重文になった鉄道車両-1

先日紹介しました、JR東海相談役須田寛様が執筆された「重文になった鉄道車両」の第1号となる「1号機関車」が掲載されました。ご存知のように大宮の鉄道博物館に展示されています。万世橋の鉄道博物館では見たことがあるのですが、大宮はまだ行ったことがありません。関東方面もしばらくご無沙汰になっています。米手さまのご要望もあり本文はできるだけ拡大して載せているつもりですが画像がうまく行っているか若干心配ではあります。

なんとか読めますね。

昭和の電車 改訂版(110)ー国鉄モハ40型ー

関西での国電とはこの顔だ!
前回は河さんや湯口さんからコメントを頂き、車輌の愛称を巡って盛り上がりました。

私が出会った「ロ」付き貨車

井原様の熱塩訪問記で話題になった「ロ」付き貨車ですが、私のDRFC現役時代のヨンサントウでの誕生とは言え 当時は貨車にカメラを向けることは殆どなく、調べてみると私が撮影した「ロ」付き貨車は保存車両が殆どでした。今どきの子供たちは貨車と言えばコンテナ車のことだと思っているのでしょうが、あのバラエティーに富んだ貨車をながめて楽しんだ時代をなつかしく思い出しています。

さて撮影時にはまだ現役車両だった「ロ」付き貨車からご紹介します。

シキ291  平成14年7月26日 高岳製作所専用線にて

同上

高岳(たかおか)製作所は栃木県小山市にある変圧器メーカーで、小山駅から専用線が伸びていました。工場近くの留置線で撮影しました。上の写真で、向こうにもう1両見えるのはシキ613ですが、これは「ロ」付きではありませんでした。形式シキ290は2両あり、290は明電舎所有。291は昭和39年6月 日車支店製、高岳製作所所有の荷重115Tonの分割落とし込み式大物車で、全長32.3m、小山駅常備でした。平成16年4月に車籍除外されたそうです。

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昭和の電車 改訂版(109)ー国鉄モハ30型ー

ここからしばらくは国鉄型と関西私鉄が続きます。
国電の大家でおられる河 昭一郎さま、よろしくお願い致します。

『楽』リニューアル

クローバー会でも乗車会を実施した20000系「楽」がリニューアルされました。しばらくの間、土曜・日曜に一般客を乗せて上本町~五十鈴川を1日1往復します。残念ながら乗車券は完売とのことですが運転日も追加されているようです。「楽」は1990年に登場し、今回は30年ぶりのリニューアルとなります、外観の塗装が「漆メタリック」とガラッと変わっています。写真は自宅より徒歩5分の撮影場所です。

客車廃車体訪問記 内地編72 福島県-3

【旧熱塩駅跡】 37.729685, 139.880681 2018年4月30日撮影
オハフ61 2752
福島県喜多方の北方、静かな山の集落の中、旧日中線終点の熱塩駅跡に、上屋付き(以前は無かった)でロキ287[仙]と一緒に保存されている。旧駅舎が「日中線記念館」になっている。近くに熱塩温泉があるので、ついでにここを訪問する人がいるかもしれないが、わざわざここだけに来る人などいないと思われる。
オハフ61 2752が日中線にゆかりがあるのかどうか知らないが、構内は十分なスペースがあるので、どうせならスハニ35も残しておいてほしかった。
◆ホロハフ(ナロハフ)22801→ナロハフ11864→ナハフ14012→(1955年鋼体化改造 長野工)オハフ61 752→(1968年電暖追設 土崎工)オハフ61 2752→1984年廃車
※ナハフ14012は、鋼体化改造直前の1955年9月20日に、山科の人間国宝さんが長岡で撮影されている(配置標記は新コテ)。

 

