KAWANAKAさんから始まって、西村さん、どですかでんさんと、本掲示板では、秋をテーマにしたシリーズが続いています。人生の峠を越えた?われわれ世代、秋の彩りに胸に迫るものがあるのでしょうか。私も近くのJR長岡京~山崎間で、何気に車窓を見ると、いっぱいのコスモス畑が広がっているのを見つけました。最近、よく見かける休耕田を利用したもののようですが、逆光に浮かび上がった色とりどりのコスモスは、絶好の被写体になるとして、さっそく快晴の翌日に、愛車のペダルを踏んで、午後のいっときをコスモス畑で過ごしました。
▲現地はウンと昔から足繁く通ってきたところだが、高速道路が横断したりして、周囲の光景が変わり、撮影地としてはご無沙汰だった。こんなコスモス畑があるとは全く知らなかった。着いてすぐに通過したのが貨物の5087列車、ラッキーなことに、牽引は、原色PF、EF652121だった。JR貨物のPFでは、2両しかない貴重な原色で、もとはJR西日本からの転属機、“ニイニイ”とか呼ばれているらしい。
「ニュース」カテゴリーアーカイブ
第6回クローバー会写真展 開催
三江線(続報)
三江線の廃止に関して地元のテレビ、新聞では連日大きく取り上げられています。そのなかから今朝の中国新聞朝刊のコラムをご紹介します。朝日でいう「天声人語」相当のコラムです。
三江線に限らず全国的な問題ではあるのですが、鉄道廃止となると高齢者の病院通いと高校生の通学問題がいつも話題になります。三江線沿線の某高校では過疎化の波が押し寄せ、定員割れを起こしており これで鉄道が廃止されると更に拍車がかかるとして、自治体がはやばやと無料のスクールバスを走らせているそうです。頼みの綱だった通学生も取られるとなれば老人だけが頼りではどうにもなりません。私の住んでいるのは人口10万人足らずの地方都市で、かつての商店街もシャッター通りと化しています。それでもなぜかマンションだけが次々と建てられ、結構売れてゆくのです。何でも山間部に暮らしていた老夫婦が生活を続けられず、子供たちが少しは便利な街にマンションを買って親を住まわせるという現象も起こっているそうです。50年後に鉄道全線完全乗車をしようとすれば、幹線だけに乗ればすぐに達成できることになっているのでしょうか。
丹波の山中に阪急電車
2年後に三江線廃止?
今朝の中国新聞1面トップは三江線廃止のニュースでした。2年後の2017年度に廃止の方針のようです。2006年7月に豪雨により不通となり、この時点で廃止の声も聞かれましたが、約1年後の2007年6月に運転を再開し なんとか生き延びました。沿線にこれと言った観光地もなく、陰陽連絡の役にも立たず、いくら活性化、利用促進を叫んでみても 1日の利用客が50人では成り立つ筈もありません。三江線の次は木次線でしょうか。因美線でしょうか。陰陽連絡の高速道路が次々と開通するなか、過疎化には歯止めがかからず 中国山地の山あいをクルマで走ると人よりイノシシ、鹿、猿に出会う方が多い昨今です。
日本鉄道賞に広電
しつこく JFEスチール福山専用線
またかという声が聞こえそうですがご容赦を。天気予報では好天のようなので早起きして東福山に向かいました。JFE専用線の列車の少し前に西岡山ターミナル発東福山行き 2753レがDE10に牽かれて到着するので、これも狙おうと7:30頃に待ち受けました。1900生様からもう少し東の池の横はとアドバイスを頂いていましたが、ロケハンする余裕もなく、またJFEが来る時刻が接近しているため、またしてもイージーにお決まりの歩道橋で待ちました。7:44頃結構長いコキを従えてDE10が現われました。
佐竹保雄さん写真展「山科の鉄道」 7日から開催
佐竹保雄さんの写真展「山科の鉄道」が、下記のように、10月7日から開催されます。
佐竹保雄写真展「山科の鉄道」
会期/10月7日(水)~14日(水)
会場/京都市 山科図書館(京阪・地下鉄・JR「山科」下車、外環状線沿いを南へ徒歩15分)
URL/http://www2.kyotocitylib.jp/?page_id=162
「200回近く山科へ行きました」とおっしゃる佐竹さん、蒸機の時代から、電機・電車特急の時代まで、克明に記録された写真は、質、量ともに、まさに圧倒的です。今回は、地元での開催にあたり、市民の方にも、60年以上の前の山科の鉄道の姿をぜひ見ていただきたいと、厳選に厳選を重ねた写真を展示されるとのこと。ぜひ、皆さんのご来場、お願いいたします。
