大阪市営地下鉄、半世紀前

大阪地下鉄開業80周年イベント、100型の展示。新聞で見、どんな様子かと思っていましたら、大津の86さんが紹介して下さいました。
そこでこちらは、古い写真を引っ張り出します。
1号線あびこ-梅田間。まだ新大阪駅までが開通する前、1962年3月15日撮影です。
下の2枚は心斎橋駅。
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天井から大きなシャンデリア。この様子は現在も変わっていないようです。
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こちらは、1号線の終点梅田駅。比較的空いている時間帯の様子。
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混雑している時間帯。阪神電車との連絡口のある、梅田駅南側(なんば寄り)の階段上から眺めた様子。まだ島式ホームの時代で混雑の様子が判ります。
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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part 13 ヤンゴン

第8日目 3月30日 

02_駅02_駅構内202_駅構内302_駅構内1▲ ミャンマー鉄道、総延長約5400キロの中心のヤンゴン駅は、英国植民地時代に建築されています。駅舎は東と西ホールに分けられていて天井が高く立派な駅でした。
今日は、皆さん疲れておられますので、駅構内をざっと見ただけで、まず食事をとった後はホテルへと向かいました。
02_駅構内 続きを読む

大阪市営地下鉄80周年イベント

先日、スルッとKANSAIの3dayチケットというのを買って今日はその2回目、今までなじみのなかった南海沿線に行って来ました。淀屋橋から難波に行く地下鉄の中吊りで大阪地下鉄80年のイベントがあり、その中に今日から中之島の大阪市役所玄関前に地下鉄旧100形が展示されると書いてあったので、帰りに寄ってみました。この車両は大阪地下鉄開業当時に使用された100形車両の内の1台で、昭和44年に現役を退いた後、105号車のみが静態保存されています。2005年に大阪市指定有形文化財に指定され、住之江にある緑木検車場に置かれて、イベントの折には一般公開されているようです。今回大阪地下鉄80年のイベントに合わせ、4月27日の夜にトレーラーで運ばれ、市役所の正面にすえつけられました。同時に市役所ロビーではパネル展も行なわれていますので、お近くに行かれた際に、寄ってみられたらいかがでしょうか。但し、展示は車体だけで、台車の代わりに台の上に置かれているのはちょっと興ざめですが・・・

車両の展示は今日から5月24日まで、パネル展は4月15日~5月17日の9:00~17:30となっています。IMG_3888 IMG_3891

台湾一周駆け足旅行(3)

<3月22日>高雄⇒太麻里⇒台東⇒鹿野⇒關山⇒玉里⇒花蓮

三田会のお三方は早朝の列車で海を入れた撮影のため枋山に、続いてSさん、Tさんは遅れてどこか途中下車で撮影のため出発。私は高雄駅の新旧対比で駅周辺を撮影することにした。高雄駅は地下化工事でこれまた激変しており、撮影は厳しい。旧駅舎は現在の駅舎に向かって右側、高架橋を越えた場所に移築されていた。年配者や警察で旧駅舎にあった位置を確認したが、どうも現在の駅舎は旧駅舎よりもやや左側に建てられたようである。

1968.3.20 小さくて見難いが人力車やボンネットバスらしきものが見られる↓s-63.3.20高雄駅舎

2013.3.22 現在の高雄駅 旧駅舎は右手高架橋のあたりにあったとのこと↓

s-13.3.22高雄駅舎

2013.3.22 移築保存されている1940年建造の旧駅舎↓

s-13.3.22旧高雄駅舎

駅周辺の撮影後9時25分発莒光751次で太麻里に向かう。途中で撮影を終えたSさん、Tさんと予定通り車内で落ち合う。Sさんは母君がこの近くの屏東で育ったとのことで、先年家族旅行をされているほか台湾には何度も足を運んだとのことで詳しい。因みに私の母は4年前に亡くなったが、これから行く花蓮の生まれである。さて、太麻里には定刻12時2分に到着したが、台鉄も事故でもない限り定刻を守っており、東南アジアのどこかの国のようなことはないので有難い。太麻里もSさんの案内で10分ほどで有名撮影地に着く。先日このあたりがテレビ放映されたが、山に上がれば上るほど海が入るので次回のチャレンジコースにしたい。

