本日の江ノ電

寒い日が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか?
朝の撮影も寒さに負け久しくカメラを持ち出していませんでしたが この寒さで富士山がきれいとのことで 久しぶりの江ノ電です。
鎌倉高校前」にて朝日を浴びて藤沢へ向かう2002号です。
通勤、通学者で混雑しています。

海岸では高校生の朝練でしょうか?朝日がきれいです。
横の道路は海抜10.1mと表示がありましたが地震、津波の時はこわいですね。

鎌倉高校前を発車し鎌倉へ向かう61号です。富士山が少し見えてきました。
横の道路の車は渋滞、江ノ電はスイスイ走っていきます。

少し鎌倉方面に歩くと 上下の電車が交換する所(峯が原信号所)があり、そこを発車した古豪355号です。富士山がきれいです。昨年の今頃は雪が少なく絵にならなかったそうです。相変わらず道路は混雑しています。バスは思うように走れないようで乗客は少なく、江ノ電は大活躍です。この時間は高校生の足という感じでした。

七里ヶ浜駅を通り越し いつもの踏切です。道路も少しすきました。
江ノ島と富士山と1251号です。
ここまでが朝の江ノ電風景です。

次からは夕方から日暮れの風景になります。

先ほどの踏切の少し鎌倉寄りです。きれいな夕焼けの光を浴びて、人気のカラーリングの10-50と2001-2051の4連です。
次の塗り替えの時大変だろうなと思うのは私だけでしょうか?


きれいな富士山のシルエットです。右の方で金色に光っているのが先ほどの4連で 峯が原信号所を発車したところです。(と思います)

かなり暗くなってしまいました。2051号です。これを写して引き揚げました。
富士山と江ノ電 皆様もぜひおいでください。
犬伏

晩秋風景

KAWANAKAです。

準特急先輩に神戸電鉄を取材せよとも取れるコメントを頂いたというわけではないのですが、冬を迎える風景には良いかも知れないねえ、と思って休みの度に出かけた。その月の内なら日曜4回乗り放題1800円というのがあって、三宮から新開地までも料金に含まれるから安い。大阪までの定期があるので、三宮までの休日を金券ショップで買うと片道240円(安い!)。みなさんも利用してはどうですかね。JRを使わずにかなり広い場所まで遠征ができますよっ。

神戸電鉄は紅葉の名所はないと思うが、それなりの原風景が大都市の景色とごっちゃ混在しているので、イケルかも知れない。行ってみると意外と残り柿子があったりして、しかし中々、線路と良い位置関係にはないのですが、探してみるとそこそこありました。場所を言うと面白くありませんので、興味があればそのうちコメントなどに載せようかと思います。

晩秋といえば残り柿子でしょう(と勝手に決めました)。いくつかあるうちの2枚を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑バックがクサイので少しぼかしてみました。

次に、線路脇に残った柿が撓わに残されている場所がありました。近くに古い民家もあり、そこにも1本残った柿の木がありました。晩秋の日本の秋と思います。このような風景が好きですねん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう1つはススキでしょう。ススキは誰でも撮ていますがここまで枯れてくると、秋も終わりという感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶらり散歩をしていると野焼きをしているおばさんがいました。断って何コマか撮りましたが恥ずかしがって、ケツを向けます。仕方がないので、これでもどうぞ、というところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで秋の仕事もお納めになり、いよいよ冬へと向かっていきます。晩秋の日本の風景です。

PS: WAKUTA氏がハルカスの写真をいっぱい発表されています。ついででなんですが、阪堺線松虫あたりはよく見える場所で好きですね。もっといっぱい紹介して欲しいと思います。発展する街と古い街が混在していい雰囲気を醸し出す場所が他にないかなあと・・。

オマケです。

あべのハルカス

東京では、スカイツリーが話題になっていますが、大阪特に南大阪で話題になりつつあるのが「あべのハルカス」です。近鉄があべの近鉄百貨店に建設中の日本一高いビルとなります。元南大阪の住人としてはその周辺が気になり今回環状線から時計方向に見てきました。初めての事で今回紹介する場所以外にも最適なポイントはあると思います。最初は環状線の寺田町駅天王寺方面行きのホーム先端からです。

多少邪魔者が入りますが仕方ないです。次に阪和線の美章園に向かいましたが適当な場所がみつかりません。次は南大阪線の河堀口です。突然ラビット復元色が現れ慌てました。

さらに阪堺線です。ビルを正面に狙えるのがあべの筋、下町の情緒を入れられるのが東天下茶屋あたりでしょうか。

もう一つの大阪名所通天閣とのツーショットは、えびす町駅です金網が気になります。

最後に南海です。車両が小さくなりますがなんばパークスの屋上庭園からです。アクリルの壁越しとなりますが我慢しましょう。

これら以外にもいい場所はあると思います、ビル完成後も楽しみです。

どですかでん様、見つけました!

