癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 4 清水断崖を撮る

第4日目 11月24日

6:00 今日は今回の旅1番の撮影目的地「清水断崖」へと向かいます。5時過ぎには起きて宿泊した花蓮駅前のワウホテルをチェックアウト、開いたばかり屋台で朝食です。セブンイレブンでコーヒーと昼食を仕入れて皆さんとの集合を待ちました。
丁度セブンイレブンの前にTaxiが停まっていましたので交渉、3時間のチャーターで1,500TWD(約5,340円)、割り勘で1,068円で成立しました。日本の約1/3ですね。
先ずは荷物列車併結の花蓮始発台東行きの莒光602次を撮りたいと清水断崖とは逆方向に南下して吉安~志學にある木瓜橋鉄道橋を目指しました。

▲ 6:35 12.5㌔、約20分で木瓜橋鉄道橋の土手に到着、5人並んで列車を待ちます。

▲ 6:39 普悠瑪号が来ました。ダイヤにはない列車ですので回送と思われます。ご覧の通り今日の天候は昨日と違って曇天でよくありません。重そうな雲が空を覆っています。 続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【25】 秋編

三条通の80形

季節はもう師走ですが、まだ秋編、続けます。当時、京津線の車両は、準急用の600・700形、各停用の80形に統一されていました。今回は80形について触れてみます。
実は、私も京津線ユーザーだった時期があり、6年間、京阪山科~三条~北浜と通勤に利用していました。80形はラッシュ時には準急にも使用され、ほぼ毎日、お世話になってきました。明るい車内、滑るように走る80形は、準急用の350形、500形より、ウンと快適でした。なお、80形については、鉄道ピクトリアル822号「京阪電鉄」臨増号に、当会のシナイセンのヤマモトさんが詳述されて、80形への尽きない愛情が活き活きと著されています。
緩くSカーブした三条通を走って、東山三条に到着する。ここから見ると、都ホテルが、かなりの高さで正面に迫ってくる。

続きを読む

昭和の電車 改訂版(31)ー相模鉄道モハ5000型ー

関西の大学OB会である我がクラブでは、関東私鉄の興味がイマイチなのはやむを得ないと思うが、あまりにも反応が少なすぎていささかさみしい。
今回は最近でこそ都心直通とかで話題になっている相鉄ですが、私が横浜に務めていた頃の相鉄本社は西口にあった汚いビルでした。今回も反応は望み薄かも!

癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 3 枋山、太麻里で撮る

第3日目 11月23日

① 高雄 5:11(自強333次)⇒6:09 坊寮 6:14(區間車3501次)⇒6:34 枋山

昨夜、デカンショまつり号さん、893-2さんも高雄に着かれて合流されました。今朝は全員4時過ぎ起きで高雄站に向かいます。乗車するのは高雄駅発の南行1番列車です。

続きを読む

癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 2 台中港線と下淡水渓鉄橋で撮る


第2日目 11月22日

① 新左營 7:06(自強112次)⇒9:35 清水

今日はクモハ73106さん、大津の86さんと清水駅で合流して台中港線の埠頭へと向かいます。海線の台中港駅付近では何回も撮影しましたが台中港の第一埠頭までの7.8㌔へは行ったことがなく初めての訪問となります。午前中に2~3往復の貨物列車が運行されているはずです。早朝の列車に乗車して清水へ向かいました。

 

続きを読む

客車廃車体訪問記 内地編47 埼玉県-2

【ららぽーと新三郷】 2012年1月3日撮影
オハフ25 901  35.858528, 139.868090
オシ25 901  35.858560, 139.866061
内地編41 東京都-3で紹介した【アタゴール】のオロネ25 901とトリオを組んでいた「夢空間」の残り2両である。新三郷駅前の歩道橋から筑波山がきれいに見えた。関東平野は広い。
オハフ25 901は車内に入れた。ピアノがあったが、いつ演奏したのだろうか。まさか走行中?
オシ25には入れなかった。一度この車両で食事をしてみたかった。
◆オハフ25 901(1989年新製 富士)→2009年廃車
◆オシ25 901(1989年新製 東急)→2009年廃車
続きを読む

癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 1 旅立ち 高雄へ

癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅と言っても南国です。晩秋に入って朝夕めっきり寒くなってきた日本とは違ってまだ30℃の夏日が続いています。今回の旅の相棒は、台湾大好きなデカンショまつり号さん、大津の86さん、893-2さん、クモハ73106さんとクローバー会の面々です。いつものように現地集合・解散で今回の撮影目的はSLではなく清水断崖と電化工事が進んできた南迴線撮影です。
▲ クモハ73106さん撮影の清水断崖です。台湾八景の一つにもなった清水断崖は東部幹線崇徳~和仁にあり蘇花海岸の中で最も壮観な断層海岸と言われています。22.7㌔にわたる海岸は高さ1000mの岩壁がそそり立っており、一歩足を踏み外すと太平洋に垂直落下!ここは台湾一番の断崖絶壁なのです。日本統治時代花蓮と宜蘭から工事が始まりましたが開業は出来ず、蘇澳~花蓮は船便で結ばれていました。蘇澳新~花蓮が全線開業したのは戦後の1980年(昭和55年)2月1日でした。
続きを読む

 個人・グループでも頑張っています! 〈5〉

「江若鉄道―思い出の品々―」も最終日

大津市歴史博物館で開かれていた企画展「江若鉄道―思い出の品々―」も、本日、最終日を迎え、“二日続きの千秋楽”に行ってきました。今回は、過去二回の特別展ではな く、常設展の一部とロビーを使った“ミニ企画展”となりました。“思い出の品々”とあるように、館への寄贈・寄託も含めて、一般の方々が江若鉄道の思い出として大事に保存されていた品々で構成されていて、なかには会期中に来場者から寄託があって、途中からの急遽、展示に加えた品もあったと言います。いわば、市民・利用者から見た、江若鉄道の歴史でもあるわけで、ここに今回の意義を感じました。
われわれクローバー会では、メンバーの列車・車両の写真展示、西村さんの三井寺下駅・車庫のジオラマ展示、また、びわ湖鉄道歴史研究会の展示への写真提供などを行ないました。館の広報でも、協力団体に当会の名を入れていただき、公立の博物館の催事にも支援・協力できたこと、また来場者に50年前の江若鉄道の様子を偲んでいただくことできました。 歴博へ行く前に、大津市役所前で“一鉄”。ちょうど京アニ“響け ! ユーフォニアム”ラッピング車がやって来た。ことしの秋は忙しくて、紅葉撮影はゼロだったが、やっと、一枚残すことができた。

続きを読む

昭和の電車 改訂版(30)ー東急電鉄5000系ー

『アバンギャルド』=「前衛」を指す言葉であり、《革新的な試み》《実験的な試み》を指す。(Wikipediaより)
私は言葉の響きから何となく「あばずれ女」のイメージを持っていたが、今回改めて語源を引いて理解しなおしました!

東急5000系は私でも知っている有名人(車)です。熊本にもヘンなのがいました。

 個人・グループでも頑張っています! 〈4〉

「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」最終日

一ヵ月に渡って開催していました写真展「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」は、本日、11月の最終日、千秋楽を迎えることができました。クローバー会の皆さん、お知り合いの方、また通りすがりの方、たくさんの皆さんに来ていただきました。いっしょに開催しました山科の人間国宝さんともに、来場の皆さまには厚く御礼を申し上げます。最終日の本日は、やり切った満足感とともに、壁面からつぎつぎ写真が取り外されて一抹の寂しさを覚える最終日ならではの気持ちを味わいながら、滞りなく終了しました。今回の写真は、昭和40年代の東北がテーマ、とくに人間国宝の撮られた膨大な写真のなかから、展示用の十数点に絞り込むのは、悩ましいところだったが、東北の多面性を見せるため、あえて蒸機は絞り気味にした。たとえば「五能線=ハチロク」を払拭するため、岩館~広戸の岩礁の前にはキハ10系を持ってきたりした。そして意外性も重視した。いまや東北に直流のED電機がいたなども忘れ去られているのではと、仙山線のED17を持ってきた。バックの特徴的な山を背景にして、ED17の牽く貨物が通る。架線柱とED17とのバランスなど、ドンピシャの位置だ。ただ、撮影場所がよく分からず、人間国宝も50年前の記憶が定かではなく、単に「仙山線」としか記さなかった。いま原稿を書いている際に調べると、作並駅の近くの鎌倉山と判明した。山容がゴリラの頭に似ているので、ゴリラ山と呼ばれるそうな。

