ヘラン号による韓国一周乗り鉄旅

韓国の鉄道について全く関心も知識もなかったのですが、韓国版「トワイライトエキスプレス」とでも言うべき「ヘラン号」なる列車があることを知り、この列車で旅をしたくなり チケットが入手できたのでこの度 韓国内一周の旅を楽しんできました。ぶんしゅう様のような「戦闘的」な旅にはほど遠い安楽旅ではありますが、簡単にご紹介することにしましょう。

1.ヘラン号について                                     6年前の2007年春 北京オリンピックの際に南北合同応援団のためにソウルーピョンヤンー北京間の国際寝台列車が企画され 専用の新型車両が検討されました。しかし予算面から新造車を断念し、比較的車令の若い客車を豪華客車に改造することになりました。この改造が進む一方で韓国と北朝鮮の関係改善が叶わず、この国際列車計画は頓挫してしまいます。そこで韓国内の富裕層をターゲットにして、有名観光地を巡るツアーの専用豪華客車として 2008年11月にヘラン号がデビューしました。ヘランとは韓国語で「太陽と共に旅をする」という意味の造語だそうです。ヘラン号の日本語版パンフレットの一部を示します。

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「『なにわ』の赤バス消える」によせて/他の都市の外国製コミュニティバス

特派員さんより3月31日から4回に亘り大阪市の赤バス廃止に関する投稿があったが、廃止に至った要因は、①乗客が予想外に少なかった。=乗客のニーズに合った運行ルートではなかった。②車両が外国製のため予想外にメンテナンスに費用と時間がかかった。=修繕費が高額になり、かつ車両の稼働率が低かった。ということではないだろうか。

他の都市でも外国製を導入したところは、ことごとく国産車に置換えられ、現存車は恐らくないと思われる。
他の都市の事例を知る範囲で紹介する。

浜松市
中心部の活性化を目的に平成14年4月から「く・る・る」の愛称で運行を開始した。運行は遠州鉄道に委託している。当初は大阪市と同じ「マルチライダー」を使用していたが、僅か6年足らずで国産車(日野ポンチョ)に置換えられた。
浜松200あ 19/(14-6-24) 浜松駅前
浜松200あ19 13-6-64
浜松200あ 20/(14-6-24) 浜松駅前
浜松200あ20
浜松230あ3032/(14-6-24) 浜松駅前
浜松230あ3032

金沢市
市内の公共交通機関空白地域の足の確保のため、「金沢ふらっとバス」の愛称で、平成11年3月から運行開始した。(北陸鉄道に委託)
車両は、オーストリアの車体メーカー、クセニッツ社製で、エンジンはフォルクスワーゲン製を搭載した。平成20年にポンチョに置換えられた。
石川22う293/ (13-3-26) 金沢駅前
石川22う293 13-3-36

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名古屋市電800形

本題については、湯口先輩が詳しく解説されており、更に今出川浄福寺氏が乗車記を書かれておられるので写真のみとする。ワンマン化が早かったため、ツーマン時代に乗車されたということは、昭和39~40年頃であろう。

本文に出てくる1800、1900、2000形についても判る範囲で解説するが、名古屋に住んでおられた方から補足のコメントをいただけると有難い。

800形 
昭和31年に801・802、32年に803~807、33年に808~812が新製され、港車庫に配置された。41年にワンマン改造され、44年2月20日港車庫及び担当系統廃止により全車両廃車になった。
810/(41-9-1) 築地口
41-9-1 810

1800形
昭和28年9~10月に1801~1815が、29年10月に1821~1830が新製された。局内では前車をA車、後車をB車と呼んでいた。
1815を除き吊掛式ながら、間接自動制御、セルフラップの電空併用ブレーキを持つ高性能車で「無音電車」(1815を含む)と呼ばれた。
1815は、地下鉄東山線の車両のデータを得るため、直角カルダン駆動が採用され、1801~1814とは異なるため、29年7月1900形1901に改番された。
A車は路線縮小に伴いワンマン改造されることなく46年に廃車、B車は44年にワンマン改造されたが、47年3月浄心、稲葉地車庫及び担当系統廃止により廃車された。
1807/ (43-8-29) 笹島町
A車はワンマン改造されることなく廃車された。
台車は従輪にドラムブレーキ付の住友FS60を履いていた。
1814が豊田市交通公園で保存されている。
43-8-29 1807
1823/ (41-9-1) 名古屋駅前
B車のツーマン時代で、扉は前後が通常の乗降口、中央は乗車専用であった。台車は両軸ドラムブレーキ付の住友FS61を履いていた。
41-9-1 1823
1824/ (46-5-26) 名古屋駅前
ワンマン改造後で、前扉が乗車口、中扉が降車口、後扉が締切となった。京都市電のような扉位置改造工事をすることなく、3扉を有効に活用してワンマン化された。
46-5-26 1824

1900形
1901の改良車として29年12月から30年12月に1902~1922が新製された。
間接自動制御、直角カルダン駆動の高性能車で、足回りをスカートで覆った独特のスタイルであった。
41年から43年にかけてワンマン改造され、路線廃止により徐々に廃車されていったが、1910~1915の6両は市電全廃1カ月前の49年2月16日沢上車庫廃止による担当路線廃止時まで活躍した。
 1918 /(41-9-1) ツーマン時代 名古屋駅前
41-9-1 1918

