おトクなきっぷの旅 九州編 Part4 4年ぶりの長崎市電に乗る

第3日目 9月23日 その1

昨夜ホテルへ戻ってから長崎のホテルの空室問い合わせを行いましたがどこもありません。これは参りました。今日は西九州新幹線に乗車して博多に行きます。博多ならホテルも多いと検索していましたらいつも宿泊するスーパーホテルに空室が見つかりました。ただ宿泊料金は15.800円といつもの倍以上します。それでもないよりはいいかと納得して予約を入れましたが・・。

11:30 一応、ホテルが決まったので西九州新幹線が開業した早速長崎駅へと向かいました。

▲ 駅前広場には開業式が行われたようでテントやブースが設営されていましたが工事中で雑然としているためなのか長崎駅からは離れた出島方向の長崎水辺の森公園がメイン会場になっていました。
続きを読む

おトクなきっぷの旅 九州編 Part3 西九州新幹線開業前日

第2日目 9月22日 その2

12:40 長崎駅は在来線・新幹線のホームとコンコースは完成したものの駅前は新しい駅舎ビルは建築中で駅前通りには迂回を余儀なくさせられます。駅前のアパホテル、ドーミーイン等々を回って空き室があるかどうか問い合わせをしますがことごとく今日は満室と振られました。そして東横インでようやく1部屋だけキャンセルが出ましたと案内されました。ただ取れたのは今日だけで明日は満室です。

駅前で長崎市電の撮影を開始しましたが今日は車が多く歩道からの撮影には難儀しました。駅前電停は歩道橋で連絡しているのですがなぜか多くの市民の方々がおられます。新幹線開業前日のイベントでもあるのかと上がって聞いてみますともうじき航空自衛隊のブルーインパルスによるアクロバット飛行の予行練習が見られるというので待つことにしました。
▲ 13:30 真っ青の空の下、轟音をあげて6機の国産T-2超音速高等練習機が飛来してきました。

続きを読む

おトクなきっぷの旅 九州編 Part2 大分港⇒長崎

第2日目 9月22日 その1

昨夜は結構早く就寝しましたが夜2時前に起こされました。海は荒れていないのですがグーグーといびきが響きます。2席隣の同乗客から今まで聞いたことのないような迷惑ないびきです。とうとう朝まで再度寝てしまうことが出来なく不眠です。列車ならこんなことはなく心地良いジョイント音が子守歌に聞こえてくるのですがこれはいけません。すっかり寝不足になりました。ツーリストクラスではなく1クラス上げてのプライベートベットにしても隣にいびきをかく客が来れば一緒ですので判断が難しいところです。復路の隣人客がいびきをかかないことを祈るしかなさそうです。
▲ 5:48 今日の日の出時刻は6:01です。明るくなってきましたので甲板にあがって日の出を見ることにしました。瀬戸内海から別府湾に向かうフェリーの船上です。
続きを読む

お城と電車(7)小田原城

北条氏の小田原城である。ここは城の敷地が大きかったが、どこまであったはかはよくわからない。城は上杉謙信や武田信玄の猛攻に耐えたが付近の石垣山一夜城をつくった豊臣秀吉の大軍に攻められて開城。以降徳川譜代大名の居城として明治を迎えた。現在の城は1960(昭和35年)に建てられた復興天守である。

小田原はこれまで度々地震に襲われ現在の天守は4代目であるが北条氏の時代のものとは異なっている。小田原市は小田原城の他に箱根の関所や芦ノ湖、東海道小田原の宿場町、名物蒲鉾のみやげなど観光都市になっている。▼

以前は箱根登山鉄道の電車が小田原駅まで入っていたが、今は小田急の1000形4連である。登山鉄道の車庫が入生田にあるのでそこまでは三線式レールで登山電車が入出庫している。▼

