【34493】ヘラン号による韓国一周乗り鉄旅

韓国の鉄道について全く関心も知識もなかったのですが、韓国版「トワイライトエキスプレス」とでも言うべき「ヘラン号」なる列車があることを知り、この列車で旅をしたくなり チケットが入手できたのでこの度 韓国内一周の旅を楽しんできました。ぶんしゅう様のような「戦闘的」な旅にはほど遠い安楽旅ではありますが、簡単にご紹介することにしましょう。

1.ヘラン号について                                     6年前の2007年春 北京オリンピックの際に南北合同応援団のためにソウルーピョンヤンー北京間の国際寝台列車が企画され 専用の新型車両が検討されました。しかし予算面から新造車を断念し、比較的車令の若い客車を豪華客車に改造することになりました。この改造が進む一方で韓国と北朝鮮の関係改善が叶わず、この国際列車計画は頓挫してしまいます。そこで韓国内の富裕層をターゲットにして、有名観光地を巡るツアーの専用豪華客車として 2008年11月にヘラン号がデビューしました。ヘランとは韓国語で「太陽と共に旅をする」という意味の造語だそうです。ヘラン号の日本語版パンフレットの一部を示します。

IMG_0001

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【34506】「『なにわ』の赤バス消える」によせて/他の都市の外国製コミュニティバス

特派員さんより3月31日から4回に亘り大阪市の赤バス廃止に関する投稿があったが、廃止に至った要因は、①乗客が予想外に少なかった。=乗客のニーズに合った運行ルートではなかった。②車両が外国製のため予想外にメンテナンスに費用と時間がかかった。=修繕費が高額になり、かつ車両の稼働率が低かった。ということではないだろうか。

他の都市でも外国製を導入したところは、ことごとく国産車に置換えられ、現存車は恐らくないと思われる。
他の都市の事例を知る範囲で紹介する。

浜松市
中心部の活性化を目的に平成14年4月から「く・る・る」の愛称で運行を開始した。運行は遠州鉄道に委託している。当初は大阪市と同じ「マルチライダー」を使用していたが、僅か6年足らずで国産車(日野ポンチョ)に置換えられた。
浜松200あ 19/(14-6-24) 浜松駅前
浜松200あ19 13-6-64
浜松200あ 20/(14-6-24) 浜松駅前
浜松200あ20
浜松230あ3032/(14-6-24) 浜松駅前
浜松230あ3032

金沢市
市内の公共交通機関空白地域の足の確保のため、「金沢ふらっとバス」の愛称で、平成11年3月から運行開始した。(北陸鉄道に委託)
車両は、オーストリアの車体メーカー、クセニッツ社製で、エンジンはフォルクスワーゲン製を搭載した。平成20年にポンチョに置換えられた。
石川22う293/ (13-3-26) 金沢駅前
石川22う293 13-3-36

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【34445】名古屋市電800形

本題については、湯口先輩が詳しく解説されており、更に今出川浄福寺氏が乗車記を書かれておられるので写真のみとする。ワンマン化が早かったため、ツーマン時代に乗車されたということは、昭和39~40年頃であろう。

本文に出てくる1800、1900、2000形についても判る範囲で解説するが、名古屋に住んでおられた方から補足のコメントをいただけると有難い。

800形 
昭和31年に801・802、32年に803~807、33年に808~812が新製され、港車庫に配置された。41年にワンマン改造され、44年2月20日港車庫及び担当系統廃止により全車両廃車になった。
810/(41-9-1) 築地口
41-9-1 810

