【98406】 “平成”の思い出 鉄道の記憶 〈6〉

阪急 前パン電車を撮る
今般の大雨被害では、とくに広島・岡山県下の鉄道は壊滅状態で、心を痛めています。私も、土日に予定していた遠隔地のイベント参加、それに続く旅行もすべて中止し、空いた時間を使って、“デジ青”投稿に勤しむことにしました。
平成の思い出シリーズを続けます。私は、昭和58年に初めて阪急沿線で生活することになり、それまでほとんど撮ったことのない阪急電車にも、自転車に乗って近くへ撮影に行くことになります。平成に入ってから、お気に入りの撮影地を見つけました。長岡天神~大山崎のほぼ中間にある「円明寺上一番踏切」です。この踏切の鉄柵のすき間のローアングルから、100ミリ程度の望遠で、大阪方面行きの電車を狙います。とくに、当時の阪急電車の特徴でもある、先頭車二丁パンタ装備車は、より凜々しく引き締まって見え、阪急電車の魅力一杯です。今回は、平成になった直後の阪急電車の“前パン”の定点記録です。
当時、特急は6300系の天下、中でも6330F編成は唯一の前パン。昭和59年の建造で、7300系の界磁チョッパなどの編成は新技術が投入され、電動車ユニットを両端に置いたため、大阪方先頭6330が前パンとなった。

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【98170】 18きっぷで東海道を巡る -9-

最後の国鉄形特急185系「踊り子」を撮る②

185系は1981年に最初の0番台が誕生しました。当初の目的は、153系の急行「伊豆」の置き換えで、短期間ながらも急行として運転されました。そして1981年10月ダイヤ改正で、従来の特急「あまぎ」が「踊り子」と改称され、新製185系は、急行「伊豆」から格上げされた「踊り子」を担当することになりました。これで、伊豆急下田へ向かう優等列車は、すべて特急化され、一日10往復となりました。デビュー時は、デッキ付き車端2扉で、客室はリクライニングなしの転換クロスシートでした。ほぼ同じアコモで、同時期に関西に配置された新快速用の117系とよく比較されたものです。
別の日に改めて訪れたのが、早川~根府川の石橋橋梁だった。大昔からよく知られた撮影地で、新幹線に乗っていると、トンネルを出た一瞬に見える光景でも知られている。ところが、私には敷居が高く、今まで訪れたことがなかった。首都圏の著名な撮影地には、他人の庭に勝手に上がり込むような遠慮が働いたのかも知れない。185系「踊り子」は、最長15両編成で、スケールの大きな橋梁によく似合っている。15両は、国鉄時代から在来線昼行特急では編成両数第一位の座を保ち、A編成の10両編成中にグリーン車2両を組み込んだのも、いかにも東京から伊豆へ向かうリゾート特急らしさを感じる。

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【98120】 18きっぷで東海道を巡る -8-

最後の国鉄形特急185系「踊り子」を撮る①

国鉄時代に製造された185系で運転される特急「踊り子」の動向は、関西にいても気になる存在です。世代交代の激しい首都圏にあって、「踊り子」は登場から35年も経過しながら、ずっと185系で運転され、同時期に製造の117系と比べて、その健在ぶりは驚異的に映ります。ただ、後継車両も見えてきたようで、本腰を入れて記録しなければと思っているところでした。タイトルの“18きっぷ”のシーズンではありませんが、185系活躍の場である湘南・伊豆へ、あえて梅雨時を選んで行って来ました。
梅雨時とあれば、本欄でもよく紹介されている紫陽花に限る。改めて東国へ向かうと、線路端に多くの紫陽花が咲いている光景が見られる。もちろん関西でも見られるが、寺院の庭に限られているような感じで、線路沿いにも咲く光景は、新鮮に感じられた。

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【97851】 ◆ “た~ちゃん”の電車めぐり ⑲

全盛時代の京都市電600形を撮る (2)

ちょっと留守にしている間にも、宮崎様や米手さんから、京都市電の貴重な写真がアップされ、楽しんでいます。これに乗じて、た~ちゃん撮影の昭和30年代の600形をもう一度載せました。
95両が製造された600形ですが、更新・改造が多く行われ、600形のまま残ったのは僅かでした。これも、ある意味600形の特徴とも言えるでしょう。一次車601~685は、終戦後の酷使や、軽量車体による車体歪みなどが発生し車体更新が行われます。先欄のコメントでも話題になった、側面中央部の垂れ下がりの有無が、更新前後の見分けポイントです。
そのあとは、未更新車のなかから、2600形ワンマンカーへの徹底した改造に移ることになります。昭和39年から18両が改造され、新製された2000形とともに、京都初の連結市電として活躍することになります。その後は、1600形ワンマンカーの簡易改造へと移り、昭和41年から63両が改造されました。結局、600形のまま残った一次車は4両のみでした。なお、戦後製の二次車686~695は、大きな改造を受けることなく、最後までツーマン車として使用されました。
600形を先頭に、烏丸車庫前でズラリと発車を待つ市電群、すべて形式が異なる、市電全盛時代のシーン。

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【97818】 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑱

全盛時代の京都市電600形を撮る (1)

本欄で大人気の京都市電600形、以前の米手さん投稿には、コメント数が36にも達して、急遽、別のスレッドを立てるという事態となりました。その米手さんとともに、“た~ちゃん”の介護投稿の資格認定を受けた私も、多数の600形のフィルムを預かっていました。以前にも「また投稿します」と宣言しておきながら、自分の投稿で忙しく、実施できませんでした。山陰から戻り、すぐ海外事情の視察(?)に向かわれた米手さんの留守中を見計らって、ご披露することにしました。
600形大好きの“た~ちゃん”は多くの写真を収めていた。学内の写真展「同志社をめぐる市電」でも紹介した、小雪舞う烏丸今出川を行く600形は、その代表的な写真。写真の撮影時期は、昭和35年前後で、まだ改造を受けず、95両全車が揃った全盛時代。昭和40年代、多くが改造されて、原型の600形は数両しか知らない私などには、羨望の時代に映る。

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【97779】 私もレポートします。 明知鉄道ツアーから (下)

国鉄時代、阿木でC12貨物を撮る

明知鉄道が国鉄明知線だった時代、一度だけ撮影に出向いたことがありました。昭和47年3月、DRFCで越後鹿渡での合宿が行われたとき、集合が夜の名古屋駅だったため、昼間はT君とともに明知線に向かったものでした。狙いは、2往復運転されていた貨物列車、一往復は、昼間のいい時間帯に走る、C12の牽く貨物列車でした。ずっとネガ・ベタ焼き状態のままでしたが、50年近く経って、初めてスキャンして、当時を偲ぶことができました。 当日は、飯羽間で下車し、阿木方面に歩いて、上下の貨物列車を撮影、最後は阿木でDCの入線シーンを収めて、撮影は終わりました。 33‰勾配に挑むC12の牽く貨物列車、恵那方面行きは逆向運転となる。ドラフト音は勇ましいものの、さすがに速度は極端に落ちる(阿木~飯羽間 昭和47年3月(以下同じ))。

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