阪急のアロハ特急についての情報を教えて下さったどですかでん様、TMS181号(1963年7月号)に中島新治氏製作で、阪急800型アロハ特急が掲載されていました。記事にも「当時の常識を破って、黄色と空色の派手な塗り分けで登場して話題をまいた阪急802+805の自作ペーパー製」と書かれています。

目撃者、探しています!

終戦直後に、こんな電車が走っていたとは思いませんでした。これを知っている人はわずかでしょう。阪急ファンでも知らないのでは?マルーンさん、知ってましたか?さらに、写真を持っている(リアルタイムで撮っていた)可能性のある人は、山科でD52のボイラー破裂を見た方とか、四国の私鉄を撮りまわっていた方ぐらいでしょう。

伊賀線廃線跡Ⅱ

伊賀線廃線跡Ⅱとして大阪線桔梗が丘付近を紹介します。周辺は宅地開発が進み昔の面影は無いようですが、今でも判るポイントです。桔梗が丘から名張よりにある今は道路橋として使われている鉄橋があります。国道368の抜け道となっており、車1台がやっと通れる狭いものです。

次は桔梗が丘駅から見た廃線跡ですが、今は右側の工事車両等の留置線となっています。右斜め方向に上記の鉄橋があります。

同じ留置線の伊賀神戸方向です。

旧線は奥の林の方向を左方向に進み(痕跡は残っていません)「西原」「美旗新田」と繋がっていたようです。

旧型車さよなら運転の様子です。

この辺りの風景はいいのかどうか?あまり変わっていません。

 

 

KAWANAKAです。

錦秋版が2つ発表されて、まだ1つ叡電が出るのかも知れないが、そろそろ見納めなので、小生も休みを利用して小さな外回りをしているので、こんなことをしてまっせ、とお披露目したいと思います。

拙宅は高槻なので、休日の金券ショップに行けば200円で河原町か嵐山まで行けます。嵐電は乗り放題500円。

また近江八幡まで同じく金券ショップで900円くらいで近江鉄道の乗り放題は550円。この辺がリーズナブルに行ける範囲かと思います。そうそう京津線も500円やから安いわねえ。という訳で箱根や叡電ほどではないが、ぶらりと出かけました。嵐山から嵐電は桜と思いますが、いやいや紅葉もいけますのやでえ、というところを。第一、春の鳴滝みたいに押すなおすなの人出はありません。

まずは200円で嵐山へ。駅の線路脇のフェンスからできるだけ長焦点にすれば桜のあいだに存在感を出そうと頑張っているモミジが・・・。マルーンが同化していて鮮やかさは今ひとつかもしれませんが、確かに紅葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に嵐電で500円払って鳴滝を通って宇多野まで。

宇多野の陸橋から仁和寺(かな?)が見えます。枝と車両の関係が上手くいかずですが、遥かにお寺が望めるのが如何にも宇多野らしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここでウロウロとしていますと、宇多野で下車する若い二人連れに出会いました。断る時間もなく、距離も離れていたので数カット撮りましたが、如何にも京都、なにかポスターになりそうな写真になりました。撮ったでー、ということで目的達成の感がしましたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、鳴滝は桜の名所ですが桜の紅葉もモミジのケバさがなく捨て難い。幸い同業者は皆無。落ち着いた色彩の中から電車が現れてきます。落ち着いてじっくり味わえる時間です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京津線は紅葉は難しいのでまたの機会にして、550円で死ぬほど乗れる近江鉄道の無名の晩秋を載せて最後の投稿写真とします。場所はお分かりでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

一昔前の野蒜駅と仙石線


野蒜駅を発車したクハ68086他4連/ (50-5-2)

特派員さんより10月20日【25248】「被災地の鉄道はいま―1―」で仙石線野蒜駅の被災状況の報告があった。たまたま古いネガを見ていたところ、同駅の改築前の写真が見つかったのでご覧に入れたい。
前身の宮城電鉄時代が昭和3年4月18日、松島公園(現松島海岸)~陸前小野間の延伸開業時に建てられたものである。(50-5-2)

【同時期の仙石線風景】
(1)手樽~陸前富山~陸前大塚間
陸前富山~陸前大塚~東名間は海岸線ギリギリに線路が敷かれていた。陸前大塚~陸前小野間の津波による壊滅的被害は特派員さんの報告の通りである。