おトクなきっぷの旅 九州編 Part1 旅立ち

夏も終わりそうなので早い秋を見たいと旅立ち計画を練っていましたが相次ぐ台風と豪雨前線到来で日程が組めません。
西九州新幹線の開業が近づき長崎本線を走行する「特急かもめ」には最後に乗っておきたいとの願望が膨れ上がって前日の22日には行きたいと気持ちは固まりました。問題は長崎までの行程です。山陽新幹線に乗れば約5時間で到達可能ですがそれでは面白くありません。大津の86さんは以前にサンフラワーに乗船して志布志港に向かわれ無料バスに乗り換えて鹿児島まで行かれていました。大阪~志布志の航路は今も片道を大分・別府のどちらかに乗船すると周遊割引が設定されていて、帰路は通常期 11,410円が 4,200円と何と63%もの割引料金になっています。年金生活者にとっては飛びつきたいお得なきっぷです。
昨年9月は大阪港から名門大洋フェリーに乗船して門司港で下船して山口県を回りました。夜行列車がなくなった今、船便は食堂車代わりのレストランがありますし、展望大浴場も備えていて列車旅に勝る旅を優雅に楽しめます。門司または鹿児島から長崎までは列車に乗るのも一案です。

行くか行くまいか、行くとしたらどのルートを選ぼうかと旅立ち当日21日の昼過ぎまで悩みました。私の悪い癖で優柔不断が多く何をするにも中々決断が出来ません。困ったものです。そして、この優柔不断のせいで今回も辛く、損な目にも合うことになりました。
続きを読む

お城と電車(6)大和郡山城

wakuhiroさんからご紹介のあった大和郡山城。近鉄橿原線に乗る度に気にしていた城である。近鉄郡山駅から九条駅に向かって5分も歩くと左手に石垣が現れる。天正8(1580)年筒井順慶が築城。豊臣秀長が街づくりを行いその後譜代大名が城主を務め明治を迎える。郡山は大坂、京都に近い重要拠点で大和国の政治、経済、文化の中心として繁栄した。城の敷地は相当なものであったと推察され、訪問した7月はひとまわ りするのに大汗をかいた。

石垣の間を走る京都行き特急。22600系▼

石垣は樹木が繁茂して少し分かり難い。電車は近鉄京都行き急行8619。▼

天守台で石垣は野面積みです。▼

Web版 第9回クローバー会写真展       追悼展示 沖中忠順さんをしのぶ

 今回の写真展では6月8日になくなられた沖中忠順さんの追悼展示を行いました。Web版でもご覧できるようにいたしました。

 なお、それぞれの写真については一部展示写真を撮影した写真を掲載しましたので画像が不鮮明になっています。ご了承ください。

続きを読む

Web版 第9回クローバー会写真展 作品集     「私のお宝写真」

第9回写真展が2022年8月17日(水)から8月23日(火)の7日間、京都四条通り祇園町の「ぎゃらりい西利」(西利祇園店3階)で開催されました。

 今回はフリーテーマの他、思い入れのある写真、貴重な写真、懐かしい写真などを出展していただきました。そんな「私のお宝写真」をご覧ください。

続きを読む

Web版 第9回クローバー会写真展 作品集    「鉄路輝く」

 第9回写真展が2022年8月17日(水)から8月23日(火)の7日間、京都四条通り祇園町の「ぎゃらりい西利」(西利祇園店3階)で開催されました。

 会員の皆様から、これはという作品を出展していただきました。ここではフリーテーマでそれぞれの渾身の作品です。ごゆっくりご鑑賞ください。

 写真またはキャプションをクリックすると大きい画面になり、画面上の「<」や「>」をクリックすると移動します。どの写真からでも見ることができますので気にいった写真からご覧ください。

続きを読む

お城と電車(5)大坂城

日本の三名城をご存知だろうか。バカにするなと言われそうだが大坂、名古屋、熊本が三名城である。江戸城や姫路城は該当しない。では大坂城は誰がつくったか? 現在見る大坂城天守は昭和6年に大林組がつくったものである。石山本願寺攻めの信長が本能寺の変で亡くなった後に、秀吉がつくったのが最初の大坂城と言われている。その秀吉の城も大坂夏・冬の陣で埋められてしまった。なお、秀吉の野面積み(石をあまり細工せずにつくった城郭初期のころに見られる粗野な石の積み方)の城は現天守とは少し離れた場所から発掘され確認されている。今日見ることのできる大坂城の立派な遺構は家光の時代のものである。

さて、大坂城はwakuhiroさんに紹介していただいたが、私が撮ったのは京阪電車の旧片町駅~天満橋駅間の辺りで大阪市電の京阪東口路線の最後の頃1968.4.30である。京阪電車はスーパーカーと思うが大阪市電は3001形か2601形か車両型式はよくわからない。何れにしても今は撮れない風景と思う。

大阪環状線には大阪城公園という駅があるからには、高いビルでも登れば大坂城を俯瞰できる場所があるのかもしれない。どなたかご存知のスポットがあれば教えていただきたい。