続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【24】 秋編

三条通を行く京津線

朝の東山三条に続いて、三条通を行く京津線の光景をいくつか拾ってみました。
三条通は、昔の東海道に当たりますが、正確には、南側に平行する細い道路が東海道でした。しかし、京津線開業前の明治期の地図を見ると、いまの三条通にすでに「三條通」の文字があり、東海道に代わる“新道”として、三条通ができたようですが、道幅はごく狭いものでした。いまの三条通のように拡幅されたのは、大正元年の京津電軌古川町~札ノ辻の開業、大正12年、古川町~三条大橋の延伸の前後で、軌道を併用した道路として、三条通の原型ができました。ただ、当時の地図を見ても分かりますが、三条通の拡幅は神宮道までで、蹴上までは明治期の細い道路のままでした。そのため、用地の獲得も容易な白川沿いの区間に着目し、古川町から北東部へ振って、一部は白川、その分流の河川敷も利用しながら、蹴上まで迂回して、現在の三条通と合流していました。その後、この部分の三条通の拡幅もなって、昭和6年には三条通りをまっすぐ進む、廃止前のルートに変更されました。
古川町~蹴上の開業時の旧線跡を、真夏のカンカン照りの日に、クローバー会行事として、みんなで歩いた時の思い出、そのあとに宴会場で飲み干したビールの味も忘れられません。京津線が白川を渡るところには、「白川橋」と彫られた石造りの親柱があり、その横には、道標もある。この道標、延宝六年の銘があり、京都市ではいちばん古い道標だそうな。

続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【23】 秋編

京津線 朝の東山三条

前記、阪急京都線の梅田~嵐山の臨時急行「嵯峨野エクスプレス」に熱を上げている時、平行して撮影していたのが、京阪京津線三条~御陵の記録でした。1997(平成9)年10月11日を持って同区間が廃止されて、翌日から京都市営地下鉄東西線に乗り入れることになりました。京阪百年以上の歴史のなかで、唯一、営業路線を廃止して、他社線へ乗り入れることになりました。同じ軌道法ながらも、それまでの路面電車然とした旧態の路線から、近代的な郊外電車へと脱皮しました。本シリーズでも、以前、桜の蹴上など、春の風景を採り上げましたが、今回は、廃止直前の秋編として、東山三条周辺の記録です。

朝の東山三条、登校する女子高生たちで停留場付近はいっとき人の波で埋まる。

続きを読む

昭和の電車 改訂版(29)ー京成電鉄1600型ー

特派員氏幼少時の絵本に出ていたのが前回の「東武5700型」と、この「京成1600型」だそうでした。

扉が片側に一カ所とはなかなか特徴のある電車です。こうやってまとめて見比べられるのは良い企画ですね。

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【22】 秋編

“梅嵐急行”から20年

「東北の鉄路」写真展も一段落、とは言え、来週には次の展示が控えていて、準備に追われる毎日ですが、デジ青にも“天然色”シリーズで復帰することにしました。

先の土日は、紅葉時期とあって、阪急電車も超満員でした。と言っても、現在の阪急電車には、撮影意欲も湧きませんが、以前、春秋の行楽シーズンには、臨時列車が多数運転され、京都線では梅田~嵐山の臨時急行、通称“梅嵐急行”が運転されていた“大運転”の時期を、ふと懐かしく思い出しました。もう20年近く前の話で、車両も様変わりしました。
なんと言っても、前パンの2300系が、二枚看板も誇らしげに走るシーンが、京都線の臨時急行の魅力だった。運転日に晴れると、決まって西向日~長岡天神~大山崎へ向かったものだ。近くとは言え、よく通ったものだった。このスタイルは、5300系非表示幕車でも見られたが、ほかの編成とも共通運用で、遭遇できない日もあって、がっかりして帰ったものだった。ちょっと前のことだと思ったが、前パン、二枚看板の2300系が消えてからもう20年も経ってしまった。その後、2300系非表示幕車の2301Fが2005年9月にさよなら運転を行い、2300系そのものも2009年に姿を消している(1997年 西向日~長岡天神)。

続きを読む

昭和の電車 改訂版(28)ー東武5700系ー

あの花巻のうまづら電車でも反応がうすかったのですから『猫ヒゲ電車』などダメでしょうか?

