DRFC-OB会クローバー会の皆様へ
今朝、大阪北部で大きな地震があり今も時々余震がある様ですが、皆様のところは如何でしたでしょうか。この場をお借りしてお見舞い申し上げます。震源地に近い所にお住まいの会員の方は永年購読している大量の趣味誌が本棚から崩れ落ちたとのことです。皆様もどうぞ今後も気をつけてください。
DRFC-OB会クローバー会の皆様へ
今朝、大阪北部で大きな地震があり今も時々余震がある様ですが、皆様のところは如何でしたでしょうか。この場をお借りしてお見舞い申し上げます。震源地に近い所にお住まいの会員の方は永年購読している大量の趣味誌が本棚から崩れ落ちたとのことです。皆様もどうぞ今後も気をつけてください。
皆さんの恵那・明知(明智)旅行前後の報告も楽しく拝見させていただいたが、私は2日目のお弁当列車を失礼して南木曾の保存機D51351の撮影に向かった。前回デジ青での保存機発表は2016.12.27付[80204]で千葉県の久留里線小櫃駅近くに保存されているC12287であった。既に忘れられた投稿であるが、西村さんから応援の声をいただき再び老骨に鞭を打って再開した。ここは駅から近かったが保存機訪問は屋敷さんのように若くないので結構大変である。
南木曾は以前三留野と言ったが駅から300mくらい名古屋寄りに戻った旧線跡の公園に雨ざらしで保存されていた。妻籠宿に向かう外国人が多数通っていく途中に保存機は鎮座している。以前の画像を見ると保存機は相当壊されたりして荒れていたが私が訪問した時は厚化粧状態であった。
<D51351主な経歴>
1940年(昭和15年)2月日立製作所笠戸工場製 製番1230 新製後福井、金沢、富山等に配置され北陸線方面で活躍。その後1965年(昭和40年)10月新庄、横手に転属し奥羽本線方面を走った。1971(昭和46年)年10月には木曽福島に来て1973年(昭和48年)7月まで中央西線を最後の働き場所とした。
1973.01.21 贄川のD51351[木曽福島] 集煙装置をつけているが東北からの転属機であることが前照灯横に設置された予備灯の存在でもわかる。 ▼
2018.05.27 南木曾のSL公園の同機で補助灯は外されており、煙突も集煙装置の関係か短い。 ▼
西村雅幸さんが発表されたデジ青[96984]「薩摩を旅して(前編)」では鹿児島交通の機関庫のあった現在の加世田バスセンターを始めその前に廃止された支線の駅跡等が紹介された。西村さんにはDRFC-OB恵那・明知狂化合宿の場でまだ廃止される前の加世田の構内や車両について私から追加発表することをお知らせした。
鹿児島交通加世田の訪問は1967年8月に行われたDRFC麻生釣、大畑狂化合宿終了後の9月1日の訪問である。西村さんのデジ青投稿にコメントされた総本家さんも加世田に行ったが車両がボロボロで発表に及ばなかったとのことである。そのボロボロをあえて発表させていただく。9月ではあるがまだまだ暑い日であった。私鉄の蒸機には関心が薄くただ撮っただけで説明がうまくできないことをお許し願いたい。
1935年(昭和10年前後)の流線形ブームの頃の車両を中心に発表させていただいたがもう一つ忘れられない流線形蒸気機関車があった。そう満鉄のパシナである。満州は現在の中国東北部(遼寧省、吉林省、黒龍江省、内モンゴル自治区の一部)である。デジ青上でパシナは既に発表されている機関車であるが、ここに保存機であるがもう一度登場させていただく。併せて満鉄のジテと中国製のディーゼル機、アメリカのディーゼル機も追加させていただく。l
満鉄(南満州鉄道)のパシナは970~972の3両が満鉄沙河口工場で、973~980の8両が川崎兵庫工場で1934年(昭和9年)に、981が1936年(昭和11年)に合計12両が製造された。1934年(昭和9年)、アカシアの大連から新京(長春)までの700kmを最高速度120km/hで走破、後、哈爾濱まで延長された940kmを超特急「あじあ号」として1943年(昭和18年)まで2mの大動輪で驀進していた。欧亜連絡でロシア人のウエ-トレスも乗車し全車冷房付きの豪華列車であったという。展望車は黒河という所に保存(放置)されているが今はどうなったことであろうか。12両中現存するのは2両らしく、そのうちの1両が瀋陽郊外の蘇家屯の展示場で荒れた状態で展示されていた。この機関車はその後、瀋陽の陳列館に室内展示されたのではないか。
1998.04.11 瀋陽郊外の蘇家屯の展示場のSL751
