北のC62 全記録 〈17〉

昭和46年3月19日 一年半ぶりに上目名へ

しばらく投稿が空きましたが、北のC62、続けます。渡道第一日目に、目名、長万部でC62重連を撮影したあとは、道北・道東を一週間掛けて転戦しました。稚内から「利尻」に乗って札幌に着いたのは、その8日後でした。この間、北海道を回っていたDRFCメンバーは、一緒に行った四人組だけかと思っていたのですが、逗子のTさんも北海道を回られて、C62も撮影されていたことを、先日、直接お目に掛かった際に聞きました。同行のT君とともに、まずは小樽築港機関区を表敬訪問、糸崎区から転属したC6216と、呉線で会って以来の再会を果たしました。小樽の街は、道路も地肌が見えている状態、線路端の雪は灰色で、もうすっかり春が到来した印象でした。

下り「ニセコ1号」は一年半ぶりの上目名151キロポストへ。今日もツバメの2号機が先頭だった。

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 北のC62 全記録 〈16〉

昭和46年3月11日 初めて目名で下車 雪のC62を撮る

では、昭和46年3月訪問の撮影記、第一日目から始めます。前記のように、四人で、当時はまだあった胆振線に乗り、北湯沢駅すぐ近くのユースホステルに泊まり、朝、マイナス15度のなか、胆振線のDC列車に乗車。倶知安へ出て、10時16分発の524Dで、目名へ行きました。今まで上目名は、よく下車したものの、その手前にある目名の下車は初めてで、駅前には集落もあって、人間の生活感が感じられます。すぐ近くに、国道5号が走っていて、完全に除雪された道を、蘭越寄りに2キロほど歩いた函館本線をオーバークロスする地点へ向かいました。いまグーグル地図で見ると「逆川跨線橋」と書かれていましたが、ここは、あの廣田尚敬さんお気に入りの場所で、陸橋から、超望遠でとらえた、重連を圧縮した写真をよく見ました。待つこと、約1時間、背後に連なる後志の山々の麓から、あの懐かしい爆音がかすかに入ってきました。
カーブの向こうから現れた「ニセコ1号」、第一日目からして、前補機がC622とは幸先が良い。空も青空が広がってきた。さすがに、今までと違って、煙の具合は寒い時期ならでは。驀進、爆音はさすがC62!

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 北のC62 全記録 〈15〉

年が明けても、いっこうに雪が降りませんね。今冬は雪を一度も見ることなく終わりそうです。せめて“デジ青”誌上で雪を楽しみたいと、「北のC62」を再開します。

いままで、2回訪れた北海道で、C62重連の列車を撮った記録を載せました。

〈1〉~〈8〉  昭和43年8・9月 C62「ていね」時代

〈9〉~〈14〉昭和44年8・9月 C62「ニセコ」時代

今回は、昭和46年3月、この年の10月改正で予定されているDL化を前にした、最後の雪の中の記録です。

“雪を咬んでる~”と四人で喝采した、初めての雪中撮影 蘭越~目名 上り「ニセコ1号」

つぎの改正で“消える消える”と噂されながら、何とか持ちこたえてきたC62重連も、いよいよ昭和46年10月改正でDD51に置き換えられることが決定的になり、昭和46年3月、三たびの渡道となりました。今までの夏ではなく、C62を雪中で撮る最初で最後のチャンス、雪煙に包まれて驀進するC62を想像するだけで胸の高まりを感じます。前2回は、適宜DRFCの仲間と途中で合流するスタイルでしたが、今回は、最初からT君との二人旅で、北海道に入ってからは、西村さんとMさんも加わった4人旅となりました。

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 廃駅をめぐる  【3】

阪神高速尼崎料金所の真下にあった尼崎港駅、そのルーツは、馬車鉄道に行き着くという古い歴史を持っていたが、昭和56年4月に旅客営業を廃止し、路線も昭和59年2月限りで廃止となった(以下、昭和56年3月22日撮影)。