太麻里~知本 自強231次 新左営発樹林行き 12両もつながり慌てる↓

s-13.3.22太麻里231次 続きを読む

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part12 キハ47、181、183系発見、ミャンマーの蒸気機関車、マンダレー~ヤンゴン夜行列車の旅

08_マンダレー駅808_マンダレー駅9▲ マンダレー駅ホーム端にある水汲み場にボトルを持ってきていたお嬢さんたち、ちょっと振り向かれた時に出ましたはにかみ笑顔、久しぶりに見させていただきました。

 

第7日目 3月29日 その2
マンダレー 17:00(D4n)→9:15 ヤンゴン

08_マンダレー駅308_マンダレー駅615:15、マンダレー駅に到着しました。2階駐車場から構内を見ていますと見慣れたカラーのDC2両が入線してきました。飛ぶようにホームに向かいました。

2両のDCは2011年にJR四国から譲渡されたキハ47系です。

キハ47-116→RBE2571
キハ47-117→RBE2572
と、改番されていました。

車内を見たかったのですが、制止させられました。
列車は2時間遅れで到着したそうで、乗降が終わるとすぐに折り返していきました。
制止はそのためでした。
ドアは開けっぱなしで去って行きました。
行先は時刻表がなく分かりません。

08_マンダレー駅008_マンダレー駅108_マンダレー駅4▲ 車庫を覗くともう1両が留置されていました。

キハ47-1087→RBE2574
3両とも車体制限のため屋根上のベンチレーターは撤去されていました。
JR四国からはもう1台が譲渡されています。
こちらはヤンゴンに配車されているそうです。
キハ47-503→RBE2573

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part11 マンダレー

07_踏切1 マンダレー駅周辺のロケハン途中の踏切前でお会いした洗濯をしていたお嬢さん。明るくさわやかな笑顔で答えてくださいました。それにしてもマンダレーの皆さん、昨日と同じく愛想良く元気です。またきたくなりますね

第7日目 3月29日 その1
マンダレー 17:00(D4n)→9:15 ヤンゴン

02_朝食2 02_朝食▲ 6:30、清々しい朝を迎えました。欧米人もかなり泊まっておられたSwanHotelでの朝食です。欧米人や我々にも口に合うような各種メニューが用意されていました。ほっとしてたくさん食べましたが、しばらくするとお腹の調子がおかしくなりました。Nさんも同じで、どうも二人とも食べ合わせが悪かったようです。私は正露丸を飲んで強制的に治めましたが、Nさんは持参されていた別の薬が効かなかったのか、重症になられました。一方のO氏はとても元気で人間性だけでなくお腹も違っておられるようで頑丈です。旅の途中での腹痛は大変です。今日はスタートで失敗しました。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part10 ナムツからマンダレーへ その2 マンダレー駅

02_空港前12_edited-102_空港前13▲ Paleik分岐駅で遊んでいた子供たち。底抜けに明るく踊って、お得意のポーズで決めてお迎えしてくれました。

第6日目 3月28日 その2
① ナムツ6:55(チャーター車)→8:55シッポー駅10:10→14:43マンダレー空港
② マンダレー空港14:50→パレイク駅16:15マンダレー駅

01_メイヨー1シッポー駅を出発する1日1本の列車の発車を撮ることなくマンダレーへと急ぎました。往路では途中で渓谷を上下する急ないろは坂がありました。車体が長いトラックは急なカーブを曲がるのは大変で、片側通行になって大渋滞しました。ここを超えるのがネックになっています。
運転手さんも飛行機に遅れてはいけないと渋滞を心配されておられましたが、復路では渋滞がなく無事通過しました。ほっと一安心でした。