陸前富山駅/ (50-5-1) 電車はジュラルミン製のサハ78202(昭和21年川崎車輌製)の改造車クハ79902(29年大井工場で全金改造)。


陸前富山~手樽/(49-4-29) クモハ73319+サハ78+モハ70047+クハ79902

陸前富山~陸前大塚/ (49-4-29) クモハ73331+サハ78+モハ72132+クハ79926

陸前富山~陸前大塚/ (50-5-1) クモハ54004+サハ78+クモハ54105+クハ68062

陸前富山~陸前大塚/ (50-5-1) 103系と同様の車体に載せ替えたクハ79600番代とクハ72970番代の4連

陸前富山~手樽/(49-4-29) クハ68060+クモハ54107+サハ78226+クモハ54004

陸前富山~手樽/(50-5-1) クモハ73003他4連

(2)高城町~松島海岸間
特派員さんからの報告の通り、あおば通り~高城町間は復旧されているが、陸前小野までの区間は被害が甚大過ぎて復旧は2015年までかかると言われている。高城町~陸前大塚間は海沿いであるが松島湾の入り江になっているため津波被害はなく、護岸工事を実施した上で現ルートで復旧、陸前大塚~陸前小野間は山側に線路を移設して復旧の予定である。仙台~塩釜~石巻の都市間輸送の他、仙台への通勤、通学客、松島への観光客等多くの人に利用されている重要な路線であり早急な復旧をお願いしたい。

高城川の鉄橋を渡る クモハ73022他4連/ (50-5-1)

同 クハ79208他4連/ (50-5-1)

クハ79926他4連/ (50-5-1) 左側は東北本線

クハ79600番代とモハ72970番代の4連/ (50-5-1)

松島海岸駅に進入するクモハ54004他4連/ (50-5-1)

高城町駅で休車中のモハ70125/ (50-5-1)
モハ70は昭和46年1月から2月にかけて、明石から123~125、11月に新前橋から047が転入したが、朝のラッシュ時の収容力に難点があったため、車体新製のクハ79600番代、モハ72970番代と交代して、50年2~3月にかけて047、124、125の3両は松本区に転属した。125のみ仙石線に残ったが使用されることなく52年3月廃車になった。

松島海岸駅と東北本線松島駅を結んでいた宮城交通のバス(37年式日野RB10)/ (50-5-1)

 (3)単線時代の本塩釜付近
撮影時、複線区間は仙台~西塩釜間で、西塩釜~東塩釜間が複線化されたのは56年11月であった。この区間は塩竈市内の中心部を通り複線化が困難であったため線路が付け替えられ、本塩釜駅と東塩釜駅は移転した。
単線時代の本塩釜駅は棒線にも拘らず仙台方面への折返し電車が存在した。

単線時代の本塩釜~西塩釜間/ (50-5-2)

本塩釜駅前/ (50-5-2) 後ろにホームに電車が停車している。

駅の直ぐ横の踏切を渡る宮城交通のバス(46年式いすゞBU10P)/ (50-5-2)

本塩釜駅前の宮城交通のバス(38年式日野RB10)/ (50-5-2)

 同 (40年式日野RC300P)/ (50-5-2)
元貸切車でヘッドライトきはいすゞのものを付けている。

本塩釜駅前の仙台市営バス(46年式RE100)/ (50-5-2)
当時仙台市交通局も塩釜までの路線を持ち営業所もあった。距離が長く交通渋滞のため定時運行が困難になったため50年代に廃止された。

スカイツリーと鉄道


7022 (24-10-8) 荒川区役所前

今年5月22日スカイツリーが開業し、常磐線や「ゆりかもめ」の車窓から眺めながら通勤している。
しからば、スカイツリーを入れて写真撮影が出来ないものかと思うのが人情で、可能な場所を探してみた。
東武の浅草~とうきょうスカイツリー間、尾久駅構内、錦糸町駅構内は比較的有名であるため、それ以外の場所を紹介する。

京成電鉄押上線/四ツ木~立石間
葛飾区内に住んでいる関係上、所用で葛飾区役所に行くことがある。最寄駅は京成電鉄立石で、自宅からは京成バスで金町駅に出て、京成金町線で高砂まで行き、更に押上線に乗り換える。更に駅から区役所まで徒歩10分弱かかり、タイミングが悪ければ小1時間かかることがある。自転車で行けば少々遠いが、途中の待ち時間ゼロで約30分で到着する。
いつもカメラ持参で、帰宅時に立石駅周辺、高砂駅の開かずの踏切、柴又付近で撮影する。立石駅付近は家が建て込んでおりバックは良くない(現役時代に使っていた言葉で「クサイ」)が、柵が低いため編成写真の撮影は可能である。

ある日のこと、たまには別の場所でと思い、四ツ木寄りに行くとバックにスカイツリーを入れて撮影できる場所があった。
四ツ木駅の立石より一つ目の小さな踏切で、車が通らないので落ち着いて撮影できる。通行人のおばさんから「たまに撮影している人がいるよ」と声をかけられたので、隠れた名所かも知れない。
電車は京成、北総、京浜急行、都営地下鉄の各社の車両が入り乱れて昼間でも約5分間隔(上下合わせると2分30秒間隔)でバンバン来るので飽きることがない。立石駅を含む四ツ木~青砥間の高架工事が始まると撮影できなくなる可能性が高い。

