12月19日、朝日新聞大阪版社会面に掲載された記事です。
山陽電鉄が、台湾鉄路管理局と12月22日に、姉妹鉄道協定を締結するそうです。

ドイツのクリスマスマーケットとトラム①
広島ニュース
相も変わらず新聞情報で失礼します。19日と20日の中国新聞朝刊からのニュースをお届けします。
(1)平成27年3月14日に新白島駅開業
広島駅と横川駅間に新白島駅が開業し、アストラムラインとの乗り換えができるようになります。また227系の運用開始も話題になっています。
C58、こけしの郷を行く-半世紀前-
春に会津線、磐越西線を訪れた1965年、夏には、飯山線、米坂線、そして最後に陸羽東線を尋ねました。米坂線で96を堪能し、坂町から羽越線に乗車。次回、日本海の撮影場所を探しながら、余目へ。撮影にはなかなか難しそうな場所ばかりが目に付きました。そして新庄経由で陸羽東線・中山平(現・中山平温泉)へ。
ここでステーションホテルを駅長に申し出たら、それなら駅長官舎の風呂に入れと、見ず知らずの者に親切な扱い。勿論有難く頂き、蚊取り線香に火を付けてお休み。
翌日、中山平-鳴子(現・鳴子温泉)、中山平-堺田間を撮影後、東北本線小牛田で食堂に入ると、非番で子供連れの、先の駅長さんとばったり。お名前を酒井清人さんと云う。帰宅後丁重なお礼のハガキを出したことを覚えています。
さて、記録写真です。前日、中山平宿泊前に、撮影場所探索の為、鳴子駅まで出掛けました。その時、夕方の鳴子駅に到着の貨物。
▼貨767レ 機C58161【小】 鳴子駅構内 1965.8.17 11233 11233
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サルに遭遇
今日は北海道は猛吹雪だそうである。先日、紅葉狩りを兼ねて秩父鉄道に出向いた折にサル軍団に出会った。影森~浦山口の武甲山採石場への引き込み線の近くで定番の撮影地である。餌でも探しに来たのかサルの軍団が人目を警戒しつつ線路を越えて民家の庭先に入り込んできた。しばらくして毎度のことなのか住民が自転車に乗ってサルを追い払っていた。撮り鉄猛者の諸兄はサルなどしょっちゅう見ておられることとは思うが、こちら小心者で一瞬びっくりしたので報告した次第である。以前、伯備線の岡山・鳥取の県境近くでも見かけたことがあり、他にも碓氷峠の国道や東海道本線の撮影名所早川~根府川のみかん山でも見かけた。日本国中に居るのかもしれない。ところでサルは人間を襲うことはないと思うが、熊はそうはいかない。最近は餌がないのか人里に下りてきて老人が襲われたというニュースをよく耳にする。秩父でも今年になって西武の横瀬駅から武甲山にかけて熊が出没しており、警戒を呼びかける注意書きを見た。北海道では知床や日高は当然であるが札幌や小樽にも現れており、陸続きである限りどこも安心はできない。熊は臆病なので音の出る鈴などで近寄らせないようにとよく言われる。私などは音をたてるとかえって気づかれるのでないかと思いどうも鈴の準備には信憑性がないと思ってしまう。熊やイノシシやサルに比べまず襲ってこないのが私の大の苦手の爬虫類。こちらは最近はほとんど見かけなくなったがどうなったのだろうか。どの動物も普段は出会うことがないのでたまたま見ると驚くがよく考えてみると人間よりは怖くはないのかもしれない。 続きを読む
備後・備中に消えた鉄道を訪ねて その2 ~井笠の「やってみなはれ」~
福山、三原、尾道などの備後路は行ったことがありません。しかし、となりの備中にあった井笠鉄道は行ったことはあります。今回、久しぶりに井笠鉄道が走っていたところを訪れることにしました。ここは西村さんにはご迷惑ですが案内をしていただくことにしました。とにかく、お任せです。井笠鉄道も訪れることをしていますので訪問地域は広範囲に及びます。西村さんの車(最新鋭無軌条単端軽油発動車)で各地を訪れることとなりました。まず、最初に訪れるところは井笠鉄道記念館で、場所はかつての井笠鉄道新山駅です。その道中で、三原から尾道までの途中の山陽本線線路際にある「遭難軍人之碑」に行きました。
これは西村さんの話によると、明治時代に日清戦争の傷病軍人を乗せた軍用列車がちょうど台風による高波で海岸沿いの線路が崩壊流失を知らずに通過しようとして脱線転覆し乗っていた軍人と乗務員が死亡した為に、その遭難者の慰霊碑だそうです。今は海岸より離れたところですが、当時はすぐ海だったようです。帰ってから国土地理院のHPで閲覧できる古い地図を見ても慰霊碑のあたりはすぐ海であることがわかりました。山陽道は慰霊碑のところより三原方面に戻った所から山側を通っていましたが、鉄道は山側に迂回せずにまっすぐに尾道の街にひかれていました。今、走っている国道2号線はどうも海であったようです。
