津山扇形機関車庫が活況

旧津山機関区の扇形庫は現存する扇形庫のなかで梅小路に次いで2番目に収容力が大きい(17線)クラとして 経産省の近代化産業遺産、日本の近代化土木遺産、岡山県の近代化遺産に指定されています。ターンテーブルも現役で使われています。そして庫内に保存されている車両も次々と増えています。今回 更にDD16304が加わったようです。昨日の中国新聞井笠・おかやま版に紹介記事がありました。

H27-9-8 中国新聞

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JFEスチール福山製鉄所専用線のDL

JR山陽本線東福山駅から分岐してJFEスチール福山製鉄所に至る3.8Kmの専用鉄道があります。この存在は以前から知っていましたが、走行写真を撮ったことがありませんでした。最近になってようやくダイヤが判明したため今朝初めて出かけてみました。但し不定期運行のため 空振りに終わることも覚悟で出かけました。しかし普段の行いが良いせいか、ほぼ予想した時刻に走ってくれて 初めて走行写真を撮影することができました。

東福山駅は1966年(S41)に貨物駅として開業し、1979年(S54)に旅客営業が始まった駅です。広い貨物ヤードの端にこの専用線の3線(到着線、機回し線、出発線)があります。最初にこの出発線を覗くと、レール専用のチキが8両 空車で留置されていましたので、多分今日はこの空チキを取りに来るのではないかと期待感がふくらみました。

本年2月に新聞記事の紹介のかたちでこの専用線のことを紹介しましたが、国内のレール生産は新日鉄八幡とここJFE福山の2ケ所です。全世界でも4ケ所でしか生産されていないそうですから、大半は船積みされて輸出されるのですが国内向けはチキに積んで全国に配送されるようです。この専用線の撮影地点は非常に限られます。製鉄所構内を出るとすぐトンネルに入り、トンネルを抜けるとすぐに鉄橋で国道2号線をオーバークロスし、山陽本線に沿って東福山駅に入って行きます。撮影場所はこの山陽線沿いの直線区間しかありません。事前の情報では製鉄所発7:55 東福山着8:05、戻りは東福山発8:20、製鉄所着8:35と聞いていましたので ワクワクしながら待ちました。7:56に 遠くに見える場内信号機が赤から黄に変わったので、これは来るに違いないと待っていると 単機回送がやってきました。

国道2号線を越えてやってきた単機回送DD401

国道2号線を越えてやってきた単機回送DD401

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 山崎を走った夏の臨時列車 -5-

波動時の臨時列車

今回までは、夏ならではの海水浴、リゾート行きの臨時列車が中心だったが、シリーズの最後は、夏の波動時の臨時列車を列挙してみよう。昭和末期は、帰省休暇も分散化されておらず、盆を中心にした一極集中の傾向があった時代だから、九州へ向かう臨時夜行列車も多く運転されていた。

臨時列車 (12)銀河83H2東海道の老舗急行「銀河」にも、臨時が運転されていた。写真は「銀河83号」、14系座席車をEF65PFが牽いている(平成2年8月)。この時代、首都圏~関西は、夜行バスが台頭し始めていたものの、まだ列車需要が高かった時代で、年によっては、最ピーク時にもう一本運転されて、定期と合わせて3往復体制の時もあった。臨時「銀河」の歴史をたどると昭和45年頃から走り始めているようで、年によっては、品川発着になったり、大阪、京都と行き先が変わったりしながらも、臨時列車としては息長く運転されたが、結局、臨時「銀河」は、定期の廃止より前の平成10年限りで運転を止めている。

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 江若鉄道の思い出 -高島展- 開催中 

今春、大津市歴史博物館で開催された「江若鉄道の思い出」展は好評のうちに幕を閉じましたが、このたび、江若鉄道のもう一つの地元である高島市に会場を移し、「江若鉄道の思い出-高島展-」が、高島市安曇川町の「藤樹の里文化芸術会館」で開かれています。会期はわずか8日間のみ、忘れないよう、ぜひ足を運んでください。

江若鉄道の思い出ー高島展ー
   会期 9月5日(土)~13日(日) 9~17時 7日(月)は休館
   会場 藤樹の里文化芸術会館(JR湖西線安曇川駅下車、東へ徒歩15分)

