駅名喫茶店(第180回:御書印を集める(滋賀県、京都府、奈良県編))

2月はどうも体調が優れておりません。鉄分不足ということでしょうか。しっかりと体力を回復して3月に臨みたい所存です。

今回は御書印を紹介いたします。いわば御朱印帳の書店版です。皆様のご近所にも対象店はあるはずです。これを機に足を運んでみてはいかがでしょうか。なお、御書印は300円程度です。https://note.com/goshoin/n/ndd270b812fb5?magazine_key=m6eb5700520d1

対象店で初回に無料で入手できます。

御書印帖は対象店で初回に無料で入手できます。

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錦川鉄道存続 ほか

中国地方のJRは木次線、芸備線、因美線、美祢線など風前の灯火的な路線が増える中で、3セクも同様に厳しい状況が続いています。錦川鉄道も利用者数の減少により存続が危ぶまれていましたが、何とか延命の目途がついたようです。今後 沿線人口が増えることは期待できず、少子高齢化がまだまだ進む中で、生き残りを果たすには外からの誘客しか手が無い状況です。10年後に再検討とのことですが、10年も持ちこたえられるかが心配です。2月19日の中国新聞記事を転載します。

令和8年2月19日 中国新聞朝刊

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上本町駅の近鉄2200系

参宮急行デ2200は新京阪デイ100、阪和モヨ100とともに当時の関西の代表的電車と言われた。走行距離、車両の大きさ(20m車長は大阪鉄道デニ500、南海電九301系2001形に次ぐ)、大出力電動機に発電ブレーキ併設で連続33パーミルのアップダウン走行、省線の2等車並みのシート等からも日本最高電車と言われた。近鉄2200系は1930(昭和5)年から製造された57両と1939(昭和14)年から製造された2227系26両に分けられる。尚、晩年は1930年製2200系57両はほとんどが3扉化され、さらに2200系は1953(昭和28)年製造の元特急用の2250系20両(元貴賓車2600含む)を加えて同一の編成(悪く言えばガラクタ編成)で走っていた。私の撮影は1967年11月29日上本町駅である。

急行宇治山田行きの列車種別行先板を誇らしげに上本町駅発車待ち2306の端正な姿である。2306は元デトニ2306で特別室と荷物室を持っていて晩年は特別室は一般開放していたのでよく乗車したが、伊勢商人の担ぎ屋さんが占領したのか魚の匂いが残っていて閉口したものである。▼

最後まで2扉で残っていた2205。扉が大きく離れている車両は私鉄ではあまりなかったものと思われる。運転室横の片目は皆さんご存知の通りトイレである。修学旅行は関東は日光、関西は伊勢が定番だった。私も修学旅行のスナップ写真に残っている車内は2200でこれで伊勢に行った。▼

2205の横に荷物か新聞の袋詰めの様なものを載せた台車が見られる。長距離列車のターミナルの雰囲気である。▼

2227形の2243を横から見たもので特徴ある張り上げ屋根や扉の位置などから新旧2200はまるで別形式である。ホームには列車種別行先板が収められているケースがあるが関西ターミナル駅にはよく見られた。大きな竹かごは近鉄特有のものなのかはわからない。大阪の有名校に電車通学でもしているところか品の良さそうな小学生が二人写っている。近鉄も番号を誇らしげに切り抜き文字で大きく表示してくれるのは有難い。▼

上の2243の正面は異色のツーライトである。1968年9月29日名古屋線白塚駅での2243である。▼

 「伏見線」写真展 ご来場ありがとうございました ③

伏見線写真展で、皆さんから反応のあった写真や新たな発見などを紹介しています。酒蔵や鉄橋と言った伏見線の定番ポイントより、意外な写真に反応を示されました。

0系新幹線は昭和の象徴

京都タワーから見た高倉跨線橋の大判写真を、会場エントランスのアイキャッチとして掲げた。それに引き込まれて入場された方からは、肝心の伏見線の市電ではなく、別のところに焦点が行った。「いゃあ~0系新幹線やんか」と言われる女性の多かったこと。0系は誰もが知っている昭和を代表する車両、われわれ世代では、昭和の代表は「こだま」型151系あたりだが、同じ昭和世代でも、平均値が若くなっていることが改めて分かった(写真:宮本郁男)。「京都駅八条口」から見た新幹線京都駅と市電。新幹線の本数は、今よりウンと少なかったが、市電は結構の本数のため、少し待てば難なく撮れた。現在でも、新幹線京都駅には、この部分だけ風防壁がなく、周囲はすっかり変わったが、この角度で新幹線を取り入れることができる。

