京都市電北野線に寄せて(1) 車庫跡地「さよなら」展へ

京都市電北野線の北野車庫の跡地に建てられた、京都こども文化会館(愛称エンゼルハウス)が老朽化で閉鎖されることになり、10月18日、地元のきたの商店街による、一日限りのイベントが行われました。いつもお世話になっている、伏見チンチン電車の会の皆さんも、イベントに参加され、1/8のN電模型の運転、ペーパークラフト教室を出展され、私もお邪魔してきました。

昭和36年北野線の廃止によって、北野車庫も廃止され、跡地には、昭和57年に京都こども文化会館が建設されました。コンサートや催事が行われてきましたが、老朽化のため、11月13日限りでの閉館となったものです。イベントを主催された、きたの商店街は、千本中立売通~一条通の約400mに渡り100店舗が並ぶ商店街で、従来から、N電を模した商店街のロゴを作成したり、歩道にはN電の絵を埋め込んだりと、北野線の顕彰に努められてきました。今回の同館の閉鎖に当たり、商店街の柱にはN電当時の写真を飾ったり、商店街のホームページでも多くの写真を公開されています。

昭和36年まで北野線が走っていた中立売通に面した京都こども文化会館、こんな狭いところを、複線でN電が走っていたとは信じられない。 続きを読む

古い絵葉書が・・その2

第1回が思いのほか好評につき、“悪のりその2”をご覧頂きます。

第1回では多くの方が思い出や秘蔵写真を貼って下さり驚くやら嬉しいやら!
撮った写真は人目に見せてこそ価値があります。あなたにとって失敗写真も傷アリ写真もなんとかシンドローム写真も、他人が見れば宝物!この機会にご開帳をお願いします。
また、写真に関する思い出や、関連する豆知識も自慢たらしくひけらかして下さい。必ず会員から賞賛の声が出ます。出なければ私が責任を持って出しますから。

同じ場所で撮った写真や、同じカマの写真があればぜひともお見せ下さい。

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古い絵葉書が・・その1

本棚を掃除していると古い絵葉書が出てきました。
眺めているといたずら心が沸いてきて、これを使って場所当てクイズを思いつきました。
古いと言っても「鉄道百年記念写真集」ですから1973年頃の発行です。撮影は石橋康一氏・植松宏嘉氏で、一つは「力闘」、もう一つは「蒸気機関車」です。出版は横浜のFUKUDA CARDです。

では、質問です。撮影場所をお答え下さい。さらにこの機関車、線区その他知っているウンチクをお書き下さい。

デジ青をご覧の方には簡単すぎますが、一般の方に販売する絵葉書ですからやむを得ません。従ってお答えには当時の思い出でも、この機関車に関わる事でも、同じ番号の機関車の写真をお持ちなら貼って下さい。
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 そろり、ゆっくり、活動再開  【3】

夕景求めて 近くでチョイ撮り 京都編(1)

「そろり、ゆっくり」投稿再開します。その後も魅力的な激安切符が各社から続々と発売され、食指が動かされます。ただ、なかなか遠出する気は起こらず、相変わらず、近隣の外出に留まっています。気に入った撮影地で、季節、時間帯を変えて撮り、その変化を感じ取りたい。これこそ鉄道写真の魅力と思うようになり、最近はもっぱら夕景狙いで出掛けています。前に見たようなネタばかりですが、最近の撮影を振り返ることにします。

京福嵐山線は、ほぼ東西に向いて線路があるから、夕景狙いにはちょうど良い。とくに、山ノ内付近の三条通の併用軌道は、真西に向かって走り、正面ギラリが期待できる。ただ、三条通はクルマの通行が多く、決まってジャマされる。そこで、経済活動も停止した、緊急事態宣言を千載一遇のとらえ出掛けてみたが‥‥。

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そろそろ、ゆっくり、活動再開【鉄鈍爺の巻】

コロナ過で外出の機会もメッキリ減り、カメラさえ重く感じる始末です。
久しぶりに、ニーナ(EF66-27)が順調に運用を重ねていたので、撮影してきました。
丁度、レール輸送(8090レ)も見られ、日曜でウヤが多い中、満足感が得られました。

