デジ青に掲載された写真が、思わぬところで社会に役立っていることは、以前に「伝言板」で“社会に貢献デジ青写真”として、私の仲介例として3回にわたって紹介しました。そのうち2月9日付の①では、埼玉県の大森一史さんが著わされた「参宮線六軒駅構内列車脱線転覆事故 機関車乗務員無実の証明」に、デジ青に掲載された、亀山機関区に裁判証拠物件として置かれていた、湯口徹さん、米手さん撮影の六軒事故機C51の写真(左)が掲載されたことを記しました。その大森さんから先日、一度お会いしたいと連絡があり、新たな調査研究で九州へ行かれ、埼玉へ戻られる途中に京都で下車していただき、本日午前にお会いしてきました。
大森さんは、私と同じ生まれ年の70歳で、東武鉄道東上線の運輸運転部門ひと筋に来られた方です。修学旅行の途中に事故で犠牲になった東京教育大学付属坂戸高校の慰霊碑に、偶然に出会います。事故は、下り快速の前補機C51203の機関士の信号見落としが原因と結審し、機関士は禁固刑に服し、その後亡くなられ、言わば、動かすことのできない過去の歴史に疑念を持ち、事故の真相を究めたいと、事故現場の六軒はじめ、三重県下の各地を実に20回に渡って調査、取材されました。事故の当事者は、ほとんど物故されていて、墓碑銘を調べるため、墓をひとつひとつ調査されたり、事故当時の出発信号の見え方を検証するため、事故と同じ日、同じ時刻に現場に立つなど、たいへんなご苦労をされて、著書をまとめられました。
本日、大森さんにお会いして話を聞くなかで、単に文字で著わすだけでなく、湯口さん、米手さんが撮られた事故機の現役時代や、亀山に置かれていた事故後の写真が、本書の重要な訴求となったと力説されました。デジ青のなかで、お二人の写真を見つけたときは、感動で震えが止まらなかった、この写真で本ができる確信を持ったと言われます。改めて、写真の持つチカラを思うとともに、貴重な写真を投稿してたいただいたお二人に対して、感謝の言葉を申し上げます。