お城と電車(3)伏見桃山城

伏見城と伏見桃山城は違うらしい。伏見城は秀吉、家康の時代のもので焼失したり幾多の変遷があったが、今見ることができるのは伏見桃山城で全くの模擬天守である。伏見城は最初のものは指月山伏見城で、その後近くに再築されたものが木幡山伏見城と呼んで区別されている。木幡山伏見城もほどなく廃城となり、部材が二条城、淀城、そして前回の福山城に移築されている。城跡の主要部分は明治天皇の伏見桃山御陵となっており、模擬天守のある遊園地は近鉄グループが運営していた。

走る電車は近鉄京都線竹田-上鳥羽口間の京都行き急行で652+509+649の小型車3連である。撮影は1966.10.4でこの頃ここでは吊り掛け特急も見られた。▼

この界隈は京阪伏見桃山、桃山南口、近鉄桃山御陵前、JR桃山と桃山が多過ぎて不慣れな人間には迷いやすいのではないかと思うが、寄り道先の御香宮神社の近くには戊辰戦争(鳥羽伏見の戦いか)の傷跡の残る建物も見られる。

 ほぼ50年前 同月同日メモリーズ  ⑤

昭和47(1972)年8月5日 野上電鉄「連絡口」へ

ちょうど50年前の同月同日、野上電鉄を訪問しています。廃止されたのは、平成6(1994)年のことで、廃止間際にも何度か訪れていますが、初めての訪問は、この日でした。御坊臨港鉄道と掛け持ちの訪問で、野上の乗車は叶わず、国鉄紀勢本線の海南駅の裏にある「連絡口」付近のみでした。末期の野上電鉄は、モノも心も荒廃して、良い印象は残っていませんが、この時代は、家族ぐるみで鉄道を利用する、良き昭和のシーンが見られました。「連絡口」に到着する野上電鉄104+25 よく知られているように「連絡口」は正式な駅ではなく、約100m離れている終点の日方駅の構内にある別ホーム扱いで、日方駅とは運賃同一の扱いだった。近鉄の八木西口と大和八木の関係と同じである。国鉄紀勢本線の海南駅の裏口に当たり、国鉄から下車して野上に乗り換える乗客で、ホームは賑わい、電車も2両だった。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part12 大雨の中、札幌市電に乗る

▲ Part 11 で投稿漏れの写真がありましたので掲載させていただきます。撮影日は他の札沼線の写真と同じく1971年(昭和46年)8月29日ですが撮影場所は分からず、前後の写真が石狩太美なので多分この辺りだろうと思います。先ほどの貨物とは牽引機がC11 228号機と違っていますので上り深川行きの8692列車と思われます。
このC11 228号機は日本車輌名古屋で1942年(昭和17年)9月11日に誕生しました。配置区は苗穂区で廃車となる1972年(昭和47年)2月7日まで配転はなく30年間をこの地で過ごしています。最後の秋を迎えていたのですね。
783馬力と非力な機関車ですが、上り下りの貨物とも長大編成の貨物列車を牽引しています。路線に急こう配区間がなかったことが良かったようです。

ちなみにC11 99号機は、1937年(昭和12年)2月13日、日立製作所笠戸の生まれで当初の配置区は広島局、1955年(昭和30年)に道内に配転して苗穂・釧路・追分区を転々として1974年(昭和49年)5月15日、苫小牧区で最後を迎えています。

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お城と電車(2)福山城

福山駅の直ぐの所に徳川譜代大名の水野氏の五層の天守が建っている。築城は1622年で今年が400年記念になる。福山駅は明治24(1891)年山陽鉄道開通時に内堀を埋めて福山城の三の丸に建設されたもので天守が近いのも当然である。天守は昭和20(1945)年の空襲で焼失し昭和41(1966)年に再建されているが、戦災を免れた遺構として伏見城の移築伏見櫓、筋鉄御門が残っている。

福山駅へは昭和55(1980)年11月8日EF651114牽引の「あさかぜ」オハネ25198でまだ明けやらぬ早朝に到着。福塩線のクハ76を入れて撮影した。全金属の300番台である。▼

福塩線、瀬野八、呉線で撮影後の翌日9日にも同じ場所に行ってみた。その後この辺りは新幹線で通過したのみであるが、城のある風景は今でも同じ様に見ることができるのだろうか。▼

 ほぼ50年前 同月同日メモリーズ  ④

昭和44(1969)年7月29日 真夏の宮津線・加悦鉄道合宿 (2)

