TSURUKAME氏の山陽電軌を見て、確かこの老人も1コマだけ撮っているはずと、ネガを探すと602があった。撮影場所も記憶がないが、長門鉄道を大急ぎで撮り、一刻も早く九州にと気が急いていたことだけは覚えている。1955年3月18日であった。
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保存蒸機とその現役時代(37)
今回はC56をタンク機関車にしたようなC12である。あるいはC12を簡易線向けにテンダー機関車にしたのがC56なのかもしれない。とにかく1750ミリの大動輪を持つ旅客用蒸機が好みでありC11とかC12はあまり気にする機関車ではなかった。
久留里線小櫃(おびつ)駅近くの小櫃公民館に屋根付きで保存されているC12287。
C12287 1947年9月 日本車両製 製造番号1489
製造後門鉄局、後藤寺区に所属とあるが、当初の記録に様々な説があり定かではない。1949年12月からは鹿児島区にあって入換えや指宿枕崎線に使用されており、その後1973年4月に南延岡区に転属しその1年後に廃車されているのでこの機関車は鹿児島が故郷であるといってもよい。何故千葉県君津市に来たのかよくわからない。 保存機関車のナンバープレートはそのほとんどが偽造品と思われるが大体は本物に似せてあるがこれは下手な手書きで興醒めである。2015.3.26撮影 ▼
現役時代は鹿児島区での撮影でこの時はkawanakaさん運転の車で鉄鈍爺さんと一緒であった。主目的はライトパシフィックC57でこの時もお召機C57117や梅小路にいたC57127等の撮影時にこのC12287もついでに撮ったもので印象や撮影の手ごたえはなく記憶にも残っていない。後に保存機関車名簿と照合してわかったくらいである。ただこの機関車は1947年昭和22年生まれで団塊の世代と同じである。当会でも団塊組は上記2名の他1900生、マルーン氏、藤本氏等々大物が多い。因みに私は終戦の年1945年生まれで戦時設計の代表D52の時代であるが要らん学校にも通ったため団塊の世代に巻き込まれてしまった。
72.5.1 鹿児島区 ラウンドハウス前のC12287[鹿児島] ▼
それでは皆様、よきお年をお迎え下さい。
sann
秋の北海道 鉄道ひとり旅 【8】
クリスマスとトラム④バーゼル(スイス)
③のフライベルクに続いて④バーゼルをご覧ください。
スイスではチューリッヒ、ジュネーブに次ぐ第3の都市です。ドイツ、フランスとスイスの3国の国境が接する地点にあります。
市内交通はバーゼル市交通局(BVD)とバーゼル・ラント交通局(BLT)が運営しています。BVDは緑色、BLTは黄色だそうです。
ホテルの前にトラムの線路がありました。ホテルで一日券をいただき6系統のトラムでクリスマスマーケットに出かけます。黄色と緑のトラムが有ります。 2016年12月9日
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クリスマスとトラム③フライブルク(ドイツ)
②ベルンに続き③フライブルク(ドイツ)をご覧ください。
フライブルク(フライブルク・イム・ブライスガウ)はドイツの南西部の都市で 環境保護で先進的な取り組みをしている都市で「環境首都フライブルク」と紹介されることもあるそうです。
環境政策は廃棄物、リサイクル政策、自然エネルギー政策、交通政策、都市計画、景観政策などで特に交通面ではLRTの強化による自動車依存からの脱却、都心への自動車乗り入れの制限 パークアンドライドの整備などがあげられるようです。
都心はトランジットモールが整備されトラムやバスの利用が便利になっています。
クリスマスマーケットは市内3か所で開催されていました。
市内中心部の地図です。トラムの線路が交差しているベルトルズ・ブルネン停留所は多くの人とトラムが集まり 乗り換えに便利なようになっているようです。2016年12月9日
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クリスマスとトラム②ベルン(スイス)
①チュ-リッヒに続いて②ベルンをご覧いただければと思います。
ベルンはスイスの首都で自然に囲まれた落ち着いた街です。世界遺産の旧市街はア-レ川に囲まれたようなきれいな街です。トラム、バス、トロリーバスの市内交通はBERUNMOBIL社で運営されチケットも共通です。