なお、最終日には下記のように佐竹さんの講演会が催されます。
講演会「東海道線と山科の歴史」
日時/10月14日(水)18:00~19:00
会場/山科図書館内 絵本コーナー
▲山科の写真を見ながら説明される佐竹さん(2009年、交通科学博物館で開催の第2回クローバー会写真展で)。「徹夜で準備しました」とおっしゃりながらも、元気な声が電話口から聞こえてきた。
鉄道写真展「世界の線路端から」のご案内
いつもデジ青、また”ぶんしゅう旅日記”をご覧いただきましてありがとうございます。
私事で恐縮ですが、この度いつも中国鉄路の撮影にご同行させていただいております鉄道写真家小竹直人先生と中国鉄ちゃん仲間たちとの写真展に参加させていただく事になりました。開催日は明後日からです。開催日・時間、開催場所の詳細につきましては下記の案内をご覧ください。
お時間がございますれば、是非お立ち寄りいただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。
また、8日は18:00より細やかながらレセプション(参加無料)を用意させていただいております。お知り合いの方々もおられるかと思います。お気楽にご参加下さい。当日、会場でお申込みいただいてもOKです。
尚、私は8日の午後と9日の午前中は会場に詰めておりますのでお声をかけてください。

写真展の案内は下記でも紹介しております。
シリウスHP http://www.photo-sirius.net/schedule/
CAPAカメラネット http://capacamera.net/exhibition/pickup/151008_sirius.html
鉄道ファン・フォトサロン 今月号9/20発売
「船場鉄道フェス」へ行ってきました
奈良の駅名研究家さんからも本掲示板に投稿がありました「船場鉄道フェスティバル」に、どですかでんさんとともに行ってきましたので、手短かですがレポートします。
今年で4回目となるこの催しは、船場地区全体で行なわれる「船場まつり」の一環として、関西の大学の鉄道系サークルが集まって、おもに模型運転会が行なわれるもので、今年は、わが同志社大学鉄道同好会のほか、大阪市立大、大阪産業大、関西大学、関西学院大学の5校が参加して、10月2日から4日まで開催されました。当会は、唯一、初回から欠かさず参加していることを現役の会長から聞かせてもらい、当会の存在力を感じさせました。
会場となったのは、船場センタービルの6号館の2階、普段は空き店舗が続いて人通りもほとんどないスペースが、この日ばかりは家族連れで大賑わいとなりました。私もサラリーマン時代の約30年余り、船場地区にあった会社へ通っていただけに、都心空洞化の進む船場で、休日のシャッター通りが、こんな大賑わいの変身を見せたのは、正直、驚きでした。現役生の皆さんの、日頃の活動の賜物と思いました。
▲会場正面のドカンと貼られた当会の表示、おなじみマイテ運転時のヘッドマークも飾られている。現役生にとっては、生まれるずっと前の伝説のヘッドマークに映るだろう。
▲家族連れで大賑わいの会場、模型はNゲージにプラレール、と言うのが、この時代を象徴している。一角では「青信号」も販売中、最新号は校正ができたところで、冊子はホームカミングデーには出来上がっていとのこと。
広電関連の小冊子刊行
JFEスチール福山製鉄所専用線 再訪
去る9月8日に引き続いて、今朝再訪してみました。もともと不定期運行で日に1往復だけですから空振り覚悟で出かけました。この専用線は撮影場所が限られるので 今回は工場の門を出てくるところを俯瞰撮影しようと 山の上に立つ通信用の鉄塔に続く山道を登りました。撮影に適した場所は1ケ所だけでしたが、工場内のヤードや構内を出てトンネルに向かう築堤、鉄橋が一望でき まずまずのポイントでした。時計を見ると7:30。列車は大体8:00頃の出発の筈ですが、門も閉まっていて 車両の動きもありません。あと30分ぐらいは待ってみることにしました。双眼鏡で見ると、ヤードの向こうの建物の陰にDLが1両停まっているのが見えますが、これが今朝動くDLなのかはわかりません。7:42頃になるとこれとは別のDLがヤードに到着し停まりました。すると先に停まっていたDLが動きだし、空のチキ2両を留置線から出発線に押し出しました。どうも今日は走りそうな気配です。
【特報】総本家青信号特派員氏、ラジオへ進出!
