都電8800形増備

8800形の増備車8803~8805の3両が2月上旬に搬入され、3月中旬より営業運転を開始した。メーカーは昨年新製された8801・8802と同様アルナ車両で仕様も同じである。2両の頃は中々見られなかったが、さすがに5両になると日常的に見ることができる。今回の増備により、7500形の7501・7516・7518が廃車された。

 

8803/上22年5月8日飛鳥山  下22年4月3日 荒川2丁目~荒川区役所前

 

8804/上22年5月1日荒川車庫前  下22年4月3日 荒川7丁目~町屋駅前

 

8805/22年5月1日荒川車庫前 

他形式の動向

9000形

9001は平成19年3月、9002は平成20年12月に新製されたレトロ調車両である。貸切運転時に指名がかかることが多い。

 

9001 21年6月10日 荒川7丁目~町屋駅前

 

9002 22年5月8日 新庚申塚

8500形

平成2年にトップナンバーの8501、平成4年に8502・8503、平成5年に8504・8505が新製された。いつまでも新車と思っていたら、既に20年近く経過している。昨年になって8503と8505にラッピング広告が貼られた。スポンサーはご覧のように警視庁で、広告を見てドキッとされた方もおられるのではないだろうか。

 

8501 22年5月1日荒川車庫前

 

8503 上22年3月20日 飛鳥山 中22年4月3日 荒川2丁目~荒川区役所前 下22年5月8日 庚申塚~巣鴨新田 

 

8505 上21年12月30日 荒川車庫前 中22年4月3日 荒川2丁目~荒川区役所前 下22年5月8日 飛鳥山~滝野川1丁目

7500形

昨年新車との代替で7503・7513・7515の3両が廃車になり、更に今年の3月前述の3両が廃車になったため、現役で残っているのは7505・7510・7511・7512・7520の5両となった。この5両も今年8800形が5両増備されると廃車になる予定である。ラッピング広告がないのは7511のみである。

 

7511 22年3月20日 飛鳥山 

 

7512 22年5月8日 西ケ原4丁目~滝野川1丁目

 

7520 22年4月3日 荒川2丁目~荒川区役所前

7000形

7001~7005・7007・7008・7010・7013.7015・7016・7018・7019・7022~7027・7029~7031の22両が健在で主力として活躍している。廃車になった車両の内7009・7028は平成4年、7017・7021は平成12年豊橋鉄道に譲渡された。7022は黄色に青帯のリバイバル塗装車になっている。

 

7002 22年5月1日荒川車庫前

 

7022 22年5月1日荒川車庫

 

7005 22年5月8日 西ケ原4丁目~滝野川1丁目

保存車6086

最近塗替えが行われて綺麗な姿になった。京福電鉄福井支社の事故が原因で廃車になり、荒川遊園地に保存されている6152と共に現役に復帰できないものだろうか。現在荒川車庫の最も公道寄りに留置されており容易に見ることができる。

その他

荒川線と阪堺電車がPRの相互乗入れが行われることになり、7500形1両を阪堺線の旧塗装に塗替え6月6日から運行されることになった。また、阪堺線でもモ501形が1両黄色に赤帯の都電の旧塗装になる予定である。両線の活性化を目指した以降の展開に期待したい。

こんなことってあるんやなぁ!

普通電車のブレーキレバー折れる 滋賀の東海道線、急停車

 19日午後2時ごろ、滋賀県近江八幡市のJR東海道線篠原駅を発車した米原発網干行きの普通電車で、運転席のブレーキレバーが根元近くで折れ取っ手が外れた。運転士が残ったレバーの付け根を指先で操作し電車は急停車した。乗客約150人にけがはなかった。

 JR西日本によると、ブレーキレバーは鉄製で丁字形をしている。根元の直径は約2センチで、付け根から取っ手までは約15センチ。車両は223系で1997年に製造されて以来、レバーの交換はしていないという。運転士が発車させるためブレーキを緩めた際に折れたとみられ、同社が原因を調べている。

 JR西日本によると、電車は篠原駅を出発後、約140メートル先で急停車した。乗客は後続の電車に乗り換えた。

(47NEWS 5/19より)

記事には運転台におれたブレーキハンドルを置いた写真がでていた。見たところ金属疲労でポッキリ折れたようで、JR-Wはまたたたかれるのか?

やっぱり将軍様は仲間だった!

