流線形車両-1-

辞書を見ると流線形とは先端が丸く後端がとがり全体としては細長い形とある。そして流れの中に置くと後方に渦をつくらず流体から受ける抵抗が非常に小さく魚の体がその例になるとの記述もある。飛行機や新幹線が流線形の典型ではないかと思うが、ここでは関先生のシリーズで最近取り上げられた昭和10年頃から流行した戦前の流線形車両の私なりの記録である。スカートをつけた姿など颯爽と見えるが実際はあの頃の速度では効果もなく一時的な流行に終わったが個性的なスタイルは非常に記憶に残り歴史的な意義もあって保存された車両もある。

流線形電車(流電)と言えばまずこの電車。鉄道省で昭和11(1936年)~昭和12(1937年)にかけて関西の急行電車用に製造されたモハ52でその後阪和線でも使用されたが我々の時代は飯田線が活躍舞台であった。

モハ52は1次は狭窓であった。1978.09.16 (新城駅と思われるがメモ紛失なので同行していただいたクモハ73106東ウラさん確認願います) ▼ 続きを読む

名鉄3400系

関先生は名鉄3400系について名鉄戦前のトップスターと称され、さらに同じ名鉄の流線形850系をはるかに凌駕する出来映えと称賛されておられるが全く同感である。特に車体下部のスカートは正に流線形車両を象徴しているように思える。残念ながら私の撮影した3400系は全盛期の姿ではなくローカル運用の晩年の姿であり特長ある正面3枚窓も更新により変更されている。最晩年にはそのニックネーム「いもむし」の緑色2色で走り現在も保存されていると聞く。

1972.9.11 犬山線大山寺-徳重間 鳴海行き後部 ▼

正月はやっぱり富士山!

もう正月も終わったようなもので今さらという気がするが、総本家さんの初詣客を沢山入れた阪堺詣でに対抗する訳ではないが表題を準備した。富士山と言えばJR御殿場か伊豆箱根の大場かどちらかに決めていたが昨年と同じ大場にした。ところが今年は晴天にもかかわらず終日富士山だけ雲がかかってしまった。すぐ下の写真がそれ。

2018.1.1 伊豆箱根鉄道駿豆線三島二日町-大場 2201修善寺行き▼ 続きを読む

名鉄850系

米手作市さんご紹介2017.12.22[91442]付け名岐鉄道850系の写真である。「なまず」の愛称の元となった正面飾り帯はこの時はなくなっていたが関先生の描かれた顔をよく留めていたように思う。1988年(昭和63年)に廃車された。

1972.09.11 犬山線徳重~大山寺 柏森行き2351+851←

知多鉄道910形のちの返り咲きの姿

関先生の[90983]17.12.08付け知多鉄道デハ910形についてその表題を「知多鉄道デハ910形の成れの果て」としようと思った。先生のご説明の通りTC化されたり、木造車の機器を流用して再びMC化されたりして様々な変遷があったようであるが、最後はパノラマカー色、ミュージックホーンの特急車として使用されたので「成れの果て」よりも「返り咲き」にしてみた。

1972.9.11 名鉄瀬戸線尾張旭-三郷 2301+901← ▼

 

上と同一日、同一区間 特急905+2322 ▼

展望ロマンスカーの本家本流7000形そろそろ引退か

2018年3月に小田急は代々木上原までの複々線を完成させダイヤの大幅改正が行われる。新型ロマンスカー70000形も発表され、1963年(昭和38年)製造の展望席付きロマンスカー3100形NSEの後継車として1980年(昭和55年)に登場した7000形LSEもそろそろ引退のうわさが出ている。関西を始め各地からこの本家本流を記録に留めたいと最近はファンも多い様だ。名鉄パノラマカーの引退の頃には特急運用から離脱して急行や各駅停車運用がほとんであったが、この7000形は特急ロマンスカーのまま最後を迎えると思われる。そこで私自身の最近の記録と撮影地として沿線の印象を述べてみたい。

新松田の西、酒匂川橋梁は小田急沿線では富士山を無難に入れることができる。10両急行編成全体が入るので以前異形式連結の時にも投稿した場所である。開成や渋沢付近でも富士山を入れて撮ることができる。

2012.02.20 7004 はこね7号 ▼

新松田-渋沢間は山間部の雄大な風景や山に登っての俯瞰撮影も可能であるが駅間距離が6.2kmもあるので徒歩では少し厳しい。小田急ではトップクラスの撮影地である。

2010.11.5 はこね15号 7804 ▼

東海大前から秦野に向かう大カーブで見上げる形になるが足回りがよく見えて流し撮りにも最適。この色は今は見られない。丹沢山系も見えていい撮影地で車でも行きやすいが俯瞰ができないのが残念である。

