加太始発列車-1966年7月

デジ青読者の皆様、新年おめでとうございます。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

大晦日発、青信号特派員さんの『初の加太行き』を拝見しました。記事に加太始発列車の話題が出てきました。これに即座に応じるのが加太会員とばかりに早速用意しました。ただご覧の通り、雨の早朝とは言え、かなり下手くそな写真です。新年早々ご辛抱下さい。

特派員さんご想像の通り、亀山からD51のバック・プルで加太に到着。駅上りホームの西側に入線、客車を解放後、駅南のポイントから、上り本線を通り、亀山 方向に向かい、駅北のポイントでバックして、再び客車最後尾(加太に来る時)に連結すると言う段取りでした。駅員2名が信号手を努めていました。1966年7月24日でした。

▼機D51841【竜】駅南側ポイントから上り本線を順行、ホームを通過して北側のポイントに向かうところ
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撮影地今昔-和歌山線・笠田

2015夏、18きっぷで姫路城見物、関西線・加太、和歌山線・笠田などに出かけました。加太のことは8月後半に投稿しましたが、以後法事やら雑用やら何やらに追われて投稿をサボっていました。そしたらもう秋、今頃になり、夏の和歌山線をアップします。聞くところ、砺波が住まいの宮脇オッチャンがこの10月の来阪時、帰りに和歌山線を探索したとか。

8月16日、立花-尼崎-京橋-天王寺-和歌山-奈良-京都-立花のコースで一日を過ごしました。その内、撮影地今昔は西笠田-笠田間を歩きながら往時と比較しました。乗り心地の悪い和歌山からの電車で、先ず降り立ったのが西笠田駅。

▼(昔)西笠田のホームから柵越しに、紀ノ川を眺めました。山々には雲がかかっていますが、初秋の空気と水の綺麗な情景でした。1966年9月14日 西笠田駅
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撮影地今昔-関西本線・加太

お盆休みの2015年8月14日、昨年に続き青春18切符で、半世紀前の撮影地のひとつ、関西本線加太を訪ねました。旧湊町・現JR難波駅から大和路快速電車で出発。加茂まで54.2kmを53分。現代はこの距離でこの時分なら当たり前か、むしろ遅い感じがしても当然でしょう。でも昭和40~45年代の関西線に比べると相当速く感じます。

当時、筆者の勤務先工場は大阪布施と大和小泉にありました。技術部所属の筆者は奈良工場へ再三出かけ、近鉄布施-鶴橋-天王寺へ。天王寺からは準急・かすが、王寺でキハ35に乗り替え二つ目、法隆寺の隣駅大和小泉へ。小泉からは社バスかなければタクシー。軽く半日は掛かりました。

8月14日は、加茂から二両編成のDC、キハ120。このワンマンDCは運転席横の窓から見通しが良い。播但線、加古川線、山陰線のワンマンDCは運転席と料金箱がやたらと最前部を独り占めしてファンに非開放的です。で加茂から1時間、難波から2時間30分で加太に到着しました。
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新刊本の紹介(続編)『京都の市電』

paperKyouto
京都府宇治市在住の奥山直秀です。いつもDRFCにはご案内やら、お誘いやらお世話になりながら、何もお返し、貢献が出来なくて申し訳なく思っています。何しろアナログ人間ですから、デジタル青信号をタイムリーに見る事が出来ないばかりか、紹介したい出来事がありましても思うように参りません。

そんな私ですが、5月8日の京都新聞に掲載された上記の記事には黙って居難く、小生の『機関区めぐり』を担当して頂いている鶴さんに依頼し、デジ青への掲載をお願いした次第です。遅くなりまして申し訳ありませんが是非ご覧ください。

(鶴追記)この件、去る4月24日、準特急さんが『新刊本の紹介』として紹介された記事に同じです。その後、5月8日京都新聞にも紹介掲載されたということです。

4/24の準特急さんの投稿には沢山のコメントもあります。
中でも乙訓の老人さまは、『講読希望の方は「元祖青信号」本人または応援団「乙訓の老人」までご連絡いただけば、便宜を図らせて頂くことも可能であります。』と述べられています。ご便宜に便乗致しましょう。

お山は喧騒-こうや号特別仕業(続き)

去る日、高野山菩提寺からのお誘いで、厳かな法印転衣(てんね)式に参列しました。前もって名古屋のさる高僧から書き方を教わったご祝儀を持って。

まあ、それは良いとして、いつものサービスは悪いは、モノは高いはのお山は一層喧騒に包まれていました。全国から人を呼び寄せながら、受け入れ態勢は元のままのようで、特に整えたとの印象はありません。案の定、数少ない食堂と南海りんかんバス駅は長蛇の列、交差点に交通整理のおまわりさんの姿無し。