風の通らない蒸し風呂のようなテントになかで、朦朧としながら、朝を迎えました。昨日は暗くてよく分からなかったものの、加悦駅の構内で寝たはずなのに、明るくなって周囲を見てみると、田んぼのあぜ道のようなところで寝ていたことが分かりました。参加者全員、もう一泊する気力・体力はなく、全員一致で「解散」を決議、この後の行動は、各自に一任となりました。

朝の加悦駅構内、転車台に乗った2号機、木造単車、DLなどが留置されている。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part11 大雨で運休続出、札沼線に乗る

昨夜のTVニュースでは明日道内は大雨になります、道路の通行止めや鉄道の運休もあるだろうとのありがたくない予報です。心配ですが明日にならないとハッキリとはわからない、ホテルは連泊なので行けても日帰りにしようと早めの就寝でした。

第8日目 6月29日 その1

4:30 起床、早速TVを付けますとトップニュースは天気予報です。

▲ ご覧のように稚内を覗いてはすべて大雨模様です。
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お城と電車(1)高松城

電車がお好きであった沖中忠順先輩の四十九日が行われたとの報に接しました。生前に親交のあった趣味仲間の方々も多数参列されましたが、私にとっても沖中さんは思い出の人となりました。改めてご冥福をお祈り申し上げます。

さて、デジ青についていつも総本家青信号特派員さん、ぶんしゅう旅日記さん、米手作市さんなど長老の皆様ばかりに頼っていては申し訳ないのでこのあたりで投稿のほぼ最長老者になった私も下手な自主公演を始めたい。今回は「お城と電車」と題してこれ迄撮影した時にチラッと城や石垣が写っているもの等を発表していきたいと思う。過去にもデジ青でこのテーマが話題になったことはあるが、皆さんもコメントや参考写真などがあれば横槍を突いていただきたい。

第1回目は琴電高松築港駅~片原町間で見られる高松城である。ここはお城の石垣と堀がよく写り、琴電自身も動く鉄道博物館と言われて各地で活躍した兵(つわもの)が多く見られたので何度も訪問された方も多いと思う。高松城は玉藻城とも言われ藩主松平氏の時代が明治維新まで続いた。城跡は玉藻公園となっており天守跡も残っている。

ことでんこと高松琴平電鉄のターミナル高松築港駅は石垣が迫りくる迫力でこのような風景は他所ではなかなか見られない。停車中の電車は1255長尾行きと1209琴電琴平行きでどちらも元京急の2代目700形で18m級4扉車である。2017.7.25▼

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part10 根室本線、山線乗り鉄旅

第7日目 6月28日

▲ 7:02 昨夜宿泊した『富良野AK STAR HOTEL』です。駅や繁華街からも離れて目立つ看板もなく一見してホテルとは見えません。昨夜着いた時もオーナーがホテル前でお待ちでしたので見過ごさずに入れましたが街灯もない暗い場所ですので初めて宿泊する方が到達するのは難しいでしょうね。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part9 摩周そばを求めて

第6日目 6月27日

① 釧路8:18⇒10:45根室

今日は前回の旅で食べそこなった根室駅絶賛の駅そばを食するため、リベンジで参りました。今回の旅の目的の1つでもあります。店の営業開始は11時からと駅員から聞きましたので10:45着の列車で向かいます。


8:07 釧路駅4番ホームに参りましたが、前回はガラガラだった車内はおばちゃま達の団体客で満席です。
運転席後ろに立って進行方向を見続けるのは大好きですので苦痛ではありませんが、それでも2時間半はちょっとしんどいかなと何とか空席を見つけました。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part8 登別から釧路へ乗る 2の2

第5日目 6月26日 その2

根室本線 東鹿越~新得は、2016年台風10号の影響で集中豪雨となり斜面の崩壊や線路への土砂流入、橋梁の流出など甚大な被害が発生し、復旧には概算で10.5億円の工事費と少なくとも12か月以上の復旧工事期間を要するとの調査結果が発表されました。多大な費用が掛かることから費用の工面が付かずそのままとなっています。このために東鹿越~新得バス代行で結ばれています。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part7 登別から釧路へ乗り鉄旅 2の1   


今日は釧路へと向かいますが問題はルートです。A・B案とも登別から旭川までは同じですがここで東と南方向に分かれます。

登別 8:37(北斗1号)⇒9:50札幌10:00(ライラック11号)⇒11:25旭川
Ⓐ 旭川 12:41(大雪1号)⇒16:31 網走 18:54⇒22:08 釧路
Ⓑ 旭川 11:33⇒12:07 美瑛 13:08(富良野・美瑛ノロッコ号)⇒13:59 富良野
  富良野14:19⇒15:04東鹿越15:13(バス代行)⇒16:21新得
  新得 16:33(おおぞら7号)⇒18:39 釧路