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甲の麓

日本100名山には勿論入っていないが、関西100名山(そんなのない?)に入れてもよいと思うのが兵庫県西宮市の甲山で阪神間のシンボル的な山である。お椀をかぶせた様な独特の山容で、前にも書いたがトロイデ式の古い死火山で標高は309mである。山陽新幹線、東海道線(JR神戸線)、阪神電車、阪急神戸線、福知山線(JR宝塚線)、阪急宝塚線何れからも眺めることができる。さぞ高い山と思われる方もおられるかもしれないが、309mなので地球のニキビのようなものだ。鉄道では阪急今津線の仁川あたりが一番近いと思っていたが、甲山をバックに写せるような場所は同線にはほとんどない。これに対して阪急神戸線夙川からの支線甲陽園線はよく眺めることができたようだ。ようだというのは昭和30年代の同線の1形、310形の写った写真を見ると甲山がよくとらえられている。今では住宅が並び撮り難いものと思う。そこで私の撮った昭和40年代の写真を暇つぶしにのせてみた。

1966年5月6日 甲陽園-苦楽園口間の夙川を渡る558。桜の頃の有名撮影地であるが甲山がかろうじて入った感じ。 なお、550形は生涯のほとんどを宝塚線で過ごした小型車で運輸省私鉄規格型で阪急タイプではない2段上昇窓が特徴で肘を外に出せる解放感が好きだった。逆に阪急タイプの下降窓は好みではなかった。▼

1969年3月4日 夙川 到着する664 雪の日でバックは甲山 ▼

短編物語集、ロギング沼の主

2005年前後に使っていたHDD内のネタ、第5弾です。
“デジ青”初(?) の短編物語集。って殆ど、パロディ物で失礼します。
模型をやってない方には意味不明のセンテンスが混じっているかもしれません。
なにぶん 15年以上も前のなので、今や『死語』になっている語句が混じる事を、お許しください。
もし悩んで精神失調に陥った場合は質問を受けます。また模型好きの方からの回答も歓迎します。期待しないで待っていてください。


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昭和の電車 改訂版(108)ー京成クハ2000型ー

東急・京王・東武・京成・西武
関東の私鉄が続きますが、コメントが集まらずさみしい限りです。
関東在住の諸氏は、アルバムをひっくり返して「それらしいモノ」を見つけて『これや!』とこじつけて下さい。
今回の京成電車・2000型もこじつけ電車ですね。

保存蒸機とその現役時代(41)

横綱休場で大関の弱い大相撲や在阪球団のみっともない試合は見てられないのでコロナの巣ごもりにあって唯一の楽しみはデジ青である。最近は投稿やコメントが少ないので久しぶりに拙写、拙文を復活する。

保存蒸機は改めてその内容を見ると比較的早く消えて行ったC59~C62、D52など大型機や大正の古典機C51やD50などがあまり保存されていない。最後まで残っていた形式が選ばれたのはある面で仕方がないものと思われるがそのような中でC57は保存機でもわざわざ見に行ってみたい形式の一つである。

今回は新津鉄道資料館で保存されているC5719である。同機は1938(昭和13)年1月川崎車輛で製造(製造番号1873)され、小郡、下関、門司港等西日本、九州で活躍した。その後1956(昭和31)年11月に秋田へ転属、以降酒田、新津等へ配属されて主に羽越線沿いで活躍し、1972年9月に廃車されている。

保存車輛は駅近くに保存されていることが多いが、新津鉄道資料館は少し離れていたので孫を連れていたこともありタクシーを飛ばして行ってみた。

2018.06.30 新幹線200系と並んで展示中のC5719▼

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「びわこ号色塗装」列車の運行

昨日9月14日より京阪大津線600型(603,604号)が、むかし天満橋-浜大津間を走った「びわこ号」の塗装色に塗られて運行しました。早速撮りに出かけたのですが、所用があったためスマホでの撮影となりました。定番の浜大津交差点には5,6人の同業者がいてカメラを構えています。運用は誰も知らず、仕方なく待つことにしました。まあ短い区間の折り返しですので、浜大津で待っておれば最大1時間待てばやってきます。昨日は幸い2本目でやってきました。写真でしか見たことのないこの色ですが、案外しっくりきます。昨日は1本だけで引き上げ、今日は一眼で撮影しました。

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ペンタックス ペンタックス 望遠だよ! 広角だよ!