普段から食堂のサービスと愛想は極めて悪い。南海りんカンバスの運転手は頑固な高齢者ばかりで融通利かず。それが降って沸いた全国からの客に対処できる筈が無い。何年も前から一体何の準備をして来たのか。食堂の数はいつも通り。バスは高野山駅、大門前、奥の院前の三箇所の終点だけは大そうな客扱い。案内は南海電車の新入社員が『研修生』としてお勤め。バス待ち客をてきぱき整理出来るはずがない。そして途中駅の長蛇のバス待ち客をほったらかして、空の回送バスだけが山上を走り回る。

バイクの取締りに行くのか高野警察の白バイを3,4台見かけたが、混雑の交差点や山上で警官は唯の一人も見なかった。

昼食も取れず、ほうほうの体で高野山駅に到着、売店でビールとじゃがりこを買って下りのケーブルカーに乗ったのでした。お山の悪口を言ってバチが当たりませんようにと念じながら。

そうそう、最近お山にコンビニが初めて誕生したとか。もっと早くから出来ていればお山も少しは変わるかもしれないのに。そんなこんなで、九度山で途中下車。再びこうや号と、すっかり忘れられている天空を撮影して一日が終わったのでした。

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北陸トンネル開通前夜-杉津駅付近、半世紀前

1962(昭和37)年4月、2回生の春休み。同好会の亀田満夫さん(筆者と併せてツルカメコンビのもう一方の方)と撮り鉄・乗り鉄に出かけました。初日は北陸トンネル、開通があと2ヶ月に迫り、トンネルの開通で廃線となる新保-山中信号場間です。

ここで、北陸トンネルと旧・北陸本線の概要を紹介します。地図に書き込みました。
fig01敦賀-今庄間の縦断面図です。(日本国有鉄道線増課より)
(新)北陸トンネル経由敦賀-今庄、と(旧線)敦賀-今庄間
fig02 続きを読む

1962年合宿と峠の釜めし-半世紀前-

1962年9月5、6、7日、信越線碓氷峠の合同撮影会とテント持参の合宿が開催された。5日の撮影会の後、碓氷湖畔にテントを3張り、夜を過ごすつもりだったが、夜来の大雨でとてもテントは持ちこたえられず、湖畔のボート小屋に頼み込んで一夜を過ごしたものです。

▼翌朝、雨も上がった小屋のテーブルと椅子を拝借、朝食事の模様。1962.9.6
写真右から岩波君、吉田君、中林君、別所君、鶴君、魚住君の面々。   05613
05613 続きを読む

信越線・横川-熊ノ平間(2) -半世紀前-

前回に続いてDRFC合宿中に撮影した写真です。
始めは、熊ノ平-丸山(信)間の第3橋梁を行くED42です。

この碓氷線には18の橋が架かっていますが、碓氷川に架けられたこの第3橋梁が最大の橋です。全長90.8m、高さ31.4mのレンガアーチ橋で、建築師長・ボーナルの設計による。レンガ202万8000個、セメント2,720樽を使用。”めがね橋”の愛称で呼ばれ、1993年には国の重要文化財に指定された(『越境のドラマ!』鉄道博物館刊行より引用)。他にレンガ造りのアーチ橋がもう一つ、中尾川に架かる第13橋梁(中尾橋)が存在しました。

▼上り(峠を下る)DC急行列車と本務機ED421、一補、二補。 1962.9.6  05627 05627 続きを読む

信越線・横川-熊ノ平間(1) -半世紀前-

2回に渉り、信越線アプト区間の写真です。いずれもDRFCのメンバーと一緒の撮影でした。乗り鉄時と1962年開催、DRFCの合宿・撮影会の時です。
初めは、1960年DRFCメンバーと高山線、富山港線を尋ねた帰り、厳島健一君と二人で上越、信越、小海、飯田線を乗り鉄した時です。高崎から313レに乗車。横川までは勿論蒸機、D51246でした。

横川駅に到着、蒸機から電機へ付け替え。最後尾の本務機などを撮影して、再び乗り込みました。いよいよ古代以来の交通の難所・碓氷峠を初めて越えます。
▼横川駅 下り313レの本務機ED426と、
前へ順に一補および二補機 1960.11.26 00729
00729 続きを読む

奈良機関区のC51-奥山先輩のアルバムから

C58からC51へ。話は転々、とうとう奈良機関区のC51にまで及びました。先日の奈良線の写真と共に、奥山先輩のアルバムに梅小路、奈良機関区のC51が特別に分類・整理されていましたので、ここに紹介します。なお、最初の1枚だけは梅小路所属のC51です。

