昭和の電車 改訂版(126)ー加越能鉄道デ7050型ー

いいかげんな電車の現役時代 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)

いい加減な電車の原型 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)

「いい加減な電車」の写真があったやちゃ。よかったら越ノ潟へ行ってこられ。 | DRFC-OB デジタル青信号 (drfc-ob.com)

加越能鉄道に関しては反応薄、とばかり考えていましたが、前回時には乙訓の長老様はじめどですかでんさん、西村雅幸さんから貴重な写真と寄稿文を頂きました。

 

《特別寄稿》スカ形国電の時代(最終回)・・・河 昭一郎

《特別寄稿》スカ形国電の時代(その1)・・・河 昭一郎

《特別寄稿》スカ形国電の時代(その2)・・・河 昭一郎

クハ76028他6連下り 1963-11-17 逗子

横須賀線の電車運転は30系に始まり、32系へとバトンタッチされたが、不幸な戦争前後の混乱期を経て1951(昭和26)年3月には70系のスカ形電車が登場した。

しかし、在来車両の有効利用を命題としていたと考えられ、此の時期良く対比される湘南電車が新車のみで構成されていたのに対して横須賀線については新系列車両としてはモハ70、クハ76、サロ46(後のサロ75)のみで、当初はその製造両数も最小数であった。それに不足する車両は在来車を充当する事とし、関西から供給されたモハ42、モハ43、サハ48の他にそれまでの32系時代に活躍したクハ47、サロ45、サロ15が混結運用された。

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《特別寄稿》スカ形国電の時代(その2)・・・河 昭一郎

前回より

《特別寄稿》スカ形国電の時代(その1)・・・河 昭一郎

これらの70系横須賀線電車については、程無く『スカ形』と呼ばれるようになったが、その外部塗装は窓まわりをクリーム色とし、窓の上下は紺色とも言われるブルーが採用され、それは沿線の鎌倉や逗子の砂浜と海を表しているとも言われ、落ち着いた雰囲気をたたえていた。
この塗色は先輩格の80系湘南電車が沿線の『みかん』をイメージして窓まわりにオレンジ色を使用し、窓の上下をグリーンとした派手な印象とは対照的であった。

クハ86009 1966-3-21 静シスにて

 

 

 

 

 

 

 

 

先頭車前面のデザインについては大形2枚窓の湘南電車とは相似形であったが、実は湘南電車の前面については2枚窓に落ち着く迄に次のような変遷があった。

クハ86の第1次車(20両)は丸妻3枚窓で、2次車以降は2枚窓となったが、3枚窓(1次車)⇒2枚窓(2次車)の設計変更時に丸妻台枠のままで窓のみを2枚窓化した2両(21、22)が1次車と2次車の折衷デザインとなっていて面持ちに独特感があった。

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昭和の電車 改訂版(123)ー大阪市営地下鉄60系ー

前回の営団地下鉄はやはり、と言うべきか反応がありませんでした。
関東私鉄だからか、営団だからか、理由は分かりません。
今回は大阪地下鉄です。最近は「大阪メトロ」と言うそうですが・・

前回投稿時には、元運転士の方から思い出コメントがありました。

大阪地下鉄60系

《特別寄稿》スカ形国電の時代(その1)・・・河 昭一郎

《この特別寄稿「スカ形国電の時代」は、国電研究家・河 昭一郎様が鉄道誌へ掲載する予定で書かれた原稿をデジタル青信号にご寄稿下されたものです。3回にわたって掲載致します。》

1324S(左)と1301S(右 クハ76301先頭)の離合 1965-3-15  大船―戸塚

元来、横須賀線は軍港のある横須賀と東海道線とを繋ぐ目的で敷設された軍事路線であったが、第二次世界大戦で日本が大敗した後は、海上自衛隊と在日米軍による貨物利用が続いた。

その歴史は1889(明治22)年6月16日に大船-横須賀間(15.9 Km)の単線開業まで遡る事が出来、その際のエピソードとして有名なのは実際の工事に際しては軍の介入が有って、北鎌倉駅では円覚寺の境内を横切り、鎌倉駅近くでは鶴岡八幡宮の参道である段蔓をも切り取る強引さを伴った工事であったとされている。
その一方で横須賀線は沿線に古都の鎌倉が有って、古くから高級住宅地としても知られており、更には逗子を代表とするその海岸線は『湘南』と言われ、夏の海水浴場や避暑地としても発展していて、現在ではそれ等地域の足としての役割が大きい。

横須賀から先、久里浜迄の8.0Kmについては1944 (昭和19)年4月1日の単線による開業となっている。
そのレールについては時節柄新規の調達が難しく、当時未だ東海道本線だった頃の名残りで本線仕様のままだった御殿場線を単線化して必要レールを捻出したと言われている。

以上の通り横須賀線は正式には大船―久里浜間(23.9Km)を言うが、その運行上は東京を起点としており、東京―久里浜間  (70.4Km)を直通する運行形態であった。従って横須賀線は東京―大船間については東海道本線上を湘南電車と交互に走行し、それは1980(昭和55)年10月1日の分離運転(MS分離)まで続いた。

クモハ53004+クハ76久里浜行 1963-11-24 横須賀

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古い絵葉書が・・その3

前回の投稿が思わぬ不人気だったので、そのままもう少し置いておいて、次に進みます。併せて回答をお待ちしております。

古い絵葉書が・・その2

※今回の問題は簡単すぎて「馬鹿にするな!」と、誰も答えてくれなかったのだと分かりました。反省しております。答えを書いておきます。

⑭D51 653レ 1969.12 中央西線 落合川ー坂下

力闘

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古い絵葉書が・・その2

第1回が思いのほか好評につき、“悪のりその2”をご覧頂きます。

第1回では多くの方が思い出や秘蔵写真を貼って下さり驚くやら嬉しいやら!
撮った写真は人目に見せてこそ価値があります。あなたにとって失敗写真も傷アリ写真もなんとかシンドローム写真も、他人が見れば宝物!この機会にご開帳をお願いします。
また、写真に関する思い出や、関連する豆知識も自慢たらしくひけらかして下さい。必ず会員から賞賛の声が出ます。出なければ私が責任を持って出しますから。

同じ場所で撮った写真や、同じカマの写真があればぜひともお見せ下さい。

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古い絵葉書が・・その1

本棚を掃除していると古い絵葉書が出てきました。
眺めているといたずら心が沸いてきて、これを使って場所当てクイズを思いつきました。
古いと言っても「鉄道百年記念写真集」ですから1973年頃の発行です。撮影は石橋康一氏・植松宏嘉氏で、一つは「力闘」、もう一つは「蒸気機関車」です。出版は横浜のFUKUDA CARDです。

では、質問です。撮影場所をお答え下さい。さらにこの機関車、線区その他知っているウンチクをお書き下さい。

デジ青をご覧の方には簡単すぎますが、一般の方に販売する絵葉書ですからやむを得ません。従ってお答えには当時の思い出でも、この機関車に関わる事でも、同じ番号の機関車の写真をお持ちなら貼って下さい。
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