京都駅にまつわる小ネタ集 (1)

1900生さん思い出の山陰線機回し線の写真を発掘!

デジ青投稿に対して、多くのコメントをいただき、返答を心掛けていますが、いい返答材料が見つからず、保留のままのものもあります。いつもコメントを頂戴する1900生さんからも、何かの投稿で、京都駅山陰本線ホームの終端部にあった機回し線についてコメントがありました。少し前のことで、いま検索しても、どの記事だったのも定かではありませんが、付近の写真は撮っているものの、ホームで隠れたりして、公開するような写真がなく、気掛かりになったままでした。本日、クローバー会写真展の準備のために、乙訓老人さんから預かったネガをスキャンしていると、“これや!”と、飛び上がるような、スバリの写真を見つけました。1900生さん、これでしたね。
京都駅山陰本線11番ホームの終端部にあった機回し線、ホームもカーブしていて、長い編成の到着だと、カマがカーブ上に停車していた。すぐにカマだけ切り離されて機回し線を通って、編成の後部に連結、区や客車ヤードへ回送された。逆の角度から撮ったことは何度もあるが、終端部そのものを撮った写真は見たことが無い。しかも、牽引機が試作のDF411というのも貴重だ。さすがに、何でも撮っておられる乙訓老人さんだ。そして、つぎのコマをスキャンしてみると…。

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 北のC62 全記録 〈11〉

大沼のYHで久しぶりにぐっすり寝て、生気を取り戻し、普通列車に乗り続けて、一年ぶりに上目名に下車しました。一年を経てもC62の聖地は、まだ穏やかなもので、ほんの数人が降り立った程度です。今回、写真を見返して分かりましたが、この日は、ぶんしゅうさん、1900生さんとご一緒でした。そして、向かった先は、歩いて約一時間の151kmポスト付近。昨年も一度来たところで、周囲が急に開けて、右手にはちょっとした高台があって、ここだけブッシュもなく、難なく上まで到達できます。

上目名~目名151km地点の上り「ニセコ3号」。高台からでも写せるが、C62の迫力を出したかったので、レールよりやや低い位置から狙ってみた。去年と違うのは、この爆煙だ。サービスなのかどうかは知らないが、去年のスカのような煙とは、大きな違い、あまりの煙で、編成が隠れてしまった。

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 北のC62 全記録 〈10〉

大沼で上下の「ニセコ」を撮る   昭和44年8月28日

五稜郭で上り「すずらん6号」を写したあとは、大沼へ向かいました。昨年も行ったことがある、駒ヶ岳・小沼を展望する、線路と国道に挟まれた小高い丘に登り、眼下を行く列車を撮りました。函館が北海道の玄関口の時代、続々と列車が走り抜けます。交通の便もよく、大沼はホントに恵まれた撮影地でした。
14時45分ごろに通過する、「ていね」改め「ニセコ3号」を、湖畔に沿ってカーブに掛かるのをとらえる。牽引するのはC6244〔築〕。時刻は「ていね」時代とほぼ変わらないが、大沼は通過、つぎの大沼公園には停車する。「ていね」時代と比べると、食堂車がなくなり、優等車両はグリーン車1両のみで、急行列車としての格が落ちた感じがする。昭和44年5月から、称号が二等車からグリーン車に変更されている。

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 北のC62 全記録 〈9〉

ひとつ前の投稿で、羽村さんが撮られたC621の原型写真を見て、つくづくC62は力強さにあふれた魅力的な機関車だと再認識しました。私も自分で撮ったC62を急に公開したくなり、「北のC62」シリーズを再開することにしました。
前回は、初めて北海道を訪れた昭和43年8、9月のC62の記録でした。今回は、その翌年、昭和44(1969)年8月28日から北海道入りして、各地を転戦しながら、C62を追った記録です。
この年の北海道行きは、前年と同じ花輪線竜ヶ森で夏の狂化合宿が行われたあとに訪問したもの。前回以上の会員が渡道し、各地で“現地闘争”と称した撮影会を行なった。私は竜ヶ森のあと、奥羽本線矢立峠でC61を撮ってから、深夜の連絡船で函館に到着。前回と同じ列車でまず五稜郭へ行き、「たるまえ」改め「すずらん6号」を待った。牽引はC6244である以外、前年と全く同じ構図の写真が、第一号の写真となった。