01_メイヨー312:50、順調に走り続けてメイヨーに到着しました。メイヨーは植民地時代からの避暑地で海抜は約1000mもあります。ここからマンダレー空港までは100数10キロです。これでフライト時間には間に合います。これなら大丈夫とネイトンさんは申され、市内のとあるレストランに入りました。

01_メイヨー4▲ ドカ~ンと今まで食べていなかった料理の数々が出てきました。これがミャンマー料理なのでしょうね。美味しくいただきました。

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E233川越線試運転

午後から悪天候が予想された26日、205系を撮影に指扇~南古谷に行ったら、10人くらいの先客。何でも新車試運転とのこと。そう言えば、大宮や川越車両センターでも見かけたのでいよいよ205系を追い出すことになるのか。番号は7001であった。INUBUSEさんから埼京線と横浜線が近々E233に置き換わるとの報告があったのでとこのことだと思った。

s-13.4.26指扇E233

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part9 ナムツからマンダレーへ その1 シッポー駅

05_シッポー駅19▲ シッポー駅ホームの上で葉っぱに乗せたクーンと呼ばれる噛みタバコを売っていた少女。初めはとても恥ずかしそうで、中々表情を引き出せませんでしたが、お話をかけながら何枚かシャッターを切っていくうちに自然と、はにかみ笑顔が出ました。カメラに慣れていない素朴な表情がとっても素敵でした。
05_シッポー駅27▲ おばあちゃまにしっかりとおんぶされた可愛いお孫さん。べちゃこい笑顔は我が家の孫にそっくりです。思わず両手を差し伸べました。

 

第6日目 3月28日
① ナムツ6:55(チャーター車)→8:55シッポー駅
② シュポー駅10:10→14:43マンダレー空港→16:15マンダレー駅

01_朝食6:30、今日の朝食はパンではなく麺です。さっぱりとした味付けは日本人好みです。美味しく召しあがらせていただきました。
6:55、今日は朝からナムツを出発してマンダレーへと向かいます。マンダレー空港でM1さんとM2さんを見送りますが、当初予定していた時間よりフライトが1時間も早くなっていますので急ぐことになりました。 01_ナムツ→マンダレー地図701_時刻表▲ 赤線が移動した軌跡です。O氏がGPSロガーで記録されたDATAをいただきました。

国鉄線とはほぼ平行していますが、車窓からはほとんど見えず踏切を渡る時に分かる程度でした。
帰路のどこかで走行写真を撮ってみたかったのですが、急いでいました。初めてで車窓からのロケハンもできていません。従って走行写真は撮れずでした。

まあ、1往復の運行しかなく、待ち受けも遅延が日常的ですので、よほどラッキーでないと撮れないのが現実です。
次回の機会ができましたら、終着のラショー駅ナムツ鉱山鉄道の休止線沿いを辿って、ナンヨー駅も寄ってみたいですね。

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デジ青、クローバー会写真展の写真掲載のお知らせ

クローバーでは活動の一環として写真展を開催しております。
不定期開催ですが、今までに開催をしました4回の作品の数々をデジタル青信号に掲載いたしました。トップ画面のツールバーのクローバー会をクリックして、リンクをお選びいただきますと写真をご覧いただけます。
現在第1回目を掲載中です。2回目以降は現在制作中ですので、お待ちください。
デジ青_edited-2デジ青3

三岐鉄道北勢線立ち寄り記

東員走行
東員~大泉間を走行する クモハ272+サハ147+クモハ172

2月28日名古屋での所用が午前中に片付いたので三岐鉄道北勢線を訪れた。同線を訪れたのは2回目で、前回は何と半世紀近く前の京阪沿線の高校時代、昭和40年5月9日である。