1800形
昭和28年9~10月に1801~1815が、29年10月に1821~1830が新製された。局内では前車をA車、後車をB車と呼んでいた。
1815を除き吊掛式ながら、間接自動制御、セルフラップの電空併用ブレーキを持つ高性能車で「無音電車」(1815を含む)と呼ばれた。
1815は、地下鉄東山線の車両のデータを得るため、直角カルダン駆動が採用され、1801~1814とは異なるため、29年7月1900形1901に改番された。
A車は路線縮小に伴いワンマン改造されることなく46年に廃車、B車は44年にワンマン改造されたが、47年3月浄心、稲葉地車庫及び担当系統廃止により廃車された。
1807/ (43-8-29) 笹島町
A車はワンマン改造されることなく廃車された。
台車は従輪にドラムブレーキ付の住友FS60を履いていた。
1814が豊田市交通公園で保存されている。
43-8-29 1807
1823/ (41-9-1) 名古屋駅前
B車のツーマン時代で、扉は前後が通常の乗降口、中央は乗車専用であった。台車は両軸ドラムブレーキ付の住友FS61を履いていた。
41-9-1 1823
1824/ (46-5-26) 名古屋駅前
ワンマン改造後で、前扉が乗車口、中扉が降車口、後扉が締切となった。京都市電のような扉位置改造工事をすることなく、3扉を有効に活用してワンマン化された。
46-5-26 1824

1900形
1901の改良車として29年12月から30年12月に1902~1922が新製された。
間接自動制御、直角カルダン駆動の高性能車で、足回りをスカートで覆った独特のスタイルであった。
41年から43年にかけてワンマン改造され、路線廃止により徐々に廃車されていったが、1910~1915の6両は市電全廃1カ月前の49年2月16日沢上車庫廃止による担当路線廃止時まで活躍した。
 1918 /(41-9-1) ツーマン時代 名古屋駅前
41-9-1 1918

1903/(46-7-25)  ワンマン改造後 沢上町
46-7-25 1903

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【34392】2013年 春の中国鉄路の旅 Part6 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その4

第6日目 5月6日
① 广元21:14(K292次)→8:39咸阳(Taxi)→西安空港
② 西安空港12:40(CZ6470)→16:10瀋陽空港(Bus)→瀋陽駅
③ 瀋陽21:46(K7385次)→7:05通化(Taxi)→集安

今日は夜に広元から夜行列車に乗って西安へ、西安空港から飛行機で瀋陽へ、瀋陽から再び夜行列車に乗って通化へ、ここでTaxiに乗り換えて北朝鮮との国境の町、集安へと向かいます。移動距離は約2600キロ強、2日連続の車中泊での移動です。

02_登校202_登校37:10、今日も朝から3日連続で栄山駅に参りました。そして今日も雨です。
朝の駅構内は子供たちの通学路でもあります。色とりどりの傘をさしての登校です。
最終日ぐらいは好天を期待しましたが、この時期の四川はこんな天候が続きますので、余程運に恵まれないと難しいようです。しかし良い点もありました。晴天になりますと日中の温度は30℃を超えます。暑くなっては煙が見えませんが、この3日間の最低気温は何と3℃と寒いくらいになりました。十分とは言えませんが白煙ながら煙が見えました。

今日の1番列車の撮影は、駅から橋を越えた集落に行く事にしました。学校も橋を渡った所にあります。登校する子供たちにとって、橋も通学路です。
03_朝の列車03_朝の列車2▲ 7:45、大きな木の下をプッシュプルの混合列車がきました。傘をさして竹籠を背おったおばちゃまとのツーショットを撮ろうとしていましたら列車が来る直前で建物の陰に隠れてしまわれました。いい感じだったのに残念です。路地の家々をかすめるように列車は行ってしまいました。

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【34505】台湾一周駆け足旅行(5)

3月25日 台北⇒三貂嶺⇒台北⇒MRT⇒台北松山⇒東京羽田

最終日はまず地上時代の台北中華商場付近に昔の撮影地点の痕跡を求めて歩いた。台北~萬華間の台北駅手前で現在の中華路一段のあたりに撮影した場所があったと思われる。台北駅を出た列車は直ぐに左へカーブして直線区間を萬華に向けて走行していた。特にディーゼル機関車のバリバリと大きな音をたてて走行する姿が印象的であった。ここでも付近の古老に確認をとり、間違いないと言われたあたりの新旧対比写真である。

