今の子供たちにとって貨物列車と言えばコキを連ねたコンテナ貨物のことなのですが、かつての貨物列車は多種多様な貨車が連なり にぎやかな鉄道風景を作ってくれていました。最近ではコンテナ貨物にカメラを向ける気にもならず、たまにレール輸送のチキ工臨に出くわすとラッキーと思ったりしています。チキ工臨のほかホキ800によるバラスト輸送のホキ工臨もあるのですが いずれも臨貨なのでいつ走るのかわからず、しっかり撮影したことがありません。一方 以前から模型の世界でもこのチキ工臨を作ってみたいと思っていたのですが、さすがにロングレール輸送の再現は難しいと諦めていました。ところが25m定尺レール輸送のチキ5200型があることを知り これなら作れると ネットの写真を集めてなんとかそれらしく完成しました。
2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part19 旧型客車乗り鉄旅
第9日目 1月16日 その1
6:00 今日は枋山での俯瞰撮影は諦めて、旧型客車乗り鉄旅に変更です。旧型客車が始発する枋寮の時刻を確認して、乗車する列車まで一仕事です。
まだ夜が明けぬ中、出発の準備だけはして橋の袂で1番列車を待ちます。しかし、切望していた雲のない空ではなく、日の出とのツーショットは難しそうです。
▲ 6:44 台東発新左營行きの自強號302次が金崙站を通過してきました。
DR3000系の9両編成です。
▲ 7:01 変更前に乗車する予定だった高雄発台東行きの區間車3514次が橋を渡ってきましたが、日出は無理で朝焼けも今一でした。R120号機が牽引する電源車を入れての8両編成です。
大阪地下鉄60系
出羽三山東麓・電車とバス
1959年9月14日、一日かけて福島市内をうろついた。4台続行に遭遇した事を須磨の大人に後日話したら「5台やぞ」と言われ、ぎゃふんとなったことがある。彼の5台続行は先日「デジ青」で紹介された。福島電鉄2車庫訪問後、峠越えで山形(出羽国)に足を延ばした。米沢20:24定着とメモがあり、駅で銭湯の在処を聞き汗を流した後でそばを賞味したとなっている。駅員に1晩お世話になりますと断り熟睡している。翌15日、7:32発、糠ノ目7:48着となっている。山形交通高畠線訪問なのだが、午後訪問の山形交通三山線を紹介しよう。
三山線は奥羽本線の支線、左沢(あてらさわ)線終点より2駅山形寄り(東)の羽前高松から寒河江(さがえ)川支流沿いに三山電鉄として建設された。1926(大正15)年12月23日、海味(かいしゅう)迄8.8kmが開業した。その後上流の間沢(まさわ)へ1928(昭和3)年9月17日延長された全長11.4kmの軌間1067粍、架線電圧600Vの電化線であった。1943(昭和18)年10月1日陸運統制により、三山電鉄を中心に山形交通となった。訪問時、車両は貨車を除くと1)木造4輪電動車101~103号、2)木造ボギー式付随客車104号、3)木造ボギー式電動車105号、4)鋼製ボギー式電動客車106、107、111号の陣容であった。
「江若鉄道の思い出」展
来年の話になりますが、大津市歴史博物館の企画展で江若鉄道が取り上げられます。
前回、平成18年7月~9月にかけて「ありし日の江若鉄道-大津、湖西をむすぶ鉄路―」として企画展が行なわれました。この時は聞くところによると、歴史博物館の企画展で過去最高の入場者数を記録したそうです。その好評に答えてか、詳しい内容についてはまだ公表されていませんが、来年3月7日(土)~4月12日(日)までの間、第66回企画展「江若鉄道の思い出」と題して、当時の写真、思い出話など様々な資料が紹介されるようです。
江若鉄道のイベントと言えば、忘れてはならないのが、西村先輩が2年にわたって製作され、浜大津スカイプラザと、大津市公会堂で計3回展示された、江若鉄道沿線と浜大津付近のジオラマ、今回も会場で見られることを楽しみにしています。詳しい内容分かりましたらまた続報させて頂きます。まずは御一報。
今頃26
藤本哲男さんが平成26年に因んで26号の車両を紹介され、「藤本さんならではの企画」と大変好評でした。その後蒸機の26号はどうですかと当人に打診したところ「ええんとちゃうかー、京阪や小田急の2600でもかまへんでー」と言われた。そこで節分も過ぎた今の時期で旬の話題から外れているが大型蒸機ハドソン型C62、C61、C60の26号機をとりあげてみた。何れもただ走っているだけの凡作であるが、当時関西では見ることができない大型旅客機を見るだけで感激していた頃が懐かしい。尚、C6226は長い間弁天町に鎮座していたが、近く別の場所に移るとか。
C6226[下関] 昭和23年川崎 ボイラD5246
1963.3.27下関 名古屋発603列車急行「阿蘇」熊本行き▼
C6126[仙台] 昭和23年日立 ボイラD51198
1965.9.3一ノ関 隅田川発荷物45列車青森行き▼
C6026[鳥栖] 昭和35年浜松工場改造 元C5940
1964.4.2鳥栖 長崎発2列車特急「さくら」東京行き▼
2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part18 花蓮から金崙へ
梅小路公園便り その訂正と補追
先日「梅小路公園便り」として、整備が進む梅小路公園の現況と、いよいよ姿を現した保存市電の勇姿を投稿致しました。
