第7日目 6月9日 その2
CT273号機イベント列車を撮影、見送った後、花蓮市内へ向かう帰りのタクシーがあるかと付近の方にお聞きしましたがありません。路線バスの停留所もなくどうしようもありません。市内まで歩くと1時間以上はかかりますのでこの猛暑ではたどり着くまでに倒れてしまいます。名案が出るまで花東線の歴史の写真が展示してある花蓮港站駅舎内を見てみることにしました。
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第7日目 6月9日 その2
CT273号機イベント列車を撮影、見送った後、花蓮市内へ向かう帰りのタクシーがあるかと付近の方にお聞きしましたがありません。路線バスの停留所もなくどうしようもありません。市内まで歩くと1時間以上はかかりますのでこの猛暑ではたどり着くまでに倒れてしまいます。名案が出るまで花東線の歴史の写真が展示してある花蓮港站駅舎内を見てみることにしました。
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複雑由来の電車
近江鉄道、電機のつぎは「電車」とします。ビア電の時も、“近江の電車、どこから来たんやろか?”の質問をもらうのですが、“西武鉄道のお古”としか答えられませんでした。近江鉄道の電車の出自は、実に複雑怪奇で、ひとくちでは言い表しようがないのです。たしかに最近導入の100形は、西武の新101系をそのまま使っており、来歴をたどるのは簡単です。しかし、ビア電で乗車した800形のように、下回り流用、車体新製のように見えても、内実は、“名義上”とか“書類上”とかの改造・更新が何回も複雑に行なわれています。ましてや昭和の時代にまでさかのぼると、理解ができないほどの複雑怪奇さです。
過去の趣味誌を見ても、近江の車両紹介は極めて少ないのが現状です。そんななか、1976年のDRFC現役生が、鉄道ピクトリアル「学鉄連研究シリーズ」で近江鉄道を採り上げています。ただ、現役生にとっては重荷だったようで、“過去の著作をかなり参考に”したと正直に述べていました。本欄では、2014年7月に、藤本さんが、すべて写真付きで来歴を調べられており、精力的、継続的な調査には頭が下がります。私も学習すべく、一度はメモしたものの、難解さのあまり途中で止めてしまいました。
▲日野駅で交換する上下の電車、左:モハ9、右:モハ5と、一桁の車番の電車が交換するのも、昭和の近江鉄道らしいところ(1978年)。
昨夜は白川さんグループと合同夕食会を開催、白川さんお薦めの麺屋で花蓮名物のワンタンを食しました。席上、今日走行する花蓮港線のCT273号機「台鐡開業132周年記念イベント列車」に乗ってみようとなりました。ただ当日販売される当日指定券は並ばないと確保できないそうで朝早くには駅に行かなければなりません。
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ビア電イベントでは幹事様はじめお世話になり、どうもありがとうございました。みなさまお疲れさまでした。 続きを読む
撮影地;山里~台東 花蓮から台東へ走るCT273号機牽引列車の撮影は終わったので今日は、花蓮へ戻る回送を撮った後、電化工事が進む太麻里、金崙で撮影することにしました。今日も朝から古さんのタクシーをチャーターして向かいます。
写真は8:37、花蓮始発新左營行きの自強306次9両編成です。
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第5日目 6月7日
今日は今回の旅の目的だったCT273号機が東部幹線花蓮~台東を走行する本チャンです。皆さん既にこの区間の走行撮影の経験がありますので今回はまだ撮っていない撮影地と再度撮りたい撮影地を回ります。
8:00、いつもチャーターしている古さんのタクシーにホテルまで来てもらい出発しました。
▲ 9:09 最初に訪れたのは海端~關山の花東公路陸橋上「徳高陸橋」です。緩やかなアウトカーブを行く列車を編成を入れて撮れます。この時間は順光となりますので荷物車3両を入れた莒光號を撮るのが目的でした。
大勢の鉄ちゃんが橋上に並んでカメラを向ける中、花蓮始発台東行きの莒光602次が駆け抜けていきました。