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 やっぱり蒸機が好き!  《区名板》で巡る九州の蒸機  ㉞

早岐機関区 (1) 8620

九州の機関区巡りも、最後の機関区となりました。シリーズを始める際、「漢字一文字で表す区名板を見ると、蒸機に定められた“運命”を示しているような、何とも暗示的で‥‥」と書いて、「門」「若」「行」「鹿」「人」「吉」「宮」「志」など紹介してきました。最後に紹介する早岐機関区、「早」こそ、蒸機の区名板として、これほどピッタリの文字はありません。なかでも旅客機8620、C57のキャブに取り付けられた「早」は、軽快そのものと言った印象です。「はいき」の読みも、いかにも九州的な伸びやかさを感じさせます。

早岐は、佐世保線が大村線を分岐するところにある区で、初訪問の昭和42年時には、8620、9600、C11、C57、D51と多彩な蒸機が配置され、運用は、長崎本線、佐世保線、大村線、松浦線に及び、広範囲な活躍をしていました。県都の長崎に機関区はあるものの、配置は無く、長崎へは、早岐、鳥栖の蒸機が乗り入れていました。

佐世保から東京・大阪に向かう優等列車は、早岐で逆向となる。早岐までは10km程度なので、本来の牽引機は後部に連結し、先頭には早岐までの蒸機が立つことになる。次項で紹介するC11「さくら」がその代表だが、急行列車にも同様の運転が見られた。これは大阪行き「西海1号」で、短区間ながら早岐区の58648が先頭に立つ(佐世保 昭和44年3月)

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機  ㉝

志布志機関区(2) C11

「志」のC11、走行中の写真を中心に見ていただきます。昭和40年代の末期になると、蒸機の撮影スタイルも変わって来ました。初期のように機関区撮影に専念して一両でも多く撮ることから、自分好みの撮影地を見つけて走行中の撮影へと移行していきました。今回の日南線も、3日掛けて、各所で撮影。当時、宮崎から日南線沿線は、第一級の観光地として有名で、夏休みとあって、旅客列車も賑わっていて、沿線にユースホステルも多く所在し、並行する国道にも路線バスが多く走り、駅間移動も便利でした。以下、北から順に撮影地を巡って行きます(すべて昭和49年8月)。

いかにも日南線らしい、岩礁の見える海岸線を行く。油津~大堂津 391レ

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 やっぱり蒸機が好き!  《区名板》で巡る九州の蒸機 ㉜

志布志機関区(1)

暑さや自粛に乗じて、デジ青投稿を怠っていましたが、めっきり涼しくなり、以前の行動様式に戻ったことから、心を入れかえて、キーボードに向かうことにしました。九州の蒸機、あと少しお付き合いください、と言うか、最後の2つの区こそ、いちばん紹介したかった区名板なのです。

まず「志」の区名板、いかにも前へ向かって突き進む、力強さを感じさせる、蒸機らしい区名板だと思います。当時、日南線の終点にあったのが、志布志機関区でした。「志布志」は、かな、漢字とも回文で、あとは石北本線の「瀬戸瀬」だけと言う、貴重な駅名でもあります。

日南線、志布志へ行ったのは、今までの九州訪問時より、もっと後年の昭和49年8月でした。昭和も40年代末になると、蒸機は急減に数を減らし、九州では、本線はほぼ全滅、辛うじて筑豊にキュウロク、ローカル線にC11、C12が走る程度になっていました。毎年、愛読していた車両配置表の蒸機のページが、どんどん減ってきて、昭和50年になると、梅小路の動態保存機も含めて、たった2ページになって、愕然としたことがありました。

日南線の開業は昭和38年のことで、旅客は最初からDCでしたが、貨物はC11が牽いていて、志布志湾にある石油基地へのタンク車輸送もあって、結構な本数の貨物が運転されていました。志布志区には、C11のほか、当時はまだ健在だった志布志線、大隅線のC58も配置されていました。まずは、形式別に「志」の蒸機を見ていきます。

