「B」の時代 ①

手ノ子の96

ことし、何度か写真展・展示会を行い、来場された方と鉄道写真について話をする機会がありました。そのなかで、撮影方法について聞かれることもありました。たとえば、つぎのような写真、11月に京阪七条駅近くのカフェギャラリーの「東北の鉄路 全盛時代を偲ぶ」に展示した写真ですが、長時間露光の夜間撮影についてです。今でも夜間撮影をすることはありますが、高感度デジカメで撮れるとあっては、いまや三脚なし、手持ち撮影が常識になりました。しかしフィルム時代、感度は低く、増感現像という手段はあったものの、粒子が荒れます。そこで三脚に据えて、30秒とか1分間露光をするバルブ(B)撮影が、夜間撮影のスタンダードでした。蒸機の場合、煙が流れたり、ライトが光跡になったり、長時間露光ならではの意外性がありました。いわばアナログならではの撮影方法が、デジタルの時代、かえって新鮮な表現に映るのかと思った次第です。このように、長時間露光で撮った写真のいくつかを紹介していきましょう。
米坂線の手ノ子駅に停車する、168レを牽く29622を撮ったもの。安全弁から噴き上げる蒸気が、長時間露光でまっすぐに上がっている。蒸機に当たる光線だけでは弱いので、周囲にある、信号や室内照明の光源をうまく入れるのがポイントだ。何点か撮っているが、手帳を見ると「ALL F.8 30S」と書いていて、絞り8、シャッター30秒で撮っていた(昭和47年2月10日)。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【29】 初冬編

立野を中心に、豊肥本線、高森線を撮る

今回は九州の中央部、豊肥本線・高森線(現・南阿蘇鉄道)の初冬の風景です。両線が交わる立野の前後には、大規模なスイッチバックがあったり、高い橋梁が存在します。昭和40年代、蒸機の牽く客貨列車も多くあって、よく訪れていました。ところが、両線とも2016年4月の熊本地震で、大きな被害がありました。その後に各地で発生した災害に隠れ勝ちですが、復旧作業が遅々としていて、現在でも不通が続いています。
今回のカラーは、昭和46年12月、同47年11月を合わせたものです。豊肥本線は、立野を出発すると、三段式のスイッチバックで、阿蘇の外輪山をよじ登って行く。スルーできない、文字通りのスイッチバック式だが、その赤水寄りにも、好適なカーブが続いている。列車は1794レで、立野で停車時間があるため、まず到着前を撮って、駅で停車中を押さえる。そして、外輪山の方向へ直登して、スイッチバック付近のカーブ地点に着き、朝陽を受けた96の勇姿をとらえた。

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客車廃車体訪問記 内地編50 栃木県-1

【真岡駅:SLキューロク館】 36.438760, 140.002856 2019年12月15日撮影
スハフ44 25
真岡鐵道真岡駅のSLキューロク館内にスハフ44 25が置いてある。良好な状態で、栃木県に二重窓の客車とは面白い取り合わせである。訪問時にはクリスマスのデコレーションが施されていた。写真撮影するには少し狭い。
SLキューロク館では、49671とヨ8593が連結されて出たり入ったりしている。土曜日で家族連れがいて、ヨ8593には子どもが乗って往復していた。
12月22日(日)に49671の白寿を祝うイベントを行うそうである。
◆スハフ44 25(1954年新製 日車)→1967年近代化改造→1987年廃車
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昭和の電車 改訂版(34)ー京都市電N1型ー

これは自信を持って投稿できます。画に描かれている場所は七条西洞院を上がった、旧植柳小学校の南にある藪の内千家の前でしょう。西洞院通を走る北野線は、南北の通りでは西側に引き寄せて線路が引かれていました。そのため西側の家では飛び出すことは厳禁でした。中立売通では南側に寄っています。先日掲載された花巻電車と似ていました。