今回の展示は、大津市歴史博物館の展示の中から、高島市内の写真を中心に再構成し、さらに新しい写真も追加しています。もちろん西村さんの高島町、白鬚のジオラマも再展示、クローバー会有志は、開催初日の9月5日(土)、見学に向かいました。
sP1090894 sP1090871午前10時前、JR湖西線安曇川駅に集まった7人は、クルマに分乗して会場へ。想像していたより広くて明るい会場、充実した展示に目を見張った。天井も高く、ゆったりした気分で見学することができた。当時、鉄道と言えば江若しかなかった高島市のこと、江若への思いは、さらに強いものがあるだろう。三々五々、来場された方々は、食い入るように写真の一点一点を観覧されていた。さて、新しく展示されたなかで、注目は本会会員の大阪通信員さんの撮影になる「近江今津の風景」だ。全点カラー撮影である点が特徴で、車両の塗色や、駅前に並ぶバスやクルマまでもがカラーでよみがえり、終着駅の雰囲気を伝えている。当時から財を成し贅を尽くされた大阪通信員さんらしい写真展となった。

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 山崎を走った夏の臨時列車 -4-

「ムーンライト」の数々

「ムーンライト」とは、春・夏・年末年始に運転される臨時夜行快速の愛称である。初めて愛称として使われたのは、国鉄時代、昭和61年の新宿~新潟の団体快速と言われる。その翌年からは「ムーンライト」の愛称で定期の快速列車となり、のちに「ムーンライトえちご」となった。以後、臨時夜行快速の愛称として「ムーンライト」は各地で設定され、とくに京都・大阪から中国、九州、四国へ向かう「ムーンライト」が多数設定された。
平成8年には、“大垣夜行”と呼ばれていた東京~大垣の夜行普通列車に指定席を設けることになり、マルスで列車識別の必要性から「ムーンライトながら」の愛称となった。その後も、中央東線に「ムーンライト信州」、「ムーンライト仙台・ムーンライト東京」などの新しい列車も設定された。
しかし現在では、JR西日本に発着する「ムーンライト」はなく、設定日が年々短縮された「ムーンライトながら」「ムーンライトえちご」が辛うじて走るのみとなり、指定券だけで乗れる青春18きっぷ御用達列車もずいぶん寂しい状況となった。臨時列車 (7)ムーン九州H2山崎を走った「ムーンライト」の代表、「ムーンライト九州」、EF65PFがリゾート用14系座席車を牽く(平成2年8月)。平成元年の「ふるさとライナー九州」運転がルーツで、翌2年には、京都~博多の「ムーンライト九州」(年末年始のみ「ふるさとライナー九州」で残る)となり、おもに青春18きっぷ有効期間に合わて運転された。客車は14系座席車で、夏のみスキー臨用のシュプール色が使われ、それ以外は14系一般車、波動の大きい年末年始は12系も動員された。平成14年には年末年始も含めて「ムーンライト九州」に統一された。

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 山崎を走った夏の臨時列車 -3-

短期間で終わったリゾート列車

避暑・登山などの臨時列車「リゾート」は、同じ夏臨の「ビーチ・マリン」に比べると、その歴史は浅い。大阪・京都発で見ると、国鉄時代に避暑・登山の専用臨はなく、JR化以降、昭和63年の白馬・信越方面へ直通列車「リゾート白馬」「リゾート信越」が運転されたのが初めてだった。その後、軽井沢方面へ余剰気味の583系を使用した夜行「シャレー軽井沢」、485系の昼行「スーパー雷鳥 信越」などが運転され、拡大を見せる。平成に入ってからは、平成2年に富山地方鉄道乗り入れの「リゾート立山」「リゾート宇奈月」を新設。「シャレー軽井沢」も二段寝台化されるなど、平成4年度は「リゾート」利用者数が最高の4万人を記録したと言う。しかし、その後の景気減退や阪神大震災の影響もあって、需要の微減が続く。平成7年には、女性専用の寝台車を連結した「リゾート白馬」を新設したが、運転直前に大糸線が豪雨で不通になり、一回も運転されないまま全面運休になる不運も重なった。結局、平成10年までに、JR西日本の「リゾート」はほぼ消滅してしまった。臨時列車 (19)スパ雷・立山・信越