2011.01.22 はこね15号 7804 ▼

伊勢原の愛甲石田よりは比較的開けており丹沢山系も入れられる。ここも編成全体が見渡せるが意外と電線等が邪魔になるのでうまく処理したい。

2015.12.08 はこね15号 7804 ▼

 

開けた所では流し撮りも試みた。 なかなか腕が上がらない

2015.12.09 愛甲石田-伊勢原 はこね15号 ▼

 

これも以前5000系で投稿した場所で鶴巻温泉-伊勢原間の踏切で撮影。朝の早い時期に勝負すること。

2015.02.19 はこね6号 7000形▼

 

桜の時期に特徴ある先頭車だけをねらってみた。有名桜名所だが年々撮り難くなっている。

2014.04.02 座間-相武台前 7003 はこね6号 ▼

 

時間があまりない場合編成だけを狙うならここ。 お昼に来るはこね19号は確実に撮れるが複々線のため遅れると被ることがある。

2016.01.25 和泉多摩川 7000系 ▼

 

これも下手な流し撮り。和光大学のあたりは緑も多いが編成全体を入れるには工夫が必要。

2010.12.10 鶴川-玉川学園前 7801 はこね15号▼

 

初代展望ロマンスカー3100形の晩年の姿でこの日は雨だった

1999.06.19 秦野-東海大学前 新宿行き「さがみ」

阪急803

デカンショまつり号さんのお宝第1号阪急974、853についてその現役時代の姿がまだどなたからも発表されておらず私も探してみたが見つからなかった。大変申し訳ないが853(制御車)の相棒である803(制御電動車)の姿でご勘弁願いたい。何れも神戸線芦屋川-夙川間で撮影したもので各駅停車(普通)である。

1968.04.04 桜の時期であるがまだ満開ではないようだ。大阪梅田行き2両目が853である。3両目が906、4両目916、最後の2両は920形▼ 続きを読む

来た!東京メトロ16025

中国支局長として連日ご活躍の西村雅幸さんが昨年の4月22日付[70699]デジ青で地元JR山陽本線本郷-河内間の夕陽の沼田川沿いで撮影された東京メトロ千代田線の新造車16025編成の東上写真を発表された。以前、私の撮った糸崎、三原界隈の写真を投稿した所、即その場所の現在の写真を報告していただいた。これは何とかしないと思い時々撮影に出かけやっとのことで先日キャッチしたので報告致したい。併せて撮影に行った時の併走写真も見ていただければ幸いである。

 

小田急永山とはるひ野および京王永山と若葉台の間にある電車見橋と言われる橋の上からの撮影でいつも付近の保育園児が爺さんに声をかけてくれる。これは京王との併走を撮影中のワンカットで拡大すれば16025のシルバー切り抜きナンバーが確認できる。

2017.11.02 小田急永山~はるひ野 我孫子行き急行16025 ▼

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愛知電鉄デハ3080の成れの果て

11月12日ホームカミングデイの総会では関先生が新京阪、京阪の生の作品を披露され講演もしていただいた。先生の最近のデジ青発表作品は表題の愛知電鉄電7型電車2017.11.15[90436]である。紹介されている米手作市さんもいつものコメントの後「誰か知ってるの居らんのか」とお叱りをされていたように感じ探してみた。表題に「成れの果て」と書いたが「成れの果て」とはおちぶれた結果であるが関先生の説明では「愛知のデハ3080はその後制御車となり瀬戸線に移って特急のトレーラーとなりパノラマ並みの看板と警笛に使うタイフォンを装着し、あで姿を誇った」と述べられていた。正に歳をとってから花が開いたようなものである。その電車はひょっとしてこれかなと思い用意してみた。私は電車のハード面や履歴には疎いがこれが該当するのではないかと思い2枚だけ出してみる。間違っていたらごめんなさい。

愛知デハ3080→名鉄モ3200(3203)→ク2300(2301)

1972.09.11名鉄瀬戸線尾張旭-三郷ク2301+モ901 ▼

 

愛知デハ3080→名鉄モ3200(3222)→名鉄ク2320(2322)

1972.09.11三郷-尾張旭 ク2322+モ905 特急 ▼

 

豪快に走り去った阪急710形

マルーンさんから冬眠中たたき起こされたが目覚めが悪く時間が経ってしまった。ところで老い先が短くなると昔を懐かしく思う傾向が強くなる。紅白は見ないが懐メロは見る。鉄ちゃんもその傾向があり、国鉄時代を懐かしく想い、JR化後にはあまり興味がわかない。そういいながらJR化して何年経つのであろうか。平成も間もなく終わるそうである。私も鉄ちゃんの性格を持っているので古く懐かしい阪急京都線710形の思い出を発表してみたい。

