多層建て客車急行「青葉」(2)

https://drfc-ob.com/wp/archives/131417#more-131417から続く】

◆『時刻表』昭和27年7月号によれば、7月1日から奥羽本線425レの釜淵発・大滝発時刻が1分ずつ遅くなり、及位発・院内着は逆に早くなり、院内終着は20:51になりました。また、8月号では、釜淵発・大滝発・及位発は7月号と同じですが、院内終着は20:54とあります。何故このようにコロコロ変化したのでしょうか。

 

【編成記録】『鉄道ファン』194号 昭和52年5月号 p.48
昭和27年7月15日下り急行“あおば”
C62 8+スハフ42 32仙ワカ+スハフ42 65秋アキ+オハフ33 50東オク+オハ35 909東オク+スハフ42 27仙セン+スハ43 77仙セン+スハ43 76仙セン+スハシ37 2仙セン+オロ36 16仙セン+スロ51 42仙セン+スハニ35 12仙セン
スハフ42 32…会津若松行   スハフ42 65…院内行   オハフ33 50~オハ35 909…青森行   スハフ42 27~スハニ35 12…仙台行

スハニ35 12はスハニ35形式のラストナンバーです。特急用として新製されましたが、計画がお流れになって仙台に配属されたスハニ35 10~12のうちの1両です。座席が固定式のため下り列車では後ろ向きでした。

 

◆昭和27年9月1日に東北・常磐線・北海道線時刻改正がありました。

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多層建て客車急行「青葉」(1)

昭和の昔、「青葉」という愛称の客車急行列車がありました。愛称が付けられたのは昭和25年11月で、その名のとおり、主に上野-仙台間の東北本線経由の急行でした。「主に」としたのは、運転区間が上野-仙台間だけではなく、上野発下りの場合、1編成中に終着駅が合計4箇所の客車を連結しているという、気動車も顔負けの「多層建て客車急行」だったのです。
東北本線経由上野-仙台間の昼行急行は、第二次大戦前からありました。また、戦後まもなく復活していますが、多層建てではありませんので、本稿では戦後の多層建てになる少し前から多層建てでなくなるまで運転時刻・編成等の変遷を辿ってみたいと思います。

 

◆昭和23年7月1日時刻改正で、上野-仙台間急行103レ,104レ、仙台-青森間不定期急行2103レ,2104レとして設定されました。
103レ 上野9:00-16:55仙台17:06-2:07青森 2103レ (上野-仙台間7:55)
2104レ 青森23:25-9:46仙台10:00-18:05上野 104レ (仙台-上野間8:05)

 

↓昭和23年7月1日改正 『旅客列車編成並びに客車運用表』東京鉄道局

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日光、下野の中継ぎ車両。205系600番台引退

2022年3月11日、宇都宮線(東北本線)の小金井~黒磯間と日光線で運行していた205系600番台が運行を終了しました。2013年の運行開始から10年足らず、走行区間も短いことからデビュー時の地味な印象な車両が最後まで拭いきれなかったと思いますが、205系のなかでも個性的なグループでよく見ると惹かれるものがあります。
東北本線の宇都宮から黒磯にかけて、かつて走っていた「北斗星」「カシオペア」の有名撮影地が点在する、首都圏から東北地方への雰囲気が色濃くなる区間という印象があります。関東平野の末端で活躍を終える車両を振り返ってみました。

日光連山を背景に走る205系。真横からは分かりづらいが、左は京葉線からの「メルヘン顔」、右は埼京線からの通常仕様の前面。

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芦花恒春園

京王電鉄京王線に芦花公園という駅があるが、最近この近くにマルーンさんの娘さんご家族が来られたとお聞きした。芦花公園は京王電気軌道時代は上高井戸と称していたが付近に都立芦花恒春園ができたこともあり芦花公園と改称して現在に至っている。マルーンさんには一度案内したく、私自身も行ったことがなかったので恒春園を訪問してみた。ここは作家徳富蘆花の旧宅やお墓が残されており、一帯は武蔵野の面影を残す立派な公園である。徳富蘆花と言えば兄徳富蘇峰とともに同志社の歴史には必ずと言っていいほど出てくる人物で旧宅前の碑にも京都・同志社で学ぶとある。九州・水俣の出身の小説家で「不如帰」で有名であるが読んだことはない。現地へは結構距離があり、短足老人の私なら20分はかかる。恒春園の環状八号線(通称環八)を挟んで反対側には明大ラグビー部八幡山グラウンドがある。同志社のラグビー部は明大、慶大、立大(立命館ではなく立教大)と定期戦を行っており、弱くなった最近は行ったことがない。

井原実さんが阪急京都線の高架事業を紹介されていたが、京王線では現在東京都主体の笹塚-仙川間の連続立体化事業が進行中であり芦花公園駅もその対象である。今は春の陽気で空がかすんでいるが寒くて空気が乾燥する2月頃は富士山が眺められる。

芦花公園駅はカーブしており、通過列車がやたらに多いがホームからも富士山が見られる。

うまくいかずまた失敗しました。恒春園は1月18日、駅は3月7日です。

「日本映画の鉄道シーンを語る」にDRFC登場!

