昔も今も 紅葉は叡電で ③ 

リューアルされた723を初めて撮る

紅葉の季節も終わってしまいましたが、叡電紅葉シリーズの残りを続けます。叡電700系と呼ばれるデオ710、720、730形は、在来車の下回りを流用して1987年から造られましたが、その後、台車・駆動装置を京阪の廃車発生部品などを流用して一新され、空気バネ台車、カルダン駆動に改造されましたが、建造後30年以上が経過したため、車体そのものもリニューアルされています。その代表が、観光電車の「ひえい」723であり、ほかにも、722号が“沿線の神社仏閣をイメージした”赤系統のカラーリングとなり、車内設備も一新されました。このたび、沿線の“水が豊かで山紫水明の地である洛北の自然を表現した”青系統のカラーリングに塗られて、リニューアルした723号が走り始めています。

10月18日から走り始めたリニューアル723号、「ひえい」のようなインパクトは無いが、落ち着いた京都に相応しい改造車となった。三宅八幡~八瀬比叡山口 

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現役生の写真展やってます

DRFC現役生の写真展が、ネット上で行われています。どうぞ皆さま、下記のURLをクリックし、お気に入りの写真を選んであげてください。投票締め切りは29日(日)です↓

写真展特設ページ – 同志社大学鉄道同好会 (jimdofree.com)

また、同志社EVE用に作成した会のPR動画がYouTubeに公開されているようです。とても良い出来ですので、こちらも併せてご覧ください↓

【D-Tube】鉄道同好会 – YouTube

「ひろでんの日2020」

11月23日 広島電鉄千田町車庫でイベントが開催されました。100名の事前申し込みだったため、当たらないだろうと申込みせずにいたのですが、156号や101号が走るとは想定していなかったので、尾道へエトセトラを撮りに行ってしまいました。特に156号は江波車庫の一番奥に保存されており、以前は一言声をかければ入れてくれた車庫も、最近はシャットアウトです。江波から千田町を往復するとわかっていたら、広島に行ったのにと悔やまれます。11月24日の中国新聞記事です。

令和2年11月24日 中国新聞朝刊

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飽きもせずに「エトセトラ」

馬鹿のひとつ覚えのように「エトセトラ」でお邪魔します。GoToトラベルの後押しもあってか、運転日は団体ツアー客で予約が埋まり、なかなか個人客が指定券をゲットしにくいという話も聞いています。まだ広島・呉方面への遠出はせずに、三原近辺だけで、新たなアングルを探しながら、撮影を続けています。下手な近作をご紹介します。

令和2年11月9日 呉線安芸幸崎・須波間にて 上りエトセトラ

国道185号線との並走区間で、特に大型トラックやバスに並走されると台無しになるのですが、この日は幸いにも邪魔が入りませんでした。遠くに見える造船所は、安芸幸崎にある今治造船広島工場です。

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貝塚公園に展示の20系

九州からまたまた小ネタで失礼します。福岡市東区の貝塚公園に20系客車が展示されています。すぐ近くに住む小学生が荒れ果てた車両の保存に向けてクラウドファンディングを立ち上げ、地元では話題になりました。

ここ貝塚公園は西鉄市内線の貝塚線(現在は地下鉄貝塚線)と西鉄宮地嶽線(現貝塚線)の接続駅貝塚駅からすぐのところ。その昔は競輪場で貝塚駅も競輪場前と呼ばれていました。少年は門司港~西鹿児島の急行かいもんに想いを馳せていたようですが、私は昭和44年博多~東京、上りのあさかぜに父親と乗車してからの想いです。食堂車で朝定食が500円、その中にオートミールなるものを食べたことが印象に残っています。

96も展示されていますが、こちらの説明はありません。間近で見ると塗装が剥げ落ち痛々しさが感じられました。門司港の九州鉄道記念館に移せればと思うのですが記念館自体の経営も逼迫している最中、それも叶わないな・・・と感じました。

 

 三日間の写真展 ご来場ありがとうございました。

たった三日間の写真展が終わってから、三日間以上も経ってしまい、報告するのも気が引けるのですが、 “ヒマを持て余して困っている方だけ限定”と本欄でご案内した京都市電写真展、多くのクローバー会員の皆さん、またいつもコメントをいただくサポーターの皆さんに来場していただきました。改めて、御礼を申し上げます。

繁華街の裏通りの極小スペース、ふだんなら5、6人でも多いぐらいのスペースに、一時は十数人にご来場いただき、“密”どころではない、超過密な状態で見ていただいた。今回はテーマを絞り「秋、そして冬へ。」として、この季節に似合うシーンで構成、従来展示の流用もあったが、約半数は新規プリントして入れ替えた。