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 羽村さんが遺したアルバムから 〈12〉

続いての羽村さんアルバム、京都市内で見られた電車・バスの紹介に移ります。撮影年月は、前回の京都駅の一年前の昭和26年10月、まだ戦後の色濃い時代、遠出して撮影するなど思いも寄らない時代で、地元を丹念に記録するのは、当時の撮影スタイルでした。
京都市バスのワンマンカーである。アルバムのネームには「いすゞ」と書かれている。京都市交通局の年表を見ると、昭和26年10月1日、ワンマンカーが運転開始とある。羽村さんのアルバムからは、年月までしか分からないが、ワンマンカーの運転初日に撮られた可能性もある貴重な記録だ。京都市バスのワンマンカーは、大阪市に次いで、日本で二番目だそうだ。

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 羽村さんが遺したアルバムから 〈11〉

建設途上の三代目京都駅を見届けた羽村さんは、東側にある高倉陸橋へ向かいました。通称“タカバシ”は、京都の鉄道少年にとって思い出の詰まった場所でしょう。私も、小学生のころ自転車に乗って陸橋まで行き、上下する列車を飽かずに見ていたことがあります。そして未電化時代には、陸橋の下に、蒸機の溜まり場があって、絶好のビューポイントになっていました。
高倉陸橋の下の設備は、“東駐泊所”と言われ、東海道線の未電化時代、梅小路機関区との往復の手間を省くため、転車台、給炭設備を置いて蒸機を駐泊させていた。本日、転車台に乗っているのは亀山機関区のC51100だ。草津線の客貨を牽いて、京都まで顔を出したのだろう。亀山のC51と言えば、晩年の225号機が有名だが、ひと足先に廃車になった100号機も、化粧煙突、形式入りのプレートと、完璧なC51だった。さらに前歴をたどれば、お召の牽引も多く、キリのいい番号といい、C51の代表でもあった (写真はすべて昭和27年3月1日撮影)。

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 羽村さんが遺したアルバムから 〈10〉

趣味団体の会合で、いつも“デジ青”を愛読いただいている方から「最近、投稿が少ないでんなぁ」と言われました。私自身の投稿も途絶えていて、申し訳ない気持ちですが、何気に、右欄の月別の投稿数を見ますと、今月は10件しかありません。「ほぼ毎日更新!」を謳ってきた“デジ青”の看板に偽りありで、とくに外部から暖かく見守っていただいたデジ青ファンからソッポを向かれるのではと危惧しています。このまま推移すると、2001年に“デジ青”が誕生以来、月別最低の投稿数という不名誉な記録になりかねません。
私ひとりでは、どうすることもできませんが、挽回するためには投稿を重ねるしかありません。ネタは用意しているものの、どれも中途半端なままですが、投稿しやすいものから載せていくことにします。まずは羽村さんシリーズ、昭和25、26年は紹介しましたが、続いてスキャンした昭和27年以降分を紹介しましょう。
本シリーズの第一回は、二代目京都駅の写真からスタートしているが(NO.100199)、
昭和25年11月、二代目駅舎は早暁に炎上、焼失する。これを機に、懸案の高架化も検討されたが、一刻も早い再建が優先されて、地上駅のままで駅舎工事が急がれる。わずか1年4ヵ月の突貫工事で三代目駅舎が完成し、昭和27年5月に竣工式が行われた。この写真は、昭和27年3月に三代目駅舎を写したもので、高さ30m 8階建ての塔屋は、まだ足場が掛かって工事真っ最中のようだ。撮影場所は丸物百貨店の屋上からで、手前の建物は京都中央郵便局、現在、京都タワービルの建つ場所だ。京都駅の背後の八条口側には、高い建物はなく、煙を上げる工場が見える。手前に目を転じると、右に市電のループ線があって、3両の市電が停車中なのが見える。ループ線は三代目駅舎の完成に合わせて、駅前広場の再整備の際にターミナル式に改められるから、この点でも貴重な記録だ。

