昨夜のTVニュースでは明日道内は大雨になります、道路の通行止めや鉄道の運休もあるだろうとのありがたくない予報です。心配ですが明日にならないとハッキリとはわからない、ホテルは連泊なので行けても日帰りにしようと早めの就寝でした。
第8日目 6月29日 その1
4:30 起床、早速TVを付けますとトップニュースは天気予報です。
▲ ご覧のように稚内を覗いてはすべて大雨模様です。
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昨夜のTVニュースでは明日道内は大雨になります、道路の通行止めや鉄道の運休もあるだろうとのありがたくない予報です。心配ですが明日にならないとハッキリとはわからない、ホテルは連泊なので行けても日帰りにしようと早めの就寝でした。
第8日目 6月29日 その1
4:30 起床、早速TVを付けますとトップニュースは天気予報です。
▲ ご覧のように稚内を覗いてはすべて大雨模様です。
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電車がお好きであった沖中忠順先輩の四十九日が行われたとの報に接しました。生前に親交のあった趣味仲間の方々も多数参列されましたが、私にとっても沖中さんは思い出の人となりました。改めてご冥福をお祈り申し上げます。
さて、デジ青についていつも総本家青信号特派員さん、ぶんしゅう旅日記さん、米手作市さんなど長老の皆様ばかりに頼っていては申し訳ないのでこのあたりで投稿のほぼ最長老者になった私も下手な自主公演を始めたい。今回は「お城と電車」と題してこれ迄撮影した時にチラッと城や石垣が写っているもの等を発表していきたいと思う。過去にもデジ青でこのテーマが話題になったことはあるが、皆さんもコメントや参考写真などがあれば横槍を突いていただきたい。
第1回目は琴電高松築港駅~片原町間で見られる高松城である。ここはお城の石垣と堀がよく写り、琴電自身も動く鉄道博物館と言われて各地で活躍した兵(つわもの)が多く見られたので何度も訪問された方も多いと思う。高松城は玉藻城とも言われ藩主松平氏の時代が明治維新まで続いた。城跡は玉藻公園となっており天守跡も残っている。
ことでんこと高松琴平電鉄のターミナル高松築港駅は石垣が迫りくる迫力でこのような風景は他所ではなかなか見られない。停車中の電車は1255長尾行きと1209琴電琴平行きでどちらも元京急の2代目700形で18m級4扉車である。2017.7.25▼
第7日目 6月28日
▲ 7:02 昨夜宿泊した『富良野AK STAR HOTEL』です。駅や繁華街からも離れて目立つ看板もなく一見してホテルとは見えません。昨夜着いた時もオーナーがホテル前でお待ちでしたので見過ごさずに入れましたが街灯もない暗い場所ですので初めて宿泊する方が到達するのは難しいでしょうね。
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第6日目 6月27日
① 釧路8:18⇒10:45根室
今日は前回の旅で食べそこなった根室駅の絶賛の駅そばを食するため、リベンジで参りました。今回の旅の目的の1つでもあります。店の営業開始は11時からと駅員から聞きましたので10:45着の列車で向かいます。
8:07 釧路駅4番ホームに参りましたが、前回はガラガラだった車内はおばちゃま達の団体客で満席です。
運転席後ろに立って進行方向を見続けるのは大好きですので苦痛ではありませんが、それでも2時間半はちょっとしんどいかなと何とか空席を見つけました。
第5日目 6月26日 その2
根室本線 東鹿越~新得は、2016年台風10号の影響で集中豪雨となり斜面の崩壊や線路への土砂流入、橋梁の流出など甚大な被害が発生し、復旧には概算で10.5億円の工事費と少なくとも12か月以上の復旧工事期間を要するとの調査結果が発表されました。多大な費用が掛かることから費用の工面が付かずそのままとなっています。このために東鹿越~新得はバス代行で結ばれています。
今日は釧路へと向かいますが問題はルートです。A・B案とも登別から旭川までは同じですがここで東と南方向に分かれます。
登別 8:37(北斗1号)⇒9:50札幌10:00(ライラック11号)⇒11:25旭川
Ⓐ 旭川 12:41(大雪1号)⇒16:31 網走 18:54⇒22:08 釧路
Ⓑ 旭川 11:33⇒12:07 美瑛 13:08(富良野・美瑛ノロッコ号)⇒13:59 富良野
