人間国宝 山科の写真展を開催

「山科の人間国宝」こと佐竹保雄さんの写真展が今週末から開催されます。

多方面への好奇心を失わず、家にはほとんど居ないぐらい、毎日元気に出掛けられている佐竹さん、今年の掉尾を飾るのは、山科限定の写真展です。今までも同様のテーマで開催されていますが、未発表写真も含めた、山科の魅力が詰まった総集編の写真展です。

さらに同時に開催される「石井麻子のニットアート展」とのコラボ、「雪とSLの額絵」も見ものです。

「佐竹保雄 山科国鉄写真展」

日時 11月21日(土)~12月6日(日) 期間中無休

会場 京都市営地下鉄烏丸線烏丸御池駅内

    烏丸御池駅ギャラリー(ラッチ外、中二階通路にある市民ギャラリーです)

 

なお佐竹さんの在廊日時は

11/28 10~13時            12/5 10~13時   

11/29 10~12時 13~17時     12/6 10~14時

となっています。会員との出会いを人間国宝は楽しみにされています。

かつての日本一の撮影地、山科の魅力を余すところなく表現

 

なお、佐竹さんが以前に著された「おじいちゃんのSLアルバム」が“たくさんのふしぎ傑作集”に選ばれ、絵本仕様になり装いも新たに発売中です。お持ちの方も愛蔵本としてぜひご購入をお勧めします。

今度は書店の鉄道書コーナーに並ぶので買い易い(本体1300円)

今年もEVEへ 鉄道同好会へ

掲示板読者の皆さまには長い間ご無沙汰しておりますが、第二の人生、元気にやっております。「晴れたら取材撮影、雨が降ったら原稿書き」と鉄道版“晴耕雨読”の毎日です。

現役会員からも活発な便りが届きました。「青信号」も充実の最新号が完成、恒例のEVEも着々と準備中とのこと、久保会長から連絡がありました。

EVEは次のように開催されます。土曜日も含まれますので、ぜひ見学にお越しいただきますよう、ご案内いたします。

鉄道同好会EVE展示

11月26日(木)~28日(土)10:00~17:00
同志社大学今出川キャンパス寧静館401号室にて
内容:Nゲージ展示、研究展示、青信号販売etc

11/8に行なわれたカミングデーの様子。今年クローバー会の集まりはなかったが、代わりにEVEへ行ってみるかも。

西武トレインフェステバル2009in横瀬・秩父鉄道見学記

10月4日(日曜日)西武鉄道秩父線横瀬車両基地で「西武トレインフェステバル2009in横瀬」が開催され、昨年に続いて見学した。年に1度だけ横瀬車両基地に保存されている機関車を屋外で見学できるチャンスで、1度見れば良いというものではなく、良いものは何度見ても良い。機関車の並びは毎年変わり、昨年停車位置が悪かった車両が撮影できるチャンスでもある。今年は西武秩父線40周年ということで、西武秩父駅を第2会場としてE34+E32+E31を中線に展示し、旧塗装に復元したクモハ271-クモハ272の2連を横瀬~西武秩父間の臨時電車として9往復半運転された。昨年は初めての見学でもあり、見学・撮影に3時間以上費やしたが、今年は1時間半位にして秩父鉄道に行くことにした。

朝から国分寺まで出かける用事があり、会場には予定より少し遅れて10時40分頃到着した。途中武蔵丘信号所で「銀河鉄道999」のラッピング車と交換し、次の飯能発西武秩父行に充当されるので撮影することにした。会場では元特急車クハ5504が10000系、4000系、本日運転された臨時快速急行の241F+243F編成と並べられて展示されていた。構内は大変な賑わいで、子供や孫をデッキに乗せて撮影する人が多く中々撮影できない。E61のデッキで長電話をするおやじまで現れ、さすがにこれには撮影者の一人が降りてもらうよう頼みに行った。但し、12時前後の撮影タイム以外はデッキに上がってもかまわない。途中で先程のラッピング車を撮影のために駅に戻ったりしたが、時間が経つのを忘れてしまい、秩父鉄道の蒸機列車の撮影に間に合う電車に乗り遅れてしまった。臨電で西武秩父に行き、中線に停められていたE34+E32+E31を撮影した。