定期の特急「スーパー雷鳥(サンダーバード)1号」を夏季に区間延長してリゾート地へ向かう臨時列車を運転した。これは、クロ481-2001先頭の「スーパー雷鳥 立山・信越(サンダーバード)」と長ったらしい愛称。平成元年の「スーパー雷鳥 信越(サンダーバード)」が始まりで、富山行きの「スーパー雷鳥(サンダーバード)1号」を延長運転する形で、信越線経由の長野行きとして運転された。この撮影時の平成4年には、付属編成を富山地方鉄道乗り入れの立山行き「スーパー雷鳥 立山(サンダーバード)」として運転・併結したため、この愛称の誕生となった(平成4年8月)。

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 山崎を走った夏の臨時列車 -2-

その後の海水浴臨時列車

山崎を走る海水浴列車は、平成2年(1990年)に顔ぶれが変わる。まず海水浴臨の愛称が「ビーチ」から「マリン」に変更された。また、JR西日本の年史によれば、その前年、鉄道本部に企画推進部が設置され、鉄道営業機能の拡充を図ることになった。同年開催の「花と緑の博覧会」も控え、臨時列車も目的別にターゲットを絞り、旅行需要の発掘をめざした。新たに南紀方面に「マリンくろしお」や近郊地の「サマーびわ湖」なども新設されている。経路なども見直し、若狭方面へは従来の綾部・西舞鶴経由に加えて、今までにはなかった湖西線・敦賀経由の列車も新設された。なおJR西日本では、これら臨時列車を「営業施策列車」と呼び、その内訳は「シュプール」「ビーチ・マリン」「リゾート」「味めぐり」「ホリデー」に分けられている。臨時列車 (20)マリン若狭H4「マリン」に変更された海水浴列車、その代表が「マリン若狭」、平成2年から大阪発で、湖西線・敦賀経由の小浜行きの臨時急行として設定され、初めて181系DCが使われた。同じ地域を走る特急「あさしお」もまだ181系であり、特急と同じ設備の臨時急行であった(平成4年8月)。

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 山崎を走った夏の臨時列車 -1-

先日の掲示板で山科を走った昭和40年の臨時列車を掲載しましたが、臨時列車の運転期間などを調べるにつれ、その記録が少ないことを痛感しました。昭和の時代、年末年始、夏季を中心に、多くの臨時の優等列車が運転され、定期列車には見られない趣味的にも興味深いものがありました。定期列車なら「列車名事典」「特急・急行のすべて」と言った書籍も出ていますが、臨時列車を扱った書籍は見たことがありません。列車研究の基礎となる時刻表においても、特発的な臨時などは支社・管理局単位で設定したりして、記載されていないものもあり、また私の場合、時刻表の保存は改正号に限定し、夏季旅行に使った時刻表は廃棄するのが通例で、ほとんど保存号がなく自ら調べる手掛かりもありません。
1980年代、居住地の近くの東海道線神足(当時)~山崎にも、この季節、多くの臨時列車が運転されて、よく撮影に行きました。時間帯が集中しているため、自転車でパッと行って、パッと帰ってくるパターンでした。地元を走った臨時列車は、地元の人間が記録しなければと思った次第です。夏の臨時列車(急行・快速)に限定して、断片的ですが、まとめてみました。
海水浴場へ向かう臨時列車
昭和40年代前半、若狭・丹後の日本海側の海水浴場へ向かう臨時列車は、すべて京都始発だった。そこへ大阪始発が加わったのは昭和42年から運転を開始した急行「わかさビーチ」である。当初はDCで、京都経由で小浜まで運転された。大阪湾岸の海水浴場が汚染で次つぎ閉鎖されたのと時を同じくしている。
続いて、大阪始発で日本海側海水浴場行きとして設定されたのが「丹後ビーチ」だった。この愛称は、もともと京都始発のDC急行として昭和43年に設定されたが、昭和49年から大阪発播但線経由の臨時となり、車両も12系客車に変更される。さらに東海道線・京都経由となり、山崎でも見られることになった(変更年不明)。
臨時列車 (4)丹後ビーチS59EF65PFが12系客車8両を牽く大阪発天橋立行き臨時急行「丹後ビーチ」(昭和59年8月)。天王山を望む、小泉川橋梁付近は、撮影スペースもあって、お気に入りの場所だった。現在は厳重な柵があって、立ち入りはできない。

