【84671】写真展での発見

先の花見小路での写真展の最終日に会場にお邪魔し、片付けを手伝いもせずに退散致しました。準備、片付けをして頂いた皆様方に感謝申し上げます。さて力作揃いの写真の中で 山科の人間国宝が南米ペルーで撮影された写真がありました。その中の1枚を見て「アレッ、ひょっとして!」と目が釘付けになりました。了解を得て記録撮影して帰ったのがこの1枚です。

右端の緑色の機関車にご注目!

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【84664】水没橋修整

#84524西村雅幸氏「三重。岐阜の旅(3)」に出てきた可動橋に関し、80.6歳老人が禿筆を以ってコメントしたギリシャの水没橋が、メーターゲージの鉄道橋と記したのは全くの記憶違いで、単なるケチな道路橋でありました。TVアナではないが、「謹んでお詫びし訂正致します」。

ギリシャは間違いなくヨーロッパ大陸だが、その南部ペロポネソス半島は、6キロ足らずだけでつながっているため、コリントス運河が掘削され、東のミルトア海と、西のイオニア海を結んでいる。上の写真のように切り立った崖で有名で、これだけ掘り下げるのは大変だったろうが、メーターゲージの国鉄線がこの鉄橋を渡り、国道と高速自動車道路がそのすぐ横で渡っている。運河の幅はさして広くないから、当然通過できる船もそう大きくはない。
この運河の西端は全くの平地で、シケた地方道がその河口(運河だから河口とは言わないか。要は西口)を渡っているのだが、その橋の中央桁を船の通行時水没させるのである。

これが完全水没直前の件の橋桁。



その通過時間中―詳しくは忘れたたが、1時間以上待たされたか。何しろここで渡らないと、国道まで戻らなければならないし、結構面白かった記憶がある。
何分河口?だから、ここだけ運河底を掘り下げたと思われるが、確かに安上がり工法ではあろう。しかしあんまり他では見られない景色であった。
という訳で、鉄道とは全く関係ない橋でスンマヘン。


【84654】 地図を携えて線路端を歩いた日々 -7-

夕方の西舞鶴駅、盛大な煙を吐いて、重連の牽く列車が発車して行った。まだ暑さが残る。窓は全開だ(昭和45年8月)。
B地点〈西舞鶴〉
つぎの撮影地はB地点、と言っても駅間ではなく、西舞鶴の駅構内です。機関区の所在する西舞鶴へは高校生時代に訪れて以来、何回か行き、宮津線への乗換え時間に発着する列車も撮影してきました。駅は宮津線用の切り欠きホームも含む二面四線構造、西側に機関区、東側に広大な貨物側線があり、地方の中枢駅の典型的な駅構造でした。また地図を見ても分かるように、臨港線や工場の引込線が多くあり、貨車の出入りも活発でした。

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【84635】広島から小ネタ2題

またしても中国新聞ネタです。ひとつは三江線関係です。以前にもご紹介した廃止後の資産の処分問題です。

平成29年5月13日 中国新聞朝刊

平成29年5月24日 同紙

どう考えても「タダほど高いものはない」わけで 慎重姿勢は当然でしょう。✖✖学園や〇〇学園をこういう土地に建てれば 安上がりで かつ地方創生になるのでは?

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【84618】三重・岐阜の旅(4)

塩浜からバスであすなろう鉄道泊駅に向かう途中 予定していなかった南四日市駅での山九DB20との出会いに気を良くして泊駅まで歩き、あすなろう鉄道全線に乗車しました。今年4月に下津井で保存中のナロー電車に乗り込んでいたとは言え、現役のナロー電車は久しぶりの乗車体験で興奮しました。各車両とも更新工事が施され、車内のフロアスペースを犠牲にしてエアコンを設置したり、紫外線カットガラス?にするなどサービス向上への取組みの跡が見られました。きれいな車体とは不似合いな吊掛けの何とも言えないモーター音を堪能しました。あすなろう鉄道にも満足し、近鉄富田へ向かいました。三岐鉄道に乗り換えて、まず車庫のある保々で下車。短時間ながら、車庫周辺を歩いて 居並ぶ電機を撮影しました。セメント列車が運休期間中なので、多くの電機が休んでいました。

ここで珍しいものを見つけました。

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【84604】 地図を携えて線路端を歩いた日々 -6-

“昼寝”している寝台車を活用した全車指定の海水浴列車、臨時急行「はしだてビーチ」。冷房付き客車はグリーン車、寝台車、食堂車に限られ、座席車では皆無だった時代、いちばん暑い時期に冷房付きの列車に乗れるのは画期的で、乗車率も高かった。舞鶴線内は福知山区のC57が牽いた(昭和44年8月)。

A地点 〈真倉付近〉
写真展も終わって二週間余り、まだ高揚感が覚めやらぬところですが、少し間の開いたデジ青投稿に集中することにします。「地図と撮影地」シリーズの第二回目は、京都からは日帰り圏内の舞鶴線真倉~西舞鶴~東舞鶴としました。高校生の時から機関区訪問で西舞鶴などに下車することはあっても、駅間の走行中を撮影に行ったのは、昭和44年の大学2年の時でした。添付の地図は、その後に購入の多色刷りですが、当時買った地図は、まだ右書きの一色刷りの旧版地図で、未知への土地へのイメージを大きく膨らませたものです。

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