1903/(46-7-25)  ワンマン改造後 沢上町
46-7-25 1903

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part6 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その4

第6日目 5月6日
① 广元21:14(K292次)→8:39咸阳(Taxi)→西安空港
② 西安空港12:40(CZ6470)→16:10瀋陽空港(Bus)→瀋陽駅
③ 瀋陽21:46(K7385次)→7:05通化(Taxi)→集安

今日は夜に広元から夜行列車に乗って西安へ、西安空港から飛行機で瀋陽へ、瀋陽から再び夜行列車に乗って通化へ、ここでTaxiに乗り換えて北朝鮮との国境の町、集安へと向かいます。移動距離は約2600キロ強、2日連続の車中泊での移動です。

02_登校202_登校37:10、今日も朝から3日連続で栄山駅に参りました。そして今日も雨です。
朝の駅構内は子供たちの通学路でもあります。色とりどりの傘をさしての登校です。
最終日ぐらいは好天を期待しましたが、この時期の四川はこんな天候が続きますので、余程運に恵まれないと難しいようです。しかし良い点もありました。晴天になりますと日中の温度は30℃を超えます。暑くなっては煙が見えませんが、この3日間の最低気温は何と3℃と寒いくらいになりました。十分とは言えませんが白煙ながら煙が見えました。

今日の1番列車の撮影は、駅から橋を越えた集落に行く事にしました。学校も橋を渡った所にあります。登校する子供たちにとって、橋も通学路です。
03_朝の列車03_朝の列車2▲ 7:45、大きな木の下をプッシュプルの混合列車がきました。傘をさして竹籠を背おったおばちゃまとのツーショットを撮ろうとしていましたら列車が来る直前で建物の陰に隠れてしまわれました。いい感じだったのに残念です。路地の家々をかすめるように列車は行ってしまいました。

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台湾一周駆け足旅行(5)

3月25日 台北⇒三貂嶺⇒台北⇒MRT⇒台北松山⇒東京羽田

最終日はまず地上時代の台北中華商場付近に昔の撮影地点の痕跡を求めて歩いた。台北~萬華間の台北駅手前で現在の中華路一段のあたりに撮影した場所があったと思われる。台北駅を出た列車は直ぐに左へカーブして直線区間を萬華に向けて走行していた。特にディーゼル機関車のバリバリと大きな音をたてて走行する姿が印象的であった。ここでも付近の古老に確認をとり、間違いないと言われたあたりの新旧対比写真である。

1968.3.19 台北駅を昼頃に出発し、左カーブにさしかかる米国GM製S316牽引列車。↓

s-1968.3.19台北S316

2013.3.25 台北駅前の忠孝西路一段から左へカーブして中華路一段に入るあたり。近くには台北府城北門(承恩門)がある。右手徒歩5分に現在の台北駅がある。↓

s-13.3.25台北西カーブ

1968.3.25 当時の台北の代表的な鉄道風景である中華商場付近を行く2002車次海線経由光華号DR2700形6連。 高雄7時15分発で途中台南、彰化のみに停車して台北に12時に到着する。この日は雨であった。↓

s-1968.3.25台北中華商場光華号

2013.3.25中華商場のあったあたりで現在の中華路一段 45年前と同一日の撮影↓

s-13.3.25中華商場

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雨も撮る 〈1〉

近畿地方は、例年になく早い梅雨入りとなった。

この10日間ほどは、夏を思わせる晴天続きで、毎日のように撮影に出かけたものだが、しばらくは籠りの生活が続きそうだ。“晴耕雨読”が信条の生活とあらば、雨は、外出・撮影意欲を喪失させてしまう気象条件だ。近距離なら、撮影を中止することも出来るが、長期の撮影旅行で雨に降られると、お手上げだ。撮影はあきらめて、“乗り鉄”で時間をつぶすことが多かった。

しかし、やっかいな雨も、写真の対象として見れば、雨による車体やその周辺の反射、また人物のカットなど、雨でしか表現できないこともある魅力的な気象とも言える。要は、雨にも決断する行動力だ。

過去、雨のなか、意欲的に(?)カメラを向けた、いくつかの写真を思い出とともに並べてみよう。IMG_0001sy_edited-1初めて訪れたウワサの函館本線上目名駅。昼間はまだ曇りで、撮影は順調に進んだが、下りのC62重連を撮った夕方から、空が一転掻き曇り、駅に着く頃には、土砂降りの雨になった。同業者も居ない、山間の駅で、一人心細くなってくる。ホームの軒先で雨を避けながら、乗車する列車を待った。写真からも、雨筋が分かるほどの豪雨だった。(昭和43年8月)IMG_0006sy_edited-1ところ変わって九州、愛用の夜行鈍行1121列車に乗って、早暁の肥薩線坂本駅に着いた。天気予報が当たって、しっぽり降りだ。川筋を歩いて撮影する計画も、あっさり断念、駅撮りと決め込む。やがて到着したC5748の牽く貨物列車は、通票の授受を終えると、慌ただしく発車して行った。列車全体が白煙に包まれて、雨にけぶる彼方へ向かっていった。(昭和46年12月)IMG_0004sy_edited-1こちらは、宮津線丹後山田駅(現・北近畿タンゴ鉄道野田川駅)。鉄道同好会の面々と、加悦鉄道へ行った日だった。朝、京都を出て、丹後山田に着く頃には、雨になってしまった。列車を降りて、加悦鉄道ホームへ向かうと、ちょうど乗車列車が発車しようとしていた。何気ない写真というか、気にも留めていなかった写真だが、客車のナンバーが読み取れるサイドから、人物を手前に置いた写真、何でも撮っておくべきだと思わせる写真だった。(昭和45年9月)IMG_0008sy雨の草津線貴生川駅にD51841の貨物列車が到着する。出迎えの駅員の影が、濡れたホームに映る。ローカル線の交換駅では、必ず見られた光景だが、雨がうまく演出してくれた。背後の跨線橋は今はなく、橋上駅が上を覆っている。駅全体がすっかり変わってしまった貴生川駅だった。(昭和47年6月)

