癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 6 礁渓⇒高雄、高雄トラムを撮る

第5日目 11月25日

6:00 起床、部屋の大きなお風呂に贅沢に温泉をたっぷり入れて入浴です。目が覚めました。今日は皆さんとお別れです。昨夕帰途された893-2さんは深夜便で関空に向われました。クモハ73106さん、デカンショ祭り号さん、大津の86さんは台北から帰国されますので北迴線で北上されます。私は一人高雄からピーチで関空に向かいますので今日は高雄泊まり。ゆっくりと礁渓から高雄へ南迴線で向かいます。
切符は昨日崇徳駅で空席を調べてもらいました。時間がなくて購入したのは礁渓に到着後になりましたが大丈夫でした。花蓮で18分間の乗継時間がありますが約7時間半の絶景が続く南迴線乗車の乗り鉄旅です。

① 礁渓 8:01(自強204次)⇒9:29 花蓮 9:47(自強308次)⇒15:33 高雄

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クローバー会通信第2号補機

 本日クローバー会通信第2号届きました。ありがとうございます。楽しく拝見してます。その中で「鉄道のりつぶし現状について」を寄稿させていただきましたが投稿後、気合を入れて活動した結果、乗車キロ18466→19027.2まで伸ばすことができました。北海道新幹線、津軽線、大湊線、男鹿線、花輪線、五能線を踏破、残すは山田線、釜石線、大船渡線、気仙沼線、田沢湖線、北上線、陸羽東線、陸羽西線、左沢線、仙石東北ライン、仙石線、そして東北本線岩切~利府です。

 と思っていたら皆様ご承知の通り相鉄直通運転対応区間鶴見~羽沢横浜国大が増えてしまいました・・・終わりのない旅はまだまだ続きます。

最後に番外ですが丹那トンネルの坑口の殉職碑に頭を垂れてきました。この翌日には沼津~国府津を久々に乗車、改めて感謝の思いが湧いてきました。来年早々には全線踏破を成し遂げたいと思います。また皆様にはご報告したいと思います。拙文お許しください。

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癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 4 清水断崖を撮る

第4日目 11月24日

6:00 今日は今回の旅1番の撮影目的地「清水断崖」へと向かいます。5時過ぎには起きて宿泊した花蓮駅前のワウホテルをチェックアウト、開いたばかり屋台で朝食です。セブンイレブンでコーヒーと昼食を仕入れて皆さんとの集合を待ちました。
丁度セブンイレブンの前にTaxiが停まっていましたので交渉、3時間のチャーターで1,500TWD(約5,340円)、割り勘で1,068円で成立しました。日本の約1/3ですね。
先ずは荷物列車併結の花蓮始発台東行きの莒光602次を撮りたいと清水断崖とは逆方向に南下して吉安~志學にある木瓜橋鉄道橋を目指しました。

▲ 6:35 12.5㌔、約20分で木瓜橋鉄道橋の土手に到着、5人並んで列車を待ちます。

▲ 6:39 普悠瑪号が来ました。ダイヤにはない列車ですので回送と思われます。ご覧の通り今日の天候は昨日と違って曇天でよくありません。重そうな雲が空を覆っています。 続きを読む

癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 3 枋山、太麻里で撮る

第3日目 11月23日

① 高雄 5:11(自強333次)⇒6:09 坊寮 6:14(區間車3501次)⇒6:34 枋山

昨夜、デカンショまつり号さん、893-2さんも高雄に着かれて合流されました。今朝は全員4時過ぎ起きで高雄站に向かいます。乗車するのは高雄駅発の南行1番列車です。

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癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 2 台中港線と下淡水渓鉄橋で撮る


第2日目 11月22日

① 新左營 7:06(自強112次)⇒9:35 清水

今日はクモハ73106さん、大津の86さんと清水駅で合流して台中港線の埠頭へと向かいます。海線の台中港駅付近では何回も撮影しましたが台中港の第一埠頭までの7.8㌔へは行ったことがなく初めての訪問となります。午前中に2~3往復の貨物列車が運行されているはずです。早朝の列車に乗車して清水へ向かいました。

 

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癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 1 旅立ち 高雄へ

癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅と言っても南国です。晩秋に入って朝夕めっきり寒くなってきた日本とは違ってまだ30℃の夏日が続いています。今回の旅の相棒は、台湾大好きなデカンショまつり号さん、大津の86さん、893-2さん、クモハ73106さんとクローバー会の面々です。いつものように現地集合・解散で今回の撮影目的はSLではなく清水断崖と電化工事が進んできた南迴線撮影です。
▲ クモハ73106さん撮影の清水断崖です。台湾八景の一つにもなった清水断崖は東部幹線崇徳~和仁にあり蘇花海岸の中で最も壮観な断層海岸と言われています。22.7㌔にわたる海岸は高さ1000mの岩壁がそそり立っており、一歩足を踏み外すと太平洋に垂直落下!ここは台湾一番の断崖絶壁なのです。日本統治時代花蓮と宜蘭から工事が始まりましたが開業は出来ず、蘇澳~花蓮は船便で結ばれていました。蘇澳新~花蓮が全線開業したのは戦後の1980年(昭和55年)2月1日でした。
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 気賀駅の15分  ~最近のクローバー会活動から~

ブルーモーメントを楽しむ

今日も、京阪七条まで写真展に行っていました。マルーン会長さんはじめ、先の天竜浜名湖鉄道旅行に来ていたメンバーも集まり、昼から6時間にわたる酒盛りも始まりました。その天浜線の話題になっても、どうも記憶がつながりません。考えたら、撮りっぱなしのままで、忙しさにかまけて、画像を見返すこともなく、データも保存していないことが初めて分かりました。家に戻って、すぐ保存して、やっと閲覧することができました。天浜線の時は、写真展の準備もあって、深夜の日帰りとなり、撮影も十分にできませんでしたが、わずかな時間を利用して撮影したなかに、私としては“ンッ”と思うものがありました。遅まきながら、15分間に撮った記録から、通常の活動報告に戻ることにしました。
当日の宿泊宴会先近く、天竜浜名湖鉄道の気賀駅を発車して行く上りDC、以前のNHK大河「おんな城主直虎」ゆかりの地で、駅には井伊家の紋を入れた赤幕がいまも飾られている。

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2019年の秋を追いかける 佐用と丹鉄引原峠のイチョウを撮る 

今年の夏は暑く長かった。老体が鉄ちゃん活動をするには過酷で熱中症で他人に迷惑をかけるかもと自重。早く秋が来ればと願っていましたが急に朝晩は寒くになり待っていた秋が訪れました。今年は黄色く色付いたイチョウと列車を撮りたいと早速に地元の観光協会に問い合わせを行い情報収集です。まずは行きたいと思っていた作用の大銀杏とライトアップされている丹鉄の引原峠です。これは是非に見て見たいとぶんしゅう8号を友に向かいました。先ずは佐用の大イチョウです。
① 自宅 8:40(新名神・中国道)⇒10:47 佐用駅
▲ 11:34 鳥取行きの特急「スーパーはくと」が参りました。
【DATA】 NikonD800E、AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR、1/1000秒、f7.1、ISO400
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東西会員交流旅行 ご報告 Part2 天浜線から大井川鉄道へ

2日目の10月28日は宿泊先の「国民宿舎 奥浜名湖」で朝食後に解散・自由行動としました。
▲ 8:49 宿泊しました9名の記念写真です。総本家様は昨夜帰宅、藤本様一行3名は大井川鉄道の写真を朝から撮影のため掛川に宿泊されました。交流会の当初予定の宿舎は西鹿島駅に近い「森の家」でした。ここだと新金谷から千頭へ走る「SLかわね路」を撮る事は可能だったのですが、気賀駅からでは間に合わなくなった。一緒に宿泊したかったが掛川に宿をとるしかなかったとの事でした。
この後健脚の会長様と山室様は標高差59mの遊歩道を徒歩(約15分)で降りられて気賀駅へ、残り7名は宿の送迎車(約5分)で気賀駅へと先に向かいました。
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東西会員交流旅行 ご報告 Part1 遠州鉄道から天浜線へ

今年の秋は雨の多い日々が続きましたが、参加者の皆様の日ごろの行いがいいのか出発当日は雨はあがって秋晴れを迎えました。集合地の西鹿島駅までは皆さんバラバラで向かわれます。総本家さんと私は途中の遠州鉄道での駅撮りをしたいので早めに最寄駅の長岡京から乗車しました。

① 長岡京 7:21(快速)⇒7:31 京都 7:45(ひかり510号)⇒9:05 浜松

▲ 9:21 新浜松で遠州鉄道と天浜線(天竜二俣~新所原)の西1日フリーきっぷを購入、乗換て西鹿島へと向かいますが十二分に時間があります。相対式ホームがある高架駅で降りて駅撮りしながら進みます。どですかでんさんグループと合流です。