富良野14:19⇒15:04東鹿越15:13(バス代行)⇒16:21新得
新得 16:33(おおぞら7号)⇒18:39 釧路
Ⓐは、前回来た時は平日運休で乗車できなかった特急大雪号と夕焼けの釧網線に乗車できます。ただ網走での乗継時間が2時間23分もあり釧路着は22時を過ぎます。網走でゆっくりと夕食時間にしても良いのですが、22時着は遅すぎるように思えます。
Ⓑは、富良野線のトロッコと根室本線代行バスに初乗車できます。Ⓐと違って釧路着は丁度いい時間です。
どちらを選択しても宿泊はスーパーホテル釧路駅前を予約していましたので着くのが多少遅くになっても電話を入れておけば問題ありません。
旭川に着く直前まで悩み続けましたがそれまで検討時間がとれたのはこのフリーきっぷのおかげです。そして最終的にはⒷプランへの願望が勝りました。
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最近、撮りためたネガを整理していますと、ショッキングなことがありました。以前にも書きましたが、昭和40年ごろのフィルムが劣化(ビネガーシンドローム)状態に陥り、悪臭・キズだらけのフィルムは修復不能になっていました。ただ健全なフィルムもあって、両者を分けて保管していました。ところが、改めて調べると、そこからも悪臭が立ち込め劣化が始まっているではありませんか。50年以上も、ちゃんと残っていたフィルムが、突然、劣化の始まると分かり愕然としました。これ以上放置すると、さらに劣化が進み、将来に持ち越すと、もう公開もできないと思い、軽微なうちから、昭和40年前後のフィルムを「駅撮り一時間」として、過去の連載の続きとしました。
昭和40年9月26日 京都駅
昭和40年前後の国鉄の大きな動きでは、昭和39年10月改正による、東海道新幹線の開業が知られていますが、全体で見れば、翌年の昭和40年10月改正の方が大規模なものでした。もちろん東京~新大阪の新幹線開業、それに伴う在来線の電車特急の撤退・転移は大きな改正ではありました。しかし「ひかり」は4時間運転の14往復、在来線の急行はそのまま残り、何とかオリンピックに間に合わせた暫定開業のような状態でした。所定の3時間10分運転にスピードアップし、「ひかり」「こだま」とも30分ヘッドになる昭和40年10月改正(新幹線のみ11月改正)が、本格開業と言えると思います。京都・大阪においても、同年の改正は大きな変動があり、その前後の変化を収めるべく、鉄道少年の私も、京都、大阪、新大阪で駅撮りをしたものでした。
▲電車特急151系が撤退したあと、京都駅がいちばん華やいだのは、朝の時間帯、京都始発の82系DC特急だろう。7:30発「まつかぜ」、8:00発「かもめ」、いずれも経由は異なるが、6番ホームから発車する博多行きであり、京都が西への優等列車の始発駅と位置づけられていた象徴だった。これに8:48発「白鳥」(上野・青森行き)も加えた、82系三羽烏が、朝の京都駅にまぶしく輝いていた(この写真のみ昭和40年10月3日撮影)。
【佐川町 さかわ観光協会 うえまち駅】 33.498811, 133.287840 2022年5月4日撮影
↑ロ481
「うえまち駅」は佐川駅から西へ徒歩約5分の、さかわ観光協会の事務所がある新しい建物で、ロ481はその中に展示されていて、2021年4月17日にオープンしたそうである。隣に佐川文庫庫舎がある。
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先日用事で愛知県に行った帰りに岐阜で途中下車し、北口駅前広場に静態保存されている名鉄510形を見てきました。1926年に旧美濃電気軌道セミボ510形として造られ、21世紀初頭まで現役を務めていました。1987年には鉄道友の会エバーグリーン賞を受賞した名車ですが、意外にも作られたのは5両だけ、その内3両が静態保存されています。いずれも510形が走っていたところで、美濃町線美濃駅跡に512号が、谷汲線旧谷汲駅跡に514号、そして今回訪れた岐阜北口駅前広場に513号が保存されています。
これらの保存には各自治体が関わっているのでしょうか?やはり個人の力ではなかなか難しいものがあります。ボランティアの有志が自治体と協力して維持していくのが一番良い形ではないかと思います。京阪大津線の名車80形も何らかの形でゆかりのある自治体が関わって保存ができないものでしょうか?