都営5300形の北総鉄道直通車
京成電鉄からのリース車7260形もよく運用についている。

踏切の反対側から。千葉ニュータウン鉄道所属の9100形

   【参考1】踏切の高砂側

青い京浜急行

京成電鉄3600系/両端がTcのため京浜急行には乗り入れない。

  【参考2】立石駅の押上寄り踏切

バックの建物は電車で隠れる。葛飾区役所の最寄駅で乗降客は多いが各駅停車しか停まらない。

【参考3】高砂駅構内の踏切


  高砂駅の青砥寄りのホーム端はお手軽撮影地として有名であるが狭いのが難点である。成田寄り2つ目の踏切の遮断機の横からの撮影で、ゴチャゴチャ観が何とも言えない。リバイバル塗装車、スカイライナー、シティライナーの撮影も可能である。

都電荒川線/荒川区役所前
三ノ輪橋終点からスカイツリーまで路線延長の要望が出ている。実現すれば経済効果は大きいと思われるが、三ノ輪橋付近の線路を付け替える必要があるため実現の可能性は少ない。
地平を走っているためスカイツリーの見える区間は少なく、都電と共に撮影できるのは荒川区役所前電停の早稲田寄りだけのため有名撮影地になっている。自宅から近いので気が向いた時に訪れているが同業者は見かけない。「写真館」に893-2さん撮影の夜景がある。

標準レンズではスカイツリーが小さくなってしまう。

反対側はこんな感じで、カーブの先は線路に沿って桜が植えられている。

以上2ヶ所紹介したが、他にも撮影可能な場所をご存知の方は是非ご紹介をお願いしたい。

京成電鉄では都内フリーの「下町日和きっぷ」を500円で発売しており、撮影には便利であるが日和らないよう有効に活用していただきたい。

伊賀線廃線跡

初めて投稿します、名張に移り住んで20数年が経ちましたwakutaです。最初にこちらに残っている近鉄伊賀線(伊賀鉄道)の廃線跡で明確にそれと分かる遺物がありますので紹介します。近鉄大阪線美旗駅の南数百メートルの小波田川にかかるプレートガーターがあります。周りは一面の田圃となっていて面影はありませんが鉄橋だけがポツンと残っています。

 

向こうに見えるのは大阪線です。伊賀線も伊賀鉄道と昔の名前に戻り、関東からの車両で牛耳られてきました。

近鉄モ6601系

                                 ク6692他5連の準急 (46-6-6) 河内松原~恵我ノ荘

「昭和の電車」は再度戦前派古豪に戻り近鉄南大阪線モ6601形が登場した。私にとっては現役時代INUBUSE氏とよく撮影に行った思い出深い車両であるが、スタイルと使用線区がパッとしなかったことで人気がなく、近鉄の名車=モ2200形という図式が出来上がっていたため注目度が低かった。
しかし、我が国初の20m車体の電車、昭和40年代まで大阪阿部野橋~吉野間の急行の主力として活躍したこと等により、もっと注目されてもよかったと思うが、前述の理由により南大阪地方区で終わったのは少々気の毒であった。

モ6601形とその一族について概略を述べると、南大阪線の前身大阪鉄道では昭和4年3月29日、古市~久米寺(現在の橿原神宮前に相当)間を開業して吉野鉄道に乗入れ、阿部野橋~吉野間の直通運転を開始した。これに備え昭和3年にデニ500形35両(501~535)、フイ600形15両(601~615)、4年にデホニ550形7両(551~557)、5年にデホユ560形3両(561~563)の60両を一挙に新製した。制御器はABFM、電動機はウェスチングハウス586-PJ-5形127kw×4、台車は川崎車輌製ボールドウィン形であった。

デニの「ニ」は、大阪鉄道では新製順に「イ」「ロ」「ハ」と付けており「ニ」は4番目、「ホ」は5番目の新製車の意味である。

デニ500は扉間に40人分のゆったりしたクロスシートを備え、つり革はバネ付、床は特殊アスファルト塗りと豪華な仕様であったが、14年ロングシート化された。関 三平氏も書いておられるが扉は戦後まで手動であった。
デニ502、520、529の3両は事故復旧時にTc化されフイ616~618となった。
新線の建設費と60両もの新車の建造費が経営を圧迫したが、14年6月阿部野橋駅が竣工、15年3月には紀元2600年記念事業として建設されていた橿原神宮総合駅が完成する等懸命の企業努力により立ち直りをみせたが、18年2月1日付で政府の要請により関西急行鉄道に合併した。関西急行鉄道は19年6月1日南海鉄道と合併して近畿日本鉄道になった。
近鉄合併後の改番でモ6601~6632、ク6671~6688、モニ6651~6657、モユ6671~6673となった。
26年から3扉化、31年にモニ6661形の荷物室、モユ6671形の郵便室が撤去され、モ6601形と同一になった。
45年頃から廃車が始まり50年までには全車姿を消したが、お別れ行事等はなくモ6601形一族らしいひっそりとした引退であった。
40年以上にわたり、吉野、飛鳥、橿原神宮への参拝客、行楽客の足として、沿線住民の大阪への通勤、通学の足として重要な役割を果たした功績は誠に大きなものであった。
形式別に写真と共に解説する。

