10月4日、同志社大学鉄道同好会30周年記念号では、宮原客車区から始発の京都駅までの送り込み回送の添乗を担当した。ここでの用務と言えば、荷物の積み込み、確認と向日町区でのサボ取り付けくらいしかない。これを同じ85年度生のK氏と一緒に行うのが仕事であった。
1987.10.4 宮原客車区
10月4日、同志社大学鉄道同好会30周年記念号では、宮原客車区から始発の京都駅までの送り込み回送の添乗を担当した。ここでの用務と言えば、荷物の積み込み、確認と向日町区でのサボ取り付けくらいしかない。これを同じ85年度生のK氏と一緒に行うのが仕事であった。
1987.10.4 宮原客車区
EF58 61が鉄道博物館に収蔵され、期間限定でお召装備で展示されているとのことで、11月5日、新潟車両センターの公開の帰りに、大宮で途中下車して、行ってまいりました。
展示場所は、入り口正面です。さすがに他の展示車両と異なり周囲を硝子板が囲ってありますので、なかなか撮影づらい状態で展示されています。その上、入れ代わり立ち代わり写真を撮る人がいるので、なかなかタイミングが難しいです。
15時過ぎ行ったのも、閉館まで粘って、人がいなくなったらとの思いでした。
待っていると偶然、外を後継のE655系「なごみ」が通過しましたが、突然のことでタイミングを逸してしまいました。
窓の外の茶色い線がE655系「なごみ」です。
どうやったら、うまく撮影できるか? いろんな場所から検討してみました。2階からは、上の写真にあるように車体に梁がかかります。
下に戻ろうと下りのエスカレーターに乗ったとき、閃きました。
9月6日、秋田の大学の友人を訪ねることになり、青春18利用なので、大垣夜行340Mで東京まで出て、上野から常磐線に乗り換え、北上する。日立電鉄に乗るため、大甕で降りる。上野から鈍行では約2時間半の道のりである。
1987.9.7 鮎川から大甕まではほぼ常磐線と並走
過去のデジ青等で触れられていたら申し訳ありません。駅名にも疎い私ですが、道内完乗を目指して湧別迄行った昭和57(1982)年5月2日に途中に中湧別-湧別間に四号線という駅がありました。このような駅名は珍しいのですが、開拓時代の道路が近くの線路を跨いでいてつけたのではないかと勝手に推察しています。他には似たような駅名で宗谷本線も和寒-剣淵間にも東六線という駅があったようです。また、北海道のバス停に〇〇宅とか言うのがありました。これらは人口希薄と開拓が関連しているのかもしれませんが、わかりましたら教えてください。簡易停留場なのでしょう。駅名辞典のようなものがあったと思いますが、駅開設日や駅名の由来などが出ていたのではないでしょうか。
また、湧別ー中湧別間は何線だったのでしょうか。交通公社時刻表では湧網線に読めますが、弘済会の道内時刻表では名寄本線に読めます。何れにしましても今はなき路線で中湧別-四号線-湧別の4.9kmの盲腸線です。
四号線駅板 ▼
寂しい行先板と湧別駅のキハ22321 ▼
この年の春、鉄道界にとって大きな出来事があった。日本国有鉄道がJRグループに生まれ変わったのである。ところが、私はというとこの頃、鉄分が限りなく薄まっていた。
4月1日は、JR発足の記念すべき日だが、私のところにアルバイトにいそしんで買った中古のセダンがやってきた。余談だが、このセダンにはターボがついており、ターボチャージャーが過給すると、誇張もあるがジェット機が離陸するように加速した。この車を乗り回すことに夢中になり、ターボが「ヒューン」と音を立てて、景色が飛ぶのと同じく、私の「鉄道」も後ろに飛んで行った。(ような気がした。)
5月、もう一つ京都の鉄道界にとって大きな出来事があった。京阪電鉄の京都地下線開通である。当時の青信号56号を読み返すと、構想以来半世紀、工事着手以来丸8年、総事業費650億円をかけて~と書かれており、まさに大事業だった訳である。私はというと、鉄道同好会とは別に、テニスのサークルにも入っており、地上線最終運行の23日は、こちらのサークルの新歓コンパが三条河原町であり、最終運行どころではなかった。ということで、この年の春先から初夏にかけては全く鉄(写真撮影や乗りに行くこと)をしていない。
このように、鉄分は薄まっていたが、本能というか本性が呼び覚まされると立ちどころに元に戻るものである。読者のみなさんの中にも、鉄に出かけているのでなく、出張などの用務で遠出した際、線路や駅舎を見ただけで興奮した経験をお持ちの方は多いだろう。