Ⓐは、前回来た時は平日運休で乗車できなかった特急大雪号と夕焼けの釧網線に乗車できます。ただ網走での乗継時間が2時間23分もあり釧路着は22時を過ぎます。網走でゆっくりと夕食時間にしても良いのですが、22時着は遅すぎるように思えます。

Ⓑは、富良野線のトロッコと根室本線代行バスに初乗車できます。Ⓐと違って釧路着は丁度いい時間です。

どちらを選択しても宿泊はスーパーホテル釧路駅前を予約していましたので着くのが多少遅くになっても電話を入れておけば問題ありません。
旭川に着く直前まで悩み続けましたがそれまで検討時間がとれたのはこのフリーきっぷのおかげです。そして最終的にはⒷプランへの願望が勝りました。
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 多度津駅 今昔

化粧煙突に形式入りプレートと美しい状態で今も保存される58685


 2022年5月28日四国のクローバー会行事に参加して多度津を訪問。よい行事に参加が出来て、ご準備をしていただいた諸氏に厚く感謝を申し上げます。
 四国の鉄道の発祥の地と言うことは、知識では知っておりましたが北前船以来の多度津の街並を歩き、大変この町に興味を持ちました。
 朧げながら36年前に多度津の駅に降り立ち、1986年3月22日に撮影した写真がありますので、新旧を比較してみます。

この日は日中は好天で、海岸沿いで撮影時は晴れていたのに、多度津に着く前から冷たい雨が降り出して来た。

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 駅撮り一時間 〈5〉

最近、撮りためたネガを整理していますと、ショッキングなことがありました。以前にも書きましたが、昭和40年ごろのフィルムが劣化(ビネガーシンドローム)状態に陥り、悪臭・キズだらけのフィルムは修復不能になっていました。ただ健全なフィルムもあって、両者を分けて保管していました。ところが、改めて調べると、そこからも悪臭が立ち込め劣化が始まっているではありませんか。50年以上も、ちゃんと残っていたフィルムが、突然、劣化の始まると分かり愕然としました。これ以上放置すると、さらに劣化が進み、将来に持ち越すと、もう公開もできないと思い、軽微なうちから、昭和40年前後のフィルムを「駅撮り一時間」として、過去の連載の続きとしました。

昭和40年9月26日 京都駅

昭和40年前後の国鉄の大きな動きでは、昭和39年10月改正による、東海道新幹線の開業が知られていますが、全体で見れば、翌年の昭和40年10月改正の方が大規模なものでした。もちろん東京~新大阪の新幹線開業、それに伴う在来線の電車特急の撤退・転移は大きな改正ではありました。しかし「ひかり」は4時間運転の14往復、在来線の急行はそのまま残り、何とかオリンピックに間に合わせた暫定開業のような状態でした。所定の3時間10分運転にスピードアップし、「ひかり」「こだま」とも30分ヘッドになる昭和40年10月改正(新幹線のみ11月改正)が、本格開業と言えると思います。京都・大阪においても、同年の改正は大きな変動があり、その前後の変化を収めるべく、鉄道少年の私も、京都、大阪、新大阪で駅撮りをしたものでした。

電車特急151系が撤退したあと、京都駅がいちばん華やいだのは、朝の時間帯、京都始発の82系DC特急だろう。7:30発「まつかぜ」、8:00発「かもめ」、いずれも経由は異なるが、6番ホームから発車する博多行きであり、京都が西への優等列車の始発駅と位置づけられていた象徴だった。これに8:48発「白鳥」(上野・青森行き)も加えた、82系三羽烏が、朝の京都駅にまぶしく輝いていた(この写真のみ昭和40年10月3日撮影)。

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客車廃車体訪問記 内地編74 高知県-3

【佐川町 さかわ観光協会 うえまち駅】 33.498811, 133.287840  2022年5月4日撮影
ロ481
「うえまち駅」は佐川駅から西へ徒歩約5分の、さかわ観光協会の事務所がある新しい建物で、ロ481はその中に展示されていて、2021年4月17日にオープンしたそうである。隣に佐川文庫庫舎がある。
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保存されている名鉄510形