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流線形車両-4-で総本家さんや河 昭一郎さんから車掌の案内アナウンスの甲子園、甲子園の連呼が取り上げられた。「何回言うねん、うるさいな」という毎日聞かされる御乗客の皆さんからのうんざり感もあったものと思われる。マルーンさんによると阪急電車でもある時に2回案内していたのを1回にしたと聞く。ところで、最近は落語やコントなどお笑い番組でも出演者に鉄チャンが増えたのか車掌や駅員のアナウンスの真似を得意げにする芸人が増えたような気がする。鉄ちゃんはいろいろな世界にいるようだ。
さてかく言う私も若いころによく聴いた車掌の案内放送に旅情を掻き立てられたり格好いいなと思ったことがあり今でも頭の中に残っているものがある。総本家さんには何度も伝えたことがあるが今回はその車掌アナウンスと関係のありそうな時代の車両と共にお伝えしたい。多少の言い回しは車掌にもより、また、私の記憶も間違っているものがあるかもしれないが大体こんな感じだったと思う内容である。間違いをご指摘いただければ幸いである。
まず、阪急神戸線の特急が夙川を出て西宮北口に到着する頃である。
「皆さん まもなく西宮、西宮北口でございます。宝塚、箕面、今津方面はお乗換え願います。宝塚方面は5号線、6号線、今津方面は7号線へお乗換え願います。西宮北口を出ますと十三まで停まりません。」(「大阪方面普通は3号線の電車にお乗換え願います」は案内したとは思うがあまり記憶にない。また、当時は箕面が入っていたが、今津線経由の方が十三経由よりも早く着けたのかどうか定かではない)
1968.04.04 夙川付近は桜花爛漫であるが白黒ではわかりづらい。もうかなり前であるがこの5000系も今でも通用するスタイルである。 梅田行き特急5004 ▼
戦前に流線形が流行した1936年(昭和11年)に鉄道省は3両のEF55を登場させた。EF551は日立製作所笠戸工場製で1964年(昭和39年)に引退している。その後1986年(昭和61年)に復活し、しばらくイベント等に駆り出されたが2009年(平成21年)に廃車された。写真はそのお別れ運転の日に同志社創始者新島襄の本籍と言おうか安中で撮影したEF551である。京都に眠る新島襄は江戸生まれで終焉の地は大磯である。なお、EF551は現在は大宮の鉄道博物館に保存されている。
2009.01.12 磯部-安中 EF551 ▼
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表題のような情報があちこちで流れている。米手作市さんご紹介の散歩道の国電は吊り掛け車であり確かに古く、よく言えば懐かしい電車である。私など未だに101系以降151系も153系も新型電車と思っている。しかし、あれからもう60年も経った今、国鉄時代に登場した車両はほとんど姿を消しているのが現実である。今回の189系も然りである。先月中旬のことであるがNHKテレビでJR東日本豊田電車区の189系3編成の引退が報じられた。3編成とは旧あずさ色のM50、国鉄色(151系こだまやキハ82系の色)のM51、グレードアップあずさ色M52でテレビ報道ではM50編成が解体のため長野ヘ向かうと報じられた。残った2編成も3月17日の改正以降は運用の話がなく廃車されるものと思われるが最後にお別れ列車として走るとのことである。3月17日に行われるDRFC関東遠征旅行の時には間に合わない。
それでは3編成を順にご紹介する。
今回先に廃車されたM50編成。
日光線に修学旅行で使われた姿。 2017.06.16 日光-今市 上りM50 189-14 ▼
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西村雅幸さんの2月7日[93389]「Carp油津駅新旧」に1900生さんがコメントされ、その内容に関係のありそうなC56のお召と順法闘争落書き機関車を見つけてきたので発表する。C5691、C5692は1972年(昭和47年)10月20日に運転されたが、私のは最後のお召蒸機となったC57117と同じ宮崎植樹祭の時のC11200+C5692であり、同型機ではなく異形式重連であった。撮影は1973年(昭和48年)4月10日である。
阪急200系、山陽電鉄200形を用意した。これにこのシリーズの発端となった関先生の名鉄3400系、850系を再度登場させ流線形車両の顔を中心とした比較をしていただきたい。
阪急200系は焼けた木造車25、55を1937年(昭和12年)に鋼体化した阪急唯一の流線形車両で千里山線で長く活躍していた。我々の時代は嵐山線に移っており撮られた方も多いと思う。251は新京阪時代は600形601であったが1956年(昭和31年)に251に改番された。15mの短い車両ながら車幅が広かったのが特徴である。
1968.11.20 上桂-松尾 251+201 ▼
