客車廃車体訪問記 北海道編11

【深川市桜山温泉パラダイス跡】

ナシ20 7  オロネ10 2058  オロネ10 68  43.754609, 142.010047  1998年9月14日撮影  深川市桜山温泉パラダイス跡  最寄り駅北一已
画面右先頭からC58 98+ナシ20 7+オロネ10 2058+オロネ10 68

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◆ た~ちゃんの電車めぐり  ⑪

平安京の都大路の幅は広く、朱雀大路は84mもあったとか、戦国時代や度重なる大火で、京の街路は幅が狭くなっていました。明治維新後、中心のひとつであった三条東洞院で東西の道幅を測ってみますと、6.5mぐらいです。京都電鉄(京電)が線路を敷く時に選んだルートが川筋を中心としたのは、そのためでありました。西洞院通は、川を暗渠化して道幅を確保しました。

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秋の中国路 Part8 山口線 D51200号機を撮る

第8日目 11月25

昨夜は「道の駅 仁保の郷」で宿営、2晩続いての車中泊となりました。もう寒くになっていますので68歳の老体が選ぶ宿泊方法とは言えませんが、何しろ年金生活者です。愛妻を亡くなってから年金支給額は約4万円も下がってしまい、余裕ある暮らしがさらにできなくなりました。趣味の鉄ちゃんを続けるためにはホテル代はできるだけ削っていかないといけない辛さがあります。

▲ 6:40 夜明けが来た「道の駅 仁保の郷」です。泊っている車の殆どは鉄ちゃんたちです。
今日合流する893-2さんは、
新山口に8:29着のさくら541号でやってこられます。
7:05 9号線を新山口駅に向かって走り、途中のマクドで朝マックです。
8:34 新山口駅で893-2さんをキャッチして、第一撮影地の宮野~仁保の「大山路踏切」を目指します。朝に脚立が設置で来ているのは確認済みですので余裕の到着でした。
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秋の中国路 Part7 山陰本線 惣郷川橋梁

第7日目 11月24

昨夜は迷った末、結局3泊目の宿営地となる道の駅「道の駅 サンピコごうつ」で早めの就寝としました。既に零下近くまで冷えるので下段寝台です。

7時過ぎに起床、併設されている6時開店のコンビニで朝食を仕入れてから西へと向かいました。ナビが教える走行予定距離は104㌔、所要時間は約1時間50分です。
7:26 
途中、海の見える「道の駅ゆうひパーク浜田」休憩をとった後、惣郷川橋梁へ向かいました。高台にある道の駅から俯瞰できるのは浜田漁港です。かつてオートキャンプ世界大会が浜田で開催された時に家族で参加しました。その時に採り立ての海産物を買い込むために朝の浜田漁港市場に行った楽しかった思い出が浮かびました。

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客車廃車体訪問記 北海道編10

【旧上砂川駅跡】

スユニ60 218  43.480508, 141.989825  2017年8月15日撮影 旧上砂川駅跡
◆ナハフ25018→(1955年鋼体化改造 日車)スユニ60 218→1984年廃車。
1994年に廃線になった、函館本線砂川から分岐していた独立した線名のない枝線の終点で、上砂川町の東端に位置している。線路は西から東へ延びてきたので、ほぼ東西方向で終点のはずだと思うが、駅舎とホーム跡のようなものは南北に長い。角度が90度違うようである。1996年夏頃に移転したらしい。駅名標には「上砂川」と「悲別(かなしべつ)」が表裏に書かれている。TVドラマ「昨日、悲別で」の舞台になったらしい。また、「悲別」という演歌もある。
客車・車掌車の向こう側は、空き地が広がっており、公園でもなく運動場でもなく駐車場にしては区画のラインがない変な広場である。とにかく人がいないので、何も聞けない。町を貫通する道路はここより1本南で自動車の通行はあるが、駅の周りの道路は郵便局の軽ライトバンが走って行っただけである。通行人は皆無だった。現車は現在北海道で唯一残ったスユニ60である。灰色に塗装され、荒廃はしていないが塗膜が点々と剥がれ始めていて心配である。車掌車はヨ8055の由。

