(続)生き残った田園鉄道、弘南鉄道

現在も健闘している弘南鉄道は旅客運輸で経営を存続しているが、訪問した半世紀前は貨物運輸も事業の一端として大きなウエイトを占めていた。在籍車両調査を終え、車庫事務所を出る時に是非写真を撮ってほしいと言われたものがある。それは組成した貨物列車であった。「これから仕業に出るが、その姿を撮ってほしい。なかでも林檎輸送は好調で、ことしは国鉄ワム90000の新車を10両購入した。これから新車を使って初めて10両編成を仕立て集荷に行く」と、課長は意気込んだ。そこで編成を組んでくれたが、中線は旅客列車の行き違いで使えず、外線で牽引機はED202となった。

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初めて投稿します!1978年度生のおとりんです。

初めて投稿します!1978年度生のおとりんです。宜しくお願いします。在学中の一番の思い出、地下鉄烏丸線の初日です。前日からシャッターの外に待機、雀卓を持ち込んで当日を待ちました。北大路から京都駅まで全駅で一番切符を確保に向けて各駅に会員が配置されました。四条駅整理券には番号1とありますが実際は9番から4台~5台位の券売機でした。4回生ということで9番の券売機を当てがっていただき買った乗車券です。その後北大路行きの一番列車に各駅から会員が乗り込み北大路駅で万歳しました。今でも京都へ行く度に往時のことを思い出してひとりにんまりしています。これからも小ネタですが時々投稿させていただきます。宜しくお願いします。

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西村さん、どですかでんさん、お礼です。

相も変わらず記憶などいい加減な私に、撮影場所や日時まで教えて下さってありがとうございます。早速写真を引っ張り出してみました。まちがいなくその三名の写った写真がありました。許可を頂ければ掲載します。乗った車はキハ20ではなくキハ28か58の二連です。
以下はその時に撮った写真です。

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はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part2 函館市電、ササラ電車を追う

DSC_9179100▲ 21:29 函館駅前電停です。夜になっても雪は降り続きした。今日はササラ電車に運良く巡り会えましたので幸先良いスタートとなりました。明日も雪が降って欲しいと願いました。

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同じく倉吉線

どですかでん氏の倉吉線がアップされた。確か須磨老人も倉吉線には1963年8月に行っている。しばらく土日なしの残業続きで、いい顔をしない係長に、ここ1か月以上休んでいないと捨てゼリフ?を残し、強引に旅立った記憶がある。ネガカバーの日付では姫新線、芸備線、木次線倉吉線、若桜線と撮影を続け、8月11~15日休んだことが分かる。

木次線、若桜線はずっと以前にアップした記憶があるが、今回のどですかでん氏に触発され、倉吉線のみご笑覧頂くことにする。この線の終点山守は無人駅で、DCしか行かなかったはず。車掌が手を伸ばしているのは、車内の忘れものを女学生に教えているのである。関金まではキハ07(トルコン装備で総括制禦)とキハ20の併結で、勿論07の扉は手動だが、20の扉操作のため、キハ20に乗務していた。

倉吉線C11逆行混合列車1963.8.14a
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一枚の写真から 急がんと! 国鉄関金駅

 津山から三次へ、そして関金駅で撮った写真です。この倉吉線はすでに廃線になっています。当時は倉吉-関金間でC11牽引の客レが走っていました。終点は山守ですが、機関車の付け替えができないので、客レは関金駅の折り返しです。昼下がりの関金駅で改札口の向うにあるC11を撮っていると・・・・

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シャッターを押すと同時にオジサンが走り抜けて行きました。当時はデジカメでないので現像しないとどのような写真になっているかわかりません。現像をして画像を見ると、ご覧のとおりです。 ホットしたのですが、それよりもドンピシャのタイミングでシャッターを押していたのでびっくりポン。なんという偶然なのか。1974年(昭和49年)3月15日のことでした。