日本映画の鉄道部分を解説するブログで「黒帯三国志」の登場する軽便はどこか?を当欄で紹介したら、遠州鉄道奥山線ではないかと投稿があったのでその旨を書き込んだところ、同じ軽便を使ったと思える「安五郎出世」という映画の解説が投稿されて、そこにDRFC会員と“米田作市”なる人物が紹介されているのでご覧下さい。

http://tetueizuki.blog.fc2.com/

こいしの萌黄色の電車

世の中暗いニュースばかりで疲れ切っています。そういう時にどですかでんさんのスライドショー的表現に興味を持ちまして真似てみましたが失敗したので従来の方法で用意しました。

2009.9.27 河内堅上-三郷 クハ200-64 奈良行き▼

2013.5.8 河内堅上-三郷 クハ103-197 快速王寺行き▼

2016.8.12  宇治-黄檗 103系京都行き▼

2019.4.18  棚倉-玉水 クハ103-225  京都行き

 

 

青春18きっぷの旅 2022年仲春 北東北へPart2 いざ出発!

第1日目 3月6日

① 長岡京8:03(JR快速)⇒8:30新大阪:40(リムジンバス)⇒9:10伊丹空港

昨夜、明日からの旅に期待して早くの午後10時には眠りについてしまいました。そのためか午前3時には目が覚めてしまって眠れない。2度寝すると寝過ごす心配もあって予約してある1本早い飛行機で新潟へと向かうことにしました。予約変更の手続きはとっていませんが早朝 7:10発のフライトなら満席には絶対にならないと踏んでいました。
4:40、予定していたJR新大阪経由ではなくJAL始発に間に合う阪急経由で長岡天神駅へと向かいました。

① 長岡天神 4:59(阪急)⇒5:20 南茨木 5:34(大阪モノレール)⇒5:58 大阪空港
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いとしの萌黄色の電車

 関西本線の湊町(今のJR難波)から奈良までが電化され気動車から電車になったのが1973年10月1日からです。このときから「みどり電車」(私はこのように言っています。)が走り出して48年になります。ちょっと気になるので色について調べてみると「ウグイス色」は茶色っぽい色でむしろ「萌黄色」が近いようです。私も「萌黄色」がピッタリのように気がします。その「萌黄色」の電車が白い車体の221系に置き換わっています。おおさか東線は2022年3月12日ダイヤ改正で完全に入れ替わりました。大和路線はまだ少しばかり残って普通電車で走っています。見たらラッキーという感じで、2024年には大和路線221系にすべて入れ替わるようです。それで今までに撮った「萌黄色電車」の写真をまずは大和路線で撮影した103系と201系の写真を

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今年はコンフィルから始めました。

 「コンフィル」とは?「コンデジ」があるならば「コンフィル」があってもおかしくない。「コンフィル」とはコンパクトフィルムカメラ、最近は全く見かけないがその代わりとなるのは「レンズ付フィルム」である。以外とこれはフィルムよりあちこちで売っている。イオン系のディスカウントストアでも売っているので手に入りやすい。と言うことで1個買ったので次は「写るんです」で撮ってみよう。さて、今回はコニカC35で撮った。撮影場所は懲りずに近くの生駒線。

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京都市電 展示会を開催します

総本家様と私、勘秀峰の京都市電展示会を下記日程で開催します。
感染対策を十分にして行いますので、よろしかったらお越しください。

特集 下京区を走った京都市電

*令和4年3月1日(火)~8日(火) 期間中無休
*11:00~18:00
*高瀬川 四季・AIRにて開催(西木屋町仏光寺下る)

京町屋ギャラリーで開催される3回目の今回は、ギャラリーが所在する京都市下京区にスポットを当てた写真・資料展です。貴重な写真・資料や最新取材も交えて、懐かしい市電ワールドをご堪能いただけます。

<主な展示>
定点対比 「下京の停留場 昭和と令和」~50年前の下京区、全26箇所の定点対比で、町の移り変わりをご覧ください。
写真展 「きょうと七条 市電通り」~さまざまな表情を持つ七条通り。生活に溶け込んだ市電のある懐かしい風景です。
レポート 「京都駅前にあったループ線」~昭和2年から27年までの市電ループ線を中心に京都駅前の古地図を披露します。
展示 「市電・市バス切符コレクション」~新作国鉄・JRコレクションを加え4冊のファイルをご覧いただきます。
(なお展示内容は変わることがあります)