② 新浜松 9:24⇒9:26 遠州病院

1002+1102編成に乗車して1回目の下車駅は遠州病院、次の八幡で交換する列車を待ち受けます。

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東西会員交流旅行 直前のご案内

東西会員交流旅行も明後日に迫りました。9名の宿泊者と日帰り5名(内1名は宴会不参加)の参加となっております。
心配な現地の天候ですが、27日は朝7時~夕刻18時までは曇天、最高気温23℃、夜は17℃、28日は晴れのち曇り、最高気温23℃の予報です。雨天の心配はなさそうです。

【 集合地・時間 】
当初は浜松駅としていましたが皆さんバラバラの到着になりそうですので、遠州鉄道から天浜線への乗換駅の西鹿島11:32にします。天竜川鉄橋での撮影後、西鹿島12:35⇒12:39天竜二俣の列車に乗ります。
もし列車遅延やご都合で遅れる場合は天竜二俣駅の転車台ツアーが開催される13:50までには天竜二俣駅待合室に来てください。

ちなみに総本家さんと私は、京都 7:45(ひかり510号・自由席)⇒9:05 浜松で早めに到着、遠州鉄道で駅撮りを楽しんでから西鹿島に参ります。ご一緒していただける方、大歓迎です。
何かありましたら、メールでお知らせしております携帯電話までご連絡の程、よろしくお願い申し上げます。

東西会員交流旅行ご案内 Part4 天浜線 天竜二俣⇒掛川

翌日の10月28日は朝食後は解散、自由行動となります。藤本様が大井川鉄道訪問の行程表をPart2のコメントでご紹介していただいております。折角ここまで来ていますので関西方面からは中々行く機会が少ない大井川鉄道へ行かれるのもお勧めですが、天浜線の天竜二俣⇒掛川を撮影されるのも選択肢の一つです。紹介をさせていただきます。
▲ どちらにしても天竜二俣から掛川への移動の出発駅は気賀です。
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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【20】 秋編

草津線の蒸機列車

前回掲載の加太とセットで、草津線へもよく行ったものです。牽引するのは、亀山区のC58、D51と、加太で見るカマと同じで、見せ場となる勾配区間もないものの、草津線の魅力のひとつは、長編成の客車列車が朝夕にあったことで、貨物も日中に結構走っていました。京都からだと、まず草津線で2、3本を撮ってから、午後、加太へ向かう、と言ったセット撮影も可能でした。しかし、加太がある関西本線亀山~奈良の蒸機の廃止より、一年早い昭和47年9月限りで蒸機は姿を消しました。DL化直前の草津線には、朝夕を中心に4往復の客車列車があって、線内は亀山区のD51が牽いていた。うち3往復は京都発着で、通勤時間帯は、写真のように客車10両編成だった。この時代、ほかの線区でも蒸機の牽く旅客列車は残っていたが、これほどの長編成は、なかなか見ることができなかった(726レ、石部~三雲 昭和47年9月)。

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東西会員交流旅行ご案内 Part3 天浜線 天竜二俣⇒新所原

天竜二俣駅で機関区・車庫を見学した後は豊橋側の東海道本線と接続します新所原へ始発列車に乗車して向かいます。乗車距離は41.5㌔、乗車時間は1時間20分です。
天竜二俣 14:42⇒16:02 新所原

▲ 14:42 再び列車に乗ります。乗車率はご覧の通りガラガラ状態です。
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わらくろやツアーin鹿児島

マルーン会長を鉄道界の“漢(おとこ)”にしようと始まった旅もついに九州は鹿児島まで来ました。

今回は初めての二泊三日の豪華旅。わらくろや社長の渾身の企画です。
10月9日
新大阪発9:17さくら549から始まりました。四人一組のセットですから一ヶ月前に指定席をそれぞれが一斉に買わねばなりません。10時に窓口に並ぶようにするのですがこれが難しい!私は京都駅みどりの窓口で並び、ちょうど10時に窓口にたどり着きましたが社長から指定された5号車は全席売り切れ(というより修学旅行用で)。あわてて社長に電話したら「4号車で同じ座席をとれ」とのことで無事購入完了。後の三人にも社長から電話で指示。なぜかわらくろや旅行社はキップをとらず、各自でとる方式です。リベートをくれないところには冷たいらしい。
鹿児島へ13:31着後、なぜかソフトクリーム店へ強引に連れ込まれ、知覧茶の抹茶ソフトを全員で購入します。どうやら社長はサイダーをやめてソフトクリームに乗り換えたようです。そういえば前回の津山でも津山城でソフトクリームを我々に買わせて、自分は「岡山名物の桃ソフト!」と言って食べたうえ、さらに売店のお姉ちゃんにヒソヒソ話したと思ったらバニラソフトを舐めていました。