小沢、長万部で上下のC62重連を撮った翌日は、いよいよ北海道を去る日となりました。昭和44年9月12日、この日もやはりC62重連に足が向きます。倶知安ユースに連泊し、朝の時間を利用して岩内線に往復乗車したあと、今回、三度目の上目名の下車となりました。8月は、夏休みの学生達で大賑わいだった上目名ですが、さすがに9月も中旬となると、みんな帰ってしまい、ほとんど撮影者も見られず、一人でのんびり一時間ほど歩いて、例の151キロ地点へやって来ました。
▲151キロ地点の代表的な撮影ポイントは、以前にも紹介したラクに上がれる台地から自由に高度を変えながら、やや俯瞰気味にとらえるところだ。ほかにもブッシュさえ克服できれば撮影地は多いが、夏季は困難なところが多い。今回は、151キロ地点から、さらに目名寄りへ歩き、右にカーブする地点へ来た。ここは、線路端に引きがあり、カーブした列車の全容を撮ることができる。上り「ニセコ1号」 C6232+C6244
横道にそれて、いろいろ投稿を続けているうちに、シリーズものの続編を忘れてしまいました。“北海道のC62”すべての記録、昭和44年の夏休みの記録を再開します。
(10)大沼で上下C62急行「ニセコ」撮影(昭和44.8.28)
(11)上目名で上下C62急行「ニセコ」撮影(昭和44.8.29)
(12)小樽→長万部「ニセコ」乗車、二股~蕨岱「ニセコ」撮影(昭和44.9.10)
続いて(12)の翌日となる9月11日の紹介です。9月も中旬に入ると、そろそろ大学の後期授業も気になり始める頃となりましたが、定宿と化した倶知安ユースに泊まって、倶知安から、ひと駅分、小樽寄りの小沢で下車しました。初めて下車する駅でした。
▲小沢を出て20‰勾配に掛かる、函館行き「ニセコ1号」、C6244が前補機、次位の本務はC622で、C62重連も慣れてしまうと、2号機先頭以外は、興奮度が低くなる。
北陸の私鉄を巡る ③ 尾小屋鉄道
尾小屋鉄道は、北陸本線の小松駅の裏側にあった新小松と、鉱山があった尾小屋を結んでいた16.8km、軌間762mmの非電化鉄道でした。しかし、その鉱山は、昭和30年代には閉山しており、昭和50年代まで残っていたのが不思議なくらいでした。軽便鉄道の最盛期を知らない世代としては、その雰囲気を伝える貴重な鉄道として、廃止前には何度か訪れたものでした(昭和50年8月)。
▲終点の尾小屋は、鉱山の盛業時には2000人の人口があり、学校や病院、劇場まであったと言うが、訪れた時の駅前は、ゴーストタウン状態だった。裏手の小高いところから駅を見ると、在籍していたほぼ全ての車両が顔を揃えていた。
第4日目 6月6日
今日は明日7日のCT273号機牽引列車撮影のために台東へ移動しますが、北上する莒光號を「ラピートブルー」塗装のE200形電気機関車が牽引するというニュースが入りました。以前に2回撮っていますが中々撮れるチャンスがない列車です。移動途中のどこかで撮りたいと不銹鋼號さんと相談して羅東の道路橋からの俯瞰を選びましたが、クモハ73106さんは福隆で撮った事がないのでこちらに行きたいと意見は分かれました。福隆も中々の撮影地ですが以前撮影した場所は路線のリニューアル工事が進んで足場が無くなってしまい正面撮りは出来ません。横からだと湿地帯を入れて撮れますが、この場所へ行くには駅から約2.4㌔と遠くタクシーがない場合は約30分は歩かなければなりません。30度を超える暑さの中では高齢者2人には過酷です。健脚者と高齢者グループに行動は分れることになりました。
▲ 7:35 不銹鋼號さんと二人で朝からは宜蘭站ホームからの駅撮りです。ヤードにはE312号機牽引の鉱石運搬貨物列車が発車の準備を整えていました。
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第3日目 6月5日 その1
5:00 目が覚めて星鎖ホテル回りを見ますと狭い路地通路に小型トラックやバイクが走り回り市場になっています。市場巡りは大好きな私です。すぐにエレベーターで降りて散策することにしました。
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とさでん伊野線の単線路側軌道