一枚の写真から  どっこいしょ、ちょっとひと休み  国鉄津山駅

 西村さんの『「行商列車」を読んで』の投稿を見て、思い出したのがこの一枚の写真です。 S-MN津山駅001 1974年3月13日に国鉄津山駅で撮った写真です。ちょっとだけ入換用のDE10が写っています。3番線には気動車が出発待ちです。真ん中に大きな荷物を背負ったおばさんが立っています。あれあれ、よく見るとゴミ箱に背負っている大きな荷物をちょっとのせています。列車が来るまで、少しでも楽をしたいのでしょうか。3番線の列車は拡大して見ると行き先サボは鳥取という文字が見えます。因美線を通って鳥取に行くようです。そうすると岡山方面の列車を待っていたのでしょうか。ところで、この写真の次に写っているのは三江南線0番線ホームです。我々は津山から姫新線、芸備線で三次へ行ったのかどうかよくわかりません。(この時はK君と一緒に中国山地ブラブラをしていたのです。)ひょっとしたら三次で泊まったかもしれません。そうしないと三江南線には乗れなかったのです。まさか、岡山経由で福塩線か芸備線なのか、そんなアホなことはしていないと思いますが。姫新線、芸備線に乗った可能性が高いのです。そうするとこの行商をしていると思われるおばさんは姫新線の列車を待っていたのでしょうか。とにかく、津山から三次へ行ったのは間違いないのです。

 ところで、ホームの向うに制服姿の人だかりがあります。これも拡大してよく見ると国鉄職員の人だかりのようです。ひょっとしたら転勤のお見送り。頃は3月13日です。そして、雪が降っていました。まもなく、この写真から42年になります。

 津山から三次へ、そして三江南線の写真の次は倉吉線の関金駅が写っています。どんな旅程なのかさっぱりわかりません。どうも中国山地を鉄道でブラブラしていたようです。そんなことができた時代でした。

はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part1

DSC_8849036▲ 15:35 青柳町~宝来町 新雪を吹き飛ばしながらササラ(排形)電車が走ります。降雪のあった早朝に走るとは聞いていましたがこんな真昼間に、着いたばかりなのに走っているのを撮影できるとは感激でした。
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富士急行モハ5000型

年甲斐も無く、風邪を引いてしまいました。諸兄もお気を付け下さい。

今回は富士急行電鉄です。といっても私には全く縁のない鉄道で、昔東京時代に同僚が大月の出身で遊びに行った時に駅で見たぐらいしか覚えがありません。最近テレビの旅番組で紹介されたのを見ました。
こんな113系のような電車を作っていたとは・・・
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「行商列車」を読んで

2015-7-24 wakuhiro氏の62142「代走鮮魚列車」を見るまでは近鉄にこのような専用列車が走っていることを知りませんでした。つい最近になって山本志乃著「行商列車 カンカン部隊を追いかけて」という本に出くわし、一気に読みました。

表紙

表紙

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 福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔1〕

博多駅前

“つい最近”と思っていた出来事なのに、改めて思い返すと数十年も経っていたことに愕然とすることがあります。これも加齢現象のひとつでしょうか。少し前に九州を駆け足で回りましたが、そう言えば、西鉄福岡市内線が昭和54年に全廃にになってから37年、北九州市内線でも最終区間が平成12年に廃止になってから16年になることを改めて知りました。いずれも廃止前には、ほぼ全線を歩いて写しており、時代の隔たりを感じるとともに、感慨深いものを覚えました。「一人で今昔対比ができるのは高齢者のみである」は、準特急さんの至言ですが、生き永らえて地道に趣味活動を続けてきた者の特権として、福岡、北九州での今昔対比を試みようと、久しぶりに両市の中心部を歩いてみました。

60210 021sy_R博多駅前の西鉄福岡市内線、背後に見える博多駅は、昭和38年に完成した第3代目で、それまでの博多駅は別のところにあり、手狭になったため、移転・新設された。路面電車も同時に移設・延長された。駅は、ビル全体を博多ステーションビルと言い、百貨店の井筒屋がキーテナントとして入店していた(昭和51年8月)。

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