駅名喫茶店(第3回:会社名(私鉄)を冠した駅名)

駅名についての小話でほっと一息つける場所、それが駅名喫茶店です。皆様のおかげで、毎日繫盛しております。コメントもたくさん頂戴し、まさに喫茶店ぽくなってきました。

さて、今回は会社名(私鉄)を冠した駅名です。既に同名の駅名が存在する場合に、会社名をつけることが多いようです。地元の近鉄が1位だと予想しましたが、果たして結果は。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -8-

近郊私鉄のBlue Moment、つぎは京阪。狙い目は、天満橋の東、大川(旧淀川)と寝屋川の合流地点で、土佐堀通を越える人道橋「大坂橋」からの光景です。この場所も、明るいうちから何度も行ったところです。中之島線の開業後、眼の前に見える、乗越橋を行く電車が飛躍的に増えて、以前より、写しやすくなりました。大坂橋から見ると、川の向こうが、梅田方面になり、夕方ともなると、ビルの照明、天満橋もライトアップされて、美しい都市景観となる。手前に大柄な架線柱があるから、ビル影のなかに取り込んで、空に突き出ないような工夫が必要。電車を大きく見せるなら、淀屋橋行き限定になる。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -7-

日没後のわずかな時間しか見られないBlue Momentの空、それを写すには、季節、時間帯を変えて、足繁く通うしかありません。その点、本数の多い関西の私鉄は、格好の対象となります。問題は、どこで撮るか‥です。やはり、大きく開けた鉄橋以外に、手は考えられません。阪急で、鉄橋の代表と言えば、淀川鉄橋に尽きる。夕方になると、十三のネオン街を抜けて、淀川の河原へ降りて、草叢を彷徨ったものだ。空が青くなって来ると、対岸の梅田のビル街がシルエットに浮かんで来る。

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駅名喫茶店(第2回:旧国名を冠した駅名)

(2023年1月22日 16:07修正)

駅名についての小話でほっと一息つける場所、それが「駅名喫茶店」です。開店日は気まぐれです。

さて、今回は旧国名を冠した駅名の数が気になり、調べてみました。例えば、美濃〇〇といった駅名です。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -6-

京都鉄道博物館では、一年に数回、夜間開放の「ナイトミュージアム」が行われ、梅小路蒸気機関車庫も公開されて、自由に撮影することができました。ところが、最近は様子が変わって来て、人数限定でカメラメーカーの新製品デモ・撮影会となったり、団体主催による有料撮影会になってしまいました。“有料”がいまやノーマルになってしまった鉄道現場の見学・撮影会ですが、入館料金だけで誰でも気軽に入れた以前が思い出されます。博物館の展望ロビーから、Blue Momentに包まれた、ライトアップされたラウンドハウスを見る。

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駅名喫茶店(第1回:〇〇市は私鉄に多いのか)

(2022年9月20日8:37 修正)

「駅名」にまつわる小話でほっと一息つける場所、それが「駅名喫茶店」です。前回、駅名にまつわる投稿をしたところ、興味を持ってくださった諸先輩方がたくさんいらっしゃいましたので、めげずに適宜投稿していこうと思います。さて、今回は〇〇市(〇〇し)についての些細なお話です。

立派な南海の駅だが、JR線もお忘れなく

立派な南海の駅だが、JR線もお忘れなく

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -5-

米手さんの応援コメントに勇気づけられて、Blue Momentを続けます。地元での“夕練、叡電を載せたあと、つぎは嵐電となります。線形を見ても、ほぼ東西に走っていて、夕方の空を入れるのに適しているように思われます。ただ人家が建て込んでいて、空を大きく取り込める場所がなかなか見つかりません。朱塗りの駅舎の「車折神社」、文字どおり車折神社が真ん前にあって、明るいうちも撮影ポイントが多い。小倉山の向こうに陽が落ちる頃も、なかなかの雰囲気になって来る。赤い柱、神社の樹々もアクセントになる。嵐電は、後部から写すと、運転室の暗幕が下りているため、灯りが片側だけになってしまうのが痛いところだ。