ホテルの前にトラムの線路があり 橋を渡ると旧市街です。
早起きをしてアーレ川に架かるコルンハウス橋の上での撮影です。朝の霞の中赤いトラムが走ってきました。(2016年12月8日)
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クリスマスとトラム①チューリッヒ(スイス)
ヨ-ロッパではドイツを中心にこの時期クリスマスマーケットが開催されています。その多くの都市ではトラムが運行されていて その魅力にひかれここ数年各地を訪れています。今年はスイスを中心にドイツ、フランスへ行ってきました。その一部をご覧いただければと思います。
まず スイスのチューリッヒです。チューリッヒのトラムはぶんしゅうさんが詳しくレポートされていますので クリスマス風景を中心にご覧ください。(2016年12月7日)
まず ツアーバスの駐車場の横をトラムが走っていました。
連結部分が独特ですね。
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私鉄の貴賓車その後
関 三平先生より私鉄の貴賓車が紹介されたが、その後の経過について自分の知っているものについてのみ書いてみた。
近鉄サ2600→サ2601→サ3018
昭和27年、一般の特急列車に使用するため、座席の転換クロス化を実施。35年に一般車に格下げ改造が行われ、扉から車端部がロングシート化されて主に急行に使用。38年にはラッシュ対策として中扉を設置して3扉化。39年8月の改番で0起番が廃止されサ2601に改番。45年3月、新製のモ2600形と車号が重複するためサ3000形のラスト、サ3018に改番。同年6月に座席のオールロングシート化。49年3月に廃車になった。
昭和44年5月1日、伊勢中川付近
前から2両目がサ2601である。
南海電鉄クハ1900→サハ1900
昭和27年より特急「こうや号」に使用。その後ソファーを撤去して通常の転換クロスシートを設置。36年、新「こうや号」20001系の完成に伴い運用離脱。
昭和38年、旧運転側を切断して客室化を行い、旧連結面に運転台を設置して一般車に大改造され、座席もロングシート化された。
モハ1201形のグループに組み入れられ、本線と高野線の平坦区間で使用されたが、編成の中間に入ることが多かった。43年には運転台が撤去されサハ1900になったが、昇圧対象から外され、47年6月廃車になった。
昭和42年5月28日、住吉東
一般車に改造されてモハ1201系の編成の中間車として使用中。
モハ1202の次、窓に保護棒があるのがクハ1900である。
名古屋鉄道トク3→モ681→豊橋鉄道モ681→モ1311
昭和23年頃一般車に改造され、モ681に改番されて渥美線に配置。渥美線は29年10月1日、豊橋鉄道に譲渡されたが、車号の変更はなかった。
ほぼ同時期に元佐久鉄道の気動車改造のサ2241と組み、モ681の連結面の運転台を移設して固定編成になりサ2241はク2241に改番された。
朝夕のラッシュ時にはMc-Tc2組の4両編成で運転されたが、直接制御のため総括制御が不可能で、運転士2人でタイフォンで合図しながらの運転であった。
【参考】ク2241について
モ681の相棒、ク2241について触れておきたい。
経歴は以下のとおりである。
昭和5年10月、日本車輌で佐久鉄道キホハニ53として新製。
9年9月1日、鉄道省に買収され、キハニ40602からハニ40703に改番。
19年6月、名鉄に譲渡され、サ2241となり瀬戸線で使用。
23年5月、大森付近の急カーブでスピードの出し過ぎで脱線転覆。
24年5月、修理後渥美線に転属。
29年10月モ681の片側運転台を移設して制御車化してク2241に改番。
34年に2扉化され自動扉化。43年廃車。
南海鉄道 電7系
広島のクリスマス電車
12月16日から18日の3日間 広電白島線「縮景園前」電停前で「ひろしまドイツクリスマスマ-ケット2016inア-バンビュ-グランドタワ-」が開催されました。
その白島線でトランジュール768号が14時から3回運行、クリスマス電車238号が18時から3回運行されました。
広電白島線「縮景園前」電停で乗車し「白島」で折り返し「八町堀」行きとなりそこで折り返し「縮景園前」で下車という行程のようです。768号は有料、238号は無料 いずれも当日予約の方のみの乗車のようでした。(2016年12月16日撮影)