海岸線に沿って走るのが日南線の魅力。大堂津付近 ▲▲DC列車の車内から見た「志」の区名板。バス窓も懐かしい。

 

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私が出会った「ロ」付き貨車

井原様の熱塩訪問記で話題になった「ロ」付き貨車ですが、私のDRFC現役時代のヨンサントウでの誕生とは言え 当時は貨車にカメラを向けることは殆どなく、調べてみると私が撮影した「ロ」付き貨車は保存車両が殆どでした。今どきの子供たちは貨車と言えばコンテナ車のことだと思っているのでしょうが、あのバラエティーに富んだ貨車をながめて楽しんだ時代をなつかしく思い出しています。

さて撮影時にはまだ現役車両だった「ロ」付き貨車からご紹介します。

シキ291  平成14年7月26日 高岳製作所専用線にて

同上

高岳(たかおか)製作所は栃木県小山市にある変圧器メーカーで、小山駅から専用線が伸びていました。工場近くの留置線で撮影しました。上の写真で、向こうにもう1両見えるのはシキ613ですが、これは「ロ」付きではありませんでした。形式シキ290は2両あり、290は明電舎所有。291は昭和39年6月 日車支店製、高岳製作所所有の荷重115Tonの分割落とし込み式大物車で、全長32.3m、小山駅常備でした。平成16年4月に車籍除外されたそうです。

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短編物語集、ロギング沼の主

2005年前後に使っていたHDD内のネタ、第5弾です。
“デジ青”初(?) の短編物語集。って殆ど、パロディ物で失礼します。
模型をやってない方には意味不明のセンテンスが混じっているかもしれません。
なにぶん 15年以上も前のなので、今や『死語』になっている語句が混じる事を、お許しください。
もし悩んで精神失調に陥った場合は質問を受けます。また模型好きの方からの回答も歓迎します。期待しないで待っていてください。


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 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑲

2002年8月31日 名鉄へ 最後の“いもむし”を撮りに行く

8月最後のこの日、2002年は、名鉄へ“いもむし”こと3400系のラストランを撮りに行きました。3400系(モ3400+ク2400)は、名鉄本線の東部線用の特急用として、昭和12年に製造されました。当時のブームにならい流線型となり、スカート付きとなりました。名鉄の流線型では、同じ年に西部線用の8500系“なまず”も誕生しています。戦後は本線の特急として活躍しますが、パノラマカーに主役を譲って支線へ転じ、最後は犬山地区の普通列車として運転されました。その後、動態保存的に臨時列車などで運用されていましたが、この年8月いっぱいで廃車されることになり、8月の土日にヘッドマークを取り付けて、新岐阜~犬山~新可児~御嵩で、さよなら運転を行いました。新可児を発車する犬山発御嵩行き3400系のさよなら列車、3400系が各時代にまとったカラー4種を描いたヘッドマークが掲げられた。

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小川の陸軍兵器補給廠小平分廠

2005年前後に使っていたHDD内のネタ、第4弾です。
誤謬や錯誤の、ご指摘など、宜しくお願いします。

今から40年位前の話になりますが、関東勤務が長期化するとの見通しから自宅を購入しました。場所は東京都 東大和市(ひがしやまとし)、南側は立川市、北側を所沢市に接しています。
単に「東大和市」と言うと、関東地方でも大抵の方が「厚木市の隣ですか?」と応えられます。(苦笑)
元々は武蔵野の原野だった様です。江戸時代初期に郷士の玉川兄弟が、徳川幕府の命令で玉川上水を開削しました。

やがて昭和13年(1938年)に大規模な造成が行われ、東京瓦斯電気工業(通称:ガスデン)が出来ます。そして日立航空機立川工場となります。しかし工場は爆撃されてしまいます。工場への引込線は戦前に国分寺線の小川駅から南(国分寺方向)へ向かい更に西側へと90度カーブし、玉川上水まで開通しました。