テニスのサークル夏合宿は、河口湖だった。その下見に行った際、時間を見つけて富士急行の電車を撮影した。春から夏にかけて、いろいろなことがあったが、私は鉄道に回帰した。
1987年6月11日 富士急行5700型(元小田急2200) 河口湖
先月、旧一等展望車マイテ492が、京都鉄道博物館に収蔵されたとのことである。もともと大阪弁天町の交通科学館で展示されていたのだから元に戻ったというべきかも知れない。
1987年(昭和62年)10月4日、このマイテ492を繋いだ特別列車「同志社大学鉄道同好会30周年号」が走った。その時、私は3回生だった。この列車には、OBも大勢乗っていただき、後にOB会、クローバー会発足のきっかけの一つとなった、とも伺っている。当時、現役生としてこの列車の運行に少し関わった者としては、よかったと今でも思っている。ただ私は、この特別列車走行の企画運営の主軸として関わったのではなく、当日運営要員の1人として居たに過ぎない。このツアー列車の運行の記録は、昭和63年(1988年)発行の青信号57号に詳しく書かれている。今読み返しても、事前の各種準備から当日の仕切りまで主導的な役割を担った会員と、その取り組みに助言をし、見守ったOBの熱い想いが伝わってくる。これ以上の記録はないと思っているので、私が担当した宮原区から京都駅までの送り込み回送添乗のみ少し後で触れたい。
1987年10月4日 宮原客車区
【 変更予約できるマイレージ空席がない 】
中国のナローゲージ訪問に一緒に行っておりました一路順風さんから昨年、屋久島に走る森林鉄道があるが一緒に行ってみないかとのお誘いを受けました。OKを出して航空券やホテル、レンタカーの手配を終えましたが出発直前になって牽引機のDLが故障して運休となりました。年代物のDLの交換部品は特殊で容易に確保できず一時は3月には確保との情報も入りましたが、誤報でまだまだ延期せざるを得ませんでした。
最初にJALマイレージ予約した航空券の有効期限は1ケ年ですが現在11月1日で延長した予約が入っています。JALに電話しますと11月末には失効しますが残念ですが有効期限内のマイレージ席の空席はありませんとの事です。キャンセルしてもわずか600マイル程度しか戻っては来ません。新たに正規購入するには、42,590円もする航空券です。貧乏性の私としてはそんなもったいない真似は出来ません。時間はたっぷりとありますので次回訪問できるようになった時のためにマイレージ航空券は生かして下見に行くことにしました。
第1日目 11月1日
① 長岡天神 9:32(阪急・特急)⇒9:59 十三 10:03(急行)⇒10:13 蛍池
② 蛍池 10:26(大阪モノレール)⇒10:29 大阪空港
▲ 9:32 9時過ぎには余裕をもって自宅を出て阪急・長岡天神駅へ、十三で宝塚線に乗り換えて蛍池へ、大阪モノレールに乗り換えて伊丹空港に到着です。
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2020年11月23日にC5744を投稿して以来およそ2年ぶりの同一テーマでの投稿である。掲載できる写真が枯渇してきているが動態保存機も含めできる限り発表していきたい。
久しぶりの今回は東京JR新橋駅前に鉄道発足100周年を記念して昭和47(1972)年より鎮座しているC11292である。SL広場として知られており待ち合わせなどに利用されているが、街の景観はどうあれこれ以上の目印はない。
この機関車は多少機関車趣味に覚えのある人には戦時設計の粗悪車と感じるはずである。角張った砂箱、蒸機溜がそれを物語っているし、除煙板も改造をうかがわせる。
生まれは昭和20(1945)年2月と私と同じ年である。日本車両名古屋の製造で廃車されるまで姫路(私の記憶では姫路1区)から出たことがないという。播但線や姫新線を嫌というほど走り回ったことであろう。兵庫県に縁のある私も播但線はC55、C57を撮りに行ったことはあるが、姫路近郊の通勤列車牽引のC11はほとんど撮ったことがなく姫新線に至っては乗ったことがない。ところが関東のクモハ73106東ウラさんがこの機関車を撮っておられたので発表させていただく。
1970.3.24 播但線溝口 ▼
1970.3.24 姫路区 ▼
2022.10.26 新橋駅前のC11292で今年塗り替えが行われた 戦時設計スタイルの角張った二つのコブが特徴 ▼
2022.10.26 同機説明板 ▼
【遠野市】 39.337849, 141.538413 2021年9月26日撮影