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辞書を見ると流線形とは先端が丸く後端がとがり全体としては細長い形とある。そして流れの中に置くと後方に渦をつくらず流体から受ける抵抗が非常に小さく魚の体がその例になるとの記述もある。飛行機や新幹線が流線形の典型ではないかと思うが、ここでは関先生のシリーズで最近取り上げられた昭和10年頃から流行した戦前の流線形車両の私なりの記録である。スカートをつけた姿など颯爽と見えるが実際はあの頃の速度では効果もなく一時的な流行に終わったが個性的なスタイルは非常に記憶に残り歴史的な意義もあって保存された車両もある。
流線形電車(流電)と言えばまずこの電車。鉄道省で昭和11(1936年)~昭和12(1937年)にかけて関西の急行電車用に製造されたモハ52でその後阪和線でも使用されたが我々の時代は飯田線が活躍舞台であった。
モハ52は1次は狭窓であった。1978.09.16 (新城駅と思われるがメモ紛失なので同行していただいたクモハ73106東ウラさん確認願います) ▼
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もう正月も終わったようなもので今さらという気がするが、総本家さんの初詣客を沢山入れた阪堺詣でに対抗する訳ではないが表題を準備した。富士山と言えばJR御殿場か伊豆箱根の大場かどちらかに決めていたが昨年と同じ大場にした。ところが今年は晴天にもかかわらず終日富士山だけ雲がかかってしまった。すぐ下の写真がそれ。
2018.1.1 伊豆箱根鉄道駿豆線三島二日町-大場 2201修善寺行き▼
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2018年3月に小田急は代々木上原までの複々線を完成させダイヤの大幅改正が行われる。新型ロマンスカー70000形も発表され、1963年(昭和38年)製造の展望席付きロマンスカー3100形NSEの後継車として1980年(昭和55年)に登場した7000形LSEもそろそろ引退のうわさが出ている。関西を始め各地からこの本家本流を記録に留めたいと最近はファンも多い様だ。名鉄パノラマカーの引退の頃には特急運用から離脱して急行や各駅停車運用がほとんであったが、この7000形は特急ロマンスカーのまま最後を迎えると思われる。そこで私自身の最近の記録と撮影地として沿線の印象を述べてみたい。
新松田の西、酒匂川橋梁は小田急沿線では富士山を無難に入れることができる。10両急行編成全体が入るので以前異形式連結の時にも投稿した場所である。開成や渋沢付近でも富士山を入れて撮ることができる。
新松田-渋沢間は山間部の雄大な風景や山に登っての俯瞰撮影も可能であるが駅間距離が6.2kmもあるので徒歩では少し厳しい。小田急ではトップクラスの撮影地である。
東海大前から秦野に向かう大カーブで見上げる形になるが足回りがよく見えて流し撮りにも最適。この色は今は見られない。丹沢山系も見えていい撮影地で車でも行きやすいが俯瞰ができないのが残念である。
2011.01.22 はこね15号 7804 ▼
伊勢原の愛甲石田よりは比較的開けており丹沢山系も入れられる。ここも編成全体が見渡せるが意外と電線等が邪魔になるのでうまく処理したい。
2015.12.08 はこね15号 7804 ▼
開けた所では流し撮りも試みた。 なかなか腕が上がらない
これも以前5000系で投稿した場所で鶴巻温泉-伊勢原間の踏切で撮影。朝の早い時期に勝負すること。
桜の時期に特徴ある先頭車だけをねらってみた。有名桜名所だが年々撮り難くなっている。
2014.04.02 座間-相武台前 7003 はこね6号 ▼
時間があまりない場合編成だけを狙うならここ。 お昼に来るはこね19号は確実に撮れるが複々線のため遅れると被ることがある。
これも下手な流し撮り。和光大学のあたりは緑も多いが編成全体を入れるには工夫が必要。
2010.12.10 鶴川-玉川学園前 7801 はこね15号▼
初代展望ロマンスカー3100形の晩年の姿でこの日は雨だった
デカンショまつり号さんのお宝第1号阪急974、853についてその現役時代の姿がまだどなたからも発表されておらず私も探してみたが見つからなかった。大変申し訳ないが853(制御車)の相棒である803(制御電動車)の姿でご勘弁願いたい。何れも神戸線芦屋川-夙川間で撮影したもので各駅停車(普通)である。
1968.04.04 桜の時期であるがまだ満開ではないようだ。大阪梅田行き2両目が853である。3両目が906、4両目916、最後の2両は920形▼
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