 以前、コニカC35でテスト撮影したことについて投稿したが、ペンタックスSPもTTL絞り込み測光もでき、撮影可能となったので近くで撮影した。撮影の舞台は相も変わらず近場だが。

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昭和の電車 改訂版(107)ー京王帝都デハ2118ー

今回は準特急さんの古巣、京王です。ツッコミを期待します。

昭和の電車 改訂版(106)ー東急クハ3232号ー

解説を読んでから改めて画を見ると、台枠がゆがんでいるのが判ります。手描きのセイかと思ったのですがわざと歪めて描いてあるのですね!

これも前回投稿時にレスゼロでした。

昭和の電車 改訂版(105)ー富士身延鉄道モハ100型ー

またまた宮崎繁幹様の援護射撃が必要となります。
その前に藤本哲男さんの詳細なモハ100などの研究論文が投稿されていますので再度掲載致します。(準特急さんの写真あり)

富士身延鉄道モハ100形/その後の変遷

富士急行ロハ901→流山電鉄クハ53

重文になった鉄道車両

今日の朝日新聞三重(伊賀)版に、須田寛JR東海相談役様の記事が載っていました。昨年のホームカミングデーでは「同志社から見た京都市電」という懐かしいスピーチを頂きましたが、これから「重文になった鉄道車両」ということで執筆され、当新聞に随時掲載されるようです。現在重要文化財に指定されている鉄道車両は10件あるようで、順次その全容が紹介されま

す。

昭和の電車 改訂版(104)ー富士山麓電鉄モハ603号ー

富士山麓電鉄(→富士急)に関しても藤本哲男さんから別稿で投稿されています。

富士山麓電鉄モハ603→富士急行モハ3604

 

 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑲

2002年8月31日 名鉄へ 最後の“いもむし”を撮りに行く

8月最後のこの日、2002年は、名鉄へ“いもむし”こと3400系のラストランを撮りに行きました。3400系(モ3400+ク2400)は、名鉄本線の東部線用の特急用として、昭和12年に製造されました。当時のブームにならい流線型となり、スカート付きとなりました。名鉄の流線型では、同じ年に西部線用の8500系“なまず”も誕生しています。戦後は本線の特急として活躍しますが、パノラマカーに主役を譲って支線へ転じ、最後は犬山地区の普通列車として運転されました。その後、動態保存的に臨時列車などで運用されていましたが、この年8月いっぱいで廃車されることになり、8月の土日にヘッドマークを取り付けて、新岐阜~犬山~新可児~御嵩で、さよなら運転を行いました。新可児を発車する犬山発御嵩行き3400系のさよなら列車、3400系が各時代にまとったカラー4種を描いたヘッドマークが掲げられた。

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小川の陸軍兵器補給廠小平分廠

2005年前後に使っていたHDD内のネタ、第4弾です。
誤謬や錯誤の、ご指摘など、宜しくお願いします。

今から40年位前の話になりますが、関東勤務が長期化するとの見通しから自宅を購入しました。場所は東京都 東大和市(ひがしやまとし)、南側は立川市、北側を所沢市に接しています。
単に「東大和市」と言うと、関東地方でも大抵の方が「厚木市の隣ですか?」と応えられます。(苦笑)
元々は武蔵野の原野だった様です。江戸時代初期に郷士の玉川兄弟が、徳川幕府の命令で玉川上水を開削しました。

やがて昭和13年(1938年)に大規模な造成が行われ、東京瓦斯電気工業(通称:ガスデン)が出来ます。そして日立航空機立川工場となります。しかし工場は爆撃されてしまいます。工場への引込線は戦前に国分寺線の小川駅から南(国分寺方向)へ向かい更に西側へと90度カーブし、玉川上水まで開通しました。

高架工事以前の小川駅

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昭和の電車 改訂版(103)ー富岩鉄道セミボ20・21号ー

解説文のはじめにある岩瀬浜駅の位置が「九頭竜川河口」とあるのは「神通川河口」の誤りです、と次回の記事で訂正が入っています。これは2013年7月の投稿で、どですかでんさんが指摘したものを関先生がご覧になって、新聞紙上で訂正されたのです。
前回の投稿では藤本さんやK.H生さんが貴重な投稿をされていますのでご覧下さい。

富岩鉄道セミボ20、21号

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