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 三日間だけ 京都市電写真展 またやります

「またか!」と思われるでしょう。はい、またやります京都市電写真展。ある筋から急に依頼があり、「頼まれ事は断わらない、最大限やってみる」を、老齢テーマに掲げている手前、必死になって準備し、何とか設営を終えました。会期はたった三日間、今日始まって、明後日にもう終わります。急なお知らせです。決して無理な強制はしませんよ。ヒマを持て余して困っておられる方だけに、そっとお知らせしておきます。

京都市電写真展「秋、そして冬へ~四季をめぐる京都市電~」

11月13日(金)~15日(日)11:00~18:00

会場「高瀬川・四季AIR」京都市下京区西木屋町通仏光寺下る天満町456-27(阪急京都河原町駅から南へ徒歩5分、高瀬川の西側に沿う細い道路が西木屋町通です。)

勘秀峰さんが、祖父、父、本人の三代に渡って収集された、京都市電の戦前からの乗車券、記念乗車券、乗換券なども展示されます。たいへん狭い会場ですが、感染症対策は十分に施したうえで実施します。どうぞ安心してお越しください。

「高瀬川・四季AIR」 昔は炭問屋をしていたと言う西木屋町通の京町家、画廊オーナーが古民家の再生をされている方と出会い、ギャラリー兼文化教室の会場になった。「高瀬川ききみる新聞」という地域の文化情報紙も発行されている。

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京阪800形オリジナル塗装色終了

京阪京津線を走っていた800形の水色オリジナル塗装色が昨日ラストランとなりました。2017年から京阪本線と塗装色を合わせるということで塗り替えが始まり、2020年度末までに完了の予定でした。まだ年度末には少し時間がありますが、昨日がラストランだったとの記事が、今朝の読売新聞滋賀版に載っていました。京都市営地下鉄東西線に乗り入れるために新造された京阪800形は琵琶湖をイメージした水色で、本線とは全く異なるコンセプトの色で親しまれてきました。本線色もだいぶんなじんできましたが、やはり、前の色の方が好きですね。大津線は本線とつながっておらず、独立しているということで、独自の色でも良かったのではと思いますが、少々残念です。600形の旧塗装色も残り少なくなりました。今のうちにカメラにお納めください。オリジナル塗装800形の思い出の写真を並べてみました。 続きを読む

DRFCクローバー会第6回定期総会ご報告

本日DRFCクローバー会第6回定期総会が開催されました。
コロナ感染の影響で、今年の2月から予定していたほとんどの行事が中止になりました。同志社大学ホームカミングデーも中止となり、例年それに合わせて行っていた集会も開催が危ぶまれましたが、今年は3年に一度の総会の年でもあり、学外に会場を借りて何とか開催することができました。
遠く関東方面から来られた3名の方を含め33名の出席のもと、提案された4つの議案が賛成多数で承認されました。また、この総会で6年間務められた会長が退任され、新会長と新しく4人の役員が就任しました。総会の議事録については今月末発行予定の会報第3号をご覧ください。
例年なら、この後懇親会が行われるところ、今回はやむなく中止となり、何か物足りない気分のまま、来年はいつものように学内での開催と、懇親会ができることを願って家路につきました。

↑ 例年の学内教室が使えなかったため、会場を京都駅前キャンパスプラザ京都に移して開催されました。 続きを読む

(続)エトセトラ

運転日が増えたことと、運転経路が変更されたため、更には下り列車は平日と休日で約1時間ずれたダイヤになったことから、撮影場所の選択肢が増えて 急に忙しくなりました。近作をご紹介します。まずは呉線を行く上り列車から。

令和2年10月30日 忠海駅東方にて

竹原市忠海町は江戸時代のある時期、内陸部の三次藩領の町となり、藩の外港として栄えた町で、藩主が江戸へ参勤交代する際はこの港から瀬戸内海を船で往き来しました。エトセトラが渡っている短い鉄橋は、川ではなく、江戸時代に人工的に掘削して作られた内港の入口で、三呉線の鉄橋が架けられ、船の通行ができなくなるまで町の奥まで大きな帆船が出入りしていました。写真では小さくて見づらいですが、立派な常夜灯が建っており、ここが港の入口であることを示しています。今では、ウサギの島として有名になった大久野島へのフェリー乗り場として賑わっています。