K.Hさんのご教示で国分隼人氏が書いた「将軍様の特別列車」が出ているSAPIOを買ってきました。

中には“お召し列車”の編成がイラストで出ています。たぶんK.Hさんが言っていた同氏の著書「将軍様の鉄道」に出ているものと同じかと思われます。記事には“将軍様は相当な鉄道ファンでもあるようだ。・・・平壌市内には鉄道関係の博物館が三カ所もある。・・・その保存・保管の充実ぶりは、マニアだからこそと思わせる”と書かれています。編成中に特別随行員専用執務車と電源車だけが短く、K.Hさんによると20mだそうです。

速度は在来特急並み?

昨日の河北新報にちょっと気になる記事が掲載されていました。
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速度は在来特急並み? 北海道新幹線新青森-新函館間


2015年度に開業を予定する北海道新幹線新青森-新函館間の半分以上の区間で、開業直後は新幹線が在来線特急並みの速度でしか走行できない可能性が高まっている

時速200キロ以上の新幹線と在来の貨物列車が線路を共用する区間ですれ違う際、風圧などで貨物列車が脱線する恐れがあるからだ。国土交通省はいくつか対応策を示すが、結局は新幹線の速度を抑える以外に有効策はなく、青森県などからは「在来特急と同じスピードなのに新幹線?」と疑問の声が上がっている。

国交省によると、新幹線と貨物列車が線路を共用するのは新青森-新函館間の149キロのうち、青函トンネルの54キロを含む82キロ。最速260キロの新幹線が貨物列車とすれ違った場合、貨物列車が風圧などで脱線したり、横転したりする可能性を否定できないという。

国交省は2月上旬、青森県や北海道などが参加する会議で「新青森-新函館間の着工が決まった04年度以降、対策を検討しているが、結論に至っていない」と説明した。

その上で、検討段階の対策として
(1)別のトンネルの建設や上下線間の隔壁の設置
(2)新幹線と貨物の運行時間の区分
(3)すれ違う時のみ新幹線が減速
(4)貨物車両が乗り込める新幹線用貨物列車(トレイン・オン・トレイン)の導入
(5)新幹線が線路共用区間で在来線特急並み(最速140キロ)で走行-の5案を提示した

1)の別トンネルの建設には5000億円超、障壁設置には1600億円超が必要とされ、工期が大幅に延びることも予想される。
(2)は新幹線か貨物のいずれかがほとんど運行できなくなる。
(3)は技術的に困難だという。
(4)のトレイン・オン・トレインは本格的な実用化までに10年以上はかかるとされ、開業には間に合わない見通し。このため、開業直後は(5)が実施される可能性が高い。その場合、同区間の所要時間は18分程度増え、約58分となる見込みだ。 

青森県は「開業が迫りつつある中、結論が決まっていないことだけを示されても」と困惑気味。「いつどうやって、新幹線らしく200キロ以上で走行できるのかを具体的に、早期に示してほしい」と求めている。
国交省は「開業の期日に間に合うよう結論を出したい」としている。
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関西では、九州新幹線のことが報じられることが多く、北海道新幹線のことには、余り関心がなかったのですが、青函トンネル内で、初めて在来線と併用される区間ができると、こんな問題が生じるのですね。

私は、技術的な事はさっぱり分りませんが、専門的知識をたくさん持っていらっしゃいますクローバー会員の皆様、もっと良いアイデアを出してあげてはどうでしょうか。

私がよく乗る、中国鉄路では、北京~上海間の在来線に昼間、最高速度220km/hの高速列車が1往復、走ります。実は、貨物列車とのすれ違いがあります。向こうは、約80~120km/hの走行です。しかし、貨物車両は、積載量60トン級なので、風圧を受けても大丈夫みたいです。旅客列車ともすれ違いはありますが、普通に行われています。
さすが350km/hで走行するのは、高速専用新幹線のみで、貨物列車の走行も、低速列車もありませんので、こちらは問題ありませんが、在来線では、160km/hでのすれ違いは、幹線では結構遭遇します。

世間の見る目は・・・

最近は世間から厳しい目で見られている我ら「鉄道趣味人」であるが、今日の新聞におもしろい記事が出ていたので転載してご覧いただく。

著者は作家の赤瀬川原平氏。小生は作家としての氏は知らないが、テレビなどで「路上観察者」としてたびたび出演されているのを見ている。なんでも路上にある普通すぎて誰も気にもしないものに注意してその存在意義を議論するのを趣味にしておられる様子である。大阪特派員氏と共通しているようでもあり、我々とも目の付け所が似ているようでもあり同好の臭いを感じていた方である。