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一筆書き切符の旅 2日目② はるかにみえし富士の嶺は はや我そばに來りたり

東京 13:07 ― 1873E 熱海行き → 国府津 14:39

国府津 14:50 ― 2547M 沼津行き → 沼津 16:14

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 「伏見線」写真展 ご来場ありがとうございました ②

車両編~みなさんからの声

伏見線写真展では、3日間とも10時開場から18時閉場まで、勘秀峰さんとともに、ご来場者の対応に当たりました。ずっと立っぱなし、食事もほとんどできずの3日間でしたが、ご来場の皆さんから、多くの感想や質問などを対面で直接聞くことができて、写真展の醍醐味を感じていました。ご来場の方々から、今回は車両に関する感想をまとめました。

全部ツーマン

伏見線廃止時は、すべて車掌が乗ったツーマンカーだったことに驚かれます。京都市電の体験者でも、全廃時の赤帯を巻いたワンマンカーの印象がより強いのでしょう。伏見線廃止が昭和45年、すべてワンマンカーの外周線廃止が昭和53年、今なら瞬間で過ぎ去ってしまいそうな数年間は、改めて市電激変の時代だったと思います。なかでも伏見線の再末期には見られなかった、ツーマンカー800形の姿に、京都市電の黄金時代を感じておられるようでした。

800形の一次車とも言うべき801~865の直接制御車は、昭和43年から順次1800形ワンマンカーに改造が進んでいた。これらが見られたのは、廃止前年の昭和44年までで最末期にしか行けなかった私は、1両も写すことができず、先輩方から写真をお借りして、肥後町付近の情景を展示した。800形が走る、いわば伏見線の原風景を皆さん感じられていた(写真:大西友三郎、藤本哲男)。

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広島から続報

2月10日付けで広電の循環線が3月28日開通とお知らせしましたが、その続報です。2月13日の中国新聞によると、私が想定したように、新系統は広電本社前を始終点とするようです。でも入庫しないなら、グルグル回るのでしょうか?また てっきり、早朝から深夜まで走るものと勝手に思っていましたが、10時から16時までということで、観光客や買い物客の動向調査などから決められたのでしょうね。1系統が増えるのですから、1900型などの単車の寿命延長にもつながるかも?ダイヤの発表が楽しみです。

令和8年2月13日 中国新聞朝刊

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 「伏見線」写真展 ご来場ありがとうございました ①

1月30日から2月1日まで3日間開催しました写真展「伏見の街を走った京都市電」、もう2週間前の開催となりますが、多くの皆さんにご覧いただき、いまも快い余韻に浸っています。その分、まとめが遅くなりましたが、その様子を報告します。写真展「伏見の街を走った京都市電」。55年前の1970年に廃止された京都市電伏見・稲荷線を、クローバー会メンバーで結成したTeam 1970 Fushimiによる写真や資料で展示した。わずか3日間の会期だったが、会場立地と広報も奏功して、680名もの入場者を記録、最終日は常時30~40人が会場に滞留するなど、終日大賑わい子どもから老人まで、さまざまな世代にご覧いただいた。

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一筆書き切符の旅 2日目① 都心の景色をパノラマビュー

1月15日(水)

