▲ 昨夜就寝前に外を見ましたら白いものが舞っていました。ひょっとしたら今日は白い朝になるのではと期待していました。6時前に起床、カーテンを開けて窓の外を見ましたが残念ながら濡れた路面が見えるだけです。雨に変わったようでした。
7:04 福井駅前、朝焼けがわずかに残る中、静かに発車を待つ急行越前武生行きです。 続きを読む
▲ 昨夜就寝前に外を見ましたら白いものが舞っていました。ひょっとしたら今日は白い朝になるのではと期待していました。6時前に起床、カーテンを開けて窓の外を見ましたが残念ながら濡れた路面が見えるだけです。雨に変わったようでした。
7:04 福井駅前、朝焼けがわずかに残る中、静かに発車を待つ急行越前武生行きです。 続きを読む
いよいよ帰路となりました。今日はボスニア・ヘルツェゴビナのトゥズラのホテルから陸路をセルビアのベオグラードへ、ここで飛行機に搭乗してドーハ経由にて帰国します。ただドーハに着くのは深夜で空港に一泊、翌日の午前便で羽田に向かいますがここでも深夜着で空港近くの平和島温泉に宿泊しての帰宅となります。何と2泊3日もかかります。
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▲午前18時24分今回最後の撮影は最初の日に訪れたバノヴィチ炭鉱鉄道のヤードでの2回目の夜撮です。83-158号機と前回(25-30号機)と違って55-99号機が用意され、55-99号機は1段上の路線に停められました。
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▲ 33-503号機と33-504号機が重連で牽引する重量運炭列車です。撮りたいと願っていた列車ですが、最後の日に用意されていました。
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朝1番で着いたのは昨夜、夜撮を行った留置・検査場です。33-504号機はここで一泊したようで、留め置かれていました。昨夜降った雨がヤードにも水たまりを作り、黒い車体を写していました。
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▲ Banovici駅で迎えてくれたのは、1948年製の19-12号機です。思いっきり爆煙を吐いてくれました。Class33と違って煙室扉はお椀形でハンドルも付いています。この方がしまった顔に見えます。
石炭満載の運炭列車をチャーターしてのフォトラン開始です。牽引機は約6,000両も製造されたDR52形の33-504号機、正面の煙室扉が平面で真ん中にハンドル設置がないので美しさに欠けますが、戦時設計とあれば仕方ないですね。力強さでは負けません。よく現役で生き残ったものです。
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降りしきる雨の中、標準軌とナローゲージとの路線が混在するバノヴィチ駅ヤードで19-12号機と82-119号機が揃っての並走シーンを見せてくれました。チャーターするからこそできるシーンです。
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▲ 「容姿の事を言わないでください。齢はとりましたがまだまだ若い者に負けず元気一杯に石炭満載の重量運炭列車を牽引します。」と言っていますClass62-111号機です。
Class62は元々アメリカ生まれで、第2次世界大戦の米国陸軍輸送隊(USATC)で使用されたClass-S100を基本設計としています。62-111号機は、Đuro Đaković of Slavonski Brodで製造されたC形タンクです。
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▲ 12:10 昼食はボスニア風お好み焼き(サンドイッチかも・・)屋に入りましたが迎えてくださったのは目鼻立ちのはっきり整ったボスビア美人のお姉さんです。
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ぶんしゅうは乗り鉄、撮り鉄が大好きな鉄ちゃんです。年々少なくなってきた希少の蒸気機関車やトラムを求めて世界各地へと飛び回ります。今年も海外からの報告が多くなると思いますがよろしくお願い申し上げます。
今回の旅で驚かせられたのはカタール航空乗継でのドーハ空港のシャトルバスです。
飛行機は遅れて大急ぎでしたが、まさかこんな走る応接間のような豪華なバスに乗って飛行機に搭乗するとは思いませんでした。
さすが中東でもトップクラスの産油国、超金持ち国家の空港サービスの1つです。おみそれしました。
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▲ 13:47 食後は、駅前通りを散策です。昨夜イルミネーションで煌びやかに輝いていた駅前の街路樹は昼間も紅葉で輝いていました。初冬の早い斜光を受けて路面電車も輝いています。
今日は割引きっぷ4日間の最終日です。朝から伊予鉄道の市内線、鉄道線の乗り鉄・撮り鉄を目一杯楽しむ事にしました。
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▲ 伊予電には大手町と古町に鉄道線と市内線との平面交差(ダイヤモンドクロッシング)がありますが古町はⅩ型です。1965(昭和40)年に帝國車輛で製造された76号車が渡ります。
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