 

目に若葉 野辺の鶯 川根新茶

画像

毎年春秋恒例にしています、笹間渡川根温泉露天風呂・東屋旅館2泊の大井川巡りです。 本年はサクラの時期を延ばし、新緑新茶の時期にしました。ご覧のとおり、画像は青空と緑一色です。暫くは目の保養と思い、文章よりも画像を拡大して緑をお楽しみください。

5月3日、快晴。抜里の茶畑、緑の真っただ中に到着。すぐに同系色上り電車が通過。畑の中央にある黄色の花はエニシダ。川向いの山々も新緑の芽吹き。305031ほどなく、下り1001レ、かわね路11号が千頭に向かう、牽引はC5644、緑の中に黒の一筋。煙を入れると二筋。茶畑の農夫が二人、列車に手を振る場面も。305032今度は、予めgoogle Earth で検索しておいた国道473号の高所からの撮影。C108号牽引の列車は緑の中を行く模型鉄道の様。 デジタル時代の今日、在宅で予め撮影場所に立つことができる。前ばかりか、背後の状態も確認できるので、高所に登れる道も探すことができる。全く便利。ご存じデジカメは撮影写真がただちに確認できるし、もっと良い写真が撮れて当たり前ですが、いかんせん腕前は昔の儘。昔といえば、半世紀前の撮影でカラー写真が東洋現像所から手元に戻るのに、2週間ほど掛かったものでした。305033緑を眼下に眺めながら、来しなに浜松駅で買ったシラス弁当と缶ビールの昼食を撮った後、抜里の中央を横断して家山寄りの高所に登る。google の航空写真で見ると大井川の蛇行や、抜里の平地が昔川底であったことなどが容易に想像されます。流れや浸食で取り残された丘が一つポツンと抜里平地の中央に残っています。305035今撮影している山は昔の大井川右岸と思しきところ。3年前の同じ場所は樹が茂り、見通しが悪いのでさらに高所に登り見下ろしました。画面中央、踏切付近にはマニアが集合。305034大井川に青い水の流れが見えます。長年に亘る『川に水を返せ』運動を、読んだことを思い出しました。 列車を待つ間の暇な時間は鶯の縄張りのさえずりを楽しんでいました。抜里でも、あす以降の崎平、大和田でも。見事な谷渡りの声が、それも長く長く続きました。
抜里の里には、まだまだ撮影に適した角度がある筈で、また探してみようと思いながら、山を下り、家山駅に向かいました。家山駅で缶ビールを飲んでいると、丁度女王様が上り電車として通過して行きました。初日はここまでです。305036 続きを読む

大阪市電3001型

乗ったことがないのが残念至極!
そんなに乗り心地がいいとは知りませんでした。でも他社へ転勤した3両があるとか。残っていれば今からでも乗ってみられますね。どこに行ったかご存じありませんか?
旧市役所(?)の前だから御堂筋を南下する風景でしょう、米国旗と日章旗をつけているのは何の日でしょうか?それより併走している日野コンテッサに心引かれました。大阪市電3001型_NEW 大阪市電3001型(文)_NEW

2013年 春の中国鉄路の旅 Part5 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その3

00_雨の日のお届け物▲ 雨が本降りになってきた栄山駅。お父さんかお母さんに傘を届けに行くのでしょうかね。お嬢ちゃんが来られました。ちょっとカメラ目線にはずかしそうです。物心がつき始めた頃なのでしょうね。

00_雨上がりの栄山駅
▲ 7:07、今日も早朝起きで栄山駅に参りました。雨上がりの駅のホームは、勤め先に向かわれるのでしょうか、上の集落からの皆さんが通られています。
丁度できた水たまりの傍を歩いて来られました。水鏡となった光景にコンデジを水面上に置いて狙ってみました。会心のショットでしたので小竹先生にお見せしますと、これは静けさの中に人や犬までも動きがある。雨上がりの朝のどんよりとした空気感も表現されています。構図もバッチリですね。
私は他人の作品をけなすことはあっても褒めるのは数作品しかありませんが、これは素晴らしい。最高のショットですよと、お褒めのお言葉をいただきました。老体ですのでお世辞も入っているでしょうが褒められると、木の上に登ってしまいます。
【DATA】 Nikon COOLPIX P310 1/40秒 F2.8 24㎜(35㎜判換算)