▼C51256 【梅】 京都駐泊所にて 1960.10.26
C51256 続きを読む

奈良線と云えば、宇治在住の奥山先輩

どですかでん様、西村様、準特急様の楽しい話を読んでいて、はっと気づいたのが、フィルムと写真を預かっている奥山先輩のことです。近頃奥山さんの機関区めぐりは休眠状態で、C57第四次以降進んでいませんが、奈良線と云えば宇治市在住の奥山さんを忘れ去る訳には行かず、早速アルバムから、奈良線関係の非電化時代を取り出し、ここに蒸機、ディーゼル機、DCを見て頂きます。撮影場所は記録されていませんが、撮影年月日、車両番号は細かく記録されています。場所をご存知か、思い出されたらコメントを頂ければ幸いです。C58も登場します。
▼臨客 機D51750【奈】 1960.10.24
6010241 続きを読む

C58、こけしの郷を行く-半世紀前-

春に会津線、磐越西線を訪れた1965年、夏には、飯山線、米坂線、そして最後に陸羽東線を尋ねました。米坂線で96を堪能し、坂町から羽越線に乗車。次回、日本海の撮影場所を探しながら、余目へ。撮影にはなかなか難しそうな場所ばかりが目に付きました。そして新庄経由で陸羽東線・中山平(現・中山平温泉)へ。

ここでステーションホテルを駅長に申し出たら、それなら駅長官舎の風呂に入れと、見ず知らずの者に親切な扱い。勿論有難く頂き、蚊取り線香に火を付けてお休み。

翌日、中山平-鳴子(現・鳴子温泉)、中山平-堺田間を撮影後、東北本線小牛田で食堂に入ると、非番で子供連れの、先の駅長さんとばったり。お名前を酒井清人さんと云う。帰宅後丁重なお礼のハガキを出したことを覚えています。

さて、記録写真です。前日、中山平宿泊前に、撮影場所探索の為、鳴子駅まで出掛けました。その時、夕方の鳴子駅に到着の貨物。
▼貨767レ 機C58161【小】 鳴子駅構内 1965.8.17 11233 11233
11233 続きを読む

D50、D60磐梯山麓を駆ける-半世紀前-

前回投稿会津(滝ノ原)線撮影の翌日、磐越西線を訪れた時の記録です。この線区の機関車は、若松のD50、郡山のD60、それにD51、DF50と多彩でした。その内からD50、D60中心の写真です。

この日は好天で、残雪の磐梯山を終日眺めることができました。先ずは夜明けすぐの貨物。朝日を浴びてD50の登場。
▼貨1282レ 機D50369【若】磐越西線・翁島--更科信号場間 1965.5.5    10606
10606磐越西線が完成した頃から長く、新潟・新津発の上野行き列車は磐越西線経由だったと聞いた(上越線完成後も暫くの間は)が、撮影時は新潟-上野直通列車はディーゼルの『いいで』のみ。若松-上野間は『ばんだい』など5~6往復が存在した。

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C11、大川(阿賀野川)を渡る-半世紀前-

1965年5月の会津(滝ノ原)線です。
山間が少し開けた南会津の楢原から北に、弥五島、湯野上、桑原へと、大川(阿賀野川、国土地理院も四文字にしたり、阿賀川と三文字にしたり、いい加減)の橋梁を渡るC11を順に撮影しました。桑原まで凡そ13km、谷合の区間です。

この内、湯野上から少し北、桑原までの中間付近から舟子あたりまで、大川ダムの建設が進み(1988年運用開始)若郷湖となり、撮影した一部区間は水没してしまいました(後図参照)。先ずは弥五島の北、第五橋梁から。

▼第五大川橋梁 貨客混合332レ 機C11 弥五島間-湯野上間 1965.5.4       10421

10421次は湯野上の手前、第4大川橋梁です。天気は良くなかったのですが、日中8本程の旅客、貨客混合に貨物列車と結構な列車に会いました。左手が弥五島方向、右手が湯野上方向。
▼第四大川橋梁 客334レ 機C11 同上区間 同日     C1104

C1104 続きを読む

撮影地今昔-大船渡線-

1966年1月と12月、二度大船渡線、矢越-折壁間を訪れていました。岩手県東磐井郡室根村、現在は岩手県一関市、震災の被害が少なかった地です。すぐ隣は宮城県気仙沼市、甚大な被害を蒙ったところで、気仙沼から先、今も鉄道は復旧していない様です。

