癒しの島 台湾鉄道2019年春の旅 Part 6 南迴線 DR2700系リバイバル號を追う

▲ 12:32 金崙駅を発車してコンクリート橋を渡っていくDR2700系5両編成、今までは6両編成で運行されていましたが今回は1両減で走行しました。
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 桜井線を走った蒸機列車

先般のクローバー会“桜井線ツアー”、知られざる廃線跡、構造物を巡りながら、参加者と歓談し、収穫の多いツアーとなりました。このツアーで、櫟本駅を下車して、北側の楢町橋梁まで歩いて、ポリクロミーの橋台を見学したあと、周辺の踏切で、まもなく置き換えが始まる105系を写すことになりました。踏切に立ったとたん、初めて来た場所のつもりなのに、なにか以前に来たことがあるような既視感にとらわれました。その時は、よく分からず、帰ってから、かすかな記憶力を振り絞って思い出すと、30年以上前に、この場所で蒸機を撮ったことを思い出しました。
櫟本で下車して、桜井線によく見られるポリクロミーの橋台を見学して、みんなと105系の撮影をした。大半は西側にある菜の花で“前ピン撮影”に臨んだが、私は踏切近くに張り付いた。南北に築堤があって、田んぼの向こうに学校が見える、どこでも見られる、当たり前の風景、一瞬、以前にも訪れたような気がした。

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 平成の桜を振り返る 【1】

ことしの桜シーズンも京都周辺では終わりました。この歳になると“あと何度、桜が見られるだろう”のフレーズが、身を持って感じられます。ことしは、ぶんしゅうさんと連れ立って、各地の三セク鉄道へも行きました。時あたかも、あと二週間で平成も終わります。去りゆく元号を惜しんで、“平成の桜”を思い返してみたいと思います。平成時代の31年間、桜のシーズンになると、鉄道との組み合わせを求めて近郊へ出掛けたものです。撮影する場所は毎年同じでも、車両が代わり、桜の樹勢も変わっていきます。平成に巡り会った桜は、鉄道の移り変わりそのものでもあるのです。

 阪急西向日駅の桜

京都方面行きホームの背後には桜並木が続いていた。その後、ここは宅地開発されて、桜は全くなくなっている。旧スタイルの駅名標も懐かしい(平成7年)。

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癒しの島 台湾鉄道2019年春の旅 Part 5 南迴線 金崙で撮る

第3日目 3月16日 その2

② 坊寮 13:34(自強號311次)⇒14:30 金崙

▲ 13:34 坊寮からはDR3000系自強號311次に乗車して南迴線の金崙へ移動です。
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再度、『かえだま』に関する考証を

河 昭一郎さんより、先の投稿に補追として写真と解説が送られてきました。
我々には事故による車輌運用の事件として面白おかしく伝えられてきた話題ですが、当事者には大変な、歴史的大事件だったことが先の河さんによるご投稿で明らかになりました。『かえだま』などと揶揄していた不見識を恥じるばかりです。
それでは送っていただいた当時の貴重な記録写真と解説をご覧頂きます。
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天は我々に忖度したのか! 桜井線行

 一週間前から天気にヤキモキした桜井線行であるが、天は我々に忖度してくれた。14日の朝、桜井線京終駅に集まった面々はほっとした表情である。それもそのはず、薄日が差す天気だから。前日の天気予報であれば朝から雨が降ることになっていたのである。

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癒しの島 台湾鉄道2019年春の旅 Part 4 南迴線 達信で撮る

▲ 11:20 青い台湾海峡の水平線が見える中、急勾配を登ってやって来たのはR139号機牽引の毎日1往復の普快車です。この辺りはまだ架線柱工事が進まずストレスなく撮影できました。
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癒しの島 台湾鉄道2019年春の旅 Part 3 高雄站、南迴線を撮る(屏東、坊寮~加禄、嘉和遮體)、南洲

第2日目 3月15日

今日は電化工事の始まっています南迴線の架線電柱が立つ前に撮っておこうと加禄の陸橋での撮影をすることにしました。昨夜遅くに高雄空港に着かれた千住のヤスベイさんも同行される予定でしたが体調を壊されたそうでホテルで休憩されることになりました。不銹鋼號さんと合流するため台鐡高雄站へ向かいます。▲ 台鐡高雄站コンコースに展示されていたリニューアル後の完成予定パース図です。日本なら高層ステーションビルが建設されるでしょうが公園の中に駅がある自然派的な駅です。癒しの島「台湾」らしさを感じます。