この掲示板でも最近の「テッちゃん」と言われる連中の態度に厳しい見方が書き込まれることが多くなってきたが、鉄道趣味は持たない世間の方から見た意見としてお読み願いたい。

同じ朝刊に昨日も関西線の線路内に三脚を立てていた尼崎の50才のテッちゃんが通報され(近所の人に!)怒られたとか。

趣味を持つことは人生にとってすばらしいことである。しかし趣味とは他人に迷惑を掛けないことが最低条件であろう。でも自分のことには寛容で、他人には厳しいのが凡人の常である。小生は以下のように考えているが諸先輩のご意見はいかがであろうか。

たとえば暴走族とツーリングの違い。車で走っているとき大型バイクに迫られると「ドキッ」とすることがある。しかし近づいてよく見ると凝った装飾は似ているがこだわりを感じるデコレーションと、手入れの行き届いたバイク、ゆったりとした走り具合、なによりライダーにゆとりと品格が漂っているのに安心する。一方の暴走族は騒音が趣味なのかバイクが趣味なのか分からない。人相風体を見ても教養やゆとりは感じられない。どちらも聞けばバイクを愛していると言うだろう。では違いはなにか、小生なりの結論は「好き」だけでは趣味とは言えないと考える。知識を基礎にした教養と廻りに対する感謝と遠慮、なにより鉄道を生活の糧にしている鉄道員に対する配慮がなければ暴走族と同じであると自制している。

いまや鉄道沿線の住民にまで通報されるようになった趣味活動は今後世間をも敵として戦いながら続けて行かなければならないのだろうか。

金正日は仲間?

北の独裁者・金正日将軍様が宗主国の王様にご機嫌伺いに行ったニュースはご覧になったでしょう。

あのオッサンの乗っていた列車のすごさに驚きました。

手入れの行き届いたC+C片運転台のDLが背中合わせに二両つながった、DF+DFの固定編成と思われる機関車に牽かれた17両編成の特別列車でした。客車はおそらく22mくらいあるのではないでしょうか。中には窓配置から食堂車と思われるものや寝台車ではと思えるものなどじっくりと見てみたい限りです。独裁者というものは疑い深いので飛行機より鉄道を利用すると新聞に書いてありましたが、それならあの悪名高い将軍様も趣味としては我らの仲間といえるのではないでしょうか?

どなたかあの列車の情報をお持ちでしたら教えてください。かつて北鮮に潜入して調査をした「準特急」さん、いかがでしょうか?

佐竹保雄鉄道写真展開催 芦生トロッコ軌道

2010年大型連休は、晴天に恵まれました。皆様方は、どのようにお過ごしされましたでしょうか。私は、5月1日、2日と、沖中先輩と井原君の車に同乗させていただいて、佐竹先輩の写真展を見に芦生へ行って参りました。滝本先輩、弘津後輩も現地で一緒になりました。

芦生は、京大研究林があって、そこにはトロッコが走っていると、以前から知っていましたが、初めての訪問です。どんな所なのかと、ワクワクで参りました。

芦生への途中には、茅葺き民家が残る美山町北集落を通過しました。

渋滞を予想した京都縦貫道はガラガラで、27号線→府道12号線→162号線→府道38号線を走り、京都府南丹市美山町芦生に13:30到着しました。

写真展参加者は、1泊2日で参りました。クローバー会の方々の他、佐竹ご夫妻の友人知人の方多数が参加され、改めて佐竹先輩のキャパシティの大きさにびっくりしました。



トロッコの走る京大研究林の正式名は、『京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション 芦生研究林』で、1921年4月4日(大正10年)に大学側と土地所有者(代表:知井村長)との間で99年間の地上権設定契約が締結され、京都帝国大学芦生演習林として、誕生しました。

標高は、355~959mで、4,179.7haの広さを誇ります。貴重な動植物が生息していますが、我々が関心を寄せるのは、トロッコのみです。

1925年には出合から演習林事務所に至る車道が開設され、1927年には由良川に沿って、事務所から七瀬に至る森林軌道の軌道敷開削工事が開始1934年には事務所~赤崎間にレールが敷かれました。
1934年に開通した森林軌道の沿線を中心に、木炭用の雑木や枕木用の栗材が大量に伐採されたほか、ブナ材は飛行機のプロペラ用や梱包材として伐採された。中でも木炭の生産は年を追うことに増加し、販売されて貴重な収入源となりました。