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駅名が好き

「奈良の駅名研究家」というのはハンドルネームであり、私はプロの研究家では全くございません。ただし、駅名の魅力に惹かれているのは間違いありません。

昔から路線図を眺めて駅名や各種別の停車駅を覚えるのが大好きでした。それが今に繋がったといっても過言ではありません。

駅名は、その土地周辺にまつわる歴史やエピソードを知るきっかけを私たちに与えてくれます。そこで、デジ青でもそろそろ駅名にまつわる小話を投稿していこうかと思います。

三岐鉄道の伊勢治田(いせはった)駅、同じ三重県には名松線の伊勢八太(いせはた)駅があります。 続きを読む

 亀山駅から歩いて ある碑を見に行く

9月4日に行われたクローバー会の三岐鉄道ツアー、孫のような現役生も参加して、三世代相当の参加者が乗り歩きを楽しみました(その様子については、伝言板〈会員限定〉に奈良の駅名研究家さんからの報告があります)。終わってからは、桑名駅前で年寄り限定の懇親会を行い、参加者は20時ごろの列車で帰宅しましたが、私だけは一泊して、翌日、ある目的を持って、JR亀山駅に降り立ちました。紀勢本線に沿って、鈴鹿川を渡り、歩くこと20分で、どこでも見られる、地方の集落のなかにある、中村公民館という、地域の集会所前に着きました。

 

紀勢本線の始発、亀山を出て、鈴鹿川を渡り、下庄トンネルに入る手前をJR東海のキハ25が行く。今から77年前の終戦直前、この付近を走っていた亀山発鳥羽行き列車に向けて米軍機による銃撃事件があった。

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お城と電車(5)大坂城

日本の三名城をご存知だろうか。バカにするなと言われそうだが大坂、名古屋、熊本が三名城である。江戸城や姫路城は該当しない。では大坂城は誰がつくったか? 現在見る大坂城天守は昭和6年に大林組がつくったものである。石山本願寺攻めの信長が本能寺の変で亡くなった後に、秀吉がつくったのが最初の大坂城と言われている。その秀吉の城も大坂夏・冬の陣で埋められてしまった。なお、秀吉の野面積み(石をあまり細工せずにつくった城郭初期のころに見られる粗野な石の積み方)の城は現天守とは少し離れた場所から発掘され確認されている。今日見ることのできる大坂城の立派な遺構は家光の時代のものである。

さて、大坂城はwakuhiroさんに紹介していただいたが、私が撮ったのは京阪電車の旧片町駅~天満橋駅間の辺りで大阪市電の京阪東口路線の最後の頃1968.4.30である。京阪電車はスーパーカーと思うが大阪市電は3001形か2601形か車両型式はよくわからない。何れにしても今は撮れない風景と思う。

大阪環状線には大阪城公園という駅があるからには、高いビルでも登れば大坂城を俯瞰できる場所があるのかもしれない。どなたかご存知のスポットがあれば教えていただきたい。

 

 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -4-

極めて限定された時間帯にのみ可能なBlue Momentの撮影、天候にも左右されて、そうそう撮れるものではありません。感性を磨くためにも、近場でお気に入りの場所を見つけて、季節も変えて、足繁く通う必要があります。そのような意味で、今回は地元の京都で写した例を見ていただきます。とくに、これから紹介する叡電沿線へは、市から支給される敬老乗車証を使えば、無料で現地まで連れて行ってくれます。“朝練”ならぬ“夕錬”で腕を磨くことにしました。叡電鞍馬線の高野川鉄橋、高校生の頃からよく通ったところだが、この時間帯に目覚めたのは、ごく最近のこと。画角のなかに夕陽が落ちていくから、快晴だと、Blue Momentの時間帯なのに、山の端はまだ赤く、微妙なグラデーションが期待できる。鉄橋がそれほど長くないから、2両より、単行が良い。また河原からあおり気味に撮るから、下回りを浮かせて撮るためには、複線の手前の上り線限定となる。それらの条件で絞り込むと、こちらも限定的になる。