710形は1950年から1953年にかけてナニワ工機でMc710+Tc760の7編成14両が製造された。全金製の車両で神宝線810形と共に19m、車体巾1750mmで初めての阪急標準車体で登場した車両で両者は京都線100形と神戸線800形・920形を足して2で割ったような車両であるが細部を見ると電気関係、台車、窓枠の色等に差異もある。マルーンさんによると機器の位置が両線の車両には反対の位置にあるものもあるという。技術的なことはよくわからないが、私が感じたのは同じ会社でありながら両線の番号の付け方が違うことと運行表示板の位置が急行では左右反対であったことである。このことは後で触れてみたい。710形が170KW×4の大出力であることは後年知ったことであるが、小学生時代の私は神宝線沿線に住み京都線710形との出会いはたまに大阪に連れて居ってもらった時に十三-梅田間の神戸線との併走区間で見た運行表示板を2枚付けたクロスシートの710形の特急を見た時であった。この頃は十三も停車せず京都大宮終点までノンストップで走破していた。神戸線の特急は810形の初期4編成810~813がクロスシートであったが存在感が薄く、800、900、920形の17m中型車が中心で特急表示板も1枚で十三にも停車した。当然、710形の京都線の方が格上に見えたが、神戸線の方がフリークエントで600ボルトながら100km/h以上で飛ばしていてどちらも高速運転路線であった。羨望の眼で見ていた京都線710形特急も趣味活動の出遅れにより乗車体験はあったものの撮影はしておらず1969年3月4日の大雪の時にダイヤ乱れで急遽登場した時と複電圧車の機能を発揮してシーズンの休日に宝塚行き特急「歌劇号」として運行していた記録が全盛期を彷彿させてくれる唯一の姿である。そのうちの「歌劇号」が下の写真である。

1967.5.28 長岡天神-大山崎間 今津線経由宝塚行き特急「歌劇号」 714+764

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友あり関西より来る また楽しからずや 第2弾

九州北部が豪雨というのに関東は晴天猛暑続き。そんな中、今日7月10日にはWAKUHIROさんが来られた。お住まいが美旗なので正式には「朋あり伊賀より来る また楽しからずや」といったところでこれにはINUBUSEさん、藤本さん、逗子の旦那こと高田さんが参加された。WAKUHIROさんはデジ青には桜や紫陽花などを入れた季節感のある作品を発表されているが今日は「海」がテーマ。京急線で海が入るところはあるようであまりなく、それより心配なのが晴天続きとは言えまだ梅雨開けしておらず空に水蒸気が多いのか真っ青にならないことである。

最初は京急の安針塚から徒歩で横須賀線を俯瞰する有名な場所で撮影。後から駆け付けたINUBUSEさんは撮影場所へはかなりお迷いになられたようで、藤本さんに至っては迷いに迷って到着が昼前になってしまう始末。

軍港をバックに津田沼発816F久里浜行き217系 ▼ 続きを読む

友あり関西より来る また楽しからずや 第1弾

日頃デジ青や写真展等で大活躍の総本家青信号特派員さんが所用で上京された。全ての仕事を終えた後7月2日私の準ホームグラウンドである高尾-相模湖間で撮影を楽しまれた。梅雨空ではあったが鉄道生き字引の藤本哲男さん、逗子の旦那こと高田幸男さんと4人で撮影を楽しんだ時の登場車輛を紹介したい。一部撮影の失敗したものは日付を入れた既撮影のものと入れ替えた。

まずここを通過する通常の車両である。

間もなく見納めになるというE351系スーパーあずさ4号4M松本発新宿行き ▼

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異形式連結電車ー6-

小田急、京王のステンレス車両とアイボリー、白色の車両(鋼製車)の連結10両編成に興味を持ったのでデジ青に投稿してみたが、その後それがいろいろな形で発展してとてもついて行けなくなってきたのでこのあたりで閉店させていただく。

阪急京都線の2300と2800はその詳細はマルーンさんがお詳しいが、3扉ロングシートと2扉クロスシートの違いはあるが性能的には同じ電車ではないかと思う。しかし、営業で混結した姿を見たことが無い。これは回送と思われるがメモに記載がなく定かではない。1967.11.7阪急京都線大山崎-長岡天神 2309・2359+2801・2851▼