先日用事で愛知県に行った帰りに岐阜で途中下車し、北口駅前広場に静態保存されている名鉄510形を見てきました。1926年に旧美濃電気軌道セミボ510形として造られ、21世紀初頭まで現役を務めていました。1987年には鉄道友の会エバーグリーン賞を受賞した名車ですが、意外にも作られたのは5両だけ、その内3両が静態保存されています。いずれも510形が走っていたところで、美濃町線美濃駅跡に512号が、谷汲線旧谷汲駅跡に514号、そして今回訪れた岐阜北口駅前広場に513号が保存されています。
これらの保存には各自治体が関わっているのでしょうか?やはり個人の力ではなかなか難しいものがあります。ボランティアの有志が自治体と協力して維持していくのが一番良い形ではないかと思います。京阪大津線の名車80形も何らかの形でゆかりのある自治体が関わって保存ができないものでしょうか?

↑ 岐阜駅北口駅前広場の開業10周年を記念して徹明町近くの金公園で保存されていたものが移設されました。
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100年目の信貴電

 今年の5月16日で信貴生駒電鉄(現在の近鉄生駒線)は王寺から信貴山下間、そして東信貴鋼索線(1983年9月1日廃止)が開業して100年目となります。その記念イベントとして記念式典と臨時急行が王寺から上本町間に運転されます。もちろん、記念乗車券や入場券が販売されます。詳細については下記をクリックすると近鉄からのイベント案内書へ移動します。

https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/ikomashigikousaku100_2.pdf

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21年前の近鉄生駒線王寺駅の写真

 以前からきれいに改築される前の近鉄生駒線王寺駅の写真がないか探していたのです。なぜかというと信貴生駒電鉄として王寺と信貴山下間を開業したときの建物をそのまま使用していたのではないかと思っていたので本当にそうなのか確認したかったのです。ちょっと断定するには自信がないのですがほぼ、そうだと考えています。その写真が見つかったのです。家族写真のネガを整理するために調べていたら出てきました。最後のコマだったので余ったから撮ったのでしょう。それが以下の4枚です。

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システムアップデート

管理人です。セキュリティーやパフォーマンスの向上、将来の障害発生時への対策、最近のコメント動作不良への対策として、以下のようなシステムアップデート作業を行いました。

・旧MySQL v5.5サーバ内のWordpressデータベース(記事・コメントなど)を切り離し、新たにMySQL v5.7サーバへ全てのWordpressデータベースを移行しました。
・Wordpress本体、プラグイン、テーマファイルの最新版へのアップデートを行いました。

記事やコメント投稿といった基本動作は問題なく、みずほ的なシステムトラブルはなさそうです。テーマファイルを最新版へ更新したため、フォントなど細部の見た目が変更されています。
何か不具合等あれば、こちらの投稿へコメントをお願いします。

多層建て客車急行「青葉」(3)

多層建て客車急行「青葉」(2) | DRFC-OB デジタル青信号から続く】

◆昭和30年7月1日から、「みちのく」の1号車が欠番だったのが2号車の特ロを1号車にして整理したことに伴い、「青葉」も影響を受けて上野寄り先頭ハニが3号車に変更されました。
↓『時刻表』昭和30年8月号「主要旅客列車編成」

【編成記録】『RAILFAN』690号 平成22年2月号p.12,13
昭和31年3月17日郡山-福島間の編成
C57 13[仙]+D51 230[福一]+C51 52[福一]+スハフ42 9東ヲク+スハ43 296東ヲク+スハ43 201東ヲク+スロ34 9東ヲク+スハフ42 48東ヲク+スロハ32 6東ヲク+スロ51 12仙セン+スハシ29 104仙セン+スハフ42 322仙セン+スハ43 44仙セン+オハニ63 2仙セン
通常重連のところ、この日は回送のC51が付いて3重連。

 

【編成記録】『鉄道ピクトリアル』60号 昭和31年7月号p.26
「101列車編成 昭和31.5.26 上野駅にて(※日付は「昭和30.5.26」となっていましたが、これは誤植で、『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション5 国鉄ダイヤ改正 1950』(2004年5月号別冊p.81では「昭和31.5.26」となっています)。
C61 30[白]+⑬スハフ42 47+⑫スハ43 432+⑪スハ43 431+⑩スロ33 13+⑨スハフ42 46+⑧スロハ32 56+⑦スロ51 14+⑥スハシ29 103+⑤スハフ42 283+④スハ43 458+③オハニ63 1
C61は白河まで、⑬~⑧東ヲク、⑦~③仙セン、⑬~⑩秋田行、⑨~⑧青森行、⑦~③仙台行

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