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国鉄京都自動車工場について

最近、別件で本棚をさがしていたところ、『国鉄京都自動車工場十五年史』(昭和37年8月1日発行)がでてきましたので、米手作市さんの  2019年1月17日投稿 「【103398】西村さんへの借りを返すの巻」  に関連して、ご参考に供します。

全景

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京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道坂本延伸裏話)その3

3. 全線開業までの運行形態
先に開通した三井寺-螢谷間はカーブの多い路線で大正末期には開業時に作られた大津電軌1型(京阪合併後の旧80型)とその後増備された大津電軌11型(京阪合併後の90型)という路面電車タイプの車両によって運行されていた。これに対し、三井寺-坂本間はカーブの少ない直線の線路を主体に、当時の高速高規格電車での運行が計画された。開業時に新製された琵琶湖鉄道汽船100型(京阪合併後の旧800型)は15m級ではあったが片側ロマンスシート、片側ロングシートの当時としては先端を行く車両であった。螢谷-坂本間で線路がつながったと言っても三井寺を境に坂本側は高規格の高床式、螢谷側は路面タイプの低床式と全く異なり乗客は三井寺で乗り換えを強いられ、この状態は昭和6年まで続いた。ところで部分開業の時はどのような運転形態であったのだろうか。開業時に作られた仮停留場の図面を見ると、三井寺停留場と兵営前停留場は路面タイプの低いプラットホームで、これに対して山上停留場、松ノ馬場停留場は高床用のプラットホームであった。

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四日市のさくら

三重県に住んでいながら、つい大阪や奈良に足が向いてしまいます。青山トンネルを越えて東へ向かって行くのは、なにか文化・風土の違う土地へ行くように思えてなりません。しかし今年は折角さくらが遅くまで咲いているので雨で散る前にと、思い立ちました。いつも近鉄ばかりなので違ったところで四日市あすなろう鉄道(半分くらいは近鉄ですか)です。最近では、雪の降った時に行ったことがあり、その時桜の咲きそうな場所を見たのを思い出しました。日永~南日永の「なろうブルー(161+ )」です。 続きを読む

河 昭一郎さんよりプレゼント!

久しぶりに河 昭一郎様からメールで『こんなん、あるでー』と写真の差し入れを頂きました。
さすがは国電の大家、一目で懐かしい写真だと分かるのですが、私は門外漢の悲しさ、値打ちが分かりません。また、我々への挑戦状なのか、データが入っていません。
よしッ受けて立とう!!
で、皆様に分析・解説(撮影場所と撮影時期が分かれば)をお願いします。(丸投げ!)

こんな面白い写真をお持ちの方は挑戦状を送って下さい。当会の探偵がたちまち解決します!

昭和39年5月3日 東京駅 上り「第1こだま」

「かえだま」については、2014年5月6日の特派員氏の投稿に詳しいので転載させて頂きます。
《昭和39年4月24日のことだが、静岡~草薙を走行中の宇野行き特急「第一富士」2001Mが、静岡操車場を通過しようとしたところ、踏切を直前横断したダンプカーと衝突、1~6号車が脱線、とくに先頭1号車のクロ151-7は、線路に直角に全軸脱線し大破した。 ちょうど新幹線開業前で、「こだま」形は九州乗り入れを控えて改造入場中で、予備編成が全く無い状態だった。

そこで、事故翌日の4月25日から5月6日の間、上り「第1こだま」、下り「第2こだま」は、153系11連で代走することになり、特急料金は半額となった。これまでも、ダイヤの乱れで所定の運用ができず、153系を特発した例もあったが、長期間153系代走となったのは、これが初めて、いわゆる“替えだま”と呼ばれる特異な例となった。》

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癒しの島 台湾鉄道2019年春の旅 Part 1 旅立ち 台北へ

癒しの島台湾への冬の旅が終わって一週間後、また向かうことになりました。今度はDR2700系がリバイバル運行されますのでこれの撮影が目的です。また前回撮れなかった台北2018年12月24日、開業した台湾2番目の台北のトラム「淡海軽軌」の乗り鉄、撮り鉄ももう1つの目的でした。▲ 濱海沙崙站の交差点を走行する5両編成の低床車です。ご覧の通り交差点では架線レスの走行をします。

淡海軽軌 】
新北市北部の淡水区市街地と淡海ニュータウン結ぶために台湾2番目のトラムとして建設されました。淡水の街を大きくぐるりと周る路線で総延長は2路線で13.99km。現在、紅樹林~崁頂の緑山線7.315㌔が開業しています。車両は台湾車輌とドイツのフォイト(Voith Engineering Services)社による共同設計で、台湾車輌で製造された国産車です。軌間は1,435㎜、DC750V、最高運転速度は75km/h
、スーパーキャパシタ搭載 続きを読む

