京都市電版 “ここはどこ これはなに?” ②

ドーム球場? プラネタリウム?

続いての“ここどこ”も、俯瞰写真からの出題です。ただ、“?”ではなく、すでに解明されていますが、来場者からは“こりゃなんや”という声が聞かれました。

俯瞰写真を撮った場所は、荒神口停留場近くの救世会館という世界救世教の施設でした。さすがに無断侵入は気が引けて、受付で許可を求めて、うやうやしく屋上へ上げていただきました。建物の元を正せば、立命館大学の恒心館でした。昭和43年前後の立命館大学の紛争では、全共闘の拠点になり、機動隊との激しい攻防戦が行われました。市電展を見に来られた、この建物の裏側にお住まいの方から、“放水で家がビショビショになって怖かったわぁ”の声があり、300メートルほど離れた私の家にも、深夜まで機動隊のマイクや笛の音が聞こえてきて騒然とした状態でした。この写真は、その屋上から、河原町通りの南側を撮っています。すると中央に、ドーム状の建造物が見えてきます。
私はさすがに地元でしたので、よく知っていますが、これについては、“知ってる派”“知らない派”に二分されていました。実際に行ったことがある人もおられ、ほとんどが町内会の行事と答えていました。
これは市電河原町線が走っていた当時、河原町二条上る東側にあった、“レーザリアム(Laserium)”という名称のアミューズメント施設だった。ドーム内でレーザー光線を発射し、音楽とともにいろいろな図形を描く、いまのプロジェクションマッピングの原型のようなもので、最先端の技術を駆使した、日本初登場の施設だった。運営していたのが、近畿放送で、KBSラジオからCMがしょっちゅう流れていた。

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 京都市電版 “ここはどこ これはなに?”  ①

本日、正式オープンの京都市電写真展。初日の土曜日、暖かい気候に恵まれ、また午後からは京都府主催の鉄道史シンポジウムが歴彩館であって、その行き帰りに来ていただくなど、多くの皆さんにご入場いただきました。クローバー会会員も、開場前からクシベ・アダチさん、開場直後には、山科の人間国宝、乙訓の老人と大物がご来場、午後からは、無印不良品さん、86さん、玉ちゃん、久しぶりにKoさん、そして、最後は米手さんとデジ青がそのまま会場に移転したような賑わいでした。ほかにも、小学校、中学校の同級生、もとの会社の同僚や、知り合いの趣味人多数、近所のおじいちゃん、おばあちゃん、通りすがりの人びと、その数、約百人、先日の西利での平均入場が30人程度ですから、その数倍の人が、狭い会場にあふれたのですから、その密集ぶりはご理解いただけるでしょう。結局、11時に来て、何も食べられずに、立ちっぱなし、喋りっぱなしの7時間でした。勘秀峰さんと快い疲労感を残して、夕闇の街に消えました。本当にありがとうございました。

山上のナゾの要塞?
こんなことばかり書いて、公共のデジ青を独占して申し訳ないと思っていると、最後に乱入した米手さんから、“そばぼうろ”が食べられなかった悔しさからか、私にさらなる投稿を迫ります。米手さんは、“ここどこ”シリーズで、ボカシや黒塗り画像で臨時列車を増発していただき、私の投稿を待っていただいたのでした。そのご厚意に応えなければと、その返礼の企画を急遽立ち上げました。

写真展に来られた方は、ホントによく観察され、私たちの知らないことまで尋ねて来られます。そこで、話題が集中した、解明できない“ナゾ”について、いろいろ綴っていくことにしましょう。

これは勘秀峰さんの撮影で、河原町二条付近のビルから北を見ている。伸びるのが河原町通、中央を横切るのが丸太町線の市電、この写真のキモは、左側に、我々の出身の春日小学校、その向こうの京都府立鴨沂高校、さらに立命館大学の広小路学舎が連なり、すべてが旧校舎で現在見られないものばかりだ。ところが見る方は意外な方向に眼が注がれた。右上の円内、山の上に、白い建造物が見える。ハテ、こんなところに…と会場で話題になった。方向からすると、下鴨あたりのはずだ。拡大してみると、確かに山の上にあるように見える。左手にうっすらと送り火の「妙法」の「妙」が見えているから、やはり、下鴨、松ヶ崎方面だ。山のように見えるのは、下鴨神社の杜なのかもしれないが、果たして、そんなところに‥‥。ナゾは深まるばかりだ。

 

ここはどこ?私はだれ?【臨3】

それでは五日間の旅行に出ますのでその間に宿題を出しておきます。
よく調べて回答して下さい。

なお、1900生さんには解答権がありません。なぜなら一緒に行って写っているからです。コメントも禁止します。ブチブチつぶやいたらカンニングと見なし退学と致します。

では五日間、これを保たせて下さい。

ここはどこ?私はだれ?【臨】

年末・正月の閑散期つなぎ便として運行した『ここどこ?わたダレ?号』の運行を終えてホッとしていしたが、写真展に全勢力を費やした幹部の皆様は打ち上げ会で写真展の成功に焼き餅を焼いたとみられるゲリラから流感菌をばらまかれてらしく伏せっているとのことで、回復までのつなぎに再度の『ここどこ?わたダレ?』臨時便を編成いたします。
今回は初めて画像処理(文字のボカシ)を致しております。駅名が入っているからです。撮影は昭和38年3月です。

臨時便『西村・米手』号?

どですかでんさんの『併結便』も好評で大成功!