西武秩父線車両の並び

 かつての特急「レッドアロー号」クハ5505

ED102/昨年は停車位置がやや悪かったが今年は広い場所で撮影できた。国鉄時代の塗装と車号に戻されているが、個人的には西武時代のままでもよかったと思う。他の電機は旧掲示板【617】を参照いただきたい。

 

モハ505/昭和29年西武所沢工場製の17m車である。その後クモハ355に改番され、平成2年多摩湖線を最後に廃車された。旧車号、旧塗装に戻されて保存されている。昨年は停車位置が悪く全姿が撮影できなかった。この場所は架線がないためパンタを上げられないのが残念である。

 

モハ505の台車

「銀河鉄道999」のラッピング車で、上からクハ3011、クハ3012、モハ3211、モハ3212

 

横瀬~西武秩父間の臨時電車/クモハ272+クモハ271

 

クモハ271とE34の並び

 

E32+E31+E34

秩父鉄道お花畑駅に行き、12時30分発の電車を待っていると、入線時の塗装に変更後、昨日から営業運転を開始したばかりの1007編成が来た。途中浦山口と武州日野で上り電車と交換し、三峰口に13時3分に到着した。5月4日に準特急氏、ロギング太郎氏、シグマ太郎氏、デカンショまつり号氏とご一緒した時と同じ時間帯の電車である。三峰口到着後、乗客が降りるとすぐに留置線に引き上げ、蒸機列車と西武の4000系に挟まれた位置に停められてしまった。蒸機列車を白久で撮影後、再度三峰口に戻れば撮影できるので、上り電車に乗り白久で下車。場所探しが面倒なのと曇天のため、5月4日と同様、駅から徒歩30秒の所で撮影したが、線路脇の草は綺麗に刈られていた。三峰口には先程蒸機列車が停車していた3番線に到着したため、またしても撮影は不可能であったが、今回は天候が良くないので蒸機諦め、14時56分発羽生行で出庫する1007編成を撮影することにした。撮影後15時2分発西武4000系の池袋行快速急行で帰途に就いた。横瀬車両基地ではD16が展示車両を庫内に入れる作業をしており、来年も是非見学したいと思った。秩父鉄道は旧塗装に変更した1002編成こそ撮れなかったが、1007編成が撮れたので大満足であった。

 

ターンテーブルを出るC58363/ターンテーブルの周りには柵があり、方向転換を見学することが可能である。

 

白久駅徒歩30秒の踏切/線路際の雑草は綺麗に刈られていた。

 

下り向き先頭デハはダブルパンタになりイメージが変わったが、上り向きクハは原形のイメージに近い。中間車は冷房改造されていないので原形のままである。上からクハ1211+デハ1111+デハ1011 ・ クハ1201+デハ1101+デハ1001 ・ デハ1101

 

 西武クハ4011とデハ1007の並び

 

入換中の1007編成

常磐緩行線新車E233系2000番台営業運転開始

9月9日(水曜日)常磐緩行線の新車E233系2000番台が営業運転を開始した。E233系2000番台は、現在使用中の203系17本と207系900番台1本の置換えを目的として本年度1本、2010年度17本新製される予定である。特徴としては,直通運転を行う東京メトロ千代田線に合わせた「地下鉄仕様」となっており、外観は裾絞りの拡幅車体であった従来のE233系とは異なりストレート車体で、正面には非常用の貫通扉が設置されている。小田急乗り入れについては触れられていないが、金町駅近くの三菱製紙工場跡地の再開発により、大規模マンションの建設、東京理科大学の移転工事が進められており、完成の暁には運転間隔短縮等の輸送力増強の必要性に迫られ、現在綾瀬までとなっている小田急車両のJR乗り入れは不可欠となる。小田急4000系と共に3社乗り入れ準備工事がされているのではないかと思われる。

編成は次の通りである。

←取手 クハE2332001+モハE2332401+モハE2322401+サハE2332201+モハE2332001+モハE2332001+サハE2332001+モハE2332201+モハE2332201+クハE2322001  →代々木上原

現在のところ主として平日は01K(1)、土休日は03K運用に使用されているため、日中お目にかかれる機会は少ないが、日中の目撃情報もあり必ずしも限定ダイヤではないようである。来年度には全車両置き換えられるので、慌てて乗車・撮影の必要はないが、ヘッドマーク付を撮影される方のために一応時間を書いておくが、100%来るとは限らないので、その点はご注意いただきたい。

