各線区の復旧見通しは下図の通りです。
ローカル線の存在理由の中で大きな比重を占めるのが高校生の通学です。芸備線や福塩北線では高校の登校日に合わせて臨時列車が設定されていました。そのローカル線が寸断され、復旧の目途が立たないとなると、学校に行けない高校生が続出するのは当然の帰結です。
今回の豪雨災害に関して、多くの方々にご心配を頂き、電話やメールを頂きありがとうございました。幸い我が家は被災せず、家族も無事に過ごしておりますのでご心配なく。10日朝、いつもより遅れて届いた中国新聞朝刊から鉄道関連の記事をピックアップしてみました。
すでに事務局からは明知ツアーの様子や、どですかでん氏からは40年前の謎解きの報告がありました。今回19名が各地から恵那へいろいろなルートで集結しましたが、ここでは私が恵那へ向かった乗り鉄旅をご紹介します。年金生活者のジパング族には「のぞみ」は贅沢ということで御法度になっていますので、三原から「こだま」、「ひかり」を乗り継いで、うんざりしたところで岐阜羽島で下車しました。本当の乗り鉄は岐阜羽島からです。まずは名鉄羽島線から。
南薩鉄道の跡を訪ねて薩摩半島を北上し、伊集院を経て串木野に着きました。薩摩島津家の財政を支えた金山を訪ねるためです。三井串木野金山の一部が「ゴールドパーク串木野」というテーマパークになり、更に現在では焼酎メーカー濱田酒造の「金山蔵」となっていて、かつての坑道が焼酎の醸造施設に利用されています。その坑道奥にある醸造施設を日に4往復のトロッコに乗って見学することができます。
NHKの「西郷どん」とは関係なく、薩摩半島の旅を楽しんできました。錦江湾に面した指宿など半島東側は以前訪ねたことがあったのですが、鹿児島交通(南薩鉄道)が走っていた半島西側に行く機会がありませんでした。鹿児島交通南薩線(伊集院・枕崎間)49.6Kmは昭和59年(1984年)3月に廃止されています。南薩線以外に知覧線、万世線もありましたので、今回はできるだけ多くの遺構を訪ねることにしました。鹿児島でレンタカーを借りて、まず知覧に向かいました。知覧は薩摩藩の城下町であるとともに、終戦直前に各地から集められた多くの学徒・少年飛行兵が数ヶ月という短期間に続々と特攻機で飛び立った地として有名で 見どころの多い町です。まず知覧駅跡を訪ねました。知覧線は昭和40年7月の水害で不通となり、同年11月に廃止され、廃止後52年を経過しています。駅跡は鹿児島交通のバス車庫やドラッグストアとなっていて、広い構内だったことがわかりました。
ところどころに古い枕木や、鹿児島交通と彫られた境界標が残っていました。知覧の町に入る手前の麓川には石積みの橋台が草木に覆われて現存していました。
ここのところ宇品の話が尽きないデジ青ですが、久しぶりに広島から新聞ネタのご紹介です。三江線が廃止されて1ケ月余りが過ぎたところで、代替バスの利用状況の紹介記事です。
1便当たりではなく1日当たり20人というような利用者数ですから、当然ながら三江線と同程度であれば「まずまず」なのでしょう。
広電で働く女性たちが安心して働けるようにと、今年から広電の保育園が開園しています。その名は「ひろでん まめっこ保育園」で、千田町の本社や車庫のすぐそばにあります。誰のアイデアなのかわかりませんが、ユニークな外観が話題になっています。
富山に次いで2番目だそうですが、5月から広電でも信用乗車が始まるそうです。当面、1000型14両、ICカード利用者に限定のようですが、広電さんの前向きな取組みは結構なことです。ただ 運転士がモニターでチェックというのは、乗務員への負担が大きいような気もします。信用乗車に踏み切るなら、「広電はお客様を信用しています」と性善説を徹底し PRすれば、「損して得取れ」につながり、成熟した社会に近づくと思います。
富山ライトレールに続いて全国で2番目となるLRTとして吉備線が具体化へ向けて動き出しました。
さっそく代替バスの記事が載りました。三次・江津間を乗り通すためのバスダイヤを調べてみようと思っていますが、とりあえず記事紹介のみです。
ついに88年の歴史に幕が降りる日がやってきました。最終日に立ち会った経験は中学生の時の柳ケ瀬線廃止日と昭和44年の江若鉄道廃止日だけですが、あの独特な寂寥感はあまり味わいたくなく、三江線は遠くから見送ることにしました。予想通り中国新聞は1面トップの扱いでした。
明日は三江線だよりのボリュームが増えそうなので、今日は小ネタ2題だけです。
工事が進められていた広電本社前の電停更新が完成したようです。車道が広いわりに比較的クルマの通行量が少ないという好立地のため このようなぜいたくな電停が作れるのだろうとは思いますが、サービス向上や改善意欲旺盛な広電さんに拍手を送りたいと思います。新聞報道を待っていたのですがなかなか登場しないものに、広電の保育園があります。若い女性乗務員も多いため本社近くに広電社員用の保育園が完成し すでに開園しています。確か650型の電車の先頭部をモディファイしたような外観だったと思いますが、上記電停とともに近いうちに取材に出かけようと思っています。
明日はどんな報道が流れるのかわかりませんが、いよいよラストランが近づいてきました。
今日はこれだけです。
いよいよあと2日となりました。最終日の沿線各地での記念イベントの紹介記事です。
ぶんしゅう氏の写真提供がきっかけとなって、倉吉観光マイス協会との交流が始まり、倉吉線鉄道記念館にクローバー会会員から寄せられた多くの写真が展示されるに至った経緯については、2016年10月の【76334】「陰陽横断3日旅(後編 倉吉線跡探訪)」で詳しく紹介させて頂きました。ぶんしゅう氏と私が倉吉を訪ねたのが、2016年10月11日、そしてその10日後の10月21日に倉吉市を震源とするM6.6の鳥取県中部地震が発生し、観光に力を入れておられる倉吉が大きな被害を受けたことにショックを受けました。あれから約1年半が経過した先日、倉吉観光マイス協会の塩川修氏からご丁寧な手紙と共に、完成したばかりの倉吉線ガイドマップ「旧国鉄倉吉線廃線跡探訪地図」が送られて来ました。A3版厚紙3ツ折り両面刷りの立派なマップです。鉄道記念館用にご提供した写真の中から何枚かをこのマップにも使って頂き、画像提供者として同志社大学鉄道同好会OB様と記載して頂いていますので、マップ全体を分割してご紹介します。
24,25日は最後の土日ということで多くの人でにぎわったようです。クローバー会の戦闘的会員も何人かは現地に向かわれていることでしょう。今週いっぱいは好天が続くようです。現地レポートを期待しましょう。
別れの惜しみ方もいろいろあるようです。
花の便りがあちこちから届く今日この頃ですが、三江線は余命1週間となりました。しばらく好天が続く予想ですから、沿線は一層賑わうことでしょう。今回は長船友則氏も登場です。
三江線の歴史は水害との闘いの歴史とも言われますが、今回はそんな話題です。