客車廃車体訪問記 内地編46 熊本県-1

【ブルートレインたらぎ】 32.262422, 130.932556 2018年8月13日撮影
スハネフ14 3,オハネ15 6,オハネ15 2003
くま川鉄道多良木駅の線路に並行して3両の客車が並んでいる。ここは、小坂鉄道レールパーク・ふれあいランド岩泉と共に、現在では数少ない実際に宿泊できる施設で、2010年7月1日にオープンした。中央のオハネ15 6は受付と共通スペースである。
上屋があるので痛みの進行は抑えられるが、柱がありその分鬱陶しいのはやむを得ない。テールマークは「はやぶさ」であった。
続きを読む

こころ旅 萩 玉江浦

 「こころ旅」という番組は鉄道に因んだ内容であることが時々ある。とうちゃこの所が駅であったり、お父さんが機関士でその思い出であったり、自転車で走っている道が廃線跡あったりとか。2019年秋の旅も山口県に入った。山口県最初の訪問地は萩市玉江浦であった。ふと考えてみると、ここはO君と行ったところである。番組では鉄道がでてこない。番組に出てくるのは弁天様と浜辺である。しかし、私にとってはO君と汽車の写真を撮った地である。そこは玉江駅であり、海の見える山陰線、懐かしい田舎の風景であった。

続きを読む

 気賀駅の15分  ~最近のクローバー会活動から~

ブルーモーメントを楽しむ

今日も、京阪七条まで写真展に行っていました。マルーン会長さんはじめ、先の天竜浜名湖鉄道旅行に来ていたメンバーも集まり、昼から6時間にわたる酒盛りも始まりました。その天浜線の話題になっても、どうも記憶がつながりません。考えたら、撮りっぱなしのままで、忙しさにかまけて、画像を見返すこともなく、データも保存していないことが初めて分かりました。家に戻って、すぐ保存して、やっと閲覧することができました。天浜線の時は、写真展の準備もあって、深夜の日帰りとなり、撮影も十分にできませんでしたが、わずかな時間を利用して撮影したなかに、私としては“ンッ”と思うものがありました。遅まきながら、15分間に撮った記録から、通常の活動報告に戻ることにしました。
当日の宿泊宴会先近く、天竜浜名湖鉄道の気賀駅を発車して行く上りDC、以前のNHK大河「おんな城主直虎」ゆかりの地で、駅には井伊家の紋を入れた赤幕がいまも飾られている。

続きを読む

 個人・グループでも頑張ってます! 〈3〉

二人展「東北の鉄路‥‥」開催中

続いて、手前味噌ながら、いま開催中、山科人間国宝と当特派員の二人展「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」写真展、その後の様子について報告します。ことし何度も行なった写真展と比べると、それほど多くの来場者はありませんが、その分、来場者とは濃密な時間を共有しています。人間国宝も、何度も会場に足を運んでいただき、来場者とも話をされ、その熱意には頭が下がります。
“二人展”と厚かましくも広言していますが、人間国宝の撮られた写真のレベルには、どう逆立ちしても、到達できるはずもありません。私としては、そのレベル差を埋めることはせず、むしろ二人の個性・作風を際立たせることを基本的な考えとしました。あえて正統派写真を避けて、私は一歩引いて人物絡みで見せることにしました。いわば変化球勝負です。
個々の写真の内容吟味はもちろんだが、今回は、写真以外に重視したのは、キャプションと並べ順だ。最近のプロの写真展を見ると、文字情報を極力抑えることが主流になっているように見受けられる。写真だけで作者の思いが伝われば、それでもいいだろう。でも、われわれには写真だけで伝えきれない思いがある。キャプションが大事なのだ。これに賛同していただいたのは、C62機関士として名高いUさんで、過去に何度も広島県から写真展に来ていただき、その感想を「第一印象は説明文が行き届いていること、予備知識のない人にも判るように、自分の思いも込めて簡潔にまとめるのは大変な努力が要ります。あちこちの写真展で物足りなさを覚えているだけに、うれしい展示会でした。」(河原町丸太町写真展)と、ご自身のブログに書いていただき、我が意を得たりだった。

続きを読む

客車廃車体訪問記 内地編45 東京都-4

【小金井公園】 35.713892, 139.509298 2018年3月17日撮影
スハフ32 2146
中央本線武蔵小金井駅から北へ約1㎞のところに東京都立小金井公園がある。その北にはゴルフ場がある、大きな公園である。上屋がないのですっきり見えるが、綺麗に維持するのは大変なのではないかと思う。
◆スハフ34447(1935年新製 梅鉢)→(1941年改番)スハフ32 146→スハフ32 2146→1974年廃車
現車には「梅鉢鉄工場(梅鉢紋有り・製造年無し)」と「昭和26年更新修繕-Ⅰ 大宮工場」の銘板が付いていた。
続きを読む