準特急氏が「保存蒸機とその現役時代」のタイトルで、保存機の現状と過去の活躍を紹介されておられるが、両方を撮影されているは50歳代後半から70歳代前半くらいの方ではないだろうか。
保存機の現役時代の雄姿は、準特急氏や特派員氏のように余程熱心に撮影していないと無理で、正にクローバー会ならではの内容である。
柏崎で保存されていた「D51-1」を紹介する。昭和24年2月日本車輌で新製され、ソビエト連邦国鉄樺太線用として輸出された機関車(D51-1~D51-30の30両輸出された)で、昭和43年頃までユジノサハリンスク(豊原)~ポストーチヌイ(元泊)間で使用されていたようである。
柏崎市出身で北海道交通の社長、北海道日ソ友好文化会館理事長をされていた柴野安三郎氏が柏崎市市制施行50周年を記念してロシアから買い戻し、柏崎市に寄贈された。
平成2年9月2日ホルムスク(豊原)港をロシアのカーフェリーで出発して、小樽港で日本の貨物船に積み替え、同月12日柏崎港に到着した。陸揚げ後整備が行われ、11月4日に保存場所の駅前公園芝生広場に運ばれ、18日に柴野夫妻、柏崎市長等関係者により除幕式が執り行われた。
ところが、車体断熱にアスベストが使用されていることが判明。車体の老朽化により飛散の恐れがあり、修復には多額の費用がかかるということで、平成23年6月25日に「お別れ会」を開催してあっさり解体されてしまった。
市の幹部に、機関車の歴史的価値、此の地に保存されている意義が理解できる人がいなかった悲劇であろう。尚、柴野安三郎氏は平成7年1月に永眠されている。
撮影は平成5年9月5日で、「ぶんしゅう旅日記」で時折お名前が登場する丸谷洋一氏にバスを含めてご案内いただいた。
サハリンのD51は、廃止された富内線振内駅跡の「振内鉄道記念館」にD51-23、標津線西春別跡の「別海町鉄道記念館」にD51-27が保存されている。