とさでん交通の路面電車の魅力はいろいろあります。最近、新聞にも採り上げられて、注目されたのは、はりまや交差点で見られたら奇跡!の“トリプル・クロス”でしょう。私も近くのビジネスホテルの“トレインビュールーム”を予約し俯瞰で楽しむことができました。今回は、ほかにも、とさでん交通伊野線の単線路側軌道も探索してきました。
かつての花巻電鉄、福島交通軌道線、最近の廃止では名鉄美濃町線で見られた、道路の端を単線で走る“路側軌道”、現在では、とさでん交通で見られるだけになりました。単線区間は鏡川橋~伊野の7.0kmですが、途中の朝倉までは特殊自動閉塞のため、朝倉より西へ、伊野までの区間のみが通票閉塞で残り、朝倉、途中の八代(信)で、タブレットの授受も行なわれています。
▲東西に長く延びる、とさでん交通の後免・伊野線の西端区間が、今や貴重な単線路側軌道区間だ。写真は、終点・伊野に停車する電車、発車するとすぐ単線となり、道路の端を走る。
多度津の鉄道遺産を見る
予讃線から土讃線を分岐する、JR四国の結節点が多度津です。今までは多度津は通過するだけで、車窓から駅付近を眺めただけでした。今回、松山方面から、高知へ向かうことになり、多度津で乗り換え時間が30分ほどできて、初めて下車をして付近を観察することができました。車窓から見える煉瓦造りの給水塔は知っていましたが、下車してみると、多度津の歴史を感じさせる、いくつかの遺産も見ることができました。
▲下り方右手にはかつて多度津機関区があり、現在でも、蒸機時代の名残りを示す2基の給水塔が現存している。煉瓦造りは、この地に多度津駅が移転してきた大正2年の建築と言われ、登録有形文化財にも指定されている。
第2日目 6月4日 その2
11:47 和平駅ホーム端からCT273号機の回送列車を待つ事約18分、先ほどの復興號と同様にカーブの向こうからR123号機に牽引されて台鐡132周年記念号がやってきました。▲ そして同じく本線には入らず待避線に入って行きます、続行する列車に進路を譲るようです。R123号機はデビュー当時の色に塗装されています。次の駅で乗り込まれたいつも海外でお会いするトラベルラーターの白川淳氏は、これは考えていなかった感激ですと花蓮へ戻る翌日も追っかけて撮影するとホテルを取り直しておられました。
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第2日目 6月4日 その1
今日はCT273号機が留置されています花蓮から蘇新まで有火回送されて、蘇新からは本務機として礁渓まで走行します。
不銹鋼號さんは私よりも一日早く訪台、走行区間のロケハンをされていました。昨夜、リストアップされた撮影候補地をお聞きしましたので今日は回送列車が来るまでは現地に行って確認することにしました。
▲ 7:55 宜蘭駅前にある丟丟銅広場は鉄骨で作った森の中を汽車が飛んでいます。あたかも走っているかのように感じさせられた姿にはびっくりしました。
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1円で泊まり、1490円で飛行機に乗り、9500円で四国一周をする
贅沢な旅は、カネさえあれば誰でもできます。最小限の費用で、決して貧乏旅ではない、そこそこ上質な旅をしたい。これこそ時間に縛られない、われわれ老人世代の智恵の見せどころであり、特権であると思っています。
こんな思いを持って、情報の収集、周到な準備のうえ、先ごろ四国へ向かいました。このカラクリを説明しますと、1円は、あるビジネスホテルのチェーンが“70歳以上で誕生日当日”に限り1円で一泊できるというもの、しかも朝食付きで、フロントで金1円也をうやうやしく払ってチェックインしました。1490円は愛用しているLCCが時折、バーゲンセールを行なっていて、曜日などにもよりますが、うまく確保できると、運賃1000円台で四国まで飛行機に乗れるというもの、そして9500円の切符は、JR四国の“バースディきっぷ”、誕生月に3日間通用のフリー切符です。通常のJR四国の乗り放題切符は16140円ですから、約4割引です。
この6月、めでたく70歳を迎えた私は、これらの特典をフルに享受しての四国入りとなりました。
▲四国を回ると“バースディきっぷ”のポスター・チラシを何度も見掛け、販売に躍起になっているように見えた。車内改札、駅改札で、きっぷを見せると、“お誕生日おめでとうございます”と何度も言われた。