まずは井笠鉄道があった笠岡へ急ぐことにしました。福山西ICで山陽道にはいり、笠岡ICで降りて井笠鉄道記念館に行きます。笠岡ICを降りてからのどかな道をしばらく走りました。走っていると、二人とも「線路を走っているみたいやな。ひょっとしたら井笠鉄道の線路跡かなあ。」「いや、もう少し東側を走っていたのでは」とか「左側に見える細い道がそうかもしれませんね。」としゃべってると、知らぬ間に新山にある井笠鉄道記念館に通じている県道48号線と交差するところに来ていました。
環状線103
東急電鉄デト3014
備後・備中に消えた鉄道を訪ねて その1 ~旅のはじめはお船に乗って~
備後三原に住まいする西村さんから書状をいただき、備後路の旅を計画されてはいかがですかとお誘いを受けました。私は、備後辺りはあまり知りません。以前に「しまなみ海道」を車で走っただけでしたので、よく見てみたいと思っていました。それでどのように行くか考えてみました。旅の楽しみはまず計画する楽しみです。目的地の行き方ですが、新幹線でシャーと行ってしまう方法もあります。これではあまり芸がないので、「旅のはじめはお船に乗って」ということにしました。備後へ行く船があるのかと言う声が聞こえそうですが、実はあるのです。まず、船で四国へ行って、さらにそこから船で芸備や備後に行くのです。最初は伊予鉄や、途中の三津駅、三津浜駅、高浜駅、伊予和気駅などを寄って、そして広島に渡り広電を見たりとあちこちとてんこ盛りにした計画を立てていました。ところで大阪からの船ですが、大阪南港を22時出航で伊予西条近くの東予港に翌朝6時に到着するオレンジフェリーに乗船するということにし、帰りも船で往復割引を適用できるようにと思っていたのです。そうすると、船中2泊と広島、福山での宿泊で2泊ということになります。しかし、あまり家を空けるのも具合が悪いのでフェリーで往復する弾丸ツアーも考えたのですが、ちょうど旅行を予定した日が「しまなみサイクリング大会」で今治から福山まで乗る予定のバスが、西瀬戸自動車道が今治ICから因島北ICまで通行止めのために午前中運休で断念し、西村さんとメールで情報交換しながら最終的には船中1泊と宿1泊で宿は鞆の浦としました。さて、その三原までのルートというのは図のようなものになります。
小田急デト1
初投稿です
先日の総会に新会長のお導きも受け参加させていただきました。その節はありがとうごいました。アカウントを取得しまして掲示板デビューです。四苦八苦しながらの投稿ですが・・・
総会の日は、四条河原町から河原町通→二条通→寺町通→丸太町通で地下鉄の丸太町まで歩きました。(もう少し早く出てたら学校まで歩けましたが・・・)
四条通に出たところで、歩道拡幅の話を思い出し現況をスナップしました。数年前の祇園祭の際に四条新町の辺りで身の危険を感じるほどの混雑がありましたが、工事は確か烏丸~川端ですね。写真は高島屋の前あたりです。似た地点の市電の写真をお持ちの先輩はきっといらっしゃるかと思います。よろしければご披露いただけませんでしょうか?私は河原町通の市電は記憶にありますが、四条通は知りません
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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part13 瀋陽⇒大連 瀋陽駅、中国高速鉄路
第139回 同志社EVE開催 DRFCブース

▲ 今年も同志社EVEが11月26~28日に開催されましたので行って参りました。DRFCの会場は良心館104番教室で、1階を入ってすぐの1等地にありました。教室はとても広く、場所といい過去最高だろうと思います。入場者も多く、特に若い女性はジオラマがお好きなようで賑わっていました。
これだけ広かったらOB会の方からも何か写真展等の出し物もやって、応援をしても良かったのではと思いました。来年は検討です。
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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part12 沈阳有轨电车(瀋陽路面電車)を撮る 5号線
▲ 15:07 トラム撮影に励んでいますと突然に赤い高級車軍団が列をなしてやってきました。