会場は河原町仏光寺東入、高瀬川を渡る手前の細い通りを下ってすぐです。阪急京都河原町駅からも京阪祇園四条駅からも6~7分です。総本家様と勘秀峰のコラボ展示会へお越しください。

 

 

 

 

 

立体交差化工事中の阪急上新庄駅付近

2021年7月11日付「昭和の電車 改訂版(192)ー阪急2800系ー」https://drfc-ob.com/wp/archives/125554#comments

のコメントで、上新庄駅の地上駅時代と高架後の写真が披露されました。それに関連しまして、立体交差化工事中に撮影した何枚かをご覧にいれます。1974年4月24日の撮影です。列車はできるだけ2800で揃えました。

1.在来線に沿って東側に仮線を作り、旧線を立体交差化しました。旧ホームがあった北寄りに、内環状線を跨いで新高架ホームを作っています。この時点では高架新線はまだ片側(京都行)しかできていません。2817他梅田行特急。

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 1975年(昭和50年)の思い出〜北九州の夏

 西鉄北九州線の118型の記事から昔の北九州市の鉄道運輸が活発で、町に人も電車も溢れていた頃が懐かしくなりましたので、昭和50年に高校に上がった年の写真を出してきました。撮影は熱い8月のある日です。場所は鹿児島本線の枝光付近の複々線区間です。

ED72の牽く貨物列車

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写真展に行ってきました。

今日は総本家青信号特派員さんの写真展に行ってきました。今までいろんな写真展に出品されていましたが今回は個展で、これまでの写真展のいわば集大成として構成されていてます。過去にDRFCクローバー会の写真展も開催した祇園西利のギャラリー、会場の3階に上がり、エレベーターの扉が開くとまず目にするのがその圧倒的なボリュームです。100枚以上の作品が待ち構えていて、60年代の蒸機から始まり、四条通の京都市電、江若鉄道、叡電、などいくつかのテーマごとに展示されています。車両だけでなく人も一緒に写し込まれていて思わずにっこりとする写真もあります。一昨日から始まり、もうすでに歴代の会長はじめ、クローバー会のメンバーも続々来られています。会期は25日まで、皆様もぜひお越しください。

関三平先生からの年賀状

「昭和の電車」作者の関三平先生からカラーの年賀状が届きました。
ご存じのように、関先生は鉄道マニアであると共に迷路図作家として、かの有名な“日本迷路公団”総裁でもあらせられます。この年賀状にはその総裁としてのご高説が図面と共に発せられていますが、難解なので今回は鉄道部分だけを掲載して皆さんに読んで頂きます。

関東小ネタ続編

小田急VSEの引退は皆さん思いのほか興味を持っておられて大ネタだったかもしれないが、今年最後は正真正銘の小ネタです。関東でも行く人が少なく名前も相模鉄道と間違われやすいJR相模線。茅ケ崎-橋本間を1時間かけて走る全線単線の鉄道で3月の改正で205系500番台がいよいよ退役となる。そして朝夕3本あった横浜線八王子乗り入れも廃止される。個人的には青春18で東海道方面に出かける時はいつも利用していた線である。12月27日に見たところ6割くらいがE131系500番台に置き換わっていた。わざわざ撮りに行く人もいないと思うが、過去の拙作を参考に貼り付けさせていただく。

2018.4.3原当麻-下溝 菜の花を見て走るち茅ケ崎行きクハ205-511▼

2021.10.29上溝-番田 相模線100周年記念マーク付き茅ケ崎行き クハ205-501▼

2021.12.27入谷-海老名 新型クハE130-503茅ケ崎行き▼

 

関東小ネタ

スマホのニュースを見ていると2022年3月のダイヤ改正が連日報じられている。内容はいろいろあるがコロナの影響で全体には楽しくない方向に向かっているような気がする。鉄道会社も努力はしているがある面で現実を見て行かざるを得ないのだろう。

そのような中で小田急のVSE50000形の廃車には正直驚いた。先日LSE7000形の廃車があったばかりなのにという気がする。VSEは2005年製造でまだ18年である。美人薄命とはこの事かと思う。白っぽいボディに細い赤帯でスカートも白という粋な出で立ちで颯爽とした姿はその後製造された70000よりも格好よく見えるというのは私だけではないと思う。2022年3月11日で営業を終え、その後イベント等で使用し、検査切れになる2023年には正式に引退するようだ。車体構造や部品調達などいろいろあるようだが現在のところ2編成共に運用に就いている。今ならまだ撮れそうである。小ネタであるが衝撃の大きい廃車と思い過去に撮った50000形を貼り付けてみた。