中村進一氏撮影

画とほぼ同じ付近と思われます。左のカゴのようなものは籐で作った乳母車。春の彼岸頃と思われる。

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【28】 初冬編

名勝、大畑へ

昭和46年初冬の南九州、つぎは大畑へ向かいました。大畑を含む吉松~人吉の矢岳越えは、それまでも列車で何度か通りましたが、下車しての撮影は、この時が初めてでした。日本三大車窓の絶景地であり、33‰勾配、スイッチバックとループ線、重装備のD51に混合列車と、魅力が大盛りの区間でした。いままでは、夜行鈍行の1121列車で大畑を通ることが多かったのですが、この1121レから撮るためには、現地泊しか手はなく、奮発して人吉の国民宿舎に一人で泊まりました。大畑では、食糧調達の術はなく、朝食、昼食用のおにぎりを宿舎で作ってもらい、薄暗い人吉の駅を出て、一番列車841レで大畑へ向かいました。大畑には7時14分着、841レの発車を見送ったあと、ループ線を見下ろす、撮影地へ向かった。朝露でズクズクになりながら着いた。天気さえ良ければ、霧島連山まで、キレイに見渡せる場所だ。まもなくループ線を一周して、1121レがやって来た。1121レは、門司港発鹿児島本線経由の都城行き夜行。九州へ行けば何度も愛用した列車で、客車6両と、大畑では唯一の本格的な客車編成だった。

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客車廃車体訪問記 内地編49 石川県-3

【松任青少年宿泊研修センター】 36.512155, 136.560147 1998年8月8日撮影
オハ47 2079
オハ47 2235
スハ43として新製されたが、前回と違い、最終オハフ46にはならなかったオハ47の2両である。
松任青少年宿泊研修センターは、白山市の条例に基づく、スポーツ合宿等の宿泊研修用の施設であり、車両は現在は無くなって、駐車場になっている。「なかよし号」というサボがかかっていたが、車内を見ると、真夏・真冬の利用は厳しかったと思われる。
◆スハ43 317(1953年8月21日新製 日立)→1962年3月29日平板開戸 松任工→(1963年1月18日改造 長野工)オハ47 79→(1964年10月6日電暖追設、近代化改造 長野工)オハ47 2079→1971年7月1日 長野工→1985年廃車
◆スハ43 336(1954年1月新製 近車)→(1962年2月8日電暖追設、蛍光灯化 高砂工)スハ43 2336→1966年12月12日近代化改造 長野工→(1967年11月21日改造 松任工)オハ47 2235→台車TR23H化 松任工→1971年5月22日体質改善B3 松任工→1986年廃車
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阪急京都線急行のちょっとした思い出

JRの特急車両は趣味誌によく取り上げられる。個性ある私鉄の特急も同様でかつては速度比較もよく見られた。それに比べて私鉄の急行は沿線住民にとっては重要な位置づけにありながら趣味上は地味な存在であまり話題にならなかった。そこで学生時代に乗車した阪急京都線の急行を取り上げてみた。その理由はとにかく速かった記憶があり、私鉄の急行では一番表定速度が高かったのではないかと思っているからである。他社のちょっとした特急よりも速かったのではないかとも思う。速いといえば近鉄大阪線急行も速かった。両者を比較してみると私の手元にある時刻表で京都線の急行の速度がわかる最も古いのは1976年7月号で河原町を22時40分発が梅田23時24分着で47.7kmを44分で走り、表定速度は65.1km/hである。梅田23時40分発河原町行きも45分で表定63.6km/hある。早朝の河原町6時発は48分かかり表定速度59.6km/hである。昼間時もこれに近い速度で走ったのではないかと推察する。また、1980年10月5日発行の保育社「日本の私鉄阪急」では標準所要時間47分で表定速度は60.9km/hとある。一方、近鉄大阪線は1968年11月の時刻表を見ると上本町6時10分発宇治山田8時21分着で137.3kmを2時間11分で走破し、宇治山田20時22発も上本町22時33分着で同じ2時間11分で表定速度は62.9km/hある。近鉄大阪線は青山越え等連続するアップダウンと単線区間の存在がありハンデがあったが、鶴橋~大和八木間ノンストップなど今では考えられないほど停車駅が少なかった。阪急の場合は新京阪鉄道が高速運転に向くような車両や線路を用意し山間部の勾配区間もないので停車駅がそこそこ(停車駅は十三、淡路、茨木市、高槻市、桂、西院、大宮、烏丸でラッシュ時長岡天神にも停車した)あるにもかかわらず表定速度が高かったものと思われる。