 

岐路に立つ西武の黄色い電車

西武鉄道といえば、黄色い電車。このイメージは関西の鉄道ファンも持っている認識かと思います。
実はその数は少しずつ、でも確実に減ってきています。

西武のイメージカラーを纏う新2000系(左奥)と旧2000系(右)。旧2000系は本線用8両編成が引退し、風前の灯に。

続きを読む

3年のご無沙汰でした。第9回クローバー会写真展「鉄路輝く 私のお宝写真」

 巷では「3年ぶり」という枕詞が大はやりです。クローバー会写真展も「3年ぶり」です。場所は今までと同じ京都四条通り祇園にある「ぎゃらりー西利」で、期間は8月17日から23日まで7日間です。写真展の準備も今までですと現役生のBOXでプリントを写真フレームに取り付ける作業などをしていたのですが、BOXで大勢の人が集まることが禁止されているので作業にも従来と違う方法を行う必要がありました。とにかく無事に開催できてほっとしています。ではどんな感じだったかというと

 

 

 

 

Web版 第9回クローバー会写真展 作品集    「鉄路輝く」

Web版 第9回クローバー会写真展 作品集     「私のお宝写真」

Web版 第9回クローバー会写真展       追悼展示 沖中忠順さんをしのぶ

第1回から第8回までの写真展はTOPの「写真展」のタブから入ることができます。または下記のURLをクリックしてください。

https://tetsurokagayaku.web.fc2.com/index.html

続きを読む

お城と電車(4)

有名な城であっても線路に近くないと本題にそぐわない。その点、山形城はそれほど有名ではないが、とにかく駅から15分も歩けば城郭の雰囲気を味わうことができ線路に近い。山形城は最上氏の居城で現在の城址は最上義光が拡張、整備したもの。その後、鳥居、保科氏ら譜代大名が城主として入れかわり明治に及んでいる。

山形-北山形間は山形新幹線、奥羽本線、仙山線、左沢線の車両が通過して行く。日本の多くの城は公園になっており桜の名所でもあるが山形城も霞城公園として例外ではない。桜関連は後日貼り付け予定。古い時代のC51、C57、DF50の時代はとても手が回らなかったが、現在は首都圏から日帰り圏になったので時々訪問している。


仙山線の快速山形行きE721系 2018.1.19 ▲

左沢線(フルーツライン)左沢行き後部キハ101-12 通常2両だがラッシュアワーに入り4両となる。2018.1.19▲

 

 

 

青春18で巡る四国3日間(その4)

735D、吾桑。

(予土線へ)

高知駅の高架下でそそくさと昼食を食べ、暫しとさでん交通を撮影してから、高知14時35分発の735Dで終点の窪川まで1000型ディーゼルカーに約3時間乗ります。3連で出発しましたが途中の須崎で2両を切り離し、30分停車した後、4735Dとなって1両で窪川まで向かいます。高知から窪川まで直通する普通列車は下りで5本しかなく、「特急にのってください」ということなのでしょう。もっとも高知―須崎の区間運用の普通列車は1時間に1本程度はあるので、輸送密度に応じたダイヤになっているのだと思います。

続きを読む

『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part13 札幌地下鉄全線に乗る、帰路


第9日目 6月30日

今日は8泊9日に及んだ旅の最終日です。新千歳空港からの復路便は前回より1本後の 17:50 のフライトですので 16:30 に空港に着いていれば大丈夫です。往路はLCCのピーチでしたが復路は貯めたマイレージで交換(8.110P)したJAL特典航空券にしましたのでラウンジでビールを飲みながら寛いで待てます。

ホテルのレストランで朝食をゆっくりととってから荷物を預け、ラッシュを避けての9時前にホテルを出発しました。
続きを読む

お城と電車(3)伏見桃山城

伏見城と伏見桃山城は違うらしい。伏見城は秀吉、家康の時代のもので焼失したり幾多の変遷があったが、今見ることができるのは伏見桃山城で全くの模擬天守である。伏見城は最初のものは指月山伏見城で、その後近くに再築されたものが木幡山伏見城と呼んで区別されている。木幡山伏見城もほどなく廃城となり、部材が二条城、淀城、そして前回の福山城に移築されている。城跡の主要部分は明治天皇の伏見桃山御陵となっており、模擬天守のある遊園地は近鉄グループが運営していた。