さる筋からの情報ですが、ラジオに出演される様です。
★放送日:9月26日(土曜日)
★放送局:KBS京都ラジオ(周波数:1143KHz)
★番組名:羽川英樹の土曜は旅気分(08:30~12:00)
★ご登場予定枠:11時30分から、約15分間
【注記】
特派員氏の信者の方は斎戒沐浴し、ラヂヲの前に正座して拝聴致しませう。
【お願い】
KBS京都ラジオは、近畿圏でしか聴取出来ません。関東在住の方々から「聞きたい」との希望が出ると思われます。
奇特な方に、同番組の録音を、お願い申し上げる次第です。
現役鉄道同好会のイベント出展について
デジ青ではご無沙汰しておりました奈良の駅名研究家です。
さて、いよいよ本格的に秋シーズンの到来です。秋は現役生にとって多忙な時期となります。今秋も例年同様、あちらこちらの会場で「DRFC」の文字を拝見できると思います。
次回は10月3日(土)・4日(日)の船場鉄道フェステイバルです。ご家族、お知り合い等を連れてぜひご来場ください。
・船場鉄道フェスティバル
実施日:10月3日(土)・4日(日)
場所:船場センタービル 6号館2階(本町駅と堺筋本町駅のちょうど中間に位置しています)
内容:鉄道模型走行展示、青信号(最新号)の予約販売、青信号(バックナンバー)の販売
こちらもご覧ください→同志社大学鉄道同好会公式ホームページ
津山扇形機関車庫が活況
旧津山機関区の扇形庫は現存する扇形庫のなかで梅小路に次いで2番目に収容力が大きい(17線)クラとして 経産省の近代化産業遺産、日本の近代化土木遺産、岡山県の近代化遺産に指定されています。ターンテーブルも現役で使われています。そして庫内に保存されている車両も次々と増えています。今回 更にDD16304が加わったようです。昨日の中国新聞井笠・おかやま版に紹介記事がありました。
JFEスチール福山製鉄所専用線のDL
JR山陽本線東福山駅から分岐してJFEスチール福山製鉄所に至る3.8Kmの専用鉄道があります。この存在は以前から知っていましたが、走行写真を撮ったことがありませんでした。最近になってようやくダイヤが判明したため今朝初めて出かけてみました。但し不定期運行のため 空振りに終わることも覚悟で出かけました。しかし普段の行いが良いせいか、ほぼ予想した時刻に走ってくれて 初めて走行写真を撮影することができました。
東福山駅は1966年(S41)に貨物駅として開業し、1979年(S54)に旅客営業が始まった駅です。広い貨物ヤードの端にこの専用線の3線(到着線、機回し線、出発線)があります。最初にこの出発線を覗くと、レール専用のチキが8両 空車で留置されていましたので、多分今日はこの空チキを取りに来るのではないかと期待感がふくらみました。
本年2月に新聞記事の紹介のかたちでこの専用線のことを紹介しましたが、国内のレール生産は新日鉄八幡とここJFE福山の2ケ所です。全世界でも4ケ所でしか生産されていないそうですから、大半は船積みされて輸出されるのですが国内向けはチキに積んで全国に配送されるようです。この専用線の撮影地点は非常に限られます。製鉄所構内を出るとすぐトンネルに入り、トンネルを抜けるとすぐに鉄橋で国道2号線をオーバークロスし、山陽本線に沿って東福山駅に入って行きます。撮影場所はこの山陽線沿いの直線区間しかありません。事前の情報では製鉄所発7:55 東福山着8:05、戻りは東福山発8:20、製鉄所着8:35と聞いていましたので ワクワクしながら待ちました。7:56に 遠くに見える場内信号機が赤から黄に変わったので、これは来るに違いないと待っていると 単機回送がやってきました。
山崎を走った夏の臨時列車 -5-
波動時の臨時列車
今回までは、夏ならではの海水浴、リゾート行きの臨時列車が中心だったが、シリーズの最後は、夏の波動時の臨時列車を列挙してみよう。昭和末期は、帰省休暇も分散化されておらず、盆を中心にした一極集中の傾向があった時代だから、九州へ向かう臨時夜行列車も多く運転されていた。
▲東海道の老舗急行「銀河」にも、臨時が運転されていた。写真は「銀河83号」、14系座席車をEF65PFが牽いている(平成2年8月)。この時代、首都圏~関西は、夜行バスが台頭し始めていたものの、まだ列車需要が高かった時代で、年によっては、最ピーク時にもう一本運転されて、定期と合わせて3往復体制の時もあった。臨時「銀河」の歴史をたどると昭和45年頃から走り始めているようで、年によっては、品川発着になったり、大阪、京都と行き先が変わったりしながらも、臨時列車としては息長く運転されたが、結局、臨時「銀河」は、定期の廃止より前の平成10年限りで運転を止めている。
江若鉄道の思い出 -高島展- 開催中
今春、大津市歴史博物館で開催された「江若鉄道の思い出」展は好評のうちに幕を閉じましたが、このたび、江若鉄道のもう一つの地元である高島市に会場を移し、「江若鉄道の思い出-高島展-」が、高島市安曇川町の「藤樹の里文化芸術会館」で開かれています。会期はわずか8日間のみ、忘れないよう、ぜひ足を運んでください。