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新快速50年記念講演会

今年は1970年10月に新快速が登場して半世紀となります。それを記念して京都鉄道博物館では特集展示をはじめ、新快速に関するイベントが行われています。その中で今日は講演会が開かれました。二人の方が講演された後、フリートークという構成になっています。「新快速が走り始めたころ113系、153系から117系へ」と題してまず総本家青信号特派員さんが話をされました。スカ色の113系から始まって117系まですべてご自分で撮られた写真をもとにして、ご自分の体験として新快速の50年を振り返るなどとは、さすがとか言いようがありません。続いて鉄道ライター伊原薫さんの「新快速が果たした役割と私の思い出」と題した話がありました。コロナ感染防止のため会場は40人に限定されていて、ホールの外の廊下には1時間も前から並ぶ姿があり、満席の盛況でした。

「エトセトラ」を追いかけて

山陽路の観光列車「エトセトラ」について、運行初日の様子などを3回に分けてご紹介しました。以前の「瀬戸内マリンビュー」時代は土・日・祝の呉線往復でしたが、「エトセトラ」に変身してからは、月・金も加わった上に尾道・宮島口間と運転区間も拡がり、上り・下りのルートも変わったので、撮影地点の幅が増えて、運転日は急に忙しくなりました。まずは呉線のシーンから。

令和2年10月23日 上り尾道行き 三原市 呉線沼田川橋梁にて

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etSETOraの続報

キハ47の「瀬戸内マリンビュー」からキロ47の「エトセトラ」に生まれ変って10日ほどが経ちました。JR西とツアー会社のPRが功を奏しているのか、まずまずのすべり出しのようです。昨日は下り列車を西条駅で待ち受けました。

令和2年10月12日 15:10頃 山陽本線西条駅にて

3番ホームでは駅員が横断幕を用意するなど準備が始まりました。

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ぶんしゅうさんが出展されている写真展を見てきました

大阪天満橋OMMビル1F「リコーイメージングスクウェアー大阪」で開催中の第8回火車撮影家集団写真展「死んでも遺したい私のベストショット」を見てきました。会場に行くとぶんしゅうさんもおられていろいろお話をお聞きしました。毎回出展されているのですが、今回はコロナの影響で当初春に予定されていたものが、この時期に延期となったそうです。また、コロナの事もあるので皆さんにはお知らせしなかったとのことで、当会からの見学者は初めてだと言われていました。
ちょっと過激な題ですが50年前の蒸機の写真から最近のものまで、国内外のすばらしい写真が展示されています。会期は10月12日までです。(10:30~18:30/最終日16:00まで)
お近くに来られた折にでも寄ってみられればいかがでしょうか。

 叡電鞍馬線 不通区間を歩いて見る

本欄でも、2年前の広島豪雨の爪痕が残る山陽本線を行く、観光列車「エトセトラ」のレポートが西村さんからありました。ことし7月にも豪雨があり、肥薩線、久大線などの沿線では、復旧半ばの様子が報道されています。実は、京都でも、この7月の豪雨で不通になったまま、開通の見込みすら立っていない叡電鞍馬線があります。7月8日の早朝、二ノ瀬~貴船口で土砂崩れが発生したもので、復旧作業にも着手できず、現在、鞍馬線は、市原で折返し運転、以降は京都バスによる振替輸送が行われています。現場の様子が気になっていましたが、先日、歩いて現地を訪れることができました。土砂崩れの現場、鞍馬線貴船口から二ノ瀬寄り約400mのところで発生した。(ネットニュースから転載)

このため鞍馬線は市原止まり、市原~二ノ瀬~貴船口~鞍馬は、京都バスによる振替輸送が行われている。市原に到着した電車は、「出町柳」を出して折り返すが、ダイヤに変更はない。 続きを読む

“etSETOra”と”SEA SPICA” 続報

観光列車「エトセトラ」とJRのクルーズ船「シースピカ」の運行初日の様子をご紹介しましたが、特に「エトセトラ」は運転日が増え、ルートも変わったことから、新たな撮影ポイントでの姿をカメラに収めようと、あれこれ思案中です。

