鉄道、つれづれ草 ー北関東の電車たちー

乙訓の老人は現在終わりのない病と闘っておられます。
同志社大学鉄道同好会を設立してここまで大きくして下さいました。クローバー会も創り我々に第二のクラブ活動の場を作って下さいました。
学生時代から電車に、特に京阪電車への思い入れは特段のものがありましたが、私鉄の電車は全国何処でも見に行って写真を撮り、データを集めました。数々の本も出版されました。

それが最近は気力が無くなりつつあります。それと共に頭に貯めてあったデータが消えていくように感じているそうです。
そこで今のうちに撮りためている写真をみんなに見てもらいたい、と考えて写真の整理を始められました。でも、鉄道ごとに整理できてもナニ鉄道かが分からない、いつ、どこで撮ったのかが分からないのです。

そこで、分からなくても良い、皆さんが教えてくれるので写真だけをまとめて下さいとお願いして持参していただく事になりました。こうして数ヶ月かかって鉄道ごとにまとめた写真だけが届きました。

メモはほとんどなく、データは皆無の状態です。
そこで皆様にお願いです。「ここどこ?わたダレ?」に習って皆様から場所などのデータを教えて下さい。皆様の思い出もお教え下されば乙訓の老人の頭のリハビリになります。ご自分はパソコンを扱う事もままなりませんが、頂いた書き込みは何らかの方法でご覧いただきます。

ただいま表示画面が乱れております。しばらくご辛抱下さい。

北関東の鉄道から南へ下がります。

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-終-

このシリーズもいよいよ最終回です。

今までになかった「サボ」と「トレインマーク」のコレクションをお目にかけましょう。これについてもいろいろと蘊蓄がある方はご披露ください。

※当該列車の走行線区、車輌形式などがお判りの方はお教えください。特に私鉄については鉄道会社名もお願い致します。

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-13-

今回は「お召し列車」です。
この中でDF50の引くお召し列車は到着が二条駅で、昔懐かしい二条駅が出てきます。この日は私も同じ場所で撮していました。

【13-1】C5721

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-9-

今回は電気機関車です。
古くからのファンにとって、輸入電機や旧型のデッキ付き電機をリアルタイムで見る事ができたことが最大の自慢でしょう。私はその最後をチラッと見た世代ですから羨ましい事しきりです。大型電気機関車は大都会・東京へのあこがれでした。小型電機は地方の、それでも汽車よりもモダンな都会の雰囲気を感じたものです。実際、関東へ行かないと多彩な電機は見られなかったのです。

それでは私鉄を含めたED型電気機関車をご覧下さい。

①小田急101

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-5-

蒸機が終わりましたので『電車』に移ります。
中村さんは国電からJRまで、“手当たり次第”に電車の写真を撮っておられます。でも、私の個人的理由から国鉄時代に限らせていただきました。

Ⅰ)クロハ16→クロハ16800→クハ16500 河 昭一郎氏より

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-4-

蒸気機関車の記録で気になる写真がありますのでご覧下さい。
これは場所や機種はあえてお答え頂かなくて結構ですが、何かしらの記憶や出来事を思い出す写真です。

電化完成直前EF58+C59128(梅)東山トンネル

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-2-

写真が多岐に亘り、数多くありますのでのんびりしてはいられません。
さっそく次ぎに進みます。

古典蒸機は複写されたり同一原版から焼き増しされたものが多いようです。その意味では発表済みの写真が多いのでネットで探しやすいのかもしれませんが、私はできるだけネット検索はしないで皆様からのご教示をお待ちしております。皆様はどんな方法でも(ネット検索でも、亀甲占いでも)いいのでお願い致します。

①国鉄8800型

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】

最初にご説明をしておきます。
中村進一氏は子供の頃から市電が大好きで、その写真を撮る傍ら京都駅を中心として国鉄の車輌を撮影しておられました。やがて趣味の対象は全国の鉄道全般に亘ることになります。特に市電の写真は街の移り変わりも記録していることから立命館アーカイブに保存されることになりました。その温厚なお人柄から私は中学生の頃から年齢差もかまわず同好の士としてお付き合いをさせていただいています。この度その記録の一部を見せていただき、ぜひともDRFCーOBの皆様にも見ていただこうとご了解の上公開することになりました。

ただ、写真のデータが添付されていないため、車種・撮影時期・撮影場所などが分かりません。また、中村氏の撮影されたものだけではなく、交際のある全国の方からの交換写真(昔はそれも写真を集める重要な手段であった)としていただいたものや、絵葉書のように店で買った写真もあります。それらについては撮影者の名前、販売店の名前など分かる限りは明記しました。スキャンするに当たりル-ぺで目視してわかる範囲は書き出しましたがほとんどは分かりません。そこで当欄で皆さんから知識を結集して判別していただきたいのです。分かっているものについても敢えて掲載するものもありますが、それらに関しても思い出などがありましたら何なりと書き込んでください。

これからも会員外の方からの資料提供やご投稿を歓迎する意味においても活発なご意見交換を期待しております。

では、【蒸気機関車】からはじめます。
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編集快調!新・ここはどこ?私はだれ?【予告編】

中村さんの資料集は多岐に亘っていて選定に手間取ります。さらに、今ではお目にかかれない小さなサイズの写真も多くルーペが必需品になります。

大まかに分けて「蒸気機関車」「ディーゼル機関車」「電車」「市電」に分類していますが、まだ開けていない箱があるのでさらに増えるかもしれません。

中村さんシリーズは今までと違って“場所や車輌”“時期”だけではなく皆様が知っている知識、思い出などの蘊蓄を傾けていただくようにお願いします。お持ちの知識を広く開陳して下さい。

では、電車の【予告編】をご覧下さい。

クモハ300-1

クモヤ22001

近日公開 新・ここはどこ?私はだれ? 乞うご期待!