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コメントにかえて、まだあったC575の写真

 米手作市さんのコメントでC575を先頭に重連のイベント列車ですが、この列車の写真が東海道線の高槻で撮ったものがありました。しかし、重連ではありません。

よく見ると東海道線塚本ー尼崎間で撮った重連列車とヘッドマークが違うようです。

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客車廃車体訪問記 北海道編9

今回から都合により1回につき1箇所のペースですすめて行く。

【大麻駅】

スハ45 2  43.072287, 141.497383  1996年8月6日撮影  大麻駅  カレーレストランじかん

大麻駅南口。窓が大きく拡幅され車体が駅舎にめり込んでいるようで、よくできた張りぼてのように見えるが、TR47も履いていて本物の客車である。レストランの入口は駅舎内にある。現在は駅舎が改築され、無くなってしまった。ここは北海道立図書館の最寄り駅でもある。

◆スハ45 2(1952年新製 新潟)→1966年近代化改造 旭川工→1985年廃車。

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秋の中国路 Part6 三江線から木次線へ

今日は「ばけぺん」さんのご希望もあってから三次間で撮影します。その後木次線の坂根坂根を目指しまます。ここでお別れ、私は日本海へと向かい山陰本線の撮影予定です。

第6日目 11月23
▲ 8:29 撮影地 口羽~江平 Google座標;34.841624, 132.722262
三江線らしく赤褐色の石州瓦の屋根をバックに江の川橋梁を行く列車が川面に写る場所を探して選びました。山霧が出ていたのも良かったですね。橋梁は、江平手前の第四郷平橋梁です。
423Dは、キハ120 311+キハ120 307の編成でやってきました。


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名鉄850系

米手作市さんご紹介2017.12.22[91442]付け名岐鉄道850系の写真である。「なまず」の愛称の元となった正面飾り帯はこの時はなくなっていたが関先生の描かれた顔をよく留めていたように思う。1988年(昭和63年)に廃車された。

1972.09.11 犬山線徳重~大山寺 柏森行き2351+851←

客車廃車体訪問記 北海道編 補遺

客車廃車体訪問記 北海道編1【90822】で紹介した函館市ききょう幼稚園にあるオハ51 5004の現役時代に撮影したネガが出てきたので、本編の途中で補遺として紹介する。函館駅で1997年10月11日(土)撮影。

▲オハ51 5004  2-4位側 快速「海峡」(何号かメモしていない)の2号車。左の3号車は、カラオケルームカー オハフ50 5010である。

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C575に便乗させていただきます。

 C575 がC571に部品が提供されていたとはああ~知らなんだ。梅小路のC57はすべてがきれいに整備されていましたが、当時はC575は神様のように思っていた機関車でした。それでは私の持っているC575の写真をご覧ください。

たぶん、初めてのC575の写真だと思います。DRFC入会間もないころです。同じネガに新入会員コンパの写真がありました。

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速報 C575

米手作市様からのリクエストにお応えして、C575の写真を取り急ぎご紹介します。とは言え、「はよしてやぁ!」と言われそうでフィルムスキャンしているヒマがありませんので、簡易画像で失礼します。これでご勘弁を。

昭和45年 梅小路機関区にて 形式入りナンバープレートが輝く。  隣にはDF50が。

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C571の”同級生”

今日の夕刊に表題のような記事が出ていました。
阪神大震災の折に、鷹取工場(当時)で修理中だったC571が転げ落ちて大破、再起不能か?との報道があったことを思い出しました。思えばこのC571は、記事にもあるように北陸地方で崖崩れに巻き込まれ、転落大破したことがありました。それでも「1号車」のおかげで廃車されずに今日まで生き残ったのです。記事によると保存されていた僚機・C575から部品を取って修理をしたと言うことです。考えて見れば部品と言っても最近の電車と違って規格など有ってないような時代で、C57同士でも合うかどうかなどやってみないとわからないだろうと思います。幸い川崎重工同士だったらしくうまくいったようです。
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2017年晩秋の中国路 Part5 三江線へ その3

