今回の旅は北陸で締めくくろうと雪害解消を願っておりましたが、コロナ騒動同様に悪化するばかりで好転しません。福井鉄道・えちぜん鉄道とも軌道が雪でうずもれて除雪作業が追い付かない状況です。明日10日の運行は難しそうです。

▲ えちぜん鉄道のブログを見ているととんでもない状況です。前回行った時も1m近い積雪がありましたがホームより上まで来ているとは・・・。
行っても無理と諦めました。仕方なく明日は丹後路のリベンジと決めました。
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今回の旅は北陸で締めくくろうと雪害解消を願っておりましたが、コロナ騒動同様に悪化するばかりで好転しません。福井鉄道・えちぜん鉄道とも軌道が雪でうずもれて除雪作業が追い付かない状況です。明日10日の運行は難しそうです。

▲ えちぜん鉄道のブログを見ているととんでもない状況です。前回行った時も1m近い積雪がありましたがホームより上まで来ているとは・・・。
行っても無理と諦めました。仕方なく明日は丹後路のリベンジと決めました。
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青春18きっぷの残った2回分はどこへ行こうかと姫路からの帰路に悩みました。コロナ騒動のこの時期です。混み合う場所や列車の選択はNGです。悩みぬいた結果は、第1希望は福井鉄道・えちぜん鉄道、第2希望は丹後路をぐるっと回ることにしました。いずれも雪の車窓を見ながら飲み鉄旅が楽しめます。
ただ、天気予報では両方とも大雪です。列車の遅延や運休が予想されます。18きっぷは2回分残っていますので最悪現地で一泊もありかなと覚悟しました。どちらにするかは明日朝の運行情報を見たうえで決めることにしました。
1月7日
6時前には目覚めました。顔を洗ってからはコーヒーを入れてTVを付けます。朝の情報番組を見ながらパソコンを立ち上げて運行情報のチェックをします。
福井鉄道・えちぜん鉄道は動いているようですが、天気予報どおり降雪が続くと運行停止が考えられます。前回冬に行ったときは運休と途中で運行停止にあいました。ヤバそうです。一方の丹後路は城崎温泉辺りまでは積雪もなく通常運行していますが、問題は余部鉄橋辺りで今後天候が悪化してくると運行停止が予想されるとの事です。
どちらを選択してもリスクはありそうです。昨年に東方面の雪景色は見ましたので今回は西方面にするかと丹後路に決めました。
朝食を済ませて7時には自宅を出発しました。
東北本線の普通列車、貨物列車
本テーマの最後として、東北本線の普通列車、貨物列車と参りましょう。優等列車の影で、日常の足としての普通列車も多く運転されていました。多くは115系電車ですが、この時期にはまだ長距離鈍行が走っていた時代で、「一ノ関」のサボを下げた旧型客車を、デッキ付きのEF57が牽く列車も残っていました。また、年末年始は、荷物、貨物輸送が激減するものの、そこは、大動脈の東北本線のこと、何本かの荷物列車、貨物列車を見ることができました。
▲123レを牽くEF57 13 123レはもともと上野~青森の長距離鈍行だった。昭和43年10月で短縮されて、上野~一ノ関になった。やや低い位置から構えて、突き出たパンタを強調してみた。栗橋付近(昭和50年1月)
2020年暮れに上越、奥三河と久しぶりの鉄旅を楽しみました。移動には青春18きっぷを使いましたが 、”トホホ”になりました。買って2回分しか使用していない18きっぷを宴会場で紛失していました。
翌日まで紛失を全く分からず、たまたまW田さんと今日の予定を話している途中で判明しました。しかし幸運なことに拾得された方がおられ手元に戻るはずだったのですが、預かっておられた方があろうことか紛失されるという二重の紛失事件になりました。
その方からは申し訳ないと未使用分相当額を返却頂きましたが、青春18きっぷの旅を確定していた私は、新たに購入せざるをえなくなってしまいました。当初は次の予定もあって1回分だけ残るはずだったのに新たに買ったので3回分が残ってしまう結果となりました。
コロナ感染状況が拡大化してきた中、ステイホームに心掛けないといけません。いつもなら未使用きっぷを買ってでも行くところですが、今回はまだ使用できる期間も長いので売れるだろうと市内中心の四条烏丸にあるチケットショップに電話しますと、今日なら6,620円で買い取らせていただきますと提示されましたので早速車を飛ばして行きましたら、店員の方より「すみません、間違っていました。コロナ騒動できっぷの需要が低くなって格安になっていました。先ほど提示させていただいた買取価格は通常価格で、今は半値以下です。私の勘違いで申し訳ありません。」と謝罪されました。
電話で聞いた段階で商談は成立しています。それはおかしいとするところですが若い人がミスを正直に詫びているのを追求するのは人生の先輩としては出来ません。間違いは誰しもありますと言い残して売らずに引き上げました。
しかし、3回分残、使用期間残3週間もあるが価値のなくなったきっぷをどうするかです。捨ててしまうのももったいないが、使用するには感染拡大化の現在、リスクが大きいと思案を重ねました。