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 秋の北陸 定番の撮影地 早回り旅 ③

早まわり旅、最終の3日目は、富山地鉄の立山線に乗車して有峰口に向かいました。千垣~有峰口には、常願寺川を渡る大きなアーチ橋があり、以前、乙訓老人が、京阪旧3000系に会いに行かれたところで、よく写真を見せてもらいました。私も遅まきながら、老人の思いを体することにしました。富山から乗車した特急は「ダブルデッカーエクスプレス」の京阪旧3000系で、クローバー会の旅行でも、みんなで指定席の二階建て車両に乗って、懐かしさに浸ったものです。地鉄に導入されて、5周年となり、前部には記念のヘッドマークが掲げられていました。ただ、最適な時間帯にも関わらず、指定席の二階車は乗客ゼロ、自由席車も、次第に減って来て、寺田を過ぎると数人という寂しい車内でした。
上路式のアーチ橋で常願寺川を渡る。並行する道路橋の芳見橋から撮影できる定番撮影地で、しかも列車は展望のため徐行運転するから撮影には都合がいい。地鉄カラーの14783+14784がまず通過。

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 秋の北陸 定番の撮影地 早回り旅 ②

早回り旅2日目は、黒部峡谷鉄道へ向かいました。このトロッコ列車に初めて乗ったのが、一昨年春のクローバー会での旅行でした。どですかでんさんの世話で、宇奈月温泉にみんなで一泊し、翌日、1900生さんと一緒にトロッコ列車に乗りました。窓のない素通しの客車から眺めた渓谷の新緑が格別に美しく、忘れられませんでした。つぎは、ぜひ紅葉の頃に訪れたいと、以前から思っていました。同社のHPを見ていると、“シニア運賃半額”の文字が飛び込み、このチャンスを逃すまいと、宇奈月温泉入りとなりました。晩秋の陽光をいっぱいに浴びて、色づいた渓谷沿いをトロッコ列車が行く。

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 秋の北陸 定番の撮影地 早回り旅 ① 

少し前になりますが、早足で北陸地方を回ってきましたので、その時の様子をレポートします。
私もずいぶん鉄道写真を撮ってきましたが、“もうエエ”と思いながらも、好きな鉄道写真から足を洗うことはできません。ただ私も年齢を重ね、長年の撮影スタイルも変えざるを得なくなりました。以前の“重い機材”を持って“駅から何キロも”歩いて、“最後まで粘る”撮影スタイルは、体力・気力ともに衰えつつある今は、実行することが難しくなりました。これからのスタイルは、「軽いカメラでサクッと撮って、すぐ戻る」です。進歩著しいミラーレスも買って、自分なりに一眼との比較も重ねました。この“軽短”スタイルで、多少、撮影結果に不満が残ろうとも、それを許容する気持ちを持つようになりました。長い間の憧れだった「白レンズに大型三脚」は、ついに手に入れることなく終わりそうです。
話は横道にそれましたが、こんな考えで、北陸の定番の撮影地ばかりを回って来ました。それと、もうひとつ、利用した「北陸乗り放題きっぷ」は、二人以上が条件のため、家人同行の理由がいちばん大きな理由でもあるのですが…。

夕陽の万葉線庄川鉄橋を渡る。何度も通ったところだが、季節、時刻によって、さまざまな表情を見せる。

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 京都から紅葉レポート ③

ライトアップされた二ノ瀬駅

八瀬比叡山口で写したあと、宝ヶ池で乗り換えて、鞍馬線に向かいます。9月4日の台風21号による強風で、京都周辺の山は、倒木で甚大な被害を受けました。叡電も、沿線の倒木や架線柱の倒壊で長期の不通を強いられ、最後の貴船口~鞍馬が10月27日に開通したばかりでした。復旧後は初めての乗車で、窓から見ると、おびただしい倒木が山の斜面に残されたままで、被害の大きさ、完全復旧の長期化が見てとれます。終点、鞍馬駅にも、「復旧までの道のり」と題した地図が掲げられていました。すぐ折り返して、二ノ瀬駅へ向かいます。
市原~二ノ瀬の紅葉のトンネルは余りにも有名だが、二ノ瀬駅にも出町柳方ホームに紅葉があって、最盛期には日没とともにライトアップされ、ムードを盛り上げる。