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 丸善と京都市電

京都・河原町に書店の丸善が約10年ぶりに戻ってきました。「京都本店」と称するように丸善の旗艦店として、京都で最大級の書店デビューとなりました。先ごろ、乙訓老人にいただいた故・羽村宏さんの写真のなかから、かつての丸善が写り込んだ貴重な写真が出てきましたので、本日はそのご披露としましょう。
河原町蛸薬師「河原町蛸薬師」の前を行く京都市電。昭和30年夏の撮影と思われる。右手に見えるのが当時の丸善だ。京都における丸善の歴史は、明治5年に三条通で開店、梶井基次郎の小説「檸檬」で有名になったが、店は昭和15年に河原町蛸薬師に移転した。私もこの写真を見て、小さい頃の思い出が蘇ってきた。丸善の扱っていたのは、洋装品が中心で、書籍は洋書が多く、子どもは近づき難かった店だった。その後、昭和42年に6階建て、平成5年に8階建てを新築するが、平成17年に閉店してしまった。今回は、そこからやや北へ行った京都BALビルへ移転してオープンとなった。この写真は、京都市電の記録としても貴重で、900形907号はまだポール集電、昭和30年3月に901~915がデビューしているが、京都市電のビューゲル完了が同年末で、900形のポール時代はほんの数ヵ月の短い期間だった。後期の916~935は最初からビューゲルだった。そして河原町蛸薬師の電停、これは昭和38年に廃止されている。電停看板をも写し込んだ貴重な記録だ。

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 デジカメで遊んでみる -2-

車両を写してみた

デジカメの「ジオラマ」モード(または「ミニュチア」モード)は、画面に鉄道車両を入れることによって、さらに模型的、ジオラマ的に感じられます。今回は、車両を入れた「ジオラマ」モード撮影の一例を。 1332syo  “模型的”に見せる格好の車両は、やはり新幹線だろう。京都タワーの展望台から、京都駅を発車して鴨川に掛かるところを狙ってみた。ちょうど奈良線を越し、東海道線とも高低がある。車両の周囲により立体的に見える場所を選ぶのが、「ジオラマ」モード撮影のコツのようだ。

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 デジカメで遊んでみる -1-

駅を撮ってみた

最近のデジカメ機能の多様化には驚く限りです。キレイに撮るだけの基本性能は、とうに完成の域に達して、各社いかに独自の付加価値を加えるかに腐心しているようです。この付加価値、単なる“お遊び”では片付けられない興味深いものがあります。ここに採り上げる「ジオラマ」モード、または「ミニュチア」モードもそのひとつです。中央部だけピントを合わせて、周辺部はウンとボケを利かせ、実際の風景を、あたかもジオラマを撮ったような雰囲気に仕上げてくれます。以前は、撮った画像を、レタッチソフトで修整する必要があり、かなりの技量が求められましたが、いまはモードボタンひとつで簡単に撮れるようになりました。鉄道を撮ると、まさに9mmやHOのレイアウトを見る思いがします。P1060058syoトワイライトタイムの東京駅、東京中央郵便局を再生したKITTEの屋上庭園から、ライトアップされた丸の内南口を撮ってみた。復原されたドームを画面に入れて、駅前広場をボカした。自動車のライト、周囲のビルもぼかして、ジオラマの夜景風に仕上げた。

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「さよなら梅小路」に寄せて

総本家青信号特派員氏が梅小路蒸気機関車館の閉館について紹介して頂きました。開館が昭和47年10月10日ですから あれから43年が経とうとしています。特派員氏は社会人1年生、私はDRFC5年生の時でした。実は梅小路の開館には我がDRFCもひと役かっています。と言うのも当時のDRFCには数名の女性会員(今でこそ鉄子と言われますが、DRFCは時代を先取りしていた?!)がいました。どういうルートで話が来たのか判りませんが、開館前日の10月9日には竣工記念セレモニーが行われたようで、そのセレモニーで2名の女性会員が和服姿でテープカットや花束贈呈を行ったのです。そして記念品やパンフレットを頂いています。それらの品は我が家のちょっとした家宝となっていますので ご紹介します。ただ残念ながら当日のスナップ写真等は残っていません。

C57の動輪を模した開館記念品

C57の動輪を模した落成記念品  日付は開館前日の10月9日になっている

 