前回の旅からD800Eでは重くて機動性を損なう場合があるので、こういった閃いた時に直ぐに撮れるようにと、より広角で明るいレンズを持つサブカメラとしてのコンデジを求めていました。結果、最も希望に近い性能を持つNikonP310(24㎜・F1,8)を購入しましたが、希望に答えてくれました。800Eと比べると約1/30の購入価格でしたが、期待通りによくやってくれました。カメラさんに撮らせていただいたショットです。カメラさんに感謝感謝です。

第5日目 5月5日

朝から小竹先生よりお褒めの言葉をいただいて気持ちの良いスタートとなりました。写真のバックに写っている客車を紹介します。
03_客車03_客車2▲ かつて囚人たちを護送した客車は1番下の車両です。まだ車体には表示が残っています。
かつては、この車両を撮るのはご法度でした。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part4 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その2

11_採炭場4▲ 山の採炭場駅でお迎えしてくれた頭の上で髪を2つに結んだお嬢ちゃん。素朴な笑顔がとっても素敵でした。

第4日目 5月4日 その2

01_給水2

04_C2▲ 10:52、単機回送で戻った218号機はここでも高圧水蒸気洗浄をしてもらって給水されました。

08_栄山8

08_栄山9 ▲ 11時を過ぎると朝市でお買い物をすませたおばちゃまたちの帰宅ラッシュとなります。皆さんお手製の竹籠にお買い物品を入れて背負っての家路です。顔を見なくても後ろから籠を見ると誰だか分ると言います。籠つくりには代々先祖から受け継がれてきた歴史もあるそうです。
我々には同じような籠にしか見えませんが、奥が深いようですね。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part3 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その1

04_おばあさんとお孫さん_1▲ 今迄公式には撮影を許されなかった广元の監獄鉄道の栄山駅。初めて訪れた駅で迎えてくださったのは、最近訪れています東南アジアの皆さんにも増してのさわやかな笑顔のおばあさんとしっかり寄り添うお孫さんでした。これで天候に恵まれない重い気持ちが吹っ飛びました。ありがとうございました。

02_全体地図いよいよ今日から3日間、監獄鉄道を走るC2型蒸気機関車の撮影開始です。
この鉄路は、四川省广元市郊外の栄山から山の石炭採掘場までの約6キロを走る762㎜ナローゲージの石炭輸送鉄道です。しかし途中には刑務所があって軍の管理下にあるために一帯は未開放地区に指定されています。立ち入りは不許可で勿論、撮影等許されるものではありませんが、蒸気機関車が大好きな鉄ちゃんにはそう言われれば言われるほど興味が膨らみ撮りに行きたくなるものです。
02_路線図そして禁止と言われてもここは中国です。できないことは何もないと信ずる鉄ちゃんはあの手この手を使っても果敢に挑みます。結果、私の聞いているだけでも数10人が捕まり拘束されて始末書を書かされ、折角撮影したフイルムは没収、デジカメデータは削除されて追い返されておられます。しかしデータは現場で消されても復元ソフトで復旧できますので、確信犯覚悟で行かれているわけです。

処がこの厄介な刑務所が昨年6月に移転されて、外国人がこの地区に入る障害が消えました。政府発表はなかったそうですが、これで堂々と撮影が出来るようになったと勝手に理解した鉄ちゃんは8月の稲刈りシーズンを待って参られましたが、現地はまだ厳戒体勢はとかれてはおらず、また島の問題勃発もあって、あえなく御用となられたそうです。
しかしながら優秀な案内人のおかげをもって無事に撮影を何度も続けられておられた方もおられます。この案内人は銀川の寧夏招商国際旅遊有限公司国際中心鄧さんでよく知っています方でしたので、昨年10月にはO氏と一緒に行く予定を立てていました。しかし島の問題は沈静化せずむしろ拡大化してきましたので「君子危うくは近づかず」の精神で取りやめることにしました。

今回も予定には入っていませんでしたが、小竹直人先生企画の興隆鎮森林鉄道ツアーが都合で中止になり代替案として監獄鉄道が上がりました。小竹先生と案内人の鄧さんは先生が中国鉄にハマられてより20数年来の旧知の朋友です。私もいつかは行かねばと思っていましたので、もろ手を上げての参加となりました。

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名古屋市電800型

投稿前に「今週は名古屋市電800型」とバラされたのは初めてです!

今日は早朝から松阪まで出張したので一日遅れの投稿になりました。
帰りの近鉄特急の中で、隣に座ったおばちゃんが通路をはさんだ友達のおばちゃんに話していました。おばちゃん達は榛原から来たようです。
「駅でキップを買うとき、京都までと言うと八木で乗り換えてと言われたから直通があるやないの!と言ったらなくなりましたと言われたわ、サービスわるなったなぁ」とぼやいていました。

名古屋市電800_NEW名古屋市電800(文)_NEW

 

台湾一周駆け足旅行(4)