震災前、その気仙沼在住の見ず知らずの人から、Mailが届き、「ネットで大船渡線の写真を見た。できれば自分のHPに写真を貸してくれないか。今昔比較をしたい」。筆者は勿論即OKで当人のHPに掲載された。筆者もデジ青に投稿をと、用意したのが2011年3月10日。そして翌日あの大震災。気仙沼の人は、大被害に遭われた。本人一家は無事なれど、祖父母を失われ、住宅は跡形もなしとか。当然この記事はお蔵入り、3年半過ぎ、頃は良しと本日投稿。

▼矢越駅に近づく、貨378レ機C58 1966.01.03 午後3時30分頃、正月で補機なし。

1C2421 続きを読む

撮影地今昔-播但線-

知人から青春18きっぷを譲り受けたので、9月の初旬、兵庫県内の乗り鉄ついでに、昔の撮影地を訪ねた。尼崎-姫路-(姫新線)-津山-(18切符圏外の智頭急行)-智頭-(因美線)-鳥取-(山陰線)-和田山-(播但線)-姫路-尼崎の乗り鉄。撮影地は、播但線・生野-長谷間の鉄橋と川沿いの大きなカーブである。

キハ41など最近のワンマンDCは、運転席横の正面窓や右の窓からは前方が極めて見難い。運転席の機器類が中央部にまではみ出し、料金回収箱が中央にあり、時には右側にトイレがある側が先頭になったりで眺めはほとんど不可能に近い。

仕方なく、生野-長谷間7.7kmは徒歩となった。所要2時間、線路沿いの町道を歩いたのだが、長谷までに出会ったり、追い越された車が日中にも関わらずわずか2台。
途中「注意・熊出没」の看板があったり、人気のない寂しい道であった。
409061 生野駅。瀟洒な佇まい。写真右手方の踏切を渡り、町道を南に向かう。

▼播但線 上り客612レ生野を出発 1963年8月13日
08203h 続きを読む

C58304【関】1966年正月

準特急さんのC58304と231を探し、その304です。
C58304【関】。貨物379列車、大船渡線・
矢越-折壁間、1966年1月3日。
C2412なお、同じ場所の『今』が下記の画像です。この画像は筆者のネット友達(まだ会ったことはない)が撮影して、送ってくれたものです。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA『1966年当時と同じ場所は、木々が生い茂っており、若干、下の場所で撮影。
民家の入り口となっており、趣旨を説明して許可を得て撮影。』とのことでした。

この画像の他にも、大船渡線の筆者の画像『昔』を基に、『今』を数枚届けていただいています。後日『今』、『昔』を並べてアップの予定です。お楽しみに。

C58239 1967年の雄姿

去る4月12日、釜石線・花巻-釜石間で、動態保存C58239牽引のSL銀河が運転開始されました。読者は新聞、テレビ、Uチューブ等で既にご存じのことと思います。
C58239は1972年の廃車時以来、盛岡市の交通公園に保存されていました。2012年復活に向け解体、ボイラー修復などを経て、2013年復元。2014年初めより試運転を開始、今日に至りました。この間の一部始終が、動画、静止画で相当詳しく説明されています。 盛岡鉄道管理局の、C58239復元作業の記事一覧をご覧ください。

復元、動態保存の姿はそちらに譲り、ここでは現役時代の雄姿のみにします。写真が3枚ありました。当会OB会奥山直秀さんが2枚(フィルムを筆者鶴が預かっています)のモノクロ、筆者のカラーです。

▼当会OB会員奥山直秀さんは、1967年の盛夏、北海道各地の機関区をめぐり、帰りに青森、盛岡、平機関区に立ち寄られていました。その盛岡機関区でのカット。
宮古機関区所属のC58239が駐機していました。1967年8月15日、盛岡機関区。C582392

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「窓から移した駅と列車」に倣って

総本家青信号特派員さんに便乗して、私も数枚を。
同志社に入学の年、54年前の話です。夏休みに神戸三越のお中元アルバイトを約1ヶ月。それでカメラを買いました。それまでは父親のツァイスイコンを使っていましたが、戦前のカメラは使い難くい代物でした。買ったのはヤシカミニスター、簡易露出計付でして、今もこの露出計は作動していますが、果たして撮影できるかどうか。
さて念願のカメラを手にして出かけたのがこの姫新線。野山で蒸機曳く列車を撮るなど思いもよらず、もっぱら乗り鉄で、窓から、あるいは停車中のホームから撮るくらいでした。00202

▲ 姫新線815レ 姫路駅 機C58258【津】 1960.08.28  00202
8月も末の28日、姫新線-因美線-山陰線-福知山線経由の乗り鉄1日、815レで出発。00203    続きを読む