その日は南薩鉄道の特急バスで枕崎へ。
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東西会員交流旅行ご案内 Part2 天浜線 天竜二俣駅

下見は青春18きっぷが使用できる7月末とぶんしゅう8号に乗っての9月初旬の2回にわたって行いました。天浜線は2回を総合してご案内させていただきます。▲ 天浜線(天竜浜名湖鉄道)の路線図です。元々は掛川~恵奈の遠美線として計画されましたが、浜名湖を横断しないという軍事上の理由から東海道本線掛川~豊橋のバイパスとして建設されました。
1935年(昭和10年)4月17日 、二俣線 掛川~遠江森{現;遠州森  12.9㌔) が開業、徐々に西へと延伸されて 1940年(昭和15年)6月1日 に掛川~- 新所原(67.7㌔)が全通しましたが運行間隔はDC単行での2時間ヘッドでした。
赤字が続き1987年(昭和62年)3月15日 には国鉄二俣線としては廃止されて以降は第三セクターとなりました。

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東西会員交流旅行ご案内 Part1 遠州鉄道

ようやく秋らしい日々が訪れました。今年の東西会員交流会旅行があと2週間となりました。参加される会員の皆様方はそれぞれ往路・復路のご予定を検討中かと思っておりますのでご参考になればと下見をしてきました現地状況をご報告させていただきます。

▲ 今回訪問します遠州鉄道天浜線(天竜浜名湖線)は、私にとっては恥ずかしながら初めての訪問です。写真など撮ってはいないと思っていましたが先日昔の写真をスキャンしていましたら一枚、昭和45年の遠州鉄道新浜松駅のカットが見つかりました。現在の新浜松駅は1985年(昭和60年)12月1日 に南西のJR駅構内跡に移転高架化されていますので地上駅時代の貴重なカットです。車両も2018年(平成30年)4月に廃車となった30形です。
2017年度の一日平均の乗降客数は16,099人、ちなみにJR浜松駅は74,516人(新幹線含む)です。 続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【18】 秋編

山陰本線を行きつ戻りつ

前記の山陰本線の三見~飯井での撮影に続いて、何ヵ所か海岸沿いで撮影をしたり、三江北線、木次線に寄ったり、均一周遊券ならではの旅を続けました。昭和も46年になると、“SLブーム”は頂点を迎え、それを狙った出版物も多く出るようになります。撮影地でよく見掛けたのは、鉄道ファン臨時増刊の「撮影地ガイド」で、撮影地と列車ダイヤも載っている、まさに撮影向けの本でした。昭和44年、46年に発行され、ボロボロになった本を抱えた高校生・大学生をよく見掛けました。いまと比べると、情報源も限られていた時代で、コピーをするにも一枚が何十円もして、本をまるごと持参したものでした。三見から石見益田へ、乗り換えて岡見で下車した。ここは、三見のような穏やかな海岸ではなく、険しい岩礁が続いている。まずは、DF50537の牽く829レを撮影。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【17】 秋編

ウワサの伯備線へ

標記のシリーズ“秋編”をしばらく続けます。われわれの現役時代は、9月中旬からやっと後期の授業が始まりましたから、じゅうぶんに“秋”を感じながら、夏休みの撮影旅行を終えたものでした。当時、席巻していた“SLブーム”の象徴が、D51の三重連が見られた伯備線の布原信号場でした。信号場から鉄橋までのわずか数百mの区間に、全国が集まった“マニア”が集結しました。正統派を自認(?)していた私は、“にわかの聖地”には、絶対に行かないと決めて、近づかないようにはしていましたが、「話のネタ」にと、やっと腰を上げたのが、昭和46年9月でした。岡山から入った伯備線は初乗車だった、高梁川に沿う区間では、何度も対岸へ渡る鉄橋が続き、ガーダー橋が多く、撮りやすい区間だ。井倉~石蟹に掛かるガーダーは、渡らずの鉄橋で、対岸から編成をうまく入れられる。D51の牽く客車列車もあったが、まずはカラー映えのするDC列車にカメラを向けた。20系よりも10系が多く、岡山近辺のため、長編成も多かった。

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福塩線下川辺駅について

JR福塩線は福山から府中までの23.6Kmは両備軽便鉄道によって建設され、府中から塩町までの54.4Kmは国鉄によって建設されたという歴史はご存知の通りです。福山・府中間は電化されていて列車本数も多いのですが、府中・塩町間は非電化で6往復しか設定されておらず、主な利用客は高校生であり、三江線と同様に廃止が取り沙汰されている線区です。さてその非電化区間、府中の次の駅が下川辺駅です。

2019-10-5 下川辺駅

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