戦争中は、林業資源確保のために、1943年には小野子谷方面へ森林軌道の延伸が行われましたが、この森林軌道は、1949年7月のへスター台風で記録的な大雨に見舞われ、全線流出・埋没するという大きな被害を受けました。1950年には森林軌道が野田谷まで延伸されたが、2010年現在は、

事務所~灰野間7.6kmのみ、不定期に走行しています。

5月2日8:30、トロッコ道に沿ってのハイキングが実施されました。案内人は、芦生を知り尽くしたジャーナリスト、写真家の鈴木元(すずき はじめ)氏です。そして、何と鉄ちゃんでもあります。私どものために特別に案内人を引き受けてくださりました。事務所を出ると、右に直角に曲がって、由良川橋梁を渡ります。由良川に沿った芦生杉林の中をカーブを描きながら、森林軌道は延びています。ゲージは、762mm、軽レール(10kg以下級?)が敷設されています。

川を渡ってしばらく行くと、事務所から最後の民家横を通ります。現在、ここから住居はありません。谷川を渡る橋が、何本もあります。鉄橋もあれば、木製橋もあります。
滝本さんと、この軌道に見学用のトロッコを走らせられたら素晴らしいと、ロマン話を続けながら一緒に歩きました。


離合できるレールのポイントがある所が灰野駅です。灰野は江戸時代には村があって、その後も定住する人達がいたそうですが、昭和30年代になり、電気が引かれない事が決定となり、住民引越しになったと、鈴木氏の説明がありました。トロッコが走るのは、ここまでです。

灰野を過ぎると、線路はレールが外れたり、橋梁が朽ち果てていたり、土砂崩れが起こったりして、廃線そのものです。

松崎西谷橋までゆっくりと、説明を聞きながら、1時間半をかけて、歩きました。線路は、U字形をした橋梁で谷を越えていますが、残念ながら、ここも潰れて落ちています。今回のハイキングはここまでで、早い昼食をとって戻りました。すると、・・・・・。

山の家にいると、井原君が倉庫内に入っていたトロッコが、出てくると呼びに来てくれました。


ご覧ください。これが、日本で唯一のまだ現役として残っているトロッコです。さわやかな春の風が静かに吹き抜ける中、晴天にも恵まれて、芦生トロッコ軌道散策ができました。こんな素晴らしい所で写真展を開催していただき、佐竹先輩ありがとうございました。機会があれば、また来て見たいと思いました。

京阪100年展、紹介記事転載

4月7日京都新聞の朝刊に掲載された記事の転載です。京都新聞を見られない会員に見ていただきたく思います。

4/1から『京阪電車100年のあゆみ』展 開催!

クローバー会の今年度の公式行事第一号、『写真でつづる京阪電車100年のあゆみ』が、いよいよ4月1日から、京阪七条駅歩いて1分の「集酉楽サカタニ」で開催されます。
開催前日の31日、関係者が夕方から集まり設営を行いました。事前の準備もあって午後9時には滞りなく完了、あとは開場を待つばかりとなりました。会員がカネとヒマに飽かして撮りまくった珠玉の写真約30点が並びます。
会期は4月30日までの1ヵ月、会場の当番はとくに定めていませんが、来客の多い土日はぜひ来場いただき、来客の接待をしていただきますようお願いいたします。

着々と進む準備作業。今回は、京阪電鉄からの協力もいただき、一部の写真の提供のほか、多くのポスター・パンフレットの提供もいただいた。

芦生佐竹保雄写真展のご案内

つぼみも花も気まぐれな天候に戸惑っているこの頃です。

お変わりなくお過ごしのことと思います。

私たちも相変わらず元気に忙しく過ごしております。

さて、「佐竹保雄鉄道写真展in芦生」のご案内をさせていただきます。

トレランス号のころからときどき訪ねたり、木のおもちゃオータンやそれにちなむトレランス号の記念品などでかかわりの深い芦生での催しです。

廃校になった小学校の分校舎で芦生木工を営む鈴木さんとのお出会いで、この催しが実現しました。鈴木直道さんの仕事場で木工作品とのコラボです。

思えば京都府と滋賀県と福井県の国境に位置するこの地は、鉄道と何のかかわりもありません。今日でも秘境といってよいほどの山奥です。近くには美山のかやぶきの里がありますが、そこからさらに13キロ離れた芦生へは、アクセスが難しいです。だからこそ芦生という気がします。

