明けましておめでとうございます。
C57のちにDF50牽引の客車寝台急行列車が走り、いっときはDC特急までが走り抜けた駅です。今日は新嘗祭で日の丸が掲揚されています。

明けましておめでとうございます。
C57のちにDF50牽引の客車寝台急行列車が走り、いっときはDC特急までが走り抜けた駅です。今日は新嘗祭で日の丸が掲揚されています。

瞬殺です!
甘く見ていました。せめて正月明けまではお茶を濁せると思いましたが、ここの諸兄はただものではない。
今次大戦で日本海軍は米国の16吋砲に対してそれを凌駕する18インチ砲を装備した大和級を建造しましたが、時はすでに航空戦力に主役の座を奪われていたのでした。
つまり、二次元の想定に対して世界の主力は三次元になっていたのです。
今回の企画はまさに同一線上の間違いをしておりました。インターネットやgoogleの衛星写真という近代兵器に完敗しました。
それではベトコン戦術で衛星からも識別不可能な場所での写真を繰り出して応戦します。準備不足のため予備役招集です。
予備役の応召部隊ですから多少まだ甘さがありますが、しばらく時を稼いでくれるでしょう。まだ後には精強な部隊が控えていますから油断めさるな!
年末はお忙しいのか、常連の重鎮諸氏が相次いで早々と年末のご挨拶をされて店じまいされました。
それではご覧の皆様が「もう休むのか!他へ行こう!」と言われるのではないかと一人気をもんだあげく、年始に重鎮からの投稿が始まるまでのつなぎに肩の凝らないお話しをご覧頂きます。
歳をとると題目のごとく「私はだれ?」はありませんが「ここはどこ?」はたびたび思い当たります。そこで古い写真の中で今では思いも付かない場所で撮ったものがあるので何処で撮ったものか、撮影場所を当ててください。皆様もお持ちでしょうから続いてくだされば面白い企画になるのでは?
では、ご覧下さい。
場所は大体で結構です。そこだと思う根拠もお書きください。東京の皆さんにはむつかしいかな?
河 昭一郎さんは「客車は門外漢ですから手当たり次第に撮っています」と謙遜されますが、手当たり次第ならもっとオハ35やオハ61があってもいいと思うのにそれがどうして、なかなかのクセモノ車輌を選別して撮られています。
昭和40年代になると客車も改造や格下げ、それに台車履き替えなどが出てきてそれらを国鉄は律儀に形式を変えたものですから覚えられなくなったものです。今回はそんな客車たちも出てきます。
「客車」の定義はなにか?とのご質問がありましたが、私は“コホナオスマカ”が付いている車輌と考えております。
▲カニ221はパンタの付いた客車、といってもディーゼル発電機と電動発電機を積んだ「電源貨物車」
1960年「はやぶさ」用に作られた。東海道本線と全線電化が完成した山陽本線では架線から電気をとって電動発電機を回して発電。鹿児島本線ではディーゼル発電機を使って発電し電気を供給する。そのためにPS18を2基屋根に搭載する。パンタはEF58やEF65などの機関車からリモコンで上下させる。しかし、軸重が16tもあり熊本以南では路盤を強化しても最大で70kmの制限を受けるため、実際には路盤強化したら75kmで走れる長崎本線の「さくら」に使用された。68年にはMGとパンタを外して軸重を軽くしてカニ21と共通運用できるようになった。
鉄道介護士氏から難題を突き付けられて、それでなくとも熱帯夜で眠れない上に あの鉄橋が気になって熟睡できず 睡眠不足が続いています。改めて問題の写真を再掲します。先日の大阪特派員氏のコメントは「このC12 全く記憶におまへん」でした。

902
DRFCクローバー会の鉄道介護士・米手作市でございます。
おかげさまで昨今はお客様が増えて大繁盛しております。昨日の大阪大運転会では大阪通信員先輩から大量の写真を預かりました。この方はめったに作品を見せてくれないのですが、すばらしい作品をたくさん撮っておられることを私は知っていました。しかし、最近は前立腺肥大前に引っ越したことが原因なのか、胴回りが学生時代の二倍になった(目視による)せいなのか撮った場所が分からないことが多くなったそうです。
作品は整理中ですが、数百枚はあるようです。概ね撮影地が推察できるものは仕分けていますが(私の知識に寄るので正確では無い)全く分からないモノがあります。そこであらかじめここにご覧に入れますので背景や車番などから撮影場所を特定することにご協力ください。間違っていてもかまいませんので、出来るだけ多くの方(外部の方でも大歓迎!)の知識をお貸しください。
では、どうぞご覧ください。
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宮崎繁幹様、
ご返答が遅れましたことをお許しください。
また、普段より当会の会員がご懇意にして頂いているとのこと、心よりお礼を申し上げると共に、今後とも東京在住の会員との交流、ご指導をお願い致します。
さて、私は26日から27日まで後輩諸君による、研修旅行と称する“シゴキ合宿”に参加しておりました。そのため、帰京後も疲労困憊してコメントを拝見するのが遅れてしまいました。
宮崎様からのコメントは
《この写真は、亡くなった小生の友人、山本明弘さんの撮影です。彼は、写真は見れば判るだろぉ~、と云う調子でした。その為、データが全然ありません。「撮影日は?」と聞いたら、セミ判密着は、昭和30年前後、35ミリ版になったのは、33年位からだ、てな具合でした。従い京都市電の写真は、セミ判なので、昭和30年頃です。
押しかけで恐縮ながら、地元の同志社の皆様に場所が御判りなら、教えて頂きますよう。どうぞ、宜しく。》というものでした。
さて、ご投稿頂いたコメント欄では写真が拡大できないため、別途画像処理しまして分析しました。ご覧ください。
京都の人々にとって、長い間“水泳”と言えば琵琶湖でした。海水浴という言葉は特別な響きがあり、泊まりがけで行く旅行を意味していましたが、“水泳”は手軽な日帰りのレジャーでした。その時乗るのが「京津電車」で、琵琶湖は子供時代なじみの水泳場でした。
藤田さんの撮りためた京津線・石坂線の電車を最後にお目にかけます。
※ 不明の場所や車両に関する情報はお教えください。
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久々に投稿します。昨日3月17日、熊本市内から阿蘇方面へ車で移動する際、ふと熊延鉄道のことを思い出し友人の案内で数か所の遺跡を訪ねました。熊延鉄道は戦前、熊本から宮崎県延岡を目指して建設、春竹(現JR南熊本駅)から熊本県砥用(現在の下益城郡美里町)まで開業しましたが1964年昭和39年に廃止となりました。