この件に関して、久しぶりの大雪に見舞われた午後、交通局からわざわざお二人の方がお出で下さり意見を交換致しました。 続きを読む
2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part16 探せナロー車両、花蓮鉄道文化館へ
第8日目 1月15日 その1
朝、台北桃園空港に向けて北上される準特急さんを見送ってから、千住のヤスベーさんとTaxiに乗って鉄道文化館へと向かいました。目的はかつて花蓮站前に展示してあり動態復元なったというナロー蒸気機関車やDCたち探しです。
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8:40、花蓮鉄道文化館に到着。
玄関前には日本統治時代をしのばせる松の木が植えてありました。
続きを読む
梅小路公園便り
以前に旧京都市電の保存車両が、梅小路公園内に展示されると報告しましたが、先日、補修が完了したようで無事公園内に設置されました。
また、同時に当欄も含めて京都市交通局と“やりあった”N電は、動力バッテリー化が完成し展示運転用線路も敷かれて試運転を迎えるのみとなっています。
営団地下鉄6000系
小さなDD作りました
先月DD40を作ったのですが、パワートラックの味をしめて、今月に入ってからもう1両DDを作りました。中部電力が大井川上流の井川ダム建設用に 昭和29年に私有機関車として日立に作らせたDD104~DD106の35Ton機です。実機は中部電力が大井川鉄道に運転管理を委託し、ダム完成後の昭和39年には104が上武鉄道へ、105,106が東濃鉄道笠原線に移って、それぞれの廃線まで活躍しました。私は昭和45年に上武、東濃でこの3両に出会っていることと、何と言っても地をはうような独特のスタイルに惹かれて模型化してみました。まだ塗装前で、上武機にするか東濃機にするか決めていませんが、恥ずかしながらご披露致します。
2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part15 DR2700系を追う、花東線・花蓮
第7日目 1月14日 その2
① 知本10:40(自強號303)→12:09瑞穂
隣に座っていた若者は台東で降りられて特別個室は、私一人になりました。
汗びっしょりになっていたので濡れた服を脱いで、窓を開けて乾かします。
窓から顔を出しての車上からのロケハンを続けておりますが、乗車している自強號は玉里までは無停車です。不覚にも途中で心地良くなってしまいました。
時折意識が飛んでいきます。
それでも頑張りながら菜の花畑を探しますが、特別席とはいえ運転台のある反対側が見えません。
6月電化を控えて路線も曲線を避けての新線に替わってしまっている区間もあり、花東線のパンフやネットで見ていた良いロケーションの場所は確認できません。 
当初は台東~玉里のどこかで撮影しようと思っていましたが、仕方ありません。もう少し北上を続ける事にしました。 時刻表とにらめっこして、まずは瑞穂まで行く事にしました。
カレチさんからは、再び補票を買い求めます。
「びわこ」をめぐる不思議
朝日新聞記者に数枚の「びわこ」の写真を渡した。いずれも1959年11月3日撮影のもので、場所は皆さんおなじみのところである。老人が推薦したのは今回「デジ青」掲載のものだったが、記者は保存車63号とした。露出は曇天であったのでF5.6・1/250だったと思う。ピントが甘い。この日、60型は3両とも運転されていた。京都三条大橋に63号は石山寺から、62号は浜大津から、61号は浜大津から菊人形号として、いずれも急行でやってきた。老人は61号が三条駅に入構するや自転車で四条へ移動して停車中の姿をキャッチしていた。
老人が60型を始めて目にしたのは1946年秋である。父親に連れられ大阪に行く道中、枚方駅構内で留置中の63号を眼にしたのである。既に兄から連接車の存在を教えられており、その63号を翌年秋に三条通をチョコレート色の巨体揺らして走るのを見たのであった。この頃、三条花見小路東入る耳鼻咽喉科医院に週2~3回通院しており、医院は17時開院で、それに向け三条通を歩いていたのであった。
昭和の電車/奈良電鉄デハボ1100系・近鉄モ600系に寄せて

橿原線西ノ京~尼ヶ辻間を走行する600形4連の西大寺行/(44-5-18)
関 三平氏の「昭和の電車シリーズ」は近鉄ファンらしく「奈良電鉄デハボ1100系・近鉄モ600系」からスタートした。
DRFCの多くの近鉄に詳しい方を差し置いて解説を試みた。
近鉄600系
タイトルとは逆になるが、近鉄600系から解説する。
尚、詳細な資料が実家に眠ったままで、手許にないため、中途半端な解説なったことをご容赦いただくと共に、詳しい方の補足をお願いしたい。
昭和10年と戦後の23年~25年に新製された奈良線用として新製された車両で、スタイルは10年製が2タイプ、戦後製も2タイプ存在した。
形式は電動車がモ600形、付随車がサ500形、サ550形、制御車がク520形である。
付随車のサ500形とサ550形は、サ501以外は新製当初は両側に運転台があり、ク500形、ク550形であったが、先頭に出ることがないため、30年に撤去され付随車化されている。
ク520形は、有料特急車モ18000形を新製時に、モ600形の623、625、631、633の電装品を撤去して誕生した形式である。