続いて同じ兵庫県下の廃駅、尼崎港駅です。福知山線の支線となる、通称「尼崎港線」塚口~尼崎港の終点にありました。尼崎港線は、一日2往復、朝夕のみ旅客運転の線として有名でした。旅客営業は昭和56年4月に終えて、その後も手小荷物・貨物の営業を続けていましたが、昭和59年2月に廃止となり、尼崎港線の歴史を閉じました。

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 廃駅をめぐる  【2】

先の高砂線と同じ日に、三木線も訪れていましたので、続いて載せることにします。三木線も、同じ播州鉄道による開業で、大正5年に厄神~別所が開業、翌年には三木まで伸びて、厄神~三木6.8キロが全通しました。大正12年には播丹鉄道となり、昭和18年には、国鉄に買収されるという、高砂線と同じ出自をたどりました。当初は美嚢川の船運に代わる貨物輸送が目的と言われ、神戸へ向かう人の流れとは逆の方向のため、終始、乗降は望めなかったようです。その後、三木線は第一次特定地方交通線に指定され、昭和60年4月に、国鉄としては廃止となり、同日から第三セクターの三木鉄道に転換しました。地交線の転換の三セクのなかでは、最小の営業キロを、最初は2両のDCで回していましたが、その三木鉄道も平成20年4月に廃止されました。三木線の終点、三木駅の全景、側線はあったものの、草に埋もれていた。左手の貨物ホームも線路は撤去されて、トラツクが出入りしていた。

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 「B」の時代 ⑤

私が夜間撮影を始めるきっかけになった鉄道雑誌の記事がありました。それが「鉄道ファン」1967年5月掲載の「夜も楽しく」の鉄道写真随想です。それまでにも鉄道の夜間撮影の手法はありましたが、撮影法が公開された指南書は、これが初めてでした。“よるたの”の言葉も生まれ、「夜は夜なりに、昼間は気にも留めなかったものが見えてきて、何か背中がゾクゾクするような興奮が呼び起こされます。冷たい水銀灯の光、黒天に消える白い蒸気、露で光る枕木、そして鈍く光る機関車」などの表現に、いたく感激し、さっそく京都市内へ出掛けて、祇園や東寺前で、市電をバルブ撮影したことがありました。ちょうど高校3年生の時でした。その著者が、なんとデジ青にコメントもいただくMさんで、改めてデジ青を取り巻く繋がりを感じました。

蒸機ばかりではと思い、つぎは、電機の夜間撮影も載せてみた。やはり、デッキつき旧型電機のほうが、夜間の光線に陰影ができて、近代的な電機よりも、ふさわしい。上越線で貨物を牽くEF1630、発車前のひと時を運転士のシルエットも入れて撮ってみた。新津機関区(昭和46年9月)。

 

 

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 「B」の時代 ④

「利尻」を撮る

つぎは、機関区での止まり撮影ではなく、列車の「B(バルブ)」撮影例を、北海道の夜行で見てみました。優等列車と言えども、夜行列車は停車時間が長いものです。眠いのをガマンして、この停車時間を利用して、カメラと三脚を担いで、ホームに下りて、列車をよく写したものです。以下は、宗谷本線を走ったC55時代の「利尻」です(昭和44年9月)。
この日は、DRFCの仲間と、豊富で日曹炭砿の96を撮り、上り「利尻」に乗り込んだ。牽引はC55とあれば、そのまま寝付く訳にもいかず、駅に停車するたびにホームに飛び降りて「B」撮影を行なった。写真は、幌延に停車中の「利尻」、手帳を見ると、露出は定番の絞り8、30秒となっていた。

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 「B」の時代 ③

五稜郭の巨体

つぎの「B」も機関区での撮影、北海道は五稜郭機関区へと参ります。青函連絡船で函館に着くと、そのまま列車に乗り換えて、大沼やヤマ線へ行ってしまい、函館で時間を掛けて写すことはありませんでした。そこで、最後の訪問時の帰途、連絡船をひと便遅らせて五稜郭機関区へ行き、最後の函館を記録することにしました。この時代、すでにC62は見られませんでしたが、その改造機体となったD52は健在で、函館本線の貨物列車を牽いていて、その巨体を写すのには、格好の場所でした。(昭和47年3月)。蒸機を斜め後から低い位置で仰ぎ見る角度の迫力のあること、前回の宮崎区のC5789でも感じた。五稜郭機関区でも、D52ラストナンバーの468号機を同じような撮り方をしていることが分かった。太いボイラーに、不釣り合いな小さな動輪、これぞD52の魅力でもある。