江若鉄道の思い出ー高島展ー
会期 9月5日(土)~13日(日) 9~17時 7日(月)は休館
会場 藤樹の里文化芸術会館(JR湖西線安曇川駅下車、東へ徒歩15分)
今回の展示は、大津市歴史博物館の展示の中から、高島市内の写真を中心に再構成し、さらに新しい写真も追加しています。もちろん西村さんの高島町、白鬚のジオラマも再展示、クローバー会有志は、開催初日の9月5日(土)、見学に向かいました。
▲午前10時前、JR湖西線安曇川駅に集まった7人は、クルマに分乗して会場へ。想像していたより広くて明るい会場、充実した展示に目を見張った。天井も高く、ゆったりした気分で見学することができた。当時、鉄道と言えば江若しかなかった高島市のこと、江若への思いは、さらに強いものがあるだろう。三々五々、来場された方々は、食い入るように写真の一点一点を観覧されていた。さて、新しく展示されたなかで、注目は本会会員の大阪通信員さんの撮影になる「近江今津の風景」だ。全点カラー撮影である点が特徴で、車両の塗色や、駅前に並ぶバスやクルマまでもがカラーでよみがえり、終着駅の雰囲気を伝えている。当時から財を成し贅を尽くされた大阪通信員さんらしい写真展となった。
山崎を走った夏の臨時列車 -4-
「ムーンライト」の数々
「ムーンライト」とは、春・夏・年末年始に運転される臨時夜行快速の愛称である。初めて愛称として使われたのは、国鉄時代、昭和61年の新宿~新潟の団体快速と言われる。その翌年からは「ムーンライト」の愛称で定期の快速列車となり、のちに「ムーンライトえちご」となった。以後、臨時夜行快速の愛称として「ムーンライト」は各地で設定され、とくに京都・大阪から中国、九州、四国へ向かう「ムーンライト」が多数設定された。
平成8年には、“大垣夜行”と呼ばれていた東京~大垣の夜行普通列車に指定席を設けることになり、マルスで列車識別の必要性から「ムーンライトながら」の愛称となった。その後も、中央東線に「ムーンライト信州」、「ムーンライト仙台・ムーンライト東京」などの新しい列車も設定された。
しかし現在では、JR西日本に発着する「ムーンライト」はなく、設定日が年々短縮された「ムーンライトながら」「ムーンライトえちご」が辛うじて走るのみとなり、指定券だけで乗れる青春18きっぷ御用達列車もずいぶん寂しい状況となった。
▲山崎を走った「ムーンライト」の代表、「ムーンライト九州」、EF65PFがリゾート用14系座席車を牽く(平成2年8月)。平成元年の「ふるさとライナー九州」運転がルーツで、翌2年には、京都~博多の「ムーンライト九州」(年末年始のみ「ふるさとライナー九州」で残る)となり、おもに青春18きっぷ有効期間に合わて運転された。客車は14系座席車で、夏のみスキー臨用のシュプール色が使われ、それ以外は14系一般車、波動の大きい年末年始は12系も動員された。平成14年には年末年始も含めて「ムーンライト九州」に統一された。
山崎を走った夏の臨時列車 -3-
短期間で終わったリゾート列車
避暑・登山などの臨時列車「リゾート」は、同じ夏臨の「ビーチ・マリン」に比べると、その歴史は浅い。大阪・京都発で見ると、国鉄時代に避暑・登山の専用臨はなく、JR化以降、昭和63年の白馬・信越方面へ直通列車「リゾート白馬」「リゾート信越」が運転されたのが初めてだった。その後、軽井沢方面へ余剰気味の583系を使用した夜行「シャレー軽井沢」、485系の昼行「スーパー雷鳥 信越」などが運転され、拡大を見せる。平成に入ってからは、平成2年に富山地方鉄道乗り入れの「リゾート立山」「リゾート宇奈月」を新設。「シャレー軽井沢」も二段寝台化されるなど、平成4年度は「リゾート」利用者数が最高の4万人を記録したと言う。しかし、その後の景気減退や阪神大震災の影響もあって、需要の微減が続く。平成7年には、女性専用の寝台車を連結した「リゾート白馬」を新設したが、運転直前に大糸線が豪雨で不通になり、一回も運転されないまま全面運休になる不運も重なった。結局、平成10年までに、JR西日本の「リゾート」はほぼ消滅してしまった。
▲定期の特急「スーパー雷鳥(サンダーバード)1号」を夏季に区間延長してリゾート地へ向かう臨時列車を運転した。これは、クロ481-2001先頭の「スーパー雷鳥 立山・信越(サンダーバード)」と長ったらしい愛称。平成元年の「スーパー雷鳥 信越(サンダーバード)」が始まりで、富山行きの「スーパー雷鳥(サンダーバード)1号」を延長運転する形で、信越線経由の長野行きとして運転された。この撮影時の平成4年には、付属編成を富山地方鉄道乗り入れの立山行き「スーパー雷鳥 立山(サンダーバード)」として運転・併結したため、この愛称の誕生となった(平成4年8月)。