甲府 8:53 ― 532M 高尾行き → 高尾 10:29

高尾 10:31 ― 快速 東京行き → 東京 11:49

天守台からの景色。中央線の211系の姿も。

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近鉄8000系

近鉄は毎日通勤で利用する(していた)様な人は別として関西人でも形式などよくわからないのではないか。大阪線の急行が名張でブチ切れるとかのニュースも入ってくる今日この頃だがこの大阪線も形式判別が難しい。高市早苗総理は名門奈良県立畝傍高校から神戸大学に進み野球は阪神ファンとして知られているが通学にはどんな電車に乗ったのか興味あるところである。

さて本題の近鉄8000系も最近は廃車が進んでいると聞くが名古屋から京都方面に行く時にJRを利用せずわざわざ近鉄を利用した時に撮った写真を発表してみる。     8000系は奈良線、京都線用の大型通勤用車両で、昇圧に対応して1963、4(昭和38、9)年に登場した。大きく分けて8000系:昇圧対応、 8400系:8000系の機器配置変更車、 8600系:新製冷房車、 8800系:界磁位相御のモデル車があり1980年までに208両が製造された。外観は一目見てもさっぱりわからないが好きな電車であり、名古屋から延々と急行大和八木に着き下の電車を見ると大抵はこの8000系が見られた。

系統立てて説明できないので撮影時期の古い順に発表していく。

最初は前回900系撮影と同じ1968(昭和43)年4月30日奈良線東生駒-石切間の特急上本町行き8036で1969(昭和44年)9月の奈良線、京都線、橿原線等の昇圧前である。▼

時期が大きく飛んで2013(平成25)年12月22日京都線新田辺-富野荘間の木津川橋梁に向かう8303(8400系)後部の急行京都行きである。このこの辺りもDRFCの仲間と旧型車、元奈良電車両、18200系釣り掛け特急車等を撮った思い出の場所で懐かしい。天気が悪かったが電車の通る頃に日が差してくれた。▼

2016年8月12日同じく富野荘-新田辺間の木津川橋梁である。8578(8000系)先頭の急行橿原神宮前行き6連。この時はDRFC応援でいつもお世話になっている清水敏史さんの車で大勢で行った。▼

2016年9月18日鶴橋駅進入の奈良線急行難波行き8353(8400系)。鶴橋駅は名古屋迄急行の乗り継ぎで利用する時に乘る駅でひっきりなしに車両が出入りするので見ていて飽きない。尚、気がついたことだが奈良線は難波行き、大阪線は上本町行きが終点になっているが奈良線の阪神方面直通を除いてきっちりと分けられているのだろうか。▼

2016年11月4日通勤客等で賑わう西大寺駅の準急奈良行き8101(8600系)。8600系は新製時からの冷房車で他の8000系と比べ屋根が深いというのが特徴の様であるががよくわからなない。▼

2018年7月12日橿原線橿原神宮前駅普通京都行き8111(8600系)と京都行き汎用標準特急22000系(ACE)の後部車両同士の並びで吉野、阿部野橋方向へ行く時はこの風景をよく撮ったものである。ゲージの異なる元はそれぞれ別の会社の接続駅で橿原線は行き止まり駅である。▼

2018年9月9日田原本線但馬-箸尾間を行く8416(8400系)新王寺行き▼

2018年9月9日天理線平端-二階堂間8308(8400系)。平端から天理線は左に大きくカーブしてして三つ目のJR桜井線天理駅に到達する。▼

2019年1月23日田原本線黒田-但馬間8409(8400系)新王寺行きで旧型車両の復刻塗装であるがこの色の旧型車というのは見たことがない。この復刻塗装はドデスカデンさんの情報だったと思う。▼

2019年1月23日田原本線黒田―但馬間8414(8400系)の新王寺行きは820系の復刻塗装で820系は京阪三条駅にも顔を出していたので見られた方もおられると思う。個人的には太った8000系よりも細身の820系の方が帯付きマルーンは似合っていたように思う。しかし、貫通幌付き正面3間窓は最も好ましい電車の顔。多分若い方からは反論があってもおかしくないと思うが最近はこの手の顔が少なくなった。▼