モ6601形(6601~6613、6615、6618~6632)
デニ501~519は昭和3年田中車輌製、デニ520~535は同年川崎車輌製である。3扉化後、昭和28年から更新修繕が実施され、窓は下に100㎜拡大、ヘッダーの平鋼化、正面窓と戸袋窓のHゴム化が行われたが全車には及ばなかった。
モ6603、6616、6617の3両は電動機を取り外してTc化され、順にク6689、6691、6690となり、モ6614がモ6603に改番された。
モ6601~6608、6610~6613、6618、6631、6632の15両は吉野側の運転室を撤去して客室を拡張した。

 モ6601/ (42-10-14) 古市
昭和3年田中車輌製、元デニ501。車体更新と片運化が実施されている。

モ6606/ (46-6-6) 古市
昭和3年田中車輌製、元デニ507。車体更新と片運化が実施されている。

モ6607/ (42-10-14) 古市
昭和3年川崎車輌製、元デニ533の事故復旧時に車体を新製したためスタイルが大幅に変化した。

モ6609/ (46-6-6) 古市
昭和3年田中車輌製、元デニ510。車体更新は実施されているが、両運のままである。

モ6613/ (43-12-24) 古市
昭和3年田中車輌製、元デニ514。車体更新は未実施であるが、片運化されている。

モ6620/ (46-6-6) 古市
昭和3年川崎車輌製、元デニ522。車体更新は未実施で、両運のままである。

 モ6626/ (46-6-6) 古市
昭和3年川崎車輌製、元デニ528。車体更新は実施されているが、両運のままである。

モ6627/ (46-6-6) 古市
昭和3年川崎車輌製、元デニ529。車体更新は未実施で、両運のままである。

モ6629/ (49-1-4) 橿原神宮前
昭和3年川崎車輌製、元デニ531。車体更新は未実施で、両運のままである。

モ6651形(6651、6653~6657)
元デホ二560形で昭和4年川崎車輌製。デニ500形の大阪寄りに手荷物室(荷重2t)を設置し、運転室直ぐ後ろに両開きの荷物室扉があり、車内はオールロングシートであった。31年荷物室撤去後モ6601形と同じスタイルになった。
モ6652は電動機を取り外してTc化され、ク6692に改番された。

モ6653/(43-8-25) 二上山~二上神社口
元デホ二553で、車体更新と片運化が実施されている。

モ6656/ (43-8-20) 古市
元デホ二556で、車体更新、片運化は未実施である。

モ6661形(6661~6663)
元デホユ550形で昭和5年川崎車輌製。デニ500形の大阪寄りに郵便室(荷重2t)を設置し、運転室直ぐ後に窓1つおいて片開きの郵便室扉があり、車内はオールロングシートであった。31年郵便室撤去後はモ6601形と同じスタイルになった。

モ6663 (43-8-25) 二上山~二上神社口
元デホユ553で、車体更新は未実施である。モ6661形は全車車体更新、片運化は実施されなかった。

ク6671形(6671~6692)
デ二500形のTcとして昭和3年川崎車輛でフイ601~615の15両を新製した。吉野側に運転室のある片運車であった。
前述の通りデニ502、520、529の3両の事故復旧時にTc化してフイ616~618となり、近鉄合併の改番でク6671~6688となった。モ6601と同様に26年に3扉化された。
更にモ6603、6616、6617、6652の4両が電装解除されてク6689~6692となった。

ク6672/ (43-8-20) 古市
元フイ502で、車体更新が実施されている。

ク6675/ (49-1-4) 橿原神宮前
元フイ505で、車体更新は未実施である。

ク6678/ (42-10-14) 道明寺
元フイ508で、事故復旧時に車体を新製したためスタイルが変化した。

ク6682/ (46-6-6) 河内松原~恵我ノ荘
元フイ512で、車体更新は未実施である。

ク6686/ (46-6-6) 古市~道明寺
元デ二502→フイ516で車体更新は実施済である。

ク6692/ (46-6-6) 古市
モ6652の電装解除車で片運化されているが阿倍野橋寄りの乗務員室扉が残されている。

【参考】
関 三平氏は右上の円板表示について触れておられるが、昭和42年頃でも見られた。写真は道明寺線運用のモ5625+5626が車両交換で古市検車区に回送されるところである。/(42-10-14) 道明寺