台湾今昔日記さぼっておりましたが、今回とあと1回ご辛抱下さい。

<3月24日> 台北⇒高鉄台中(新烏日)⇒台中⇒高鉄(新烏日)⇒板橋⇒山佳⇒桃園⇒台北

この日からは単独行動である。今回の旅行の初日(3月20日)は台中駅だけの撮影であったので台中駅から南下した烏日方面で昔(1968年3月)撮影した場所が気になり、再度高鉄で台中に向かった。線路に沿った大きな道路を歩き始めたが、やはり風景が激変している。雨が降ってきたこともあり、諦め気分になってきた。途中で自家用車に乗り込もうとする私の半分くらいの年齢の人に例によって古い写真を見せた。英語がよくできる人で車で2~3分走った盛土上の線路に登る小道を案内してくれた。単なる線路への小道であった。この場所で1~2枚撮るには撮ったが、私の意図した場所ではないので完全に諦めることにした。御礼を申し上げたがこの人はお医者さんであった。台中と烏日の間には大慶という駅ができており、単線が複線化され、さらに高架化工事中であるため、場所がわからなくなっていることは再三述べた。唯一カーブしている場所を電車から撮影してみた。その場所が多分当時の観光号を撮影した場所であろうとして古い写真と比べてみたが、何れにしても長い年月を経たことだけは事実である。

2013.3.24 大慶付近 南下する韓国大宇製区間電車500系の先に左カーブが見える↓

s-13.3.24大慶付近

1968.3.23 台中~烏日 米国GM製R63牽引2車次高雄発台北行き観光号 上の写真奥にあるカーブがこの場所ではないかと思われる。↓

s-68.3.23台中観光号R63

1968.3.23 台中~烏日 R12牽引77車次基隆発彰化行き 日本製で12両在籍。日本国鉄でDF91という試作車で登場。調子がよくなくローカル列車を担当していた。↓

s-68.3.23台中R12

1968.3.24台中~烏日 北上貨物牽引DT681 DT650(D51)形は37両在籍した。このDT681はテンダーが船底型で所謂戦時設計スタイルである。↓

s-68.3.23台中DT681

台中での新旧対比撮影を早々と諦め再び高鉄で台北の一つ手前の板橋に向かった。ここは台鉄、高鉄ともに地下化されており、台中以上に対比撮影が無理なことはわかっていた。何か昔の痕跡でも発見できないかと下車したが、これまた無理であった。現在の板橋駅の駅ビルと昔の板橋駅を見比べていただきたい。当時、ここで私は記念に人力車を運転する私自身と突然現れた蛇を撮影している。とても考えられない板橋付近の現在の姿である。

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都電5500形

関 三平氏の「昭和の電車」は、小田急SE車、近鉄ビスカー、名鉄パノラマカーと続いたので、次は東武の1720系あたりかと予想していたところ、都電5500形であった。
ちなみに今週は名古屋市電800形で、暫く路面電車の高性能車が続くのだろうか。

5500形は5501~5507の7両在籍したが、関 三平氏、乙訓の長老が書かれておられる通り本物のPCCは、WH社のパテントを買って作られた5501のみで、他の6両は国産の技術で作られたWN駆動、間接自動制御の高性能車である。
昭和28年頃PCCの研究のためアメリカからGEタイプとWHタイプ各1両輸入する予定にしていたところ、国産技術で製作可能という意見があったため輸入を取り止め国産することになった。

交通局ではPCCとは別に、WN駆動の高性能車の研究を進めており、27年度製の6000形のラストナンバーを試作車として車体を日本車輌、電機部品を三菱、台車を住友に発注したが、電機部品、台車は先に完成し、車体の完成が遅れていた。

一方PCCの方は部品の製作に時間がかかり、こちらも完成が遅れていた。交通局では広報活動で新型車の導入を告知していたため、完成を遅らせる訳にはいかず、ナニワ工機で急遽新型車と同じ車体を新製し、車体の完成が遅れていた純国産の高性能試作車の足回りを組み合わせて28年11月に完成させたのが、5502である。

5501は半年後の29年5月に完成したが、機器が特殊であることと、コントローラーが足踏式と従来の車両とは取扱が大幅に異なるため稼働率は低かったが、35年7月入場時に通常のものと取替えられた。

純国産の高性能車は車体が完成したものの足回りを5502に取られてしまったため、同じものを改めて新製して29年2月に完成したのが6501である。
車体のサイズは6000形と同じであるが、スタイルは正面2枚窓となり足回りが大幅に変わったため新形式になった。

30年11月から12月にかけて5502をベースにした5503~5507の5両増備され、1系統品川駅~上野駅間で使用された。
42年12月9日、第一次撤去に伴う1系統廃止時に全車廃車になり、この時6501も同時に廃車になった。

5501は解体を免れ、当初上野公園で保存されていたが、屋外展示のため荒廃が進み、平成2年荒川車庫に移された。平成19年5月荒川車庫の隣に作られた「都電おもいで広場」に移され、土、日、祝日に一般公開されている。
車内はギャラリーとして使用するため座席は撤去されているが、片方(道路側)の運転台は登場時のペダル式に復元されている。

「都電おもいで広場」に保存されている5501/ (20-9-27)
平成20年9月29日【345】「都電荒川線の日」記念イベントで使用した画像を再掲する。
5501

復元された運転台/右からアクセル、ブレーキ、デットマンペダルと並ぶ。
5001(運転台)

ナニワ工機の銘板
5501(銘板)

  説明板
都電5501説明板

高輪北町~品川駅前間を走行する5504/ (42-3-26)
5504 42-3-26

品川駅前に到着した5506 / (42-3-26)
5506-2 42-3-26

銀座2丁目~京橋間を走行する6501/ 諸川 久氏撮影 (39-1-1)
東京都交通局が独自に開発したWN駆動、間接自動制御の高性能車。車体完成時に先に完成した足回りを5502に取られたため、改めて足回りを新製した。
車体のサイズは6000形と同じである。
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都電5500形が完成した昭和30年前後は、戦後の路面電車の最盛期で、各都市では盛んに高性能車の研究が進められていた。
直角カルダン駆動、間接自動制御の大阪市電3001形、神戸市電1151形もほぼ同時期に登場している。京都市電は間接自動制御であったが駆動方式は従来の吊掛式であった。