それでは阪急京都線の思い出の急行運用の車両を順に見ていく。

まず1300系。神宝線1010、1100系の京都線バージョンである。この日1300系急行4連を2本撮影しているが、これが私が撮った最初で最後の急行運用の姿で、この後の1300系の撮影は4連の本線や千里線の普通列車ばかりである。吊り掛け式モーターの710型に続くカルダン車として登場しクロスシート車もあったが優等列車に使われた時代は短かった。既にあの有名な2800系の計画があったからかもしれない。1300系は晩年は宝塚線1200系に組み込まれたものもあったという。一度その姿は見たかった。

1965.09.30 大山崎~長岡天神間 河原町行き急行後部1305▼

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【27】 初冬編

12月の南九州でC61を撮る

再び“天然色”シリーズに戻って、初冬編に参ります。昭和46年12月、この時期としては初めて九州へ向かいました。それまで長期間の旅行は、休みの多い春・夏限定でしたが、均一周遊券を使った初冬の旅行となりました。秋の旅行シーズンが終わり、年末年始のピークまでの空白期となる12月上・中旬は、列車も観光地も宿泊先もホントによく空いていることを実感しました。今なら、ライトアップなどの催事もありますが、当時はそんなチャラチャラしたイベントもありません。とくに有り難いのは、当時、常宿としていたユースホステルの予約でした。予約は、ハンドブックで宿泊先を選び、往復はがきで申し込みますが、到着までに一週間近く掛かります。満室だと、またプランを練り直し、再度、一週間後の結果待ちと、今から考えると、たいへん手間と時間の掛かる申し込みでしたが、予約なしで飛び込みもOKだったのが、この時期でした。夜行列車も空いていて、1BOXを一人で占拠して、ゆっくり熟睡したのでした。
お馴染み、朝の大淀川を渡るC57の牽く539レ。まだ川沿いのフェニックス並木も健在だった。原版は、すっかり褪色していたが、色温度を上げてやるだけで、簡単に朝のイメージにすることができた(1971年12月)。

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昭和の電車 改訂版(33)ー京王帝都デハ2110型ー

今回からしばらくはしんぶん紙面の割り付けの関係で二コマに分かれます。

前回の「京浜急行」はどなたからも投稿がありませんでした。車輌が古いのと、やっぱり関東の私鉄は遠い存在なのかもしれません。と、言うわけで今回も反応は望み薄です。前回の掲載時(2011年7月)には湯口徹先輩と準特急さんから貴重な写真と共にご意見が載せられました。

 個人・グループでも頑張っています! 〈7〉

二日間だけの「上京区電車物語」終了

12月7日・8日に開催しました「上京区電車物語」も、滞りなく終了することができました。土日の区役所の4階の奥という、外部からは全く伺い知れない会場でしたが、両日あわせて約200名の方が来場され、クローバー会の皆さん、デジ青読者の皆さんにも多く来ていただきました。改めて御礼申し上げます。一緒に運営に当たった皆さんの協力のもと、わずか二日間だけでは、もったいない(?)ほどのテンコ盛りの展示ができ、皆さんには、ひととき楽しんでいただけたかなと思っています。上京区総合庁舎の4階で開かれた「上京区電車物語」。屋上庭園を望む明るい会場は、左手は歴史・写真コーナー、右手は模型走行・グッズ展示・工作教室、奥はトークショー会場となった。朝から多くの市民が来場され、あちこちで話の輪ができた。

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2019年の秋を追いかける 丹鉄引原峠のイチョウを撮る2 リベンジ

11月26日に台湾から帰国しましたが気になっていたのが訪台前に行った丹鉄の引原峠です。半分は紅葉していましたが全体的にはもう少しでした。帰国したら再訪したいと思っていましたがライトアップされるのは24日までの公示でした。それでも撮りに行きたいと天気予報を見ながら様子を伺いました。

11月29日、天気予報では午前中は晴れですが夕刻は曇りそうとの事ですが朝の青空を見ては行かないわけにはいきません。決断は遅かったのですが10時前にぶんしゅう8号に撮影機材を乗せて出発です。
撮影地までは約120㌔、約1時間40分の道のりです。丹後大宮で昼食をとってから現場に到着しました。
▲ 12:34 豊岡始発西舞鶴行きの丹後ゆめ列車IIのラッピングを施したKRT709号車、228Ⅾが引原峠の鉄路を上がってきました。11月15日に来た時はまだ緑色だったイチョウはすっかり黄色に変わっていました。
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癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 7 高雄トラムを撮る、帰国

