客車廃車体訪問記 北海道編26

【津別町 21世紀の森キャンプ場】

オロネ10 502  スハネ16 510 43.697711, 144.034960  2017年7月16日撮影 津別21世紀の森キャンプ場
◆オロネ10 502(1962年新製 日立)→1984年廃車。
◆スロハ31583(1940年新製 日車)→(1941年改番)スロハ32 34→(1966年改造 土崎工)オハネ17 510→(1968年改造 旭川工)スハネ16 510→1984年廃車。
津別町は北見市の東南、美幌町の南に位置し、まずまず大きな町である。21世紀の森キャンプ場は芝生のキャンプ場が広がり、あたり一帯を自然運動公園と称していて、その入口の看板に「鉄路ハウス」と書かれている。移動機の横にも「ふれあい広場  鉄路ハウス」の札が下がっている。
スハネ16の廃車体は貴重である。以前は現役時そのままの設備(なんと冷房も)で宿泊できたらしいが、車内を覗くととても宿泊出来そうな状態ではなかった。車体にゴテゴテ書いているが、上屋があり、車内外ともに現役時代に近い姿をとどめるこの2両を末永く保全してほしい。

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うごくシリーズ 鞆の「それなりヘッツイもど機」と「九条山のアルピニスト」がうごいたよ!

 動画を投稿できるようになったので、それに調子に乗って今年の最初の投稿は動画を投稿することにしました。動画の題材は模型です。最初は以前に投稿した鞆のヘッツイ機です。

これは準ヘッツイ機でサドルタンク機です。あり合わせの材料の紙製ですので軽く、走らせてみたが具合が悪かったので長い間お蔵入りでした。

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散歩道で見つけました3

藤田さんは呉線にも足を伸ばされています。
ただ、あまり歩き回る方では無いようで写真は駅周りで撮られた物が多いです。
これらは呉線広駅で撮った写真です。

当時の呉線は山陽線より旅客大型蒸機が多かった

西村さんの地元ですから解説はお任せしますが、通勤列車がC59、C62などが牽く贅沢な物でした。C59大好き!の準特急さんなど垂涎の的でしょうな。

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散歩道で見つけました2

さっそく菱屋・藤田光一さんの次の作品をご紹介します。
なお、写真にはデータが付いておりません。撮影時期や場所は皆様の知識にお任せしますのでおわかりの方は投稿してお知らせください。

今回は国電です。藤田さんによると「飯田線へ行ったときに撮った物」だそうです。時期は聞いておりませんので塗装や風景で判断してください。

プリントが退色しているがほとんど補正はしていない 湘南色

↑ これは河様のご解説にお任せしますが豊橋でしょうか?新城行きです。

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客車廃車体訪問記 北海道編25

【旧北見相生駅跡】

スハフ42 502  43.545072, 143.980904  2017年7月16日撮影
◆スハフ42 111(1952年新製 近車)→1965年近代化改造 小倉工→(1974年改造 旭川車セ)スハフ42 502→1984年廃車。
相生線終点旧北見相生駅跡は、西側に隣接して「道の駅あいおい」があり、同一の施設のように一体化していて、観光バスやマイカーで道の駅に来た人が、カフェを営業している駅にも自然に来られるようになっている。
相生線は、1972年に来たことがある。北見相生駅舎は、その時撮った写真と比べると、入口ドアと窓サッシを取り替えて煙突が撤去された位で、当時の閑散線区の標準的な駅舎がよく保存されている。

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散歩道で見つけました

毎日散歩をしています。
その途中にいつも気になるお店があります。うっかりすると見過ごすようなお店ですが、島原の大門の前にある明治19年創業のおかきや「菱屋」さんです。
このお店には、かつて近くにあった旧丹波口駅で撮った列車の写真がいつも貼ってあります。そこでおかきを買うために入ってみました。さて、ここのおかき・”うすばね”は絶品です!いつも家内が他家へのお土産に買っているのですが、私が買うのは初めてです。

老舗・菱屋さんの外観 左端のガラス戸に写真が貼ってある

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はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part12 広電を見る、ヤンゴン近郊線を撮る