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ギャラリー機能のお知らせ

昨今の掲示板のアップデートにて、画像ギャラリー機能などが追加されています。数十枚単位で画像を投稿したい場合などにご活用ください。

スライドショーには JavaScript が必要です。

↑ギャラリー機能の一例です。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -3-

続いて冬の北海道ならではのBlue Momentを見ていただきます。この2018年、注目したのは富良野線の西中という駅でした。これには伏線があって、2011年、ぶんしゅうさんと一緒に北海道へ行った時、富良野線で撮影して、西中駅も訪れていました。名も無いような無人駅ですが、一面草原のなかの木組みのホームが気になって、いつか季節を変えて再訪したいと思っていました。改めて時刻表と、日没時刻を照合すると、西中駅で思い描いた撮影が可能かと分かり、宗谷本線に続いて、富良野線の乗客になっていました。目指す西中駅は、富良野から40分ほど、まだ明るいうちに下車した。周りはずっと雪原が広がっていて、向こうのほうに、人家の灯りが見えるだけ。ただ、ひたすら最適の時刻を待つ。2月にしては、それほどの寒さでもないが、写真に見える2畳ほどの待合室に入って、身をかがめて、その時刻を待った。▲▲2011年訪れた、初夏の西中駅、「お立ち台通信」にも載っていないような無人駅だが、伸びやかな周囲の風景がずっと気になっていた。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -2-

夏の終わりから一転して、冬の北海道へ飛びます。Blue Momentのもとで列車を撮る場合は、当然のことながら、限られた時間帯に列車が来ることが絶対条件で、事前の調査が不可欠です。この年の北海道行きは、Blue Momentの面白さに目覚めた時でした。昼間の撮影は適当にして、この時間帯に集中することにしました。第一日目、昼に千歳に着いて、足が向いたのは宗谷本線でした。旭川発名寄行き329Dが、その時間帯を走り抜くことが時刻表から読み取れ、日没時刻から計算して、最適の駅を塩狩としました。15時前の列車で塩狩に到着、実に50年ぶりの塩狩下車だ。名物のラッセルが停車していて、待ち時間を有効に使うことができた。次第に周囲が暗くなって、雪のなかのBlue Momentを迎えた(以下、2018年1月)。

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 青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -1-

写真展を終えて、一服しているところです。こんな時こそ、久しぶりの旅行をと思うのですが、連日の不順な天気では、その気も失せてしまい、相変わらず引き籠もり生活が続いています。いっぽうデジ青も、「カビが生えたような写真は止めて、色付きの写真でも載せたらどうや」の声に対抗できる新作はほとんどありません。それならばと、数年前から、密かに(?)温め続けていたテーマを、今回、公開しようと思った次第です。と言っても、「またか」の発表済み写真もありますが、「デジ青テーマは無限、タテで切ったら、ヨコにも、斜めにも切れる。もっと横断的なテーマを」と吹聴した当事者としては、これもアリかなと思った次第です。

テーマは、Blue Moment(ブルーモーメント)。日没後に一瞬だけ訪れる、空が青く染まった時間帯です。デジカメの普及で、アプローチしやすいテーマとなり、写真用語では「マジックアワー」とも言われています。ここ数年、意識して、“青い時”を求めて、写した記録をランダムに見ていただきます。

夕景でも夜景でもない、日没後の5分程度見られる“青い世界”、撮影には事前の計画も大事だ。遠くへ出かける気力・体力がめっきり減退した高齢者体質となったいまは、自宅近くの鴨川での“夕練”が日課になった(8月30日撮影)。

 