手早く昼食を済ませて近鉄名古屋駅から12時1分発松阪行急行に乗車。電車は5200系4連+1810系2連の6両編成であった。「この電車は伊勢中川で大阪上本町行急行に連絡します」のホームのアナウンスを耳にして名阪連絡急行が健在であることを再認識した。実際に伊勢中川では1分接続で上本町には15時14分に到着する。桑名には僅か20分で到着して暫くホームで撮影後、北勢線西桑名駅に行き「三岐鉄道1日乗り放題パス」を購入した。1日かけて両線を往復すると完全に元が取れるが、今日は阿下喜往復のみである。それでも行きは阿下喜まで直行し、帰りに東員で途中下車したため、通常運賃は460円+300円+300円=1060円となるため元は取れた。

13時5分発の阿下喜行に乗車。クモハ273+サハ142+サハ136+クハ141の4両編成で学校帰りの高校生でほぼ満席であった。在良で上り電車クモハ276+サハ135+クハ134と交換、次は東員で上り電車クモハ272+サハ147+クハ172と交換と車両振替えがあり全員下車。乗ってきた電車は車庫に引き上げ、替わりに入線してきたクモハ271+サハ146+クハ171に乗車。ここまで来るとさすがに乗客は少なくなりローカル線の風情となってきた。楚原でクモハ277+サハ201+サハ101+クハ202の連接車編成と交換して1時間丁度で阿下喜に到着した。
阿下喜駅では美しく整備された元モニ226が保存展示されており感激した。帰りは楚原で降りて「めがね橋」で撮影しようとも思ったが、今回は車両中心に撮影して半世紀の空白を埋めることと連接車を撮影したかったので東員で降りた。ここは阿下喜方面の電車が綺麗に撮影可能である。約1時間撮影後再訪を約して西桑名行電車に乗車した。

北勢線が近鉄から地元の三岐鉄道に経営移管後、電車の増発、駅の統廃合、駅舎の改築、パーク&ライド、キス&ライド施設の設置、車両の冷房化等乗客を増やすための様々な努力は大いに評価できる。近鉄時代減少が続いた乗客数は微増に転じているが赤字解消にまでは至っていないようである。
現在の最高速度45㎞/Hを70㎞/Hに引き上げる計画で、車両の工事は完了しており地上の工事が進められている。

平成15年4月1日、三岐鉄道は地元自治体と10年間の約束で近鉄から運営を引継ぎ、今年3月末で10年が経過した。4月1日より10周年の記念乗車券の発売、電車にヘッドマークの取付け等が行われており、約束期間満了により廃止ということにはならない。次の10年こそが正念場で、今後いかにして定期外客を増やすことが課題となるが、「軽便鉄道」と東員以遠の自然を売り物にすることにより可能と思われる。銚子電鉄やひたちなか海浜鉄道のように東員~阿下喜間を旅行会社のバスツアーコースに組み込んで集客するのも一案である。そこで一旦ボツになった下津井電鉄の「メリーベル号」の活用も是非検討をお願いしたい。

車両について
電動車(クモハ)9両、制御車(クハ)5両、付随車(サハ)11両在籍し、3両固定編成4本、4両固定編成3本に組まれている。
編成は下記の通りである。(斜字は冷房車)
←阿下喜
クモハ271サハ146クモハ171
クモハ272サハ147クモハ172
③クモハ273-サハ142サハ136クハ141
④クモハ274-サハ144サハ137クハ143
⑤クモハ275-サハ138クハ145
⑥クモハ276-サハ135-クハ134
⑦クモハ277-サハ201-サハ101-クハ202

撮影した車両を中心に解説する。
クモハ270形(271、272) クモハ273形(273~276)
クモハ277形(277) クモハ170形(171、172)
近鉄時代の昭和52年北勢線近代化のため、モ270形(271~276)6両、ク170形(171、172)2両が近畿車両で新製された。従来電動車が付随車を牽引して終着駅で電動車を先頭に付替えるスタイル(機回し)から、電動車を阿下喜側、制御車を西桑名側に連結することにより機回しが不要になった。制御車の不足分は付随車の改造で補った。
平成2年に1本残っていた旧形車を置換えるためモ277が増備された。座席が阿下喜向き1人掛けのクロスシートとなり方向幕の幅が広くなった。