私の鉄道趣味の大先輩に「中村進一」さんという方がおられます。京都市電を中心に鉄道全般の写真を撮っておられる方です。最近は貴重な写真があちらこちらの展示会やアーカイブで展示されていますのでご覧の方も多いと思います。
そんな中村さんの写真資料が立命館のアーカイブに収蔵されることになりました。
そこで中村さんにお願いして『ここどこ?わたダレ?』のタネにできそうな写真を貸していただこうと思い、お願いしました。
お宅へお伺いしたら既に用意して下さっていましたが、なんと段ボールに二箱もあります。車を取りに帰ってお借りして来ましたが、整理がたいへん!中村さんはお付き合いが広いためいろんな方から写真を贈られています。ただ全くデータがありません。そこで優秀な探偵の皆さんにお願いです。
整理が付き次第ご覧頂きますが、写真の車輌のわかる限りの情報を教えていただきたいのです。
機種・場所・時期などのほか特筆すべき事があればそれもお願いします。
では、その【予告編】をご覧下さい。

河 昭一郎さんよりプレゼント!

久しぶりに河 昭一郎様からメールで『こんなん、あるでー』と写真の差し入れを頂きました。
さすがは国電の大家、一目で懐かしい写真だと分かるのですが、私は門外漢の悲しさ、値打ちが分かりません。また、我々への挑戦状なのか、データが入っていません。
よしッ受けて立とう!!
で、皆様に分析・解説(撮影場所と撮影時期が分かれば)をお願いします。(丸投げ!)

こんな面白い写真をお持ちの方は挑戦状を送って下さい。当会の探偵がたちまち解決します!

昭和39年5月3日 東京駅 上り「第1こだま」

「かえだま」については、2014年5月6日の特派員氏の投稿に詳しいので転載させて頂きます。
《昭和39年4月24日のことだが、静岡~草薙を走行中の宇野行き特急「第一富士」2001Mが、静岡操車場を通過しようとしたところ、踏切を直前横断したダンプカーと衝突、1~6号車が脱線、とくに先頭1号車のクロ151-7は、線路に直角に全軸脱線し大破した。 ちょうど新幹線開業前で、「こだま」形は九州乗り入れを控えて改造入場中で、予備編成が全く無い状態だった。

そこで、事故翌日の4月25日から5月6日の間、上り「第1こだま」、下り「第2こだま」は、153系11連で代走することになり、特急料金は半額となった。これまでも、ダイヤの乱れで所定の運用ができず、153系を特発した例もあったが、長期間153系代走となったのは、これが初めて、いわゆる“替えだま”と呼ばれる特異な例となった。》

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恥を忍んでお尋ねします!

梅小路に新駅がオープンしてまもなく一ヶ月!
同時に西側に平行して既設の旧渡り線を利用して連絡橋ができました。

(左)梅小路京都西駅下りホーム
(右)旧渡り線を利用した連絡橋

この橋への登り口は七条通を西へ進み、山陰線をくぐったすぐの北側にあります。エレベーターと階段がありますが、ホテルが建設中のため、まだ利用者は少ないようです。線路は南へ進むのにつれて西へ300mのカーブになり、10‰の下りとなって梅小路貨物駅へと入っていました。その線路跡をそのまま使っているのでなにかとマニアには面白いようで、たまにしか通らない通行人に対してマニアの割合が多いように思います。

まず、両脇の側壁はそのままだし、歩道の中央にはレンガで線路が表記されています。さらに進むと、

この先には鉄路が現存する。 正面の建物は鉄博本館

連絡橋は駅本屋に近づくと左折してエレベーターと階段で駅に入るが、遊歩道は10mほど突きだして旧線跡を見られるようにするらしい。

さて、余談が続きましたが本題に入ります。

この連絡橋の側壁の中間に、いくつかの標識が当時のまま残っています。
その記号についての質問です。
こんな事もシランのか!との罵声を覚悟の上で恥を忍んでお尋ねします。この記号群の意味をおしえてください!

この裏には半径300mの表示がある。                           西村氏より  TCL=緩和曲線長(25m)     CCL= 不明   C=カント(51mm)            S=スラック(1067mm+15mm)       V=曲線通過速度(42km)

 

 京都市電版 “ここはどこ これはなに?” ③

京都市電の写真展、休廊日を置いて、本日から後半戦となりました。地元の新聞にも掲載されたため、今日も開場を待ちきれずに続々とご来場される方が多く、聞けば10時開場と間違えて来てしまい、近所で時間を潰されたとか。また会場を「河原町今出川」と間違われて、どこを探しても見つからず、交番へ行って聞いて来たと言う方もおられました。展示スタイルも少し変えて、ご来場の方から聞いた話を整理した札を写真の周辺に貼って、ツーウェイのスタイルを採り入れました。クローバー会メンバーも、マルーン会長以下、続々とご来場いただきました。ありがとうございます。
さて、今回の“ここどこ”、入口に掲げている左右1.5メートル程度の大きな写真で、皆さん立ち止まって見ていただいて中に入られます。これは、近くのマンションの屋上から写したものですが、訴求ポイントは、丸太町線、河原町線両方向からレールがあった時代であること、それに交差点にあった、われわれの母校が写っている点ですが、私たちの気づかない点まで指摘があり、皆さんの記憶や観察力には脱帽した次第です。

右上の黄丸、山肌に何かが見える。これは五山送り火のひとつ「左大文字」だ。交差点から見えるのは「大文字」だけで、鴨川まで出れば「妙法」も見えるが、この付近の定説だった。しかし、少し高度を上げると「左大文字」も見えるのは初めて知った。この写真からはよく分からないが、ほかの「船形」「鳥居形」も見えるのだろう。

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