モ18000形は車体、台車こそ新製であるが、電装品は中古品で1500Ⅴ昇圧までHL制御車であった。
昔の塗装で走ります。

500形をイメージした塗装に変更された1000形9編成/ (26-1-31) 天王洲アイル~大井競馬場
近年、会社の節目の年に旧塗装を復活させるケースがしばしば見られる。年輩の人からは懐かしく思われ、その塗装を知らない世代の人にとっては新鮮に映り、良い企画と思われる。
9月13日に開業50周年を迎える東京モノレールと1月18日開業90周年を迎えた都営バスを取り上げた。
東京モノレール
平成元年~8年に新製された1000形6両編成16本、平成9年~14年に新製された2000形6両編成4本が在籍している。
今年9月13日に開業50周年を迎えるにあたり、1000形の第9編成(1031―1036)を昭和44年から平成3年まで運行されていた500形をイメージした塗装に変更した。
平成19年に1000形第4編成(1019―1024)を開業時の塗装に、昨年6月には第15編成(1085―1090)を登場時の塗装に変更している。
2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part14 知新を撮る
今日の朝は手作りの美味しい朝食がでました。写真を撮っておくのも忘れての完食でした。この民宿はお母さんと娘さんがサービス業務をしておられました。
親子2人で一生懸命におもてなしをしようとする気持ちが随所で伝わってきます。
初めて台湾の民宿に泊まりましたが、一般のホテルでは味会う事が出来ない温かみを感じさせてくださいました。ありがとうございました。次回も必ず宿泊したいと思いました。よろしくお願いします。

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台東站まではわずか500mほどですが、荷物があるからと言って、車で送迎までしていただけました。
ここまでしていただければ100点満点の120点です。6つ星民宿ですね。
この民宿花園玟瑰民宿の宿泊料は、Aboda予約で1部屋7,353円。直接のメールでの予約もOKです。勿論、ご推薦します。
山口線、山陰線の復旧は今秋
2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part13 金崙で撮る旧型客車たち

17:30 台東站に戻って待合コンコースを散策していますと、ひと際目立つ和服姿のお嬢さん、2人がお買い物をされているのを発見しました。え~、なぜに台湾で和服姿を見られるのだろうかとビックリとしました。
初めは日本人のお嬢さんかと思い、日本語で話しかけましたがキョトンとされましたので、中国語に切り替えて自己紹介をしてから写真を撮らせて欲しいとお願いしますと、気さくに応じてピースポーズまでとってくださりました。 数枚を撮りました内、縦位置全身を今回の紀行記の冒頭を飾らせていただきました。
こちらは、どっちにしようかなと迷ったもう1つのショットです。カメラ撮りに慣れたお嬢さんでした。きっとモデルさんかタレントさんでしょうね。今回の旅でお会いした中でも1番お綺麗なお二人でした。 夜に再会した千住のヤスベーさんにお見せしますと、「タイのウドンタニも美人が多く見とれてしまったが、是非とも自分も撮りたかったなあ。」と残念がっておられました。 続きを読む
2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part12 釈迦頭、太麻里を撮る、旧型客車
木にぶら下がっているボコボコとした実です。これは、なんだと思われますか?
12時過ぎ、チャーターしたTaxiの運転手の楊さんは、撮影場所を移動する準特急さんと不銹鋼號さんを山の麓まで送って行かれました。ついでに昼食を食べてきたいと申されましたので、団長さんの指示で100元(約360円)を気持ちですと言ってお渡ししました。
1時過ぎに戻って来られますと、「食べてください」と、初めて見る表面が凸凹した果実がたくさん入った袋を渡してくださいました。
食べ方が分かりません。不思議そうに見ていますと、割るように申されます。
割ってみますと、中には白い果肉が現れました。ねっとりした果肉を口に運びますとクリーム状の歯触りで、まろやかな甘みが溢れてきました。これは美味しい! 中には大豆大の黒い種子が入っていますが、これはペエッと、捨てます。
台湾での名称は、釈迦頭と言うそうで、言葉のとおり何となく似ていますね。調べてみますと、バンレイシ科バンレイシ属の植物またはその果実で、原産地は西インド諸島、ペルーなど中南米。台湾では、17世紀にオランダ人によって持ち込まれ、今では台東・花蓮県の名産品になっているそうです。今日乗車した莒光號からの車窓から見た果樹園では、白い袋に入れて栽培していましたが、これだったのですね。
この釈迦頭は、運搬には崩れやすいので細心の注意が必要で、長期保存もできず残念ながら日本には殆ど輸入されていないそうです。
花蓮の站前では、釈迦頭の産地直売会が開かれていました。5~6個入った値段を聞きますと、200元(約720円)です。Taxiの運転手さんは、昼食代にお渡しした100元の倍返しでした。
お写真と名刺を入れておきます。太麻里に来られましたら、是非にご利用ください。
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