三岐鉄道移管後、モ271(17年5月)、272(18年6月)の運転台寄り動力台車をク171、172の連結面の台車と振替えられ自重の分散化が行われ、称号がクからクモハに変更された。
18年8月にクモハ272編成、12月にクモハ271編成が冷房化された。冷房装置が室内に置かれたためその部分の窓が埋められルーバーが設けられた。
クモハ273~277は連結されているクハが改造車のため、台車の振替え及び電装品の搭載が不可能で、冷房装置を搭載すると重量オーバーとなるため、連結相手のクハとサハのみに搭載され自車への搭載は見送られた。そのため、クモハ273~276と車内の仕様が異なるクモハ277は別形式となった。
また、クモハ276、277編成は現在のところ冷房化はされていない。

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京成電鉄3300形リバイバルカラー車、寅さん電車引退

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    高架前の高砂~柴又間を走行する青電編成/(22-11-23)

京成電鉄3300形は4両編成8本が普通列車で運行されていたが、今年2月から3月にかけてリバイバルカラー3本(全車両)と寅さんのラッピング車が相次いで引退し、残り4本となった。
引続き金町線、千葉線等で運行されているが見る機会は大幅に減少した。特に金町線は以前は2本とも3300形のことが多かったが、2本とも3500形のことがあり乗車、撮影には注意が必要である。
ここ最近の3300形の動きを写真でまとめてみた。

2月15日寅さん電車運行終了/ 3320+3319+3342+3341(前2両44年2月日本車輌、後2両47年2月汽車会社製)
平成18年7月より葛飾区がスポンサーとなり「寅さん」のラッピングが貼付されていた。
 柴又駅の高砂寄りポイント通過/ (25-2-11)
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モハ3319 / (24-7-15) 柴又~高砂
3319寅
   モハ3342 / (24-7-15) 柴又~高砂
3342寅

 2月18日青電編成運行終了/ 3356+3355+3354+3353(47年3月汽車会社製でラストナンバー編成)
京成電鉄創立100周年記念行事の一環として平成21年6月に塗替えられた。過去この色の3300形は存在しなかったが意外によく似合っていた。
初日の6月30日上野発金町行の臨時特急が運転されたこともよき思い出である。(平成21年7月7日【3541】「京成電鉄創立100周年記念列車運転」を参照)
最終日の運用は、津田沼6時16分→上野着7時12分、同発7時17分→芝山千代田9時11分、同発9時15分→成田9時25分の普通列車であった。
柴又~高砂/ (21-11-23)
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柴又駅発車/ (21-11-23)
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台湾一周駆け足旅行(2)

<3月21日> 台中⇒二水⇒車埕⇒集集⇒二水⇒嘉義⇒北門⇒タクシー⇒嘉義⇒高雄⇒MRT西子湾⇒高雄

虎尾サトウキビに代わり集集線乗車、嘉義で阿里山鉄道北門まで乗車、自強号で高雄に向かい、時間があれば高雄港の鉄道故事館に行くという乗り鉄に変更。

集集線乗車というよりも始めての台鉄支線乗車経験である。二水からは日本車両製DR1019に乗車。室内灯にはカバーがつき運転室横まで座席スペースがあり、そこは特等席。今にも雨が降り出しそうな天気の中、2705車次は8時3分定刻に二水を発車。8時50分に車埕に着く。折り返し9時00分までの10分間で駅舎やディーゼルロコを撮る。後でわかったことであるがここは以前ゼミ旅行の時宿泊した景勝の地日月潭の入り口である。

集集線車埕駅9時00分発車直前の2706車次台中行きDR1006↓

s-13.3.21車埕1006

 

車埕から二つバックし集集駅で本日唯一の走行写真を撮る。走行写真と言ってもどなたか以前ここへ来られた方の情報で駅からものの5~6分も歩けば南国ムードの景色が撮れる。集集駅は日本のローカル駅そのもので、付近にハイキングコースでもあるのかお土産屋があり観光地のムード。駅前には阿里山シェイ22号が屋根付きで綺麗に保存され、若者ハイカーが盛んにシャッターを切っていた。