 今回の企画は、大阪の友人グループと同志社の鉄道同好会OB・クローバー会のご協力をいただきました。外国の鉄道ではシベリア、ペルー、中国など、路面電車ではキエフ、タシケント、サンフランシスコなど外国の作品は全部未発表です。枚数も今までで最大規模となります。

また51日のみ、展示写真の説明も含めて「特別企画・佐竹の話、夜呭(よばなし)ということで、ゆっくりした時間を予定しております。

翌日は由良川源流のせせらぎを聞きながらの森林浴もよし、生き物の多様性がうれしい京都大学演習林辺りの散策もよし、きっと日頃の疲れを癒してくれることでしょう。ゴールデンウイークを1泊2日芦生の旅に是非どうぞ。

私たちも、おかげさまでこの1年を喜寿と古稀夫婦として過ごしてきております。この企画も自分の越し方の振り返りや整理になるように思います。

お会いできるのを楽しみにしております。

取り急ぎご案内まで。    

   

 

 

        2010年3月吉日  佐 竹 保 雄                        

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      「佐竹保雄鉄道写真展in芦生」

 

会   期:201051(土)~5日(水)10時~17(12時~13時休み)

観覧自由、1日の午後・夜に佐竹の話、聴講無料。宿泊お勧めします。

在 廊 日:430(準備)、5月1日・2日宿泊,3日(午前中)。

会   場:芦 生 木 工 (南丹市美山町芦生)、     主催:芦 生 木 工 

   合:芦生山の家(0771-77-0290)  佐竹保雄 (&fax075-593-4276

アクセス:5/12のみ園部駅前から専用送迎バス1回運行。  他はマイカー。

宿泊募集:12日(5/1・2)、定員20名。  他の日の宿泊については山の家へ

費   用:10200(12食・バス利用・2日の昼弁当付き)

申   込:417日、別紙申込用紙にて佐竹宛FAXで、先着順。詳細・相談等は佐竹へご連絡ください。(&fax 075-593-4276090-1248-3321)

 

 

 

 

     FAX 075-593-4276 佐竹宛

 

「佐竹保雄鉄道写真展in芦生」宿泊・専用バス・弁当 申込み用紙

  

                     申込日 :  月  日  

 

お名前 :

                     

連絡先 :電話・FAX・携帯    

 

 

参加者お名前(性別)

 

小人は( )ご記入ください。

 

1、             (  )

 

2、              (  )

 

 

 

 

 

 

宿 泊 日 

(7350円、小人5775)

 

 他の日の宿泊は山の家へ

 

1、51(土)人数(  )人 ⇒万一の   場合2日に変更(可・否)

 

2、52(日)人数(  )

 

 

 

昼食弁当 (850)

 

 

 

1、52() (  )ケ

 

2、53() (  )ケ

 

 

専用バス利用(片道1000) 

 

JR園部駅西口1300

芦生山の家  1330?

52日園部迎えは希望者があれば運行予定、時間は15時頃?

1、利用しない(マイカー)

 

251() 園部発(  )人

352() 芦生発(  )人

452()  園部発(  )人   ⇒

553()  芦生発(  )人

 

 

 

 

運行決まれば発車時刻を改めてご案内します。

 

  5月1日は、山の家は貸切となります。宿泊定員は32名です。相部屋をご了承ください。先着順。万一定員オーバーの場合は2日に変更できる方にご協力をお願いし少しでもご参加できるようにしたいです。申し訳ありませんが調整不能の場合は参加をお断りします。受付結果は返信します。

430日、51日、2日に佐竹は泊まります。30日または2日のみの宿泊、または連泊は可能のようですが、至急佐竹まで。3日は満席とのことです。

この用紙で4月17日までにfaxまたはE メールでで佐竹へ申し込んでください。 大阪グループは小川さん取りまとめお願いします。

問合先:宿・展覧会・散策ガイド⇒芦生山の家 ℡ :   0771770290

    その他・相談等    ⇒佐竹 保雄 電話&fax 075593-4276

                佐竹紀美子 携帯 :09012483321

一般観光・町内バス  ⇒美山町観光協会℡ 0771751906

 

 