【平日01K(1)

松戸4:27→我孫子4:46/4:53→代々木上原6:01/6:13→柏 7:16/7:29→代々木上原  8:38/8:45→松戸9:37

【休日03K】

松戸4:28→北千住4:41/4:55→我孫子5:28/5:33→代々木上原6:41/6:51→柏 7:54/8:01→代々木上原909/9:32→松戸10:20 

9月9日営業運転の初日、夏休みを取って「ひたちなか海浜鉄道」(元茨城交通湊線)と日光線に行ったが、自分が休みのため休日と勘違いして、松戸駅4時28分発北千住行から運用を開始するものと思い込み、松戸駅5時8分発の北千住からの折り返し我孫子行の電車を待っていたところ203系がきたのでガッカリした。初めて乗ったのは9月12日(土曜日)で、雨のためよい写真でないがお目にかけたい。

 

取手側の先頭車 クハE233-2001

 

2両目モハE233-2401

 

3両目モハE233-2401

 

ヘッドマーク

 

車内の案内表示

E233系2000番台と代替で廃車になる203系と207系900番台についても若干触れてみたい。

203系は、従来の103系1000番台を置換えのため昭和57年に量産先行車として10両編成1本を新製、引き続き昭和59年に7本新製した。翌60年から205系と同一のボルスタレス台車に変更した100番台を9本新製して103系を置換えた。機器類は201系がベースで、主回路はチョッパ制御である。

 

クハ203-5

クハ202-6(代々木上原寄りの先頭車)

モハ202-13

モハ203-13

松戸駅を発車した代々木上原行

207系はVVVFインバータ制御の試験車として昭和61年に1本のみ新製した。203系と共に使用されてきたが、1編成のみの特殊車両のため予備車的存在で、最近では運用に就くことは少なく、E233系2000番台と交替で営業運転から離脱すると言われていた。

 

クハ206-901

モハ207-901

モハ206-901

サハ207-901

馬橋駅を発車した代々木上原行

参考までに203系以前の103系1000番台、更にそれ以前のクハ79形の画像も貼っておく。

 

203系と交替した103系1000番台の一部(56両)は105系に改造され、関西地区に転属し、奈良線、和歌山線で使用された。奈良線からは撤退したが、和歌山線、可部線等で現在も大部分が健在である。一方松戸区に残り、常磐快速線、成田線に転用された車両は既に姿を消している。

 

クハ79426 昭和43年9月6日 柏駅

柏駅に進入するクハ79を先頭とする取手行。隣に東武野田線の架線柱が見えるが現在の柏駅からは想像できない程長閑である。

(ネット情報)「一円電車」復活を 大阪の企業も応援 

産経新聞より転載

 来春の本格復活を目指す旧明延鉱山(兵庫県養父市)の「一円電車」を、大阪府藤井寺市の「丸菱電機」=高垣昌史社長(68)=が応援している。バッテリー機関車のリース・整備専門会社で、募金協力はもちろん、自社の運行ノウハウも指導しており、地元・明延地区の心強い味方となっている。

 同社は、久一義郎会長(89)が昭和29年に大阪市で創業。トンネル工事用などに「日本輸送機」(本社・京都府長岡京市)が製造した機関車を約250両を所有し、リースのほか、関西では丸菱電機だけが日本輸送機の指定整備工場となっている。

 もともと明延鉱山の機関車などの部品を納めていたが、2年前に明延の住民らでつくる「鉱石の道」明延実行委員会が、イベントで走らせる一円電車の客車を牽引(けんいん)するバッテリー機関車を同社からレンタルしたことが一円電車復活運動のきっかけにもなった。

 バッテリー機関車の購入や全長約600メートルの軌道整備には2千万円が必要だが、高垣社長は「バッテリー機関車が働く場所を与えてもらうことはありがたいこと」と、格安での譲渡を約束。今年6月には運行コースを下見し、同実行委に運行マニュアルや安全対策をアドバイスした。高垣社長は「運行は安全第一。一円電車の運行は、社をあげて応援します」と話している。

2009/09/22 22:30更新

京成電鉄 創立100周年記念列車Ⅱ

京成電鉄は創立100周年記念行事の一環として、3300形4両1編成(←上野 3324-3323-3346-3345)を往年の赤電塗装に変更して8月25日より運用を開始した。今回は前回の青電の時のようなイベントは実施されず、通常の4両編成の運用に入った