集集駅舎 日本のどこにでも見られた懐かしい駅舎↓

s-13.3.21集集駅

集集駅前保存の阿里山森林鉄道22号シェイ↓

s-13.3.21集集22

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part8 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第3日目 その2 グース出動

30_洗う少女▲ グースが走る渓谷、岩肌から注ぐ水で洗い物をしていた少女。声をかけると、こちらを向いてくださいました。ちょっぴりと、はにかんだ笑顔はとっても素敵でした。ナムツ鉱山鉄道沿線で撮れた1番のショットです。

ナムツ鉱山鉄道 第3日目 3月27日 その2

ナムツ鉱山鉄道の指令所を出ますとリーダーのO氏より鉱山鉄道の管理者との話し合いの結果を皆さんに説明されました。
「 昨日の山火事発生で皆さんは大変心配されたと思います。昨日はあれほどの事態が起こるとは予想だにしていませんでした。皆さんが思われている通り、今日も昨日と同じように42号機を走らすと、昨日同様かそれ以上の災害が発生するかもしれません。
列車運行の責任は鉱山鉄道側にありますが、主催者は我々です。我々にも多少とも責任が生じる以上、危険は避けるべきとのご意見が出ました。極めて乾燥をしているこの時期の42号機の走行は止めた方が良いのではないか。我々は、代替案として皆さんの希望が出てきたグース運行を提案したい。 と、申し上げました。すると、管理者も案じておられたのか安堵の表情を表され、直ぐに上司に電話連絡をされた結果、許可が出ました。管理者は我々が心配じている以上に案じておられたようです。それと、一昨日はスイッチバックまでしか行けませんでしたが、今日はグースでその先まで行けることになりました。費用についても追加請求はありません。
」と、我々が思っていた以上の回答を引き出されたことをお聞きしました。

さすが大手鉄鋼会社の現場長を務められただけの人格者です。如何とも言い難い交渉力でもって鉱山鉄道側を説得、納得させられたのでしょうね。皆さんも万歳です。
01_グース1それからの鉱山鉄道側の対応は、非常に迅速に始まりました。
休日にも関わらずグースの運転手の呼び出し、グースの燃料の手配をして、10:37、グースはデルタ線に入って機回し準備完了となりました。
01_グース201_グース301_グース4▲ グースの駆動部分ですが、伝動ベルトには三ツ星ベルト(本社神戸市)製が使用されています。日野トラックといい、こんな所で日本製に会えるとは感激でした。

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名鉄パノラマカー7000系

手元に1961年7月号の「鉄道ファン」があります。そう、これは創刊号です。
最初のグラフページは、奥中山のカーブを通過する80系はつかりの試運転写真でした。次のページは特急さくらの20系、その次のページにはc62+D52で瀬野―八本松をあえぎながら上る特急かもめ、「この付近にもポールが立ち並び、この写真もいまや記念すべきもの・・」との湯口大先輩のコメントが。その次の見開き2ページには夕闇迫る山科の大カーブを通過する特急第二つばめ、人間国宝・佐竹大先輩の作品です。

さて、この記念すべき創刊号の表紙を飾ったのが新製まもない名鉄7000系でした。
オレンジバーミリオンという色調も、この時初めて知りました。中学生にとって名古屋がまだ遠い異国の地に思えた時代でした。

名鉄7000系_NEW名鉄7000系(文)_NEW

台湾一周駆け足旅行(1)

昨年4月に続き趣味仲間Sさんのリーダーシップのもとで台湾鉄路をまわってきたので報告する。今回は、鉄研三田会の3名の方を含め、合計6名で途中適当に離散集合を繰り返しながら、撮り鉄、乗り鉄、飲み鉄を楽しんできた。個人的には1968年(昭和43年・中華民国57年)3月にゼミ旅行で訪台した時に別行動で撮影した場所への再訪が目的の一つであった。45年前の拙文は当時の青信号に掲載されているので今でもお持ちの方は参照されたし。