高架工事以前の小川駅

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 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑱

2017年8月27日 18きっぷ消化で、下山、和知へ

8月も終わりに近づくと、夏用の18きっぷの消化に追われて、近郊へサクッと撮影に行くことが多くなります。この年は山陰本線の下山、和知へ、午後から行って来ました。下山には、高い鉄橋が前後にあって、蒸機の時代には、何度か撮りに行ったところです。電化後に電車が走り始めると、とくに「こだま色」の特急車、183系、381系の撮影地として、知られるようになりますが、結局、こだま色の特急は、撮る機会がなく、訪れた時は、無表情な白一色の287系となっていました。山陰本線下山を降りて線路沿いの道を30分ほど歩くと、質美川が流れていて、山陰本線は、高い上路プレートガーダーで渡っている。そばには、蒸機時代の煉瓦積みの橋脚が残っていて、鉄橋の下で、C57の牽く「はしだてビーチ」を撮ったことを思い出した。周囲は山が迫っているが、この季節では、山の切れ目に夕陽が沈むため、日没直前まで、“ギラリ”の写真を撮ることができる。

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 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑰

2005年8月26日ほか コンデジひとつで大阪の私鉄ターミナルをまわる

この年はまだサラリーマン時代、出版社の鉄道本の企画で、関西の私鉄のターミナル駅の本を出すことになり、連日、撮影に行っていました。実際に撮影したのは、先ごろ、急逝したSさんで、私は、編集者としての付き添いでした。一個人の場合、安全に配慮し乗客として立ち入りができる駅用地での撮影は、とくに規制されることはありませんが、商業出版物に掲載する撮影は、各社とも規制の網が掛けられて、さらに法外(?)な料金まで請求する社(あえて名を秘す)もあって、低予算の出版では大変な苦労を伴いました。毎日のようにして見慣れた駅の光景を、どのように出版物の口絵として纏めていくかも苦労した点です。まだ画素数も少ない、初期のコンデジでの補助的な撮影でしたが、見慣れた光景ほど、今となっては貴重な思い出となりました。

旧の梅田駅の改札前にあった、シャンデリアのあるアーチの大天井、昭和6年に建てられた阪急ビルの第一・二期ビルに設けられた。この年、阪急ビルの建て替え工事で姿を消した。▲▲改札口跡の上部もアーチになっていた。当時は、毎日のように、ここをくぐって電車に乗り、印象が残っているが、駅の改札口があったことを覚えているのは、われわれ70歳以上の世代になってしまった。

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 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑯

1997年8月24日 京津線東山三条で夏の宵を楽しむ

8月も20日を過ぎ、京都では地蔵盆が行われる頃になると、例年なら朝夕は少し涼しくなって来ます。この年は、10月の京津線三条~御陵の廃止を控えて、何度も沿線に向かいましたが、三条通は、東西を向いた道路のため、午後からの直射日光には、きびしい残暑を感じます。そこで、夕方から夜へ、少し涼しくなってからの撮影となりました。京津線は過去にも載せていますが、夏の宵ならではの写真を選んでみました。

 

東山三条、京津線は直線のように思えるが、結構曲がっている。背後のビル群がシルエットになる頃、長タマを通して見ると、あの東山三条も、ちょっとフォトジェニックな光景となる。

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 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑮

2015年8月18日 大阪モノレールで分岐器を楽しむ

愛称の「大阪モノレール」は、社名が大阪高速鉄道でしたが、ことし6月、社名も大阪モノレールに変更されたばかりです。高いところを走るだけに、駅から邪魔もなく撮ることができます。この日は、万博記念公園駅のホーム東端から、本線、彩都線の両線が分岐して、さらに高度を上げて高架を行く、未来感覚あふれるシーンを撮りに行きました。とくに興味深いのは、5基ある分岐器で、PC軌道桁自身が動いて、路線を切り替えます。モノレールで支線があるのは、大阪モノレールしかありませんから、この独特の光景が見られるのも、万博記念公園ならではです。

