岩代川俣 (昭和47年5月14日廃止)
“岩代川俣”と言っても、私にとっても記憶が繋がらない駅でした。線名である川俣線も、今となっては正確な場所を言い当てることはできないと思います。廃止されたのが昭和47年で、地方交通線の大規模な廃止よりもっと先に、ひっそりと消えています。開業は大正15年で、松川~岩代川俣の12.2kmが開通しています。本来は、常磐線の浪江までの敷設を目的としていましたが、建設は途中でストップ、盲腸線のまま終わりました。途中に岩代飯野、岩代大久保(戦前に廃止)を設置していました。川俣、浪江、と来て思い出すのは、福島第一原発事故による放射線量の高い帰還困難区域などの居住制限に指定されたことです。昭和43年に、国鉄がまとめた、鉄道より自動車が相応しい赤字83線区のひとつに挙げられて、昭和47年5月14日に廃止となりました。▲川俣線の始発は、東北本線の松川、われわれ世代にとっては、松川事件のあったところとして認知されている駅。
▲川俣線の終点の岩代川俣、到着した727Dは、キハ52141+キハ22328の2連、いずれも郡山区の所属で、キハ22328は、郡山に1両だけ配置されていたキハ22。寒冷地用のキハ22の本州での配置は、青森、八戸、山形などは知られているが、これはキハ22南限の1両に当たるだろう(昭和46年9月)。