6501の画像を解説する上で、どうしても掲載したく、諸川 久氏にご相談申し上げた処、快く貴重な画像をご提供いただいた。厚く御礼申し上げる。

クローバー会模型班に提案

過日のミーティングで模型班に属する会員から、運転会など模型活動をする場所がないとの声を聞きました。なるほど模型活動をするためには運転会が必要で、そのためには会場が必要です。それから気にはなっていましたがなかなかいい場所が見つからず今日までお応えできずに来ました。

ところで私は高校生の頃から京福電鉄関係者が中心になって蚕ノ社にあった京福寮で運転会をしていた「好軌会」というクラブに入っていましたが、ここ40年ほど離れていました。ところが縁あって今回復帰することになり久しぶりに参加しました。いまは会場も会員のお寺で、会員持ち寄りの立派なレイアウトもあって盛大に運転会を開いておりました。住職が大変な模型マニアで、廃園となった保育園の教室を貸して下さりそこを使わせて頂いており、さらに庭の周りを近所の子供を乗せた700系が走り、ライブスチームまで運転させています。ここを模型班が使わせてもらえば周囲に気を遣わず走らせることができます。今日の運転会の様子をご覧下さい。
もし、ここを使いたいと言うことになれば使うことは可能です。ご住職も快諾して下さいました。費用は無料でいいと言ってくださいますが、電気も使うし水も使うので1回1万円で使わせてもらえる事になりました(この金額は好軌会と同額。また1回とは一日ではなく前日からの設置も含む)。車も4~5台は止められます。ただしレイアウトは持ち込んでほしいとのことです。さらに彼岸とお盆は避けてほしいとの条件がつきます。

一存で話しをしましたので不要ならそれでも構いません。模型班の皆様の感想を聞かせてください。場所は京都市南区で、御前通と新幹線の交差点を東へ200m、新幹線の南側に沿ったところにある蓮華寺です。

いかがでしょうか?本日の写真とともにご紹介いたします。

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流鉄流山線「なのはな」撮影記

流鉄のレポートが藤本氏から出たが、その中で小生の撮影記が出るであろうと書かれていた。精々、コメントくらいにしようと思っていたし、藤本氏が殆ど情報をカバーされているので最早出る幕がない、と思ったが、久し振りなので少しばかりHPを汚してみようと思う。

デカンショ祭り号さんが、出没すると公言されていたので、ひょっとすると、同行歩かねばならないかと思ったが、流山線はロケ範囲が限られているので大したことない、ロケ自体は楽かも。そこでもうすぐ無くなるのではないかと思う京成シティライナーをキャッチしてから行くことにしました。
で、小生は車重が重くなった後遺症で、ばねが痛んでおり、あまり遠距離・高速移動はできないので、のんびり撮影しながら流山まで歩いていこうと、鰭ヶ崎から撮影がてら移動をしていました。最終日は大勢の同業者がそこかしこに溢れており、どこを撮っても同じ。仕方ないので同業者を避け鰭ヶ崎の先、流山よりの陸橋の下の柵の隙間から両手でカメラを思い切り差し出して、1枚ゲット。もう少し広角があれば良かったのですが・・・。

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そのころ藤本氏、デカンショ祭り号氏、新所沢都民氏が線路反対側の近くに居ようとは想像だにしていませんでした。目指す流山方面に移動するには線路の反対に渡らねばなりませんが、渡るには陸橋があるだけです。しかもその陸橋には歩行者用の階段がなく遥か離れた自動車専用の車線まで移動しないといけない欠陥陸橋でありました。上り下りと大回りして途中で休憩、そのときに来た流星(後追い)を1枚。線路沿いに同業者がいます。

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陸橋を越えて線路脇を場所を求めて歩いていると、3人にばったり。これから流山に行く積もりとの小生の予定を無視して、皆さん反対の鰭ヶ崎・小金城址方面に行くという。また、人の希望とは関係なく移動するようでありましたが、折角なので、さっき越えた陸橋を超えて同行することにしました。合流時、場所もパッとせず、やけくそで撮った1枚。こんな写真も意外とよろしいかと。

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あっという間に最終列車の時刻になり、哀別+惜別の表示が哀別+最終になって、2カット終了。そのときには同じようにヘッドマークをつけていた流星号のヘッドマークは既に外されておりました。

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というわけで、ばねが痛んでいる小生としては、2回陸橋を超えてのロケとなりました。来る前に京成も歩いたのであ~疲れたという1日でした。
また、行こう。

三陸鉄道 北リアス線

4月1日からのNHK朝ドラで有名になった久慈駅と三陸鉄道北リアス線の車両達です。ご覧ください。

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夕方の三陸鉄道 久慈駅の外観です。隣のJR久慈駅は工事中でした。

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内部です。ドラマに出てくるセットとそっくりです。(セットがこれとそっくりと言うべきでしょうか) 大きなポスターが貼られています。このポスターが町中に貼られ 「あまちゃん」人気が盛り上がっています。