江ノ島電鉄500系

米手作市様投稿の10月30日【25745】関 三平氏「昭和の電車」に「江ノ島電鉄500系」が登場した。
改造車といえ車体は新製で、流用されたのは主電動機、コンプレッサー、台車等ごく一部の部品にすぎない。
昭和31年に201の改造名義により東洋工機で501が、32年に115、117の改造名義により東急車両で502が作られた。スタイルは若干異なり502はヘッドライトの左右にタイフォーンがあり、より精悍な顔付きになった。ノーシル、ノーヘッダーの車体、両開き扉、曲面ガラスを使用した正面窓等、ヨーロッパ調のスタイルは時代の最先端を行くものであった。
車号は京阪びわこ号と同様、2車体で1両とみなし同一車号としたが、程なく鎌倉側の車両を551と552に改番した。
関 三平さんのイラストはポール時代であるが、39年頃Zパンタ化、更に46年頃パンタ化が実施された。

我々の年代ではポール時代の写真は無理であるが、幸いZパンタ、パンタ時代は辛うじて撮影していたので貼り付けた。

その後、59年から60年にかけての車体更新時に曲面ガラス部分を2分割の上、平面ガラス化、両開き扉の片開き化、ヘッドライトの窓下への移設が実施され、スタイルが変わってしまった。更に平成元年から2年にかけて台車交換によりカルダン駆動化、12年にブレーキのSMEから電空併用電気指令式化等、足回りの近代化が実施されたが、冷房化が困難なため14年1月501が、15年1月に502が運転を終了した。
車体更新以降の写真がないので、撮影された方は是非公開をお願いしたい。

Zパンタ時代の502+552/ (45-3-11) 極楽寺



パンタ化後の501+551/ (50-4-27) 江ノ島

パンタ化後の502+552/ (50-4-27) 江ノ島

新502+552/ (24-1-15) 七里ヶ浜
車体は旧500形をイメージして作られた新500形

ホームカミングデイ御礼とご挨拶

デジタル青信号では初めてお目にかかります。
ホームカミングデイにて自己紹介をさせて頂きました,
鉄道と飛行機を愛するクローバ会新入会員でございます。

遅くなりましたが,11月11日のホームカミングデイと懇親会では
大変お世話になりました。
改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

今後も色々とお世話になることも多いかと存じますが,
よろしくお願致します。

まずはご挨拶まで。


南海電鉄1556号

そういえば昔、テレビのコマーシャルで「深日港から淡路島へ・・・」という言葉を聞いた気がします。深日港を「ふけこう」と読むこともその時知りました。
この電車、乗ったことはないけど、なんか懐かしい気がします。どなたか内装の写真があれば見せて下さい。

梅田の外回り鐵

KAWANAKAです。

HCDでJRFの志水氏から、梅田の貨物駅は3月にオシマイになりますで、ほいで貨物線も地下にするか検討してるので梅田の貨物駅の福島寄りの踏切がなくなるかも知れまへん、という。梅田の貨物駅跡はものすごい変貌で、4~5億の億ションが完売になったり(うっかり買い忘れた??)で、この光景は今しか撮れないということや。

以前から少しづつ時間を作って外回り鐵をしていたが、あと、4ヶ月程と聞けば、ピッチを上げるしかない。というわけで先日撮った写真と併せてUPしましょう。

先ず、市内を訪問した時にチョイと回り道。先ほど言った福島寄りの踏切から東海道線の下を潜って環状線の外回り線の外に至る貨物線。ここを安治川口から梅田駅に入る貨物を撮るのは注目の写真であるけれど、ここでは余命少ない381くろしおを載せましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

安治川口は貨物はまだ扱うそうなので、しばらく撮れるが、環状線野田駅では安直に捉えることができるので、場所の移動に制約がある外回り族にはありがたい。これです。

 

 

 

 

 

 

 

 

環状線の電車をすり抜けて貨物がやってくる。

次に、遠隔地からやってくる人が梅田貨物駅を見渡せる場所があります。有名な空中庭園からでも良いが、ヒルトンホテルが特等です。この写真はエグゼクティブフロア(滅多に泊まれないが)からの写真で、併せて大阪駅を発着する列車も見ることができます。ちょうど特急はるかが通過中。夜は夜で素晴らしい夜景が見れるので懐に余裕がある人や出張旅費で賄える人は泊まってみると良いと思いますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、梅田貨物には入れ替えのDE10が張り切っていて、運がよければ走り回っている姿を目の当たりに見ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが夜になると、梅田貨物ならではの風景を堪能できます。貨物駅の脇には道路があってフェンスになっているので、この上にカメラを上げると写真が撮れるという訳です。時々同業者に会うけれど数は多くないので、撮り放題。ちょうど381くろしおが来た。コンテナ貨物に光が当たって綺麗です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何といっても、梅田貨物駅の主人公は貨物機。ここから出発する列車は丁度撮影に好都合な場所にいることが多いので、存分撮ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週の週は丁度、撮影に適した天候でありました。梅田の光が雲に反射していい雰囲気です。