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 「B」の時代 ②

南九州、夜の機関区

B(バルブ)の時代、つぎは九州の機関区で見た夜景です。夜間撮影の場合、それが目的というより、夜行列車に乗るまでの時間つぶしに、機関区へ行くことが多かったのが実情と言えます。九州ですと、宮崎、鹿児島、人吉、吉松など、夜行列車が発着する駅の機関区へよく行ったものでした。駅で写すよりも、乗客に邪魔もされず、一人で落ち着いて気ままに写したものでした。
以前の本欄でも紹介した宮崎機関区。機関区は駅に隣接した、ラウンドハウスも無い狭くて細長い構内だった。ガントリークレーンのある大型の給炭設備も無く、ハンプ状の給炭線に石炭車で運び、ベルトコンベアに石炭を載せて、給炭していた。狭い分、光線もうまく回っていて、印象的に撮れた(昭和46年12月)。

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 「B」の時代 ①

手ノ子の96

ことし、何度か写真展・展示会を行い、来場された方と鉄道写真について話をする機会がありました。そのなかで、撮影方法について聞かれることもありました。たとえば、つぎのような写真、11月に京阪七条駅近くのカフェギャラリーの「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」に展示した写真ですが、長時間露光の夜間撮影についてです。今でも夜間撮影をすることはありますが、高感度デジカメで撮れるとあっては、いまや三脚なし、手持ち撮影が常識になりました。しかしフィルム時代、感度は低く、増感現像という手段はあったものの、粒子が荒れます。そこで三脚に据えて、30秒とか1分間露光をするバルブ(B)撮影が、夜間撮影のスタンダードでした。蒸機の場合、煙が流れたり、ライトが光跡になったり、長時間露光ならではの意外性がありました。いわばアナログならではの撮影方法が、デジタルの時代、かえって新鮮な表現に映るのかと思った次第です。このように、長時間露光で撮った写真のいくつかを紹介していきましょう。
米坂線の手ノ子駅に停車する、168レを牽く29622を撮ったもの。安全弁から噴き上げる蒸気が、長時間露光でまっすぐに上がっている。蒸機に当たる光線だけでは弱いので、周囲にある、信号や室内照明の光源をうまく入れるのがポイントだ。何点か撮っているが、手帳を見ると「ALL F.8 30S」と書いていて、絞り8、シャッター30秒で撮っていた(昭和47年2月10日)。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【29】 初冬編

立野を中心に、豊肥本線、高森線を撮る

今回は九州の中央部、豊肥本線・高森線(現・南阿蘇鉄道)の初冬の風景です。両線が交わる立野の前後には、大規模なスイッチバックがあったり、高い橋梁が存在します。昭和40年代、蒸機の牽く客貨列車も多くあって、よく訪れていました。ところが、両線とも2016年4月の熊本地震で、大きな被害がありました。その後に各地で発生した災害に隠れ勝ちですが、復旧作業が遅々としていて、現在でも不通が続いています。
今回のカラーは、昭和46年12月、同47年11月を合わせたものです。豊肥本線は、立野を出発すると、三段式のスイッチバックで、阿蘇の外輪山をよじ登って行く。スルーできない、文字通りのスイッチバック式だが、その赤水寄りにも、好適なカーブが続いている。列車は1794レで、立野で停車時間があるため、まず到着前を撮って、駅で停車中を押さえる。そして、外輪山の方向へ直登して、スイッチバック付近のカーブ地点に着き、朝陽を受けた96の勇姿をとらえた。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【28】 初冬編