※このお知らせは佐竹先輩よりのご依頼を受けて田野城が代理投稿いたしました。

※お問い合わせは乙訓の長老、会計の井原会員、佐竹さんまでお願いいたします。

※佐竹さんのアドレス

   yks-tole@kyoto.zaq.ne.jp   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本橋だより

 
27日に近畿日本鉄道と国立文楽劇場が企画した文楽列車が走った。大阪難波駅を9:38に出発した列車は車体を平城遷都1300年仕様に装飾した6輛で、前部のみ洋食皿ぐらいの大きさのヘッドステッカーが貼り付け。前5輛に文楽友の会会員150名と一般募集客50名が乗車する貸切列車である。乗り込むには二千円が必要であるが、弁当飲物はもとより乗車券も別途購入という厳しいもの。文楽劇場もよりの日本橋駅に停車し人形二体が最後部一輛に乗り込む。

奈良駅へは10:27到着という各停並みの所要時間。奈良駅では着ぐるみ人形のせんとくんが文楽人形をお出迎え。遷都1300年を記念し文楽劇場が奈良猿沢池を舞台にした出し物「妹背山婦女庭訓」を上演するのに乗じたイベント列車である。
大阪難波駅で写真を撮っていたのは劇場の職員と特派員と参加者の3人だけ。駅員は昨今の鉄ちゃん騒ぎを予想してか多勢が待機。特派員は見送っただけで、売店で赤福を土産に買って日本橋駅まで阪神電車に乗って帰る。奈良行きの阪神電車なんて変な感じ。山陽電車も遠慮せんと奈良まできたらええのに。

新聞によりますと、大阪府知事が関西空港の活性化のため新大阪駅と南海難波駅を結ぶ鉄道を造れとか、寝屋川市長が京阪びわこ号を動態保存し寝屋川市の目玉にしたいといってるとか伝えています。びわこ号復活したら、もちろんクローバー会の貸切
列車でしょう。

500系・北陸・能登・阪急特急・キハ52と話題のつきなかった三月ももう終わり。東奔西走いただいたトップページ写真撮影隊のみなさま楽しませていただきました。500系は、こだまに格下げ。入口付近をロングシートにして走っているのかな。

ウインドウズ95でも投稿出来るか徹夜で勉強しました。

そうだ京都いこう。七条で写真でつづる京阪電車100年のあゆみ展だ。

びわこ号復活!

 大阪府寝屋川市と京阪電鉄は25日、昭和9年に製造され「びわこ号」(60形)の愛称で親しまれていた車両を復活走行させると発表した。

 昭和45年の引退まで大阪・天満橋-滋賀・浜大津間を運行した人気車両。10年前から寝屋川車両工場に保管されており、市が活用を提案した。

 復元に必要な数千万円の費用は市民から寄付を募る。イベント車両として走らせるほか、グッズ販売も。市は「寝屋川を鉄道ファンの聖地にしたい」と話している。

産経イザ3/25より転載

「奥山さんの機関区めぐり」

Webページ「奥山さんの機関区めぐり」を開設します。
アドレスは下記の通りです。ぜひご覧ください。 

http://kikanku.web.fc2.com/

 

  これは、会員・奥山直秀さん(58年度生)が、長年にわたり各地の機関区を訪ね、撮影した数多くの写真の一部です。奥山さんに代わりデジタル化およびWebページ作成は、奥山さんのご了解の元に鶴が担当しております。写真説明など奥山さんに直接監修を頂
きました。読者皆さんにおかれましても、誤記などありましたらご指摘など頂きます
ようにお願い致します。

 機関区内の写真だけでは、単調に過ぎる嫌いもありまして、走行写真や、駅構内での大型写真をも付け加えました。

 形式別には、先ずC59型から始め、5月にはC60型、6月はC61を、7月にはC62の順に掲載の予定です。

 開設にあたり、奥山さんの言葉、「C59と梅小路と私」を頂き、直筆文を掲載しました。青信号には、昨年の宇治鳳凰ロータリークラブ会報に寄稿された、奥山さんの一文を紹介させていただきます。

 

宇治鳳凰ロータリークラブ会報、平成2164日号へ奥山さんの寄稿文

「大型蒸気機関車(SL)に魅了されて」

                            奥山直秀

 私、幼い頃より乗り物が好きで生地横浜と当地を往来することが多かったためか鉄道は特別であった。そして大人になればあれを動かす人になりたいと言う気持ちに満ちあふれていた。