2022年7月21日大和八木駅の橿原線急行橿原神宮前行き8306(8400系4連)~1234の6連。▼

2022年7月21日橿原線近鉄郡山-九条間の8619(8600系)の急行京都行きで6両固定編成である。右は城の石垣で木々が繁茂して見えない。▼

2022年7月21日橿原線九条-近鉄郡山間8901(8800系)4連橿原神宮前行き。▼ 

2022年7月21日橿原線近鉄郡山-九条間で郡山城の石垣、櫓を見て走る京都行き8357(8400系)。大和郡山城は筒井順慶築城、大河ドラマの主役豊臣秀長の居城で有名。▼

石切駅の東側の新生駒トンネルを出る急行難波行き8621(8600系)。石切にある石切劔箭(いしきりつるぎや)神社は関西で「でんぼ(腫れ物・おでき)の神様」として非常に有名と同期の滝本さんから教わったことがある。▼

以上で前回の900系に続く8000系を終わる。近鉄特有の「モ」とか「ク」は慣れていないので全てカットさせていただいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広島から2題

広電の広島駅乗り入れはすっかり地に足が着いた感じで、見慣れた風景になっています。残る新事業が、市内循環ルートです。3月28日開通が決まったようです。

令和8年2月10日 中国新聞朝刊

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私の近くの雪景色電車

天気予報は、当たるもんだと思った。東京西部八王子、秩父は都心よりいつも夏は高温、冬は氷点下になる。2月8日は予想が当たり大雪。カイロ持参で長靴、傘、マフラー、防寒着、手袋の重装備で私のいつもの場所に出かけた。関東の私鉄の嫌いな方が多いDRFC-OBであるが京王相模原線に乗り入れの都営10-659快速橋本行きの雪景色で勘弁させてもらい少ない投稿を補充する。

 2026年版 雪が降ったら叡電へ

雪が降ったら行くしかない叡電、2026年はイルミネーションの八瀬比叡山口駅へ。雪が降ったら大喜びする子供の心が、今でも抜けない高齢者の行動パターンだった。

冬型の気圧配置になって、京都でも〝顕著な大雪に関する気象情報〟が発令されました。昨日の午前はそれほどでもなかったものの、昼頃にはかなりの降雪状態に。もうこうなったら、次の行動は決まっています。過日の伏見線写真展のまとめもしなければならないのに、それを放って、久しぶりにカメラを取り出していました。行先は、今年も叡電、八瀬比叡山口駅へ。毎年、冬季に同駅で実施されている〝イルミステーション〟、ことし叡電は100年を迎えて、さらに華やかなイルミネーションで飾られます。

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一筆書き切符の旅 1日目② 富士山を眺めて

日本一狭い駅そば屋。残念ながら営業時間外。

塩尻 15:32 ― 1534M 上諏訪行き → 上諏訪 15:52

上諏訪 16:14 ― 特急あずさ44号 新宿行き → 甲府 17:01

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 伏見線 写真展 あと一日 !

伏見・大手筋を会場に30日より開催の写真展「伏見の街を走った京都市電」も、明日2月1日(日)が、いよいよ最終日となりました。朝から引っきりなしのご来場が続いています。デジ青読者の皆さま、ヒマを持て余しておられましたら、最終日、ぜひ京阪「伏見桃山」、近鉄「桃山御陵前」、JR「桃山」から会場「大手筋ギャラリー」へ足をお運びください。

朝から 途切れることなく、ご来場される皆さん。やはり鉄道写真展は、その切り口と会場立地だと納得した。このペースで行くと、今までの写真展のなかで最多人数を記録するのではと勘秀峰さんと話しながら会場を後にした。

 

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近鉄900系

最近デジ青の最初の画面の右上のお知らせ欄に若手会の皆さんの近鉄8000系が報じられている。私の頃同好会内部では大手私鉄の人気と言えば京阪優勢で阪急がそのライバルであったように記憶している。同じ関西でも他の私鉄は話題に上らないことが多かった。そのような中で一部の知識豊富な二人の会員から近鉄を宣伝されることがあり何でも屋の私はそれにのっかったことがある。しかし、近鉄だけは形式など把握することが難しく今でもその体系がよくわっていない。