最初は佐俣(さほ)~釈迦院間の橋台。位置32.6214771,130.8287495。
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藤田さんからお借りした写真も残り少なくなりました。
まだまだご紹介しきれない物があるようですが、取りあえず今回で一旦終わりにいたしましょう。
藤田さんには、突然飛び込んできた男に快く作品写真をお貸し頂き、感謝に堪えません。全てを掲載できなかったことをお詫び申し上げます。また、お貸し頂ける物がありましたら、秘蔵品が発見されましたら、発表させて頂きますので引き続きお願い申し上げます。
今回は今までに発表できなかった写真をランダムに掲載いたします。
市電の廃車体が話題になっていました。200型・300型は私も撮っていないので歯がゆいのですが、京都外大のグランドに大量に置かれていたのを見ています。車番を確認できませんでしたが外形から200型か300型と思いました。
さて、藤田さんも市電を撮っておられます。藤田さんの写真はカラーもあって最盛期~晩年の市電が元気に走っています。
ところでこの際、お手持ちの市電の写真があればコメント欄に投稿してみませんか?
今回は江若鉄道、南海電鉄、水間鉄道です。
江若は、特派員さん、西村さんの専門領域で、南海は村尾さんの専門です。なにとぞお手柔らかにお願い致します。
江若鉄道
しばらく忙しい日が続きまして、お預かりした原稿を編集することができず、投稿が遅れてしまいました。
今回の写真は近鉄、山陽です。山陽電鉄はすでに専門家の大先輩が寄稿されているので重複することがあればお許しください。
写真はコントラスト・傾き以外の修正はしておりません。
近鉄
2018年2月5日【93286】で旧計呂地駅跡の茶色の客車2両を紹介しましたが、
堀 淳一『北海道 地図の中の廃線』亜璃西社p.103に、平成2(1990)年9月に著者が旧計呂地駅跡を訪問した時の様子として
「ホーム側にまわってみたら、ホーム、枕木、レールが三拍子そろってまだ残っているばかりか、ダークブルー一色の古くなつかしい旧型客車のスハ形とオハ形車両が二両連結されてホームに着いていた。またホームの前後には、信号柱や踏切の柱やレールの分岐器なども残されていた(ここは『計呂地交通公園』となっているそうだ)。」
と記述があります。計呂地の旧駅舎も残存していたそうです。
ということは、30年近く前に「ダークブルー一色」の時期があったことになります。
また、何故かC58 139の記述が無いのが不思議です。鉄道友の会『RAILFAN』1989年№428 別冊:保存車・廃車体一覧1、同1992年№466によれば3両とも旧計呂地駅跡で保存されていることになっています。
どなたか、この件についてご教示いただけませんでしょうか。
東海道線の国電
河 昭一郎様には申し訳ないのですが、旧型国電(と言うのかも知りませんが・・)終末期は京都駅に毎日通っていて見ていました。しかし、興味が無いというのは恐ろしいものでほとんど写真を撮っておりません。藤田さんの作品を見ていて全てに見覚えがあります。というより乗っていました。クロハにも乗りましたし廃止時も覚えております。でも写真が無いのです。
で、今回国電を投稿するに際して、どれが貴重なのか、どこが違うのかさえ分かりません。客車や気動車を「電車」という若い衆と同じです。それ以下かもしれません。後悔至極であります。ですから写真の解説はできませんので前回同様お助けください。
昨日呉線忠海方面に撮影に出かけたところ、いつもならC11が来ると思っていたところ珍しく1150型1155が来たので、1155を一生懸命撮ったところまでは良かったのですが、すぐに発車してしまい、後ろの客車を撮り逃がしました。特に1両目は3軸ボギー(TR71?)で丸屋根でトラス棒もあり、窓配置も不規則なような・・・。2両目はハニかハユのようですが、これはさすがに形式を判定しにくいですが、1両目の客車の形式は何でしょう?先日は気懸りだった郵便車をオユ10だと明快に回答を頂き、夜もぐっすり眠れると思っていたら、また気になるネタが発生しました。客車の神様 助けて下さい!