この列車を反対側から撮ろうとしていたら旨い具合に、283くろしおが来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

段々、寒くなってくるのでキツイが機会があれば通っていく積もりである。みなさんも如何でしょう。なお、三脚は使えませんので重い目をして持っていかないよう。

ついでですので、このあとは環状線に回って紀勢特急と環状線を纏めて撮ることがあります。小生は鉄橋がある大正が好きで良く帰りに依る。付録で申し訳ないが、ここも貨物はないけれど捨て難い。丁度283が通過したのでその一コマを。丁度お月さんも出てきて何とも言えない雰囲気を醸し出した。撮りようによっては、天王寺からきた列車を止めることができるのでやってみては?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信貴電の不思議 改訂版

デジ青掲示板のトラブルにより「信貴電の不思議」が消えてしまいましたが、原稿が残っていましたので復活することにいたしました。ただ、そのままでは芸がないので追加して「信貴電の不思議 改訂版」としました。

 信貴山下駅から先の第2期工事でも複線化工事を行ったことを示すもの以外に、天理参考館で購入した絵葉書に信貴山下駅で撮影された51形53号電車の写真があり、これがどのような電車か調べてみました。そして、平群駅にある信貴電の名残、東ケーブルの写真などを追加しました。

彼岸花の咲く頃
彼岸花の咲く頃 平隆寺前を行く

 それでは消えてしまった部分から。

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保存されているEB10

米手作市様より、9月24日【23961】「60年前のエコカー・バッテリーカー」のタイトルで、関 三平様の「昭和の電車」シリーズ「宮崎交通チハ100形」を紹介されているが、その中で「そういえば昭和の初めに国鉄が非電化区間用に蓄電池機関車AB10型、後に電装されてEB10型になった事もありましたね。」と記されている。そのEB10の1号機が廃車後解体を免れ東京都内で保存されているので紹介したい。

(1)EB101
AB10形→EB10形は、蓄電池機関車として昭和2年2両新製され、車体と機械部分は汽車製造、電気部分は芝浦製作所が製作して非電化の須賀貨物線(王子~須賀、王子~下十条)で使用された。6年に電化されたため、芝浦製作所で電気機関車に改造され、46年3月廃止になるまで使用され47年2月廃車になったが、EB101のみ解体を免れ、東京都府中市の「郷土の森交通遊園」で保存されている。
車体は比較的良好な状態を保っているが、運転室の機器類は無残にも破壊されている。

【参考】現役時代のEB101/ (40-3-17) 田端


「汽車製造」の銘板

「芝浦製作所」の銘板

(2)その他の保存車両
EB101の他に、D51296、都電6191、京王バスが保存されているので紹介する。
①D51296
EB101と同じレールの上に保存されている。昭和14年川崎重工兵庫工場製で、秋田、坂町、直江津、長岡と日本海側で使用され、その後新鶴見に転属、最後は青森で47年3月27日付で廃車になった。EB101共々屋根の下で保存されているため、保存状態は比較的良好である。

②都電6191
昭和25年日本車輌製で、説明板によると当初南千住車庫に配置され、45年8月荒川車庫に転属、53年4月に廃車になり、54年7月から当地で保存されている。現在補修工事中であるが、こちらも比較的良好な状態である。



③京王バス
比較的新しい車両で、11年式KC‐JP250NTN、元の登録番号「練馬200か26」で、中野営業所に配置されていた。方向幕は当地で保存時に取り替えられている。
JP型バスは、平成4年10月西鉄北九州線砂津~黒崎駅前間廃止時の代替バスを新製する際に日産ディーゼル、西鉄、西日本車体工業の3社が共同開発した車両で、JM系中型車の車体を延伸して大型車並にしたものである。

「郷土の森交通遊園」の行き方は、京王電鉄府中駅または分倍河原駅から「郷土の森体育館行」の京王バスに乗り、終点で降りれば目の前である。(バスは昼間30分間隔)行った日は分倍河原駅をバスが発車した直後で、バス待ちをしていたおばさんから「歩いても25分位で次のバスを待つより早いよ」と言われて歩いたが30分以上かかった。
裏ワザは分倍河原駅からサントリービール工場の見学者送迎バス(無料)に乗り工場見学、プレミアムモルツの試飲後、歩いて行けば10分位で到着する。工場見学は予約者優先であるが、飛び込みでも空きがあれば可能である。事前に電話予約する方が確実で当日予約も可能である。工場休業日は見学が中止となり、バスも運行されないので注意が必要である。また、府中本町駅からは徒歩25分位で到着する。