第8日目 12月10日 その2

10:55 ダニンゴン駅からはチャーターTaxiに乗って広電が走っていた海岸線の車庫に向かいました。
▲ ダニンゴンからのルートです。距離は20.3㌔、予想所要時間は41分です。
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名鉄3400系

関先生は名鉄3400系について名鉄戦前のトップスターと称され、さらに同じ名鉄の流線形850系をはるかに凌駕する出来映えと称賛されておられるが全く同感である。特に車体下部のスカートは正に流線形車両を象徴しているように思える。残念ながら私の撮影した3400系は全盛期の姿ではなくローカル運用の晩年の姿であり特長ある正面3枚窓も更新により変更されている。最晩年にはそのニックネーム「いもむし」の緑色2色で走り現在も保存されていると聞く。

1972.9.11 犬山線大山寺-徳重間 鳴海行き後部 ▼

客車廃車体訪問記 北海道編24

【川湯温泉駅近く ホテルのカラオケ施設】

スハフ42 522  43.617180, 144.453426  2017年10月7,8日撮影 川湯温泉駅すぐ ホテルパークウェイ
◆スハ43 435(1954年新製 汽車)→(1961年改造 大宮工)オハ47 23→(1966年改造 大宮工)スハ43 435→(1976年改造 旭川車セ)スハ43 716→(1978年改造 旭川車セ)スハフ42 522→1984年廃車。
丹頂の里から約80㎞、着いたのが16時40分で、日が沈みかけていた。ホテルのカラオケルームとして利用されているようであったが、訪問した時は閉まっていた。夜に営業するのかもしれない。ホテルからこちらの側面は見えないので、青い塗装のままである。

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はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part11 ヤンゴン環状線を撮る

第8日目 12月10日 その1

今日は深夜便で団長のクモハ73106さんが先にミャンマーを離れて帰国の途につかれますので、一日中ヤンゴン環状線はじめ市内の鉄道を乗って撮るに事にしました。

【 ヤンゴン環状線 】
イギリス統治下時代の1877年にヤンゴン~ダニンゴンが開業、大戦が終わり独立後の1954年に全線45.9㌔、39駅の環状線が完成しました。但し路線状態は良くなく30~40km/hの路面電車並みの走行に留まり1周には約3時間を要しています。
▲ 8:26 朝食後に向かったのはヤンゴン中央駅です。日本の中古気動車が発着する環状線ホームではホーム食堂がオープン、駅利用者の皆さんが朝食中です。
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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -20-

廃止される郷津を通過する大阪発青森行き特急「白鳥」、堂々14両編成の82系特急が日本海沿いを行く姿は、まさに“クイーン”の称号にふさわしいシーンだった(以下、昭和44年8月撮影)

能生で数時間撮影したあとは、列車に乗って、次の撮影地の名立、そして郷津へと移動しました。これから向かう能生の東寄り、直江津までの区間は、本格的な別線線増区間となり、頸城トンネル(11353m)など4本の長大トンネルを掘削、能生、筒石、名立の3駅は山側へ移設、なかでも筒石は頸城トンネルの中に地下駅として移設されます。続く有間川、谷浜は従来駅を利用するものの、有間川~谷浜は別線線増となります。谷浜~直江津も別線線増で、途中の郷津は唯一の廃止駅に。このほか、複線化により、木浦(浦本~能生)、百川(能生~筒石)、西名立(筒石~名立)の3信号場も廃止になるなど、完成を一ヵ月余り後に控えた同区間は、大きな転換期を迎えていました。 続きを読む

客車廃車体訪問記 北海道編23

【釧路市 炭鉱と鉄道館 雄鶴駅】

オハ62 95の台車  43.143821, 144.140966  2017年10月7日撮影
◆ナハ23412→(1954年鋼体化改造 旭川工)オハ62 95→1986年廃車。
釧路市丹頂の里温泉・道の駅 阿寒丹頂の里クレインズテラスの西隣の阿寒自然休養村野営場に「炭鉱と鉄道館 雄鶴駅」という建物があり、雄別鉄道関連の資料が展示されている。その裏手に赤茶色に塗られた一組の台車(TR11か)がある。以前は国鉄から雄別鉄道に譲渡されたC11 65と車掌車ヨ8057と連結して保存されていたが、痛みが激しく車体はスクラップになって台車だけが残り、野ざらしで置いてある。C11 65と車掌車は見たところ状態は良好である。「廃車体」とはいえないが紹介する。