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岐路に立つ西武の黄色い電車

西武鉄道といえば、黄色い電車。このイメージは関西の鉄道ファンも持っている認識かと思います。
実はその数は少しずつ、でも確実に減ってきています。

西武のイメージカラーを纏う新2000系(左奥)と旧2000系(右)。旧2000系は本線用8両編成が引退し、風前の灯に。

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青春18で巡る四国3日間(その6最終回)

キハ32の4918Dと交換、伊予上灘。

(青春18でひたすら帰る)

今回、初日はキハ40系、2日めはとさでん交通、そして3日めの8月15日はキハ185系3100番台と決めていました。北伊予で3100番台628Dの回送を撮ると、もはや特に狙うものはありませんが、せっかくのなので、松山地区でしか見られないキハ54型と宇和海の2000系を撮ります。月曜日なので、新装なったキハ185の2代目の伊予灘ものがたり号を見ることが出来ないのが残念です。 続きを読む

3年のご無沙汰でした。第9回クローバー会写真展「鉄路輝く 私のお宝写真」

 巷では「3年ぶり」という枕詞が大はやりです。クローバー会写真展も「3年ぶり」です。場所は今までと同じ京都四条通り祇園にある「ぎゃらりー西利」で、期間は8月17日から23日まで7日間です。写真展の準備も今までですと現役生のBOXでプリントを写真フレームに取り付ける作業などをしていたのですが、BOXで大勢の人が集まることが禁止されているので作業にも従来と違う方法を行う必要がありました。とにかく無事に開催できてほっとしています。ではどんな感じだったかというと

 

 

 

 

Web版 第9回クローバー会写真展 作品集    「鉄路輝く」

Web版 第9回クローバー会写真展 作品集     「私のお宝写真」

Web版 第9回クローバー会写真展       追悼展示 沖中忠順さんをしのぶ

第1回から第8回までの写真展はTOPの「写真展」のタブから入ることができます。または下記のURLをクリックしてください。

https://tetsurokagayaku.web.fc2.com/index.html

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「近鉄特急」がきっかけ

皆様がDRFCに入会したきっかけは何でしょうか。

私の場合、高3の時に手にした「田淵仁著 近鉄特急(上・下)JTBキャンブックス」が、同志社大学鉄道同好会OB会との初めての出逢いでした。

カラー写真が満載で、税抜き1600円と決して安くはありませんでしたが、近鉄好きということもあり、奮発して上下巻2冊とも購入しました。

その書籍を手にすると、「同志社大に合格したら、絶対に鉄道同好会に入るぞ!」と思った次第です。

DRFC OB会会員(役員)となった今、今度は新規会員を集める立場となりました。些細なことがきっかけで、入会に繋がることはよくあると思います。そういった「きっかけ」作りを日々考えています。

 “ナメクジ”に 魅せられる  (6)

貨物列車を牽く“ナメクジ”

本シリーズも最後となりました。今回は、“ナメクジ”が本領を発揮した貨物列車を牽くシーンです。旅客を牽いた前回と比べて、さすがに多くの写真を撮っていました。いまの動態D51は旅客ばかり牽いていますが、やはり、D51は貨物を牽く機関車だったと改めて思います。その中の“ナメクジ”ですが、全国分布は、前回に記したとおり、東北・北海道に多く見られました。機構上、集煙装置を取り付けられないことと、第一動輪の軸重が少し軽く、勾配区間ではあまり好まれなかったようですが、それでも、全国的に“ナメクジ”の牽く貨物列車が見られました。最終回に当たり、改めて“ナメクジ”と標準型の差異を並べて見た。左:D51 61[尻] 初期グループの半流線形、1~85、91~100の95両がいた。右:D51 164[戸] 給水温メ器を煙突前に置いた、“デゴイチ”の代名詞、日本の蒸機の代表的スタイル。これ以外に戦時タイプの1001~1161の161両がある。両者を比べると、“ナメクジ”は煙室端面にRがあるが、標準型は角型、煙室扉の取っ手は、“ナメクジ”は両側の2個、標準型は片側1個。

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