オハフ46 2005
遠野に行くと、駅前の池で河童が寛いでいたり、座敷童などもいるそうであるが、それよりも非常に珍しい客車を見ることができる。以前はビヤステーション恵比寿、その後目白倶楽部にいたので東京近辺の方はよくご存じであろう。展望デッキ廻りはSLやまぐち号のオロテ35・スハテ35よりバランスが良いと思う。「無限」という小さいテールマークまである。台車はTR23ではなくTR11で、阿寒炭坑と鉄道館のオハ62 95がはいていたものだそうである。現在グーグルマップでは阿寒炭坑と鉄道館に台車は見えない。
車内には鬼滅の刃の衣装や小道具が多数陳列してあり、コスプレ用品を取り扱っていたのかもしれない。
撮影後、遠野駅に戻って上りのSL銀河をゆっくり見学でき、花巻では駅近くの材木町公園でデハ3も見られて良かった。
◆スハ43 122(1952年新製 川車)→(1962年改造 大宮工)オハ47 65→(1966年改造 大宮工)オハフ46 2005→1985年廃車。
第3日目 10月17日
今日は2泊3日の私としては短い小旅行の最終日です。最近は直ぐに疲れてくるので今日は早めに帰宅したいと行程を組みました。
▲ 朝食は宴会場でバイキングではなくお盆において支給されました。
▲ フロントに掲示されていたのは鉄道YuTuberの「スーツ」さんがサインした色紙です。私も彼のYoutyubu動画はよく見ています。綺麗なサインではありませんがホテルの玄関口に置かれているのにはびっくりしました。
第2日目 10月16日 その1
今日はクローバー会の2022年東西交流〈秋のツアー@上田電鉄)の開催日です。集合場所は上田駅11時、遅れて迷惑がかからぬように予定より1本早い列車に乗ることにしました。
① 松本 8:12(快速)⇒9:01 篠ノ井
▲ 7:43 宿泊したホテルから約10分弱で松本駅前広場に到着です。昨日の賑わいはどこへ行ったのかと思えるほど閑散としていました。
会員諸氏は宇出木信吾先輩をご存じでしょうか?
湯口徹先輩や重澤崇先輩、沖中忠順先輩らと共に鉄道同好会を立ち上げたお一人です。私が入った頃には既に卒業されていて、ときどきEVEなどでお顔をお見かけする程度でした。
その宇出木信吾先輩から卒業以来の電話を頂いたのです。
何事か?と身を清めてご指定の場所に伺うと、「青信号の1号からの初版本と杵屋栄二氏が京都で撮った写真を許可を取って複製したものを重澤君が持ってるが、これをクローバー会に寄付したいので渡して欲しいと託された」とのお話しでした。
青信号は事務局で公開方法をお考え頂くとして写真は私がスキャンしてデジ青に投稿することになりました。
改めて拝見しましたが明治時代と思われる国鉄と、京都市電、開通時の京阪電車の写真ですが場所が分かりません。
そこで実績のある「デジ青探偵団」の皆様に①撮影場所 ②車両車種 ③撮影時期について推察をお願い致します。
予告編
近日 当館で封切りロードショー!ご期待下さい
クローバー会の2022年東西交流〈秋のツアー@上田電鉄〉が10月16日に開催されることになりました。九州へ行ってきたばかりですが今年は鉄道開業150年とあって普通列車に限定ですが連続3日間秋の乗り放題パス(7,850円)が発券されます。待ちに待った全国旅行支援も10月11日から実施されますので久しぶりの長野界隈に行ってみようと計画を練り出しました。
今回は前回失敗したホテルの手配ミスはやりたくありません。ネットで安くていいホテルを探しましたが、全国旅行支援実施となったおかげで気に入ったホテルは満室ばかりで決めるには結構手間がかかりました。
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快速「つくばね」様
いつも有難うございます。「高原列車は行く」ですが、歌詞の中に「山越え谷越えはるばると」とか「明るい青空白樺林」が度々出てくるのでこれはてっきり小海線とばかり思いこんでいましたが友人から違うと言われたことを思い出しました。そう言えば2番には「君らの泊りも温泉(いでゆ)の宿か」とか3番には「五色のみずうみ」が出てちょっと小海線とは違うようです。高原列車の名に惑わされていたかもしれません。私は今はありませんが、磐梯国際スキー場の仕事をしていまして磐越西線猪苗代には何回か出張しております。民宿の方には沼尻鉄道の運転をした人もいました。あのあたりも磐梯高原ですね。沼尻鉄道は学生時代に川桁で1966.3.21に泊まり放置されていた客車を撮っています。私どもの先輩には沼尻鉄道の素晴らしい写真を撮った人が大勢います。▼