1968.3.19 台北駅を昼頃に出発し、左カーブにさしかかる米国GM製S316牽引列車。↓

s-1968.3.19台北S316

2013.3.25 台北駅前の忠孝西路一段から左へカーブして中華路一段に入るあたり。近くには台北府城北門(承恩門)がある。右手徒歩5分に現在の台北駅がある。↓

s-13.3.25台北西カーブ

1968.3.25 当時の台北の代表的な鉄道風景である中華商場付近を行く2002車次海線経由光華号DR2700形6連。 高雄7時15分発で途中台南、彰化のみに停車して台北に12時に到着する。この日は雨であった。↓

s-1968.3.25台北中華商場光華号

2013.3.25中華商場のあったあたりで現在の中華路一段 45年前と同一日の撮影↓

s-13.3.25中華商場

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【34485】雨も撮る 〈1〉

近畿地方は、例年になく早い梅雨入りとなった。

この10日間ほどは、夏を思わせる晴天続きで、毎日のように撮影に出かけたものだが、しばらくは籠りの生活が続きそうだ。“晴耕雨読”が信条の生活とあらば、雨は、外出・撮影意欲を喪失させてしまう気象条件だ。近距離なら、撮影を中止することも出来るが、長期の撮影旅行で雨に降られると、お手上げだ。撮影はあきらめて、“乗り鉄”で時間をつぶすことが多かった。

しかし、やっかいな雨も、写真の対象として見れば、雨による車体やその周辺の反射、また人物のカットなど、雨でしか表現できないこともある魅力的な気象とも言える。要は、雨にも決断する行動力だ。

過去、雨のなか、意欲的に(?)カメラを向けた、いくつかの写真を思い出とともに並べてみよう。IMG_0001sy_edited-1初めて訪れたウワサの函館本線上目名駅。昼間はまだ曇りで、撮影は順調に進んだが、下りのC62重連を撮った夕方から、空が一転掻き曇り、駅に着く頃には、土砂降りの雨になった。同業者も居ない、山間の駅で、一人心細くなってくる。ホームの軒先で雨を避けながら、乗車する列車を待った。写真からも、雨筋が分かるほどの豪雨だった。(昭和43年8月)IMG_0006sy_edited-1ところ変わって九州、愛用の夜行鈍行1121列車に乗って、早暁の肥薩線坂本駅に着いた。天気予報が当たって、しっぽり降りだ。川筋を歩いて撮影する計画も、あっさり断念、駅撮りと決め込む。やがて到着したC5748の牽く貨物列車は、通票の授受を終えると、慌ただしく発車して行った。列車全体が白煙に包まれて、雨にけぶる彼方へ向かっていった。(昭和46年12月)IMG_0004sy_edited-1こちらは、宮津線丹後山田駅(現・北近畿タンゴ鉄道野田川駅)。鉄道同好会の面々と、加悦鉄道へ行った日だった。朝、京都を出て、丹後山田に着く頃には、雨になってしまった。列車を降りて、加悦鉄道ホームへ向かうと、ちょうど乗車列車が発車しようとしていた。何気ない写真というか、気にも留めていなかった写真だが、客車のナンバーが読み取れるサイドから、人物を手前に置いた写真、何でも撮っておくべきだと思わせる写真だった。(昭和45年9月)IMG_0008sy雨の草津線貴生川駅にD51841の貨物列車が到着する。出迎えの駅員の影が、濡れたホームに映る。ローカル線の交換駅では、必ず見られた光景だが、雨がうまく演出してくれた。背後の跨線橋は今はなく、橋上駅が上を覆っている。駅全体がすっかり変わってしまった貴生川駅だった。(昭和47年6月)

 


目に若葉 野辺の鶯 川根新茶

画像

毎年春秋恒例にしています、笹間渡川根温泉露天風呂・東屋旅館2泊の大井川巡りです。 本年はサクラの時期を延ばし、新緑新茶の時期にしました。ご覧のとおり、画像は青空と緑一色です。暫くは目の保養と思い、文章よりも画像を拡大して緑をお楽しみください。