↑ 岐阜駅北口駅前広場の開業10周年を記念して徹明町近くの金公園で保存されていたものが移設されました。
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今年の5月16日で信貴生駒電鉄(現在の近鉄生駒線)は王寺から信貴山下間、そして東信貴鋼索線(1983年9月1日廃止)が開業して100年目となります。その記念イベントとして記念式典と臨時急行が王寺から上本町間に運転されます。もちろん、記念乗車券や入場券が販売されます。詳細については下記をクリックすると近鉄からのイベント案内書へ移動します。
以前からきれいに改築される前の近鉄生駒線王寺駅の写真がないか探していたのです。なぜかというと信貴生駒電鉄として王寺と信貴山下間を開業したときの建物をそのまま使用していたのではないかと思っていたので本当にそうなのか確認したかったのです。ちょっと断定するには自信がないのですがほぼ、そうだと考えています。その写真が見つかったのです。家族写真のネガを整理するために調べていたら出てきました。最後のコマだったので余ったから撮ったのでしょう。それが以下の4枚です。
管理人です。セキュリティーやパフォーマンスの向上、将来の障害発生時への対策、最近のコメント動作不良への対策として、以下のようなシステムアップデート作業を行いました。
・旧MySQL v5.5サーバ内のWordpressデータベース(記事・コメントなど)を切り離し、新たにMySQL v5.7サーバへ全てのWordpressデータベースを移行しました。
・Wordpress本体、プラグイン、テーマファイルの最新版へのアップデートを行いました。
記事やコメント投稿といった基本動作は問題なく、みずほ的なシステムトラブルはなさそうです。テーマファイルを最新版へ更新したため、フォントなど細部の見た目が変更されています。
何か不具合等あれば、こちらの投稿へコメントをお願いします。
最後まで残っていたEF67105が3月30日に最後のお勤めを済ませて、引退したそうです。中国新聞の記事を載せておきます。
【多層建て客車急行「青葉」(2) | DRFC-OB デジタル青信号から続く】
◆昭和30年7月1日から、「みちのく」の1号車が欠番だったのが2号車の特ロを1号車にして整理したことに伴い、「青葉」も影響を受けて上野寄り先頭ハニが3号車に変更されました。
↓『時刻表』昭和30年8月号「主要旅客列車編成」
【編成記録】『RAILFAN』690号 平成22年2月号p.12,13
昭和31年3月17日郡山-福島間の編成
C57 13[仙]+D51 230[福一]+C51 52[福一]+スハフ42 9東ヲク+スハ43 296東ヲク+スハ43 201東ヲク+スロ34 9東ヲク+スハフ42 48東ヲク+スロハ32 6東ヲク+スロ51 12仙セン+スハシ29 104仙セン+スハフ42 322仙セン+スハ43 44仙セン+オハニ63 2仙セン
通常重連のところ、この日は回送のC51が付いて3重連。
【編成記録】『鉄道ピクトリアル』60号 昭和31年7月号p.26
「101列車編成 昭和31.5.26 上野駅にて(※日付は「昭和30.5.26」となっていましたが、これは誤植で、『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション5 国鉄ダイヤ改正 1950』(2004年5月号別冊p.81では「昭和31.5.26」となっています)。
C61 30[白]+⑬スハフ42 47+⑫スハ43 432+⑪スハ43 431+⑩スロ33 13+⑨スハフ42 46+⑧スロハ32 56+⑦スロ51 14+⑥スハシ29 103+⑤スハフ42 283+④スハ43 458+③オハニ63 1
C61は白河まで、⑬~⑧東ヲク、⑦~③仙セン、⑬~⑩秋田行、⑨~⑧青森行、⑦~③仙台行
【https://drfc-ob.com/wp/archives/131417#more-131417から続く】
◆『時刻表』昭和27年7月号によれば、7月1日から奥羽本線425レの釜淵発・大滝発時刻が1分ずつ遅くなり、及位発・院内着は逆に早くなり、院内終着は20:51になりました。また、8月号では、釜淵発・大滝発・及位発は7月号と同じですが、院内終着は20:54とあります。何故このようにコロコロ変化したのでしょうか。