検討を重ねた結果は、空いていて3密にならなくソーシャルディスタンスは保てる乗車方法としては、2019年3月16日から運用されていますがまだ乗っていない新快速のAシート車両初乗車でした。
東北本線 特急・急行列車
臨時列車で賑わっていた年末年始の東北本線ですが、もちろん定期列車も数多く運転されていました。東北新幹線の開業前、昭和50年3月改正で見ますと、東北本線の上野口では、特急33往復、急行18往復程度の定期優等列車が運転されていて(途中、日光線、磐越西線など分岐を含む)、在来線としては、いちばんの特急・急行の頻発線区でした。この改正では、急行列車を格上げして、24系25形客車の新造による、寝台特急の増発もあり、特急が主役へと代わっていきます。撮影したのは昼間の時間帯で、寝台特急の撮影はできていませんが、昼行の特急・急行、夜行急行を数多く撮ることができました。
▲東北本線の特急の中で、本数から言っても代表格は上野~仙台の「ひばり」だろう。昭和36年に誕生以来、増発、編成増強を続けて、ピーク時の昭和53年10月改正では15往復に達して、エル特急の代表にもなった。栗橋付近(昭和50年1月)
昭和の時代 東北本線の臨時列車
新年のご祝詞を申し上げます。穏やかな天候で明けて、昨日も、恒例の阪堺線撮影に出掛けました。電車は大増発ですが、肝心の乗客は、ざっと見て昨年の半分程度で、座って行ける状況に拍子抜けしました。鉄道を取り巻く状況は年が明けても厳しいようですが、鉄道はなやかなりし頃の年末年始の様子を見ていきます。昭和50年、51年と、2年連続で東北本線へ写しに行っています。約45年前で、いずれも、Fさんに連れって行ってもらい、当時、熱中していたボンネットバスや、廃止予定の仙台市電の撮影の帰途に撮影したものです。東北新幹線が開業するのは、昭和57年6月の大宮~盛岡の先行開業まで待たなければならず、在来線である東北本線には多くの列車が運転され、列車輸送のピークを迎えていた時代です。
▲EF57が牽く、座席車ばかりの臨時急行は、年末年始の東北本線を代表するシーンだろう。上り「八甲田56号」「おが53号」EF57 8牽引 栗橋付近(昭和50年1月)
皆様、明けまして:おめでとうございます。年末までに2020年の旅日記は投稿しておこうと頑張っていましたがいろいろと都合が発生して年を越してしまいました。遅くになり誠に申し訳ありませんが、只今より投稿させていただきます。よろしくお願い申し上げます。
上越鉄路から帰ってから6日後、今度は奥三河に残る絹雲母鉱山トロッコ鉄道を訪問します。案内講師は神谷さんですが今回はクラブツーリズムが主催されています。従って申し込みはネットからでした。当初申し込み人数は20人だったそうですが、コロナ感染拡大に伴い各地で緊急事態宣言が発出され、GoTo キャンペーンが全国一斉に12月28日~1月11日まで中止される事態となってからはキャンセルが相次ぎ15人になっていました。
参加費用は豊橋駅集合で日帰りの28,000円、旅行代金への給付金は7,000円で差引の支払い額は21,000円、地域クーポンは3,000円で紙クーポンを受けとりました。実質の支払額は 18,000円ですね。
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大阪駅で夜行列車を撮る
誰もが想像すらしなかった一年が終わろうとしています。最大の書き入れ時である年末年始の鉄道界も、普段よりも空席が目立つとニュースが伝えています。臨時はもちろん定期列車ですら運休、終夜運転の取りやめと、長く鉄道に接してきた我々にとっては、信じられないような年末となりました。
少し前までは違いました。長距離移動は、新幹線、航空機、夜行バスに移行し、在来線の長距離列車はほぼ絶滅していたものの、年末年始になると、帰省客、スキー客のために、JR在来線に多数の夜行列車が運転され、国鉄時代の再来を思わせました。夜間の短時間に集中して発着するため撮影効率が良く、年末の恒例として、三脚持参で、始発駅の大阪駅へ向かったものでした。今から約20年前、年末の状況を振り返ってみました。
▲スキーが絶頂期の時代、スキー場まで寝て行ける「シュプール」号が多数運転されていた。興味深い車輌ばかりだったが、これは正調ボンネットの485系で運転されていた神戸発「シュプール妙高・志賀11号」、ヘッドマークも愛らしい(1993年12月29日)。
第4日目 12月14日
今日は帰宅しますが、久しぶりの鈍行列車の乗っての旅です。12月になって今年初めて青春18きっぷを買いました。ただ北陸新幹線開通後は長野までは第3セクターになってしまったので使えません。1,520円の別途運賃が必要になりました。
朝6時前には起きてホテルの温泉に入浴しましたが昨夜とは違ってヌリヌル感はありません。改めて昨夜の銭湯「天然温泉 釜ぶたの湯」は良かったですね。
▲ 6:40 健康朝食が売りのスーパーホテルの無料朝食です。若い時のようにガッチリと食べる事はありませんがこれだけ品数が多いと見るだけで大満足です。コロナ対策に入場するとビニール手袋が提供されてトングでの感染を防ぎます。座席も半分が撤去されてアクリ版で仕切って対策されています。