そこで夢をもう一度と行きましょう!
昨年10月15日に西村さんが投稿した「広島駅に残る客車への給水設備」というのを覚えておいででしょうか?あれを見たときに思いついた風景がありましたが撮影に手間取りました。やっと叶いましたので私の「ここはどこ?私はだれ?」との併結便でご覧に入れたいと思います。
諸賢には何をするものかはお判りでしょうが、これが現在も存在するのです。
さて何処にあるのでしょうか?

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ここはどこ?わたしはだれ?【増3】

【増3】号車は半車座席指定(ロハ)です。お乗り間違いの無いようにお願いします。まずは自由席(ハ)はどなたでもお答えください。

簡単だ!と侮るなかれ、お答えを下さるのは常連さんばかり。ほとんどの方からは音沙汰無いところを見ると難しすぎるのかと考えこみます。全くヒントがないとどこか分からないのは当たり前。でも、ヒントの出し方が難しい!この世界は特定の分野に長けた方がいて、そんな方がすぐに答えてくださるので頃合いが難しいです。


続いては指定席(ロ)です。いままで答えたことの無い方だけ、お答えください。

ここはどこ? 客車版

明けましておめでとうございます。年が明けましたので、風邪で伏せっておられた米手様を元気づけるため、「ここはどこ? 客車版」で仕事始めと致します。ただし米手様のように温情が苦手な私ゆえ、いきなり手強い1枚をヒントなしで送り出すことにしました。お屠蘇気分の方は酔いがさめるかも。

7両のうち4両がオハユニ、オハニです。

場所の特定はともかく、まずは線区名からご賢察を。

ここはどこ?私はだれ?(3)

最初の写真で年末までは行くだろう、とタカをくくっていましたが、準特急さんの言うとおり土俵際まで攻め込まれ苦戦をしております。

この手の写真はどなたでもお持ちでしょうから気楽に投稿してほしいとの考えで載せたのですが、オッとどっこい、我が会員は情け容赦もなく蹴散らし、穏やかな気持ちで新年を迎えようとしていた病いの身をパソコンに括り付けています。

では、第三問。

ここはどこ?私はだれ?(2)

瞬殺です!

甘く見ていました。せめて正月明けまではお茶を濁せると思いましたが、ここの諸兄はただものではない。

今次大戦で日本海軍は米国の16吋砲に対してそれを凌駕する18インチ砲を装備した大和級を建造しましたが、時はすでに航空戦力に主役の座を奪われていたのでした。
つまり、二次元の想定に対して世界の主力は三次元になっていたのです。
今回の企画はまさに同一線上の間違いをしておりました。インターネットやgoogleの衛星写真という近代兵器に完敗しました。

それではベトコン戦術で衛星からも識別不可能な場所での写真を繰り出して応戦します。準備不足のため予備役招集です。

予備役の応召部隊ですから多少まだ甘さがありますが、しばらく時を稼いでくれるでしょう。まだ後には精強な部隊が控えていますから油断めさるな!

ここはどこ?私はだれ?

年末はお忙しいのか、常連の重鎮諸氏が相次いで早々と年末のご挨拶をされて店じまいされました。
それではご覧の皆様が「もう休むのか!他へ行こう!」と言われるのではないかと一人気をもんだあげく、年始に重鎮からの投稿が始まるまでのつなぎに肩の凝らないお話しをご覧頂きます。

歳をとると題目のごとく「私はだれ?」はありませんが「ここはどこ?」はたびたび思い当たります。そこで古い写真の中で今では思いも付かない場所で撮ったものがあるので何処で撮ったものか、撮影場所を当ててください。皆様もお持ちでしょうから続いてくだされば面白い企画になるのでは?

では、ご覧下さい。
場所は大体で結構です。そこだと思う根拠もお書きください。東京の皆さんにはむつかしいかな?

めずらしい客車 Ⅲ

河 昭一郎さんは「客車は門外漢ですから手当たり次第に撮っています」と謙遜されますが、手当たり次第ならもっとオハ35やオハ61があってもいいと思うのにそれがどうして、なかなかのクセモノ車輌を選別して撮られています。

昭和40年代になると客車も改造や格下げ、それに台車履き替えなどが出てきてそれらを国鉄は律儀に形式を変えたものですから覚えられなくなったものです。今回はそんな客車たちも出てきます。

「客車」の定義はなにか?とのご質問がありましたが、私は“コホナオスマカ”が付いている車輌と考えております。

カニ22 1 東シナ 1965-3-20 品川駅

▲カニ221はパンタの付いた客車、といってもディーゼル発電機と電動発電機を積んだ「電源貨物車」
1960年「はやぶさ」用に作られた。東海道本線と全線電化が完成した山陽本線では架線から電気をとって電動発電機を回して発電。鹿児島本線ではディーゼル発電機を使って発電し電気を供給する。そのためにPS18を2基屋根に搭載する。パンタはEF58やEF65などの機関車からリモコンで上下させる。しかし、軸重が16tもあり熊本以南では路盤を強化しても最大で70kmの制限を受けるため、実際には路盤強化したら75kmで走れる長崎本線の「さくら」に使用された。68年にはMGとパンタを外して軸重を軽くしてカニ21と共通運用できるようになった。

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902  C12の謎に挑戦。しかし・・・

鉄道介護士氏から難題を突き付けられて、それでなくとも熱帯夜で眠れない上に あの鉄橋が気になって熟睡できず 睡眠不足が続いています。改めて問題の写真を再掲します。先日の大阪特派員氏のコメントは「このC12 全く記憶におまへん」でした。

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