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 京都から紅葉レポート ②

叡電 八瀬比叡山口へ

先週は、紅葉を求めて叡電沿線へ向かいました。まず恒例の八瀬比叡山口へ。ここでは、四季折々に定点撮影して、自然の変化を追っています。久しぶりに秋の八瀬比叡山口に来て、まず驚いたのは人の多さでした。同じ叡電でも、紅葉のトンネルのある鞍馬線に比べて、人出は控え目でしたが、行ってみると駅前は、人、人で埋め尽くされ、駅ホームもロープを張って、乗降分離を計っています。

八瀬比叡山口に紅葉はそれほど多くはないが、逆にグリーンとの対比が見事だ。最近、イベントスペースができた2番ホームから発車する出町柳行きを見る。

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 京都から紅葉レポート ①

阪急嵐山で直通臨時を撮る

ちょっと投稿をサボっている間にも、季節はどんどん進んで、紅葉真っ盛りの季節となりました。京都も異常なほどの紅葉人気で、観光公害として社会問題化さえもしています。そんな超混雑を掻き分けて、近郊で写した紅葉レポートをお届けします。

本日が今年の最終運転となる阪急嵐山線の直通臨時電車、午後遅めに嵐山駅南端の踏切に着いて、定点撮影を始めた。日中は、線内各停も含めて、ほぼ10分ヘッドの大運転で、線内各停は愛称板を付けたまま往復する。構内左右にある桜の木も赤く色づいて、この季節に相応しいシーンが展開された。

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 羽村さんが遺したアルバムから 〈9〉

奈良電鉄
羽村さんシリーズ、阪急、京阪、叡電と京都周辺の私鉄が続いて、最後は奈良電です。と言っても撮られた写真は4点だけ、羽村さんにとって、奈良電は近くて遠い存在だったようです。私も、同じようなイメージで見ていました。奈良電時代は、沿線に行くような用事はなく、唯一、学校の遠足や町内の行楽で、大久保あたりの芋掘りに行った記憶しか残っていません。“芋掘りに行く時だけの電車”のイメージしかなく、現在の近鉄京都線と比べて、沿線人口も少なく、田舎電車そのものでした。
芋掘り以外にもうひとつ、行楽客を集めたのは木津川の水泳場だった。海のない京都では、川の中州を利用した水泳場が何ヵ所かあった。中でも奈良電木津川鉄橋付近の水泳場は、新聞社の後援もあったりして人を集めた。奈良電は、鉄橋の上に木組みの臨時ホームを設けて開催期間は乗降扱いをした。写真のように、1両まるごと広告電車も現われてPRにつとめた。この臨時ホームは、昭和43年のDRFC時代、車庫見学に行った時にも残っていた。電車は、昭和23年に登場したデハボ1100形で、運輸省の規格型、同年に登場した近鉄の規格型600形とほぼ同じである(奈良電京都、昭和26年)。

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 羽村さんが遺したアルバムから 〈8〉

 京福電鉄叡山線

この時代の京福と言えば、木造車のデナ1が代表だろう。1925年、叡山線の開業時に日本車両で1~6の6両が製造された。全長12.3m、片開き2ドアの木造車で、写真で見ると、きれいな木目模様が出ている。前面はタマゴ形の3枚窓、ドイツ・マン製の板バネ台車とイギリス製電装品を搭載しているのが特徴だった。固定編成化される前の原形の時代で、車体もグリーン一色塗りで、その後、2色塗装に改められる〔山端(現・宝ヶ池)、昭和26年〕。

羽村さんの写真をきっかけにして、鉄道模型や京阪電車にと、拡散を見せています。
ひとつのテーマから、各方面の投稿が集まるのも、“デジ青”の真骨頂でしょう。今回は、羽村さんの地元、左京区を走る、“叡電”、当時の京福電鉄叡山線・鞍馬線です。考えたら叡電は、始発も終点もすべて左京区内にあります。ひとつの行政区のなかで完結してしまう鉄道というのも、ほかにはちょっと例がないのではと思います。