<3月20日> 羽田⇒台北松山⇒MRT⇒高鉄台北⇒高鉄台中(台鉄新烏日)⇒台鉄台中    ※ 高鉄は高速鉄道で台湾の新幹線、台鉄は台湾鉄道で在来線、MRTは地下鉄

旅の初日は台中である。当初虎尾のサトウキビ列車の予定であったが直前に運行終了の情報が入り、やむ無くホテルはそのまま台中とし、翌日以降の計画は練り直しとなった。高鉄の台中は台鉄の新烏日で、台中までは区間車で10分程度であった。早速、昔撮影した台中から烏日までを車窓から注意していたが、道路ができ、建物がびっしり建っており写欲を失う。古いセピア色の写真を持参してきたので失礼ながら台中の駅長室に飛び込み少しでも昔の撮影場所の雰囲気が残っていないか質問してみた。何せ45年まえのことで誰もよくわからず、逆に訪問を歓迎されてしまった。李駅長の話によると1917年にできた駅舎と駅ホームなどはそのままであるとのことでこのあとしばらく駅での撮影を行った。この日は虎尾の最後の撮影に間に合った大津の86さんが帰国前日であるにもかかわらず私達が投宿するホテルまで来てくれた。大津86の名前の由来、台中は出張等で度々来られたこと、海外のこと、DRFCのこと等を歓談したがあっという間に時間が過ぎてしまった。

 

上:台中駅到着のDR2700系 2001車次光華号台北発高雄行き 1968.3.23 9:26↓

下:ほぼ同じ場所での127車次自強号E1031基隆発高雄行き。 ホームは嵩上げされている。2013.3.20 16:14↓

s-68.3.23台中光華号

s-13.3.20E1031自強127次

 

上:台中駅南下ホームより台北方向を臨む。CT165(8620)と弁当売りのおばさん。1968.3.20 9:20↓

下:ほぼ同じ位置であるがCT165の位置に機関車現れず。左の区間車は韓国大宇製500系電車嘉義発后里行き。右の側線は高架化工事なのか無くなっていた。後方の車庫も無くなっていた。ホーム上屋の柱は昔のまま。2013.3.20 16:20↓

s-68.3.23台中CT165

s-13.3.20台中

 

歴史記念物の1917年製の台中駅。45年前も基本的に同じ姿であった。↓

s-13.3.20台中駅舎

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part7 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第3日目 その1

02_市場5▲ 市場には、商品を卸す元気なおばちゃまたちが来られます。頭に乗せられるのは竹で編んだ籠です。この中に商品を入れて運んでこられます。主に新鮮野菜類です。カメラを向けると、はにかみ顔で答えてくださいました。

ナムツ鉱山鉄道 第3日目 3月27日 その1

01_運搬車今日はナムツ鉱山鉄道撮影の最終日です。迎賓館で朝食後、7時にナムツ駅に着きますと変わった車がありました。小型の人力運搬車のようですがちゃんとブレーキも付いていて、重量物も積めるしっかりとした造りです。
職員の皆さんは竹を積んで押して行かれます。

01_運搬車201_運搬車3▲ 勾配区間に入るとみんなで押します。後方左はナムツの町の唯一の市場です。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part6 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第2日目

01_子供1▲ ナムツ駅構内で遊んでいた姉妹。仲の良い満身の笑顔はミャンマーに来て初めて見ました。01_子供2▲ タイガーキャンプのデルタ線にある大きな木の下で直射日光を避けてくつろぐ親子。穏やかな姿の中に強い信念を感じました。 ナムツ鉱山鉄道 第2日目 3月26日 6:24、今日は、朝の機関区の様子も分かったので、迎賓館で朝食後に出発することにしました。 01_朝食02_ナムツ駅1▲ 7:09、ナムツ駅に行きますと職員の皆さんは仕事を始めておられました。 今日は、昨日タイガーキャンプに残した13号機と、42号機との初めてのツーショットが狙いです。昨日はタイガーキャンプに着くのが遅く温かくなったので煙が出ませんでした。今日は途中での撮影は止めて、タイガーキャンプへ直行するように打ち合わせました。 03_42号機1▲ 7:13、雲間から朝日が見えてきました。朝日に照らされたグースのボンネットの向こうに42号機の煙が上がりました。 続きを読む

江若鉄道ジオラマ、雄琴温泉で展示さる!