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八戸線のキハ40 524+キハ48 1508+キハ40 551の3連を受けて久慈18:15で田野畑へ出発した916D キハ36-202です。
今年は桜の開花も遅かったようで ちょうどチューリップが満開でした。

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駅の先の車庫にはキハ36-207と36-602+36-601 36-208が留置されています。
キハ36-207はドラマに出演した車両だそうです。

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915Dで18:54到着、918Dで19:25発 田野畑行きのキハ36-101です。
三陸応援メッセージが書かれています。

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久慈駅を発車し車庫の横を抜けた所の鉄橋を渡り 次の駅 陸中宇部へ向かうキハ36-101です。

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駅のホームの横に留置されていた キハ36-1107です。いい顔ですね。

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三日月とキハ36-1107 キハ36-1103 旧色に戻されたJRキハ40 590です。

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夜の久慈駅に佇む JR八戸線 キハ40 551+キハ40 590+キハ48 1548の3連です。
当時はあまり興味の無かった色ですが、JR後さまざまな色になったキハ40系も今となればこの色が一番似合うなと 最近思うようになりました。

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翌5月17日の朝 久慈5:26発田野畑行き902Dのキハ36-202+36-101+36-207 (田野畑側)です。前2両は幌で結ばれています。

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先ほどの後ろ1両 キハ36-202が普代で切り離され久慈6:39到着の901Dで戻ってきました。
そろそろ新緑がきれいです。

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折り返し久慈6:55発904Dのキハ36-202に乗り田野畑へ向かいました。
トンネルを抜けた野田玉川駅で 903D キハ36-101+36-207の2連と行き違いです。

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このころ乗っていたのは 運転席の後ろに山形から来られた孫連れのご夫婦と地元の男の子と私、客席に女性一名の6名でした。久慈発車時満員だった高校生は陸中野田駅で降りてしまいましたので。

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途中 堀内駅でのスナップです。先ほどのご夫婦のリクエストで30秒+αの停車での撮影会でした。きれいな海です。

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田野畑駅に7:38到着です。この先2駅間は来春開通だそうで それまではバス連絡です。
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小本行きの岩手県北バスです。

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立派な小本駅です。キハ36-101と同じように応援メッセージが書かれています。中で応援グッズも売られていました。かわいいキティちゃん付きのキハのストラップを買ってきました。

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駅の応援メッセージです。手書きできれいに書かれていました。

8:10発のバスに乗り小本へ向かいました。乗客は10数名です。

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間もなく小本駅、8:40に着きます。右が宮古方面です。pict-三陸18
小本 8:50発の804D キハ36-109です。久慈方のトンネル入り口にキハとラッセル車が止まっていました。小本、宮古間は車庫もなく整備はここで行っているのでしょうか?
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9:23に宮古到着です。
増結予定のキハ36-102が待っていました。

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9:31にJR宮古駅から山田線上り盛岡行の快速が発車していきました。

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三陸鉄道 宮古駅です。
以上 三陸鉄道北リアス線でした。途中に見えたきれいな海、一部の新しい線路、運転手や駅の人たちの頑張りと明るい笑顔が印象的でした。また機会があれば訪ねたいと思っています。
犬伏

 

2013年 春の中国鉄路の旅 Part2 四川省広元の栄山鉄道へと向かう その2 上海からZ122次に乗って成都へ

第2・3日目 5月2日、3日
① 人民広場13:40(地鉄)→13:46上海駅15:00(Z122)→翌日11:29成都
② 成都駅15:53(地鉄)→16:02錦江賓館16:20(リムジンバス)→16:47成都空港

01_切符売場02_切符今日は朝から散歩で鄭州鉄道日記さんから教えてもらったホテル近くの呉宮大酒店の代理切符売場に行って今日発売の切符購入です。
左奥がその場所です。市内の多くはホテルの1階の端にあるのが多いようです。
帰りに「新華書店」がありましたので寄ってみました。さすが中国一の書店だけあって7階まで各階にジャンル分けした本が並んでいます。03_新華書店1向かうは鉄ちゃんコーナーですが、まだまだ中国人鉄ちゃんが増えてきたとはいえそんなコーナーはありません。しかし店員に時刻表はあるかと聞きましたら6階と返事が来ました。行ってみますと鉄関係の本はありましたが殆どは専門書です。くだけた写真入りの鉄ちゃん向けは存在すらありませんでした。03_新華書店2

03_新華書店303_新華書店4▲ ご覧のように殆どの本の表紙は興味が湧くのですが中を見ますと中国語の羅列で専門書です。全国時刻表はそんな中に積んでありましたので買い求めましたが、何と2012年7月号でした。店員に2013年4月最新版があるはずだと申し上げましたが、今あるのはこれだとの返答でした。中国で最も進んだ町がこれですからどこに行っても多分ないのでしょうね。

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流鉄流山線「なの花」さようなら運転

4-28 流山発車
流山駅発車

流鉄の「なの花」編成(クモハ2005+クモハ2006)が4月28日「さようなら運転」を最後に引退した。同編成は平成9年3月、西武鉄道701系の757編成を購入したもので、入線に当りクハ1757-モハ757-モハ758-クハ1758の4両編成を、クハ1757とクハ1758の運転台部分をモハ757とモハ758に接合して2両編成に改造する工事を実施している。