これは「迎新花車」と言って中国の結婚式の伝統的な儀式の1つです。新郎側が用意した飾り立てた紅い車に新郎が先導して新婦の家にお迎えに行き、街中をけたたましく回って披露宴会場へと参ります。そして会場に到着すると、みんなで爆竹を鳴らして盛大にお祝いします。
私も駐在時代に何度か披露宴に招待されましたが、人生の新たな門出にふさわしい派手満点の行事でした。新婚が住む部屋に案内されるのも定番で、新婦の実家ではお祝いに麺を出され食しました。
あまり親しくない人からも招待を受けますのでなぜかなと思いましたら、日本人が出席するのはステイタスの1つだったそうです。また宴会場ではキャンドルサービスで新郎新婦が各テーブルを回りますが、その際にご祝儀を手渡します。金額も日本人なら張り込みますのでこれが嬉しい事でもあったそうです。こんな時はいつも日本流の立派なご祝儀袋を用意しましたが、これが大変に喜ばれました。
こんな光景を見ますと、かつての思い出が浮かんできました。
2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part11 沈阳有轨电车(瀋陽路面電車)を撮る 1・2号線
いよいよ今年の活動も終着駅へ
現役生の出展活動も、あとは同志社EVEを残すのみとなりました。活動を端から見守っている私自身が時の流れを速く感じるのですから、準備に当たっている会員も当然同じ思いを抱いていることでしょう。充実した活動ができている証拠ですね。
さて、今年の同志社EVEの概要を簡単にご紹介いたしましょう。
同志社EVE展示
日時:2014年11月26日(水)~28日(金)
10時30分~20時30分(ただし、28日(金)のみ18時30分まで)
場所:同志社大学今出川キャンパス良心館104番教室(良心館は先日のOB総会を行った建物です。)
出展内容:旅行班による展示、鉄道模型走行展示、写真展、青信号販売
その他、出展企画が盛り沢山。
デジ青をご覧の皆様のご来場を心よりお待ちしております。
同志社大学鉄道同好会
公式ホームページ:http://drfc.web.fc2.com/index.html
公式Facebook:https://www.facebook.com/doutetsuDRFC?fref=photo
公式Twitter:https://twitter.com/doutetsu_drfc
D50、D60磐梯山麓を駆ける-半世紀前-
前回投稿会津(滝ノ原)線撮影の翌日、磐越西線を訪れた時の記録です。この線区の機関車は、若松のD50、郡山のD60、それにD51、DF50と多彩でした。その内からD50、D60中心の写真です。
この日は好天で、残雪の磐梯山を終日眺めることができました。先ずは夜明けすぐの貨物。朝日を浴びてD50の登場。
▼貨1282レ 機D50369【若】磐越西線・翁島--更科信号場間 1965.5.5 10606
磐越西線が完成した頃から長く、新潟・新津発の上野行き列車は磐越西線経由だったと聞いた(上越線完成後も暫くの間は)が、撮影時は新潟-上野直通列車はディーゼルの『いいで』のみ。若松-上野間は『ばんだい』など5~6往復が存在した。
2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part10 沈阳有轨电车(瀋陽路面電車)その3、5号線
2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part9 沈阳有轨电车(瀋陽路面電車)その2、1号線
▲ 1号線と3号線とまじ合う华茂中心の架線レスの広い交差点を渡る5連節車(023号車)。いつの日かスーパーキャパシタ搭載車が進化を遂げて全線でこういった光景が見える日も来るのでしょうね。今はまだ第一歩の実用段階と言ったところです。
当初の予想利用者数が元々上積みで達成は難しい地下鉄があります。これからの維持管理・保守にも多額の費用が必要で、負の建築遺産とも言われています。トラム建設の方が全てに便利でエコノミーでした。当初からトラムは都市交通には邪魔として計画が始まった都市計画自体に問題がありました。世界は既に見直しを終えて、新たなトラム活用を実施しています。
日本も遅れず、都市交通のあり方をもう一度考えて欲しいと願います。
熊本電気鉄道の併用軌道
大津の86さんにリクエスト頂きました熊本電鉄の併用軌道を紹介させていただきます。
鹿児島の花電車の翌朝 熊本駅からJR815系2連の満員電車で上熊本へ行きました。
上熊本駅前に入ってきたのは切妻側を前にしたモハ5102Aでした。7時20分発の北熊本に乗車し北熊本でモハ6238A-6231Aの2連藤崎宮前行で黒髪町で下車 目的地へ向かいました。













