをお願いしました。
ただ、27日までは日数があります。紅葉の三江線にはまだ行っていません。三江線が迎えている最後の秋を見なければいけません。SLやまぐち号の重連走行を1週間待つ間にじっくりと行ってみる事にしました。
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10月21日 その2
13:20、「皆さんおつきになられましたよ。」と再びW田さんのお声で起きました。当日は大型台風が来ているので案じられた天候でしたが、小雨が時折降る程度で嵐の前の静けさ状態でした。
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小竹先生と中国鉄ちゃん仲間との写真展に行った折に見学に来られていた神谷武志さんから赤沢森林鉄道のボールドウィン号の夜撮をするので参加しないかとお誘いを受けました。実は以前にざっくりした計画のお誘いメールを受け取ってはいたのですがその後に詳細が来なかったため、問い合わせもしないでいました。
紅葉の鉄道写真は11月になったら撮りに行こうと思っていましたが、赤沢ならそろそろ紅葉を迎えている頃です。同じメンバーのW田さんも奈良から来られるという事なので一緒に車に乗って行くことにしました。
赤沢森林鉄道は2000年の5月15日の新緑の季節に行きましたので7年ぶりの訪問です。次回は紅葉時に訪問したいと思っていましたので望みどおりです。
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8:40 今回の旅に出て10日目、ロシアに入ってからは8日目、ロシア訪問最後の日を迎えました。当初はユジノサハリンスクから成田経由で帰国でしたが搭乗する飛行機便が休止となってウラジオストク乗継となりました。そして、これを利用してプラス2日間のロシア本土視察の機会を得ました。
最後に訪問したウラジオストク駅は日頃よく訪れている同じ大地の中国鉄路の駅と比較しますと小さく、約9,000㌔以上もの長い旅路の駅とは思えないスケールでした。昔からそれほど多くの鉄道利用者はいなかったのだろうと推測します。
▲ 飛行機で到着後に乗車した空港駅からウラジオストク駅までのルートです。54分間の乗車中にロケハンした結果、邪魔物がない直線が続くサナトルナヤ(Caнаторная)駅付近と決定しました。今日は今から走行中の列車撮影をするために向かいます。
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【 ウラジオストクのトラム 】
1912年10月9日に開業、1933年までは1,000㎜ゲージで建設運行されたが1934年からは1,524㎜に拡幅されました。1991年には総延長18.4㌔に達し最盛期を迎えましたが、車社会に負け廃線が相次ぎ、現在は1系統のみが残り運行を続けています。4タイプ26両が在籍しているはずです。
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第9日目 7月17日 その1

▲ 7:27 ホテルで朝食後はウラジオストク駅に向かいました。ホームにはかつてシベリア鉄道で活躍したEa型蒸気機関車が朝日を浴びて輝いていました。動輪は5軸ですので貨物用だったのか?
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今日はサハリンから帰路の旅となります。Part15でも述べましたように当初はユジノサハリンスクからの直行便で成田に帰るはずだったのですが、行程が決まって申し込んだ後で突然にオーロラ航空が6月18日からの休航を発表しました。発表前にもロシアに折角行くのだからウラジオストクにも寄りたいねと冗談ですが言っていましたので、これが現実となったのです。
NETさんのようにトランジットで帰国する事も選択肢だったのですが、次はいつ行けるか、もう行く機会はないかもしれないロシアです。一回ぐらいは行って見てみたい気持ちが大きくなりました。即決で2日間の追加滞在に賛成しました。
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▲ 図書館で借りた樺太の写真集を見ていましたら、大泊に向かって海沿いを走る蒸気機関車の写真がありました。バラストも満足にない軌道を走っていますので600㎜ゲージ軍用鉄道時代の写真とは思います。光景は、乗って来た車窓とほぼ同じです。
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▲ 豊原から樺太西線の真岡まで、山脈を横断した豊真線(76.2㌔)ですが、1994年になって途中の宝台ループ線のトンネル内崩落があり、復旧費用が多額に及ぶ事から1995年以降は運休(廃線)になってしまいました。ただ、豊原から16.2㌔先の奥鈴谷、ロシア語ではノヴォデレヴェンスカヤ(Ново-Деревенская)まではД2 系気動車による運行が行われています。
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第6日目 7月14日 その3
奇跡的にユジノサハリンスク鉄道歴史博物館のチリーキン・アンドレイ・ニコライ館長さんにお会い出来ました。この博物館の開館は月曜日~土曜日 8:30~17:30、休館は日曜日とはなっていますが、常時開いているわけではありません。連絡を受ければ開館するといったスタイルですので入場は運がよくなければ難しいのです。この難関だった問題が解決できたのは感激です。皆さん歓喜で入場しました。

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第6日目 7月14日 その2
▲ 9:55ユジノサハリンスク駅北側の踏切での撮影を終えてからはもう列車の運行も夕刻までないので市内にある子供鉄道を見に行こうとなりました。
【 子供鉄道 】
旧共産圏諸国の多くの主要都市では、子供の社会教育を目的とした「子供鉄道」が運営されていました。将来の職業選択の際役立つように子供たちの社会学習の一環として行われており、現在も続いているものが多いそうです。以前にハンガリーのブタペストに行った時に訪問しましたが、全長は11.6㌔もあって本格的なものでびっくりしました。ここでも山裾のガガーリン公園の池の周りをループする2.5㌔の子供鉄道があります。
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第5日目 7月13日 その2
ノグリキ駅に戻って、公安に見つからないように撮影ポイントを探します。駅の南側の木々が切れた辺りはホームからは見つからず、良いだろうと決まりました。一旦駅に引き上げて直前まで現場に行かず、カメラはバックに入れた状態で待機しました。
▲ 16:45 定刻にノグリキを発車したТГ16-081号機牽引の11両編成の№604列車、こちらは13時間51分をかけてユジノサハリンスクに向かいます。表定速度は44.22km/hとゆっくりです。
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ユジノサハリンスク(豊原)を定刻の22:42に出発した№1列車は、戦前の北緯50度の日ソ国境線を越えて。612.2㌔先のノグリキに向けてゆっくりと北上していきます。発車後はしばらく皆さんと一緒の部屋にいましたが睡魔もやってきて部屋に戻って爆睡です。
ノグリキから最北端のオハまでは実線で引いていますが、この路線は、1953年に全通したオハ─ノグリキ狭軌鉄道線(総延長233㌔、軌間750mm)ですが、主力の貨物がトラック輸送にシフトしたために2007年に廃止されています。
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