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 宇治へ「おとぎ電車」展を見に行く

今日は、つぎのイベントの打合せを京都駅前のホテルで行なったあと、懇意にしていただいている方から紹介された「おとぎ電車」のミニ写真展の見学に、JR宇治駅近くのサイトー写真館へ行ってきました。「おとぎ電車」は、京阪宇治駅から宇治川を2キロほど上流を起点にした延長3キロほどの610mm路線で、もとは工事用軌道でした。ダムの完成によって不要となり観光用に転換したのが昭和25年で、天ケ瀬駅から宇治川右岸を上流へ、途中に信号所をはさんで、終点、堰堤駅までの20分の乗車でした。しかし天ケ瀬ダムの建設工事が始まり、昭和35年5月限りで姿を消してしまいました。写真展では、高橋弘さん撮影の写真を中心に、地元の方が撮られた貴重な写真も交え、コンパクトながらも、地元ならではの見応えのある内容です。

ほとんど撮られていない「おとぎ電車」ですが、私がまだ仕事中に、ある外国人カメラマンの写真集の仕事をした時、コダクロームで撮られた鮮明なカラーを見た時の感動は忘れられません。また「青信号」に、どですかでんさんが書かれた「おとぎ電車」の記事がもとになって、「レイル」誌上でその全貌が解き明かされたのも、クローバー会員にとっては、忘れられない一件となっています。
1359syo宇治の老舗写真展で開かれている「おとぎ電車」展。貴重な写真が並ぶが、私としては、天ケ瀬ダムが工事中の際に撮られた写真の中に、はっきりと廃線跡が分かる小道が見られるのは初めての写真だ。いまでは廃線跡はほぼダムに沈んでいるため、貴重な写真だ。8月25日まで開催。

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 さよなら梅小路

150814_066syo_edited-1    ▲ラウンドハウスに掲げられた「梅小路蒸気機関車館」の表示も今月限り。
梅小路蒸気機関車館が、今月末で終了することになりました。しばらく休館のあと、施設や保存車両は、来年春にオープンする京都鉄道博物館に引き継がれますが、「梅小路」の名を冠しての営業は、あと10日あまりとなり、「さよなら梅小路」のイベントが行なわれています。昭和47年の開館以来、何度も訪れた館ですが、13日からはイベントのひとつ、蒸機の頭出しが行なわれており、たまたま来京された出版社のOさんと一緒に訪れて、最後の梅小路を感じ取ってきました。
150814_039syo頭出しのなかで、いちばん注目はC62の並びだろう。あのC62の1号機、2号機が顔を揃えた。生まれは同じものの、その後は、両機とも有為転変の人生を重ね、再び梅小路で顔を合わせた。京都鉄道博物館には、あと交通科学館から来たC6226も、博物館のプロムナードに置かれる。C62が3機も揃うと言う、なんとも贅沢な博物館だ。

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見学会&廃線巡り&大宴会 酷暑のなか行なわれる

夏真っ盛りの京都、最高気温38.5度を記録した8月1日、クローバー会の公式行事として、「電車王国」見学会、京津線廃線跡巡り、そして大宴会、と豪華3本立ての催しが行なわれました。その一端を手短に特派員レポートとします。

京都市岡崎のみやこめっせで行なわれている「電車王国」という大仰なネーミングの催し、タネを明かせば、乳幼児向けのNゲージやプラレールの運転ですが、その末席を当特派員制作の京都市電の写真展でお口直しをすることになりました。わざわざ来ていただくほどの値打ちはないものの、マルーン会長や86事務局長さんの肝いりで、公式行事として扱っていただくことになりました。15時、会場前に集まったのは16人、「視察」名目で入場料600円のところ、特別入場口から無料入場を果たすことができました。
P1090397s京都市電の写真展を見学をする面々、乳幼児とその親ばかりの会場に、突如、全員60歳以上の老齢者集団が会場に乱入したものだから、最初は、会場全体が凍りついたような雰囲気が漂ったが、そこは、すぐに溶け込めるクローバー会員、和やかななかにも、真摯な姿で写真展を見学をしていた。
約45分の見学ののち、次は近くの京津線廃線巡りに出発しました。もちろん廃線と言っても、地下化による地上線ではなく、開業時の迂回ルートの旧線を指しているところが、老練者集団らしいところ。東山三条東の古川町から出発しますが、もちろん現在では、ほとんどが宅地化されて痕跡らしいものはなく、道路を歩きながら、家の向きの違いを見つけては大喜びするという、まるで怪しい集団と化しましたが、一般市民からは通報されることもなく、炎天化の道を2キロ近く走破し、無事、ゴールの蹴上に到着しました。老人ばかりが炎天化を徘徊すれば、一人や二人の熱中症患者が出てもおかしくない状況でしたが、全員元気に到着できたのは何よりでした。そのあとは、競うようにして、一番の目的である宴会場へと向かい、ギンギンに冷えたビールで乾杯して、3本立ての締めくくりとなりました。