当日は流山発9時発から10往復し、馬橋発14時45分、流山15時7分着の列車がラストランとなった。流山発11時15分の列車からは、西武鉄道の急行「奥武蔵号」風のヘッドマークが取付けられ引退に花を添えた。

当日は当会会員4名が「なの花」の最後の雄姿を撮影するべく訪れたのでその時の模様等も含めて報告する。

前日の27日、「なの花」が運用されることが判っていたので午前中で出掛けたところ、「流星」(クモハ5102+クモハ5002)と共に運用に就いていた。
幸谷から平和台まで撮影しながら歩いたが、同業者は少なく10人位であった。
「なの花」はいつも通りの表情で走行していた。

    幸谷~小金城址間を走行(上は常磐線と武蔵野線の連絡線)
4-27 なの花1

  小金城址駅での「流星」との交換
4-27小金城址交換

小金城址駅を発車した流星
4-27 流星

最終日28日、でかんしょ祭り号さんが出掛けられると聞いていたので合流した。
新松戸駅から幸谷駅に行くと程なく窓上に「惜別」の表示がされた馬橋行の「なの花」が来た。
折返してきた「なの花」に乗り、流山駅の歩道橋上で、でかんしょ祭り号さんと合流した。
ヘッドマークの取付け風景を撮影後、平和台駅の踏切に移動。しばらく撮影後、次の鰭ヶ崎駅寄りの複線分用地の場所に移動、ここで新所沢都民さんと合流した。

世間話等をしながら撮影していると、鰭ヶ崎方向からKawanakaさんが来られた。
総勢4名となり賑やかに陸橋の上や鰭ヶ崎寄りの半切通しで撮影していると、早くも「なの花」の最終列車の時刻になり、次の小金城址駅との間で撮影した。
その後幸谷駅まで電車で移動して大反省会が開催されたが、私は野暮用のためここで失礼した。
当日の模様は、後日Kawanakaさんが、ご自身が撮影された画像と共に報告されるかも知れない。
また、この日のランニングメイトは、27日と同じ「流星」で、こちらにもヘッドマークが取付けられた。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part1 四川省広元の栄山鉄道へと向かう その1 上海

第1日目 5月1日
① 長岡京→大阪/梅田→なんば→関西空港
② 関西空港10:25(JL891)→11:55上海空港

ミャンマーから帰国してから1ケ月、今度は小竹直人先生からのお誘いを受けて中国へと向かうことになりました。当初は冬に行った興隆鎮森林鉄道の予定でしたが、都合で四川省广元市の有名な監獄鉄道(栄山鉄路)に変更になりました。昨年10月にO氏と行く予定でしたが島の問題発生で仕方なく訪問を断念した鉄路で、初めての訪問です。変更は大歓迎と喜んでの参加となりました。
行程は今年はまだ行っていない同じ四川省の芭石鉄道を先乗りして訪問する予定を組んでいました。丁度田植えの季節でいつもとは違った光景を撮って見たかったのですが、4月20日に芦山地震が発生しました。震源地は約100キロと近くで、成都から向かう高速道路は震災支援復旧輸送の専用道路となってしまいました。一般道は込み合いますので時間が読めません。直前で断念しましたが、集合場所の成都空港に直接行くのは乗り鉄魂が許さず、上海から運行が始まったZ列車(直通)で行く事にしました。

問題は列車の切符手配です。中国鉄路の残席情報を調べてみますと高い運賃の寝台専用列車だけあって当日でも購入できるほど空席があるのですが、乗車予定日の5月1日だけは中国の労働節休暇とあって満席です。いつものように鄭州鉄道日記さんに助けを求めますと、翌日なら平日同様に空席があります。地震の起こったこの時期に四川省に観光に行く人民は極めて少ないでしょう。乗車当日でも切符購入は大丈夫と思います。ただ切符を買って15時発の列車に乗車するのは、もしも飛行機が遅れたりすると無理があります。1日早く訪中されて前日に買って上海に宿泊してからをお奨めしますと教えられました。その通りです。これで出発日は決まりました。

01_ラウンジ上海は久しぶりの訪問です。関空のJGCラウンジは羽田や成田と比べるとしょぼいものでまともな朝食を食べられませんがいつものコンビニおにぎりに大阪もんブランドの「川上さん家の犬鳴豚のメンチカツサンド」が新たに加わっていました。JALの業績復調が原因か、LCCが増えだした関西空港での搭乗客略奪競争が始まったのが原因かどうかは分りませんが、少しでもサービスが向上されるのは大歓迎です。

02_機内食

機内食もグレードアップがされていました。わずか2時間半のフライトですので言うことはありませんが、私の好きな日本酒を乗せていないのは不満が残ります。

着いた上海はうららかな春晴れを迎えていました。こんなに晴れているのでしたら地下鉄に乗って行くのは勿体ないとリムジンバスで市内に向かいました。予約してあるホテルのある人民広場には近いというので乗車しましたが、降りてからたっぷりと30分を歩かされました。しかし良い事もあるものです。途中で鉄路切符の代理販売所がありました。昨夜予定をたてたばかりで最終決定ではありませんでしたが、迷っていても優柔不断の私には中々決められません。いつものように確保できたルートで参ろうと、小竹先生と一緒で決まっている分から買い求めました。

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