この写真の駅名わかりますか。後方の山は信夫山です。そう岩代の国の福島です。列車は私が乘ってきたE6+E5系の17連盛岡行「やまびこ53号」の後追いです。福島は新幹線の駅では最も好きな駅の一つです。理由は目前に迫った信夫山の風景と福島駅の発車メロディーです。新幹線福島駅では甲子園の高校野球でお馴染みの古関裕而作曲の「栄冠は君に輝く」が流れその後に列車の出発案内が放送されます。古関裕而は福島の出身で日本のスーザとも言われ数々の名曲を残しております。この曲は行進曲風で颯爽として若々しく元気が出ます。同駅在来線では岡本敦郎の「高原列車は行く」もありこれもいい曲です。仙台は「青葉城恋歌」です。しんみりとした感じですがもう一つです。その他山形の「花笠音頭」、横手の「青い山脈」、弘前の「津軽じょんがら節」、広野の「汽車」、湯本の「シャボン玉」等の曲はよく知られておりますが、他は新しい曲で若い人向けなのか老鉄ファンにはよくわかりません。仙石線の宮城野原は「楽天イーグルス応援歌」がかかるそうで地方活性化に結構なことと思います。関東では小田原の「おさるのかごや」、平塚の「七夕祭り」、高田馬場の「鉄腕アトム」、メトロ銀座の「銀座カンカン娘」などを聞いたことがありますが、その後変わっているかもしれませんし、まだまだあると思います。大分豊後竹田の友人によりますと同駅では国鉄時代から「荒城の月」がかかっていたそうです。奈良の駅名研究家さんの研究とは少し異なるジャンルでちょっと聞いただけの駅のメロディーもいいなと思ったこともあり投稿してみました。検索すると駅メロディーファンも多そうです。本当はYou Tubeなど録音発信技術があればもっと研究して発表できるのですがそれができなくて残念に思っております。2021.7.6 福島駅▼
次に京王電鉄明大前駅京王線ホームの到着メロディーです。ここは駅名の如く明治大学校歌で上りは「白雲なびく」、下りは「オーオーメージ」です。他校のことになりますが、この曲も勇壮な感じで元気が出ます。内容は例えば下り特急高尾山口行きですと短いメロディーの後に「まもなく1番線に特急高尾山口行きが10両編成でまいります。黄色い点状ブロックの内側にお下がりください」と放送されます。列車頻度が高いのでメロディーは短いですが、各駅停車にも使われています。校歌のメロディーやメロディーそのものについてはいろいろあるかもしれませんがもう3年くらい続いています。初台にはオペラシティがあり、初台駅到着時には有名なオペラの曲がかかっていますが、オペラに疎くよくわかりません。古関裕而は「六甲おろし」も作曲しておりますが、阪神電鉄甲子園駅はかけていますか。昭和2~30年代にラジオで聞いた六甲おろしのメロディーは子供ごころにいいなと感じました。2022.10.8 明大前駅▼
鉄道150周年記念とかであちこちでイベントが行われているようだが、高齢の趣味人間はそんなことに惑わされず我が道を行っているのではないか。しかし、山手線でこんな真っ黒な電車が動いているのをチラッと見て気になり2022.10.2御徒町ホーム先端に行くと既に人手が多く危なっかしい状況だったので反対側に廻って停車中の車両を撮った外回りクハE234-15がこれ。国電の元祖は甲武鉄道と聞くが、山手線も準元祖のようなもので、そこに陸蒸気の色に変装した235系が現れたのだろう。国電の大家河さんにご紹介しようと思いますが「ええ加減にせい!」とお叱りを受けそうなのでこの辺でやめときます。▼
日本の残存天守12カ所のうち四国には4カ所あり、高知城もその一つ。関ヶ原の合戦の功で土佐二十万石の大名となった山内一豊が築城。現存天守は延享4(1747)年に再築されたもの。桂浜に銅像が立つ坂本龍馬は長宗我部系の下級武士と聞く。
2007.8.26▼
はりまや橋付近と思われるあたりで土佐電最大両数の630形と城を入れてみた。▼
準特急さんが「お城と電車(9)伊賀上野城」を投稿されました。それで思い出したのが、昨年(2021年)の11月に伊賀鉄道の貸切列車のイベントをしたときの集会でご覧いただいた伊賀鉄道の昔と今の映像です。会員の方に写真を募集したところ3名の会員の方から写真を応募していただきました。それを動く写真にまとめてみました。ちょっと見てください。おまけに近鉄特急も出てきますよ。
いかがでしょうか。もう少しうまくできたら良かったのですが・・・
大津の86様
貼り付けがうまくいかなかった分です。