2020.10.2 富水 ▼

2015.12.18 愛甲石田-伊勢原 ▼

2010.7.17 渋沢-新松田 緑の中を行く ▼

2014.4.2 座間-相武台前 桜花爛漫の新宿行き ▼

2021.1.1 渋沢-秦野 富士山が写るが同業者の混雑でうまく撮れない ▼

 

 

 

 

大和川続き

大和川は笠置山地から流れ出て大阪湾に注ぐ68kmの一級河川である。と人並みに説明を始めてみたが地図を見ると意外と多くの鉄道がこの川を渡っていることを改めて知った。残念ながら上流にはほとんど行っていないのが実情である。下流の南海、阪和線あたりであまりにも鉄道が近接し上流を楽観視した結果で反省している。宇都家さんからも期待していると言われ、できるならやってみろと言われているような気がした。撮られた方がおられたらお助け願いたいというのが正直な気持ちである。

さて、阪和線から上流に向かうとまず、大阪メトロの御堂筋線のあびこから北花田に向かう鉄道が川底下を通っているがこれは無理である。それにしてもこの下流のあたりは「我孫子」とか「浅香」のつく駅名が実に多く地理に不案内な人は間違いやすい。

次にいよいよ近鉄電車が出てくるが、最初は南大阪線の矢田-河内天美間である。河内天美の車庫は行ったことがあるが、鉄橋は未訪問である。続いて恥ずかしながら道明寺線の柏原南口-道明寺間も行ったかことがない。

やっと出てきたのが大阪線の安堂-河内国分間でここは超有名な撮影地であり2200系の頃にも一度行っている。写真は2009.9.27撮影の急行青山町行き8912。この車両は1981年からの製造の奈良線向け8810系列で大阪、奈良、京都、名古屋、山田各線で見られる。▼

 

次にJR関西本線(大和路線)高井田-河内堅上間で川の蛇行もあり2回渡っているが、ここも行ったことはない。

河内堅上は大阪からワンコインで行ける静寂の地である。同じ関西の保津峡や武田尾は新線に置き換わって昔の面影は失われたが、ここはまだローカル色が残っている。河内堅上から次の三郷にかけて大阪府と奈良県の県境がある。ここの鉄橋は蒸機列車やキハ35時代の写真を趣味誌でよく見かけた。鉄橋がカーブしていたような記憶がある。このあたりは亀の瀬渓谷と言われ風景が素晴らしいが撮影好適地が時々水害に見舞われるのは全国同じである。写真は2013.5.8 王寺方面に向う201系である。▼

 

奈良県に入りトンネルを抜けて左にカーブするとどですかでんさんの動画にある鉄橋があり、右にカーブすると三郷駅である。上と同じ日の撮影でその鉄橋を渡る103系の王寺行きでお昼近くになると太陽が真上に近くこのように車両がつぶれるがこの日はこれを目当てに行っていた。▼

 

三郷を出ると次は交通のジャンクション王寺である。大和川は王寺の街を懐を抱くように流れている。まず、JR関西本線がそして北側には近鉄生駒線が渡っている。関西本線は見ていないが、近鉄生駒線王寺-信貴山下は私の好きな単線片ポールの好撮影地で道路から見下ろしたり光線の具合に応じて好き勝手に撮れるところである。これも上と同じ日の撮影で1024先頭の生駒行き。1987年から使用のモ1021系で王寺を出た生駒行きである。▼

 

このあとは申し訳ないが全て未訪問である。一部でも撮っておられる方は発表をお願いしたい。参考までにその未訪問の橋梁は①近鉄南大阪線矢田-河内天美間、②近鉄道明寺線柏原南口-道明寺間、③JR関西本線高井田-河内堅上間2カ所④JR関西本線王寺-法隆寺間、⑤近鉄橿原線ファミリー公園前-結崎間、⑥JR桜井線三輪-桜井間、⑦近鉄大阪線大和朝倉-長谷寺間近接して2カ所、以上9カ所もある。

 

 

 

 

 

 

 

 二条駅 のすたるじあ

先日の投稿コメントにご感想を頂きましたので、平成元年(1989)の山陰本線二条駅の駅をじっくり観察した時の写真を出してみます。
今や梅小路蒸気機関車館も京都鉄道博物館の一部になり、その中のジオラマみたいな旧二条駅舎ですが、この頃は山陰本線の前身、京都鉄道のターミナルの風情や、広い構内に臨して青果市場があった名残りなども感じられました。

明治30年(1897)に開業し90年以上、この地に君臨した旧二条駅も撮影の翌年から高架工事が始まり、曵き家されて、1996年には梅小路に移築されました。

諸先輩の皆様の方がずっと思い出も多いと思いますが、現役最後の時代の風景をご覧になられてください。
撮影は北野の天神さんの帰りなので6月25日の夕刻です。

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