身辺整理をしていると正方形の古い天然色のコダック印画紙がでてきた。1969年昭和44年1月26日に撮影されたものである。通信員が結婚式披露宴を済ませ日本国有鉄道大阪駅4番ホームにて新婚旅行出発のときの一齣である。列車の窓が開けられなくなり、駅弁の立ち売りと共にホームで見られなくなった新婚旅行見送り風景である。
この印画紙が貴重なのは写っている当会員の方々です。中央で同志社チェアの音頭をとっておられるのは長岡京の長老で、祇園石段で鍛えた美声が聞こえてくるようである。左下の後頭部は特徴的な板状の耳殻を持つ軽便鉄道の第一人者であらせられる須磨の長老です。ともに身体の修繕をされお元気にこの掲示板に秘話や昔話また押入れの秘蔵写真を投稿されているのは喜ばしいことである。右端は名古屋の和尚さんで名鉄谷汲美濃町線など600V区間を追い続けた方です。禿頭の人は会員ではありませんがボレックスの8mmフィルムカメラを操っています。この画像をゼンザブロニカで撮影されたのはローズ山下氏で各地の大型蒸機の雄姿を中型カメラに収められられました。大勢の先輩にお見送りいただいた果報者の通信員であります。
列車は大阪17:05始発の気動車急行「丹波3号」豊岡行きで宝塚までの乗車であった。画像はキロ28で、窓下に淡緑6号の帯が入っているのが見える。4ケ月後の5月には等級制の変更でグリーン車と呼ばれるようになり窓下帯は無くなりクローバーのマークに変わった。キロ28は1961~1963年に製造された一等座席の気動車である。東海型電車サロ152で採用された二連下降窓を採用し更に張り上げ屋根なのでべっぴんさんである。急行たかやま号として99年12月まで同じ大阪駅に顔を見せていた。
一年後に大阪万国博覧会を迎える日本も国鉄も三波春夫も元気な頃でした。