9月5日(土曜日)都心に出かける時、たまには京成で行こうと思い、京成金町駅から3501編成に乗車した。あわよくば「赤電編成」が撮れるかもしれないという下心もあり、もう一本の編成を確認するため、一旦次の柴又で下車したが、やはり3500形の3592編成であった。高砂で乗換えのため上りホームで待っていると、「次の各駅停車津田沼行は4両編成で到着します」の下りホームのアナウンス。直ぐにモハ3345を先頭に赤電の4連が到着したので慌てて撮影した。特に急ぎの用事でもなかったので、次の特急に乗れば途中で追い越してもう一度撮れるだろうと思い成田空港行特急に乗車。車内は大きな荷物を持った海外旅行客が結構乗っており満員の盛況であった。最初からエコノミーに行こうとする人やスカイライナーの通らない都営浅草線、京浜急行沿線から青砥で乗換える人が結構いるようである。東中山で「赤電」を追い抜き、津田沼で再度撮影した。津田沼到着後の運用を見ていた処、客扱いを終えると上野寄りの引上げ線に移動し15分後に「回送」で成田方面に行ったので、宗吾検車区に入庫したものと思われる。その間に千葉方面から「青電」編成がちはら台行で到着した。

 

上り電車を待っていると「赤電塗装」の3345-3346-3323-3324が普通津田沼行で来た。

 

津田沼駅に進入する赤電編成

 

津田沼到着後は一旦上野寄りの留置線で引上げ、回送で宗吾検車区に入庫した。

 

塗装変更前

 

青電編成(3356-3355-3354-3353)

3300形の現状

4両編成8本に組まれて金町線、千葉線の津田沼~ちはら台間、本線の上野~津田沼間の各駅停車で使用されている。金町線は昼間20分間隔で1本の列車で折返運転を行っており、走っておればゆっくり撮影できるが、ここ数カ月の土日は3500形のことが多い。千葉線は10分間隔であるが新京成から乗り入れる松戸~千葉中央間と津田沼~ちはら台間が交互に運転されており両方の撮影ができる。但し、新車の3000形も入っている。いづれにしても「赤電」「青電」ともども、休日や昼間の撮影は運次第である。

車齢が40年になるので引退が近いが、来年度の新車は成田空港新線関連の車両のため、もうしばらくは健在と思われる。また、北総鉄道にリースしている車両は、カメラを持っていない時に限って走っており撮影は運次第である。こちらもあと2年位は健在であろう。

編成表

←千葉、成田          上野、押上→

3301-3302-3303-3304

昭和43年11月東急車両)

3309-3310-3311-3312

(昭和43年11月日本車両)

3341-3342-3319-3320

(昭和47年2月汽車)(昭和44年12月日車)

3333-3334-3343-3344

(昭和46年2月東急)(昭和47年2月汽車)

3345-3346-3323-3324(赤電塗装)

(昭和46年10月日車)(昭和45年12月日車)

3337-3338-3347-3348

(昭和46年2月東急)(昭和46年10月日車)

3349-3350-3327-3328

(昭和46年10月日車)(昭和45年12月汽車)

3353-3354-3355-3356(青電塗装)

(昭和46年10月汽車)(昭和46年10月汽車)

北総リース車(下段は北総鉄道での車号)

3305-3306-3307-3308

(昭和43年11月日本車両)

(7261-7262-7263-7264)

3313-3314-3315-3316

(昭和43年11月汽車会社)

(7265-7266-7267-7268)

 

トップナンバーの3301編成は昭和43年製で車齢は41年になる。

上/津田沼 下/柴又

 

金町~柴又間を走行する3309編成(3309~3312)

金町~柴又間は、明治32年帝釈人車軌道として開業し、明治45年4月京成電鉄に譲渡された区間である。

 

柴又駅に停車中の3341編成(3341-3342-3319-3320)