名勝、大畑へ

昭和46年初冬の南九州、つぎは大畑へ向かいました。大畑を含む吉松~人吉の矢岳越えは、それまでも列車で何度か通りましたが、下車しての撮影は、この時が初めてでした。日本三大車窓の絶景地であり、33‰勾配、スイッチバックとループ線、重装備のD51に混合列車と、魅力が大盛りの区間でした。いままでは、夜行鈍行の1121列車で大畑を通ることが多かったのですが、この1121レから撮るためには、現地泊しか手はなく、奮発して人吉の国民宿舎に一人で泊まりました。大畑では、食糧調達の術はなく、朝食、昼食用のおにぎりを宿舎で作ってもらい、薄暗い人吉の駅を出て、一番列車841レで大畑へ向かいました。大畑には7時14分着、841レの発車を見送ったあと、ループ線を見下ろす、撮影地へ向かった。朝露でズクズクになりながら着いた。天気さえ良ければ、霧島連山まで、キレイに見渡せる場所だ。まもなくループ線を一周して、1121レがやって来た。1121レは、門司港発鹿児島本線経由の都城行き夜行。九州へ行けば何度も愛用した列車で、客車6両と、大畑では唯一の本格的な客車編成だった。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【27】 初冬編

12月の南九州でC61を撮る

再び“天然色”シリーズに戻って、初冬編に参ります。昭和46年12月、この時期としては初めて九州へ向かいました。それまで長期間の旅行は、休みの多い春・夏限定でしたが、均一周遊券を使った初冬の旅行となりました。秋の旅行シーズンが終わり、年末年始のピークまでの空白期となる12月上・中旬は、列車も観光地も宿泊先もホントによく空いていることを実感しました。今なら、ライトアップなどの催事もありますが、当時はそんなチャラチャラしたイベントもありません。とくに有り難いのは、当時、常宿としていたユースホステルの予約でした。予約は、ハンドブックで宿泊先を選び、往復はがきで申し込みますが、到着までに一週間近く掛かります。満室だと、またプランを練り直し、再度、一週間後の結果待ちと、今から考えると、たいへん手間と時間の掛かる申し込みでしたが、予約なしで飛び込みもOKだったのが、この時期でした。夜行列車も空いていて、1BOXを一人で占拠して、ゆっくり熟睡したのでした。
お馴染み、朝の大淀川を渡るC57の牽く539レ。まだ川沿いのフェニックス並木も健在だった。原版は、すっかり褪色していたが、色温度を上げてやるだけで、簡単に朝のイメージにすることができた(1971年12月)。

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2019年の秋を追いかける 丹鉄引原峠のイチョウを撮る2 リベンジ

11月26日に台湾から帰国しましたが気になっていたのが訪台前に行った丹鉄の引原峠です。半分は紅葉していましたが全体的にはもう少しでした。帰国したら再訪したいと思っていましたがライトアップされるのは24日までの公示でした。それでも撮りに行きたいと天気予報を見ながら様子を伺いました。

11月29日、天気予報では午前中は晴れですが夕刻は曇りそうとの事ですが朝の青空を見ては行かないわけにはいきません。決断は遅かったのですが10時前にぶんしゅう8号に撮影機材を乗せて出発です。
撮影地までは約120㌔、約1時間40分の道のりです。丹後大宮で昼食をとってから現場に到着しました。
▲ 12:34 豊岡始発西舞鶴行きの丹後ゆめ列車IIのラッピングを施したKRT709号車、228Ⅾが引原峠の鉄路を上がってきました。11月15日に来た時はまだ緑色だったイチョウはすっかり黄色に変わっていました。
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癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 7 高雄トラムを撮る、帰国

第6日目 11月26日

今日は今回の旅の最終日、高雄空港のフライトは15:05ですので14:15にはチェックインカウンターへ行かなければいけません。もう何回も高雄ライトレールは撮っていますので新しい撮影ポイントが探せれば撮ってもいいかな、そして食べに行きたい小籠包の店がもう一つあります。「厚得福」です。昼食はここで食べたいと向かうことにしました。
▲ 7:30 先ずは朝食です。今回の旅ではホテルの朝食時間前9にはチェックアウトして撮影地に向っていましたのでゆっくりホテルの朝食を食べるのは初めてです。港が見えるレストランで朝食です。
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癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 6 礁渓⇒高雄、高雄トラムを撮る