5月3日、快晴。抜里の茶畑、緑の真っただ中に到着。すぐに同系色上り電車が通過。畑の中央にある黄色の花はエニシダ。川向いの山々も新緑の芽吹き。305031ほどなく、下り1001レ、かわね路11号が千頭に向かう、牽引はC5644、緑の中に黒の一筋。煙を入れると二筋。茶畑の農夫が二人、列車に手を振る場面も。305032今度は、予めgoogle Earth で検索しておいた国道473号の高所からの撮影。C108号牽引の列車は緑の中を行く模型鉄道の様。 デジタル時代の今日、在宅で予め撮影場所に立つことができる。前ばかりか、背後の状態も確認できるので、高所に登れる道も探すことができる。全く便利。ご存じデジカメは撮影写真がただちに確認できるし、もっと良い写真が撮れて当たり前ですが、いかんせん腕前は昔の儘。昔といえば、半世紀前の撮影でカラー写真が東洋現像所から手元に戻るのに、2週間ほど掛かったものでした。305033緑を眼下に眺めながら、来しなに浜松駅で買ったシラス弁当と缶ビールの昼食を撮った後、抜里の中央を横断して家山寄りの高所に登る。google の航空写真で見ると大井川の蛇行や、抜里の平地が昔川底であったことなどが容易に想像されます。流れや浸食で取り残された丘が一つポツンと抜里平地の中央に残っています。305035今撮影している山は昔の大井川右岸と思しきところ。3年前の同じ場所は樹が茂り、見通しが悪いのでさらに高所に登り見下ろしました。画面中央、踏切付近にはマニアが集合。305034大井川に青い水の流れが見えます。長年に亘る『川に水を返せ』運動を、読んだことを思い出しました。 列車を待つ間の暇な時間は鶯の縄張りのさえずりを楽しんでいました。抜里でも、あす以降の崎平、大和田でも。見事な谷渡りの声が、それも長く長く続きました。
抜里の里には、まだまだ撮影に適した角度がある筈で、また探してみようと思いながら、山を下り、家山駅に向かいました。家山駅で缶ビールを飲んでいると、丁度女王様が上り電車として通過して行きました。初日はここまでです。305036 続きを読む

【34416】大阪市電3001型

乗ったことがないのが残念至極!
そんなに乗り心地がいいとは知りませんでした。でも他社へ転勤した3両があるとか。残っていれば今からでも乗ってみられますね。どこに行ったかご存じありませんか?
旧市役所(?)の前だから御堂筋を南下する風景でしょう、米国旗と日章旗をつけているのは何の日でしょうか?それより併走している日野コンテッサに心引かれました。大阪市電3001型_NEW 大阪市電3001型(文)_NEW


【34312】2013年 春の中国鉄路の旅 Part5 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その3

00_雨の日のお届け物▲ 雨が本降りになってきた栄山駅。お父さんかお母さんに傘を届けに行くのでしょうかね。お嬢ちゃんが来られました。ちょっとカメラ目線にはずかしそうです。物心がつき始めた頃なのでしょうね。

00_雨上がりの栄山駅
▲ 7:07、今日も早朝起きで栄山駅に参りました。雨上がりの駅のホームは、勤め先に向かわれるのでしょうか、上の集落からの皆さんが通られています。
丁度できた水たまりの傍を歩いて来られました。水鏡となった光景にコンデジを水面上に置いて狙ってみました。会心のショットでしたので小竹先生にお見せしますと、これは静けさの中に人や犬までも動きがある。雨上がりの朝のどんよりとした空気感も表現されています。構図もバッチリですね。
私は他人の作品をけなすことはあっても褒めるのは数作品しかありませんが、これは素晴らしい。最高のショットですよと、お褒めのお言葉をいただきました。老体ですのでお世辞も入っているでしょうが褒められると、木の上に登ってしまいます。
【DATA】 Nikon COOLPIX P310 1/40秒 F2.8 24㎜(35㎜判換算)

前回の旅からD800Eでは重くて機動性を損なう場合があるので、こういった閃いた時に直ぐに撮れるようにと、より広角で明るいレンズを持つサブカメラとしてのコンデジを求めていました。結果、最も希望に近い性能を持つNikonP310(24㎜・F1,8)を購入しましたが、希望に答えてくれました。800Eと比べると約1/30の購入価格でしたが、期待通りによくやってくれました。カメラさんに撮らせていただいたショットです。カメラさんに感謝感謝です。