万博記念公園を発車して、彩都線を行く大阪モノレール、太いPC桁がゆっくり動いて、ポイントを切り替える。 本線の千里中央行きと、彩都線が交換する。この年、千里中央~南茨木が開業してから25年に当たり、右の1631には、記念のステッカーが貼られている。この1000系も開業時の車両は、3000系の増備で順次なくなると言う。

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 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑭

1996年8月17日 山崎へ夏の臨時列車を撮りに行く

この時期は、盆の期間に運転される東海道本線の臨時列車を撮りに、毎年のように近くの長岡京、山崎へ写しに行きました。以前の本欄でも「山崎を走った夏の臨時列車」として紹介しましたが、この日は、カラーポジに絞り込んで撮影しました。今から見ると、実に多様な列車・車両が走っていたことが分かります。しかも、ネバって撮ったものではなく、撮影メモを見ると、朝の7時50分から1時間の間に撮影できた列車です。

今から20年余り前、別に盆の期間でもなくても、いつでも見られた列車。新快速は221系、緩行電車は201系の時代だった。今と同様に山崎付近で併走が見られた。201系に「海へ」のヘッドマークが掲げられているのも、この時代ならでは。▲▲快速は113系オンリー、デカ目のライトが、朝の空気を切り裂くようにして走り去る。

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 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑬

1996年8月16日 北大阪急行を新御堂筋の歩道橋から撮る

桃山台~千里中央に、新御堂筋、北大阪急行を跨ぐ歩道橋があります。ここから、千里ニュータウンをバックにして、北大阪急行、地下鉄御堂筋線の電車を撮ることができます。写真は、20年以上前のサラリーマン時代で、よく仕事で千里中央へ行くこともありましたが、この写真を撮ってからは、一度も北大阪急行沿線へは行っていない気がします。それどころか、最近は、大阪市内へも行くことがなくなり、今年になってから自分の行動範囲がどんどん狭まって来ていることを感じます。北大阪急行は、“ポールスター”こと8000系7編成が走っていた。後継の9000系の増備で、今では、7編成のうち、3編成が残るのみ、この8005Fも2018年に廃車されている。古さを感じさせない、昭和の時代の製造で、洗練された車内外は、地下鉄用車両の中では、今でも最も豪華な造りだと思っている。

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 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道⑫

2004年8月15日 大井川鐵道で関西私鉄の競演を楽しむ

大井川鐡道は、1994年のクローバー会の40周年記念旅行で初めて行き、今回が2回目でした。この時は、乙訓の老人さん、準特急さん、逗子のTさんと一緒で、何度も行って沿線を熟知されている乙訓老人に連れられ、各所で下車して撮影しました。いまは、すっかり電車も世代交代しましたが、当時は、京阪、近鉄、南海からやって来たばかりの電車が、きれいな姿で走っていました。この日は、乙訓老人が行きつけの新金谷の駅前旅館に一泊、大宴会をした楽しい思い出も残っています。大井川鐡道は、先の豪雨で被害があり、家山~千頭が当分の間不通でバス連絡とされていますが、早く大井川の渓谷を行く蒸機、電車の姿を見たいものです。最初に降り立ったのが抜里、茶畑に囲まれた静かな山里の駅で、好ましい雰囲気の中で、懐かしい電車と再会した。

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 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道⑪

2004年8月11日 琴電の旧型電車を初めて撮影に行く

高松琴平電鉄を走っている旧型電車も次第に数を減らしてきました。いま残っているのは、23、500、120、300の4両で、2021年5月に旧型電車の運転を終了する旨の告知が会社からありました。旧型電車を使った定期的なイベントも、この春からは中止されていましたが、今月30日には再開され。展示会、撮影会が行われるようです。私が初めて琴電を訪れたこの年には、冷房のない旧型電車は、窓を開け放して、ごく当たり前に定期列車の中で活躍をしていました。讃岐の国には、七つの富士があると言われるほど、円錐形の山が多い。白山もその一つ、長尾線の車窓からよく見える。公文明~長尾を行く300+760

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