金町~柴又間を走行する3341編成

金町線はこの区間が単線で金町駅が棒線の行き止まりのため、平日ラッシュ時10分間隔、昼間20分間隔で運転されている。

成田エクスプレス新型車両 車両展示会

仕事の関係で、2009年9月8日火曜日に品川駅9番ホームで実施された成田エクスプレス新型車両 車両展示会に参加してまいりましたので、レポートします。

事前に手元に、展示会の招待状が届きましたが、封筒・招待状ともN‘EXのイメージカラーのもので、JR東日本の熱の入れようが感じられました。

展示されたク繝・?259-7

展示されたクロE259-7

品川駅9番線に展示されたのは、6両編成1本でした。7番線には、乗務員訓練用のE259系の6

連が2本停車していました。

雑誌などで、既に掲載されている通り、グリーン車は、本皮張りのいすで、2-2の座席配置。普通車も同じ2-2の座席配置です。

デッキ部との仕切りは、グリーン車は、木目調の両開き自動ドア。普通車は、ガラス

の両開き自動ドアですが、ガラスのは、スーツケースなどが当たって割り

ることは無いようにできているとは思いますが、少し不安です。

驚いたのは、クロE259車端部にある電動車いす対応の大型洋式トイレです。鉄道車両

の車内とは思えない広さと落ち着きがある空間です。

グリーン車車内

グリーン車車内

普通車車内

普通車車内 デッキの仕切りがガラス製

電動車いす対応大型トイレ 

253系では、旅客の編成同士の移動はできませんでしたが、259系では、移動が可能となります

。昔のキハ82系を思い出しました。

前面貫通路の舞台裏

前面貫通路舞台裏
車両と車両の間の下の方には、大きなダンパがとりつけられおり、結構目立ち

ます。車体間ダンパ
見えずらいですが、車体間ダンパ

10月1日より、下り N‘EX3 9 13 15 25 29 31 39 43 49 上りN‘EX4 8 12 16 26 30 32 40 44 50に投入され、約1/3の259系となります。

職を失った253系は、波動用となるとか、特急「草津」「谷川」の185系を置き換えるとか、いろんなうわさがありますが、果たしてどうなることやら・・・・結構、車体にガタがきているものもあるようなので、固定式の椅子だけでなく、相当手を入れないといけないかもしれません。

先日、JR東日本の規則が改正されました。転用を念頭に置いた改正と思われる部分がありましたので、ご紹介します。もともと253系は、成田エクスプレス専用車であり、特急料金は、A特急料金を適用となっていましたが、成田エクスプレス以外で、B特急料金区間で運用の場合、その適用をするという改正です。

209系の転用劇の前例もありますので、楽しみです。

最後は、7番線には、乗務員訓練用のE259系の写真です。後ろに、9番線の車両も写っています。

福田静二君 『京都市電⑥物語』 新聞記事

朝夕と、涼しくなってなってきたので、旅支度を始めているが、そんな時は、なぜか回りの事情がでてくる。今回も、前々日前の関空行き決定と、なりそうです。

今朝は、早く起きすぎて、2度寝となってしまった。家内から、福田さんの記事が載っていると言われまで、熟睡でした。
早速ではないが、また掲載紙を投稿します。
朝日新聞 『あいあいAI京都』 の、第1面を飾った記事です。

福田君の今日は、高校時代の写真部OB会の面々が、訪れてくれるとかで、会場におられますので、近くを通られたら、寄って見てください。

祝 『京都市電⑥物語』 写真展開催

9月1日から、福田静二君による『京都市電⑥物語』写真展が、京阪七条駅近くの、『集酉楽サカタニ』にて、開催されました。
開催期間は、9月1日~30日です。早速、行ってきましたので、ご報告させていただきます。
福田君は、土日には、会場に詰めて、皆様方のご来場をお待ちしているそうです。是非に行って見てください。
京都新聞朝刊にも掲載されておりますので、ご覧ください。朝日新聞にも、後日に掲載されるそうです。

福田靜二写真展 『京都市電⑥物語』 開催! ご案内

ようやく、蒸し暑さも過ぎて、過ごしやすくなってきましたが、新型インフルエンザが、蔓延の兆しをみせ始めております。ご老体の多いクローバー会の皆様、出かける時は、マスクを忘れずに、着けてください。

さて、9月末で、定年退職が決まった福田静二君が、退職記念として、写真展を開催されますので、ご案内させていただきます。

場所は、いつもの京阪七条駅近くの、『集酉楽サカタニ』、開催期間は、9月1日~30日です。
題名は、『京都市電⑥物語』です。京都市電で、最後に残った[6番系統]に、焦点をあてた写真を展示するそうです。多分、数1000点も撮った、京都市電6番の写真の中でも、福田君が厳選した写真です。福田流の、味のある写真を見るのは、楽しみです。