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第3日目 12月13日 その2
13:16 糸魚川駅ホームに戻りますと丁度、えちごトキめきリゾート雪月花が入線してきました。10:16に上越妙高を出発した午前便の列車は妙高高原で折り返し、終着の糸魚川まで走ってきました。午後便はここ糸魚川を13:59に発車、妙高高原で折り返して上越妙高へと向かいます。ツアー仲間の中から一人T島さんだけが乗られました。

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第3日目 12月13日 その1
8:30 起床した時にみた空は晴れていましたが朝食をいただいて外に出るころには氷雨が降り出していました。
今日はホテルからは徒歩で直江津駅反対側にある直江津運転センターへと向かい、朝の見学会です。
▲ 2016年「日本産業デザイン振興会」のグッドデザイン賞、2017年「鉄道友の会・ローレル賞はじめ数々の賞に輝いたスタイル抜群のえちごトキめきリゾート雪月花です。
第2日目 12月12日 その2
13時から直江津駅前のホテル センチュリーイカヤで頚城鉄道ツアーの受付が開始されていました。その中には今年コロナ騒動で海外でお会いできなかった顔なじみの方々が多くおられました。お久しぶりぶりですとご挨拶です。参加者は神谷さんとスタッフを入れての39名です。
今回の一泊朝夕食込みの旅行代金は35,000円、旅行代金への給付金は12,000円で差引の支払い額は23,000円、地域クーポンは5,000円で予め主催のえちごトキめき鉄道より地産で選ばれた日本酒、お米、レトルトカレー、カレンダーが用意され宅急便で自宅宛てに送られました。紙クーポンや電子クーポンでない方法もあるのですね。
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第2日目 12月12日 その1
今日は13時に直江津駅前のホテル センチュリーイカヤで頚城鉄道ツアーの受付が開始されます。それまでは未乗車区間の乗車を楽しみます。
先ず信越本線で東三条へ向かい未乗車区間の弥彦線に乗車、昨日行った吉田からは越後線の未乗車区間を乗り柏崎で再び信越線に乗車して直江津に着く予定です。
今日の乗り換えで要注意は東三条です。昨日同様に4分間しか時間がありません。
① 新潟 6:46(信越本線)⇒7:33 東三条 7:37(弥彦線)⇒7:59 吉田 8:39(弥彦・越後線)⇒9:47 柏崎 10:36(信越本線)⇒11:19 直江津
第1日目 12月11日 その2
12:16 新潟駅に着きました。ここ新潟駅は関西からの者にとっては東北や北海道に行く時に通過する駅で、また昼間に来ることはありませんでした。従って新潟を起点とする路線は未乗車区間となっていました。今回良い機会を得ましたので青春18きっぷを使って乗車します。先ずは新潟~新発田の「白新線」27.3㌔です。
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▲本日の牽引は38629〔若〕、パイプ煙突でおとなしい印象のカマ、ホームが嵩上げされているが、これは長年の採掘による地盤沈下のためと言われる(昭和46年12月)。
室木線は、沿線の石炭を搬出する目的で鞍手鉄道が計画し、これを買収した九州鉄道の手で着工されますが、国有化されたため、明治41年6月29日に官設鉄道によって開業しました。すぐ近くの香月線と同日開業で、両線の性格・規模も酷似しています。開業後は、沿線で小規模な炭鉱が操業を開始し、石炭採掘量も増加、設備の改善を進めていきますが、昭和30年代後半になると石炭産業の衰退とともに、小規模な炭鉱から真っ先に閉山に追い込まれていきます。以後は、ほかの筑豊のローカル線と同じ道を辿って行くことになります。
前回は東北鉄路の紅葉を撮りに参りましたが、今回は海外ツアーでお世話になっています神谷氏のお誘いで上越のかつての軽便鉄路「くびき野レールパーク」とコンプレッサーによる圧縮空気駆動ながら復活なったD51827号機撮影会に参りましたのでこのご報告をさせていただきます。
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寄稿文を再録する「列車・線区編」、つぎは室木線です。鹿児島本線遠賀川から南へ分岐し、筑豊本線とほぼ並行しながら走り、終点の室木に至る11.2kmが室木線でした。訪れた昭和40年代は、全列車が若松区8620の牽く客車列車、または混合列車でした。昭和49年に蒸機の活躍は終わったものの、牽引がDE10に代わっただけで客車列車はそのままでしたが、第一次特定地方交通線に指定され、昭和60年4月に廃止されています。いかにも筑豊らしい雰囲気が好きで、とくに終点の室木は、折返し列車の撮影も可能で、昭和40年代には何度も訪れたものでした。以下の原稿のもとになったのは、社会人となった直後の昭和47年11月、「桜島」に乗って、4時40分、真っ暗な折尾に着いた時から始まります。 ▲駅長の発車合図とともに、朝靄を突いて列車は出発して行った。室木 824レ