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呉線客車の謎

先般私が呉線忠海駅での古い写真に写っている客車は何だろうという記事を投稿したところ、「うずら」さんから適切な回答が寄せられ、正直大変驚いた次第です。うずらさんから教えて頂いた客車の形式図がたまたま手元にありましたのでご紹介したいと思います。まずは改めて元の写真の拡大から。

問題の客車

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客車廃車体訪問記 北海道編22

【帯広駅 ツーリングトレインおびひろ】

スヤ42 1(左)  スヤ42 2(右)  1987年9月20日撮影
富良野と同様、駅ナカの簡易宿泊施設であった。1987年7月1日、釧路・根室駅と同時にオープンして間もない頃の様子である。バックは帯広駅舎である。その後帯広駅高架化計画によりツーリングトレインは廃止された。
マイネ40は、戦後外国人観光客用に製造された旧一等寝台車である。2両とも美瑛のスヤ52と同じ保健車であった。この2両は、形式は同じでも種車は別系列で、寝台車と座席車の違いもあり、外観に顕著な相違がある。
◆マイネ40 5(1948年新製 日車)→(1955年改番)マロネ40 5→(1968年改造 旭川工)スヤ42 1→1986年廃車。
◆スハ43 14(1951年新製 日車)→1964年近代化改造 土崎工→(電暖追設・時期不明)スハ43 2014→(1979年改造 旭川車セ)スヤ42 2→1986年廃車。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -19-

浦本~能生の海岸沿いを行くD51重連の長野発米原行き621レ D51 588〔糸〕+D51 178〔糸〕(昭和44年8月、以下同じ)

糸魚川~直江津の撮影では、下見の乗車をしたあと、糸魚川から折り返しの525レに乗って戻ります。糸魚川~梶屋敷~浦本は、現在線に腹付け線増されるため、梶屋敷、浦本の2駅は在来のままの改良で、架線も張り巡らされています。浦本からは、別線線増区間に入り、列車は架線のない単線区間に入って行きます。新線では、頸城トンネル(11353m)など4本の長大トンネルを掘削、能生、筒石、名立の3駅は山側へ移設、筒石は頸城トンネル内に地下駅で移設します。525レから、まず下車したのが能生でした。

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はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part10 カレイミョへ4

第7日目 12月9日 その2

▲ 8:20 ハンタワディ駅ガンゴーへ向かう列車を見送ってから改めてD1B303号機の見学です。1993年、ミャンマー国鉄自社製で、D1B「D」はディーゼル機関車、「1」は従台車軸数、「B」は動輪を表しています。エンジンは1978年製の日野EF350エンジン(排気量は14,779cc、最高出力295PS)を搭載しています。こういった形の車両は正式にはどう呼べばいいのでしょうね。

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客車の神様 教えて下さい

昨日呉線忠海方面に撮影に出かけたところ、いつもならC11が来ると思っていたところ珍しく1150型1155が来たので、1155を一生懸命撮ったところまでは良かったのですが、すぐに発車してしまい、後ろの客車を撮り逃がしました。特に1両目は3軸ボギー(TR71?)で丸屋根でトラス棒もあり、窓配置も不規則なような・・・。2両目はハニかハユのようですが、これはさすがに形式を判定しにくいですが、1両目の客車の形式は何でしょう?先日は気懸りだった郵便車をオユ10だと明快に回答を頂き、夜もぐっすり眠れると思っていたら、また気になるネタが発生しました。客車の神様 助けて下さい!

呉線忠海駅にて 糸崎行き

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客車廃車体訪問記 北海道編21

【旧新内駅跡】

59672寄りから  ナハネ20 132 ナロネ21 551 ナロネ22 153  43.158903, 142.814318  2016年8月15日撮影  最寄り駅:新得
◆ナハネ20 132(1965年日車)→1978年廃車。
◆ナロネ21 51(1958年日立)→ナロネ21 551(1970年大船)→1978年廃車。
◆ナロネ22 53(1960年日立)→ナロネ22 153(1969年大船)→1978年廃車。

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