(3)周辺の保存車両
小金井公園に保存されているC57と隣接する江戸東京たてもの園の都電7514も同じ日に見学したので報告する。

①C57186+スハフ322146
柵の中にあり屋根は無いが状態は良い。柵の中に入って間近で見学できるのは3月から10月の日祝日の10時~16時までで、それ以外は柵外からの見学となる。
C57186の経歴は昭和21年9月三菱重工業三原工場で新製され新潟区に配置、日本海側で戦後の復興輸送に活躍して40年代に九州に転属、人吉、宮崎から49年6月旭川に転属して50年2月28日付で廃車になった。現役時代に九州、北海道で撮影された方もおられるのではなかろうか。

スハフ32146は昭和10年3月梅鉢鐵工所で新製。最終配置は飯田町客車区で49年10月12日で廃車になった。貫通路は雨水侵入防止のため閉鎖されている。車内には立ち入れないが損傷はなく状態は良い。



  「梅鉢鉄工場」の銘板が健在

②都電7514
昭和37年新潟鉄工所製。7500形は都電最盛期の最後の新車として20両新製された。7514は当初他の7500形と共に青山車庫に配置され、6(渋谷駅~六本木~新橋~汐留)、9(渋谷駅~赤坂見附~銀座4丁目~浜町中ノ橋)、10(渋谷駅~九段下~須田町)で使用。43年9月系統及び青山車庫廃止により江東区の柳島車庫に転属。57年11月、23(柳島~江東区役所前~月島通8丁目)、24(柳島~浅草~上野駅~須田町)及び柳島車庫廃止により荒川車庫に転属した。荒川線ワンマン化の際、7509と共に改造対象から外され53年4月27日付けで廃車となった。7514のみ解体されずに荒川車庫内に保存されていたが、平成11年に当地に移された。7500形の原形車として貴重な存在で車内立入りも可能である。



③ボンネットバス
昭和44年式いすゞTSD43、車体は北村製作所製のバスで全輪駆動車である。航空自衛隊境港気象観測班で使用され、廃車後福山自動車時計博物館で整備された。映画撮影のため昭和26年~34年までの都バスの塗装になっており、イベント時に園内で運転されている。

小金井公園と江戸東京たてもの園の行き方は、武蔵小金井駅または東小金井駅から小金井市のコミュニティバス(COCOバス)に乗り、「たてもの園入口」下車、徒歩10分である。
「江戸東京たてもの園」は現地保存が不可能な歴史的建造物を当地に移設し、復元、保存、展示を目的としており、その方面に興味のある方にとっては1日では見学しきれないと思われる。
写真右は丸二商店(荒物屋)、左は花市生花店で、いずれも昭和初期の建造物である。入園料400円(満65歳以上は200円)が必要である。

 

「都電荒川線の日」2012


10月21日(日曜日)荒川車庫で「都電荒川線の日」のイベントが実施された。今年は、昨年「7510」を改造して作られた「花100」にハロウィンの装飾をして展示された。
車庫内で展示されたのみで営業線での運転はなかった。

ハロウィン号
9月29日~10月31日の間、「9002」の車内にハロウィンの装飾をして「ハロウィン」号として運転された。

荒川車庫前 (24-10-21)  ハロウィンの小さな看板が取り付けられている。
      ハローウィン風に装飾された車内で子供には大人気とか。


車内の電光掲示板(電気式紙芝居とも言う)

荒川線の近況等について
7000形20両(7001~7003、7005、7007、7008、7010、7013、7015、7016、7018、7019、7022~7026、7029~7031)、8500形5両(8501~8505)、9000形2両(9001、9002)、8800形10両(8801~8810)、花100形1両(花101)の38両が在籍している。昼間の運転間隔は5~6分間隔で約20両が稼働している。土休日は特に乗客が多い大塚駅前~町屋駅前間を中心に増発されるので25~30両程度稼働する。ほぼ中間地点の飛鳥山、王子駅前で約1時間立っていると稼働車を全車撮影することが可能である。
ダイヤは7000形に合わせて引いてあり、8500、9000、8800形は性能を持て余している。信号待ちのロスが多いため、電車優先信号にすることにより全線で7~10分程度のスピードアップは可能と思われるので是非実行していただきたい。

荒川区役所前 (24-10-18)

町屋駅前~町屋2丁目 (24-10-8)

町屋駅前~町屋2丁目 (24-10-8)

町屋駅前 (24-10-8)

荒川営業所の横断幕

8800形のラッピング車
今年の4月頃から8800にラッピング車が登場した。現在8802、8803、8804、8806、8808の5両に実施されている。