令和2年10月4日 本郷・河内間 下畑橋にて 下り「エトセトラ」

10月3日に本郷・河内間で撮りましたが、翌日は更に沼田川(ぬたがわ)をさかのぼった地点で待ち受けました。この辺りは「船木峡」と呼ばれ、沼田川がV字谷を形成している場所です。2年前に広島県を襲った豪雨災害で、この本郷・河内間は何ヶ所も道床流失や土砂崩れが発生し、数ヶ月間不通になっていた区間です。山陰迂回貨物列車が走ったのもその時でした。この下畑橋は軽トラックがかろうじて通れるだけのきゃしゃな橋ですが、橋脚1基と橋桁2連が流され、2年以上が経った今も無残な姿をさらしています。中央の橋脚3基は船の舳先を上流側に向けたような断面をしており、この川が急流であることを示しています。発災日からかなりあとになって、流されてきた乗用車がこの橋脚にひっかっているのが見付かり、中から1人の遺体が発見された場所でもあります。同乗者の遺体は今も見つかっていません。濁流によって瀬戸内海まで流されたのではという話もあります。ここよりもう少し下流側に新しい橋が架けられており、いずれこの下畑橋は姿を消すことになるでしょう。「エトセトラ」の車窓からこの橋の存在に気付いた乗客は何人おられたでしょうか。

さて翌10月5日は「エトセトラ」の平日ダイヤ初日でした。休日ダイヤより約40分あとに設定されています。先に投稿した記事の中で、平日ダイヤでは本郷で「エトセトラ」が中線に退避して普通列車の337Mに追い越されるのではと書いてしまいましたが、私の予想間違いでした。少し早めに本郷駅に着き、職員のいない時間帯なので改札口はフリーパスなのですが、真面目に入場券を買って入場し「エトセトラ」を待つことにしました。予想に反して14:48に勢い良く通過してゆきました。西条発が15:30と公表されていますが、西条の下り線ホームは1線しかなく追い越しはできないので、多分一つ手前の白市で運転停車し、後続の337Mに追い越されるのだろうと前言を訂正します。後日白市へ確認に行ってみようと思っています。

令和2年10月5日 本郷駅を通過する下り「エトセトラ」

次回は糸崎・尾道方面に出かけてみようと思っています。

 

”etSETOra”と”SEA SPICA”

「GO TOトラベル!」の掛け声のもと、コロナのことを忘れたかのように観光キャンペーンが花盛りの昨今です。広島県では「せとうち広島デスティネーションキャンペーン」の一環として、JR西が観光列車”etSETOra”(エトセトラ)と高速クルーザー”SEA SPICA”(シースピカ)を目玉にして、それぞれの運行を開始しました。我が三原市の広報紙10月号の記事をご紹介します。

令和2年10月1日発行 「広報みはら 10月号」より

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「びわこ号色塗装」列車の運行

昨日9月14日より京阪大津線600型(603,604号)が、むかし天満橋-浜大津間を走った「びわこ号」の塗装色に塗られて運行しました。早速撮りに出かけたのですが、所用があったためスマホでの撮影となりました。定番の浜大津交差点には5,6人の同業者がいてカメラを構えています。運用は誰も知らず、仕方なく待つことにしました。まあ短い区間の折り返しですので、浜大津で待っておれば最大1時間待てばやってきます。昨日は幸い2本目でやってきました。写真でしか見たことのないこの色ですが、案外しっくりきます。昨日は1本だけで引き上げ、今日は一眼で撮影しました。

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JR西日本「新快速」50周年、京都鉄道博物館で展示(マイナビニュース)

後ほどご本人から投稿があるかと思いますが、取りあえずマイナビニュースから第一報

新快速が50周年を迎えるにあたり、京都鉄道博物館で歴代の「新快速」車輌やマークなどを展示します。特に期間中、講演でクローバー会の福田静二さんがお話をされるのでぜひともご参加下さい。定員は40名だそうです。

以下、マイナビニュースから引用

京都鉄道博物館は18日、JR西日本の代表的な列車である新快速が今年、運行開始50周年を迎えることを記念し、新快速の歴史と魅力を紹介する展示・講演会・イベント「この秋は新快速で50! ~学んで、遊んで、しんかいそく!~」を9月19日から順次開催すると発表した。

新快速に関連した講演会は、第1弾として10月11日に、新快速(223系など)のデザインを手がけた鉄道車両デザイナーの南井健治氏による「新快速 – 車両デザインの50年」を開催(1日2回)。第2弾は11月1日、同志社大学鉄道同好会クローバー会の福田静二氏による「新快速が走り始めたころ113系、153系から117系へ」、鉄道ライターの伊原薫氏による「新快速が果たした役割と私の思い出」を開催(1日2回)する。講演会はいずれも各回先着40名とのこと。

その他にも、9月19~22日に新快速の車両前面をモチーフにしたハチマキ型サンバイザーのプレゼント(各日先着500枚)、9月19日から11月23日まで新快速の停車駅をテーマにしたオリジナルスタンプラリーが開催される。