猛暑で、こもっておられた皆様、もう熱中症で倒れる心配は、不要です。散歩がてらに見に行きましょう。
福田君は、土日曜日、会場に詰めているそうです。

9月26日(土)18:00からは、打ち上げ会を開催するそうですので、この日も是非に、ご参加下さい。

【速報】湯口さん「島秀雄記念優秀著作賞」祝賀会行われる

昨8月9日(日)、当会の湯口徹さんが、鉄道友の会「島秀雄記念優秀著作賞」を受賞され、その栄誉を称えるクローバー会の祝賀会が、大阪・曽根崎「ミュンヘン」において、厳粛に、かつ賑々しく執り行われました。参加が叶わなかった皆様に当日の様子を掲示板でお伝えしましょう。
この「島秀雄記念優秀著作賞」は、もっとも優れた鉄道図書を選出し、鉄道趣味界の発展に寄与することを目的として、鉄道友の会によって創設された賞で、今回、湯口さんが著されたRMライブラリー『日本の蒸気動車』(上下)が単行本部門で選定されたものです。

受賞の記念盾を手にした湯口さん(ちなみに受賞に際しての賞金、賞品、交通宿泊費、生涯年金は一切なかったとのこと)

山科の人間国宝からは、終戦直後に出された、ガリ版の模型機関誌「テイルライト」に若き日の湯口さんの記事が載っていることが披露された

祝賀会は、まず琵琶湖のヒマ老人の司会で始まりました。あまたある鉄道図書の中から選定された理由について、「俗説や不明点の多かった蒸気動車に対して、特許や実用新案にさかのぼって、その過程を丹念に検証、これまでの誤謬を修正した点が評価された」と受賞の理由を説明。
徹底して一次資料に当たり、一つの資料の発掘のために、何日も掛けて国立公文書館に通い詰める地道な研鑽姿勢が、今回の栄誉に結実したもので、安易な鉄道図書が蔓延る最近の風潮に警鐘を鳴らすものとも言えるでしょう。
ちょうど蒸気動車では唯一の保存車両である明治村のキハ6401に、今春のクローバー会総会で訪れ、参加者全員で湯口さんの説話を聞いたのも、何かの縁を感じさせるものでした。
これに対して湯口さんからは、小学校以来の表彰を率直に享受したい、クローバー会の理解や援助があっての受賞と吐露され、好きな酒も絶って、残り少ない人生を軽便鉄道や内燃動車の研究に全身で打ち込みたいと力強いお話がありました。
その後、参加者一人ひとりが、湯口さんに祝辞を述べ、記念品を贈呈。
最後に登壇した乙訓老人からは、湯口さんとの長い付き合いの思い出が披瀝され、「ミュンヘン」が選ばれた理由も、クラブ草創期の頃のピク京阪特集寄稿で、原稿料をつぎ込んで祝杯を上げたのが、京都にあった「ミュンヘン」とのことで、湯口さんや乙訓老人にとっては、思い出の店なのでありました。
湯口さんのますますのご活躍・長寿を願って、全員でバンザイ三唱して、クローバー会会員の快挙を参加者全員で祝ったのでありました。

記念品のオロナイン軟膏を中林さんから贈られる(高齢者にしか判らない古典ギャグ)

一人ひとりの参加者と友好を深められた

乙訓老人の思い出話をしんみりと聞く参加者

最後に準特急さんの音頭でバンザイ三唱

名古屋、東京からも駆けつけた21人の参加者

【韓国】非武装地帯の放置SL 復元展示       工-’79 山下敬司

半世紀以上非武装地帯に放置されていた京義線長湍駅SL(登録文化祭第78号)が
59年ぶりに化粧直しして一般に公開された。

臨津江(イムジンガン)の通称「帰らざる橋」の隣の上り線側橋梁跡の延長線上に、復元SLが保存された。

先日訪問してみた。

当日はあいにくの雨だったが、観光客は結構いた。

雨のせいもあるが、鉄の色がさび色を帯びて茶色っぽい。

だが、煙室などは原型をとどめている。

穴は戦争時に被弾した弾痕だとのこと。1000発以上の弾丸が貫通していたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正面側から見る。

正面には観覧用に陸橋が設置されている。全体的にはさすがに痛みがひどい。

 

放置されていた間に、煙室の中に木が生えていたそうだ。

その木がここに植えられている。

現在、南北の交流は冷めていて、国境を列車が走ることはなくなってしまったが、

北朝鮮の体制が変わり、また列車が走る日が来ることを祈るばかりだ。

大鉄道展の案内by琵琶湖のヒマ人

 たまたま京都伊勢丹の中で見つけたパンフレットです。

少なくとも我々がわざわざ行くほどのもんやないと思いますが、一応ご存じない方にと…。生意気にも700円も取りくさるのが、まず気にいらん!