【編成記録】『鉄道ファン』194号 昭和52年5月号 p.48
昭和27年7月15日下り急行“あおば”
C62 8+スハフ42 32仙ワカ+スハフ42 65秋アキ+オハフ33 50東オク+オハ35 909東オク+スハフ42 27仙セン+スハ43 77仙セン+スハ43 76仙セン+スハシ37 2仙セン+オロ36 16仙セン+スロ51 42仙セン+スハニ35 12仙セン
スハフ42 32…会津若松行 スハフ42 65…院内行 オハフ33 50~オハ35 909…青森行 スハフ42 27~スハニ35 12…仙台行
スハニ35 12はスハニ35形式のラストナンバーです。特急用として新製されましたが、計画がお流れになって仙台に配属されたスハニ35 10~12のうちの1両です。座席が固定式のため下り列車では後ろ向きでした。
◆昭和27年9月1日に東北・常磐線・北海道線時刻改正がありました。
昭和の昔、「青葉」という愛称の客車急行列車がありました。愛称が付けられたのは昭和25年11月で、その名のとおり、主に上野-仙台間の東北本線経由の急行でした。「主に」としたのは、運転区間が上野-仙台間だけではなく、上野発下りの場合、1編成中に終着駅が合計4箇所の客車を連結しているという、気動車も顔負けの「多層建て客車急行」だったのです。
東北本線経由上野-仙台間の昼行急行は、第二次大戦前からありました。また、戦後まもなく復活していますが、多層建てではありませんので、本稿では戦後の多層建てになる少し前から多層建てでなくなるまで運転時刻・編成等の変遷を辿ってみたいと思います。
◆昭和23年7月1日時刻改正で、上野-仙台間急行103レ,104レ、仙台-青森間不定期急行2103レ,2104レとして設定されました。
103レ 上野9:00-16:55仙台17:06-2:07青森 2103レ (上野-仙台間7:55)
2104レ 青森23:25-9:46仙台10:00-18:05上野 104レ (仙台-上野間8:05)
↓昭和23年7月1日改正 『旅客列車編成並びに客車運用表』東京鉄道局
2022年3月11日、宇都宮線(東北本線)の小金井~黒磯間と日光線で運行していた205系600番台が運行を終了しました。2013年の運行開始から10年足らず、走行区間も短いことからデビュー時の地味な印象な車両が最後まで拭いきれなかったと思いますが、205系のなかでも個性的なグループでよく見ると惹かれるものがあります。
東北本線の宇都宮から黒磯にかけて、かつて走っていた「北斗星」「カシオペア」の有名撮影地が点在する、首都圏から東北地方への雰囲気が色濃くなる区間という印象があります。関東平野の末端で活躍を終える車両を振り返ってみました。
京王電鉄京王線に芦花公園という駅があるが、最近この近くにマルーンさんの娘さんご家族が来られたとお聞きした。芦花公園は京王電気軌道時代は上高井戸と称していたが付近に都立芦花恒春園ができたこともあり芦花公園と改称して現在に至っている。マルーンさんには一度案内したく、私自身も行ったことがなかったので恒春園を訪問してみた。ここは作家徳富蘆花の旧宅やお墓が残されており、一帯は武蔵野の面影を残す立派な公園である。徳富蘆花と言えば兄徳富蘇峰とともに同志社の歴史には必ずと言っていいほど出てくる人物で旧宅前の碑にも京都・同志社で学ぶとある。九州・水俣の出身の小説家で「不如帰」で有名であるが読んだことはない。現地へは結構距離があり、短足老人の私なら20分はかかる。恒春園の環状八号線(通称環八)を挟んで反対側には明大ラグビー部八幡山グラウンドがある。同志社のラグビー部は明大、慶大、立大(立命館ではなく立教大)と定期戦を行っており、弱くなった最近は行ったことがない。
井原実さんが阪急京都線の高架事業を紹介されていたが、京王線では現在東京都主体の笹塚-仙川間の連続立体化事業が進行中であり芦花公園駅もその対象である。今は春の陽気で空がかすんでいるが寒くて空気が乾燥する2月頃は富士山が眺められる。
芦花公園駅はカーブしており、通過列車がやたらに多いがホームからも富士山が見られる。
うまくいかずまた失敗しました。恒春園は1月18日、駅は3月7日です。