今回はそのデジ青最初の頁のお知らせにある近鉄8000系の元となった900系の記録を少し発表してみる。近鉄900系の概要を申し上げると600V小型車時代の奈良線の体質改善のために投入された20メートル4枚ドアの大型車両である。小型車時代の新性能車800系、820系から900系へと大型化したのは新生駒トンネルの開通が控えていたこともある。阪急神戸線の様に17mの800、900、920系列から19m標準車体の810系の旧性能車を経て1000系列新性能車を経て2000系列の現阪急の基本となった19m新性能車になったのと比べ近鉄奈良線の16m足らずの600系列旧性能車から18.5mの新性能800、820を経ていきなり幅広の20mの新性能の車900系になったのは路線事情や時代背景の違いもあるが興味深いものがある。

900系は製造は勿論近畿車両で1961年から1963年まで24両ほど製造された全長20.7m、幅が2.8mで裾を絞り込んだシュリーレン台車を履いた近鉄大型車の草分けと言える車両である。出力は145kw×4で1961年上本町-瓢箪山間に先行投入された。

写真は1968年4月30日新生駒トンネル開業後の西日を浴びた石切-東生駒間の上本町発東花園行き903で当時のアイボリー系の塗装である。▼

同一日同一場所の奈良発上本町行き特急908でマルーン塗装になっている。正面右下の鹿の特急マークが輝いている。近鉄特有の正面大型行先はまだ改造装備されていない。▼

1968年10月30日大阪線の高安で見た904。どういう訳か大阪線の高安で奈良線の車両を撮影。いろいろと検査や試験をやっているようだった。▼

同じく同一日高安で見た911。2丁パンタにシュリーレン台車。機器は新しそうだ。▼

写真展何もできず申し訳ない。1月最後の投稿。今日は京王線の新車2000系の初営業日。

 

 

 明日から3日間限定 京都市電伏見線の写真展

伏見で「伏見の街を走った京都市電」

デジ青投稿もマイペースで思い付き投稿していたら、いま必死になって進めている写真展の告知が、開催の前日になってしまいました。1月30日(金)から3日間限定の写真展「伏見の街を走った京都市電」を開催します。お知り合いの方から発信・拡散していただいたり、鉄道系出版社のサイトにも掲載していただいており、あるいはご存じかもしれませんが、当の本人からの告知が遅くなってしまいました。例によって、準備作業が遅々として進まず、加齢による、持続性、根気の低下をつくづく感じています。残された時間は、あと10時間余り、まだ作業は山積みですが、あとは野となれ山となれ、なんとか滑り込みセーフの様相となりました。限られた日数ですが、デジ青読者の皆様と会場でお会いできれば幸いです。

 写真展「伏見の街を走った京都市電」

 2026年1月30日(金)~2月1日(日) 10:00~18:00

 京都伏見・大手筋「大手筋ギャラリー」

ご承知のように、伏見線は明治28年、日本で最初に電車が走った路線で、その開業日が2月1日に当たり、それを記念して開催することにしました。廃止になったのは昭和45年のこと、私はまだDRFCの現役生でした。市電の廃止を初めて実体験した線であり、廃止前は何度も伏見へ通ったものでした。そして一番印象に残るのは、DRFCのヘッドマークを、西村さんとともに2点作ったこと、自転車の荷台に括り付けて、九条車庫まで行き、局長に直談判、最終日の500形のトップナンバー501号に付けてもらったこと、そんな個人的な思い入れもありこのたびの開催となったものです。幸いクローバー会の皆さん、いつもお世話になっている伏見チンチン電車の会の皆さんからも、写真の提供、資料を制作していただき、開催に至りました。

装飾された501号に掲げられたヘッドマーク、その前年の江若のヘッドマーク制作で味をしめて、今度は市電に向けられた。お堅い交通局のこと、半信半疑だったが、遠くから来た501号にマークが掲げられて小躍りした。竹中さんのクルマに乗せてもらって何度も追っ掛けしたものだ。