▲ 先日12月15日、JR西日本から2018年3月17日に改定する列車ダイヤのあらましの発表がありました。その中に廃止直前の三江線も含まれ、現在最後の乗車記念にと超満員になっている424D-426Dの混雑緩和のためにもう一本、三次~江津を直通するDC運行が追加されました。運行期間は15日間、最後の荒稼ぎと言われる方もおられますが全国から押し寄せるファンにこれだけでは対応しきれないだろうと思われます。
私は「葬式鉄」を好みませんが愛妻の実家があった三次となれば思い入れもあります。見送りに参加するつもりですが廃線となる3月31日は、愛妻の一周忌(3月29日)が終わってすぐです。ぶんしゅう7号で深夜走行していくか、新幹線+レンタカー利用で行くか思案中です。
桜の季節は直ぐです。三江線の開花時期は4月上旬前後です。毎年1週間幅で前後していますが、開花が早ければ最後の桜とコラボで撮れるでしょう。
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名岐鉄道850系

昭和10年頃というと”流線型”が”流行”した時代でした。国鉄のモハ52系や京阪の1000系、阪急の250型など私には同じようなデザインにしか見えないのですが、現在でも車が同じような顔で売られているのと似ています。

賑わう三江線

廃止まであと3ケ月余りとなりましたが、見納め、乗り納めに訪れる人が増え始めているようです。今朝の中国新聞記事からご紹介します。

平成29年12月21日 中国新聞朝刊より

3両編成の写真をまだ撮ったことがないのですが、3両でも4両でもワンマン運転なのでしょうね。三江線に限りませんが、廃止間近になると賑わいだすといういつものパターンですね。

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客車廃車体訪問記 北海道編8

函館本線星置駅・余市駅付近2題を紹介する。

【札幌市手稲区】

記号番号不明  43.129983, 141.209908  1995年10月12日撮影  最寄り駅:星置 ラーメンチェーン山岡家手稲店の裏
正面屋根上に「レストラン MERRY TRAIN」という看板を付けている。既に店舗ではなく、事務所兼休憩室のようだったので内部調査はしていない。現車は『鉄道ピクトリアル』441号96頁①に写真があり、苗穂工場で試作したサロンカー「旅路」である。正面中央に消えかけたトレインマークが残っている。手前の展望室にはソファがあり、絨毯室、個室寝台が設備されていたそうである。これはその後アルファコンチネンタルに結実した。
『鉄道ピクトリアル』718号59頁②にも「旅路」の写真があり、それらの写真と現車を比較すると、正面にスカートが増設されたことがわかる。展望室窓と屋根部の境目のパイプは此処で付けたものである。
現車は、①によればスハ45 37、②ではスハ45 40と食い違っている。ところがスハ45 37は振内の保存車(本稿第5回【91151】)であり、スハ45 40は次項のラーメン店「そーらん」で利用ということになっている。他にスハフ42 509やスハ45 12という説もある。塗り替えをおこなったようで、各標記は無く、銘板も無かった。狭かったため写真は撮っていないが、画面奥の妻面に尾燈が無かった記憶がある。これも現存しない。どなたか、是非ご教示いただきたい。

この時はちょうど札幌に出張中で、会社のコンパクトカメラを借りて撮ったので日付が入っている。

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2017年晩秋の中国路 Part4 三江線へ その2

また投稿途中で新たな訪問を入れてしまいました。途中で引き続きの投稿を行うつもりはあったのですが、動き回ったので出来ずとなり申しわけございません。戻りましたので引き続き続編を投稿させていただきます。

第4日目 11月21日
▲ 7:55 昨夜は車中泊ではなくベッドの上でまったりと熟睡することが出来ました。朝風呂に入り、三江線撮影の常宿になってきた潮温泉大和荘」の店先からの三次行きの2番列車423ので撮影です。

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