河内・大和たより

今年は桜の開花が遅く、名張近郊でもやっと満開に近づきました。まだ例年に比べて気温の低い日もあり長続きはしそうです。この土日にいつもの場所ですが出掛けてきました。最初は国分の大和川です。近鉄の特急列車は塗装変更とグレードアップが進んでおり、旧特急色を見るのは少なくなってきました12200はそのままで淘汰されていくとも聞いているのですが。 続きを読む

癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part12 帰国

第10日目 3月6日

10日間を過ごした癒しの島とも今日でしばしのお別れです。次回来るのは一週間後の3月14日です。朝食前の散歩にリニューアル化工事の完成が近づいた台中站を散策することにしました。
▲ 旧駅舎の北寄りに建築された新駅舎です。旧駅舎は日本統治下時代の
1917年(大正6年)3月31日に- 2代目駅舎として完成しました。赤レンガ造りの英国調デザイン、鐘塔がそびえた駅舎は国家二級蹟に指定されています。

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恥を忍んでお尋ねします!

梅小路に新駅がオープンしてまもなく一ヶ月!
同時に西側に平行して既設の旧渡り線を利用して連絡橋ができました。

(左)梅小路京都西駅下りホーム
(右)旧渡り線を利用した連絡橋

この橋への登り口は七条通を西へ進み、山陰線をくぐったすぐの北側にあります。エレベーターと階段がありますが、ホテルが建設中のため、まだ利用者は少ないようです。線路は南へ進むのにつれて西へ300mのカーブになり、10‰の下りとなって梅小路貨物駅へと入っていました。その線路跡をそのまま使っているのでなにかとマニアには面白いようで、たまにしか通らない通行人に対してマニアの割合が多いように思います。

まず、両脇の側壁はそのままだし、歩道の中央にはレンガで線路が表記されています。さらに進むと、

この先には鉄路が現存する。 正面の建物は鉄博本館

連絡橋は駅本屋に近づくと左折してエレベーターと階段で駅に入るが、遊歩道は10mほど突きだして旧線跡を見られるようにするらしい。

さて、余談が続きましたが本題に入ります。

この連絡橋の側壁の中間に、いくつかの標識が当時のまま残っています。
その記号についての質問です。
こんな事もシランのか!との罵声を覚悟の上で恥を忍んでお尋ねします。この記号群の意味をおしえてください!

この裏には半径300mの表示がある。                           西村氏より  TCL=緩和曲線長(25m)     CCL= 不明   C=カント(51mm)            S=スラック(1067mm+15mm)       V=曲線通過速度(42km)

 

京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道坂本延伸裏話)その2

2.5つの仮停留場

部分開業に伴って坂本、三井寺、兵営前、山上、松ノ馬場の5つの仮停留場の設置願いが出された。まず、先に紹介した昭和2年4月25日付「仮停留場設置御届」では兵営前、山上、松ノ馬場の3駅について仮停留場の設置願いが出された。兵営前、山上は前項で述べた陸軍との土地交換が遅れ、兵営前、山上間が完成しないため、三井寺-兵営前、山上-松ノ馬場の折り返し運転用に仮停留場を設置した。ところが同じ文書に書かれている松ノ馬場の理由書を見ると松ノ馬場停留場用地の一部及びその北側の用地で、当初住民の電車敷設反対があり、用地買収が遅れたためとある。

 

資料3:兵営前仮停留場平面図(県政史料室歴史史料、大と1より作図)
折り返しの設備を持ち、路面電車タイプの低床のホームが作られた。

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癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part11 大甲でしなの鉄道色EMU500系を撮る

第9日目 3月5日 その2


② 台中港12:1112:21(區間車2608次)⇒12:16 12:26大甲

台中港からは遅れていた區間車に乗車して大甲へと移動です。駅撮りをすることにしました。

▲ 12:36 最初に来たのは、EMU500系新竹始発彰化行きの區間車2523次です。
EMU500系は1990年に当時の韓国大宇から344両が導入されましたが製造元が合併されたために補修部品供給などのアフターサービスが適切に実施されず、台鐡からの信頼は失墜し、車両等の調達に関して韓国企業は事実上の出入り禁止の状態が続いていました。日本企業の車両調達に切り替えられていましたが、2018年韓国ロテム社に520両の通勤電車の発注が行われました。日本メーカーから日本国内での需要が多く収益性向上に方針が転換してきたために応札がなかったためと報じられています。

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