第6日目 11月26日

今日は今回の旅の最終日、高雄空港のフライトは15:05ですので14:15にはチェックインカウンターへ行かなければいけません。もう何回も高雄ライトレールは撮っていますので新しい撮影ポイントが探せれば撮ってもいいかな、そして食べに行きたい小籠包の店がもう一つあります。「厚得福」です。昼食はここで食べたいと向かうことにしました。
▲ 7:30 先ずは朝食です。今回の旅ではホテルの朝食時間前9にはチェックアウトして撮影地に向っていましたのでゆっくりホテルの朝食を食べるのは初めてです。港が見えるレストランで朝食です。
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昭和の電車 改訂版(32)ー京浜急行クハ140型ー

今回は京浜急行。
時々、横浜まで乗りましたが「京阪電車」に乗っているのでは?と思いました。

癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 6 礁渓⇒高雄、高雄トラムを撮る

第5日目 11月25日

6:00 起床、部屋の大きなお風呂に贅沢に温泉をたっぷり入れて入浴です。目が覚めました。今日は皆さんとお別れです。昨夕帰途された893-2さんは深夜便で関空に向われました。クモハ73106さん、デカンショ祭り号さん、大津の86さんは台北から帰国されますので北迴線で北上されます。私は一人高雄からピーチで関空に向かいますので今日は高雄泊まり。ゆっくりと礁渓から高雄へ南迴線で向かいます。
切符は昨日崇徳駅で空席を調べてもらいました。時間がなくて購入したのは礁渓に到着後になりましたが大丈夫でした。花蓮で18分間の乗継時間がありますが約7時間半の絶景が続く南迴線乗車の乗り鉄旅です。

① 礁渓 8:01(自強204次)⇒9:29 花蓮 9:47(自強308次)⇒15:33 高雄

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客車廃車体訪問記 内地編48 石川県-2

【松任駅前 軽食喫茶シャルム】 1988年7月10日撮影
オハフ46 2030
現車は、内地向けオハフ46のラストナンバーである。
松任駅前にあった喫茶店で、なぜかこの1枚しか撮影していない。営業中の店内に入った記憶もなく、なぜそんなに急いでいたのかも思い出せない。天気は悪いようである。
今は松任駅付近はすっかり変わってしまい、場所を特定し難いが、駅の下をくぐる地下道になっているあたりではないだろうか。駅前東側にはD51 822が置かれているようである。
◆スハ43 283(1953年新製 日支)→(1961年電暖追設 高砂工)スハ43 2283→1965年近代化改造 小倉工→(1968年改造 松任工)オハ47 2223→(1974年改造 長野工)オハフ46 2030→1985年廃車

関三平先生と会いました

『昭和の電車』シリーズの作者で迷路公団総裁の関三平先生から電話を頂き、6日の午後四条通の喫茶店で会いました。
思えば久しぶりの再会です。

ホームカミングデーにお招きしなかったことをお詫びして、須田寬さんの講演について話をしました。中で、須田さんが『京都市電の600型が一番好き!』と言われたので、手元にあった関先生の「600型市電」のハガキ型複製画をお送りしたところ、『葵橋の簡易裁判所前ですな』と懇篤なお礼を頂いた旨をご報告したところ、大層喜んでくださいました。

その時に最近発行された「昭和の鉄道旅~復活編~」を頂きました。
この中で関先生が昭和の電車で描かれた電車が思い出と共に掲載されています。新聞の記事とは違う思い出話ですからぜひとも読んでみてください。
他にも掲載記事はサブタイトルにもあるように「寅さんシリーズ」番外編とも言うべき復活編が上映されるのに因んで、今までのシリーズに出てきた鉄道シーンを再編集して紹介しています。さらに「この世界の片隅に」で出てくる広島市内のアニメカットを現在と比較して、見ていても楽しく資料としても役立ちます。
他にも全国の「駅そば」や、鉄道ファンの山田洋次監督の思い出を南正時氏が綴った記事などなかなか面白い内容となっています。

また、新年に飲み会でもしましょうと約束してお別れしました。

クローバー会通信第2号補機

 本日クローバー会通信第2号届きました。ありがとうございます。楽しく拝見してます。その中で「鉄道のりつぶし現状について」を寄稿させていただきましたが投稿後、気合を入れて活動した結果、乗車キロ18466→19027.2まで伸ばすことができました。北海道新幹線、津軽線、大湊線、男鹿線、花輪線、五能線を踏破、残すは山田線、釜石線、大船渡線、気仙沼線、田沢湖線、北上線、陸羽東線、陸羽西線、左沢線、仙石東北ライン、仙石線、そして東北本線岩切~利府です。