 中学生になると学校の横を走る奈良線に興味をもち下校時は宇治駅回りとしその時間帯に到着する上、下旅客列車や長時間停車している貨物列車のSLを見て帰宅していた。そのうち毎週同じ日に貨物列車を運転してくる機関士や機関助士の方々と親しくなりいろいろ見学させてもらったり教わったりした。すなわちSLは人間に一番良く似た機械、詳しく言えば個性がある。その個性を訪ねると水や石炭を多く消費せずに潤沢な蒸気を発生し車軸などの発熱しないものが優秀機、そうでないものは不良機でそれを使いこなすのが機関士や機関助士の腕の見せ所とのことであった。

 前後して京都駅八条口側の塩小路高倉陸橋に父に連れて行ってもたった。ここでは東海道、山陽道の大型SLが水や石炭を一杯積み込んで折り返しの時間待ちをしている姿は壮観で、夕刻には浜松から特急「つばめ」や「はと」を牽いてロングランで下って来るし、夜には特急「かもめ」を牽いて広島から上がってくることも判りますます興味が湧いた。しかし私にはカメラもなく目で見て覚えておくしかなかった。当時SL列車の写真は多く発表されているが朝日を浴びて山科の大築堤を行く上り特急「つばめ」の写真は最高のものだと思う。

 しかし国鉄は企業の合理化とエネルギーの効率化のため名古屋、米原と電化を進めついに昭和31年秋大阪に達したが大阪駅の構内の関係で長距離列車は全て京都でSLと付け替えが行われ、大半の大型SLはこの地に残ったのは嬉しかったがそれもつかの間昭和34年姫路電化で山陽西部、北九州、東北、一部は函館本線の輸送力増強用として散っていった。

 その後私もその道に入る機会を得たが達成できず趣味者としてこれらSLとの再会を目指して各地に出向いた。一番嬉しかったのはこれらのSLが転属先で元気に走っている姿を見た時である。しかしそちらの方も電化、ディーゼル化が進められ次々と姿を消した。

 幸いにも鉄道開通100周年事業として京都に梅小路蒸気機関車間が開設されこれら大型機を含む名機18両が保管され内5両は動態保管機として構内および各地に出張して運転されている。又最近JR各社ではSL観光列車が運転されSLの人気の高い証拠である。

(原文のまま)

成田新幹線のなれの果て

7月17日の開業に向け、成田新高速鉄道で新型スカイライナーの試運転が始まりました。

3月14日には、空港第二ビル~印西牧の原間で三往復、初めての160キロ運転での試運転が開始されました。

ご存知の方も多いと思いますが、新鎌ヶ谷から成田空港間は、成田新幹線のために用意された線路敷を利用し、北総鉄道・千葉ニュータウン鉄道・成田新高速鉄道が建設されています。

建設中止から三十数年の時を経て、成田新幹線の計画が実現します。

塗装も相まってなんとなく、新幹線の様に思えてくるのは、私だけでしょうか?

橋本工房便り(B6の完成)

冬の間も当工房では細々と作業が続けられ、長くかかったB6(2120型)がようやく完成しました。この模型は昔、鉄道模型社が発売していたエッチング板を利用したもので、ボイラー・車体はエッチング板、動輪・ロッド類・スチームドームはSANGOの製品を使用、台枠他を自作したものです。B6との付き合いは学生時代、宮沢模型製の2900型を手に入れたのが最初で、2両目として今回と同じ手法で2700型を作っていましたが、いずれも改造形式なので、オリジナルのB6が欲しくなり「3両目の正直」と思って作り始めたものです。しかし仕事についてからは思うように作業が進まず、長い眠りに就いていました。例によって未塗装ですが奮闘の跡をご覧下さい。

駆動方法は縦型モーター(DV18A)をキャブ内に入れ、第3動輪に入れたウオームギヤーを駆動する、この種の機関車としては一般的な方式です。狭軌車両を16番で作るとき、特に蒸機はシリンダの内側に動輪が入るため、シリンダ中心間隔を広げて作る必要があります。このために車体幅にまでその影響が及び、フロントビューの印象が実物とずいぶん違ってしまうのが残念なところです。

機番の2312号機ですが、学生時代にマツモト模型で貰った形式入りナンバーが綺麗に出来ていたので使用しただけで、当該機に拘りがあるわけではありません。須磨の大老のお言葉を借りればそれこそ「掃いて捨てるほど」あった機関車なので、滅多に写真集なんかに載ってはいないだろうとタカをくくっていたら、見事、NEKOのRM LIBRARY 「B6回顧録」の表紙に写っていました。