何となく世の「鉄道ブーム」みたいなもんに乗っかって企画しとるようで、あんまりいい気はしませんなぁ~。(関与された方がおられたらお許しの程を…!)

 

 

 

 

琵琶湖のヒマ人さんの投稿を米手作市が代筆いたしました。

慶祝!須磨の人間国宝、島秀雄記念優秀著作賞受賞

この度、我らが大先輩であり鉄道趣味界の至宝である湯口徹先輩が上梓された「日本の蒸気動車」がめでたく鉄道友の会が選定する島秀雄記念優秀著作賞に輝いたとの速報を吉田さんよりお知らせをいただきましたのでここに記載して敬意を表したいと思います。たまたま昨日には交通科学館で写真展の打ち上げでご尊顔を拝したばかりでしたが普段より控えめで柔和なお人柄そのままにこの件について一言もなかったため、直接に御祝い申し上げることができなかったのが残念でした。おめでとうございます。

受賞作品は「日本の蒸気動車 上・下」ネコ・パブリッシング

受賞経緯など詳しくは下記のリンクをご参照下さい。

http://www.jrc.gr.jp/award/cyosaku/cy2009.htm#book2

ウワサでは近々小林宴会部長の音頭で祝賀会が開かれるとの由、その節はぜひともお知らせ下さい。

写真展「鉄路輝く」滞りなく終了

6月6日から交通科学博物館で開催されていた、当クローバー会の写真展「鉄路輝く」は、本21日を持って終了した。本日は16時から撤収去作業を行ない、梱包作業に全生命を賭けたT会員の陣頭指揮のもと、参加会員の協力で一時間余後にはすっかり片付き、写真展は滞りなく幕を下ろした。このあと、乙訓や須磨、武庫之荘の大老のみが祝杯を上げに弁天町の歓楽街へ繰り出して行ったのであった。

最終日も日曜日とあって、人気のレイアウト運転の終了後は写真展会場も大賑わい。小さな子供が歓声を上げて写真に見入る姿にはすっかり癒されてしまった。もともと鉄道ファンの来場はほとんどなかったが、その代わりとくに目立ったのは熱心な“鉄子”の存在。彼女らは決まって二人以上で訪れ、キャプションの一言一句までも食い入るように見つめていた。漏れ聞こえてくる会話もかなりレベルが高い。

小さな子供たち、あるいは女性などに、写真展を通じて鉄道の魅力を訴えられたとしたら、これはこれで写真展の大きな成果と言えよう。3回、4回と、写真展が永続的に開催されることを期待したい。

今日も大賑わいの会場。若い世代も熱心に鑑賞

“人間国宝”も会場に。会員からの質問に熱心に答える。

“鉄子”参上。話す内容もかなり専門的。

手際よく写真の撤収を行なう会員たち。

20日(土)には打上げが行なわれた。東京、名古屋、富山からも会員が駆け付け、17名が和やかに交歓し、写真展の成功を祝った。

水泳シーズンに間に合いました

            昨年のスキーシーズンには間に合わなかったオハ27たちがようやく完成し、湖西の水泳客輸送に間に合いました。沖中先輩から頂いたダブルルーフ材をしっかり活用させていただいて完成しました。あとは塗装を残すのみです。高島町駅の製作は建屋関係は完成したものの、ベースの台板製作に未だ手がつかずにおります。ひとつにはポイントマシンをどうするかが決まらないためで 検討に時間がかかりそうです。ところで 結局交通科学館に出かける機会がないまま 会期が終了してしまって残念です。また何かの機会があれば 皆様にお目にかかりたいと思っています。

写真展「鉄路輝く」 中盤に入る

6月5日にスタートしたクローバー会写真展「鉄路輝く」も中盤に入り、会期も一週間を残すのみとなった。本日13日も千葉県から駆け付けた会員も含め、多くの出展者が会場に参集した。以下、写真もまじえて当日の様子を伝えよう。