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 羽村さんが遺したアルバムから 〈7〉

京阪電車

四条駅に颯爽とすべり込んで来た天満橋行きの1000系の特急3両編成。まだ鳩マークも無い時代で、赤白の円板の特急標識である。“京阪特急”は、撮影された前年の昭和25年9月、三条~天満橋に所要53分で走り始めた。朝夕2往復のみ、2両編成のささやかなスタートで、特別整備されたロマンスシートの1000、1100形が使用された。その後、中間に1600形が増結されて3両編成となり、まもなく写真のように、1500形に変更された(昭和26年4月)。

“羽村さんシリーズ”、また続けます。阪急、京都市電、バスと来て、つぎは京阪電車です。京都市左京区に住まわれていた羽村さんにとって、京阪電車は、いちばん近い郊外電車で、興味を持つようになるのも自然な成り行きだったのでしょう。撮影されたのは昭和26年、車両としては、赤と黄色の京阪特急色の1700系がデビューする前後で、私にとっても、記憶に残る以前の時代で、大変貴重な記録です。

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 早回り ヨーロッパのトラム巡り 〈5〉

フランクフルト (Frankfurt)    ドイツ

最後の“早回り”は、ドイツに戻ってフランクフルトのトラムです。フランクフルトは人口が約70万余り、ベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、ケルンに次ぐドイツ第5の都市。ユーロ圏17ヵ国の中央銀行の欧州中央銀行本社がある国際金融の中心地で、世界最大の見本市会場や、世界最大級のハブ空港・フランクフルト空港や、ヨーロッパ最大級の駅であるフランクフルト中央駅があって、経済・産業・交通の要衝です。
フランクフルトの近郊交通は、Sバーン(DB近郊鉄道)、Uバーン(地下鉄道)が中心。トラムはフランクフルト交通会社(VGF)の運営で、市街地に限定されるものの、稠密なネットワークが張り巡らされている。一部はUバーンにも乗り入れている。

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 早回り ヨーロッパのトラム巡り 〈4〉

バーゼル (Basel) スイス  ②

宿泊したホテルの前は、トラムが通る絶好の撮影地だった。

昼間のバーゼルでのトラム撮影を終えて、いったんホテルで食事を済ませ、再び街へ出ました。この時期のヨーロッパ、現地時刻で午後8時ぐらいまでは、じゅうぶん明るく、手持ちでの撮影が可能です。しかも、この時期は、全欧で1時間のサマータイムが実施されていますから、実際は午後9時ごろとなります。ホテルの目の前に、Grosspeterstrの停留場があり、すぐ近くを、スイス国鉄(SBB)、ドイツ国鉄(DB)、フランス国鉄(SNCF)を跨ぐ橋があり、絶好の撮影地となりました。

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 早回り ヨーロッパのトラムめぐり 〈3〉

バーゼル(Basel) スイス   ①

バーゼルは、スイス西北部にあり、チューリッヒ、ジュネーブに次ぐ、スイス第3の都市です。ドイツ・フランスと国境を接していて、三国国境の街として知られています。スイス最古の大学のほか、美術館が多く、文化・芸術の街ですが、市街地に張り巡らされたトラムには、終日、乗客が多く、活発で賑やかな街並みが続いています。
緑と黄色のトラム、二つは母体は違うが、市内の交通は一元化されていて、たいへん利用しやすくなっている。

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 梅小路公園で京都市電を偲ぶ 〈1〉

今年は、京都市電が全廃されてから40年に当たる。昭和53年9月30日最終日の一日だけ走った「さよなら京都市電」のヘッドマークを再現した「廃止40周年」の装飾が、梅小路公園の市電ひろばの1605号に取り付けられた。

今年は明治150年にも当たり、京都市の梅小路公園では、市電・市バスに関するイベント「京都の交通事始め」が、本日10月6日から開かれています。日ごろ、京都市電に深い愛着を持って、保存・顕彰活動をされている4団体が企画・協力して、さまざまなイベントが展開されています。私も企画に賛同して協力した一人として、初日、さっそく訪れてみました。

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