P1090428sy本日から「琵琶湖グランドホテル」で公開・展示された西村さん制作の江若鉄道ジオラマ浜大津・三井寺下ブロック。過去のスカイプラザ展示での感動が甦ってくる。車両もフルラインナップで展示、また江若鉄道関係の資料も閲覧できる。

以前に大津の86さんから報告のとおり、西村雅幸さん制作の江若鉄道ジオラマ浜大津・三井寺下ブロックが、「大津百町大博覧会」の旧大津市公会堂会場でメイン展示されました。多くの来場者が訪れ、去る4月14日に幕を閉じました。会場では、来場者が感想や思い出を書いて自由に貼り付けることができます。そのコメント数が、群を抜いて多かったのも、その人気ぶりが伺えました。

そして、この浜大津・三井寺下ブロックが、そっくりそのまま雄琴温泉「琵琶湖グランドホテル」で展示されることになり、当特派員も、さっそく本日朝の9時に同ホテルに参上し、様子を見てきました。

ことの発端は、クローバー会のtuuyanの高校時代の友人である、別の雄琴温泉の旅館業の方から、「琵琶湖グランドホテル」での展示を勧められたものです。同ホテルの社長さんは、江若鉄道沿線で生まれ育ち、江若鉄道には人一倍の思い出を持っておられ、しかも、鉄道模型にも造詣が深い方と、管理・展示していただく相手としては申し分ない方で、西村さんも、この申し入れには二つ返事で快諾。大津市公会堂での展示終了後、雄琴まで運搬、tuuyan・大津市歴史博物館の協力も得て設置完了し、本日の公開を迎えました。

期間を限定しない、“半永久”展示であり、今後多くの皆さんに江若鉄道を偲んでもらうことが出来るでしょう。ここでも、クローバー会のネットワーク・協力が発揮され、浜大津・三井寺下ブロックは最高の舞台に収まりました。

P1090423syホテルのロビー奥の土産店に展示された。土産店の営業中は自由に見学できる。閉店中でも、奥のガラス仕切りを通じてロビーから見学できる仕組み。管理としては、言うことがない。なお、ホテル内には、湖西線を走っていた「雷鳥」485系のプレートがさり気なく飾られるなど、鉄道好きの社長さんのこだわりが見える。

P1090420sy場所は雄琴温泉街の琵琶湖側、JR湖西線おごと温泉駅から歩いても15分程度、すぐ近くに江若鉄道の雄琴温泉駅もあった。展示場所としても、この上ない絶好のロケーションだ。tuuyan制作のトーマス9mmレイアウトもあり、子どもたちも大満足。

“なにわ”の赤バス、消える 〈4〉

C 130330_136sy夕方の南海難波駅前で、ただ一台ポツンと発車を待つ、赤バス「浪速西ループ」。「浪速東ループ」とは連続運行になっている。

駅と赤バス

“赤バス”ルートの経由地は、駅、区役所、病院が3点セットになって、複雑な運行ルートを形成していた。生活者重視、なかでも交通弱者の高齢者向けならではのルートだった。その中から、鉄道との出会いとして、駅と絡めた写真を並べて、“赤バス”の終わりとしたい。

さて、大阪市バスの今後の行く末だが、地下鉄事業とともに、交通局の民営化基本方針案が示されている。市バス132路線のうち、3月までの赤バスで26路線廃止、一般バスも2014年3月末には17路線を廃止し、89路線に集約したうえで事業を売却し、2014年4月から民間運行を開始する。地下鉄も2015年度から民営化するという、

大阪市交通局に、日本の公営交通としては、かつてない大変革が迫っている。

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