第5日目 11月25日

6:00 起床、部屋の大きなお風呂に贅沢に温泉をたっぷり入れて入浴です。目が覚めました。今日は皆さんとお別れです。昨夕帰途された893-2さんは深夜便で関空に向われました。クモハ73106さん、デカンショ祭り号さん、大津の86さんは台北から帰国されますので北迴線で北上されます。私は一人高雄からピーチで関空に向かいますので今日は高雄泊まり。ゆっくりと礁渓から高雄へ南迴線で向かいます。
切符は昨日崇徳駅で空席を調べてもらいました。時間がなくて購入したのは礁渓に到着後になりましたが大丈夫でした。花蓮で18分間の乗継時間がありますが約7時間半の絶景が続く南迴線乗車の乗り鉄旅です。

① 礁渓 8:01(自強204次)⇒9:29 花蓮 9:47(自強308次)⇒15:33 高雄

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クローバー会通信第2号補機

 本日クローバー会通信第2号届きました。ありがとうございます。楽しく拝見してます。その中で「鉄道のりつぶし現状について」を寄稿させていただきましたが投稿後、気合を入れて活動した結果、乗車キロ18466→19027.2まで伸ばすことができました。北海道新幹線、津軽線、大湊線、男鹿線、花輪線、五能線を踏破、残すは山田線、釜石線、大船渡線、気仙沼線、田沢湖線、北上線、陸羽東線、陸羽西線、左沢線、仙石東北ライン、仙石線、そして東北本線岩切~利府です。

 と思っていたら皆様ご承知の通り相鉄直通運転対応区間鶴見~羽沢横浜国大が増えてしまいました・・・終わりのない旅はまだまだ続きます。

最後に番外ですが丹那トンネルの坑口の殉職碑に頭を垂れてきました。この翌日には沼津~国府津を久々に乗車、改めて感謝の思いが湧いてきました。来年早々には全線踏破を成し遂げたいと思います。また皆様にはご報告したいと思います。拙文お許しください。

 

癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 4 清水断崖を撮る

第4日目 11月24日

6:00 今日は今回の旅1番の撮影目的地「清水断崖」へと向かいます。5時過ぎには起きて宿泊した花蓮駅前のワウホテルをチェックアウト、開いたばかり屋台で朝食です。セブンイレブンでコーヒーと昼食を仕入れて皆さんとの集合を待ちました。
丁度セブンイレブンの前にTaxiが停まっていましたので交渉、3時間のチャーターで1,500TWD(約5,340円)、割り勘で1,068円で成立しました。日本の約1/3ですね。
先ずは荷物列車併結の花蓮始発台東行きの莒光602次を撮りたいと清水断崖とは逆方向に南下して吉安~志學にある木瓜橋鉄道橋を目指しました。

▲ 6:35 12.5㌔、約20分で木瓜橋鉄道橋の土手に到着、5人並んで列車を待ちます。

▲ 6:39 普悠瑪号が来ました。ダイヤにはない列車ですので回送と思われます。ご覧の通り今日の天候は昨日と違って曇天でよくありません。重そうな雲が空を覆っています。 続きを読む

癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 3 枋山、太麻里で撮る

第3日目 11月23日

① 高雄 5:11(自強333次)⇒6:09 坊寮 6:14(區間車3501次)⇒6:34 枋山

昨夜、デカンショまつり号さん、893-2さんも高雄に着かれて合流されました。今朝は全員4時過ぎ起きで高雄站に向かいます。乗車するのは高雄駅発の南行1番列車です。

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癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 2 台中港線と下淡水渓鉄橋で撮る


第2日目 11月22日

① 新左營 7:06(自強112次)⇒9:35 清水

今日はクモハ73106さん、大津の86さんと清水駅で合流して台中港線の埠頭へと向かいます。海線の台中港駅付近では何回も撮影しましたが台中港の第一埠頭までの7.8㌔へは行ったことがなく初めての訪問となります。午前中に2~3往復の貨物列車が運行されているはずです。早朝の列車に乗車して清水へ向かいました。

 

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