いちばん気になる来場者の入りだが、土日とはいえ、正直、写真展だけを目的の来場者はほとんどいない。圧倒的に多いのは、小さな子供を連れたファミリーだ。とくに人気の模型運転会が引けると、その隣にある写真展会場は、いっときの大入りを記録し、歓声、嬌声に包まれる。それも10分程度で潮が引いてしまうが、なかには椅子に腰掛けてじっくり見学する親子連れなど熱心な来場客も見られる。

いわゆるマニアは、すでに交通科学博物館は入館済みで、入場料を払ってまで再来するのに抵抗があるのかもしれない。しかし、鉄道に縁のない女性や、将来に見込みのある子供たちに、写真展を通じて鉄道の魅力に触れてもらうことこそ、写真展の本来の目的でもあり、その点では所期の目的を果たした写真展であったといえよう。

まだの会員は、ぜひ会場へ!

企画展示室のメイン会場に並んだ会員渾身の力作

やはり人間国宝の二人の写真には重みがある。

椅子に座って熱心に鑑賞する親子連れ

この子の将来、鉄ちゃんに間違いなし!

写真展準備完了! 6日から開催

クローバー会写真展「鉄路輝く」が、いよいよ大阪・交通科学博物館で6月6日(土)から開催されます。

会員から寄せられた選りすぐりの写真は全部で90点。厳冬の北海道から、灼熱の九州から、はたまた砂塵舞う中国から、会員がヒマとカネに飽かして撮りまくった珠玉の作品が見事に揃いました。

プリントはフジカラーの極上仕上げ、大きく伸ばした写真との対話は、あたかも名画を見るような至福のひと時です。

これに先立ち、プリントのパネル貼り、会場での設営と、連日続けられた準備作業は、関係者の並々ならぬ努力と協力があってこその無事完了でした。

メール環境にある会員には、写真展の案内を配信していますので、ご確認ください。さあ、弁天町へ、交通科学博物館へ、写真展へ。

パネル貼りした写真を梱包して発送

1点ずつ実測しながらピンで貼り付ける

人間国宝の貴重な写真も展示、懐かしのマイテHMも

最後に看板を取り付けて設営完了

DRFC関東連絡網について

先日の犬山総会の頃から「関東にもOB諸氏が沢山住んでいるのに、世代を超えた付き合いが無いのは寂しいことだ」とか、有名撮影地で「どかんかー、ボケ~!」と怒鳴った相手がOB会員だったら恥かしいなどの話が出ました。
また京都や地方のOB諸氏が東京へ出張やプライベートで来られたとき、撮影の同行や心ばかりの歓迎の宴を催せれば、もっと楽しいだろうとも考えました。
そこで、どんな方々が何処に居らっしゃって鉄活動をされているのかいないのか、取り敢えずメールで連絡の付く方を対象に「DRFC関東連絡網」と言うメーリングリスト(ML)を作りました。
現在は10数名の参加者が居らっしゃいます。
参加資格は関東在住者に限らず、東京へ来られる機会がある方も歓迎しますので、奮ってご参加ください。
ML参加希望の申し込み先 → y_square@wta.att.ne.jp
 
さて今夜はミーティングと称し、顔合わせを兼ねて軽いお食事会(飲み会)を西新宿の都庁周辺で挙行しました。
参加者は準特急さん、シグマ太郎さん、デカンショまつり号さん、新所沢都民さん、曙太郎さん、ロギング太郎の6名です。
水曜日は「No残業day」と言う社会慣行があり、今後も1~2カ月に一回位のペースで気長に開催しようと考えています。
会場となるお店は客単価が3,000円ほどで済み、閉店が21時と極めて健康的です。
 
今回の会合で、
1.会の名称を「DRFC関東連絡網」とする。
2.会長を「準特急」氏とする。
3.副会長を「デカンショまつり号」氏とする。
4.MLの世話役を「ロギング太郎」とする。
ことを決めました。
 
今後は関東在住者への呼びかけを広め、OB会の関東支部への昇格に向けて、活動を進めてまいります。
皆々様の、ご支援をお願いします。
また「私は関東の○○さんと親交がある」などの情報がありましたら、上記メールアドレスへご連絡頂ければ幸甚です。