宮崎機関区(1)
また投稿が途絶えてしまいましたが、《区名板》めぐりを再開します。つぎは宮崎区へと行きます。宮崎にも砲金製の区名板を装備したC55・C57がいて、「宮」に相応しい高貴さを漂わせていました。私が初めて訪れたのは昭和42年、この時はC55が幅を利かせていて、臨時急行を牽く姿も見られました。この時は機関区で撮影するだけで、本格的に走行中を駅間で写したのは、その翌年、宮崎にこだわりを持つI原さんと現地で合流し、田野へ向かったものでした。まずは形式別にC55から見ていくことにします。
C55
昭和42年の宮崎区の配置は、C55が14両、C57は4両で、C55の配置区としては、いちばん多く、文字どおり“C55の牙城”でした。仕業は、南延岡~宮崎~鹿児島で、旅客だけでなく、貨物も牽引していました。
▲宮崎区のC55には、流線型改造機が多かった。その特徴は、キャブの出入り口(寒冷地ではないため扉は撤去していた)と、下の“ヒレ”と呼ばれる三角形の突起で、砲金製の区名板とあいまって、宮崎区のC55を印象づけていた。▲雨の田野~門石(信)、清武川橋梁を行くC55の牽く貨物列車(機号不明)。