走る電車は近鉄京都線竹田-上鳥羽口間の京都行き急行で652+509+649の小型車3連である。撮影は1966.10.4でこの頃ここでは吊り掛け特急も見られた。▼

この界隈は京阪伏見桃山、桃山南口、近鉄桃山御陵前、JR桃山と桃山が多過ぎて不慣れな人間には迷いやすいのではないかと思うが、寄り道先の御香宮神社の近くには戊辰戦争(鳥羽伏見の戦いか)の傷跡の残る建物も見られる。

 ほぼ50年前 同月同日メモリーズ  ⑤

昭和47(1972)年8月5日 野上電鉄「連絡口」へ

ちょうど50年前の同月同日、野上電鉄を訪問しています。廃止されたのは、平成6(1994)年のことで、廃止間際にも何度か訪れていますが、初めての訪問は、この日でした。御坊臨港鉄道と掛け持ちの訪問で、野上の乗車は叶わず、国鉄紀勢本線の海南駅の裏にある「連絡口」付近のみでした。末期の野上電鉄は、モノも心も荒廃して、良い印象は残っていませんが、この時代は、家族ぐるみで鉄道を利用する、良き昭和のシーンが見られました。「連絡口」に到着する野上電鉄104+25 よく知られているように「連絡口」は正式な駅ではなく、約100m離れている終点の日方駅の構内にある別ホーム扱いで、日方駅とは運賃同一の扱いだった。近鉄の八木西口と大和八木の関係と同じである。国鉄紀勢本線の海南駅の裏口に当たり、国鉄から下車して野上に乗り換える乗客で、ホームは賑わい、電車も2両だった。

続きを読む

『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part12 大雨の中、札幌市電に乗る

▲ Part 11 で投稿漏れの写真がありましたので掲載させていただきます。撮影日は他の札沼線の写真と同じく1971年(昭和46年)8月29日ですが撮影場所は分からず、前後の写真が石狩太美なので多分この辺りだろうと思います。先ほどの貨物とは牽引機がC11 228号機と違っていますので上り深川行きの8692列車と思われます。
このC11 228号機は日本車輌名古屋で1942年(昭和17年)9月11日に誕生しました。配置区は苗穂区で廃車となる1972年(昭和47年)2月7日まで配転はなく30年間をこの地で過ごしています。最後の秋を迎えていたのですね。
783馬力と非力な機関車ですが、上り下りの貨物とも長大編成の貨物列車を牽引しています。路線に急こう配区間がなかったことが良かったようです。

ちなみにC11 99号機は、1937年(昭和12年)2月13日、日立製作所笠戸の生まれで当初の配置区は広島局、1955年(昭和30年)に道内に配転して苗穂・釧路・追分区を転々として1974年(昭和49年)5月15日、苫小牧区で最後を迎えています。

続きを読む

お城と電車(2)福山城

福山駅の直ぐの所に徳川譜代大名の水野氏の五層の天守が建っている。築城は1622年で今年が400年記念になる。福山駅は明治24(1891)年山陽鉄道開通時に内堀を埋めて福山城の三の丸に建設されたもので天守が近いのも当然である。天守は昭和20(1945)年の空襲で焼失し昭和41(1966)年に再建されているが、戦災を免れた遺構として伏見城の移築伏見櫓、筋鉄御門が残っている。

福山駅へは昭和55(1980)年11月8日EF651114牽引の「あさかぜ」オハネ25198でまだ明けやらぬ早朝に到着。福塩線のクハ76を入れて撮影した。全金属の300番台である。▼

福塩線、瀬野八、呉線で撮影後の翌日9日にも同じ場所に行ってみた。その後この辺りは新幹線で通過したのみであるが、城のある風景は今でも同じ様に見ることができるのだろうか。▼

 ほぼ50年前 同月同日メモリーズ  ④

昭和44(1969)年7月29日 真夏の宮津線・加悦鉄道合宿 (2)

風の通らない蒸し風呂のようなテントになかで、朦朧としながら、朝を迎えました。昨日は暗くてよく分からなかったものの、加悦駅の構内で寝たはずなのに、明るくなって周囲を見てみると、田んぼのあぜ道のようなところで寝ていたことが分かりました。参加者全員、もう一泊する気力・体力はなく、全員一致で「解散」を決議、この後の行動は、各自に一任となりました。

朝の加悦駅構内、転車台に乗った2号機、木造単車、DLなどが留置されている。

続きを読む