 と思っていたら皆様ご承知の通り相鉄直通運転対応区間鶴見~羽沢横浜国大が増えてしまいました・・・終わりのない旅はまだまだ続きます。

最後に番外ですが丹那トンネルの坑口の殉職碑に頭を垂れてきました。この翌日には沼津~国府津を久々に乗車、改めて感謝の思いが湧いてきました。来年早々には全線踏破を成し遂げたいと思います。また皆様にはご報告したいと思います。拙文お許しください。

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 個人・グループでも頑張っています! 〈6〉

二日間限定の展示会

報告するのが会期前日になってしまいましたが、明日・明後日の二日間だけ、ことし最後の展示会を行ないます。

  京都市上京区まちづくり活動支援事業

  「上京区電車物語~最古の区を走った最初の電車~」

  12月7日(土)・8日(日)10~16時

  上京区総合庁舎(上京区役所)4階ホール

  地下鉄「今出川」下車西へ5分、または市バス「上京区総合庁舎前」下車

同志社大学も所在する京都市上京区は、ことし区ができてから140周年を迎えます。これを記念して、区では市民主体の文化活動を応援する制度をつくり、私が以前に住んでいた学区では、上京区と鉄道との関わりを研究テーマに選び、区から認定を受けました。学区の元会長をしていた私の知人から、相談を受け、同じ学区出身の勘秀峰さん、また“伏見チンチン電車の会”の皆さんとともに協力して、この二日間のイベントを立ち上げました。

告知のポスター、上京区内には、標準軌の市電だけでなく、昭和36年までは、狭軌の北野線も走っていた。さらに、あまり知られていない嵐電北野線が、いまの北野天満宮近くまで来ていた時代の貴重な写真など、多くの皆さんの協力で、展示が実現できた。ペーパークラフトの工作教室、8分の1のN電模型の走行、N電運転台の実物大モックアップなど、興味深いものがいっぱいです。

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癒しの島 台湾鉄道2019年秋の旅 Part 5 花蓮港線の貨物列車を撮る

第4日目 11月24日 その2

① 崇徳 11:22(區間車4146)⇒11:46 花蓮

志水断崖から崇徳での撮影を終えてからは徒歩で崇徳站へと向かいました。歩行距離は約1㌔、所要時間は約20分です。そして来た区間車に乗車して花蓮へ向かいました。

花蓮では昼食後にTaxiに乗車して花蓮港へと向かいました。撮影目的の貨物列車ですが、①亞州水泥公司のセメント列車と、②中鋼公司のコンテナ列車の2種類あります。

①は工場のある新城站からセメントを満載して花蓮港へと運行して降ろすと再び新城へと回送します。編成は専用のホッパ車約20両、運転間隔は1時間30分から2時間と結構あり、ほぼ毎日運行されます。

②は石灰岩を多く含んだ残土を積載したコンテナを和仁站で平車に乗せて、花蓮港まで運びます。コンテナを降ろすと空コンテナを載せた編成を再び和仁まで回送します。編成は約10数両、約3時間~3時間半で運行されますが残念ながら今日は日曜日で運休日です。

14時前に花蓮港に着きましたが貨物列車は入線していません。6月に不銹鋼號さんと一緒に来た時に訪問した「維納斯藝廊」へ参り台東線の写真や本を見ながら待つことにしました。
14:05 本を見ていますと列車が入線してくる音が聞こえました。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【26】 秋編

三条通で夕景・夜景を撮る

三条通の京津三条~東山三条~蹴上は、前にも言いましたが、ほぼ東西を向いています。と言うことは、夕方なら、夕陽を受けたり、バックにしたりすることができます。自分好みのフォトジェニックな光景を求めて、昼間から、ずっと付近をウロついたものです。神宮道の交差点から少し東に歩道橋があって、格好の夜景撮影ポイントだった。ただし、よく揺れるので、長時間露光は無理で、静かにして揺れが収まってから、ほんの数秒間だけ露光した。この写真のように、神宮道で右折するクルマに邪魔されて、直進できずに停車してしまう、わずかな時間が狙い目だった。

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