↓ クリスマーケット前のツリーを横目に「八町堀」へ向かう768号「TRAIN ROUGE」です。
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東海道の電車を楽しむ-その4-
旅の思い出を投稿した後で体調不良(寒波襲来)となり、テレビの番人となっていた。タトラはソ連が広大な地域を支配していた時の産物で、日本が敗戦後各地にばら撒いた規格型(間に合わせ品)とは異なる。メーターゲージ採用都市も多く、そのため別設計による2軸車の量産も活発であった。タトラはPCCの特許を使ったせいか静かで、乗り心地良いのが印象に残っている。話しを日本に戻すとその3では宿場15番目が蒲原(かんばら)宿だと紹介するのを忘れていた。東海道線開通時、蒲原宿を囲むように14宿(吉原)に16宿(由比)があり、駅の建設では設置位置でいざこざがあったようだ。そして興津17宿(おきつ)、江尻18宿(えじり)に続いで府中19宿で(静岡)となる。府中の静岡への改名は明治維新によるものであった。
環状線の真田丸
上田の「真田丸」号
パソコン更新
これまで写真の投稿が出来なかったのですが、パソコンを更新し先日投稿できることを確認しました。パソコン不通の間、載せたい写真もありましたので時期遅れとはなりますがまずは富山旅行の前後です。富山へ行くなら「富山ライトレール」と思いINUBUSE氏の案内で北アルプスの見える岩瀬浜まで行きました。観光写真でよく見かけるものですが、この日は幸運にも立山(雄山)や剱岳が見渡せました。手前にマーメイドの後ろ姿もあります6/3です。黒部の後は、万葉線ということで「ドラえもんトラム」です。小さな子供が降車する時は運転手が人形をかざして挨拶してくれます。なかなか人気のようです。
三江線、可部線小ネタ
三江線は平成30年春の廃止へ向けて、可部線は来春の延伸に向けてそれぞれ歩を進めているようです。まずは三江線2題から。
私鉄の御料車
関センセの名古屋鉄道御料車が出たが、蒸気動力私鉄でも、天皇行幸の際御料車を作った例が幾つかあり、京阪16号など関西大手電鉄のものは照会済である。今回はひとつ、芸備鉄道のトク1をご披露申し上げる。
これは元来が南満州鉄道での一般客車(1904年新橋工場製)だったが、標準軌間改軌で日本に戻り、芸備鉄道が1914年1月9日購入認可を得た。1915年4月19日認可で車体のみ梅鉢工場で新製し、特別車としたのである。上の組立図は改造時点の姿で、こんな短い車輌にランプが5個(内1個は便所用)もある。下の竣功図は1918年6月6日設計変更認可=電燈化、さらに1924年8月30日設計変更認可により、自連換装の姿である。扉が外開きである。
芸備に限らず、かような車輌は一度使った後の始末にはホトホト困るもので、そう簡単に一般に格下げ、或いは廃車にしにくい。使うアテもないのについつい残存する、というのがこれまた一般的である。小生は別段かような貴賓客車の類に興味を持つわけでなく(どちらかというと、全く庶民用通常客車―例えばホハ12000とか、ナハ12500とか)の方が好きなのだが、偶々図があるので、お目にかける、というだけである。なおお召列車を詳述した本も複数あるが、大抵は国鉄の御料車や供奉車しか資料がないから、かような私鉄車までは筆が及んでい居ないのも通常である。両備鉄道(762mm軌間)が日車で製造した木製ボギー御料車は以前に紹介している。
名古屋鉄道トク3号
小さな秋の鉄道風景③
②に引き続き「小さな秋」③をご覧ください。
2016年11月 例によって日付順です。今回はとさでん交通、長崎電気軌道、阪堺電気軌道です。
↑ 夜 高知に着くと雨、雨、大雨でした。それも良かろうと はりまや橋交差点へ行きます。いつもきれいな花で飾られています。「 とさでん交通」607号が南方向「桟橋通り5丁目」へ向かいます。 11月18日
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小さな秋の鉄道風景②
①に引き続き「小さな秋」をご覧ください。2016年 一応日付順とさせていただきます。
よろしくお願いします。
↑ 三岐鉄道北勢線 昨年はきれいな水田でしたが今年の秋はコスモスの群生でした。 10月21日
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