工房便り、次回はいよいよD50の登場です。

江若鉄道白鬚駅復元工事の近況

白鬚駅復元1

白鬚駅復元1

高島町に続いて白鬚駅復元工事に着工しておりますが、3ブロックの基板は出来上がり、レールのスパイクが始められるところまできました。不安だった湖岸の擁壁も何とか格好になり、案ずるより生むが易しといったところです。いつもラジオを聴きながら作業しているのですが、今日は朝から津波警報のニュースばかりで、湖岸の作業をしていると 早く避難しなければならないような錯覚に陥りました。先は長いのですが、ぼちぼち進めてゆきます。それにしても松の木をどのように作ろうかと名案がありません。ゆっくり悩むことにします。では1カットだけ写真を添付します。白鬚駅の北側、湯口先輩著「丹波の煙 伊勢の径 上巻」の表紙を飾る写真の場所がこのブロックです。

奥山さんのC6120が掲載されました

 月刊誌『とれいん』423号(20103月)に奥山さんのC6120が大きく掲載されました。一ノ関を出発する上り列車です。

 奥山さんのフィルムと写真を預かり、早速にC6120を捜しましたら、3枚ありました。内2枚が一ノ関、他の1枚がここに掲載の青森駅到着の写真です。なんと3枚とも機関区以外の写真でした。いずれも完璧な写真です。また、同誌には当会3会員の写真も掲載されており、OB会が
大活躍です。

 
 
OB会第1回の写真展と今回の掲載とで、当会会員は勿論全国のファンも、「奥山さんの写真を見たことがある」となった筈です。

 
 そして近日中に、『奥山さんの機関区めぐり』が
web に登場予定です。フィルムもL版も完璧な姿で保存されています。どうかご期待ください。

阪急 HM満載

既に、総本家 青信号特派員さんよりご紹介があったように、6300系にHMが付いて、最後の雄姿を見せています。家に近いこともあって、連日、愛用の電チャリで撮影に励みました。HMは、6300系以外にも付けて走行していますので、あらためてご紹介させていただきます。

阪急電鉄 100周年記念号   桂→西京極
摂津市駅 2010年3月14日開業記念号  西院→西京極

本命の6350ありがとう号  大山崎→長岡天神

長岡天神→西向日

上牧→高槻市

長岡天神→大山崎

ちなみに、3月14日時刻改正で、京都線の最高速度が、110km/h→115km/hにスピードアップされて、若干ですが、時間短縮が図られます。この運行表も、相川~東向日は、最高速度『115』に、代わります。
http://holdings.hankyu.co.jp/ir/data/ER200912092N1.pdf

最後の阪急6300特急 HM付きに

いよいよ終幕が近づいた阪急6300特急、乙訓の老人の予告どおり、本日の午後出庫運用から記念のヘッドマーク付きで登場しました。
いちばん近くを走るイベント電車とあれば、好きにはなれない葬式鉄にあっさり宗旨替え、さっそく撮ってきました。
このご時世、電鉄側の異例の撮影のお願いが奏功したか、みんな安全に平和裏に撮影していました。

「ありがとう6350」のHMで本日夕方から走った特急編成

「通勤特急」の初運用 夕陽を受けて端正な前面が浮き上がった

長老と大老の挑発に乗るの巻

長老と大老が永年秘匿してきた機密書類の保存期間が解けたのか公開されたようだ。そのなかに鳥羽快速に関する供述があり、そこで小生の写真に関する箇所が出ている。それは昭和38年3月に亀山機関区で撮った、六軒事故の証拠物件機関車の写真である。いまなら考えもつかないことだが証拠品が雨ざらし日ざらしで駅の構内に留置されていたのである。恐ろしい事故の被害者たちの声が聞こえるようで身をすくめながら撮ったのを覚えている。

当時のことを知らないが長老や大老におかれてはどちらの機関車が突っ込んだのか、当時の状況をご解説いただければありがたく存じます。

(上)左側がC51172、右側がC51101 

(上)C51101のキャブ

(上)C51101(先輪はない)

(上)C51172キャブが(浮き上がっている)

長老あこがれのc51100のおいど。この日C51100は頭を機関庫に入れていたのでお尻を撮った。ナンバープレートとクロームメッキされたテンダー周りの上部縁がピカピカに光っていた。