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一筆書き切符の旅 1日目① 木曽路はすべて山の中

今回使用した京都市内から京都市内までの切符。

季節外れの投稿が続いたため、ここらで冬の旅について書きたいと思います。今からちょうど1年前のお話です。卒論も一段落したため、どこかへ出かけたいと思い、ゼミの友人にお勧めされていた一筆書き切符を使った旅行をすることにしました。往路は中央線を使って東京へ行き、復路は東海道線と関西線を使いました。

2025年 1月14日(火)

京都 8:37 ― 新快速 長浜行き → 米原 9:36

米原 9:56 ― 206F 大垣行き → 大垣 10:32

大垣 10:41 ― 新快速 豊橋行き → 岐阜 10:53

岐阜 11:15 ― 719C 多治見行き → 多治見 12:34

多治見 12:59 ― 区間快速 中津川行き → 中津川 13:37

中津川 13:50 ― 特急<しなの>13号 長野行き → 塩尻 14:54

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [5]

廃止直前の加悦鉄道(5) 大阪・京都から企画列車が走った② 

昭和46年10月に3回運転された「蒸機の旅」、続けます。前回も記しましたが、大阪~丹後山田~加悦の機関車の形式・運用も多彩ながら、それに続く客車も、多彩さでは負けていませんでした。デジ青常連の皆さんから、ネタばらし(?)をされて、鮮度が落ちましたが、改めて「蒸機の旅」に連結された客車編成を記すと、大阪←オハフ33 462+オハ35 1308+オシ17 2022+スハネ30 2127+マロネ40 19+スロフ51 2039+オハフ33 1010→京都 と言う編成で、新聞各紙は〝バラエティー列車〟という見出しを付けました。すべて現役の客車で、なかでも食堂車は大阪発車時から営業で、車内では軽食、ビール、ジュース、フィルムが提供と書かれていました。運賃は、大阪~加悦で弁当付きで1900円、募集定員は350名は、マロネ、スロフにも着席でき、乗車できる客車は、当日、受付の際に抽選と記されていました。山陰本線千代川付近を行く「蒸機の旅」、C57 128[福]の牽引、京都で牽引機、編成の向きが変わった。山崎付近で撮ったあとは、DRFCメンバーのクルマに乗せてもらい、追っ掛けを開始した(昭和46年10月)。

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [4]

廃止直前の加悦鉄道(4) 大阪・京都から企画列車が走った① 

加悦鉄道について、私が体験した珍しい企画列車を紹介します。昭和45年の鉄道記念日の前後、10月14日、18日、25日の3日間、大鉄局では大阪~京都~綾部~西舞鶴~丹後山田~加悦を往復する企画列車「蒸機の旅」を運転しました。愛称のとおり、大阪~丹後山田は、すべて蒸機の牽引、途中、京都、綾部、西舞鶴は向きが変わるため、牽引機も代わって都合4種の蒸機が牽引、なかでも大阪~京都を蒸機が走るのは、昭和31年の東海道線完全電化以降は初めてのことで、そのあとの東海道・山陽筋の蒸機イベント列車の端緒にもなりました。しかも蒸機だけではなく、それに続く客車編成もクセの強い車両ばかり、〝SLブーム〟の渦中でも、ひときわ趣味性に富んだ列車となりました。

ここまで書くと、加悦とは一切関係がないのですが、丹後山田からは加悦の古典客車を連ねた特別列車に乗り換えて加悦へ行き、車両を見学するのが最終の目的でした。この日は朝からDRFCメンバーにクルマで追い掛けてもらい、たいへん収穫の多い一日でした。撮影順に見ていただきます。東海道本線大阪~京都に14年ぶりの蒸機の牽く企画列車「蒸機の旅」9921レが走った。牽引するのは梅小路区の花形C57 5だった。しかもまだ現役で、京都~園部で列車を牽引していた時代、大阪~京都の牽引に抜擢された(昭和45年10月、神足~山崎)。

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