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異形式電車連結番外編こんなんありました

異形式連結電車は番外編が盛り上がっているようであるが、湯口さんが説明された電蒸運転があったので見ていただく。なお、動画ではないが米手作市さんコメントのSL銀河も用意してみた。

最初はEF60509[東京]+C6240[下関]の下り特急「はやぶさ」。撮影は1964年7月24日横川-己斐間で山陽本線全線電化の前日である。もっとも電化後も電気機関車不足なのかしばらくは蒸機牽引列車が残っていたように思う。この日はC59やC62を数多く記録しようと線路端で夜を明かした翌日で睡魔と戦いながら4本の特急を待ったが、うち2本の「みずほ」、「はやぶさ」が電蒸運転でがっかりしたことを覚えている。 ▼

 

こちらは趣味誌等々でよく見るSL銀河でC58が気動車とどういう連携をしているのかよくわかない。やはり後ろは旧型客車でないと面白くなく、12系、14系、50系など新性能電車の様な客車はパッとしない。だから専ら蒸機の音を聴くだけが楽しみである。2015年5月3日土沢-小山田 花巻行きC58239 ▼

東海道・山陽緩行電車の形式写真

 

遅くなりました。もうお忘れになっておられることと思いますが河 昭一郎様からの宿題が終わりましたのでご報告致しまします。京都-西明石間の緩行電車は神足(現長岡京)に下宿していた頃よく利用した電車でその頃に京都駅で撮った1両毎の形式写真です。勿論形式写真と言っても西尾克三郎さんの組み立て暗箱で撮ったような本格的なものではなく、何かのついでに撮ったものです。言い訳ばかりになりますがクモハ51、クハ68、モハ70等が全くなく私の国電への興味もこんなものであったようでご勘弁願いたいと思います。

1968.5.19 クモハ54107 100番台はオリジナルではなく改造車と聞いたことがある▼

 

1968.5.19 クモハ54111 ▼

 

1966.11.15 クハ55112 大タツ 中間に入ったクハを撮るのはあまり感心しませんが窓配置が気になって撮ったものと思います。▼

 

1966.11.15 モハ72084 大タツ ▼

 

1968.4.20 モハ72650 大アカ ▼

 

1968.4.20 モハ72024 大アカ ▼

 

お申し越しの車両ではありませんが、修学旅行電車を撮った時に来た急行「加賀」の車両です。

1968.5.19 モハ474-18 金サワ▼

 

1968.5.19 サハシ451-9 金サワ▼

 

1968.5.19 サロ451-9 金サワ▼東の京浜・東北と西の東海道・山陽緩行線は同じような位置づけで見ておりましたが、これらの撮影時期は前者は73形4扉車であるのに対し、後者は73形に混じって3扉車のくせ者(いい意味です)がいて大変楽しかった思い出があります。その割にはあまり撮っておらず河様に申し訳なく思っております。

修学旅行電車155系の写真

尊敬すべき米手作市さんから「写真持ってるやろう、のせんかい」と脅されたような気分になり、探し回りました。その結果3コマ見つかりましたが、何れも車窓から撮ったり何かのついでに撮ったものばかりです。

まず、155系ですが、1968年5月19日京都駅で撮ったものです。クハ155-1と読めそうですがそうすると1次車です。修学旅行と正面上部にあり、ヘッドマークも「きぼう」とあり、これから東京方面に向かう中学生で一杯です。この時は新幹線ができて4年経過しているので修学旅行用としては衰退期に入っておりました。▼

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東西国鉄旧型電車

河昭一郎様 お待たせしました。 というほどの写真ではありませんが、横須賀線70系と関西国電(京都-西明石)等拙い写真ですがどうぞご笑覧下さい。

前回のクモユニ74と同じ大船のカーブです。

1968.2.13 921S 戸塚-大船間 久里浜行きクハ76022 ▼1968.2.13 905S 戸塚-大船間 後ろから見た70系12連横須賀行き ▼ 続きを読む

木次線ツアーご報告(余話)

今回は落石事故で木次線は楽しい(?)バスツア-に変更となりましたが延命水まで飲むことができて楽しい思い出がまた一つできました。幹事の方々、ご同行の皆様には御礼申し上げます。おかげさまで三段スイッチバックを含む備後落合~木次間はまたまた未乗区間となりましたが、多分この先に乗ることはなくそのことに悔いが残りました。西村さんの余禄に次いで私も余話をご披露させていただきます。

御住職の堀江様のご説明の中にありましたC56108号の今井機関士の姿です。今井式スノープローを考案されたりして現場での指導的立場にあられた方ですが3年前にお亡くなりになられたとのことです。運転台に乗る若きの日の御姿です。 1964.3.31木次機関区 ▼

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