第5日目 5月5日

朝から小竹先生よりお褒めの言葉をいただいて気持ちの良いスタートとなりました。写真のバックに写っている客車を紹介します。
03_客車03_客車2▲ かつて囚人たちを護送した客車は1番下の車両です。まだ車体には表示が残っています。
かつては、この車両を撮るのはご法度でした。

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【34276】2013年 春の中国鉄路の旅 Part4 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その2

11_採炭場4▲ 山の採炭場駅でお迎えしてくれた頭の上で髪を2つに結んだお嬢ちゃん。素朴な笑顔がとっても素敵でした。

第4日目 5月4日 その2

01_給水2

04_C2▲ 10:52、単機回送で戻った218号機はここでも高圧水蒸気洗浄をしてもらって給水されました。

08_栄山8

08_栄山9 ▲ 11時を過ぎると朝市でお買い物をすませたおばちゃまたちの帰宅ラッシュとなります。皆さんお手製の竹籠にお買い物品を入れて背負っての家路です。顔を見なくても後ろから籠を見ると誰だか分ると言います。籠つくりには代々先祖から受け継がれてきた歴史もあるそうです。
我々には同じような籠にしか見えませんが、奥が深いようですね。

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【34160】2013年 春の中国鉄路の旅 Part3 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その1

04_おばあさんとお孫さん_1▲ 今迄公式には撮影を許されなかった广元の監獄鉄道の栄山駅。初めて訪れた駅で迎えてくださったのは、最近訪れています東南アジアの皆さんにも増してのさわやかな笑顔のおばあさんとしっかり寄り添うお孫さんでした。これで天候に恵まれない重い気持ちが吹っ飛びました。ありがとうございました。

02_全体地図いよいよ今日から3日間、監獄鉄道を走るC2型蒸気機関車の撮影開始です。
この鉄路は、四川省广元市郊外の栄山から山の石炭採掘場までの約6キロを走る762㎜ナローゲージの石炭輸送鉄道です。しかし途中には刑務所があって軍の管理下にあるために一帯は未開放地区に指定されています。立ち入りは不許可で勿論、撮影等許されるものではありませんが、蒸気機関車が大好きな鉄ちゃんにはそう言われれば言われるほど興味が膨らみ撮りに行きたくなるものです。
02_路線図そして禁止と言われてもここは中国です。できないことは何もないと信ずる鉄ちゃんはあの手この手を使っても果敢に挑みます。結果、私の聞いているだけでも数10人が捕まり拘束されて始末書を書かされ、折角撮影したフイルムは没収、デジカメデータは削除されて追い返されておられます。しかしデータは現場で消されても復元ソフトで復旧できますので、確信犯覚悟で行かれているわけです。

処がこの厄介な刑務所が昨年6月に移転されて、外国人がこの地区に入る障害が消えました。政府発表はなかったそうですが、これで堂々と撮影が出来るようになったと勝手に理解した鉄ちゃんは8月の稲刈りシーズンを待って参られましたが、現地はまだ厳戒体勢はとかれてはおらず、また島の問題勃発もあって、あえなく御用となられたそうです。
しかしながら優秀な案内人のおかげをもって無事に撮影を何度も続けられておられた方もおられます。この案内人は銀川の寧夏招商国際旅遊有限公司国際中心鄧さんでよく知っています方でしたので、昨年10月にはO氏と一緒に行く予定を立てていました。しかし島の問題は沈静化せずむしろ拡大化してきましたので「君子危うくは近づかず」の精神で取りやめることにしました。

今回も予定には入っていませんでしたが、小竹直人先生企画の興隆鎮森林鉄道ツアーが都合で中止になり代替案として監獄鉄道が上がりました。小竹先生と案内人の鄧さんは先生が中国鉄にハマられてより20数年来の旧知の朋友です。私もいつかは行かねばと思っていましたので、もろ手を上げての参加となりました。

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