広島の暑い夏

旧塗装に塗り直された653号が広島市内を走っています。RCC中国放送と広電がコラボして実施している「被爆電車特別運行プロジェクト」として8月30日までの土曜・日曜に広島駅・西広島駅間を2往復運行されています。この電車に乗るには事前申し込みが必要ですが、1往復あたり定員25名と少なく、明日以降あと10回運行されますが、すべて売り切れです。30日の中国新聞に関連記事がありました。

H27-7-30 中国新聞

H27-7-30 中国新聞

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続 「勝手にPR また京都市電展やってます」

季節は巡って暑い夏になっても、相変わらずの無投稿状態が続いています。言い訳ばかりですが、一つのプロジェクトが終わっても、まだ余波が尾を引いて、なかなか本来の活動状態に戻れないのです。最近も、その余波の続編があって、また京都市電ネタの写真展の依頼を受け、準備作業に追われていました。「京都市電で何杯メシを食うんや」の声が聞こえてきそうですが、“頼まれごとは断らない”を信条とする身とあれば、逃げる訳には行きません。この場を借りて、みずからご案内、ご報告する次第です。P1100932syo

開場3日目にして「5000人目の入場で~す」のアナウンスが響き渡った会場。全体で2万人の入場目標とか。本日は、京都市主催のイベントもあって、とくに多かったようだ。折りから来訪した京都市長も「ようけ入ってますな~」とご満悦だった。

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広電3両がミャンマーへ

地元のテレビニュースでも紹介され、今朝の中国新聞にも記事が載りましたので ご紹介します。

H27-7-14 中国新聞朝刊

H27-7-14 中国新聞朝刊

ミャンマー国鉄の入札条件に合致した車両は昭和25年製の旧大阪市電1831の772号、昭和38年製の旧西鉄1101,1201の3005号、3006号の3両です。車齢65年にもなる後期高齢車が第三の職場を得てもうひとがんばりするということですから、同年代の我々もがんばらねばなりませんね。鉄道車両は大事に使えば寿命は長く、まだまだ役に立つという証しです。うれしい限りです。これらの車両が走る路線は既存の路線ではなく、これから工事が始まる新線のようです。すでに神戸港への搬出が始まっていて、もう広島市内を走る姿を見ることはできません。少々古い写真ですが、近影をご紹介いたします。

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DRFC現役生 週末は西大路にて

DRFC現役生では、今年も多くの新入会員に恵まれています。女性会員や留学生も在籍しているようで、今後もますます盛り上がっていきそうです。

私自身は仕事の都合上、DRFC現役生と関わりを持つ機会が減りましたが、長期休暇中は積極的に会場へ足を運び、応援したいと思っています。

さて、現役生ですが6月27日(土)、28日(日)の2日間、ホビースクエア京都の「第7回レールエキスポ」に出展するとのことです。
お手透きの方は、ぜひ現役生を励ましにいって頂きたいと願っています。

以下の公式ホームページをご覧ください。
同志社大学鉄道同好会公式ホームページ

福鹽南線に新鋭電車登場

先に昭和8年の新聞記事をご紹介しましたが、今回は昭和10年即ち80年前のローカル紙の話題です。現在のJR福塩線のうち福山・府中間は762mmの電化された両備軽便鉄道でした。また福山・横尾間は現在のルートとは全く違っていました。昭和10年には国有化、改軌と福山・横尾間のルート変更が行われたのですが、これに伴い 地元にとっては初めての大型電車が登場したのです。両備は電化されていたとは言え、小さな電気機関車が客車を牽くスタイルだったため、自走する「電車」が新鮮だったのでしょう。

昭和10年10月20日 中国新聞備南版

昭和10年10月20日 中国新聞備南版

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